文部科学省科学技術・学術政策研究所の調査に対する国立大学関係者の回答。
1.「(研究活動の停滞が)教員が持つ最先端の知識の陳腐化を招き、教育・指導の質の低下につながっている」85%(「どちらかというとそうである」を含む)
2.「(授業料や国からの運営費交付金でまかなう)基盤的経費のみでは学生が卒業・修士・博士論文を執筆するための研究を実施することが困難」78%(同上)
まったくそのとおりと私も感じる。学部生と院生では多少異なるが,院生の場合は特にはっきりしている。これを理解するポイントは,院生の教育の根幹は,院生の研究を支援するところにあるということだ。
1はシンプルな話で,教員の研究水準が低くなれば,その教員に論文を読んでもらってコメントをもらう院生の水準もおおむね低下する。2も深刻であって,院生に独自の研究費というのはない大学がほとんどだ。教員が使う講座費や,部局・大学の共通ユーティリティ(図書館とかネット環境とか)だけでは院生の研究を支援することはできず,院生がよほどの大金持ちでない限り身動きならなくなる。
具体的に言おう。私のゼミでは,院生の研究支援に資金が必要なのは以下のような場合だが,いずれも私の手元の講座費では全くまかなえない。文系と言えどカネはかかるのだ。
*院生の実態調査の旅費(国内も国外もあり)。実態調査に基づく事例研究を主とするゼミであるため,これが一番大きい。
*院生が学会発表する際の参加旅費
*院生が研究に使用するデータ資料の購入(シンクタンク,調査会社発行の高価なもの)や高額書籍の購入費
*院生に刺激を与える著名・関連分野研究者をセミナーに招聘する旅費・謝金
*院生が投稿する際の英文校閲費や投稿料
これらの費用は,以下の諸手段でまかなうことになる。言うまでもないがコンプライアンス前提であって,国や大学の規則に反する裏金などつくることはできない。
a)教員と重なるテーマであれば,院生を科研費の研究協力者にする。あるいは院生も構成員に出来る外部資金での研究プロジェクトに参加する。そうすると科研費から調査旅費や成果発表旅費や英文校閲費を支出できる。
b)教員と重なるテーマであれば,教員が学内や学外の競争的資金を獲得して研究プロジェクトに参加し,国内外から研究者を招聘するセミナーを開催し,院生もそれに参加する。
c)教員が科研費やその他の外部資金を多く獲得して研究し,その分だけ浮いた講座費で院生の研究を支援する。
d)院生が学術振興会特別研究員(DC1,DC2)に応募する。
e)留学生の院生が,日本政府国費研究生の国内募集枠に応募する。
f)院生が代表者になって応募できる民間の研究助成金に応募する。
g)院生・若手研究者を海外に派遣する諸制度に応募する。
h)院生の学会参加を支援する諸制度に応募する。
このうちa)b)c)は教員の研究が停滞するとお金が獲得できなくなるので,院生の教育も連動して停滞する。また教員の研究が停滞すると,おそらくはd)の採択可能性も低まる。そして,大学の研究全体が停滞すると,おそらくはf)g)h)も獲得しにくくなるのだ。
「研究活動の停滞、教育への影響8割が危機感 国立大 文科省研究所が意識調査」2019年4月12日。
川端望のブログです。経済,経営,社会全般についてのノートを発信します。専攻は産業発展論。研究対象はアジアの鉄鋼業を中心としています。学部向け講義は日本経済を担当。唐突に,特撮映画・ドラマやアニメについて書くこともあります。
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2019年4月17日水曜日
2019年4月13日土曜日
東京福祉大学問題から見える,歯止めなきトップダウンのダメさ加減
東京福祉大学による研究生としての留学生大量受け入れは,元総長の中島恒雄氏の指示によるものであったという告発があった。
中島氏は2008年1月に強制わいせつ罪で逮捕され,実刑判決も受けた。以後,東京福祉大学は中島氏が「本学の経営や教育に関与することはない」とホームページで約束した。しかし,実際には大いにかかわっていたことになる。
実はこのことは以前より,誰あろう,文部科学省大学設置・学校法人審議会によって公式に指摘されていた。東京福祉大学は2012年度より経営学部,大学院経営学研究科を開設すべく文科省に設置申請を提出したが,「元理事長を法人運営に関与させてきていることや、本設置認可申請後に及んで学校法人として不適切な管理運営が行われていたことが確認された」として,設置「不可」の認定を受けたのだ(「」内は判定不可の理由を記した文書より)。
田嶋元教授は,中島氏が指示を出していた証拠として20011年9月の会議音声を公開したそうだが,これは文科省に設置申請をしていた時期と一致する。
田嶋元教授もかなり過酷な目に遭われたようだ。東京福祉大学は,まず2012年3月末で教授を雇い止めると通知して,裁判で無効とされた。3年前に卒業した院生へのセクハラ・パワハラを理由に懲戒解雇し,それも1審,2審で敗訴して和解し,謝罪して原職復帰を認めることになった。しかし,さらなる嫌がらせ,雇用契約の不利益変更を迫り,労働審判でそれが否定されると今度は訴訟に移行したようだ。田嶋教授は2018年3月31日に定年退職された。
田嶋氏に対して,自分が嫌がらせに遭ったから意趣返して告発しているのだろう云々というコメントがネットを飛び交うかもしれないので言っておく。文科省も裁判所も異常な経営を認定しており,どうみても東京福祉大学の方がおかしい。
いま,大学のガバナンスが取りざたされているが,たいていの場合,「教授会が頑迷で何も決められないからトップダウンにしろ」という方向で議論がなされるのはどうしたことか。むちゃくちゃな行為が行われるのは,たいてい,トップダウンが行き過ぎた場合であり,それに歯止めをかけるしくみが欠如している場合であることは言っておきたい。
「留学生大量失踪の東京福祉大、元教授が緊急会見。元総長が「120億のカネが入るわけだよ」と会議で発言。金儲けのために留学生受け入れか」ハーバー・ビジネス・オンライン,2019年4月10日。
平成24年度開設予定大学院等一覧(判定を「不可」とするもの)
平成24年度開設予定学部等一覧(判定を「不可」とするもの)
「東京福祉大学事件」田嶋心理教育相談室。
「東京福祉大学事件」交通ユニオン。
中島氏は2008年1月に強制わいせつ罪で逮捕され,実刑判決も受けた。以後,東京福祉大学は中島氏が「本学の経営や教育に関与することはない」とホームページで約束した。しかし,実際には大いにかかわっていたことになる。
実はこのことは以前より,誰あろう,文部科学省大学設置・学校法人審議会によって公式に指摘されていた。東京福祉大学は2012年度より経営学部,大学院経営学研究科を開設すべく文科省に設置申請を提出したが,「元理事長を法人運営に関与させてきていることや、本設置認可申請後に及んで学校法人として不適切な管理運営が行われていたことが確認された」として,設置「不可」の認定を受けたのだ(「」内は判定不可の理由を記した文書より)。
田嶋元教授は,中島氏が指示を出していた証拠として20011年9月の会議音声を公開したそうだが,これは文科省に設置申請をしていた時期と一致する。
田嶋元教授もかなり過酷な目に遭われたようだ。東京福祉大学は,まず2012年3月末で教授を雇い止めると通知して,裁判で無効とされた。3年前に卒業した院生へのセクハラ・パワハラを理由に懲戒解雇し,それも1審,2審で敗訴して和解し,謝罪して原職復帰を認めることになった。しかし,さらなる嫌がらせ,雇用契約の不利益変更を迫り,労働審判でそれが否定されると今度は訴訟に移行したようだ。田嶋教授は2018年3月31日に定年退職された。
田嶋氏に対して,自分が嫌がらせに遭ったから意趣返して告発しているのだろう云々というコメントがネットを飛び交うかもしれないので言っておく。文科省も裁判所も異常な経営を認定しており,どうみても東京福祉大学の方がおかしい。
いま,大学のガバナンスが取りざたされているが,たいていの場合,「教授会が頑迷で何も決められないからトップダウンにしろ」という方向で議論がなされるのはどうしたことか。むちゃくちゃな行為が行われるのは,たいてい,トップダウンが行き過ぎた場合であり,それに歯止めをかけるしくみが欠如している場合であることは言っておきたい。
「留学生大量失踪の東京福祉大、元教授が緊急会見。元総長が「120億のカネが入るわけだよ」と会議で発言。金儲けのために留学生受け入れか」ハーバー・ビジネス・オンライン,2019年4月10日。
平成24年度開設予定大学院等一覧(判定を「不可」とするもの)
平成24年度開設予定学部等一覧(判定を「不可」とするもの)
「東京福祉大学事件」田嶋心理教育相談室。
「東京福祉大学事件」交通ユニオン。
2019年4月10日水曜日
ベトナムは業績不良の国有企業に対処できるか?:TISCOの経営危機
ベトナムの国有鉄鋼企業TISCO(タイグェン・アイアン・アンド・スチール)が株主に送った手紙によれば,同社は「もし政府,銀行その他の機関によって救済されなければ倒産に至り得る財務危機に直面している」。VnExpress Internationalの記事によると自己資本比率は18%,債務1.94兆ドン(8360万ドル)のうち不良債務が8520億ドン(3670万ドル)。同社はうち46%は正常化可能というが,たとえ本当でも自己資本不足と54%は残る。記事にもある通り,TISCOの財務危機の原因は2007年に開始された2期工事の延滞・未完成と費用膨張である。建設中だった高炉などの設備は雨ざらしになっている。
これは,私が1年半前にRIETIのペーパーで論じたTISCOの問題が,まったく解決に向かっていないことを意味する。
TISCOは,もともと国有の公社であったVNスチールが65%を保有していた連結子会社であった。その経営危機は2014年には表面化しており,いったんは国家資本投資会社が1兆ドン(4310満ドル)の資本を注入して救済したものの,その後,財務省の指示によってこの株式をVNスチールに買い戻させてしまった。2017年第2四半期にはすでに自己資本比率が19%に落ちていた。
ペーパーを書いた後にわかったことは,VNスチールはTISCOの債務保証者であるということ,商工省が国有企業の不良債務について公的資金を投じないという方針をとっていたことだ。VNスチールにも債務を肩代わりする力はない。しかし,政府も公的資金は注入しない。買収する気のあった民間企業にしても,そのような負担はご免であろう。そして,銀行が債権棒引きに応じる気配もない。それでは,誰がどのようにTISCOを破たん処理and/or再建し,その過程で誰がどのように損失を被るのか。誰も火中の栗を拾わないままにずるずると状態が悪化している。
ことはTISCOだけにとどまらないのではないか。記事はTISCOをベトナム最大の鉄鋼企業の一つと書いているが,その生産規模はせいぜい鋼材100万トンであり,すでに外資企業のフォルモサ・ハティン・スチール(FHS)や民営企業のホア・ファット・グループ(HPG)に追い抜かれている。もしベトナム政府が,100万トンクラスの国有鉄鋼企業の破たん処理をうまくできないのであれば,他にも数ある国有企業の改革・再編・民営化・破たん処理・再建・清算の成否についても,大きな疑問符が付くだろう。
Anh Minh, Vietnam state steel company faces bankruptcy, VnExpress International, April 8, 2019.
川端望(2017)「ベトナム国有鉄鋼企業の衰退とリストラクチャリング」RIETI Discussion Paper Series, 17-J-066, pp.1-41.
これは,私が1年半前にRIETIのペーパーで論じたTISCOの問題が,まったく解決に向かっていないことを意味する。
TISCOは,もともと国有の公社であったVNスチールが65%を保有していた連結子会社であった。その経営危機は2014年には表面化しており,いったんは国家資本投資会社が1兆ドン(4310満ドル)の資本を注入して救済したものの,その後,財務省の指示によってこの株式をVNスチールに買い戻させてしまった。2017年第2四半期にはすでに自己資本比率が19%に落ちていた。
ペーパーを書いた後にわかったことは,VNスチールはTISCOの債務保証者であるということ,商工省が国有企業の不良債務について公的資金を投じないという方針をとっていたことだ。VNスチールにも債務を肩代わりする力はない。しかし,政府も公的資金は注入しない。買収する気のあった民間企業にしても,そのような負担はご免であろう。そして,銀行が債権棒引きに応じる気配もない。それでは,誰がどのようにTISCOを破たん処理and/or再建し,その過程で誰がどのように損失を被るのか。誰も火中の栗を拾わないままにずるずると状態が悪化している。
ことはTISCOだけにとどまらないのではないか。記事はTISCOをベトナム最大の鉄鋼企業の一つと書いているが,その生産規模はせいぜい鋼材100万トンであり,すでに外資企業のフォルモサ・ハティン・スチール(FHS)や民営企業のホア・ファット・グループ(HPG)に追い抜かれている。もしベトナム政府が,100万トンクラスの国有鉄鋼企業の破たん処理をうまくできないのであれば,他にも数ある国有企業の改革・再編・民営化・破たん処理・再建・清算の成否についても,大きな疑問符が付くだろう。
Anh Minh, Vietnam state steel company faces bankruptcy, VnExpress International, April 8, 2019.
川端望(2017)「ベトナム国有鉄鋼企業の衰退とリストラクチャリング」RIETI Discussion Paper Series, 17-J-066, pp.1-41.
2019年4月6日土曜日
「破壊的イノベーション」の意味を取り違えている内閣府総合科学技術・イノベーション会議の「ムーンショット型研究開発制度」
「欧米や中国では、破壊的イノベーションの創出を目指し、これまでの延長では想像もつかないような野心的な構想や困難な社会課題の解決を掲げ、我が国とは桁違いの投資規模でハイリスク・ハイインパクトな挑戦的研究開発を強力に推進している」(「ムーンショット型研究開発制度の基本的考え方について」2018年年12月20日,内閣府総合科学技術・イノベーション会議)。
何てこった。完全に「破壊的イノベーション」(Disruptive Innovation)と「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)を取り違えている。破壊的イノベーション論の総帥クレイトン・クリステンセンが『イノベーションへの解』(マイケル・レイナーとの共著。邦訳は翔泳社刊)でこの二つを混同するなと戒めているのに。総合科学技術・イノベーション会議には経済学者や経営学者は一人もいないのかと思ったら,実際いないようだ。安倍さんとか菅さんとか麻生さんはしょうがないとして,世耕経産相も知らないんだな。
「破壊的イノベーション」とはDisruptive Innovationの訳で,その意味は「ぶっ壊す」というより「既存の秩序を乱す」だ。個人的には「破壊的」と訳したところがそもそも間違いで「攪乱的」の方がよかったと思う。その定義は,「主流市場の顧客には使いようがないイノベーションのことであり,新しい性能次元を生み出すことによって性能向上曲線を定義するもの」だ。破壊的イノベーションは,これまで消費していなかった人々に新しい機能をもたらすか,既存市場のローエンドにいる顧客により大きな利便性または低価格を提供することによって,新しい市場を創出する。既存大企業が獲得できないセグメントや新しい市場を開くことがその革新性の中心だ。銑鋼一貫製鉄法に対する電炉製鋼,銀塩カメラに対するデジカメや,デジカメに対するカメラ付きスマホや,紙の出版に対するDTPなどがそうだった。既存企業をかく乱するところが「破壊的」なのであって,科学的・工学的に新しいことを「破壊的」と言っているのではな。また,投資金額がでかくなければならないのでもない。最初からハイインパクトとも限らない。破壊的イノベーションは,むしろ,「小さく生んで大きく育てる」になることの方が多い。
総合科学技術・イノベーション会議が言っている「ムーンショット型」は経済・経営的文脈では「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)に近く,これは定義は人によって異なるが,科学的・工学的・組織的原理が従来と根本的に違うことが中心的意味だ。
この混同がなぜまずいか。「これまでの延長では」できないことを解決するのに必要なのは,大規模な研究開発と資源投入を必要とするようなラディカルイノベーションの場合もあるが,そうでない場合もある。むしろ,既存大企業の死角をつき,一見するとむしろ性能が低いが,それ以外に良いところがある製品で小規模に事業を始めながら,発展しているうちに市場全体を変革するような破壊的イノベーションが必要な分野もある。後者を見失ってはならないのだ。
両者を混同して前者に解消するようでは,またしても技術中心主義に陥って市場を見失い,またしてもカネと力はあるが革新性を失いつつある既存大企業をかばい続けて,いまは小さいが将来性あるベンチャーを見て見ぬふりをし,またしても大規模資源投入と称して官僚的で舵の効かない大艦巨砲主義に陥って,作戦に必要な自由に小回りの利く民間の小艦艇を忘れ,月でなくあさっての方向にすっ飛んでいくのではないか。
「破壊的技術に1000億円 「選択と集中」どう機能 」『日本経済新聞』2019年4月6日。
「ムーンショット型研究開発制度」内閣府ウェブサイト。
付記:私の理解では,破壊的イノベーションとは,例えば以下で書いたように,「新興国市場の,高級な材料には手の届かない人々に,安くて使いやすくそこそこの品質のカラートタンを個人住宅の屋根材料として普及させて新市場を拓く」といったことだ。
川端望(2016)「ベトナム鉄鋼業における民間企業の勃興」『アジア経営研究』22, pp.79-92。
何てこった。完全に「破壊的イノベーション」(Disruptive Innovation)と「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)を取り違えている。破壊的イノベーション論の総帥クレイトン・クリステンセンが『イノベーションへの解』(マイケル・レイナーとの共著。邦訳は翔泳社刊)でこの二つを混同するなと戒めているのに。総合科学技術・イノベーション会議には経済学者や経営学者は一人もいないのかと思ったら,実際いないようだ。安倍さんとか菅さんとか麻生さんはしょうがないとして,世耕経産相も知らないんだな。
「破壊的イノベーション」とはDisruptive Innovationの訳で,その意味は「ぶっ壊す」というより「既存の秩序を乱す」だ。個人的には「破壊的」と訳したところがそもそも間違いで「攪乱的」の方がよかったと思う。その定義は,「主流市場の顧客には使いようがないイノベーションのことであり,新しい性能次元を生み出すことによって性能向上曲線を定義するもの」だ。破壊的イノベーションは,これまで消費していなかった人々に新しい機能をもたらすか,既存市場のローエンドにいる顧客により大きな利便性または低価格を提供することによって,新しい市場を創出する。既存大企業が獲得できないセグメントや新しい市場を開くことがその革新性の中心だ。銑鋼一貫製鉄法に対する電炉製鋼,銀塩カメラに対するデジカメや,デジカメに対するカメラ付きスマホや,紙の出版に対するDTPなどがそうだった。既存企業をかく乱するところが「破壊的」なのであって,科学的・工学的に新しいことを「破壊的」と言っているのではな。また,投資金額がでかくなければならないのでもない。最初からハイインパクトとも限らない。破壊的イノベーションは,むしろ,「小さく生んで大きく育てる」になることの方が多い。
総合科学技術・イノベーション会議が言っている「ムーンショット型」は経済・経営的文脈では「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)に近く,これは定義は人によって異なるが,科学的・工学的・組織的原理が従来と根本的に違うことが中心的意味だ。
この混同がなぜまずいか。「これまでの延長では」できないことを解決するのに必要なのは,大規模な研究開発と資源投入を必要とするようなラディカルイノベーションの場合もあるが,そうでない場合もある。むしろ,既存大企業の死角をつき,一見するとむしろ性能が低いが,それ以外に良いところがある製品で小規模に事業を始めながら,発展しているうちに市場全体を変革するような破壊的イノベーションが必要な分野もある。後者を見失ってはならないのだ。
両者を混同して前者に解消するようでは,またしても技術中心主義に陥って市場を見失い,またしてもカネと力はあるが革新性を失いつつある既存大企業をかばい続けて,いまは小さいが将来性あるベンチャーを見て見ぬふりをし,またしても大規模資源投入と称して官僚的で舵の効かない大艦巨砲主義に陥って,作戦に必要な自由に小回りの利く民間の小艦艇を忘れ,月でなくあさっての方向にすっ飛んでいくのではないか。
「破壊的技術に1000億円 「選択と集中」どう機能 」『日本経済新聞』2019年4月6日。
「ムーンショット型研究開発制度」内閣府ウェブサイト。
付記:私の理解では,破壊的イノベーションとは,例えば以下で書いたように,「新興国市場の,高級な材料には手の届かない人々に,安くて使いやすくそこそこの品質のカラートタンを個人住宅の屋根材料として普及させて新市場を拓く」といったことだ。
川端望(2016)「ベトナム鉄鋼業における民間企業の勃興」『アジア経営研究』22, pp.79-92。
2019年4月4日木曜日
『アジア経営研究』第24号電子版公開
私はアジア経営学会というところで機関誌電子化委員をしております。J-STAGEというプラットフォームに雑誌の電子版を掲載する担当で,ゼミ生にアルバイトで入力してもらいながら進めています。このたび,『アジア経営研究』最新の第24号電子版をJ-STAGEで公開しました。この豪華なラインナップに注目ください。巻頭は,全国大会でのアイリスオーヤマ大山健太郎会長の講演記録です。
・大山 健太郎, アイリスオーヤマのイノベーション
・中田 行彦, アジアにおける「ものづくりネットワーク」の新段階 日韓台中における液晶事業の発展過程の研究から
・鍾 淑玲, 小売国際化における埋め込み概念の導入と検討 アジア市場における成長に向けて
・平川 均, ICT基盤役務のオフショアリングと東アジア
・王 珊, 中国における日系自動車部品メーカーの開発活動とその制約条件 デンソー中国と地場系完成車メーカーの取引を中心に
・塩地 洋, 太平洋島嶼国の車両放置問題の解決のために
・全 洪霞, 華為の従業員持株制度の発展段階に関する一考察
・張 艶, 大連ソフトウェア・ITEサービス産業の地域エコシステム
・陳 晋, 躍進している中国スマホ市場の光と陰 国内トップだった小米の盛衰を中心に
・根岸 可奈子, 日本企業のCSRにおける行動規範に関する一考察 国連グローバル・コンパクトを中心に
・劉 瑩, 深圳のビジネスインキュベータのネットワーク構築
・垣谷 幸介, 中国乗用車市場の変化と日系メーカーの対応 モデル投入と開発工数の考察
・鈴木 康二, 接続性と利他性のアジア経営
・中川 圭輔, 韓国の社会事情と職業倫理に関する予備的考察
・廣畑 伸雄, 日系ホテルのインドシナ進出戦略
・中田 行彦, アジアにおける「ものづくりネットワーク」の新段階 日韓台中における液晶事業の発展過程の研究から
・鍾 淑玲, 小売国際化における埋め込み概念の導入と検討 アジア市場における成長に向けて
・平川 均, ICT基盤役務のオフショアリングと東アジア
・王 珊, 中国における日系自動車部品メーカーの開発活動とその制約条件 デンソー中国と地場系完成車メーカーの取引を中心に
・塩地 洋, 太平洋島嶼国の車両放置問題の解決のために
・全 洪霞, 華為の従業員持株制度の発展段階に関する一考察
・張 艶, 大連ソフトウェア・ITEサービス産業の地域エコシステム
・陳 晋, 躍進している中国スマホ市場の光と陰 国内トップだった小米の盛衰を中心に
・根岸 可奈子, 日本企業のCSRにおける行動規範に関する一考察 国連グローバル・コンパクトを中心に
・劉 瑩, 深圳のビジネスインキュベータのネットワーク構築
・垣谷 幸介, 中国乗用車市場の変化と日系メーカーの対応 モデル投入と開発工数の考察
・鈴木 康二, 接続性と利他性のアジア経営
・中川 圭輔, 韓国の社会事情と職業倫理に関する予備的考察
・廣畑 伸雄, 日系ホテルのインドシナ進出戦略
2019年3月29日金曜日
アベノミクスは誰に一番厳しかったか
アベノミクスの個人への効果は,資産保有,就業条件,年齢階層によって異なっていた。給料も資産もない,年金だけで暮らす高齢者にはもっとも厳しかったのだ。
超金融緩和は,株高を通して資産保有層を大いに潤した。そして労働者に対しては,程度の問題と格差の問題は大いにありながらも,雇用を拡大し,名目賃金を上げた。政府・日銀の目標には全く及ばないが,デフレを終結させ物価を上昇に転じさせた。
一方,消費税増税は,事実上すべての人の実質的な可処分所得を押し下げる作用を持った。労働者世帯でも賃上げが相殺されてしまった場合も少なくないだろう。
ここで最大の問題は,さしたる資産を持たず,年金等で暮らす高齢非勤労者層にあった。この層は,超金融緩和の恩恵が全くなく,消費税増税には直撃されたからだ。加えて物価が上昇傾向に転じたことも災いした。この2要因は年金支給額引き上げで相殺されず,実質的な可処分所得は低下した。
働ける人は働いただろう。現に高齢層の就業は増大している。これらの層にも,非正規の職しか提供されないという問題があった。そして,「働こうとしても無理」で,頼るべき家族もいない高齢者は身動きが取れなかった。生活保護を受ける高齢者世帯数も増加傾向にある。生活保護で補足しきれない人も増えているだろう。
専門的分析がなお必要とはいえ,高齢者犯罪の増加の背景には,貧困問題があると考えるべきではないか。
「日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由」BBC,2019年3月18日。
データは以下を参照。
『経済・物価情勢の展望』日本銀行,2019年1月。とくに「(BOX3)年齢階層別にみた賃金,可処分所得,消費性向の変化」『経済・物価情勢の展望』日本銀行,2019年1月。
是枝俊悟「消費税増税等の家計への影響試算(2018 年 10 月版)2011 年から 2020 年までの家計の実質可処分所得の推移を試算」大和総研,2018年10月30日。
是枝俊悟「年金生活者の実質可処分所得は どう変わってきたか モデル世帯の実質可処分所得の試算(2011~2017年実績)」大和総研,2018年11月7日。
「生活保護の被保護者調査(平成30年12月分概数)の結果を公表します 」厚生労働省プレスリリース,2019年3月6日。
超金融緩和は,株高を通して資産保有層を大いに潤した。そして労働者に対しては,程度の問題と格差の問題は大いにありながらも,雇用を拡大し,名目賃金を上げた。政府・日銀の目標には全く及ばないが,デフレを終結させ物価を上昇に転じさせた。
一方,消費税増税は,事実上すべての人の実質的な可処分所得を押し下げる作用を持った。労働者世帯でも賃上げが相殺されてしまった場合も少なくないだろう。
ここで最大の問題は,さしたる資産を持たず,年金等で暮らす高齢非勤労者層にあった。この層は,超金融緩和の恩恵が全くなく,消費税増税には直撃されたからだ。加えて物価が上昇傾向に転じたことも災いした。この2要因は年金支給額引き上げで相殺されず,実質的な可処分所得は低下した。
働ける人は働いただろう。現に高齢層の就業は増大している。これらの層にも,非正規の職しか提供されないという問題があった。そして,「働こうとしても無理」で,頼るべき家族もいない高齢者は身動きが取れなかった。生活保護を受ける高齢者世帯数も増加傾向にある。生活保護で補足しきれない人も増えているだろう。
専門的分析がなお必要とはいえ,高齢者犯罪の増加の背景には,貧困問題があると考えるべきではないか。
「日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由」BBC,2019年3月18日。
データは以下を参照。
『経済・物価情勢の展望』日本銀行,2019年1月。とくに「(BOX3)年齢階層別にみた賃金,可処分所得,消費性向の変化」『経済・物価情勢の展望』日本銀行,2019年1月。
是枝俊悟「消費税増税等の家計への影響試算(2018 年 10 月版)2011 年から 2020 年までの家計の実質可処分所得の推移を試算」大和総研,2018年10月30日。
是枝俊悟「年金生活者の実質可処分所得は どう変わってきたか モデル世帯の実質可処分所得の試算(2011~2017年実績)」大和総研,2018年11月7日。
「生活保護の被保護者調査(平成30年12月分概数)の結果を公表します 」厚生労働省プレスリリース,2019年3月6日。
2019年3月21日木曜日
MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書
最近,欧米リベラルの一部が依拠しているらしいMMT(Modern Monetary Theory)について。講義に関連するので興味はあるが,オリジナルの論文を読んで勉強する余裕は到底ない。さりとて新聞記事レベルでは「いくら財政赤字を出しても大丈夫」という話としてしか紹介されておらず,何だかよくわからない。幸い,主唱者の1人らしいビル・ミッチェル氏のブログが「経済学101」で訳されており,それをその他のブログの記述で補うと,おそらく以下のようなものであるらしい。
◇貨幣理論
*MMTは経済学的に貨幣理論とケインズに対する一定の理解を基礎としている。
*MMTは信用貨幣論を採る。現在流通している中央銀行券を政府債務と見るし,預金通貨を銀行の債務が通貨化していると見る。
*MMTは納税に利用されることが発券集中,つまり中央銀行券に通用力が集中した理由と見る。
*MMTは内生的貨幣供給論を採る。需要に応じて銀行が貸し出すことによって貨幣が供給されると見る。
*MMTが信用貨幣論と内生的貨幣供給論を採るということは,経済学の主流の見方である「銀行は,預けられた預金を貸し出している」というのは誤りであって,「銀行は,貸し付けることによって通貨を創造している」という見るのが正しいと主張していることを意味する。
◇非自発的失業
*MMTは,非自発的失業が発生するのは,民間部門が労働者を必要としてはいるが,貨幣を保有するために収入の一部を支出せずにおくためだと考える。純貯蓄需要と納税需要が失業を呼び起こす。
*MMTは,政府純支出によって失業を減少させることができると考える。
◇金融政策論
*MMTはヘリコプターマネーのように中央銀行が通貨を直接民間に供給することは,そもそもできないとする。中央銀行ができるのは,中央銀行が金融機関から金融資産を得て準備預金を増やしてやるという交換だけだ。
*MMTは,準備預金を増やすことと銀行が貸し出しを増加させることの間には関係がないとみる。民間の側に需要がない限り貸し出しは増えない。
*MMTが上記のような考えを取るのは,「銀行は準備預金を引き出して貸し付けている」とみておらず,「銀行は貸し付けることによって通貨を創造している」と見ているからである。
*MMTは,準備預金の量と金利を調節することを通じて望ましい金利の達成のために努力することは中央銀行の主要な機能だと認めている。つまり,中央銀行は金利を調節しているし,金利を調節することはできるが,通貨供給量を調節することはできないと考えている(4/13追加)。
◇財政政策論
*MMTはマクロ会計を重視し,政府,民間,海外のバランスがゼロになることを重視する。各部門の赤字・黒字は相殺されてゼロになる。政府の債務は,それと一致する民間が海外部門の債権と対応している。
*MMTは政府と中央銀行は一体である,またはあるべきと考える。政府と中央銀行が統合政府とみなされることの上にMMTは成り立つ。
*MMTは,通貨発行権を持つ(統合)政府であれば,自己ファイナンスが可能なのだと見る。つまり,財政赤字によって財政が破綻することはないし,政府収入のために租税が必要なのでもないとする。ここが直感や従来の諸理論ともっとも異なるところである。
*MMTは租税は政府の資金調達のために必要なのではないとする。資金調達は自己ファイナンスでいくらでも可能だからだ。
*MMTは,財政政策は完全雇用達成やインフラや社会保障システムの整備など,政策目的のために行われるべきであり,その際に財政赤字は制約にならないと見る。
*MMTは財政赤字の拡大はクラウディング・アウトを起こさないとする。民間銀行が国債を購入すると,銀行が中央銀行に持つ準備預金から政府預金に振り替えが起こるのであって,流通している通貨が減少することはない。中央銀行に預けられた預金の持ち主の構成が変わるだけである。そして,政府がその預金を引き出して支出すれば,それは誰かの銀行口座に振り込まれるのであって,民間の預金が増え,通貨供給量も増える。つまり,政府が財政赤字を拡大することが原因で政府の債務が増えて民間の資産が増える。経済学の主流のように,民間の貯蓄がまずあって,それを国債に投資してもらうのではない。だから,国債を大量に発行すると民間貯蓄が枯渇するというクラウディング・アウト論は間違いである。
*MMTは,需要が生産能力の限界に達するまでは,悪性インフレーションは起こらないと考え,そこまでは財政拡張が有効であるとする。生産能力の限界が財政政策の限界であって,生産能力がフル稼働している状態では,財政支出を行ってもインフレだけが生じると考える。
<最小限のコメント>
*MMTの政策的見地
MMTの政策論的立場は「金融緩和にはさしたる効果がなく,財政政策こそ非自発的失業解消の王道」というものである。そこだけ見ればIS=LM分析によるケインジアンのようであるが,財政赤字という制約は一切ないと主張するところが異なる。
MMTは通貨膨張による景気刺激というリフレーション政策を明確に否定する。そのため,金融政策においてはリフレーション派と全く異なり,正面から対立する。
MMTは統合政府は財政的に破綻しない,自己ファイナンスが可能と主張する。この点は,リフレーション派の中の,財政政策は無効とするグループと対立し,財政政策活用も併用すべきで国債の日銀引き受けもすべきだとするグループと一致する。
*感想
私個人は,MMTの貨幣・信用理論と金融政策論には全く違和感がない。私が,日本のマルクス経済学の貨幣・信用理論からたどりついた考えとほとんど同じである。リフレーション論がまちがっている理由,量的・質的金融緩和がいっこうにインフレを起こせない理由もMMTによって指摘できる。
他方,MMTの財政政策論は,直観的に非常に分かりにくいが,その核心は中央政府と中央銀行が一体だとする統合政府論であると思われる。まだ理解できた自信がないが,政府を家計のような予算制約があるものと考えるとわからない。おそらく,政府を発券銀行のようなものと考えると理解可能になる(2019/5/8追記。どうもそうらしい。こちらをクリック)。
発券銀行は,貸し付けも支払いも,自ら発行した自己宛債務=銀行券と預金通貨で行うことができる。銀行券は,その信用が保たれている限りにおいて,受け取り拒否や,額面以下へのディスカウントもなく決裁に用いられ,流通するだろう。
MMTが想定している政府=中央銀行は,この発券銀行のように行動する政府である。よって,手元に現金がなくても自己宛小切手を切るなどの手段で支出できるし,支払い不能になることもない。赤字は自ら銀行券と預金通貨の創造か,せいぜい中央銀行からの債務増大,あるいは国債の中央銀行引き受けで補ってしまうというのだ。はっきり読み切れないのだが,こう言っているのだと思う。
3点保留しておきたい。
第1に,この統合政府論を受けて入れてよいかどうかである。日本を含む少なくない諸国で,中央銀行の政府からの独立性を保つ制度が取られていることには,一定の意味があるはずであり,そこを再検討する必要があると思われる。
これに関連して,ブログを読んだだけではわからないのが,財政赤字は政府債務を生み出すはずであり,それは,統合政府とはいえ中央銀行と政府の勘定が別になっている時にどのように処理されるのかだ。私が思うには,中央銀行が政府に貸し付けるか,国債を購入することによってなされると思うのだが,それがミッチェルのブログではあまりはっきり書かれていない。
そして累積した政府債務をどうするのかが,またよくわからない。政府発行の不換紙幣ならば政府自身が発行する紙幣で支払うことができるが,政府と中央銀行の勘定が分離して中央銀行券が通貨である以上,政府に債務,中央銀行に債権が累積していく。永久に借り換えすることで維持する,あるいは中央銀行の黒字を納付金として政府に戻すことで維持するのではないかと思うのだが,はっきり書かれていない。
第2に,非自発的失業と遊休能力がある場合に,統合政府が通貨を増発して財政政策を行った場合にインフレが起こる可能性に無警戒なのは正しいか。財政支出で遊休生産能力と在庫と非自発的に失業している労働力だけをピンポイントで現行価格で購入できれば,インフレは起きないかもしれない。しかし,財政支出の一部は多方面に拡散してしまうし,寡占的市場も存在するので,財政支出の一部は生産増に向かわず価格上昇に向かってしまう。またこの形で投入された通貨は貸付=返済と異なり流通外に出てくるメカニズムがないので,増税による調整を行わない限り通貨量の一方的純増となり,インフレ要因となるのではないか(2019/5/6補足。おそらく,だからインフレ抑止のために課税をきちんと行わねばならない,という主張のようである)。
最後に,この政府=中央銀行の限界は,発券銀行と同じく,いまや通貨となっている不換銀行券の信用維持にあると思われる。財政赤字を出していっても「支払えない」という意味での破綻は確かにしないだろう。しかし,通貨及び国債の信用が下落するリスクは大いにありうるのではないか。私は,財政赤字をゼロにする必要性は全くないが,通貨及び国債の信用維持が,その持続可能性を画すると思う。
以上,私が初心者として理解できた限りのMMTは,1)信用貨幣論,内生的貨幣供給論という理論的基礎と,金融政策論については全く違和感がない。しかし,2)統合政府論と財政政策論が今一つ呑み込めないというのが正直なところだ。
→(2019/5/7追記。ある程度理解できました。以下の続編をごらんください)
「MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」Ka-Bataブログ,2019年5月7日。
(2019/5/11追記)
「MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意」Ka-Bataブログ,2019年5月11日。
(2019/7/8追記)
「MMTではゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。
(2019/9/29追記)
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。
<参照文献>
ビル・ミッチェル「中央銀行のオペレーションを理解する」(2010年4月27日)2019年2月12日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)2018年7月25日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)2018年4月3日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)2018年3月4日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 1」(2009年2月21日)2018年1月31日 by erickqchan,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)2018年2月2日 by erickqchan,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)2018年2月15日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
2018年3月16日 by 望月夜
MMT 日本語リンク集,道草。
<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と「異次元緩和」の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
「森永卓郎さんとの対話を通して,新しい構造改革の必要性を考える」Ka-Bataブログ,2019年2月17日。
「稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む」Ka-Bataブログ,2018年11月1日。
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
「日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。
(2019年5月2日追記。私の考えをまとめて示す以下のノートを公表しました)
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。
第1節
第2節
第3節
第4節
第5・6節(完)
(2019年4月8日にアンダーライン部分を加筆・修正→2019年5月2日,そこだけ強調していると誤解される恐れがあるのでアンダーラインを削除)
◇貨幣理論
*MMTは経済学的に貨幣理論とケインズに対する一定の理解を基礎としている。
*MMTは信用貨幣論を採る。現在流通している中央銀行券を政府債務と見るし,預金通貨を銀行の債務が通貨化していると見る。
*MMTは納税に利用されることが発券集中,つまり中央銀行券に通用力が集中した理由と見る。
*MMTは内生的貨幣供給論を採る。需要に応じて銀行が貸し出すことによって貨幣が供給されると見る。
*MMTが信用貨幣論と内生的貨幣供給論を採るということは,経済学の主流の見方である「銀行は,預けられた預金を貸し出している」というのは誤りであって,「銀行は,貸し付けることによって通貨を創造している」という見るのが正しいと主張していることを意味する。
◇非自発的失業
*MMTは,非自発的失業が発生するのは,民間部門が労働者を必要としてはいるが,貨幣を保有するために収入の一部を支出せずにおくためだと考える。純貯蓄需要と納税需要が失業を呼び起こす。
*MMTは,政府純支出によって失業を減少させることができると考える。
◇金融政策論
*MMTはヘリコプターマネーのように中央銀行が通貨を直接民間に供給することは,そもそもできないとする。中央銀行ができるのは,中央銀行が金融機関から金融資産を得て準備預金を増やしてやるという交換だけだ。
*MMTは,準備預金を増やすことと銀行が貸し出しを増加させることの間には関係がないとみる。民間の側に需要がない限り貸し出しは増えない。
*MMTが上記のような考えを取るのは,「銀行は準備預金を引き出して貸し付けている」とみておらず,「銀行は貸し付けることによって通貨を創造している」と見ているからである。
*MMTは,準備預金の量と金利を調節することを通じて望ましい金利の達成のために努力することは中央銀行の主要な機能だと認めている。つまり,中央銀行は金利を調節しているし,金利を調節することはできるが,通貨供給量を調節することはできないと考えている(4/13追加)。
◇財政政策論
*MMTはマクロ会計を重視し,政府,民間,海外のバランスがゼロになることを重視する。各部門の赤字・黒字は相殺されてゼロになる。政府の債務は,それと一致する民間が海外部門の債権と対応している。
*MMTは政府と中央銀行は一体である,またはあるべきと考える。政府と中央銀行が統合政府とみなされることの上にMMTは成り立つ。
*MMTは,通貨発行権を持つ(統合)政府であれば,自己ファイナンスが可能なのだと見る。つまり,財政赤字によって財政が破綻することはないし,政府収入のために租税が必要なのでもないとする。ここが直感や従来の諸理論ともっとも異なるところである。
*MMTは租税は政府の資金調達のために必要なのではないとする。資金調達は自己ファイナンスでいくらでも可能だからだ。
*MMTは,財政政策は完全雇用達成やインフラや社会保障システムの整備など,政策目的のために行われるべきであり,その際に財政赤字は制約にならないと見る。
*MMTは財政赤字の拡大はクラウディング・アウトを起こさないとする。民間銀行が国債を購入すると,銀行が中央銀行に持つ準備預金から政府預金に振り替えが起こるのであって,流通している通貨が減少することはない。中央銀行に預けられた預金の持ち主の構成が変わるだけである。そして,政府がその預金を引き出して支出すれば,それは誰かの銀行口座に振り込まれるのであって,民間の預金が増え,通貨供給量も増える。つまり,政府が財政赤字を拡大することが原因で政府の債務が増えて民間の資産が増える。経済学の主流のように,民間の貯蓄がまずあって,それを国債に投資してもらうのではない。だから,国債を大量に発行すると民間貯蓄が枯渇するというクラウディング・アウト論は間違いである。
*MMTは,需要が生産能力の限界に達するまでは,悪性インフレーションは起こらないと考え,そこまでは財政拡張が有効であるとする。生産能力の限界が財政政策の限界であって,生産能力がフル稼働している状態では,財政支出を行ってもインフレだけが生じると考える。
<最小限のコメント>
*MMTの政策的見地
MMTの政策論的立場は「金融緩和にはさしたる効果がなく,財政政策こそ非自発的失業解消の王道」というものである。そこだけ見ればIS=LM分析によるケインジアンのようであるが,財政赤字という制約は一切ないと主張するところが異なる。
MMTは通貨膨張による景気刺激というリフレーション政策を明確に否定する。そのため,金融政策においてはリフレーション派と全く異なり,正面から対立する。
MMTは統合政府は財政的に破綻しない,自己ファイナンスが可能と主張する。この点は,リフレーション派の中の,財政政策は無効とするグループと対立し,財政政策活用も併用すべきで国債の日銀引き受けもすべきだとするグループと一致する。
*感想
私個人は,MMTの貨幣・信用理論と金融政策論には全く違和感がない。私が,日本のマルクス経済学の貨幣・信用理論からたどりついた考えとほとんど同じである。リフレーション論がまちがっている理由,量的・質的金融緩和がいっこうにインフレを起こせない理由もMMTによって指摘できる。
他方,MMTの財政政策論は,直観的に非常に分かりにくいが,その核心は中央政府と中央銀行が一体だとする統合政府論であると思われる。まだ理解できた自信がないが,政府を家計のような予算制約があるものと考えるとわからない。おそらく,政府を発券銀行のようなものと考えると理解可能になる(2019/5/8追記。どうもそうらしい。こちらをクリック)。
発券銀行は,貸し付けも支払いも,自ら発行した自己宛債務=銀行券と預金通貨で行うことができる。銀行券は,その信用が保たれている限りにおいて,受け取り拒否や,額面以下へのディスカウントもなく決裁に用いられ,流通するだろう。
MMTが想定している政府=中央銀行は,この発券銀行のように行動する政府である。よって,手元に現金がなくても自己宛小切手を切るなどの手段で支出できるし,支払い不能になることもない。赤字は自ら銀行券と預金通貨の創造か,せいぜい中央銀行からの債務増大,あるいは国債の中央銀行引き受けで補ってしまうというのだ。はっきり読み切れないのだが,こう言っているのだと思う。
3点保留しておきたい。
第1に,この統合政府論を受けて入れてよいかどうかである。日本を含む少なくない諸国で,中央銀行の政府からの独立性を保つ制度が取られていることには,一定の意味があるはずであり,そこを再検討する必要があると思われる。
これに関連して,ブログを読んだだけではわからないのが,財政赤字は政府債務を生み出すはずであり,それは,統合政府とはいえ中央銀行と政府の勘定が別になっている時にどのように処理されるのかだ。私が思うには,中央銀行が政府に貸し付けるか,国債を購入することによってなされると思うのだが,それがミッチェルのブログではあまりはっきり書かれていない。
そして累積した政府債務をどうするのかが,またよくわからない。政府発行の不換紙幣ならば政府自身が発行する紙幣で支払うことができるが,政府と中央銀行の勘定が分離して中央銀行券が通貨である以上,政府に債務,中央銀行に債権が累積していく。永久に借り換えすることで維持する,あるいは中央銀行の黒字を納付金として政府に戻すことで維持するのではないかと思うのだが,はっきり書かれていない。
第2に,非自発的失業と遊休能力がある場合に,統合政府が通貨を増発して財政政策を行った場合にインフレが起こる可能性に無警戒なのは正しいか。財政支出で遊休生産能力と在庫と非自発的に失業している労働力だけをピンポイントで現行価格で購入できれば,インフレは起きないかもしれない。しかし,財政支出の一部は多方面に拡散してしまうし,寡占的市場も存在するので,財政支出の一部は生産増に向かわず価格上昇に向かってしまう。またこの形で投入された通貨は貸付=返済と異なり流通外に出てくるメカニズムがないので,増税による調整を行わない限り通貨量の一方的純増となり,インフレ要因となるのではないか(2019/5/6補足。おそらく,だからインフレ抑止のために課税をきちんと行わねばならない,という主張のようである)。
最後に,この政府=中央銀行の限界は,発券銀行と同じく,いまや通貨となっている不換銀行券の信用維持にあると思われる。財政赤字を出していっても「支払えない」という意味での破綻は確かにしないだろう。しかし,通貨及び国債の信用が下落するリスクは大いにありうるのではないか。私は,財政赤字をゼロにする必要性は全くないが,通貨及び国債の信用維持が,その持続可能性を画すると思う。
以上,私が初心者として理解できた限りのMMTは,1)信用貨幣論,内生的貨幣供給論という理論的基礎と,金融政策論については全く違和感がない。しかし,2)統合政府論と財政政策論が今一つ呑み込めないというのが正直なところだ。
→(2019/5/7追記。ある程度理解できました。以下の続編をごらんください)
「MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」Ka-Bataブログ,2019年5月7日。
(2019/5/11追記)
「MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意」Ka-Bataブログ,2019年5月11日。
(2019/7/8追記)
「MMTではゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。
(2019/9/29追記)
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。
<参照文献>
ビル・ミッチェル「中央銀行のオペレーションを理解する」(2010年4月27日)2019年2月12日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)2018年7月25日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)2018年4月3日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)2018年3月4日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 1」(2009年2月21日)2018年1月31日 by erickqchan,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)2018年2月2日 by erickqchan,経済学101。
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)2018年2月15日 by 望月夜,経済学101。
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
2018年3月16日 by 望月夜
MMT 日本語リンク集,道草。
<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と「異次元緩和」の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
「森永卓郎さんとの対話を通して,新しい構造改革の必要性を考える」Ka-Bataブログ,2019年2月17日。
「稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む」Ka-Bataブログ,2018年11月1日。
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
「日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。
(2019年5月2日追記。私の考えをまとめて示す以下のノートを公表しました)
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。
第1節
第2節
第3節
第4節
第5・6節(完)
(2019年4月8日にアンダーライン部分を加筆・修正→2019年5月2日,そこだけ強調していると誤解される恐れがあるのでアンダーラインを削除)
2019年3月18日月曜日
本格的な再分配政策には消費税「も」欠かせない:井手英策『幸福の増税論 -財政は誰のために』岩波新書,2018年を読んで
「日本経済」の2019年度講義準備。実は,昨年度は財政については最小限度しか触れていなかった。それは「財政学」という別の科目があるからだ。しかし,最小限度ふれようとすると2019年度はどうしても消費税について触れざるを得ないので,いままで放置していた井手英策教授の本を読むことにした。
私は,本書の財政思想については,考えるだけの理論的素養が不足しており保留する。しかし,再分配を重視する立場から見てもっとも衝撃的だったのは,本書の税制改革シミュレーションだ。つまり,リベラルの側から再分配革命を行い,誰もが人としてのニーズを満たせるような社会を作ろうとすると,どうしても消費税増税という手段「も」使わざるを得ないということだ。
まず,著者は再分配革命に必要な経費を消費税増税だけで賄うとどれくらいの税率引き上げが必要になるかを提示する。
■消費税1%増税で見込まれる税収:2.8兆円
■教育無償化と医療費無償化に必要な税収
*自己負担解消12兆円プラス関連経費(未記載だが7-8兆円と言いたいらしい)
*消費税で賄う際の引き上げ率:7%強
■基礎的財政収支の赤字解消のために必要な税収(実質成長率1%と仮定)
*8.2兆円
*消費税で賄う際の引き上げ率:3%強
つまり,消費税率を11%引き上げねばならない。仮に消費税を排して,すべて所得税で賄おうとすると富裕層(給与収入にして1237万円以上なのでかなり広い)への税率を220%上げるか,全階層の税率をそれぞれ約30%ずつ引き上げねばならず,とても無理だ。
「現実的には,富裕層課税と同時に,税収調達力に富む消費税もセットで引きあげ,垂直,水平,双方の公平性を強化していく戦略が現実的だということになる」(130ページ)。岩波書店の校閲をくぐり抜けて「現実的」が重複しているあたりが,著者のリアリズムであろう。
そこで著者は以下のような方策を提示する。
■税制パッケージ
*富裕層の所得税率を5%上げる→7000億円税収増。
*法人税率を現在の23.2%から第2次安倍政権以前の30%に戻す→3.4兆円税収増。
(課税ベース拡大や金融資産課税で補完することも可)
*相続税の平均税率を5%上げる→5000-6000億円税収増。
これで総額4-5兆円になる。ということは,
*消費税の引き上げ率:約9.2-9.5%
とやや抑制できるが,やはり消費税は相当程度引き上げねばならない。
もちろん,他の方策を組み合わせて富裕層課税をより強めることもできるが,大きくは「中途半端な貧困対策ではなく,大胆な社会改革を求める頼りあえる社会においては,富裕層課税のみでは到底実現不可能であること」が著者の強調する点だ。
井手教授のモデルに対して私がコメントできることがあるとすれば,基礎的財政収支の赤字をゼロに持っていくことは必要がないと考えることだ。私は,財政赤字は,円と国債が信任を維持できる限りであれば,ゼロにする必要はないという立場だ。しかし,財政改善に使うお金をなくして,消費税引き上げ必要率を4%引き下げたとしても,なお,5%強は引き上げねばならないことになる。
井手英策(2018)『幸福の増税論 -財政は誰のために』岩波新書。
(2019/5/6一部修正)
2020/2/12付記
私は,本書の財政思想については,考えるだけの理論的素養が不足しており保留する。しかし,再分配を重視する立場から見てもっとも衝撃的だったのは,本書の税制改革シミュレーションだ。つまり,リベラルの側から再分配革命を行い,誰もが人としてのニーズを満たせるような社会を作ろうとすると,どうしても消費税増税という手段「も」使わざるを得ないということだ。
まず,著者は再分配革命に必要な経費を消費税増税だけで賄うとどれくらいの税率引き上げが必要になるかを提示する。
■消費税1%増税で見込まれる税収:2.8兆円
■教育無償化と医療費無償化に必要な税収
*自己負担解消12兆円プラス関連経費(未記載だが7-8兆円と言いたいらしい)
*消費税で賄う際の引き上げ率:7%強
■基礎的財政収支の赤字解消のために必要な税収(実質成長率1%と仮定)
*8.2兆円
*消費税で賄う際の引き上げ率:3%強
つまり,消費税率を11%引き上げねばならない。仮に消費税を排して,すべて所得税で賄おうとすると富裕層(給与収入にして1237万円以上なのでかなり広い)への税率を220%上げるか,全階層の税率をそれぞれ約30%ずつ引き上げねばならず,とても無理だ。
「現実的には,富裕層課税と同時に,税収調達力に富む消費税もセットで引きあげ,垂直,水平,双方の公平性を強化していく戦略が現実的だということになる」(130ページ)。岩波書店の校閲をくぐり抜けて「現実的」が重複しているあたりが,著者のリアリズムであろう。
そこで著者は以下のような方策を提示する。
■税制パッケージ
*富裕層の所得税率を5%上げる→7000億円税収増。
*法人税率を現在の23.2%から第2次安倍政権以前の30%に戻す→3.4兆円税収増。
(課税ベース拡大や金融資産課税で補完することも可)
*相続税の平均税率を5%上げる→5000-6000億円税収増。
これで総額4-5兆円になる。ということは,
*消費税の引き上げ率:約9.2-9.5%
とやや抑制できるが,やはり消費税は相当程度引き上げねばならない。
もちろん,他の方策を組み合わせて富裕層課税をより強めることもできるが,大きくは「中途半端な貧困対策ではなく,大胆な社会改革を求める頼りあえる社会においては,富裕層課税のみでは到底実現不可能であること」が著者の強調する点だ。
井手教授のモデルに対して私がコメントできることがあるとすれば,基礎的財政収支の赤字をゼロに持っていくことは必要がないと考えることだ。私は,財政赤字は,円と国債が信任を維持できる限りであれば,ゼロにする必要はないという立場だ。しかし,財政改善に使うお金をなくして,消費税引き上げ必要率を4%引き下げたとしても,なお,5%強は引き上げねばならないことになる。
再分配の強化という目的を前提にしても,また富裕層課税は強化するにしても,それでも消費税増税は避けがたい。このことは重大だ。本書の描いた税制イメージを念頭に置きながら,財政の部分の講義を考えていこう。
井手英策(2018)『幸福の増税論 -財政は誰のために』岩波新書。
(2019/5/6一部修正)
2020/2/12付記
私はこの投稿を書いたころ,同時に井手教授と対立する赤字財政容認論の勉強も始めた。そして約半年検討した結果,私は原則的に後者が正しいと認め,「支出増の分だけ財源も必要」という考えを放棄するに至った。したがって,現在はこの投稿の見地に立っていない。井手教授の見解に対しては,以下のように考えるようになった。
2019年3月11日月曜日
2018年度卒業論文特集号によせて ーあの日のゼミー (産業発展論ゼミ誌『研究調査シリーズ』No.37所収)
本号に収録するのは,2018年度に学部ゼミを修了する皆さんの卒業論文です。
ゼミを毎週やっていてもっとも気になるのは,「今日の経験は,ゼミ生の心に残るのだろうか」ということです。たいていの場合そんなわけはなくて,今日のゼミの内容も明日には忘れられるのかもしれません。でも,私は,ゼミ生のその後の人生のどこかで,思い出されて力になるようなゼミをしたいのです。なぜならば,自分もそのような経験をしてきたからです。
最近も,授業をするうえで,かつてのゼミの経験に助けられました。私は,2016年度まで学部基本専門科目「企業論」を担当していましたが,今年度から「日本経済」担当に変わりました。講義準備にあたってはいくつかの難しい問題がありましたが,その一つは,直接にはアベノミクス,広くはマクロ経済政策を論じなければならないことでした。しかも,アベノミクスの最大のポイントは,インフレ・ターゲティングを伴う金融緩和であり,およそ自分にとって得意とは言えない金融論を使わないと評価できません。
あれこれとあがきながら,ようやく「金融緩和という方向性は,引き締めるよりは妥当であったが,金融政策に過度な期待をかけたことは適切ではなかった。この過度な依存を正当化したリフレーション論は理論的に誤っていた」という見地にたどりつき,講義を構成することができました。これは実は,大学院生時代の研究会やゼミでの学びのおかげでした。
リフレ論に対する私の批判は,一方では実務の説明に基づいています。リフレ論は,中央銀行が,実体経済の需要増を実現するための通貨の需要と関係なく,貨供給量を一方的に増やせるかのように主張しています。極端な形としてヘリコプターマネー論が唱えられたのはその表れです。そして,「デフレだから不況になるのであって不況だからデフレになるのではない。インフレにすれば好況になる」のだから,通貨供給量を増加させてインフレを起こすべき(リフレーション)と主張したのです。しかし,日銀の金融調節は,通貨供給量を直接に増やすことはできません。いくら買いオペが行われても,それだけでは市中銀行の日銀当座預金が増えるだけです。それで短期利子率を下げて企業が銀行からお金を借りやすくし,極端にはマイナス金利のように,銀行が日銀当座預金以外の資産運用方法を探すように刺激するのです。それで確かに実体経済の需要を刺激することはできるし,需要増大の結果としての物価上昇を誘導することはできます。しかし需要と関係なく通貨供給量を一方的に増やして,名目的物価上昇を起こすことはできないのです。
これは,実務を丁寧に見ただけでも言えることなのですが,その背景として,通貨供給は実体経済の必要に応じて増え,必要がなくなれば収縮するという金融論,マルクス経済学で言えば貨幣・信用論を持っている必要があります。私は,日銀の金融調節について調べている時に,自分がそのような理論を学んでいたことを思い出したのです。それは,副指導教官であった村岡俊三教授から学んだものでした。もちろん,その著作からも学びましたが ,何しろ素養が足りないので読んだだけではわかりません。むしろ,何度か,私に大きなショックを与え,貨幣と信用に対する見方を変えたゼミがあり,それが心に残っていたのです。今回,これを書くにあたって,当時のレジュメやノートを確かめて,詳細を確認してみました。
まず,前期課程2年の時,1988年7月1日の国家独占資本主義研究会です※2。この日報告を行ったのは,大学院で同期だったH君でした。H君は信用インフレーションを全面的に認める見地から報告を行ったのですが,そこで村岡教授が以下のように疑問を呈しています(当時の手書きノートから再現)。
――
村岡/信用膨張→滞貨一掃。物価上昇→やがては下降。これはインフレではない。景気変動の諸局面でのことだ。下降しないようなものだけをインフレというべきだ。
H/下降する,しないで区別するべきではない。
村岡/しかし,そこで流通外からの購買力を出してくる。だが,景気変動の諸局面でもW-GなきG-Wは出る。せっかくつけた区別がなくならないか?価格標準の切り下げはどこで判別するかが分かってないのでは?
H/確かに。景気循環-好況とインフレの区別がつきにくい。
――
信用膨張で実体経済が拡大して実質的に物価が上がることと,通貨価値が切り下がって名目的に全般的物価上昇が起こることは違います。信用インフレーション論は,銀行の信用創造が拡大すると,どうして前者だけでなく後者が起こるのかを説明しなければなりません。H君は,この時点ではそれがうまくできませんでした。
この日の研究会は,どのような場合には流通外からの購買力を投じたことになり,インフレにつながるのかに議論が集中しました。私は初めて,そのことを分析的に考えないとインフレのメカニズムは解明できないのだと知りました。
残念ながら,H君は大学院を途中でやめてしまい,故郷の北海道に帰って公務員になりました。
次は,1990年5月30日と7月30日の国際経済論特論・特殊研究 ,端的には大学院の村岡ゼミでした※3。このゼミでは,修士論文作成のために佐藤俊幸さん(現・岐阜経済大学教授)が報告されました。佐藤さんは不換銀行券論争と不換制下でのインフレについて詳しく研究史を報告されました。私はこの時,不換銀行券が返済や預金によって還流する,つまり必要に応じて流通に入り,不要になれば流通外に出る,言い換えると紙幣流通法則でなく貨幣流通法則にしたがうために,思っていたよりもインフレが起きる場合は限られることを知り,衝撃を受けました。
5月30日のゼミで村岡教授は,単純商品流通を前提として論じられた貨幣流通法則が,信用論の前提の上でどう生きるかについて解説されています(レジュメに書き込んだメモから再現)。まず,単純商品流通の下では蓄蔵貨幣も支払い手段も世界貨幣も金であるが,信用制度の下では蓄蔵貨幣は銀行預金,支払い手段は銀行券,世界貨幣は外貨準備であるとします。そして,大要次のように言われました。
――
村岡/岡橋(保)先生は,銀行券が収縮すると言いながら,蓄蔵貨幣は金だけとするのがおかしい。どこで伸縮するのか。貸し付けた銀行券が返済で発券銀行に戻って来て破棄されるのが蓄蔵だと言われているが,預金で戻ってきたら破棄されないではないか。
(中略)
フィッシャーに倣ってPTとMVの関係を考えよう(P:物価,T:商品の総量,M:貨幣量,V:貨幣の流通速度)。Vは一定とすると,PTが増えればMが増えねばならず,PTが減ればMも減らねばならない。
まず単純商品流通を想定した上で,金と紙幣が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。何らかの理由で紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったらどうなるか。紙幣が増価して物価が下がるのか。そうではない。退蔵されている金が流通に出てきて通貨として用いられる。僕は,こう言ったのが岡橋さんの一番良いところだと思う。ここまでは『資本論』の1巻で理解できる。
では,信用制度の下でならどうか。紙幣と銀行券が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったら,やはり蓄蔵貨幣が流通に出て来なければならない。これが銀行券による貸し付けによって実現される。そして,PTが縮小したら,不要になった銀行券は預金として還流するのだ。これは『資本論』3巻の論理だ。
インフレの問題は,この後にある。銀行券が流通に滞留するとインフレになる。
――
村岡教授は,ここで信用制度の下では銀行預金が蓄蔵貨幣に当たり,不換銀行券は流通の必要に応じて貸付によって流通に出ていき,返済または預金によって流通から出るのだと,それはマルクス経済学体系で説明できるのだと述べたのでした※4。
この日,おそらく時間切れのために討論できずに残ったのは,現在の日本や多くの諸国のように,中央銀行だけが銀行券を発行し,それが通貨になっている場合の蓄蔵貨幣機能でした。しかし,そこについても佐藤さんは重要なことをレジュメに記していました。この場合は,市中銀行の預金すべてではなく市中銀行の支払準備金(市中銀行の現金手許残高+中央銀行への預け金)だけが蓄蔵貨幣に当たるというのです。
日銀券や預金通貨は,実体経済の必要に応じて,銀行の融資拡大を主要経路として流通に入り(もちろん,銀行が株式や社債を買っても入りますが),不要になれば民間融資の返済,市中銀行による日銀当座預金の積み増し,市中銀行から日銀への融資返済,日銀の売りオペレーションによって流通から出るのです。とりわけ重要なことは,市中銀行が日本銀行に持つ預金は,実体経済の流通に必要な貨幣量に含まれない蓄蔵貨幣だということです。私は,このような関係をようやく理解するに至りました。いや,当時はおぼろげに理解していただけだったと思います。当時は,「そうすると,政府が国債を日銀に引き受けさせない限りは,インフレにならないことになるな」と思ったことを覚えています※5。
これらの学びの仕上げは,後期課程3年時,1991年7月24日から12月20日まで行われた村岡ゼミでした。我々の理解の浅さに業を煮やしたのか,村岡教授は1991年7月24日から12月20日まで,国際経済論特論・特殊研究として『資本論』3巻5編(第25-31章)の講読を行ってくれました※6。そこでの討論と解説で,手形流通の相殺原理を基礎とした銀行信用論,不換銀行券=信用貨幣説,蓄蔵貨幣を出発点とした銀行論,信用における貸付先行説,産業的流通と金融的流通の区別などを,ようやく概要において理解できたと思います。ノートを見ると,いかにもわかっていない感じの私の質問に対して,先生ががまん強く説明してくれていることがわかります。
こうして私は貨幣・信用理論を学びましたが,その内容は長い間,研究にも教育にも使われることがなく,頭の中に眠っていました。もっぱら産業論や経営学の研究に没頭しなければならなかったからです。1990年代の終わりから2000年代の初めに,デフレをめぐる論争を眺めていた時にも,過去の学びとはうまく結びつきませんでした。
ところが,2018年度「日本経済」の講義を準備するために,マネタリーベースを急拡大させてもマネーストックは一向に拡大しないというデータを見ていたときに,大学院ゼミの記憶がよみがえってきたのです。私はこの現象を説明できる。リフレ論のどこがおかしいのかもわかる。これは,あのゼミの話だ,と。
国独資研と村岡ゼミでの経験は,私が日本経済の講義をすること,アベノミクスを批判的に評価することを可能にしてくれました。ゼミが私を育ててくれたのです。25年以上前のゼミが,私を助けてくれたのです。
学部ゼミ生の皆さんの多く,また大学院ゼミ生であっても半分以上の人は,公務やビジネスの世界に進まれるのであって,学術研究に専念するわけではありません。けれど,それぞれが異なる形で,何か,ゼミをきっかけに自分のものの見方,考え方が変わり,人生に何かが付け加わるような経験をしてほしい。私はそう思っています。
2019年3月
産業発展論ゼミナール担当教員
川端 望
※1 当時,『マルクス世界市場論』(新評論,1976年)がすでに出版されていましたが,私は怠惰にも読んでおらず,もっぱら前期課程2年の時に出た『世界経済論』(有斐閣,1988年)を読み,わからないところを研究年報『経済学』の論文で補っていました。なぜ,読書の優先度が単行本でなく研究年報に向かっていたのか,いまでもよく思い出せません。
※2 当時,資本論・国家独占資本主義研究会という自主的な研究会がマルクス経済学の教員・院生の参加で開催されていました。学派別の研究会はほかにも多くあったらしく,これらが大学院改革の際に正規の授業である特別演習に引き継がれました。資本論・国独資研究会は「社会経済特別演習」となりました。
※3 当時,大学院の授業は前期課程においては「特論」,後期課程においては「特殊研究」として開講されていました。当時は大学院生が1学年に数人しかいませんでしたので,授業の実態はゼミでした。
※4 これは,「管理通貨制度のもとでは金兌換がなされていないから,流通必要金量概念は必要ない」という主張への反論でもありました。金兌換があろうとなかろうと,流通必要金量の概念があるから,銀行券が流通に入る際の論理を説くことができるのだと言っていたのです。
※5 H君が可能性を追求したように,信用創造がインフレーションにつながる何らかのメカニズムが存在すれば別で,その可否を私はまだ断言できずにいます。しかし,少なくとも,信用膨張による景気過熱とインフレを単純に同一視するのは根拠がないと思います。景気過熱の際は,財・サービスの需要超過によって物価が上昇しつつ,流通に必要な貨幣量が増大しているのです。
※6 私たちより前の世代の学生ならば原書で行ったかもしれませんが,それはもはや無理で,日本語訳を使いました。
<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と『異次元緩和』の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
ゼミを毎週やっていてもっとも気になるのは,「今日の経験は,ゼミ生の心に残るのだろうか」ということです。たいていの場合そんなわけはなくて,今日のゼミの内容も明日には忘れられるのかもしれません。でも,私は,ゼミ生のその後の人生のどこかで,思い出されて力になるようなゼミをしたいのです。なぜならば,自分もそのような経験をしてきたからです。
最近も,授業をするうえで,かつてのゼミの経験に助けられました。私は,2016年度まで学部基本専門科目「企業論」を担当していましたが,今年度から「日本経済」担当に変わりました。講義準備にあたってはいくつかの難しい問題がありましたが,その一つは,直接にはアベノミクス,広くはマクロ経済政策を論じなければならないことでした。しかも,アベノミクスの最大のポイントは,インフレ・ターゲティングを伴う金融緩和であり,およそ自分にとって得意とは言えない金融論を使わないと評価できません。
あれこれとあがきながら,ようやく「金融緩和という方向性は,引き締めるよりは妥当であったが,金融政策に過度な期待をかけたことは適切ではなかった。この過度な依存を正当化したリフレーション論は理論的に誤っていた」という見地にたどりつき,講義を構成することができました。これは実は,大学院生時代の研究会やゼミでの学びのおかげでした。
リフレ論に対する私の批判は,一方では実務の説明に基づいています。リフレ論は,中央銀行が,実体経済の需要増を実現するための通貨の需要と関係なく,貨供給量を一方的に増やせるかのように主張しています。極端な形としてヘリコプターマネー論が唱えられたのはその表れです。そして,「デフレだから不況になるのであって不況だからデフレになるのではない。インフレにすれば好況になる」のだから,通貨供給量を増加させてインフレを起こすべき(リフレーション)と主張したのです。しかし,日銀の金融調節は,通貨供給量を直接に増やすことはできません。いくら買いオペが行われても,それだけでは市中銀行の日銀当座預金が増えるだけです。それで短期利子率を下げて企業が銀行からお金を借りやすくし,極端にはマイナス金利のように,銀行が日銀当座預金以外の資産運用方法を探すように刺激するのです。それで確かに実体経済の需要を刺激することはできるし,需要増大の結果としての物価上昇を誘導することはできます。しかし需要と関係なく通貨供給量を一方的に増やして,名目的物価上昇を起こすことはできないのです。
これは,実務を丁寧に見ただけでも言えることなのですが,その背景として,通貨供給は実体経済の必要に応じて増え,必要がなくなれば収縮するという金融論,マルクス経済学で言えば貨幣・信用論を持っている必要があります。私は,日銀の金融調節について調べている時に,自分がそのような理論を学んでいたことを思い出したのです。それは,副指導教官であった村岡俊三教授から学んだものでした。もちろん,その著作からも学びましたが ,何しろ素養が足りないので読んだだけではわかりません。むしろ,何度か,私に大きなショックを与え,貨幣と信用に対する見方を変えたゼミがあり,それが心に残っていたのです。今回,これを書くにあたって,当時のレジュメやノートを確かめて,詳細を確認してみました。
まず,前期課程2年の時,1988年7月1日の国家独占資本主義研究会です※2。この日報告を行ったのは,大学院で同期だったH君でした。H君は信用インフレーションを全面的に認める見地から報告を行ったのですが,そこで村岡教授が以下のように疑問を呈しています(当時の手書きノートから再現)。
――
村岡/信用膨張→滞貨一掃。物価上昇→やがては下降。これはインフレではない。景気変動の諸局面でのことだ。下降しないようなものだけをインフレというべきだ。
H/下降する,しないで区別するべきではない。
村岡/しかし,そこで流通外からの購買力を出してくる。だが,景気変動の諸局面でもW-GなきG-Wは出る。せっかくつけた区別がなくならないか?価格標準の切り下げはどこで判別するかが分かってないのでは?
H/確かに。景気循環-好況とインフレの区別がつきにくい。
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信用膨張で実体経済が拡大して実質的に物価が上がることと,通貨価値が切り下がって名目的に全般的物価上昇が起こることは違います。信用インフレーション論は,銀行の信用創造が拡大すると,どうして前者だけでなく後者が起こるのかを説明しなければなりません。H君は,この時点ではそれがうまくできませんでした。
この日の研究会は,どのような場合には流通外からの購買力を投じたことになり,インフレにつながるのかに議論が集中しました。私は初めて,そのことを分析的に考えないとインフレのメカニズムは解明できないのだと知りました。
残念ながら,H君は大学院を途中でやめてしまい,故郷の北海道に帰って公務員になりました。
次は,1990年5月30日と7月30日の国際経済論特論・特殊研究 ,端的には大学院の村岡ゼミでした※3。このゼミでは,修士論文作成のために佐藤俊幸さん(現・岐阜経済大学教授)が報告されました。佐藤さんは不換銀行券論争と不換制下でのインフレについて詳しく研究史を報告されました。私はこの時,不換銀行券が返済や預金によって還流する,つまり必要に応じて流通に入り,不要になれば流通外に出る,言い換えると紙幣流通法則でなく貨幣流通法則にしたがうために,思っていたよりもインフレが起きる場合は限られることを知り,衝撃を受けました。
5月30日のゼミで村岡教授は,単純商品流通を前提として論じられた貨幣流通法則が,信用論の前提の上でどう生きるかについて解説されています(レジュメに書き込んだメモから再現)。まず,単純商品流通の下では蓄蔵貨幣も支払い手段も世界貨幣も金であるが,信用制度の下では蓄蔵貨幣は銀行預金,支払い手段は銀行券,世界貨幣は外貨準備であるとします。そして,大要次のように言われました。
――
村岡/岡橋(保)先生は,銀行券が収縮すると言いながら,蓄蔵貨幣は金だけとするのがおかしい。どこで伸縮するのか。貸し付けた銀行券が返済で発券銀行に戻って来て破棄されるのが蓄蔵だと言われているが,預金で戻ってきたら破棄されないではないか。
(中略)
フィッシャーに倣ってPTとMVの関係を考えよう(P:物価,T:商品の総量,M:貨幣量,V:貨幣の流通速度)。Vは一定とすると,PTが増えればMが増えねばならず,PTが減ればMも減らねばならない。
まず単純商品流通を想定した上で,金と紙幣が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。何らかの理由で紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったらどうなるか。紙幣が増価して物価が下がるのか。そうではない。退蔵されている金が流通に出てきて通貨として用いられる。僕は,こう言ったのが岡橋さんの一番良いところだと思う。ここまでは『資本論』の1巻で理解できる。
では,信用制度の下でならどうか。紙幣と銀行券が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったら,やはり蓄蔵貨幣が流通に出て来なければならない。これが銀行券による貸し付けによって実現される。そして,PTが縮小したら,不要になった銀行券は預金として還流するのだ。これは『資本論』3巻の論理だ。
インフレの問題は,この後にある。銀行券が流通に滞留するとインフレになる。
――
村岡教授は,ここで信用制度の下では銀行預金が蓄蔵貨幣に当たり,不換銀行券は流通の必要に応じて貸付によって流通に出ていき,返済または預金によって流通から出るのだと,それはマルクス経済学体系で説明できるのだと述べたのでした※4。
この日,おそらく時間切れのために討論できずに残ったのは,現在の日本や多くの諸国のように,中央銀行だけが銀行券を発行し,それが通貨になっている場合の蓄蔵貨幣機能でした。しかし,そこについても佐藤さんは重要なことをレジュメに記していました。この場合は,市中銀行の預金すべてではなく市中銀行の支払準備金(市中銀行の現金手許残高+中央銀行への預け金)だけが蓄蔵貨幣に当たるというのです。
日銀券や預金通貨は,実体経済の必要に応じて,銀行の融資拡大を主要経路として流通に入り(もちろん,銀行が株式や社債を買っても入りますが),不要になれば民間融資の返済,市中銀行による日銀当座預金の積み増し,市中銀行から日銀への融資返済,日銀の売りオペレーションによって流通から出るのです。とりわけ重要なことは,市中銀行が日本銀行に持つ預金は,実体経済の流通に必要な貨幣量に含まれない蓄蔵貨幣だということです。私は,このような関係をようやく理解するに至りました。いや,当時はおぼろげに理解していただけだったと思います。当時は,「そうすると,政府が国債を日銀に引き受けさせない限りは,インフレにならないことになるな」と思ったことを覚えています※5。
これらの学びの仕上げは,後期課程3年時,1991年7月24日から12月20日まで行われた村岡ゼミでした。我々の理解の浅さに業を煮やしたのか,村岡教授は1991年7月24日から12月20日まで,国際経済論特論・特殊研究として『資本論』3巻5編(第25-31章)の講読を行ってくれました※6。そこでの討論と解説で,手形流通の相殺原理を基礎とした銀行信用論,不換銀行券=信用貨幣説,蓄蔵貨幣を出発点とした銀行論,信用における貸付先行説,産業的流通と金融的流通の区別などを,ようやく概要において理解できたと思います。ノートを見ると,いかにもわかっていない感じの私の質問に対して,先生ががまん強く説明してくれていることがわかります。
こうして私は貨幣・信用理論を学びましたが,その内容は長い間,研究にも教育にも使われることがなく,頭の中に眠っていました。もっぱら産業論や経営学の研究に没頭しなければならなかったからです。1990年代の終わりから2000年代の初めに,デフレをめぐる論争を眺めていた時にも,過去の学びとはうまく結びつきませんでした。
ところが,2018年度「日本経済」の講義を準備するために,マネタリーベースを急拡大させてもマネーストックは一向に拡大しないというデータを見ていたときに,大学院ゼミの記憶がよみがえってきたのです。私はこの現象を説明できる。リフレ論のどこがおかしいのかもわかる。これは,あのゼミの話だ,と。
国独資研と村岡ゼミでの経験は,私が日本経済の講義をすること,アベノミクスを批判的に評価することを可能にしてくれました。ゼミが私を育ててくれたのです。25年以上前のゼミが,私を助けてくれたのです。
学部ゼミ生の皆さんの多く,また大学院ゼミ生であっても半分以上の人は,公務やビジネスの世界に進まれるのであって,学術研究に専念するわけではありません。けれど,それぞれが異なる形で,何か,ゼミをきっかけに自分のものの見方,考え方が変わり,人生に何かが付け加わるような経験をしてほしい。私はそう思っています。
2019年3月
産業発展論ゼミナール担当教員
川端 望
※1 当時,『マルクス世界市場論』(新評論,1976年)がすでに出版されていましたが,私は怠惰にも読んでおらず,もっぱら前期課程2年の時に出た『世界経済論』(有斐閣,1988年)を読み,わからないところを研究年報『経済学』の論文で補っていました。なぜ,読書の優先度が単行本でなく研究年報に向かっていたのか,いまでもよく思い出せません。
※2 当時,資本論・国家独占資本主義研究会という自主的な研究会がマルクス経済学の教員・院生の参加で開催されていました。学派別の研究会はほかにも多くあったらしく,これらが大学院改革の際に正規の授業である特別演習に引き継がれました。資本論・国独資研究会は「社会経済特別演習」となりました。
※3 当時,大学院の授業は前期課程においては「特論」,後期課程においては「特殊研究」として開講されていました。当時は大学院生が1学年に数人しかいませんでしたので,授業の実態はゼミでした。
※4 これは,「管理通貨制度のもとでは金兌換がなされていないから,流通必要金量概念は必要ない」という主張への反論でもありました。金兌換があろうとなかろうと,流通必要金量の概念があるから,銀行券が流通に入る際の論理を説くことができるのだと言っていたのです。
※5 H君が可能性を追求したように,信用創造がインフレーションにつながる何らかのメカニズムが存在すれば別で,その可否を私はまだ断言できずにいます。しかし,少なくとも,信用膨張による景気過熱とインフレを単純に同一視するのは根拠がないと思います。景気過熱の際は,財・サービスの需要超過によって物価が上昇しつつ,流通に必要な貨幣量が増大しているのです。
※6 私たちより前の世代の学生ならば原書で行ったかもしれませんが,それはもはや無理で,日本語訳を使いました。
<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と『異次元緩和』の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
三菱重工は賠償の可否とは別に挺身隊を働かせた事実についての見解を表明すべきだ
元朝鮮女子勤労挺身隊員訴訟。判決が日韓請求権協定と矛盾しているかどうかは,政府レベルで交渉するしかないが,私は政府と独立に,また賠償金を支払うかどうかは別にして,三菱重工が,女子勤労挺身隊を働かせた事実をどう受け止めているのかを表明すべきだと思う。三菱重工は当事者だからだ。また,日本のマスコミは,これらの挺身隊員を三菱重工がどのように動員し,どのように働かせたのかを報じるべきだと思う。まず,それが基礎的事実だからだ。新日鐵住金についても同様であることは,以前に述べた。
徴用工や挺身隊員の訴訟と慰安婦問題はしばしば重ねられるが,一つ大きな違いがある。慰安婦問題では,日本政府が謝罪していることだ。謝罪のあり方についていろいろ議論があるにせよ,1992年の加藤官房長官談話から2015年の日韓合意時の安倍首相メッセージに至るまで,お詫びと反省を表明していることは間違いない。謝罪すべきでないなどという声が日本からあがるのも間違いだし,日本は謝罪していないなどという声が韓国からあがるのも間違いだ。
しかし,新日鐵住金や三菱重工の場合は,自分たちが当事者であるのに,徴用工や挺身隊員を働かせたことをどのように考えているのかを,そもそも表明しようとしない。これは適切ではない。法的に賠償すべきかどうかと別に,そもそも前身企業や自社の行為はどうであったのかを,歴史として評価しなければならないはずだ。
「謝罪や反省をすれば支払わざるを得なくなる」などというためらいが生じるかもしれないが,そんな態度を表明した方に道義がなくなることは明白だ。また,そうした懸念は過去の経験に照らしても正しくない。河野談話やアジア女性基金の時も,日本政府は首相や要人がお詫びと反省の意を表明したうえで,日韓請求権協定の上から国家賠償というスキームがとれないから別の方法を考えるという姿勢をとった。その措置が今に至るまで韓国側の理解を得られていないのは確かであるが,謝罪することと口をつぐむことではまったく異なる。
具体的にどう異なってくるか。今後,記事にある欧州での差し押さえの問題を始め,国際的にこの問題が評価されるようになる可能性はある。韓国側の同意を得られていないとはいえ,日本政府は場合によっては国際司法裁判所への持ち込みも考えているのだからなおさらだ。その際に,基本的事実関係は何かということは,必ず問題になる。日韓請求権協定の交渉経過と解釈だけが問題になるのではない。新日鐵住金や三菱重工が,かつて徴用工や挺身隊員をどのように働かせたかが,英語やそのほかの言語でいまよりも論じられ,報道されるだろう。その時に,当事者が自社の歴史について口をつぐみ,ただ「条約で払わなくてよいことになっているから」という姿勢で,国際世論の評価に耐えられるだろうか。私は,無理だと思う。
新日鐵住金と三菱重工は,日韓請求権協定の解釈は政府に同調するとしても,まず自社の過去に当事者として向かい合ってほしい。それはグローバル企業としての社会的責務の一つだと思う。
「三菱重工の資産差し押さえ、申請 徴用工訴訟の原告側」朝日新聞DIGITAL,2019年3月7日。
<関連投稿>
「徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を」Ka-Bataブログ,2018年11月13日。
徴用工や挺身隊員の訴訟と慰安婦問題はしばしば重ねられるが,一つ大きな違いがある。慰安婦問題では,日本政府が謝罪していることだ。謝罪のあり方についていろいろ議論があるにせよ,1992年の加藤官房長官談話から2015年の日韓合意時の安倍首相メッセージに至るまで,お詫びと反省を表明していることは間違いない。謝罪すべきでないなどという声が日本からあがるのも間違いだし,日本は謝罪していないなどという声が韓国からあがるのも間違いだ。
しかし,新日鐵住金や三菱重工の場合は,自分たちが当事者であるのに,徴用工や挺身隊員を働かせたことをどのように考えているのかを,そもそも表明しようとしない。これは適切ではない。法的に賠償すべきかどうかと別に,そもそも前身企業や自社の行為はどうであったのかを,歴史として評価しなければならないはずだ。
「謝罪や反省をすれば支払わざるを得なくなる」などというためらいが生じるかもしれないが,そんな態度を表明した方に道義がなくなることは明白だ。また,そうした懸念は過去の経験に照らしても正しくない。河野談話やアジア女性基金の時も,日本政府は首相や要人がお詫びと反省の意を表明したうえで,日韓請求権協定の上から国家賠償というスキームがとれないから別の方法を考えるという姿勢をとった。その措置が今に至るまで韓国側の理解を得られていないのは確かであるが,謝罪することと口をつぐむことではまったく異なる。
具体的にどう異なってくるか。今後,記事にある欧州での差し押さえの問題を始め,国際的にこの問題が評価されるようになる可能性はある。韓国側の同意を得られていないとはいえ,日本政府は場合によっては国際司法裁判所への持ち込みも考えているのだからなおさらだ。その際に,基本的事実関係は何かということは,必ず問題になる。日韓請求権協定の交渉経過と解釈だけが問題になるのではない。新日鐵住金や三菱重工が,かつて徴用工や挺身隊員をどのように働かせたかが,英語やそのほかの言語でいまよりも論じられ,報道されるだろう。その時に,当事者が自社の歴史について口をつぐみ,ただ「条約で払わなくてよいことになっているから」という姿勢で,国際世論の評価に耐えられるだろうか。私は,無理だと思う。
新日鐵住金と三菱重工は,日韓請求権協定の解釈は政府に同調するとしても,まず自社の過去に当事者として向かい合ってほしい。それはグローバル企業としての社会的責務の一つだと思う。
「三菱重工の資産差し押さえ、申請 徴用工訴訟の原告側」朝日新聞DIGITAL,2019年3月7日。
<関連投稿>
「徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を」Ka-Bataブログ,2018年11月13日。
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