少し前に,修士課程院生が人文系の国内学会で報告することについて否定的な投稿がXにんされ,それをめぐっていろいろな議論がありました。修士課程院生と連名で社会科学(経営学)系の国内学会で報告したことのある教員なので,限られた知識に基づいてではありますがコメントします。長文でないと説明できないのでXに投稿せずブログとします。私の所属する部局では「前期課程」と言いますが,「修士課程」の方が一般的でしょうからそう呼びます。
1)前提として,日本の人社系学会報告は,1セッション25-45分程度あることが多く,裏返すと一回の大会での報告数が限られます。理工系の学会はもっと短いことが多いはずです(私も一つだけ加入しているので少しは分かります)。
2)そして人社系はポスターセッションが理工系ほど普及していませんから,参加者は会場に来たら最後,よい報告でもそうでなくても25-45分間拘束されることになります。
3)上記1)2)の事情により,「一つ一つの枠が貴重なので,よく練られた報告をしてほしい」という規範が働きます。
4)他方で,日本の人社系では、理工系ほど報告の事前審査制,プロシーディングスの査読制が厳しくないことが多く,エントリーすれば報告できることもあります。最近は海外に倣って厳しくする学会もあります。
5)上記の2)と3)から,混雑して会場も日にちも足りなくなるのではないかと思われるかもしれません。しかし、(遺憾ながら)一学会当たり会員数が少ないことが多いので,そうはなりにくいのです。私にとっての主要2学会は、いずれも300人くらいしか会員がいません。加入している社会科学系学会で一番会員数が多いもので2000人弱です。一つだけ入っている理工系の学会は約8000人です。
6)上記2)3)4)の事情により,大学院生の報告がよく練られたものになるための主要な方法は,「指導教員が事前に丁寧に指導する」と言うものになります。そして,そのことを教員の会員は知っています。
7)上記1)2)3)により「よく練られていない院生の報告」がなされた場合,会員が感情的に面白くない気持ちを抱くことがあります。それ自体は理解可能です。
8)しかし,ここまでの論理から言って,「よく練られていない院生の報告」がなされてしまう理由は,直接には修士課程院生の自己責任にあるものの,間接的には指導教員の指導にありますし,また一部は学会の制度・慣行にある空隙に由来します。すべて修士課程院生当人の問題とすることはできません。
9)また,よい報告がなされる可能性もある以上(私と院生はよい報告をしたと自負しているし,その後査読を通って学会誌に論文を載せました),修士課程院生の報告全般を否定することは適切ではありません。
10)なお,上記4)により,大学院生がある意味では積極性を発揮し,別な意味では自己認識が甘くて,自己判断でエントリーすることもあります。それが自己認識の甘さに由来する場合には,指導教員が止めるのが妥当です。しかし,ことの性質上,強制力はない抑止になりますから,指導教員の指導を院生が受け入れやすい関係になっていないと,そのままエントリーしてしまうことはあります。
11)以上のことから,人社系学会の現在のルールと慣行のもとでは,「前期課程院生が報告することは,明文化されたルールには違反していない」,「その内容が未熟すぎるということも後期課程院生や教員よりは高い確率で起こる」,「未熟すぎる報告が行われた場合,学会にとって貴重な報告枠が失われたという機会費用的受け止めがなされやすい」,「未熟すぎる報告が行われた場合,明文化されたルールの上では院生の自己責任である」,「しかし事実上,指導教員の指導の在り方にも,そもそも学会のルール・慣行にも問題があると考えられる」,「ルール・慣行に問題があるからと言ってその隙を突く行為に対して周囲はよい感情を持てない」といった問題が絡み合うのだと思います。