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2024年4月24日水曜日

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないことである。

 最近出版された白石雅彦『「ウルトラマンタロウ」の青春』双葉社,2023年には,この番組のメインライターであった田口成光さんの証言が収録されている。「最終回は第一話の裏返しです。東光太郎が,最後は人間に戻るというのは,最初から決めていました。光太郎は旅から帰って来て,また旅立つ。ウルトラマンタロウの時は,本当の自分じゃないんですよ。ですから最終回,またペギーさんが出て来る。タロウは,人間が好きになったんですね」(244ページ)。

 この証言は,「ああ,やっぱり」と思わせるものでもあるが,それでもすんなり受け止められないところはある。例えば,初代ウルトラマンがハヤタという地球人を好きになり,彼を生かし続けようとしたことは,その最終回のゾフィーとの会話で知られている。しかし,タロウのそうした意思を表現するシーンは,『ウルトラマンタロウ』の最終回にはない。またさかのぼってみれば初代ウルトラマンは第1話で,自分と衝突して命を失いかけているハヤタに「申し訳ないことをした」といい,自分が彼と一体化することでその生命を救う。一方,『ウルトラマンタロウ』第1話でも東光太郎は命を失いかけるが,タロウが自らの意思で光太郎と救おうとするシーンはないのである。タロウと光太郎の関係は,「タロウは,人間が好きになった」という風には見えないのだ。

 『タロウ』に即してみてみよう。第1話「ウルトラの母は太陽のように」で東光太郎は,アストロモンスと戦って負傷したところを,実はウルトラの母である緑のおばさんに手当てをしてもらう。そして二度目の戦いでは命を失いかけ,再びウルトラの母に助けられて,ウルトラの命を与えられてタロウとなる。タロウは,赤子の鳴き声とともに出現する。その時にウルトラの母はウルトラ5兄弟に対して「おまえたち兄弟はみな,このようにして生まれたのです」と言っている。タロウは,この時に誕生したものとして描かれているのだ。

 また最終回「さらばタロウよ!ウルトラの母よ!」では,光太郎は「僕も一人の人間として生きてみせる。僕はウルトラのバッジを,もう頼りにはしない」と言って,バッジをウルトラの母に返し,一人の人間に戻って旅に出る。ウルトラの母はそんな光太郎に「光太郎さん,とうとうあなたも見つけましたね。ウルトラのバッジの代わりに,あなたは生きる喜びを知ったのよ。さよなら,タロウ。さよなら」と言って去っていく。ウルトラの母はバッジを自分の胸元に戻したが,タロウを光太郎と分離してウルトラの国に呼び戻したのではない。タロウに別れを告げたのである。

 どちらにも,光太郎と別人格のウルトラマンタロウは登場しない。主人公とウルトラマンが第1話で融合し,最終回で分離するという点では初代ウルトラマンと同じに見えるが,内実は大きく異なる。光太郎とは別人格としての人間とは別のタロウは出てこないのである。唯一の人格は光太郎であって,光太郎の持つウルトラの命,ウルトラの力がタロウなのだ。光太郎がバッジを手放せば,ウルトラの母は光太郎だけでなくタロウとも別れることになる。だからさよなら,光太郎さんではなく,「さよなら,タロウ」と言っているのだ。

 もちろん,『ウルトラマンタロウ』の全編を通してみれば,明らかに光太郎と別にウルトラマンタロウという存在がいて,子どものころからウルトラの国に住んでいる。田口さん自身が第24話「これがウルトラの国だ!」第25話「燃えろ! ウルトラ6兄弟」に見られるように,そうしたタロウを書いている。そしてウルトラマンシリーズを通してみても,タロウは後にウルトラマンメビウスの教官になって,再び地球を訪れたりもする。公式設定では,光太郎とタロウは別人格なのだ。

 しかし,『タロウ』の第1話と最終回だけを見ると,様子は違っている。タロウとは,東光太郎にウルトラの母から与えられた不思議な力であって,もともと存在した別人格ではないのだ。光太郎がウルトラのバッジを捨てたときに,タロウというウルトラの力はなくなって,光太郎という人間だけが残る。そういう風に描かれているとしか思えない。私は昔から,光太郎が一人の人間に戻った後,ウルトラマンタロウはどこに行ってしまったのだろうと気になって仕方がなかった。その答えは,東光太郎がウルトラのバッジを捨てたときに,ウルトラマンタロウはいなくなったということなのだと思う。

 以上の解釈は,それほど無理とは思えない。偶然このように見えるだけにしては,あまりに作りこまれている。私は,田口さんが,基本設定やシリーズ構成からはみ出しながら,しかしぎりぎり破綻して見えないように,第1話と最終回を意図的にこのように書かれたのではないかと思う。その理由は,東光太郎の青春の物語として,『ウルトラマンタロウ』を完結させたかったからではないか。

 この離れ業によって,『ウルトラマンタロウ』の世界は,多少の矛盾をもちつつも,その不都合を相殺して余りあるほどの重層的な奥深さを持つようになった。雑踏に紛れ,去っていった人間としての東光太郎は,長く,強く,私を含む視聴者の心に印象付けられるようになったのである。

参考文献

白石雅彦『ウルトラマンタロウの青春』双葉社,2023年。




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