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2024年2月4日日曜日

アメリカ経済の運命を左右するのはFRBのQTか,それとも国債の償還・借り換えか

 FRBの金融引き締めがいつ,どのように転換を迎えるかが話題となっている。しかし,その議論はかなり入り組んでいる。たとえば,「リバースレポ残高が枯渇すると市場の流動性がひっ迫するおそれがあるので,QTのペースを落とした方がいい」などと主張されているが,多くの人には何が何やらだろう。

 しかし,そもそもQTの理解に問題があるのではないかというのが,本稿のテーマである。FRBはコロナ後のインフレに直面して金融引き締めを行っているが,伝統的な手段,つまり手持ち国債を売却して金利を引き上げるという方法が,市場にショックを与えやすくとりにくいという問題に直面している(これは金融緩和の出口を模索する日銀も同じである)。そのため,引き締めは,準備預金金利引き上げ,リバースレポ金利引き上げ,そしてQTによって行われている。QTとは,売りオペレーションをするのではなく,保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入しないことによって,バランスシートを縮小することである。本稿は,この三つの引き締め手段のうち,QTに対象を絞って論じる。

 さて,QTに関する市場関係者の議論を聞いていると,そのほぼすべてが「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」,もう少し正確に言うと「QTをすれば準備預金またはリバースレポ残高が減る」と理解している。だから,最近のリバースレポ残高の減少について,「リバースレポがなくなってしまった後もQTを続けると,準備預金が大きく減って金融が引き締まる」と理解して,その行き過ぎで金利が急騰することを心配しているのである(※1)。

 しかし,「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」というのは果たして正しいのだろうか。QTのオペレーションをよく見てみよう。注意すべきポイントは,QTに国債が関わることである。国債購入に投じられたマネーは政府の下で眠り込むのではなく,財政支出される。このことを含めてQTと国債償還,または借り換えの効果を見る必要がある。

1)QTが行われる。まず,政府は国債償還のために課税等を強化してマネーをかき集め,政府預金を増やす。そして国債を償還する。FRBのバランスシートでは,まず負債側で政府預金が増えて連邦準備銀行券(つまりドル札の現金)発行高が減る。その後,資産側で国債が減り,負債側で政府預金が減る。結果として,負債側で減ったのは銀行券発行高である。通貨供給量(マネーストック)は減少する。準備預金は減少しない。ただし政府が課税した際に銀行預金を引き出して応じた人が多ければ,その分は銀行券でなく準備預金が減少する。

 このように,QTが行われ,政府債務が減少した場合は,マネーストックは確かに減るので,おおむね金融は引き締まる。ただし,銀行券と準備預金がどういう割合で減るかは,場合による。

2)話がここで終わらず,政府は国債を借り換えて政府債務総額を維持した場合を考えよう。借り換え国債は銀行が購入するとしよう(MMFが購入することもあるのだが,それについては別途考察する)。今度は銀行の準備預金が減り,政府預金が増える。しかし,これで終わりではない。政府は財政支出をする。仮に小切手支払だとすると,受け取り手はこれを取引銀行に持ち込んで預金か現金にかえる。銀行は政府に支払いを要求し,FRBの決済システム上で,政府預金から準備預金へと振り込んでもらうことで支払いを受ける。これで銀行の準備預金は回復する。したがいFRBのバランスシートは変化しない。ただし,政府支出の受け取り手が現金を選ぶと,その分だけ銀行は準備預金を引き出すので,準備預金は完全には回復せず減少し,その分だけ現金発行高が増える。政府債務は借り換え債発行前よりは増え,以前の国債償還前とは同額になる。そして,マネーストックは,借り換え債発行前と比べると,財政支出の受け取り手が得た預金または現金の分だけ増える。そして国債償還前と同額まで回復する。

 このように,QTが行われて政府債務総額は維持された場合は,マネーストックは変動しない。したがい金融もおおむね引き締まらない。準備預金は,政府支出が預金で受け取られた分は変動せず,現金で受け取られた分だけ減る。現金で受け取られる割合は,これも全く場合による。

 以上の理解が正しいとすると,「QTで準備預金は減って金融が引き締まる」と思い込むところが,そもそもおかしいのである。単純化のために,仮にこれらの取引に現金が用いられることないとすると,1)では準備預金は減るし金融は引き締まるが,2)では全く減らないし,金融も引き締まらない。この大きな違いを左右するのは,国債が借り換えられるか否かであることがわかる。

 「QE(量的緩和)では準備預金が増えるんだから,QTでは減るだろう」と思う人がいるかもしれない。しかし,そうではない。QEとQTではちょうど正反対のことをしているわけではないからである。QEでは,FRBは買いオペレーションを行う。つまり銀行が購入した国債を買い上げているので,準備預金が増えるのである。対してQTは,QEの正反対である売りオペレーションをするのではない。売りオペレーションによるバランスシート縮小は,市場へのショックが大きいため行われていない。QTとは満期国債の償還を受けることなのである。

 だから,QTそれ自体では,金融が引き締まるかどうかは決まらない。それを決めるのは,償還された分の国債が借り換えられるか否かなのである。

 だから,金融政策であるQTの効果とみられるものは,実際には財政政策の効果である,それも,QTによって一義的な結果が出るものではない。国債発行の縮小か継続かによって効果は全く異なる。FRBによるQTの選択ではなく,財政民主主義による財政支出の選択こそが本当の問題だ。

 QTそれ自体に効果があるとすれば,「もうこれ以上,国債を買いオペしませんよ」というシグナル,もっと言えば「国債をFRBで買い支える事実上の財政ファイナンスははやりませんよ」というシグナルを政府に対して送ることだろう。それも,金融システムそれ自体を操作するのではなく,結局は国債借り換えに対する警告である。

 国債発行を選択の問題とした場合,国債消化がそれを制約しないかという問題はある。QTの下で国債発行を続けた場合,FRBのによる買い上げを当てにせず,市中で消化しなければならないからだ。しかし,現状のアメリカで国債の引き受け手がなくなるとは考えにくい。むしろ,世界金融危機後の金融商品取引への規制は,銀行やMMFを国債に買い向かわせる効果を持っている。

 国債の消化自体は問題がないとすると,問題は,国債償還による財政支出の縮小か,借り換えによる財政支出の継続かである。QTと国債発行高縮小の組み合わせが取られた場合は,需要にはマイナスの圧力がかかる。逆にQTと国債償還の組み合わせが取られた場合は,その圧力はかからず,従来規模の財政赤字の下での政府支出規模が維持される。どちらが望ましいかの問題だ。まったくマクロ的に見れば,現状では,支出を絞れば超過需要によるインフレを冷ますにちょうどよいだろう。しかし,財政の問題は,支出規模だけでなく,内容も問題となる。物価を上昇させるだけで実質的に需要を拡大できない支出は無駄である。しかし,政府機関を止めずにその機能を維持するための支出は必要だろう。また,インフレ下での生活苦から消費者を救済する支出や,技術開発や人材育成や脱炭素社会のインフラ整備など経済の供給能力を改善して,長期的インフレ圧力を軽減することも有益だ。ポストコロナのインフレ下では,財政の総支出規模を絞り気味にすることと,必要な支出を確保することは区別する必要がある。

 財政の問題を抜きに,また財政支出の内容の吟味を抜きに,「QTが金融をどれほど引き締めるか」という次元だけで議論しても,空転気味の車輪で前進を図るようなものだと,私には思えるのである。

※1 話が横道にそれて複雑になるので,注で説明する。市場関係者は以下のように考えているのだと思われる。
<FRBがQT(量的引き締め)をする,つまり「保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入することはせずに,バランスシートを縮小する」と,FRBバランスシートの資産側で国債が減少する。では,負債側では何が減少するか。それは政府が借り換えのために発行した国債を,誰が購入するかによる。国債を銀行が超過準備で購入したならば,銀行の資産側,FRBの負債側で準備預金が減る。一方,MMFが購入したならば,MMFの信託勘定の資産側,FRBの負債側でリバースレポが減る。2023年半ばからリバースレポ残高が急速に減っているのは,FRBがQTを続ける一方,MMFが運用先をリバースレポから短期国債に切り替えているからである。FRBがQTを続け,政府が国債を借り換え続けると,FRBの負債側では準備預金かリバースレポが減る。リバースレポがなくなってしまうと,減るのは準備預金になる。準備預金が減ると銀行の融資や金融商品購入が制約され,金利が急騰するかもしれない。だから,リバースレポがなくなる前にQTのペースを落とした方がいい。>
 この議論の問題は,政府が国債を発行して集めたお金を支出した際の効果を見落としていることである。実際に銀行が借り換え国債を購入した場合には,FRBの準備預金は減少しないことは,本文を参照して欲しい。

2024年1月30日火曜日

預金のMMFへのシフトとFRBによるMMF相手のリバースレポはどのように行われ,どのような効果を持つか

 1.はじめに

 アメリカでは2022年から銀行預金が縮小し,またそれ以前の2020年から公社債投資信託の一種であるMMFが急増している。MMFは高利回りで安全度の高い運用先を求めるが,それは現在では政府やFRBの発行する債務へと向かう。一方,コロナ後になってFRBはインフレを食い止めようと金融引き締めにとりかかった。ここで両者の利害が一致する形で,2021年から2023前半までのFRBのリバースレポ(実質的には短期借り入れ)にMMFが応じるという取引が拡大した。本稿では,このリバースレポの金融政策上の意義について,貨幣流通の視角から論じる。なお,2023年半ばからは,MMFが運用先を短期国債にシフトさせたためリバースレポ取引は縮小し始めるが,その局面については,別の機会に委ねる。

 本稿はバランスシートを使った説明が長くなるので,結論を先取りしておくと,以下のようになる。

 家計が預金を引き出してMMFを購入すると,市中では預金貨幣が減り,現金流通高が増える。FRBの準備預金は減る。企業金融が銀行融資から証券発行にシフトしただけではこのようなことは起こらないが,MMFが投資信託であるために預金減と現金増が起こる。なお,個人にとっての流動性だけに注目して「フィナンシャルイノベーションによりMMFは通貨のようなものになった」「何が貨幣なのか曖昧になった」などという議論があるが,社会全体を見ればそうではない。単に現金流通が増えて,MMFという金融商品に買い向かったのである。

 次に,FRBがMMF相手のリバースレポを行なうと,市中では預金貨幣量は変化せず,現金流通高が減少する。FRBの準備預金は変化しない。FRBのリバースレポとは,現金通貨の吸収を通した金融引き締めなのである。このような取引が拡大していることは,FRBが中央銀行ー銀行ー企業・家計という本来のルートで信用創造を調節するだけでは金融調節が十分にできなくなり,遊休貨幣のほぼ直接的な回収に乗り出したことを意味する。しかもその回収方法は,金利というコストを支払って短期借り入れを行うというものである。本来信用を供与する側である中央銀行が,金利を支払って借り入れないと政策目的を達成できないのは,リバースレポも超過準備預金への付利も同様である。このことの意義は別途検討したことがあるが(※1),さらに考察を深める必要がある。

 預金のMMFへのシフトとFRBのMMF相手のレバースレポ取引がともに行われると,市中では預金貨幣が減り,発行済み現金は変化しない。FRBの準備預金は減る。したがい全体としては通貨供給量は減って金融引き締めとなる。預金縮小はFRBのオペレーションによるものではなく,家計の金融資産シフトによる効果である。一方,発行済み現金がいったん増加したのは,やはり家計の金融資産シフトの効果であるが,これを縮小させたのはFRBによるオペレーションの効果である。FRBは,市場の動きによっていったんは増加した現金を,MMFにリバースレポの金利を払うというコストをかけて政策的に回収したのである。FRBが回収しているのは現金だが,結果として減少しているのは預金と準備預金であることに注意が必要である。

 銀行預金と準備預金が減少することの引き締め効果は,超過準備預金が豊富にある状況ではごく小さなものである。しかし準備預金残高の縮小が進むと,効果が強まる可能性がある。FRBのリバースレポ金利支払が大きくなると,FRBの業績は悪化する。FRBの業績悪化は財務省への納付金の減少をもたらし,それによって連邦政府財政収支を赤字の方向に動かす効果を持つ。

 以下,これらのことを関連する経済主体のバランスシートの動きによって示す。なお,(+)は増額,(-)は減額で,金額はすべて同じである。

※1 「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ,2023年7月6日。https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html


2.家計の資産が銀行預金からMMFにシフトすると,預金が減り,発行済現金が増え,準備預金が減る

ステップ1.家計が銀行から預金を引き出す

銀行
資産:準備預金(-)
負債:預金(-)

FRB
資産:
負債:準備預金(-),発行済現金(+)

家計
資産:預金(-),現金(+)
負債:

 家計が預金を引き出すとき,銀行は自ら準備預金を引き出して現金を確保して,これを家計に渡すのである。ここで発行済現金が増える。

ステップ2.家計がMMFを購入

家計
資産:現金(-),MMF残高(+)
負債:

MMF信託勘定
資産:現金(+) 
負債:MMF残高(+)

 この後MMFが何らかの金融商品で運用される。そうすると,MMF信託勘定の資産側で現金(-),金融商品(+)となり,金融商品の売り手の資産側で現金(+),金融商品(-)となる。本稿ではリバースレポで運用される話をするため,ここでいったん止める。

+取引前と後の変化

銀行
資産:準備預金(-)
負債:預金(-)

FRB
資産:
負債:準備預金(-),発行済現金(+)

家計
資産:預金(-),MMF残高(+)
負債:

MMF信託勘定
資産:現金(+) 
負債:MMF残高(+)

 結果として預金貨幣が減り,発行済現金(連邦準備銀行券)は増え,FRBの準備預金も減っている。


3.FRBがリバースレポ取引によってMMFから現金を回収する

 FRBはポストコロナ下で,公社債投資信託の一種であるMMFを相手にリバースレポ取引を行っている。リバースレポ取引とは,保有国債を翌日買い戻すという条件付きで売ることであり,事実上は短期の借入である。この節の目的は,これがFRBによる現金回収を通した金融引き締めであることを,バランスシートによって示すことである。

 リバースレポ取引のプロセスを見る場合にややこしいのは,MMFはFRBに口座を持っていないことである。したがって直接取引することができず,中間にクリアリングバンクを介在させていると思われる。よって取引プロセスの段階が大きくなるが,煩を厭わずにおっていきたい。取引手数料は無視する。実務の詳細が不明であるために,取引のありようを完全に再現することは難しいが,基本的にはこのような理解でよいと思われる。

ステップ3.MMFは信託された現金をリバースレポで運用することとし,まず現金をクリアリングバンクに預金する。

MMF信託勘定
資産:現金(-),預金(+)
負債:

クリアリングバンク
資産:現金(+)
負債:預金(+)

ステップ4.クリアリングバンクがFRBの準備預金を増やす

クリアリングバンク
資産:現金(-),準備預金(+)
負債:

FRB
資産:
負債:準備預金(+),発行済現金(-)

 連邦準備券はFRBの負債であるため,FRBに還流すれば負債としては消滅する。紙券として再利用が可能であるかどうかは別問題である。

ステップ5.FRBがリバースレポを実行しクリアリングバンクが応じる

クリアリングバンク
資産:準備預金(-),リバースレポ(+)
負債:

FRB
資産:
負債:準備預金(-),リバースレポ(+)

ステップ6.クリアリングバンクとMMFの間での清算が行われ,リバースレポの債権がMMFに移される

MMF信託勘定
資産:預金(-),リバースレポ(+)
負債:

クリアリングバンク
資産:リバースレポ(-)
負債:預金(-)

+取引前と取引後の変化

MMF信託勘定
資産:現金(-),リバースレポ(+)
負債:(変化なし)

クリアリングバンク
資産:(変化なし)
負債:(変化なし)

FRB
資産:(変化なし)
負債:発行済現金(-),リバースレポ(+)

 リバースレポ取引前後で起こる通貨流通量の変化とは,預金貨幣残高や準備預金残高が変化せずに発行済現金(連邦準備銀行券)残高が減少することであるとわかる。


4.二つの局面を経ての変化の確認と結論

 銀行預金のMMFへのシフトと,FRBのMMF相手のリバースレポ取引の二つの局面による変化は以下のとおりである

銀行
資産:準備預金(-)
負債:預金(-)

FRB
資産:
負債:準備預金(-),リバースレポ(+)

家計
資産:預金(-),MMF残高(+)
負債:

MMF信託勘定
資産:リバースレポ(+) 
負債:MMF残高(+)

 これによって,冒頭で先取した通りの結論が得られる。

 なお,2023年後半からリバースレポ取引残高は急速に縮小した。MMFが財務省証券(短期国債)に買い向かっているからだという。財務省証券の発行は,昨秋の政府の債務上限引き上げ合意に基づくものであり,永続的なものとは考えにくいが,この動きをめぐって金融政策についての論評が行われているので無視はできない。また,FRBが金融引き締めをいつ,どのように終了するかも問題になってきており,その際にリバースレポと準備預金はどう変化するのかも考えねばならない。別途考察したい。


2024年1月26日金曜日

MMF再考

  これまで私は,証券金融がいくら進んでも銀行預金は減少しないと書いて来た。それはおおむね正しかった。例えば会社が銀行からお金を借りるのをやめ,借りていたのと同じ額を,社債を証券会社引き受け経由で発行して資金調達するようになっても,社会全体としては預金は減少しない。社債購入者-証券会社ー調達企業のいずれも,銀行口座に持つ預金を介して取引を行うからである。同じようなことは,電子マネー決済が増えるとか,PayPayで給料を払うとかいう話にも言える。いずれも銀行預金残高を減少させない。

 しかし小さくない例外があった。信託に該当するものである。例えば投資信託の一種であるMMFである。諸個人が低金利の銀行預金を引き出し,より高い利回りを求めて同額のMMF購入にあてたとする。このとき,預金引き出しで発行された現金が,MMF購入に充てられて,信託銀行に預けられる。しかし,預金としてではない。信託銀行の銀行勘定と分離された信託勘定に預けられる。したがい,銀行預金とMMF残高は重複しない。銀行預金が減って,現金発行高が増えるのである。増えた現金発行高がMMF購入高に等しい。投資信託を通貨供給高統計で処理する際にはテクニカルな問題があり,アメリカと日本では扱いが違ったりする。しかし,理論的には,このように理解すべきである。なので,私がMMFを証券金融一般と同じに扱ってきたのは誤りであった(※1)。

 だから,MMFについては,「マネーが銀行預金からMMFにシフトする」と言われていることは,家計による運用先選択としてはもっともである。確かにMMFが増えると預金が減るのである。ただし,通貨論としては現金の動きを忘れることはできない。「銀行預金口座から引き出された現金がMMF購入に買い向かう」のである。

 ここの認識を改めることで,FRBがポストコロナ期に行っている,「超過準備預金への金利引き上げ」と「MMF相手のリバースレポ取引の拡大とその金利引き上げ」の意味がはっきりしてきた。前者は,FRB-銀行‐企業・家計のルートを通した金融引き締めである。後者は預金から外れてMMFに買い向かった現金の回収による金融引き締めである。FRBがMMF相手のリバースレポ取引を通した金融引き締めを行っているという認識は誤りではなく,よりクリアになった。

 ただ,リバースレポ取引が現金回収による金融引き締めだというのは,わかりにくいかもしれない。そこで,銀行預金の減少とMMFの拡大,FRBのMMF相手のリバースレポ取引の拡大によって,通貨供給量と構成がどう変動するかを,次稿で扱おうと思う。

 信託勘定の扱いについてご教示くださった,小林陽介先生に感謝します。

※1 「なぜFRBは,MMF相手のリバースレポ取引を通した金融引き締めを行っているのか」Ka-Bataブログ,2023年4月30日。
https://riversidehope.blogspot.com/2023/04/frbmmf.html


<参考>

小林陽介(2023)「グローバル金融危機後の米国シャドーバンクの動向」『証券経済研究』124,111-136。
伊豆久(2023)「FRB・RRP・MMF—資金余剰下の金利引き上げ—」『証券経済研究』124,43-56。
https://www.jsri.or.jp/publication/periodical/economics/2023

2024年1月4日木曜日

銀行システムにおける準備金の必要性と役割:「信用貨幣=貸付先行」説からの考察

 1.問題の所在

 本稿は,銀行システム成立に当たっての準備金の必要性と役割について考察する。

 銀行を経済学的に理解する上での立場は,大きく「現金の又貸しによる金融仲介」説と「信用貨幣の貸付による信用創造」説に分かれる。前者の方がイメージはしやすいものであり,一般社会でも研究者の多数においてもこちらによって銀行が理解されることが多い。流通している現金が銀行に預け入れられ,預金となって集積され,集積された貨幣が借り手に又貸しされるというものである。後者は,銀行は自分の手形(債務証書)を発行して,それを手渡すことで貸しつけるというものである。具体的には預金貨幣が創造されて貸付けられる。借り手が預金を引き出した場合に,当該銀行が発券銀行であれば当該銀行券が発券され,発券集中が行われていれば中央銀行券が発券される。預金貨幣も銀行券も貸付けられた債務が貨幣化したものであり,信用貨幣である。

 銀行の貸付と預金という二つの業務に即していえば,前者は「預金先行」説とも言えるし,後者は「貸付先行説」とも言える。なぜなら前者では預金が先に形成されて現金が集積され,しかる後それが貸し付けられるからである。対して後者は,預金が集積されるよりも前に貸付が行なわれるからである。

 私はこれまでも述べてきたように「信用貨幣の貸付による信用創造」「貸付先行」説(以下「信用創造=貸付先行」説)に立っているが(※1),この立場に立った場合,銀行を説明する上で二つの点が「現金の又貸しによる金融仲介」「預金先行」説(以下「金融仲介=預金先行」説)よりも複雑になる。一つは,正貨流通・金兌換停止下において,預金貨幣や銀行券が信用貨幣であることの説明である。しかし,この点はこれまでも説明済みであり,ここではとりあげない(※2)。もう一つは,準備金の説明である。あらかじめ預金を集めないままに信用創造で貸し付けを行うこと自体は可能であるとしても,準備金を確保しなければ預金引き出し請求や他行からの支払い請求に応じられない。「信用創造=貸付先行」説では,準備金の確保のしくみ,準備金の役割をどう説明するのか。これが本稿の解明すべき課題である。

※1 「貨幣発行と流通のしくみ」(その1)から(その9),Ka-Bataブログ,2023/12/8-2023/12/17,https://riversidehope.blogspot.com/2023/12/blog-post.html

※2 「貨幣発行と流通のしくみ(その5)預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?」Ka-Bataブログ,2023/12/13,https://riversidehope.blogspot.com/2023/12/blog-post_13.html 。金兌換がなされずとも,より上位の債務による返済,債権債務の相殺という二つの方法での決済が可能であるから,信用貨幣と言えるということである。


2.考察の前提

 本稿では,ある一つの資本主義経済を,別の言い方をすれば国境に区切られていない単一の資本主義経済を想定した考察を行う。これにより,国境に区切られた世界経済において生じる対外支払い・決済の問題を捨象する。その理由は,プラグマティックには,対外支払い・決済については独自の問題が多く,それだけで紙数を必要とするからである。この措置は,理論的にも正当化できる。というのは,まず国境のない単一資本主義経済の下で考察することは,国境で区切られた世界経済を考察する上での基礎となるからである。

 本稿では,正貨(金貨など)が流通している場合と流通していない場合,全国的決済システムと発券集中を実現して中央銀行が存在する場合としない場合を分けて考察する。ただし,正貨流通が停止していて中央銀行券が成立していない状態,つまり正貨も法定通貨も存在しない状態,さらに言い換えるといわゆる「現金」のない状態,は考えにくい。よって正貨流通・中央銀行未成立,正貨流通・中央銀行成立,正貨流通停止・中央銀行成立の三つの場合を考えればよい。より一般的な表現では,前二者は金本位制をはじめとする金属本位制の場合,後者は管理通貨制の場合だと考えればよい。

 正貨流通の下では,銀行は発券機能を持ち,正貨流通停止の下では発券集中により持たないものとする。よって,正貨流通の下では正貨,預金貨幣と,銀行券または中央銀行券が流通しており,正貨流通停止の下では預金貨幣と中央銀行券が流通している。

 銀行は預金の払い出しに応じなければならない。加えて,正貨流通の下では兌換請求にも応じなければならず,正貨流通停止の下では兌換も停止するものとする。正貨流通の下では,銀行・中央銀行は預金の正貨での払い出し,自行銀行券の金との交換に応じなければならない。一方,正貨流通停止・中央銀行成立の下では,兌換は行われない。ただし,銀行・中央銀行は預金の中央銀行券での払い出しを行わねばならない。

 また口座開設者の取引の結果を決済するために,銀行内の口座間と,銀行間での送金義務が発生する。銀行内であれば口座間の預金振替でことは足りる。しかし銀行間ではそうはいかない。支払いと受け取りの差額が支払超過である場合,銀行は送金を行わねばならない。正貨流通・中央銀行未成立下では,他行に対して正貨または相手行銀行券での支払いが必要である。正貨流通・中央銀行成立下ではこれらに加えて,中央銀行当座預金での支払いが可能である。正貨流通停止・中央銀行成立換えは中央銀行当座預金での支払いが可能である。なお中央銀行当座預金に換えて中央銀行券で支払うことも可能であるが,緊急時以外には行われないであろう。

 本稿では,中央政府財政の赤字・黒字はないものとする。したがって,財政収支による通貨供給への影響はないし,国債発行による影響もないものとする。

 本稿が根本的に問題とするのは一社会において銀行というものが成り立つ条件である。既に他の銀行が成立している下で個別銀行が追加で成立する条件ではない。このことを明確にするために,個々の「銀行」と区別される社会全体としての銀行のしくみを「銀行システム」と呼ぶこともある。ただし,個別銀行について述べることと社会全体の銀行システムについて述べることが矛盾しない場合には単に「銀行」という用語を使う。


3.「金融仲介=預金先行」説での準備金の説明批判

 まず,「金融仲介=預金先行」説での準備金の説明について一瞥しておこう。この説だと,一見,準備金の説明は簡単に見える。先に預金が銀行に集められるからである。しかし,場合分けしてみていくとそうでもない。正貨流通・中央銀行不成立の下では預金は正貨と自行・他行銀行券,正貨流通・中央銀行成立下では正貨と中央銀行券で集められる。正貨流通停止下では,中央銀行券で集められる。

 このうち,又貸しが簡単に説明できるのは貸付が正貨または中央銀行券で行われる場合である。まずもって預金は銀行に集積されているのであるから,借り手が預金の引き出し要求,兌換請求,他行からの支払い請求に応じることは当然に可能である。また正貨流通・中央銀行不成立下の他行銀行券についても,当該銀行に兌換請求すれば正貨が入手できるので正貨で預金された場合に準じて考えることができる。準備金残高が不足することもありうるが,それは貸し出しが過大であったり,不良な借り手ばかり集まっているからという量的問題であり,本来的に準備金になるものを持っておらず支払い不可能だという質的問題ではない。

 正貨流通の下では預金として集めた正貨の一部,正貨流通停止の下では集めた中央銀行券の一部が準備金となっているので,そこから払い戻しを行う。ここに何の不思議もないように見える。

 しかし,正貨の場合は良いとして,銀行券の場合は子細に観察すると問題がある。「金融仲介=預金先行」説は,社会全体として銀行システムを考察した時,預金となって集積すべき通貨のうち,他行銀行券や中央銀行券が,そもそもどうして流通しているかを説明できないのである。預金するためにはあらかじめ流通していなければならない。しかし,銀行券というものは,そもそもどのようにして発行され,流通に入るのか。銀行券は,まず発券銀行が預金貨幣発行を通して貸付を行い,次いで借り手,または借り手から預金振替で支払いを受けた取引相手が,その預金を引き出した場合に発券される。また,最初から銀行券で貸し付けを受けた場合にも発券される。中央銀行券もこの論理の延長上で説明できる。銀行が預金貨幣発行を通して貸付を行い,次いで借り手,または借り手から預金振替で支払いを受けた取引相手が,その預金を引き出した場合,あるいは最初から中央銀行券で貸し付けを受けた場合に,銀行は中央銀行券を必要とする。その中央銀行券は,銀行が中央銀行に持つ中央銀行当座預金設定を引き出すことで発券される。中央銀行当座預金は,正貨流通下では,流通している正貨が銀行に預けられ,さらに中央銀行に預けられることと,中央銀行が銀行に貸し付けを行うことの二つによって形成される。また正貨流通停止下では,後者の方法によってのみ形成される。

 だとすると,正貨が関与する場合を除いて,他行銀行券や中央銀行券による預金は,貸付に先行するものではありえない。もともと,どこかで銀行が企業や個人に,あるいは中央銀行が銀行に信用を与えたからこそ存在しているものである。ということは,銀行システム全体としては「預金先行」がありうるのは正貨についてだけである。銀行券,中央銀行券は,個々の銀行から見れば「預金先行」に見えても,銀行システム全体を見れば必ず「貸付先行」なのである。

 だから,「金融仲介=預金先行」説は正貨流通下で,正貨については整合的に説明できるとしても,銀行券が関与した瞬間に論理的に成り立たなくなる。よって,銀行システム成立の論理としては否定されるべきである。


4.「信用創造=貸付先行」説による準備金の説明

 では「信用創造=貸付先行」説ではどうか。これが,本稿の積極的に解くべき問題である。以下,場合分けをしながら考えよう。


(1)正貨流通下の場合

 まず正貨流通の場合である。銀行が借り手の口座に預金を創造するか,自行銀行券を借り手に渡して貸し付けを行ったとしよう。ここで,借り手が正貨での払い出しまたは兌換を要求するとどうなるか。また,銀行間決済において自行が支払い超過の立場に立った場合どうなるか。

 正貨流通・中央銀行未成立下では,銀行は一定額の正貨を保持していなければ払い出し請求に応じることができない。つまり銀行は,信用創造を行うこと自体は準備金がなくともできるが,正貨での準備金を,借り手が払い出し請求,兌換請求を行い,他行からの支払い請求が来る以前に準備することが必要になる。抽象化すれば,正貨が入手できることを合理的にあてにできるような条件下で信用創造を行うことが必要になる。これらを満たすのは正貨での預金である。いったん銀行システムが成り立てば,個々の銀行にとっては他行銀行券でもよい。他行銀行券を当該銀行に提示すれば当該銀行に対する支払いができるし,正貨も入手できる。しかし,他行の存在を前提せず,銀行システム自体が成り立つ条件としては,正貨が必要である。正貨流通・中央銀行未成立下の下では,銀行システムが成立するためには,預金された正貨での準備金が必要なのである。

 念のため付記すれば,正貨準備その量は,払い出し,兌換,支払支給に応じるに十分なだけあればよいのであって,銀行は準備金ショートのリスクに注意しながら,準備金の額以上に貸し出すことができる(※3)。

 正貨流通・中央銀行成立下では,事情は多少修正される。預金者の正貨払い出し・兌換請求には正貨でなければ応じることができないが,他行に対する支払いは正貨を持ち出さなくとも,中央銀行当座預金を通して支払うことが可能である。また正貨を入手することは,中央銀行当座預金を正貨で引き出すことや,手持ちの中央銀行券を中央銀行に提示して兌換請求を行うことで可能である。つまり,正貨流通・中央銀行成立下では,銀行が準備金として確保すべきは,預金された正貨または中央銀行当座預金なのである。

 ここでまず注目すべきは,預金された正貨である。この正貨は「金融仲介=預金先行」説の言う本源的預金ではない。受け入れた正貨をまた貸しするのではないからである。しかし,銀行の成立に当たって必要な預金であるという意味では,本源的預金に類似したものである。正貨流通の下では,銀行はこうした,いわば準本源的な預金を必要とするのである。同じことを別の角度から言えば,貸付という行為自体は,預金がなくとも可能である。しかし,預金の払い出しや銀行間支払の必要に備えた,正貨による預金は必要なのである。

 ところで正貨での預金というのは,貨幣流通の見地から言えば,金などの貨幣商品が商品流通外に出ることを意味するものであり,蓄蔵貨幣の形成を意味する。正貨による蓄蔵貨幣の形成は,銀行による信用創造とはまったく別個の運動の結果である。正貨流通下では,銀行システムの成立とそれによる信用創造の拡大は,当該社会での正貨による蓄蔵貨幣の形成に外的に制約されるのである。

 中央銀行の成立はこの制約条件を緩和する。中央銀行が当座預金を創造して銀行に供給することによって,銀行の準備金に伸縮性が与えられるからである。ただし,中央銀行自身が銀行からの兌換請求に応じなければならないので,中央銀行自体に正貨や貨幣金属(典型的には金地金)の準備が一定程度必要とされる。この正貨や地金は,流通にいったん入りながら,商品流通に一時的に不要とされて形成された蓄蔵貨幣から成る。具体的には,正貨での銀行預金が,再度中央銀行当座預金として預けられたものである。しかし,それだけではない。新産の貨幣商品金属を通貨当局である中央銀行が,直接に,あるいは政府を通して平価で無制限に買い入れることによっても形成される。これにより準備は補填される。ここでも,蓄蔵貨幣の形成と新産貨幣金属の産出は,銀行による信用創造とはまったく別個の運動の結果である。正貨流通下では,中央銀行がもたらす準備金の伸縮性も,蓄蔵貨幣の形成と新産貨幣金属の買い上げという別個の運動によって外的に制約されるのである。


※3 銀行は準備金の額以上に信用創造ができる。これは,「信用創造・貸付先行」説に立つならば,正貨流通下か否か,中央銀行成立下か否かにかかわらず妥当する。よって,以後,いちいち記述しない。


(2)正貨流通停止・中央銀行成立下の場合

 次に正貨流通停止,かつ中央銀行成立の場合である。銀行が借り手の口座に預金を創造して貸し付けを行った後に,借り手が中央銀行券での払い出しを請求するとどうなるか。また,銀行間決済において自行が支払い超過の立場に立った場合どうなるか。

 銀行は,中央銀行券を保持していなければ払い出し請求に応じることができない。また中央銀行当座預金を保持していなければ,他行に対する支払いを行うことができない。中央銀行券は,中央銀行当座預金を引き出すことによって入手できる。つまり銀行は,信用創造を行う際に,中央銀行当座預金または中央銀行券での準備金を事前に,あるいは事後であっても少なくとも借り手が払い出し請求や兌換を行いそうになる前に準備することが必要になる。抽象化して言えば,事後に中央銀行当座預金・中央銀行券が入手できることを合理的にあてにできるような条件下で信用創造を行うことが必要になる。 

 では,このような条件を満たす中央銀行当座預金・中央銀行券の入手方法とは何か。一見すると,正貨流通下では正貨の預金であったように,正貨流通停止の下では中央銀行券での預金であるように思える。しかし,そうではない。預金者が中央銀行券で預金を行うためには,あらかじめ中央銀行券が発券されていなければならない。ところが,財政支出が捨象されている限り,中央銀行券が発券されるのは,預金者が預金を引き出した場合だけである。そして,預金が生まれるのは銀行が企業・個人に貸し付けを行った場合である。個人や企業が銀行に中央銀行券を預け入れる場合にも預金は生まれるように見えるが,その中央銀行券はどこかで預金を引き出したから発券されているのであり,やはりそれ以前の,貸付によって生まれた預金に由来する。いずれにせよ,預金や中央銀行券が生まれる大本は銀行による企業・個人への貸付なのである。ということは,銀行システムが成立するにあたって中央銀行券での預金が必要となるというのは循環論法である。中央銀行券での預金は,どこかで銀行が企業・個人に貸し付けた結果としてでなければ存在できないのであり,銀行システムがすでに成立していることを前提するからである。

 だから,銀行システム成立に当たって銀行が必要とする中央銀行券での準備金は,銀行への預金によって形成されるものではない。中央銀行が創造した中央銀行当座預金を引き出したものなのである。正貨流通停止の下での銀行の準備金とは,本質的に中央銀行が供与するものなのである。この点が,正貨流通の場合とは決定的に異なる。

 再び貨幣流通の見地から見ると,中央銀行当座預金や,銀行によって引き出されて銀行が手持ちしている中央銀行券は,一時的に遊休し,商品流通を媒介していないという意味で遊休貨幣である。しかし,蓄蔵貨幣ではない。預金や銀行券は価値を持たないデジタル信号や紙券に過ぎないので,流通から出て価値を保蔵するという意味での蓄蔵貨幣にはなり得ない。正貨流通停止下では,遊休貨幣は存在しても蓄蔵貨幣は存在しないのである。

 しかし,中央銀行当座預金や銀行手持ち中央銀行券が蓄蔵貨幣でないことは,むしろ積極的な意味を持つ。蓄蔵貨幣ではないがために,信用創造の運動に従属し,信用創造の運動に反応して形成される伸縮性を持つからである。正貨流通停止下では,銀行の信用創造は,正貨による蓄蔵貨幣形成の制約を離れて拡大できる。中央銀行は,信用創造を促進するとともに,それが過大とならないように,自らの信用創造による準備金供給を,金利調節を通してコントロールする。そして中央銀行もまた,蓄蔵貨幣の多寡や新産貨幣金属を買い上げる必要によって外的に制約されなくなるのである。

 正貨流通停止下では中央銀行は兌換請求を受けることはない。そのため中央銀行自身の準備金としても正貨や地金は必要とされなくなる。本稿が想定する条件の下では,原理的には他の形態での準備資産さえ必要とされない(※4)。政府財政の影響を捨象する限り,正貨流通停止下では,中央銀行当座預金は中央銀行が銀行に対して信用を供与した結果であり,預金貨幣は銀行が企業・個人に対して信用を供与した結果であり,中央銀行券の発券は預金の引き出しによって預金貨幣が置き換えられた結果である。このような銀行システムの下では,銀行が中央銀行に求めることは,中央銀行当座預金での支払い決済の遂行であり,中央銀行からの借り入れの返済に際して当座預金または中央銀行券の利用を認めよということである。それは,金兌換が停止されていても何ら問題なく中央銀行が遂行できることである。つまり,本稿の前提の下では,中央銀行に対して銀行から兌換請求に変わる準備資産請求が殺到することは通常はない。あるとすれば,それは恐慌の勃発などによって通貨価値の激しい毀損が生じた場合であろう。その時には,本稿の想定の外にある財政赤字累積の結果として,中央銀行が供与してもいない中央銀行当座預金が積み上がっているであろう(※5)。中央銀行が銀行システムの健全さを維持できている限りは,そうした事態は生じない。本稿が想定する条件下では,中央銀行が準備資産を持つのは当然に必要なことではない。預金払い出しや決済に必要だからではなく,こうした通貨価値の毀損が激しくなることや,そのおそれによって通貨の信認が低下する事態を抑止する効果を持つために,政策的に選択されることである。


※4 対外取引を含めて考えるとここに修正が必要であるが,本稿は単一経済を前提しているので,こう言ってもよいのである。対外取引がある場合については,6節で最小限補足する。

※5 このことについては,ここで詳しく触れる余裕はない。さしあたり以下の拙稿を参照されたい。「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ,2023/7/6。https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html


5.中央銀行当座預金の独自の役割

 ここで,中央銀行当座預金の独自の性質を論じておく必要がある。ここまでは正貨流通下・中央銀行未成立,正貨流通・中央銀行成立,正貨流通停止・中央銀行成立の三つの場合を機械的に区分して論じてきたが,ほんらいこれらは資本主義の発展とともに歴史的に変化する通貨体制の変遷を表している。資本主義の発展とともに中央銀行設立という形で通貨体制が整備され,正貨の上に信用貨幣が膨大に蓄積されるとともに,正貨流通が信用貨幣流通に取って代わられる。そうすると,自らは必ずしも準備を必要としない中央銀行の信用供与が,銀行の準備金の主力供給源になるということである。

 では,この中央銀行の信用供与は貨幣論としてどう位置づけられるか。中央銀行の信用供与とは,中央銀行当座預金という自己宛て債務によって銀行に貸し付けることである。中央銀行当座預金が引き出されると中央銀行券が発券される。この関係は,銀行預金と銀行券の関係と全く同じであり,ここから中央銀行当座預金も信用貨幣であり,中央銀行券に対してより本源的なものだということができる。

 しかし,中央銀行当座預金は商品流通を直接に媒介しない。その意味では通常の通貨とは異なる。しかし,信用貨幣の発行と流通を支え,支払い決済を支えることに特化した独自な信用貨幣であり,独自な預金貨幣だといわねばならない。今日の用語で,マネタリーベースに含まれるが,マネーストックには含まれないということが,この独自の位置を表している。このような独自な預金貨幣が生まれるのは,銀行システムが銀行と中央銀行という二層によって成立しているからである。

 貨幣流通の見地から言うと,中央銀行当座預金の発生は,前述の通り蓄蔵貨幣の形成ではない。正貨や貨幣金属ではないからである。また,少なくとも発生する時点においては,すでに流通している貨幣が遊休するのでもない。それでは何なのかと言えば,独自な貨幣の新規供給なのである。そして,その役割は,銀行の信用創造による預金貨幣供給を準備金として支えることである。こうしてみると,中央銀行当座預金が,正貨流通の下では新産貨幣金属の買い上げによる新規正貨の供給が担っていた役割を,正貨流通停止のもとで代行する信用貨幣であることがわかる。新規正貨供給に取って代わることこそ,新規に設定される中央銀行当座預金の本質的役割である。


6.対外支払い・決済論についての補足

 最初に断った通り,本稿は対外支払い・決済を捨象するという前提下で考察を行っている。ただ,ここまでの考察を踏まえて対外支払い・決済論への展望をわずかに述べておく。対外支払い・決済においては貿易や金融取引がその通貨建てで行われる中心国通貨と,それ以外の非中心国通貨が存在する。ここでは非中心国を想定する。ここでも各国財政の通貨供給への影響は捨象する。

 本稿で言う正貨流通下とは,対外的には国際的な金本位制,正貨流通停止下というのは金兌換停止に対応すると考えてよい。正貨が国内で流通し,対外的には金兌換と金現送が行われるという条件の下では,銀行や中央銀行は国内取引に備えた準備に加えて,対外支払いに備えた貨幣商品金属または中心国正貨,あるいは中心国銀行の中心国通貨建て預金を保有しなければならないだろう。正貨が国内で流通せず,対外的に金兌換も金現送も行なわれないという条件の下では,銀行や中央銀行は国内取引に備えた準備に加えて,対外支払いに備えた中心国銀行の中心国通貨建て預金を保有しなければならないだろう。

 このように対外支払・決済論では商品貨幣金属,中心国正貨,中心国銀行に持つ中心国通貨建て預金が重要な役割を果たすと予想されるのである。しかし,この先は別の機会に委ね,今は本稿の課題についての結論を述べよう。


7.結論

 ここまで,「信用創造=貸付先行」説による準備金の説明を試みて来た。銀行は,信用創造,つまり預金という自己宛て債務による貸し付けを行うものであり,この行為自体は又貸しではないので,事前の預金を必要としない。しかし,銀行は,預金払い出しの請求や他行からの支払い請求が発生に備えて準備金を確保しなければならない。

 具体的には,銀行システムは,正貨流通・中央銀行未成立下では預金された正貨を,正貨流通・中央銀行成立下では預金された正貨または中央銀行からの信用供与で得た中央銀行当座預金を,正貨流通停止・中央銀行成立下では同じく中央銀行当座預金を,準備金として確保しなければならない。

 正貨流通下では,正貨による預金形成とは蓄蔵貨幣形成である。信用創造は,蓄蔵貨幣形成という,自らとはまったく別個の運動によって制約される。中央銀行成立下では,中央銀行による信用供与は,信用創造に従属し,伸縮性を持つ。ただし,正貨流通下での中央銀行は,正貨による蓄蔵貨幣形成と新産貨幣金属買い上げの運動によって,外的に制約される。正貨流通停止・中央銀行成立下では,中央銀行による信用供与は,信用創造に従属して伸縮性を持つし,蓄蔵貨幣形成にも新産貨幣金属の無制限買い上げにも制約されない。そして,自ら準備資産を持たずとも可能である。ただし,中央銀行は通貨価値と,通貨に対する信認を維持しなければならないので,準備資産はその助けになる。中央銀行は,金利調節を通して準備金供給をコントロールすることで,銀行による信用創造の拡張を促したり,抑制したりするのである。

 ただし,この結論は,本稿が冒頭に設定した,国境によって区切られていない単一資本主義経済の下で妥当するものである。国境の存在を踏まえて国際金融を考察した場合には,一定の拡張や修正が必要である。


8.理論的示唆

 本稿は三つの場合を区別して考察を行ったが,ここから,一定の理論的示唆を引き出すことができる。正貨流通とその停止,中央銀行の未成立と成立の区別と関連を説明できる,包括的な理論の形成に向かっての示唆である。

 銀行システムが必要とする準備金とは,当該社会において現金とされるもの(正貨,中央銀行券),あるいはただちにそれに転換できるもの(中央銀行当座預金,正貨流通下での他行銀行券)でなければならない。これはいかなる学説においても共通である。

 しかし,本稿の分析結果からすれば,この準備金の出所を,蓄蔵貨幣や遊休貨幣に,言い換えると既に存在している貨幣の融通に不当に一元化,もっと強く言えば矮小化してはならない。この矮小化を典型的に行っているのは種々の学派に共通した「金融仲介=預金先行」説である。また,マルクス経済学の場合は「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点が存在するが,この観点もまた不当な一元化,矮小化である(※6)。これらの説は部分的に,具体的には正貨流通下の正貨については妥当する。それ故,現実に根拠を持つ説ではある。しかし,一般理論としては間違いなのである。

 本稿の分析結果が示すのは,準備金の出所は,蓄蔵貨幣や遊休貨幣だけでなく,新産貨幣金属の買い上げや中央銀行の信用供与でもありうるということである。そして,資本主義の発展とともに正貨の上に信用貨幣が膨大に蓄積され,正貨流通が信用貨幣流通に取って代わられると,中央銀行の信用供与が準備金の主力供給源になる。中央銀行の信用供与とは,中央銀行当座預金という自己宛て債務によって銀行に貸し付けることである。中央銀行当座預金は商品流通外にあって,信用貨幣の発行と流通を支え,支払い決済を支えることに特化した独自な預金貨幣である。中央銀行当座預金の役割は,正貨流通の下では新産貨幣金属の買い上げによって生まれる新規正貨に取って代わり,準備金形成を担うことである。

 資本主義発展と信用貨幣の蓄積とともに,銀行システムの準備金の発生源は,既に存在している正貨の融通や新産貨幣金属による正貨の生成から,中央銀行による,中央銀行当座預金という独自な信用貨幣の新規発行に移っていくのである。


※6 マルクス経済学における「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点は,ここまで利用してきた二分法で言えば,「金融仲介=預金先行」説と親和性が非常に強い。それ故,後者の説に対する批判によって前者の観点に対する批判をかなりの程度カバーできる。しかし,「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点は,信用貨幣論や貸付先行説をとる論者でも採用することがある。例えば村岡俊三『マルクス世界市場論』新評論,1976年,第10章「マルクス信用論の骨格」である。この説については独自の検討が必要であるが,これは別稿に委ねなければならない。

続稿
「村岡俊三氏の銀行信用論の検討:「信用創造=貸付先行」説と準備金論の見地から」Ka-Bataブログ,2024年1月7日。




2023年7月6日木曜日

超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)

 1.従来の考察への反省

 私は以前に準備預金への付利に関する考察を2通の投稿によって行い(※12),以下のように結論した。「中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである」。しかし,この結論はいくらか修正を要する。

 中銀当座預金への付利は,「ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコスト」である。これは正しい。しかし,「銀行に過剰準備保有を促すためのコスト」というのは不正確であった。付利は,銀行に超過準備を保有させるために行われているのではない。付利がなくても,銀行全体としては超過準備を持つだろう(※3)。ただ,ゼロ近傍以下に金利を誘導した場合,個々の銀行の行動が予測不能になり,その運用が不確定・不安定になってしまう。これを防止するために金利を付すというのが,実際にリーマン・ショックの際にFRBや日銀が直面した状況であった。つまり正しくは「銀行による超過準備の運用が不確定・不安定にならないためのコスト」なのである。

 このように修正した上で,さらに考察を進める必要がある。そもそも超過準備はなぜ発生するのだろうかという問題である。本稿の目的は,超過準備が発生する根拠を把握し,その上で,中央銀行がそれに付利せざるを得なくなることの意味を考えることである。


2.なぜ中央銀行の方が借り入れを行わねばならないのか--財政赤字の累積

(1)超過準備はなぜ,どのように発生するか

 銀行の超過準備預金運用を安定させるために中央銀行が金利を付さねばならないというのは,言葉を変えると,「銀行が利子を払わないと,安定して預金を集められない状態」だということである。なぜ中央銀行でそのようなことが起きるのだろうか。

 いま財政システムを捨象し,金融システムだけを考えるならば,中央銀行はまずもって銀行にお金を貸す側である。中銀当座預金とは,中央銀行が銀行に信用供与(貸し付け)を行った際に発生する当座預金である(※4)。したがって,そのコントロールは,さしあたり中央銀行による貸し出し利子率を通してコントロールすればよい。しかし,経済規模の拡大とともに中銀当座預金規模も拡大し,また銀行間の資金過不足も顕在化する。そこで銀行間では準備預金の超過・不足分を短期の貸し借りで調節するようになり,ここに短期金融市場が成立する。この短期金融市場での金利調節が中央銀行の任務となる。しかし,そうであっても,金融システムの範囲内では,中央銀行は貸し付ける側だという基本的立場には変わりはない。

 これよりも話を現実に近づけるには,財政システムを考慮する必要がある。現代の資本主義においては,しばしば需要不足による不況が発生する。政府はその対策として,しばしば財政赤字を出して需要を支える。財政赤字を出すということは,たいていの場合,通貨供給量を増やすことを意味する。より正確に言えば,銀行が超過準備預金で国債を引き受けた場合や,その後に中央銀行が買いオペを行った場合,通貨供給量が増える(※5)。とくに,中央銀行が買いオペを行った場合は,銀行全体として超過準備預金も増えていく。銀行が国債を引き受け,その国債を中央銀行が買いあげることで赤字財政が可能になるというこのしくみは,事実上の財政ファイナンスと言ってよい。

 買いオペを行う際に中央銀行が銀行に対して行うのは,信用供与(貸し付け)ではなく信用代位である。つまり,国債を購入することで,銀行に代わって中央政府に対する債権者となるのである。買いオペ超過による事実上の財政ファイナンスを行うと,財政赤字の金額に対応して中銀当座預金も増えていく。そうすれば,その金額が法定準備を超えて,各銀行の超過準備となる可能性は極めて高くなる。つまり,超過準備が発生する根本的な理由は財政赤字なのである。中央銀行から見れば,この超過準備は,中銀の信用供与で発生したものではない。だからこそ,中銀にとってコントロールが難しいのである。


(2)金融調節において超過準備はどのように作用するか:中銀当座預金付利の根拠

 まず,金融緩和の場合である。今日,金融緩和の効果は,金融危機の広がりを抑止する際には有効であるが,景気対策としては先進諸国では限界に達しており,ゼロ近傍への金利誘導をせざるを得ない局面が生じる。ところが短期金利がゼロになると超過準備が不確定・不安定な動きをし,短期金融市場が著しい緩和とマヒのどちらになるかもわからなくなる。それを防ぐために,中央銀行は,超過準備の有利子での運用方法を人為的に設定しなければならない。つまりは,運用してもらうために中央銀行が超過準備を借り入れねばならない。それが超過準備預金への付利である。

 次に金融引き締めの場合である。金融引き締めというのは,短期金利を高め誘導することであるが,今日,中銀の貸し付け金利を操作することではそれは到底なしえない。したがい売りオペレーションを行うか,中銀保有の国債が満期になっても新規購入は行わないという形で引き締めを行うことになる。ところが,金融引き締めに比して財政赤字の縮小には政治的困難が大きく,またそれが可能だとしても実施の速度は遅い。国債は市場に累積したままであって,追加で発行すらされてくる。こうなると,中央銀行は売りオペや満期後の買い替え停止を一定以上の規模では行なえなくなる。国債価格の急落と長期金利の急騰によって,景気の底割れを招くからである。

 国債の信用を毀損せずに金利を高め誘導しようとすれば,中央銀行自身が高い金利を付けて借り入れを行うしかない。それがすなわち超過準備預金金利の引き上げである。

 要するに,財政赤字に起因する超過準備が膨れ上がっている今日においては,中央銀行が金融調節を行おうとすれば,超過準備を自ら借り入れ,その際の金利を指標とせざるを得ないのである。これこそが,中銀当座預金に付利が必要となる根拠である。中央銀行が当座預金に付利せざるを得ないことの根源は,中央政府が財政赤字を恒常化させ,中央銀行が量的緩和による事実上の財政ファイナンスを行っていることにあるのである。


3.中央銀行の業績悪化は,財政赤字累積と財政従属のコストである

(1)結論

 以上の考察に立ってみれば,超過準備とは,財政赤字が恒常化し,中央銀行の財政従属がある程度進んだことの現れである。そして,中銀当座預金への付利とは,財政赤字の隠れたコストと見ることができる。

 現代の成熟した資本主義は,資本主義世界の外延的拡大や技術体系の大転換に恵まれた時期でない限り,需要不足に陥る傾向をもっている。そのため金利は傾向的に低落するが,そこにはゼロという限界がある。したがい,需要創出を恒常的な財政赤字に依存せざるを得ない。そして,中央銀行は国債消化ために中央政府と強調せざるを得ず,短期金融市場での金融緩和に加えて,国債買い上げによる量的金融緩和に踏み込まざるを得なくなる。これは事実上の財政ファイナンスである。

 財政赤字は,完全雇用を実現して需要不足を解消し,市場の失敗を補正して公共財を供給し,経済を活性化させる可能性はあるが,よく知られているようにインフレ,バブル,為替レート下落というリスクも伴う。これらのリスクを管理するためには,必要な際に財政の引き締めや金利の引き上げを行わねばならないが,政治的・行政的な困難から金利の引き上げに手段が偏りがちになる。中央銀行は国債を大量売却することなく金利を引き上げねばならず,中銀当座預金の金利を引き上げることになる。しかし,このことは中央銀行の業績を悪化させる。この利払いや中央銀行の業績悪化は,財政赤字累積と中央銀行の財政従属のコストであり,中央政府による財政赤字コントロールの困難のつけを中央銀行が引き受けるものなのである。

 中央銀行の業績悪化はどこに導くか。このことは以前にも考察したが,政治的要因や金融市場の不安定性を伴うために,一義的に予測することは不可能である。しかし,あまり空想的にならない程度に考えておこう。

 以前に考察したように,原理的には,中央銀行は業績が悪化し,債務超過になってさえもオペレーションを続けることは可能である。しかし,金融市場と政府,議会で全く問題にされないとは考えにくい。まず,多くの国では,中央銀行の収益は中央政府に納付されている。業績悪化は納付金の消滅を意味するので,それ自体が政府財政の赤字要因となる。また中央銀行が債務超過に至るほど業績を悪化させると,信用秩序維持能力への疑義を呼び起こすだろう。しかも,この時,財政赤字はおそらく質的には十分な効果をあげること,つまりインフレなき完全雇用の達成に失敗しており,量的には引き締めが出来ずに歯止めなく膨張している可能性が高い。もともとそのような場合にこそ,インフレ対策として金利引き上げへの依存が起こるからである。

 つまり,中央銀行の業績が悪化する場合には,独立性を持った中央銀行による通貨価値の安定と,財政民主主義による完全雇用,経済成長,公共財供給がいずれも機能していないと疑われる状況が発生すると予想されるのである。これは,赤字財政政策が機能しなかった場合の,一つの負の到達点とみなさざるを得ない。経済学においては,財政政策が失敗した場合のリスクとして,悪性インフレという通貨価値の崩壊が古くから認識されている。しかし,それと並んで,中央銀行の独立性と財政民主主義という制度が破綻の危機に瀕することを,想定しておくべきではないか。

 準備預金金利の引き上げは,ただちに経済危機を引き起こすわけではない。しかし,制度の危機に向かって一歩近づくリスクがあることを認識しておくべきではないだろうか。大風呂敷に過ぎるかもしれないが,問題提起としておきたい。


(2)残された課題

 本稿では準備預金付利に考察対象を絞った。しかし,財政赤字に起因する通貨膨張が金融調節に際して中銀にコストとリスクを課す経路は,他にもあると考えられる。例えば,2022年から2023年にかけて急速に膨張した米国のリバース・レポ取引の金利にもそのように考えるべき根拠はある。しかし,こちらは銀行の信用創造とは別に,証券金融による金融仲介が発達したこととも関係しており,財政赤字にのみ出発点を求めることは適当ではないかもしれない。別の機会に論じたい。


※1 「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ,2022年11月16日。


※2 「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ,2022年11月19日。


※3 中銀当座預金が無利子であっても,銀行全体が,自分のポートフォリオ選択によって超過準備を持たなくなることはありえない。ある銀行が,利子のつかない超過準備預金A円を持つことを嫌って別の資産での運用を図るとしようすると,当該資産の売り先にA円が振り込まれ,売り先の取引銀行が持つ準備預金がA円増える。預金が引き出されて現金になることはあるが,銀行セクター全体としての「準備預金+手持ち現金」は増減しないのである。各銀行のポジションの違いにより超過準備とみなされる部分は増減し得るが,銀行セクター全体としての変動幅は一定範囲に収まるだろう。

※4 ここでは金融システムを通した貨幣供給を内生的に理解している。発券集中を伴う管理通貨制において,政府財政を捨象して金融システムのみを考察するならば,預金貨幣は銀行が信用供与したことによって発生するものであり,中央銀行当座預金は中央銀行が信用供与したことによって発生するものである。中央銀行券とは,預金貨幣の一部,またそれと同額の中央銀行当座預金の一部が引出されることによってのみ発行される。

※5 ここでは信用貨幣論に基づいて,財政赤字を政府による自己宛て債務の発行,すなわち通貨供給量(マネーストック)の増大と理解している。国債を銀行が超過準備で引き受けた場合や中央銀行が事後に買い取った場合は,この増大は相殺されないので通貨供給量は増えたままになる。対して,証券会社や法人企業,家計などが買い取った場合には,それによるマネーストック減が,財政赤字によるマネーストック増を相殺する。


2023年5月20日土曜日

「統合政府だから政府債務はプラマイゼロ」論の誤り:加藤出「『2%目標』の妥当性検証せよ 日銀新体制の政策をよむ」によせて

 東短リサーチ社長チーフエコノミスト・加藤出氏による「経済教室」欄への寄稿「「『2%目標』の妥当性検証せよ 日銀新体制の政策をよむ」は,重要な論点を提起している。短資会社で実務に携わって来られたためであろう。多くの学者が見落としていることに気づいているのだ。具体的には,この「経済教室」は,

「日銀が国債で債権を,中央政府が債務を持てば,統合政府としてはプラマイゼロ」

という主張(以下「プラマイゼロ」論)の誤りをはっきり指摘しているのである。

 該当するのは以下の箇所である。「日銀が国債を大量に保有しても、政府と日銀のバランスシートを合わせた「統合政府」の債務は一円たりとも減少しない。民間が保有する国債が減っても、代わりに日銀当座預金(統合政府の超短期の債務)が増えている」。

 なぜそうなるのかを補足して説明しよう。以下は,財政法で禁止されている日銀による国債引き受けを実施した場合でも,現在行われているように銀行が国債を引き受けた後,「量的緩和」と称して日銀が買いオペをした場合でも同じである。

 債権増を(+),債務増を(-)で表すと,「プラマイゼロ」論は,日銀が国債を持てば,

日銀(+) 中央政府(-)

になり,統合政府としてはプラマイゼロだと考える。しかし,そうではない。なぜなら,このとき中央政府は財政支出を行っているので,民間の経済主体の所得が増加し,

民間企業・家計(+)

となっているからである。民間企業は,政府小切手を受け取って銀行に持ち込み,政府からの取り立てを依頼する。あるいは,政府が政府預金をおろし,自ら,あるいは民間銀行を通して民間企業・家計に現金を支給する。手続きはどうあれ,このお金の流れの結果は以下のようになる。

民間企業・家計(+)
銀行(+)(-)
日銀(-)

企業・家計の預金が増える。その分だけ銀行の日銀当座預金も増える。これで銀行はプラマイゼロであるが,日銀にとっては債務増になるのである。

 これを,国債自体に関する債権債務と合わせるとこうなる

中央政府(-)
日銀(+)(-)
民間企業・家計(+)
銀行(+)(-)

 だから統合政府としては,

日銀(+)(-) 中央政府(-)

であって,合算すれば(-)で,債務は増えているのである。具体的には,1)企業・家計が所得の増分を預金で持っていれば,同じ額だけ日銀の超過準備預金が増える。2)企業・家計が一部を預金でなく日銀券で持っていれば,その分だけは超過準備預金の代わりに日銀券発行残高が増える。

 「プラマイゼロ」論者のどこがおかしいかというと,国債の発行と引き受けのところしか見ないところである。政府が赤字支出した結果として民間から統合政府への債権が増えるというところを見落としているのである。

 もちろん「プラマイゼロ」論者が言うように,国債の元利償還については,中央政府が日銀に払い,日銀は黒字が出たら納付金で中央政府に戻される。そこだけ見れば,統合政府の負担はない。また,日銀当座預金が無利子であれば,日銀には利子の負担もない。

 しかし,現在のように,日銀が超過準備預金に付利せずにいられなくなると,話は違ってくる。日銀はゼロ近傍まで金融を緩和する際は,短期金融市場の安定のために超過準備預金の少なくとも一部はプラス金利にせざるを得ない。また金融引き締めの際は,超過準備預金金利を引き上げないと有効な引き締めができない。実際,植田総裁も引き締めは超過準備預金金利引き上げで行うことになるだろうと国会で述べている。

 しかし,このことは当然に日銀のコストになる。加藤氏が言う通り「統合政府の債務の平均残存期間は著しく短期化しており、金利上昇局面がやってきたら統合政府の利払い費は急増しやすい危険な構造だ」ということである。利払いがかさんで日銀の業績が悪化し,債務超過に至れば,政府や国会の側から日銀の経営への疑義が提起される。もともとの発端は財政赤字なのであるが,政府や国会はそれを認めないか,認めるとしても,財政赤字の帰結はすべて自分たちに管理させろ,日銀の独立性など制限せよと言い出すかもしれない。かくて,「中央銀行の独立性と財政民主主義」という組み合わせの制度が揺らいでいく可能性がここにある。その結果は,財政赤字のコントロールが一層難しくなるということだろう。

 種々の「プラマイゼロ」論がいうように,自国通貨建て国債はデフォルトはしない。借り換え続けることも可能である。しかし,何の問題も起こらないわけではない。まともな研究者や実務家ならば,MMT論者を含めて知っている通り,インフレ,バブル,課税能力への疑義による為替下落が起こるかもしれない。加藤氏の議論を借りて私が言いたいのは,それらに加えて,中央銀行制度の動揺に至る可能性があるということなのである。

加藤出「『2%目標』の妥当性検証せよ 日銀新体制の政策をよむ」日本経済新聞,2023年5月19日。

2023年4月30日日曜日

なぜFRBは,MMF相手のリバースレポ取引を通した金融引き締めを行っているのか

1 理解すべき現状

 本稿の目的は,2023年春において,FRBが,MMF相手のリバースレポ取引を通した金融引き締めを行っていることの理由と意義を論じることである。本稿が念頭に置いている事実関係は以下のものである。

・FRBはインフレ対策のため,短期金利(FFレート)の高め誘導を続け,またQT(FRBのバランスシート縮小)を行っている。3月半ばに一時的に拡大したが,その後再び縮小に入っている。
・経営が不安定な個々の銀行のみならず,銀行セクター全体の預金が減少している。
・公社債投資信託の一種であるMMFの残高が拡大している。
・銀行の準備預金が2021年末をピークに縮小している。
・FRBのリバースレポ取引が増加している。(したがい,FRBのバランスシート負債側で準備預金の割合が縮小し,リバースレポ取引残高の割合が拡大している)
・アメリカの通貨供給量は,M1, M2とも2022年半ばから減少している。
・現金流通量は緩やかな拡大傾向であり,3月はやや増加速度が速まった。
・銀行貸出額は2月以降減少している。

 以上の事実関係は,ほとんどはFRBサイトで,またTrading Economicsサイトなどを補完的に使うことで確認できる。

2 預金残高が減って,MMFが増加していることは何を意味するか

 預金残高が減って,MMFが増加していることは何を意味するのだろうか。まず,全体として景気がリセッションに向かう懸念が強まっている上に,速いペースでの金利高騰のために,銀行のポートフォリオ管理が難しくなっている。シリコンバレーバンクに続く銀行の経営破綻への不安も解消されていない。したがい,企業は銀行から借りず,銀行はリスクを取っての貸し出しに慎重である。まずもって,銀行貸出額が減少することにより預金残高も抑制されるのである。

 しかし,預金残高が減る理由はこれだけではない。銀行への経営不安と,預金金利の上昇が公社債金利上昇より遅れることから,預金者は銀行預金を引き出している。そのごく一部は現金で保有され,他の一部はMMFに向かっている。

 ほんらい,貯蓄性預金がおろされてMMFが購入されるだけでは,銀行セクターの預金残高は減少しない。預金者の貯蓄性預金が減り,MMFの運用会社や公社債の売り手の要求払い預金が増えるだけである(大畠,1987)。それでは,いま現実に預金残高が減っているのは,なぜか。理論的に考えられることの一つは,銀行不安の下で,流動性を現金で保有しておこうという指向が強まっているからである。つまり,預金がMMFに化けるのではなく,預金が現金に化けるルートである。しかし,これでは現金のわずかな伸びとMMFの急増を説明できない。

 より説得力がありそうなのは,銀行セクターから脱落した預金がいったん現金となり,MMFを介してFRBに貸し付けられていることである。MMFはFRBのリバースレポ取引の利用額を急増させている。これは,FRBに売り戻し条件付き国債購入,実質的には国債を担保にとっての短期貸し付けを行うことである。形式的にはおそらく銀行(クリアリング・バンク)を仲立ちにするが,実質的にはMMFとFRBの間の貸し借りである。したがい,通貨は預金貨幣→現金→MMFのリバース・レポ取引残高となって,市中から消え,FRBの負債残高になっているのだと思われる。

3 FRBは何を行っているのか

 いま起こっていることの本質は,FRBが銀行とMMF相手に金融を引き締めているということである。先ず注意すべきは,銀行相手の伝統的な金融調節とは異なるルートが生まれていることである。通常,中央銀行は通貨供給量を直接操作することはできず,短期金利を誘導することで銀行の信用創造を間接的にコントロールする。ところが現在FRBがMMF相手に行っているレポ取引は,銀行を実質的に介さずに,直接に金融調節を行うルートとなっている。新たな金融調節ルートが生まれているのである。

 まずFRBは引き締めのためにQTを行う。具体的には保有国債が満期を迎えた時に再度の購入を市中から行わないことで,バランスシートを縮小する。この時,FRBのバランスシート資産側では国債が減る。負債側では直接には政府預金が増減する。国債償還で減少し,FRBが利益を納付することで増加するからである。しかし,政府は再度国債を発行して銀行やMMFに購入してもらうであろうから,結果としては準備預金かリバース・レポ取引残高のどちらかが減ることになる。どちらが減るかは不確定であり,FRBは直接にコントロールできないが,必ず減る。

 またFRBのFFレートに対する金利調節は,超過準備預金金利を上限,リバースレポ金利を下限としている。前者はQTにより高め誘導されるが,後者は市中の翌日物国債レポレートにより定まる(服部,2022)。FRBはMMFとのリバースレポ取引を拡大することで,FFレートの高め誘導を行っていると言える。つまり,QTもリバースレポ取引も金融引き締めの手段なのである。

 FRBがQTを行えば必ずバランスシートが縮小するが,負債側で準備預金が減るかリバース・レポ取引残高が減るかは自動的には決まらない。しかし,MMFとのリバースレポ取引は,FRB自身の意思で量を調節できるはずであり(カネを借りるか借りないかを決める自由はFRBにもあるだろう),これを積極的に拡大することでリバース・レポ取引残高が減らず,銀行の準備預金残高が減る結果を招いている。これが現状だと思われる。ただし,準備預金残高が減りすぎると,FRBの意図を超えて短期金利が急騰する危険がある(Bartolini et al, 2023)。そのリスクはFRBも注視していると思われる。

4 残された問題

 現状は以上のように解釈すると整合的に説明できるが,残念ながら,私の知識では,まだわからないことが二つある。

 一つは,レポ取引やリバースレポ取引にクリアリング・バンクを介在させているのか,介在させているとすればどのようになのかがわからないことである。もともとFRBに口座を開設できるのは預金金融機関だけであり,MMFが開設することはできないはずである(中島・宿輪,2013)。クリアリング・バンクを介在させているならば,まずMMFが銀行に現金を預けて預金し,銀行が現金をFRBに貸し付け,FRBはバランスシート負債側から現金を消去してリバースレポ取引残高に変える,という風になるはずである。しかしこれは,銀行セクター全体として預金が減少していることの説明がつかない。それでは,現状をどう説明するのか。クリアリングバンクの介在が銀行にとってオフバランスになるような実務がなされているのではないかと想像するが,確証が持てない。

 二つ目は,M2の減少の度合いはこれで説明できるかどうかである。もちろん,金融が引き締められているので,預金貨幣が減ることでM1が減ることは説明できる。しかし,アメリカのM2はMMF残高を含んでいる(※)。アメリカのM2では,MMF残高が増えると預金減少がかなり相殺されるはずなのである。例えば,預金者が預金をおろしてMMFを購入しただけでは,預金残高は減らず,現金が増え,MMFも増えるという二重計算が起こる。また,リバースレポ取引でFRBが通貨を吸い上げると,現金流通残高は減るがMMF残高は減らない。このような欠陥があると私には思えるのだが,にもかかわらず,現在,M2が素直に減っていることが,むしろ不思議である。

 以上については,さらなる調査を進めるとともに,金融実務専門家のご教示を賜りたい。

※アメリカのM1(narrow money)は社会全体の通貨量を捉える概念であるが,M2は個人にとっての流動性を合算する概念である。日本の場合,M1,M2,M3は前者,広義流動性が後者である。


5 暫定的考察

 FRBは伝統的ルート,つまり公開市場で形成されるインターバンクレートへの波及をめざしたQTの他に,非伝統的ルートとしてのリバースレポ取引による金融引き締めを行っている。しかも,現時点では後者に熱心であるようにも見える。これはなぜなのだろうか。すでに金融危機であって金融を緩和しなければならない時であれば,まだわかりやすい。レポ取引を通してMMFに信用を供与し,MMFの破綻による信用崩壊を防ぐのである。しかし,引き締めていくときにまでリバースレポ取引を使い,市中のマネーストックを事実上直接吸い上げるのはどういうことなのか。

 現段階での私の理解は,そうしなければFFレートの下限を引き上げらないからだ,というものである。現在のアメリカでは,インターバンク市場からはコントロールできない金融,つまりは銀行貸付ではない証券金融の役割が大きくなってしまった。それは長期的傾向でもあるが,短期的には,コロナ下での金融緩和や財政拡張によって供給はされたものの,増殖機会を見つけられない貨幣,それも企業・金融機関に加えて家計の手元にあるそれが,市中をさまよっているからである。これらの貨幣の動きを政策目標に向かって誘導するために,FRBは,直接の操作に乗り出さざるを得なくなった。それも,金融危機に際して緩和する場合だけではなく,インフレに際して引き締める場合もそうせざるを得なくなった。このように理解すべきではないだろうか。

<参考文献>

大畠重衛(1987)「銀行対証券ー『資金シフト』論から『金融証券化』論への系譜ー」『金融経済』220。
中島真志・宿輪純一(2013)『決済システムのすべて第3版』東洋経済新報社。
服部孝洋(2022)「SOFR(担保付翌日物調達金利)入門 -米国のリスク・フリー・レートおよび米国レポ市場について-」『ファイナンス』2022年3月号。
Bartolini, Steven et al(2023)「量的引き締めの意味合い」ティ-・ロウ・プライスのインサイト米国債券。

※2024年1月26日追記。本稿でのMMFについての認識には誤りが含まれていました。以下で修正していますのでご覧ください。

「MMF再考」Ka-Bataブログ,2024年1月26日。

2023年3月14日火曜日

シリコンバレーバンク(SVB)の破綻:インフレと信用不安のジレンマ

  アメリカのシリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻し,連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれることになった。総資産は2090億ドルであり,2008年以来の大型銀行破綻である(※1)。

 SVBは,スタートアップの成長を見込み,貸し出しを拡大しようとして預金を盛んに集めていたようである。13 日まで判明している限り,少なくとも一部の顧客との契約では,他の金融機関と取引しないことを条件としていた(※2)。ところが預金を集めたはいいが,貸し出し先を見つけられず,資金を不動産担保債券(MBS)で運用していたところ,金利上昇で債券価格が下落した(※3)。同時に,金利上昇で顧客のスタートアップも資金が潤沢でなくなり,預金を引き出す動きが出る。SVBは流動性を確保しなければならなくなった。MBSの含み損の表面化を避けるために短期国債を売却したが,やはり売却損が表面化。これを埋め合わせようと増資を発表したが,このニュースが株価暴落,預金の取り付けを招き,破綻に至ったとのことである。

 預金保険は,本来1口座あたり25万ドルまでしか保護しない。しかし,財務省・FRB・FDICは12日に,同行および同じく破綻したシグネチャーバンクの預金を,本来の預金保険の上限を超えて全額保護するとの内容を含む共同声明を発表した(※4)。信用不安が拡大するのを防ぐためであろう。考えられる限り最も素早い措置であるが,うまくいくという保証はない。

 この出来事は,かねてから予想されていたアメリカ金融政策のジレンマを現出させたと言える(※5)。連邦準備制度理事会(FRB)はインフレーション退治のために,不況になることも厭わず金利を引き上げる姿勢を示してきた。FRBが望んでいたのは,実物セクターの需要減,失業率の上昇,賃金上昇の停止である。しかし,それが実現しないうちにSVBが破綻し,金融セクターへの不安が広まっている。金融セクターでの破綻の連鎖が起これば,金融システムが崩壊し,FRBが最も望まない状態が現出することになる。しかし,本来実物セクターと金融セクターは密接に連携しており,不況を実物セクターのみにとどめるのは容易ではない。FRBは,金利を引き上げれば信用不安が高まり,引き上げを止めればインフレが続くというジレンマに直面している。

 さらに,IMF等によって指摘されているように(※6),金利引き上げは新興国が抱えるドル建て債務を重くしている。信用不安が国際的に連鎖すれば新興国に打撃を与え,その損失がまた,新興国に投資する先進国に打ち戻されることになりかねない。預金全額保護措置が当面は功を奏するかもしれないが,世界的な金融危機に対する警戒は,むしろ高めねばならないだろう。


※1 Natalie Sherman & James Clayton, Silicon Valley Bank: Regulators take over as failure raises fears, BBC News, March 12, 2023.

※2 Rohan Goswami, Silicon Valley Bank signed exclusive banking deals with some clients, leaving them unable to diversify, CNBC, March 12, 2023.

※3 アメリカで資産運用会社を経営するTak(qRealtyPnw)さんのTweet,20223月10-11日。

※4 Joint Statement by the Department of the Treasury, Federal Reserve, and FDIC, March 12, 2023.

※5 「金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済」Ka-Bataブログ,2022年10月20日。

※6 International Monetary Fund, World Economic Outlook: Countering the Cost-of-Living Crisis, October 2022.


2022年12月25日日曜日

ドル高・金利引き上げがもたらす,新興国外貨建て対外債務の危機

 UNCTADの第13回債務管理会議のレポート。多くの国が,パンデミック,地政学的不安定性,気候変動による債務負担に苦しんでおり,そこにアメリカの金利引き上げが追い打ちをかけている。欧米諸国がインフレ退治に集中することが,世界の反対側で公共政策を困難に陥れていることに注意しなければならない。

「国際通貨基金(IMF)の推計によれば,新興国の債務の70%,低所得国の債務の85%が外貨建てである。
 途上国政府は現地通貨で支出し,外貨で借り入れを行うため,この構造では,公共予算が大規模かつ予期せぬ通貨安に大きくさらされることになる。
 2022年11月末までに,少なくとも88カ国が今年になって対米ドル安を経験した。このうち31カ国では,下落率が10%を超えている。
 アフリカのほとんどの国で,このような減価は,アフリカ大陸の公衆衛生支出に相当するほどに債務返済の必要性を増額させると,Grynspan氏は述べた。」

 資本主義は,金と言う世界通貨の現送をなくすことによって,国際金融の規模を拡大した。しかし,そのことにより,国際貿易や貸借や資産保全を特定国通貨建てで行わざるを得ないという矛盾を抱え込んだ。アメリカが自国のインフレを抑制するために金利を引き上げると,途上国の対外債務が増大するのは,この矛盾の表れだ。理想的な国際金融システムがすぐに実現するとも思えないが,現にあるシステムが円滑で平坦で公平なグローバリゼーションをもたらすものではないことは知っておく必要がある。

World leaders call for stronger multilateral solutions to debt crisis, UNCTAD, December 5, 2022.


2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年12月5日月曜日

川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」DP版の公表にあたって

 川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」 をTERG Discussion Paper, No. 469として公開しました。野口先生の一般向け書籍をなぜ取り上げたかというと,以下の点で重要だと考えたからです。

1.CBDCはデジタル化された現金であり,現金通貨と同じ法則性を持つことを指摘したこと。これは本書の重要な貢献です。ただ,せっかくの一般向け書物なので,「CBDCはキャッシュレスでなくデジタルキャッシュである」と「CBDCは取引をキャッシュレスにするのではなく,口座振替をデジタルキャッシュ取引に変える」とはっきり断言して欲しかったです。

2.CBDCは銀行を貸し出し不能またはナローバンクにすると主張したこと。これは本書の問題点であり,批判したところです。そしてこの批判は,野口先生が依拠されている主流の銀行論,つまり預金先行説に対する批判でもあります。CBDCの姿は,貸付先行説で銀行を理解することによって把握可能となります。

 貨幣論の研究の発表の場を,ようやくブログからDPに広げられました。論文まで行けるように頑張ります。

 なお,本稿は2021年12月3日の記事を,原形をとどめないほど大幅に改定したものです。


川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」TERG Discussion Paper, No. 469,1-12。

2022年11月19日土曜日

超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)

1.問題の所在

 前稿では,金利を引き上げると,日銀から日銀当座預金への利払いが増え,場合によっては赤字や債務超過もありうること,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなく営業を継続できるが,信用秩序維持能力の喪失を疑われることはありうること,債務超過を放置できずに政府が補填した場合に,政府・議会からの介入圧力が生じることを述べた。

 本稿は,一歩考察を勧めて,中央銀行当座預金への付利という手法の本質を考察したい。そもそもなぜ,日銀当座預金への利息が問題となりうるのだろうか。日銀当座預金への付利とは,金融システムの抱えるどのような特徴や問題点の表れであり,どのような機能を果たすものなのだろうか。

2.準備預金への利息付与の経過

 準備預金でもある中銀当座預金は,もともと利息が付されてないものであり,またそれが望ましいとされていた(小栗,2017,p. 104)。準備預金は,支払準備のために銀行が積むべきものだったからである。しかし,アメリカと日本では,超過準備への付利がリーマン・ショックの時に始まった(ただし欧州中央銀行❲ECB❳では1999年から準備預金全体に利息が付いていた)。その直接の動機は,金融危機の下で銀行の手元に十分な支払準備を確保すると同時に,中央銀行が短期金利に対するコントロールを失わないようにするためであった。

 リーマン・ショックに際して,各国中銀は緊急融資や債券買い上げによって銀行に豊富な準備を供給した。経済全体にも豊富な流動性が供給されるようにするためである。すると,銀行は超過準備を持つことになり,貸し出し余力をつける。資金ショートの心配はなくなる一方,超過準備に利子がつかないために,そのままでは収益性が低下する。この時,銀行行動は不確定になり,その影響でインターバンク市場が不安定になる。銀行からの資金放出がまったく不活発になって,いざ資金を必要とする銀行が調達不可能になるかもしれない。逆に,資金が大量に放出されて過剰な緩和が生じるかもしれない。各国中銀が超過準備または中銀当座預金に利息を付したのは,直接には,この状況をコントロールするためであった。これらは,ベン・バーナンキや白川方明によって証言されている(白川,2018;バーナンキ,2015,pp. 76-77)。

3.準備預金付利継続の論理(1)長期停滞の下での緩和基調の維持

 しかし,制度の導入時の動機と,その制度が存続して果たしている役割は異なるものである。その後,金融危機が去ってからも超過準備預金への付利は継続されてきた。危機から脱出した後は,中央銀行は超過準備を売りオペレーションによって吸収してもよかったはずである。しかし,結局これが徹底されることはなかった。アメリカで「QEの終了」が言われても,超過準備の徹底吸収がめざされた気配はないし,議論だけで「金融緩和の出口」が目指されてもいない日本ではなおさらである。それはなぜか。

 第一に,リーマン・ショック後も,金融緩和を継続せざるをえないほど,先進諸国において経済の長期停滞が明確だったからである。黒田総裁就任以後に意図的に緩和を行った日本だけでなく,アメリカもヨーロッパも,とても超過準備を吸収しきるほどの金融引き締めを行えなかった。先進資本主義諸国の経済停滞により,各国中銀が金融緩和基調を維持せざるを得なかったこと。これが超過準備の存続の根本理由と思われる。

 金融緩和,もっと言えばゼロ金利と超過準備の維持は両輪の関係にある。もし短期金融市場に十分なプラス金利があって,中銀当座預金に利息が付かないのであれば,銀行は超過準備を保有する動機を持たない(横山,2015,pp.126-131)。資金運用の機会を失うだけだからである。しかし,金利がゼロになれば別である。銀行にとって,超過準備を保有することと,インターバンク市場に放出することが無差別になるからである。しかし,それでは先に述べたように,インターバンク市場が不安定になる。そこで中央銀行は,超過準備,または中銀当座預金全体にかすかに付利することによって,超過準備保有のインセンティブを銀行に与え続けているのである。金融危機ではないときにも,程度はとにかく質的には危機と同様にゼロ近傍の金利を保ち,超過準備保有を銀行に促さざるを得ないほどの長期停滞が生じていたこと。これが,中銀当座預金への付利が継続した経済的背景である。

4.準備預金付利継続の論理(2)国債消化の円滑化

 第二に,国債消化を支え,財政の赤字運営を円滑化するためである。これは,政策当局が目的意識的に行っているかどうかは明確ではないが,事実上そのような経済的機能を果たしているということである。

 ヨーロッパでは国毎にある程度事情が異なるとはいえ,先進諸国政府は21世紀に入ってから財政を赤字基調として,国債による資金調達を行ってきた。これもつまるところは,経済の長期停滞に対処せざるを得なかったからである。

 国債発行による資金調達は,中銀に口座を持つ預金取扱金融機関によって購入される限り,マネーストックを吸収しない(最終的に個人や生命保険会社などが購入する場合は吸収する)。というのは,国債は超過準備によって購入されるからである。一方,政府が赤字支出を行うとマネーストックは増大し,それは銀行預金の純増と,それを反映した中銀当座預金の増加に反映される。なので,国債発行による財政支出では,マネーストックは増大し,銀行全体を通しては超過準備はプラスマイナスゼロとなる(※1)。

 ここで,超過準備はもともと中央銀行によって供給されるものである。そして,国債購入と政府支出の過程で一時的な短期金融市場の引き締まりが起これば,やはり中央銀行が買いオペを行って対抗するだろう。また,中央銀行がさらなる金融緩和を意図する場合や,銀行にとって国債購入が魅力的でない場合には,事後に中銀が買いオペレーションを行うことになるだろう。この場合は,金融緩和と事実上の財政ファイナンスが同時に行われる。超過準備はさらに積みあがるが,ここに利息が付されていれば,銀行はこれを保持し続ける。そして,超過準備の金利を上回る貸し出しを求めて行動することになる。

 このように,国債消化を円滑化すること,具体的には金融を引き締めず,場合によっては一層緩和し,事実上の財政ファイナンスを行いながら赤字財政を実行させることに,超過準備が大いに貢献している。超過準備は,いわば国債を引き受けるためのクッションである。その厚みは,国債を引き受けたことで減少するが,財政支出によって回復する。一層の金融緩和が意図される場合や,国債の魅力に疑念がある場合には,中央銀行が買いオペを行うことで,クッションには一層厚みが出るのである。

5.結論と残された課題

 以上,中銀当座預金への付利とは,直接にはゼロ近傍の金利の下で銀行に過剰準備の保有を促すためものであった。中央銀行がそのような政策に出ることを後押ししたのは,先進資本主義諸国の長期停滞という事態であった。長期停滞のもとで伝統的な金利操作は通用しなくなり,また財政は赤字基調とならざるを得なくなった。この二つの条件の下で,金融緩和を有効に行うための手段として,また国債の円滑な消化の手段として用いられたのが過剰準備だったのである。

 したがって,中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである。これが,付利された中銀当座預金の累積の背後にある経済の実態であり,またこの利払いというコストの本質である。

 次に検討すべきは,このコストが,中央銀行と金融・財政システムの運営にとって支払に値するものであったのか,すなわち中銀当座預金への付利は,金融政策と財政政策を有効に作動させたのか,金融・財政政策を作動させるという便益に見合うコストであったのか,ということである。稿を改めたい。


※1 この理解は通説と異なり,国債発行がカネのクラウディング・アウトを起こさないとするものである。川端(2019.9.5)を参照。

<前稿>

川端望(2022.11.16)「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)。

<続稿>

川端望(2023.7.6)「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html)。


<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf)。
川端望(2019.9.5)「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ( https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html )。
白川方明(2018)『中央銀行:セントラル・バンカーの経験した39年』東洋経済新報社。
横山昭雄(2015)『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社。
バーナンキ,ベン(小此木潔訳)(2015)『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録(下)』角川書店。


2022年11月16日水曜日

日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)

 1.「金融緩和の出口」における日銀の業績悪化とはどういうことか

 2022年現在,日本以外の先進諸国はインフレ抑制を掲げて金利を引き上げつつある。金融緩和を継続する日本銀行についても,出口戦略の在り方が問われている。かねてより日本銀行については,利上げを行うと日銀の業績が悪化し,債務超過もありうるのではないかという問いが提出され,そうした事態が生じる可能性や,それが金融秩序に深刻な脅威となるか否かについて,いわゆる「出口戦略」として議論が行われてきた。

 この問い自体については,すでにいくつかの意見が提出されている。野口(2022.6.23)中里(2022.10.11)木内(2022.11.2)などである。また学術的な検討しては,小栗(2017)等によってなされている。これらをまとめると,以下のような共通の理解が得られる。結局のところ日銀の業績悪化が債務超過に至るかどうかは,利上げの幅次第である。業績悪化をもたらす要因として国債等の資産価格の下落と,超過準備への利払いの拡大が挙げられる。どちらかというと,業績悪化の直接要因となりうるのは後者の方である。国債については,日銀が長期保有するために,直接の損失減となる可能性は低いが,超過準備への付利は,金利引き上げとともに確実に日銀の支払いを増やすからである。ただし,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなくオペレーションを継続できることは,論者の間で見解が一致している。問題は,その時に信用秩序維持能力の喪失を疑われて,円や国債への売り攻撃を招くことがあるかどうかであろう。

2.信用秩序への疑念は,中央銀行の在り方への疑念をも呼び起こす

 ここからは私見であるが,私は日銀が信用秩序維持能力を疑われることはありうるし,それは単に市場心理の問題ではなく,根拠のあることだと考える。それは半官半民の存在であり,また通貨価値維持のために中央政府からの一定の独立性を持つべきとされているという,中央銀行の独特な性質に関係する。

 いま,日銀が債務超過になるほど準備預金へ利払いを迫られるとしよう。日銀は円については支払い不能にならないので,日銀当座預金口座にお金を振り込んで利子を支払うだろう。さらに,銀行が超過準備に対する利子を得たとして,それをさらに超過準備に積み増した場合,利子が利子を生む結果となり,さらに日銀は当座預金を積み増さねばならないかもしれない。債務超過になっても利払いを続ける日銀は,株式会社という観点から言えば不健全であり,経営規律を失っているとみなされる恐れがある。また公的機関としてみれば,日銀の財務的都合だけのためにマネタリーベースを追加供給して銀行の利益に奉仕する状態となっており,有効な金融引き締めを行っているのかどうかを疑われかねない。

 債務超過の日銀をそのまま放置してオペレーションを継続させることは,理論上は可能だし,おそらく日本では法律上も可能である。決算を財務省が承認することも妨げられていない(衆議院議員藤岡隆雄君提出日本銀行が債務超過になった場合の日本銀行法第八条の出資の扱い等に関する質問に対する答弁書,2022年6月24日)。その上,現行の日銀法は政府による日銀の損失補填を禁じてしまっている(旧法では逆で,補填義務があった)。しかし,放置すれば上記の要因により金融不安が高まるかもしれない。さりとて,例外的に交付国債などによる補填を行えば,財政負担が生じるとともに,国会が日銀の在り方について発言する資格があるとみなされるだろう。すると,日銀の独立性は縮減される恐れがあり,その是非が問われてくる。

 つまり,日銀の信用秩序能力が疑われるということは,金融不安を引き起こす可能性を持つとともに,半官半民の日銀の在り方,日銀の独立性の在り方について,疑問を惹起するきっかけとなってしまうのである。

 また,こうした疑念は,実態的な根拠以上に拡大することも十分考えられる。投機家は,自分自身が「日銀に不安がある」と思うからではなく,「多くの投機家が日銀に不安があると思っているだろう」という予想に基づいて行動するものだからである。したがい,円に対する売り浴びせによる為替レートの下落,あるいは日銀の保有資産の主力を占める国債に対する売り攻撃による国債価格の下落,その裏返しとしての長期金利の高騰が生じる危険性はあると言わねばならない。また,続稿で説明するが,こうした事態は,大量の国債発行による財政赤字の累積と同時並行で生じると考えられるので,実体経済におけるインフレーションの発生と同時に進行するかもしれない。その場合は,日銀への不安は引き締め能力への不安という方向で発生し,インフレを加速させるだろう。

 繰り返すが,信用貨幣論を持ち出すまでもなく(※),すべての論者が一致しているように,日銀は債務超過となっても円について支払い不能になることはあり得ない。しかし,日銀の信用秩序維持能力に疑念が持たれることはあり得る。その疑念は実態的根拠を持つし,また実態的根拠以上に拡大し得るものである。また,日銀の,半官半民という性格と政府からの独立という正確にたいする疑問を惹起しかねないものなのである。したがって,「出口」において,日銀の支払い不能を懸念する必要はないが,信用秩序維持能力に対する疑念が発生した場合について考えておくことは必要であろう。

3.そもそもなぜ付利を続けているのか

 以上が,日銀の業績悪化に伴って生じる事態への,いわば予想である。しかし,真に考えるべき問題は,この先にある。そもそもなぜこのような問題が生じるかである。2008年までは日銀当座預金には利息が付されていなかった。超過準備に付利し,その超過準備が膨れ上がっているからこそ,こうした問題が生じるのである。それでは,日銀を含む先進諸国の中央銀行は,なぜ超過準備(または中銀当座預金全体)に利息を付与するようになり,今も付与し続けているのであろうか。これを,より深く掘り下げて考えることが本題である。続稿にて論じる。


※信用貨幣論によって,日銀が円について支払い不能に陥らない理由を述べると,「管理通貨制度のもとでは,日銀当座預金と日銀券(ベースマネー)よりも高度なお金が,国内にはないから」となる。資本主義経済における貨幣の主力は,正貨と信用貨幣である。貸したお金の回収が危なくなるときの人の行動原理は,「もっと信用の高い債務証書(手形)をよこせ。それもないなら正貨をよこせ」である。会社の手形が不渡りになりそうだったら,いますぐ銀行預金に振り込んで返せとか日銀券で返せなどという。企業の手形より銀行預金(銀行の手形)や日銀券(日銀の手形)の方が信用があるからだ。銀行の経営が危なくなったら,預金をおろして日銀券に換えようとする。その銀行の預金(銀行の手形)が信用できなくなって,日銀券(日銀の手形)を求めるのである。もし金本位制であって金兌換が可能ならば,銀行券や日銀券が信用できないと思ったら金に換えろと要求するだろう。

 管理通貨制度では,このうち金兌換が停止される。日銀の信用に不安があっても,日銀当座預金と日銀券しかとりたてようがない。そして,日銀は日銀当座預金と日銀券はいくらでも作り出して支払うことができる。なので,たとえ債務超過になっても日銀は倒産せず,営業を継続できるのである。

<続稿>

川端望(2022.11.19)「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post_19.html

<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113( https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf )。
木内登英(2022.11.2)「FRBの損失発生は利上げを制約するか:損失は日銀の正常化実施の障害となるか」NRIコラム( https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2022/fis/kiuchi/1102_2
中里透(2022.10.11)「日銀はなぜ利上げをしないのか――マイナス金利について考える」SYNODOS( https://synodos.jp/opinion/economy/28365/ )。
野口悠紀雄(2022.6.23)「日本銀行が利上げで数十兆円の「債務超過」に陥ると何が起きるのか」DIAMOND online( https://diamond.jp/articles/-/305209 )。

2022年10月24日月曜日

アメリカの金利引き上げが度を過ぎれば世界の脅威に:ドル高円安の背後で進行している本当の危機

日本では円安を嘆く声が広がっている。目の前の苦痛を嘆くのは当然だが,その背後でより深刻な事態が進行していることを看過してはならない。ここでは,以下のことを述べたい。

1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない
2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある
3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である


1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない

 日米の金利差がドル高円安の要因だとよく言われるが,これは不正確である。なぜならば,海外事業への投資と異なり,金融商品への投資は極めて高速にポートフォリオが入れ換えられて,調整されるからである。金利差への適応は短期間で終了し,何か月も続くことはあり得ない。そして,通貨の間には為替リスクがあり,各国金融市場への評価の違いがある以上,金利裁定が終わり,ポートフォリオが入れ換えられた後も金利差は残るのである。入れ換えが終われば,そこから先は金利差があっても為替相場は動かない。

 だから,現にドル高円安が起こっているのは,金利差それ自体ではなく,今後の金利差に関する持続的予想のためである。つまり,投資家たちの「今後も日米の金利差は開くだろう」との予想が続いているために,ドル高円安が継続しているのである。


2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある

 上記の予想は,日本側の要因とアメリカ側の要因が総合されて成り立っている。日本側については,「日銀は今後も金利を引き上げずに,低位に維持しようとするだろう」という予想が成立している。他方,アメリカ側については「FRBはインフレ対策のために今後も金利を引き上げ続けるだろう」という予想が成立している。ドル高円安を招く要因は,日本側とアメリカ側,それぞれにある。


3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である

 このうち日本側の要因の背後にある問題は,低成長の持続であり,コロナ後の経済回復が弱く,賃金が上がらず,金融引き締めが適さない状況であることである。そのため,その解決は日銀の金融政策ではなく,政府による国民生活救済策,それに必要な所得再分配,そして供給サイド強化策である。このことは,すでに述べた(※1)。

 ここで問題にしたいのはアメリカ側の要因である。アメリカのFRBが自国のインフレ対策を行うこと自体はもっともである。しかし,FRBは,明らかに不況という代償を省みずに金利を引き上げ続けている。これは身勝手と言わざるを得ない。アメリカは世界の金融センターであって,ドルは基軸通貨だからである。アメリカが,不況という代償を払うほどの金利引き上げを行なってインフレ鎮静化を実現する時,ドルで国際取引を行っている他国はどうなるのか?とくに途上国の対外債務はどうなるのか?ここにこそ真の問題がある。

 幸か不幸か,これまでのところドルは途上国よりも先進国通貨に対して切り上がっている。これは上述した日本独自の低血圧的状況と,ウクライナ戦争をきっかけとしたヨーロッパ経済の急減速によるものだ。しかし途上国通貨に対しても切り上がっていることには変わりはない。「あまりにも多くの低所得国が過剰債務に陥っているか、陥りかけている。ソブリン債危機が相次ぐことを回避するためには、最も影響を受けている者を守るために主要20か国・地域(G20)共通枠組みを通じた秩序ある債務再編における進展が急務だ。直に時間がなくなるかもしれない」(IMF経済顧問兼調査局長ピエール・オリヴィエ・グランシャ)(※2)。

 危機はどこから発火するかわからない。イギリスの国債市場不安に見られるように,先進諸国が発火点になることもあり得る。問題は,どこから発火しようと金融グローバリゼーションのために燃え広がることである。念のため,その際に予想される最悪の行為を想定しておかねばならない。それは,危機がアメリカ以外のどこかで生じたときに,FRBが,アメリカとは関係ない話だとして金利引き上げを続行し,政府も事態を見過ごすことである。これこそ,世界を金融危機に陥れる行為である。国際機関と各国は,FRBとアメリカ政府が,「アメリカのインフレのこと以外は考えなくてよい」という,自己中心的見解で行動しないように,監視,助言,批判を行うべきだろう。アメリカに警戒の目を向けるべき時である。

※1 「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。

※2 ピエール・オリヴィエ・グランシャ「世界経済の雲行きが悪化し始めた今、政策当局者にはしっかりした舵取りが求められる」IMFブログ,2022年10月11日。


2022年10月20日木曜日

金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済

 IMF「国際金融安定性報告書」(2022年10月版)要旨より(日本語公式テキスト。明らかな誤字のみ修正)。

「国際金融環境は今年,著しく引き締まり,これを受けマクロ経済のファンダメンタルズが弱い新興市場国やフロンティア市場国の多くで資本流出が見られる。経済・地政学的な不確実性が高まる中,投資家のリスク選好度は9月に大幅に低下した。状況はここ数週間で悪化しており,システミックリスクの主要な指標となるドルの調達コストやカウンターパーティの信用スプレッドなどが上昇した。金融環境が無秩序に引き締まるリスクがあり,長年にわたり積み重なった脆弱性により変動がさらに高まる恐れがある。」

IMF「世界経済見通し」(2022年10月版)第1章より(DeepL翻訳を推敲した拙訳)。

「ウクライナ戦争は,いくつかの新興市場や途上国のソブリン・スプレッドの拡大を促した。この拡大は,パンデミックによる記録的な債務に起因する。インフレが高止まりすれば,先進国のさらなる政策引き締めが,新興国や途上国の借入コストに圧力をかける可能性がある。一部の大規模な新興国経済は,良好なポジションにある。しかし,ソブリン・スプレッドがさらに拡大した場合,あるいは現在の水準が長期にわたって続く場合,多くの脆弱な新興国や途上国,特にエネルギーや食料価格のショックで最も大きな打撃を受けた国にとって,債務の持続可能性が危険にさらされる可能性がある。(中略)資本流出の急増は,多額の対外資金需要を抱える新興市場経済や途上国経済にも苦境をもたらすかもしれない。これらの経済圏で債務危機が拡大すれば,世界の成長に大きな打撃を与え,世界的な景気後退を引き起こす可能性がある。さらにドル高が進めば,債務危機の可能性はさらに高まる。新興国や途上国の通貨安は,多額のドル建て純債務を抱える国々のバランスシートの脆弱性を誘発し,金融の安定に直接的なリスクをもたらすかもしれない。」

 コメントする。

 2020-2021年のコロナ・パンデミックにおいて,突如として経済活動の停止に直面した各国は,そろって金融を緩和し,国債を発行して財政を拡大した。アジア経済危機や世界金融危機にそれなりに学んだ国際機関と諸国の中央銀行・政府が,経済危機下において流動性を供給し,弱者を保護しなければならないという政策規範を持つようになっていたからだ。そして,不幸中の幸いというべきか,世界信用恐慌を防ぐことには成功した。

 しかし,金融緩和と財政拡張は,実体経済が停滞した分だけ,株式や国債への資金集中をもたらした。金融商品は,停滞した実体経済の実力以上に買われたと言わざるを得ない。各国政府は,足並みをそろえて株式バブルと国債バブルを起こし,それによってなんとか世界経済の崩壊を防いだのだとも言える。

 その代償は,経済回復とともに進行するインフレーションだった。そこに終わらないパンデミック,熱波や干ばつ,そしてロシアのウクライナ侵略を起点とした通商分断が追い打ちをかけている。世界の金融センターであるアメリカとEUは,自国・地域のインフレ沈静化を何より優先し,金利を継続的に引き上げている。またイギリスのような混乱はあるものの,財政を全体として引き締めている。しかし,自国・地域のことだけを考えた引き締め政策が,途上国経済や,先進諸国を含めて世界に存在している金融的に脆弱な分野・人々を直撃することになる。問題は各国のインフレだけではない。ディマンド・プルインフレより不況が問題な中国や日本にしても,自国の不況だけが問題なのではない。リスクは世界規模で存在する。

 2022年現在,パンデミックの最悪期と異なり,需要は回復し,経済活動は再開されている。他方,パンデミック期に撒布されたマネーは,行き先を求めている。多少なりとも盛り上がった活動にマネーが集中してブームを引き起こせば,それが引き締めによって崩壊したときの衝撃もまた大きい。どこかでの局地的なショックが,世界的な株式・国債バブルの崩壊と金融危機を引き起こしかねない。

 危険は広く存在している。しかし,どの地域のどの分野にもっとも脆弱なポイントがあるのか。どこの小さな崩壊が大きな崩壊につながる恐れがあるのか。イギリスの見当はずれの財政政策に対する債券市場の反応か。中国の不動産不況が予想以上に深いものであることか,またもアメリカの住宅市場の停滞か,どこかの株式市場の暴落か,どこかの途上国で生じる民間もしくは政府の外貨建て債務のデフォルトか,それはあまりに予想しがたい。燃料はばらまかれているのだが,どこに偏っており,加熱したときにどこに火が点くかはわからないのである。

 そして問題なのは,金融危機に火が付きかけた時に,マクロ経済政策がどう対処すべきかだ。繰り返すが,アジア経済危機以来の教訓は,金融危機時に引き締めを行ってはならないということであり,それはもっともなことだ。しかし,現在,日本を除く先進諸国はディマンド・プルの貨幣的インフレに直面しており,中国を除く途上国も同じである。金融危機が生じれば流動性を無制限に供給し,弱者を救済する以外にまともな道はないが,それではインフレに火をくべることになる。さりとて,現在のようにインフレ抑制優先の引き締めを危機が発生した際にも続ければ,危機は加速する。これは,アジア金融危機やリーマンショックの時にはなかったジレンマである。世界経済はリスクの高まりと政策的ジレンマに直面しつつある。


IMF「国際金融安定性報告書 高インフレ環境の舵取り」2022年10月。

IMF「世界経済見通し 生活費危機への対処」2022年10月。


2022年9月28日水曜日

欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か

 2022年9月現在,西欧諸国・アメリカと日本は,いずれもインフレーション対策に追われている。しかし,インフレの性質は異なっており,したがって必要な対策も,その難易度も異なっているように見える。欧米と日本では,どちらのインフレ対策の方が難しいだろうか。私には,おおむね欧米の方が難しいが,ある一点だけ日本の方が苦しいように思える。この投稿の目的は,インフレ対策というレンズを通して,当面のマクロ経済政策の望ましい方向を探り,とくに日本に独自の課題を考えることである。

1.欧米のインフレ対策:アメリカの事例を中心に

 欧米のインフレは,以前に書いたように(※1)1)自立的好況による物価上昇,2)コストプッシュによる物価上昇,3)財政赤字による通貨投入が引き起こすインフレ(ほんらいの意味の貨幣的インフレ)の3種混合である。1)と3)について別の言い方をすると,両者結合してディマンド・プル・インフレ,価格・賃金スパイラルを昂進させている。

 これにマクロ経済政策で立ち向かうことは,種々のジレンマを伴う。

 1)金融引き締め。好況の行き過ぎによる投機的需要を冷やすのには効くが,FRBも認めているように,景気自体を落ち込ませる危険性が高い。その場合,コロナ禍で広がった資産・所得格差をさらに大きくして低所得層を直撃する。もともと,貨幣的インフレで投入された通貨は金融引き締めでは回収できないので効果がない。無理に効果をあげようと金融を過度に引き締めれば,一層の不況をもたらす(この場合も,財政で投入された資金は貯蓄として眠るだけで回収はされない)。

 2)引き締めと拡張を混合させた財政政策。意図的にネジレを持たせた複雑な対応が必要になる。すでにバイデン政権がインフレ抑制法(8月16日成立)で行なっている方策がその例である(※2)。まず全体としては貨幣的インフレを抑制するために,財政を引き締め気味にして,コロナ禍で散布された通貨を回収する必要がある。ただし,コロナ禍で格差が拡大しているので,再分配を同時に強めねばならない。そのため,バイデン政権は富裕層増税,法人税の最低基準設定,自社株買い戻し課税などを行っている。

 一方,コスト・プッシュ・インフレ対策としては,生活コストを抑えるとともに,国内の供給能力を量質ともに上げねばならない。それによって輸入に依存する食糧やエネルギーの価格を抑制するのである。バイデン政権の場合,クリーンエネルギーや電気自動車(EV),省エネ機器を購入する家計にリベート支給や税額控除を行ない,医療保険やメディケアの国民負担を引き下げるとしている。ただしこれらは財政支出を増やすことになるので,全体としての引き締め傾向を損なわないように行わねばならない。バイデン政権は,全体として財政赤字は3000億ドル以上削減する意図である。

3)欧米のインフレ対策の複雑さ

 以上のように,金融政策に依存すればインフレ抑制の代償としてただちに不況をもたらす。財政政策でインフレ抑制と国民生活支援を両立させるためには,課税強化部面と支出強化部面を適切に使い分けねばならず,その調整が容易ではないのである。ジョセフ・スティグリッツ教授はインフレ抑制法を「インフレだけでなく,経済や社会が長年直面しているいくつかの重要な課題に対応する内容」と高く評価しているが(※3),共和党はインフレ抑制に効果がないと攻撃しており,その行方が注目される。

2.日本のインフレ対策

 対して日本のインフレは,もっぱら2)コスト・プッシュ・インフレである。長年の超金融緩和に加え,コロナ禍で相当な財政支出を行ったにもかかわらず,1)3)によるディマンド・プル・インフレが一向に起こらないところが独特である。

 ということは,インフレ対策もコスト・プッシュ対策に絞ればよいということになり,実は欧米よりも取るべき政策は単純になる。

 1)まず金融政策である。「超」金融緩和政策は見直されるべきであるが,金融を「引き締め」てはならない。

 超金融緩和政策は,もともと景気対策としては誤っていて需要拡大に結び付かないし(※4),最近の投稿で述べたように長期的に日本経済の供給側も弱めるという弊害があった(※5)。ただし,コロナ禍では期せずして無制限流動性供給策となり,短期的に役に立ったことは公平のため述べておくべきだろう。それも,コロナ対策がウィズコロナに切り替わるために意義を持たなくなりつつある。

 よって,「超」金融緩和策は見直されるべきである。ただし,欧米のように金融「引き締め」を行ってはならない。なぜならば,日本の景気は過熱してもいないし,財政赤字で撒布された資金が企業・店舗の設備投資や個人消費に回って物価を押し上げているわけでもないからである(この夏にリベンジ消費ブームが起こる可能性はあったが,第7波で吹き飛んだ)。

 したがい,「超」金融緩和を,超のつかない金融緩和にするくらいが妥当であろう。具体策には,コロナ禍対策の無利子・無担保融資支援の終了(これは日銀もすでに表明したが,賛成である),短期金利のマイナス誘導と長期金利のゼロ誘導中止,ETF購入の中止と債券購入に移行しての購入規模縮小,0.25%での指値オペの縮小を,金融市場へのショックに注意しながら行うことである。そして短期金利をゼロ水準まで戻し,それ以上は引き締めない程度が適当であろう。

 2)次に財政政策である。日本ではコロナ禍のような財政拡張は中止すべきだとしても,欧米と異なり財政全体を引き締めるべきではない。貨幣的インフレが起こっていないからである。それどころか,長年政府・日銀が熱望していたように,需要増大によるゆるやかな貨幣的インフレを起こす方が望ましい状態は何も変わっていないのである。

 これまで繰り返し主張してきたように,政府・日銀の誤りは,リフレーション理論,すなわちゼロ金利下でも,貨幣的インフレと好況を金融政策単独で起こせるという考えにある。この誤った金融政策への依存を止めねばならない。かわって必要なのが財政政策である。この構図はアベノミクス期以来何も変わっていない(※6)。

 ただし,コロナ禍で撒布された財政資金は,企業・家計の手元に眠ったままであることには注意が必要である。これが一気に財・サービスに買い向かえば行き過ぎたディマンド・プル・インフレへと逆転する。したがい,財政全体としては,プライマリーバランス均衡目標を放棄し,コロナ以前程度の財政赤字水準で管理するくらいがよいだろう。

 そして,生活支援と再分配の強化が必要である。コロナ禍と異なるのは,支援対象を「企業・営業」ではなく,「国民生活」にし,需要を維持することによって営業も支援するという姿勢に変えることである。岸田内閣による低所得層への一時金は悪くはないが,より体系的に税制を改正すべきだろう。具体的には,所得税の累進性を1980-90年代に実施されていた程度に戻し,非課税の低所得者には逆に現金を給付するマイナスの所得税を設定すべきだろう。またバイデン政権の政策を参考にし,自社株買い戻しやキャピタル・ゲインへの課税を強めることも,実行可能な範囲だろう。これ以上のインフレとなれば,消費税減税も視野に入れるべきだ。

 供給力強化も必要である。2021年以来の国際価格高騰とウクライナ危機を踏まえれば,エネルギーの効率的国産化は急務である。建物の省エネ化補助は,費用対効果の高い温暖化対策であり景気対策になる。再生可能エネルギーに対する補助を,場当たり的なものではなく地域環境と両立するものにし,洋上風力と,建物屋上の太陽光発電設置を支援することも現実性は高い。

3)日本のインフレ対策の単純さ

 このように,日本のインフレ対策は,1)金融政策は「超」金融緩和から「超」を取るだけでよく,景気を犠牲にして物価を抑える理不尽を必要としない。2)財政も緊急の引き締めを必要としない。この2点において,ほんらい欧米よりも単純であり,犠牲の少ない形で実行可能なのである。

 インフレ時に金融・財政を引き締めないのはおかしいとの意見があるかもしれないが,それはインフレの性質を見誤っているからである。日本の景気は過熱しておらず,ディマンド・プル・インフレの指標である賃金上昇はかすかにしか起こっていない。そのため,引き締める必要がないのである。緩めの金融によって景気が上向き,緩めの財政によって家計の実質購買力が上昇するならば,たとえ物価上昇率がさらに上がっても,その方が望ましいと考えるべきである。

4)日本独自の困難:賃金の上がりにくさ

 しかし,日本のインフレ対策には,唯一,欧米と真逆の困難が存在する。それは,賃金の上方硬直性,すなわち上がりにくさである。2022年春闘の主要企業賃上げ率は2.0%に過ぎなかった(※7)。2022年7月確報の所定内給与上昇率は一般労働者1.1%,パートタイム労働者2.5%に過ぎない。所定外給与がそれぞれ4.7%,14.0%上昇して人手不足は起こりつつあるが,所定内給与への反映が十分ではない(※8)。最低賃金は引き上げられているものの,時給1000円を超えているのは3都府県のみである(※9)。

 日本の賃金は労働市場の需給関係にはさすがに反応するが,労働運動が極度に弱体化しており,また民間大企業の企業内労組が正社員しか組織していないうえに,経営業績に過度に忖度するため,相場づくりができていない。

 このため,金融・財政政策を適切に行っても,なお物価の先行上昇が賃金に波及しにくく賃金圧力が先行しての賃金・価格スパイラルは到底生じないのである。1970-80年代には,日本的労働慣行は,賃金・価格スパイラルが悪性インフレを後押ししてしまう欧米と異なる日本経済の評価すべき点とされていたが,ここに来てまったくのマイナス要素となっている。

 この賃金の上方硬直性については,インフレ対策のような短期のタイムスパンで対処できることは少なく,最低賃金の継続的引上げと地域間均衡の促進,労働行政強化によるコンプライアンス強化くらいかもしれない。それ以上は,どうしても労働市場と雇用慣行の改革が必要であろう。


※1 「『金融引き締めによるインフレ抑制』で何が起こっており,何が犠牲にされているのか」Ka-Bataブログ,2022年9月5日。

※2 「バイデン米大統領、インフレ削減法案に署名、中間層に成果アピール(米国)」JETROビジネス短信,2022年8月17日。

※3 「スティグリッツ氏 米インフレ抑制法が大きな意味を持つ理由」日経ビジネス,2022年8月24日。

※4 「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。

※5 「超金融緩和が日本経済に引き起こした矛盾」Ka-Bataブログ,2022年9月27日。

※6 この点に関する限り,常識的な経済理論よりMMTの方が正しいと私は考える。以下の対比を参照。「MMTと常識的な経済学とでは,ゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。

※7 厚生労働省「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」を労働政策研究・研修機構サイトで確認。

※8 厚生労働省「毎月勤労統計調査 令和4年7月分結果確報」。

※9 厚生労働省「令和4年度地域別最低賃金改定状況」。


2022年9月27日火曜日

超金融緩和が日本経済に引き起こした矛盾

  円安下のコスト・プッシュ・インフレのもとで,日本銀行は超金融緩和の継続を宣言している(※1)。ここでは,超金融緩和が継続されたことによって日本経済がどのような影響を蒙っているかを,やや長期的な視点から考えたい。とくに「矛盾」という切り口を重視したい。超金融緩和からの出口について,竹を割ったようなすっきりした主張が出てきにくいのは,それが「あちら立てればこちら立たず」という矛盾を引き起こしているからである。それ故,解決にはひと工夫もふた工夫も必要であるが,まずこの矛盾の所在を明らかにしなければならない。以下は,まだ裏付けが十分でないところもある試論である(※2)。

1.超金融緩和がなければ成り立たない低収益・ローリスクの事業によって雇用が底支えされるという矛盾

 日銀の超金融緩和は,金利水準の面から言えば短期金利をマイナス,長期金利をゼロに誘導しようというものである。しかし,これが,本来望んだ効果,すなわち実質利子率を下げることにより企業の実体経済への投資を促進して生産と雇用を拡大し,物価上昇と賃金上昇の好循環としての緩やかなディマンド・プル・インフレを起こす,という結果に結びついていない。それどころか,黒田総裁の「異次元緩和」から起算すれば約10年,事実上のゼロ金利から起算すれば実に四半世紀に及ぶこの超緩和策は,元々想定していなかったような企業行動の歪みを発生させている。

 主要な歪みの一つは,超金融緩和の下でしか存続できないような,収益性もしくは成長性の低い事業投資の保護である。いくら金利を引き下げてもディマンド・プル・インフレが起きないことで,いわゆる「自然利子率」の低迷と指摘されている。これは,低金利の下でも,事業投資が拡大して,モノや人の奪い合いとなり,インフレとなるようなことが起きていないという現象を解釈する用語である。著しく引き下げられた現行利子率でも純投資が拡大しないのは,国内市場での販売見込みと期待収益率に企業経営者が確証を持てないからである。投資決定は不確実性があるため,金利の上昇・下降に対して投資決定の拡大・縮小が素直に対応するかは断定できないが,金利がより引き上げられれば,さらに投資が減退する恐れはある。裏返すと,現に行われてきた純投資プロジェクトが,金利が過度に低く抑えられている環境の下では成り立つが,そうでなければ利益を生まない,あるいは当初の利益は小さくてもその後成長するという見通しを持てないようなものへと,つまりは低収益またはローリスクなものに偏っている恐れがある。これを直接観察できる指標は少ないが,間接的には生産性向上率の低下と潜在成長率の継続的低下から読み取ることができる。

 この問題の解決は一筋縄ではいかない。それによって,多くの雇用と所得が支えられているからである。その規模は実証的研究にて確かめねばならないが,一定規模に達することは十分予想できる(※3)。

2.まともにくらすためには時給1500円が必要だが,より低賃金で成り立っている企業が多いという矛盾

 収益性や成長性の低さは,別の面からも察知できる。今日,全労連等の労働組合が指摘するように(※4),20代の単身者が憲法の求める健康で文化的な最低限度の生活を送るためには,時給計算で1500円の賃金が必要である。したがって,全国一律最低賃金1500円を支給せよという要求はもっともである。ところが,これは東京都の最低賃金1072円(2022年10月1日改訂)の1.4倍であり,最低水準の都道府県の853円の1.8倍なのである(※5)。

 直ちに時給1500円を支給すれば経営困難に陥るか,事業を縮小して雇用を削減するような企業が,中小零細企業を中心に多いことも,その詳細は実証研究にて確かめねばならないとしても,まずまちがいない。この中には,通常の意味で生産性が低い企業の他に,下請けシステムの下で低収益を強いられている企業や,自営的経営のために低賃金・低生産性でも存続能力が高い企業があることも問題を複雑にしている。しかし,非正規雇用を含む低賃金によって事業を成り立たせ,低賃金と引き換えに雇用を維持している低収益の企業が広範に存在していることは疑いえない。

 そして,問題は,これらの企業の事業投資のうちいくらかが,超金融緩和措置ゆえに成り立っていると考えられることである。金利が引き上げられればさらに収益性が悪化することはすぐにわかる。この意味で,超金融緩和策は,低収益の事業投資を保護することで,低賃金の企業ーー経営と雇用を維持を目的にやむを得ずそうしている経営者もいれば,人権無視のブラック労働を平然と課す経営者もいるだろうーーを成り立たせており,つまり低賃金と引き換えに雇用を維持している可能性がある。

3.暫定的評価

 超金融緩和策は,投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環という,所期の目的をまったく達成していない。むしろその作用によって,以下のような矛盾を引き起こしている可能性がある。

 超金融緩和策は,その下でしか成り立たない,あるいは賃金を抑えることによってしか成り立たないような事業,したがってその事業を行う企業を保護している。超金融緩和は,これによって日本経済の供給側のパフォーマンス,つまり高い生産性で財・サービスを供給し,高い賃金を支払い可能にする能力を長期的に悪化させている。また需要側のパフォーマンス,すなわち投資と消費の水準を双方とも弱々しいままに停滞させている。しかし,複雑なのは供給の上限と需要との関係である(図。著者作成)。供給パフォーマンスの悪化は,潜在GDPに一応表される供給の天井が伸び悩むことを意味する。他方,現実のGDPは需要不足によりこれに及ばない。両者のギャップが,すなわちGDPギャップが存在する時,失業や不安定就業や設備遊休が生じる。


 超金融緩和下の日本では,供給の上限を引き上げていないからこそ,需要が弱くとも不況が激烈にならずにすんでおり,需要を弱々しいなりに一定水準から底割れさせないようにしていると考えられるのである(※6)。

 目的を達成していない以上,超金融緩和策は見直されねばならない。タイミングとしては,円安よりもコロナ禍のウィズコロナへの移行が重要である。コロナ禍では,企業・店舗の大量倒産・廃業を避けるために,流動性供給が重要であった。そのため,超金融緩和が一時的に功を奏した面があったことは否定できない。よって,コロナ禍のウィズコロナへの移行こそが,超金融緩和の見直し時期としてふさわしいのである。

 しかし,超金融緩和を単に中止すれば,少なくとも一時的に多くの事業,したがって企業を不採算に陥らせ,雇用を縮小させる恐れがある(※7)。これまでと逆に,金融を引き締めればよいという単純な話にはならない。そもそも景気に対する調整の役割を金融政策だけでは果たすことができないのに,無理に過大な役割を持たせようとしたから問題が起こったのである。超金融緩和策の見直しに際しては,一時的な激変緩和措置を講じるとともに,実際に投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環をもたらすような別の政策を開発し,ただちに実施していかねばならない。インフレの問題を考慮したうえで,別途論じたい。


※1 日本銀行「当面の金融政策運営について」2022年9月22日。

※2 河野龍太郎『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』慶應義塾大学出版会,2022年は,論旨が錯綜している印象を受けるものの,ここでとりあげた論点については,共有できる主張を含んでいる。

※3 なお,もう一つの歪みは,企業の実物資産への純投資の停滞と金融資産へのシフトである。日本企業は,全体として有形固定資産への投資に積極的でなく,国内では実物資産の組み替え,すなわちM&Aによる企業や企業集団の再編成と金融資産への投下を増やし,実物資産への投資は海外で増やしている。これは資産構成の推移から読み取れる。なお,この他にIT投資への消極性がみられることはしばしば指摘されるとおりである。

※4 「最低賃金」と「生計費」が5分でわかる!全国一律の最低賃金1,500円を勝ち取って格差解消&「普通の暮らし」の実現へ!」全労連ウェブサイト。

※5 厚生労働省「令和4年度地域別最低賃金改定状況」。

※6 なお,ここで述べたことと矛盾するように見えることがある。それは,日本企業全体の収益性は,指標によっては高成長期より低下しているものもあれば,低下していないものもあるということである。例えば,総資本営業利益率は低下しているが,総資本経常利益率は低下していない。自己資本当期利益率は低下している。売上高営業利益率は製造業で低下し非製造業はむしろ向上しているが,売上高経常利益率は圧倒的に向上している(「法人企業統計調査からみる日本企業の特徴」財務省財務総合政策研究所,2020年5月)。
 低収益・ローリスクの事業に投資が偏っているのに,収益性指標は見方によっては悪くないというこの事態は,以下によって説明できる可能性がある。1)日本企業全体の収益率が金利低下や金融資産肥大化でバブル的に底上げされていて,実物資産の収益性は全体として低い。2)事業投資の間の収益格差が広がっていて,超金融緩和で超過利益を上げる事業もあれば辛うじて救済される事業もある。3)労働分配率の抑制によって利益率が引き上げられている。
 私はいずれも作用していると考えているが,それについて十分なデータと解釈をまだ提示できない。今後検討したい。

※7 ここで私は収益性の低い事業を営む企業を「ゾンビ企業」とは呼んでいないことに注意してほしい。「ゾンビ企業」とは,「淘汰されるべきなのに生き残っている」というニュアンスを含む用語であるが,私はここでとりあげた企業を直ちに淘汰しろと主張したいのではない。むしろ,直ちに淘汰しようとしたら雇用が失われて需要がさらに停滞するという矛盾を直視すべきと言っているのである。

2022年9月5日月曜日

「金融引き締めによるインフレ抑制」で何が起こっており,何が犠牲にされているのか

 1.はじめに

 2022年現在,アメリカのFRBを先頭に,欧米の中央銀行は「インフレを鎮静化させるために金融を引き締めて」いる。日本銀行がその例外とされる。本稿の目的は,この金融引き締めがもたらす効果について理論的可能性を考察し,そこからこの政策を論じる上で必要な観点を見出すことである。

 その際,注意しなければならないことが二つある。ひとつは,2022年現在,先進国で「インフレ」と言われていることの中には,性質の異なる複数種類の物価上昇が含まれているのではないかということである。そのいずれに対しても,金融引き締めは効果を持つのだろうか。もう一つは,金融引き締めは,本当に「インフレを鎮静化させる」効果を持ち,またそれ以外の効果は持たないのかということである。「インフレを鎮静化させるために金融を引き締め」ることは金融政策上の「常識」であるが故に,ほとんど疑われることはない。しかし,落ち着いて理論的に考えてみれば,そこには十分疑いの余地があるのではないかということである。


2.「インフレーション」の種別と2022年における物価上昇の複合性

 日常用語では,持続的な物価上昇はすべて「インフレーション」と呼ばれる。しかし,その中には,異なった作用が含まれている。

a.自律的好況による物価上昇

 端的に,民間経済内で好況期に需要が供給を上回ることによる物価上昇である。銀行による信用創造の拡大を伴う。銀行貸出が返済を上回る状態が一定期間持続することで通貨供給量が拡大する。加熱すれば投機的な見込み需要による物価上昇に至る。需要が強い分野で物価が上昇し,そうでない分野では上昇しないので,本質的に不均等であり,商品間の相対関係も変わる。

b.コストプッシュによる物価上昇

 財・サービスの生産費が上昇し,それが価格に転嫁されることによる物価上昇であり,供給制約による物価上昇である。景気循環の局面に関係なく生じうるので,銀行による信用創造への影響も場合による。やはり抽象モデルであり,現実には相当に異なる経済状況のいずれにも当てはまる。需要超過から始まって,それが原燃料・中間財の生産条件を悪化させるために生じることもあるが,海外から供給される原燃料や食料の生産費高騰が輸入価格上昇を通して国内に浸透することの方が目立つ。後者の場合は,国内の実質的購買力が低下する。商品間の相対関係はもちろん変わる。

c.通貨の過剰投入によるインフレ

 流通に必要な貨幣量に対して,通貨が過剰投入されることによる名目的価格上昇である。いわば貨幣的インフレと言える。金兌換がなされていて公定の価格標準が明確であった時代には,このような物価上昇だけがインフレと呼ばれていた。

 貨幣的インフレは,以前より述べている通り財政赤字によって通貨供給量が外生的に拡大することによって生じる(※1)。ただし,財政赤字なら必ず貨幣的インフレを生じるとは限らない。1)財政刺激によって財・サービスの流通量を拡大すれば生じない。2)財政刺激がさしあたり財・サービスの需要拡大に結び付かずに,貯蓄形成(金融資産形成を含む)に帰結してしまえば生じない。3)財政刺激によって財・サービスに買い向かう購買力が発生し,しかし財・サービスの流通量が拡大しない場合に生じるのである。

 3)は抽象モデルなので,現象的にはまったく両極の経済状況のいずれにもあてはまる。一つの極は好況が完全雇用にまで達してなお財政刺激が行われている場合であり,他方の極は,財政赤字による補助金で企業や家計をいくら支援しても,生産能力がまったく停滞しているような場合である。

 貨幣的インフレは名目的価格上昇なので,本来は商品間の相対関係は変化しない。しかし,政府需要や補助金や給付金などが特定の箇所を起点として社会に浸透していくものであり,また投入された通貨が貯蓄として遊休したり流通に復帰したりすることもあるので,実際には時間をかけて不均等に物価上昇が浸透していく。

 この区別と関連に注目しなければならないのは,2022年現在の先進諸国の物価上昇は,a,b,cのすべてが作用していると考えられるからである。aの好況による物価騰貴にあたるのは,2021年には経済の回復が始まり,先進諸国のGDPはIMFによれば5.2%成長したことである。bのコスト・プッシュにあたるのは,2021年から原燃料・食糧価格の上昇が始まり,ウクライナ戦争と,ロシアに対する経済制裁によって加速したことである。cの貨幣的インフレにあたるのは,コロナ禍に直面して諸国政府がそろって赤字財政を拡張し,多額の給付金や補助金を交付し,また経済回復のための公共投資を行ったことである。


3.3種の物価上昇に対する金融引き締めの作用

 では,この三つが混合した物価上昇に対して,中央銀行の金融引き締め,つまりインターバンク貸付の短期利子率を高め誘導することを通して銀行による信用創造を抑制することは,どのように作用するだろうか。

 a,すなわち好況による物価騰貴に対しては,政策が物価上昇の原因に対して素直に反作用しており,効果が期待できる。好況騰貴は需要超過を信用創造の拡大が後押しすることで生じる。金融引き締めは,この信用創造を抑制して需要を抑制することで物価上昇を抑えるのである。

 超過需要が仮需を作り出すに至り,放置すれば反動で激しい不況が起こりそうな場合には,引き締め政策は望ましい効果を持つ。多くの人々にとって望ましくない仮需による投機と,反動不況の激烈さを抑えるからである。ただし,引き締めが行き過ぎれば需要は冷え込み,失業率が上昇するおそれがある。物価上昇の抑制すなわち需要の抑制である。インフレ抑制の代償が失業であり就業の不安定化である。

 b,すなわちコストプッシュに対しても金融引き締めは効くには効くが,好況騰貴に対してよりもトリッキーな効き方をする。コスト・プッシュによる価格上昇が起こっている場合,元々需要超過が生じているわけではない。これに対する金融引き締めとは,つまり,景気が過熱もしていないのに引き締めるわけである。よって,好況騰貴に対してよりも,激しく景気を落ち込ませる。物価上昇の抑制を優先して,敢えて不況への突入もいとわないという政策になる。物価抑制の代償としての失業や就業不安定化は一層激しくなる。

 c,すなわち貨幣的インフレに対しては,物価上昇の途上では有効である。上昇の途上とは,財政赤字で撒布された通貨が瞬間的に物価を騰貴させるのではなく,いったんは貯蓄として遊休し,徐々に実物経済に回って物価が上昇しつつある過程のことである。この時に金融引き締めを行えば,物価を上昇させるだけの超過需要を抑え,通貨を貯蓄として眠り込んだままにさせることはできるかもしれない。ただし,貯蓄は課税によって回収されない限りなくなりはしない。財政赤字によって投入された通貨は,金融引き締めでは回収できないからである(※2)。貯蓄は,再び実物経済に買い向かう機をうかがいつつ,預金として滞留することもあれば,金融資産に買い向かってバブルを起こすこともあることに注意が必要である。

 そして問題は,貯蓄として眠りこませることが,程よく仮需の抑制につながるのか,ここでも失業をもたらすかということである。これは,元々の財政赤字が,物価上昇を起こすことなく完全雇用を達成できていたかどうかに依存する。完全雇用に近い状態を達成できていたのであれば,さらなる通貨投入によって引き起こされた貨幣的インフレの発生のみを抑制するファイン・チューニングが政策的課題となる。うまくいけば物価を程よく抑えながら完全雇用を維持できる。しかし,元の財政支出の仕方に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレが起こってしまっているかもしれない。この場合,金融引き締めは,ここでもインフレ抑制の代償として失業や就業不安定化を生じさせることになる。

 以上が3種類の物価上昇に対する金融引き締めの効果であり,その代償である。


4.まとめ

 以上のように,物価の持続的上昇,日常用語でいう「インフレ」に金融引き締めで立ち向かうことの作用はさまざまである。まとめるならば,金融引き締めが,その公式の目標通りに物価上昇を抑制して経済の混乱を鎮め,景気循環の振幅を和らげることに寄与するのは,貨幣的インフレや好況騰貴で超過需要が,生産や販売の実質拡大に寄与しない仮需の発生に至っており,これを適度に抑制する場合である。

 ただし,金融引き締めは,多くの場合,物価上昇抑制の代償として失業増大や就業不安定化をもたらす。好況騰貴に対して引き締めが仮需の抑制を通り越して作用した場合,貨幣的インフレにおいて,もともとの財政支出に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレを招いており,これを引き締めで抑制しようとした場合,コストプッシュの物価上昇に対して,景気が過熱してもいないのに引き締めを行った場合である。

 つまり,金融引き締めの犠牲は労働者や,中小零細企業に集中する。しかし,物価上昇の負担は場合による。物価上昇は確かに経済活動全般を混乱させるが,多くの場合,賃金上昇が遅れることにより労働者が損失を蒙る。ただし状況によっては,コスト・プッシュにより体力の弱い企業が損失を被ることもあり,労働市場のひっ迫が激しい場合は賃上げ率の高いセクターの企業が損失を蒙る。物価上昇と金融引き締めの得失は不均等に分布しているのであり,社会全体として望ましいかどうかと,そのために利益と損失が一部に集中していることには共に注意が払われねばならない。

 そもそも論で言えば,好況騰貴やコストプッシュの場合は金融引き締めで通貨供給量を制限することができるが,財政赤字による貨幣的インフレに対しては,通貨量を縮小させることはできない。できるのは,撒布された通貨を貯蓄として眠り込ませることだけである。この因果関係が誤認されていると,政策論議には歪みが生じるであろう。


5.実践的指針

 中央銀行を監視する実践的な指針としては,「インフレを鎮静化させるための金融引き締め」を行うことに対しては,以下の点のチェックが必要であろう。

*仮需の抑制を通り越して不況を誘導していないか。

*雇用を過剰に犠牲にし,労働者や社会的弱者に負担を偏らせていないか。

*そもそも財政拡張を行う際に,完全雇用達成以前にインフレをもたらすような無駄や偏りがないか。

*コストプッシュに対して,引き締めによる需要抑制よりも供給制約の緩和(食糧・エネルギー自給率の向上など)で対処する可能性を提起すべきではないか。

 そして,より根本的には,「インフレ抑制の代償は失業・就業不安定化である」ようなマクロ経済政策の在り方が,本当に唯一可能なものであるのかを問い,代替的政策の可能性を検討する必要があるだろう。


※1 国債が中央銀行引き受けで発行された場合のみならず,民間銀行によって購入された場合にも生じる。この点は以下を参照。「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」Ka-Bataブログ,2020年11月19日(2022年9月5日一部改訂)。

※2 派生的な論点として注意すべきことがある。好況騰貴やコストプッシュの場合は,極論すれば不況によって物価を下落させることも可能だが,貨幣的インフレに対しては,物価上昇を抑制することはできても,いったん上昇した物価を下落させることはできない。貨幣的インフレによって名目的に物価水準が上昇してしまうと,流通する財・サービスの総額自体が膨れ上がってしまう。ここで,仮に課税するなどして,いったん撒布した通貨を流通から引き上げたとしても,物価水準が下落するのではなく,財・サービスを流通させる通貨が不足し,その分だけ銀行からの借り入れ需要が増え,信用創造で通貨が供給されることで補われる。貨幣的インフレでいったん上昇した物価は元に戻らないのである。

2022年6月28日火曜日

安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある

  あいも変わらず「悪夢のような」を繰り返す安倍晋三氏。金融を引き締めたら「『悪夢のような時代』に戻ってしまう」のだそうだ。しかし,悪夢のように忌まわしいのは本当のところ何なのか,誰がどのようにそれを引き起こしたのかを考えてみよう。

 6月20日に投稿したように,日銀はいま,国債買い支え=金融緩和に失敗すれば不況,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちになってしまうという,ジレンマにはまり込んでいる。

 問題はなぜこのようなジレンマに日銀が追い込まれたかである。金利を引き上げられないのは,景気が弱々しいからである。金融引き締めが「悪夢」と安部氏は言うが,わずかな引き締めもできない景気の弱さこそ慢性的な「悪夢」だろう。では,なぜ9年にわたって「量的・質的金融緩和」をしても景気が良くならないのか。欧米の景気は回復しているから,コロナだけのせいではない。

 それは,安倍政権以降の政府と黒田日銀が,あまりにも金融政策ばかりに頼ってきたからである。この10年間,日銀が金融を「引き締めない」ところまではもっともだった。アベノミクス期もコロナ禍でも,引き締めれば景気が悪化するほど需要が弱々しかったからだ。しかし,「緩和する」意味はほとんどなかった。金融政策とは紐であり,引くことはできるが押すことはできない。企業がお金を借りて投資するという引張りがないところで,緩めても意味を持たないのだ。現に,アベノミクス期には緩和してもマネーストックは増えず,需要は増えなかった。

 金融を引き締めれば不況になるが,緩和したところで好況にならない。黒田日銀は,ずっとこのジレンマの中にあったのに,とにかく緩和しようとマイナス金利などの無理を重ね,徒労に終わって来たのである。

 間違いの根本は「金融を緩和すれば好況になる」という思い込みにある。日銀にとっては,金融政策しか実施できないのだから,ある意味では仕方がないかもしれない。しかし,この思い込みは黒田総裁や日銀だけのものではなく,安倍政権以来の自民党政権のものである。「デフレは日銀のせいである」「日銀が金融緩和すればデフレから脱却できる」と白川前総裁を攻撃し,政府と日銀の協定書で日銀にデフレ脱却の責任を負わせたのは安部政権である。

 アベノミクスは,「金融を緩和すればそれでいいんだろ」と言わんばかりであったのみならず,「金融緩和は日銀の仕事なんだから」という責任回避の屁理屈で成り立っていた。だから,景気がちょっとでもよくなれば自分の成果,都合の悪いことは日銀のせいで政府への批判は「あたらない」で押し通したのである。安倍政権は金融緩和に頼り切り,コロナ前には適切な財政拡張を行わなかった。消費者が将来不安ゆえに消費できず,消費者の萎縮を見た企業の設備投資も委縮してしまうような状況を改善しなかった。安倍政権も菅政権も,コロナ禍で生活苦に苦しむ人を救済せず,格差や貧困をなくすための制度改革を行わなかった。今日の事態はそれらの結果である。そして岸田首相は,資産課税や再分配でこれを変えるかのように見せて政権につきながら,実際にはほぼ何もやっていない。「悪夢のような」ものとは,わずかな金利引き上げもできないほどの慢性的経済停滞という現実であり,その責任は,さかのぼればいろいろあるとしても,安倍以降の政権にもまちがいなくある。

 今起こっていることは,もはや日銀では解決できないのであり,政府の経済政策が問われている。需要面では,政府が中低所得者の賃金を底上げし,税負担を軽減して,ボトムアップで消費が盛り上がるように,逆に底抜けしないように生活支援を行わねばならない。逆に資本所得が多いような高所得者にはこれ以上貯蓄を積み上げさせずに支出してもらうなり,税収に貢献してもらうなりするのがよい。つまりは賃上げ,税制改革,再分配による下からの消費底支えである。同時に供給面では,国際環境の悪化を受けて,再生可能エネルギー事業と食糧自給を強化することが必要になる。問題は,政府がこうした対策を行うか否か,政治選択においてこうした政策を求める議員が増えるか否かではないか。

「金融引き締めたら「悪夢のような時代に戻る」 自民・安倍晋三元首相」朝日新聞DITITAL(Yahoo!配信),2022年6月22日。

「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ,2022年6月20日。


2022年6月20日月曜日

日銀のジレンマもしくはバクチ打ち

  日銀が連続指値オペで国債を買い支えられるかどうか=長期金利を低め誘導し切れるかどうか,それはわからない。しかし,どちらになっても良いことは起きない可能性の方が高い。

 買い支えに失敗すれば長期金利が高騰する。企業の資金繰りは悪化し,景気は冷え込む。円安の進行は止まるだろうが,止まったところでエネルギーと食料のドル建て価格も上がっているのだから,景気に対して十分な救いにはならない。日銀は保有国債を塩漬けにすることになる。政府の国債費が増大し,その多くは日銀に入ることになるだろう。不況に向かう時に,事実上の財政ファイナンスがいよいよ強まり,しかも対策を打とうにも新規発行債の金利は高い。財政運営は大きな困難を抱えることになる。

 成功すれば長期金利は抑えられ,企業の資金繰りは悪化しない。円安がさらに進行するかどうかは,アメリカ金利の引き上げ期待が続くか,市場に織り込まれてしまうかに依存する。私の意見では,注意すべきは円安よりもマネーストックの膨張である。

 現在の指値オペは,やればやるほどマネーストックが膨張するところが,アベノミクス期の買いオペと異なることである。それは,もっぱら銀行から買うのではなく,海外勢を含む機関投資家から間接的に買っているからである。国債は機関投資家→銀行→日銀と流れ,代金は日銀→銀行の日銀当座預金→機関投資家が銀行に持つ口座,と流れる。日銀当座預金のブタ積みで止まってしまい,なんちゃってマネー供給になっていたアベノミクス期とは異なり,真正のマネー供給になっているのだ。

 では,国債買い支えで増えたマネーはどこへ行くのか。運がよければ,企業の資金繰り改善と,コロナ期に「強制貯蓄」させられた高中所得層のリベンジ消費があいまって,好況になるかもしれない。日銀は明らかにこれを狙っている。しかし,マネーが高騰した輸入代金の支払いに消えて,不況のままインフレになるスタグフレーションを招くかもしれない。はたまた,バブルを再興するかもしれない。一つには,日銀が金利上昇を阻止すると,すでに価格上昇傾向を見せている不動産への資金流入が一層強まる可能性があり,また急落した欧米市場の株式より日本の方が買いやすくなるかもしれないからだ。

 つまり,私の理解では,行く手は日銀が買い支えに失敗すれば不況であり,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちである。所得が低い人ほど被害に遭う確率は高いだろう。

 目の前のことはこのように解釈できるが,問題は,そもそもなぜこのようなことになったのかである。別途整理したい。

続編:「安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある」2022年6月28日。


信用貨幣は商品経済から説明されるべきか,国家から説明されるべきか:マルクス派とMMT

 「『MMT』はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性」東洋経済ONLINE,2024年3月25日。 https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/daa72c2f544a4ff93a2bf502fcd87...