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2020年12月1日火曜日

青木清「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」を読み,韓国大法院判決の論理の深刻さを知る

 昨年度のアジア政経学会秋季大会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」を基礎とした論文が『アジア研究』66巻4号に掲載された。昨年12月1日に投稿した通り,私はこの大会での青木清報告に強い衝撃を受けていたので,この度,整った論文を読むことができて,たいへんありがたかった。門外漢ゆえに見落としはあるかもしれないが,私はこの青木論文「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」こそ,元徴用工に関する韓国大法院判決の論理を理解するために待ち望まれたものだと思う。実に丁寧かつはっきりと説明してくださっている。この判決が正しいと思う人であれ,間違っていると思う人であれ,この論文は読む価値があると思う。J-Stageで無料公開されている。以下,私なりに要旨紹介するが,関心ある方は実物に当たられたい。

 青木論文は,まず「徴用工判決」の裁判としての性質は,国境を隔てて発生する私法上の問題を扱う渉外私法事件であることを明示する。外国裁判も外国法も,内国でその効力を認める国際法上の義務はない。しかしそれでは片付かないことから,外国裁判といえども一定の条件を満たせば国内でその効力を認め,事件を解決するにふさわしい外国法であればその方を適用するというシステムを国際社会は採用している。この裁判はそういう性格の事件において,韓国大法院が日本の判決,日本法の適用を認めなかったものなのである。

 認めない理由は「公序」に反するからである。漠然としているようであるが,これは韓国の法律にも日本の法律にもあることで,おかしなことではない。その上で,この大法院判決の特徴は,公序に反することの根拠を,韓国憲法の理念に反するところに求めていることだ。韓国憲法の前文は日本の植民地統治の合法性を認めない。それが根拠になり,日本の裁判所での判決を否認している。具体的には,戦時中の日本製鉄と新日鉄(日本での裁判の判決当時)の法人格の同一性を否認し債務の継承を否認した日本法の適用を,否認しているのだ(ややこしくて申し訳ない)。さらに積極的に,強制動員慰謝料請求権が成立するとしているのだ。そして,この権利が請求権協定の対象とならない根拠を,日本が植民地支配の不当性を認めず,強制動員被害の法的賠償も否認しているからだとしている。

 この青木報告を聞いたときに唖然としたことをよく覚えている。素人判断は危険ではあるが,私が思うには,この判決の論理は極めて深刻である。深刻というのは,正しいとか間違っているとかいうのではなく,判決の命じるままに行動すれば深刻な政治的問題を引き起こす一方で,覆すのも政治的に困難なように出来ているという意味だ。

 まず,この判決は韓国憲法の理念に根拠を置いている。ということは,憲法が比較的国民に支持されている韓国の政治においては,容易には否定されないであろう,と見通すことができる。逆に言えば,憲法の理念からいきなり日本の判決の適用の否認,日本法の適用の否認を根拠づけ,個人の存在賠償請求権まで根拠づけているわけで,それは,事の正否とは別に法解釈として飛躍があるように思う。

 次に,仮にこの判決の論理が通るならば,日本製鉄の行為にとどまらず,戦前戦中に朝鮮半島で行われた広範な行為を,それが直接間接に日本の植民地統治に肯定的にかかわっていた際には,事後に制定された韓国憲法の理念により,日本法を否定してで裁くことが可能になってしまう。それは韓国政治における日本帝国主義への批判を後押しするものなだけに,やはり韓国政治において容易には否定されないだろう。しかし,この,あまりにも事後法と言うべき論理が通るならば,政治・外交が過去の清算に注がねばならないエネルギーは止めどもないものになる可能性がある。そのようなことが大混乱や取り返しのつかない対立を起こさずに可能とは思えない。

 青木論文は,一方において,1965年の日韓基本条約や4協定では,植民地統治をもたらした条約を「もはや無効」と玉虫色の決着をしたため,棚上げ,先送り,犠牲にされた問題があることに注意を促す。日本は,これらの事柄に対応すべきだというのである。「1965年しか見ない日本」とされるゆえんである。他方,青木論文は,だからといって国際合意を覆し,条約の中身を否定するのは「法解釈としてはやはり行き過ぎ」だとする。「『日帝』にこだわる韓国」の法的行き過ぎである。結論として青木論文は,建設的な政策の再開を訴えている。

 私も青木教授に共感する。法の上では,韓国大法院の論理は行き過ぎであると思う。韓国の政府や司法が,徴用工問題を契機に,司法の論理で過去の清算を進めようとすることには無理がある。しかしそれは,日本政府が過去の清算問題などないという態度を取ってよいことを意味しない。法や条約の論理にはかからなくても,徴用工や強制労働(強制労働の実態があったことは日本の大阪地裁判決も認めている)という過去の出来事にどう向かい合うのかという問題は,本来,政治と外交において存在しているはずだ。韓国大法院の判決を押し立てるだけでも,それを国際法違反として頭から退けるだけでも,問題は解決しないのだと思う。本来は,過去の出来事にどう向かい合うのかという,基本的なところから出直さねばならない。しかし,ここまで話がこじれた状態で,どうすればそうした出直しができるのか,正直私にもわからない。青木論文は,問題の深刻さ,抜き差しならなさを教えてくれたのだ。


青木清「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」『アジア研究』66(4),2020年10月。 https://doi.org/10.11479/asianstudies.66.4_22



2019年12月1日日曜日

アジア政経学会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」

2019年度アジア政経学会秋季学術大会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」(2019年11月30日,南山大学にて)。
司会:平岩俊司(南山大学)
報告1:青木清(南山大学)
「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国 -「徴用工判決」の法的分析を通して-」 
報告2:奧薗秀樹(静岡県立大学)
「危機の日韓関係と文在寅政権による『正統性』の追求」
討論:川島真(東京大学),大庭三枝(東京理科大学),山田哲也(南山大学)

 ようやく,徴用工問題の法的構造について学ぶことができた。実に貴重なセッションで,2時間にわたり,メモを8000字以上とりながら聞いた(お前の専門は何だという話は脇に置く)。

 とくに国際私法を専門とする青木教授の報告は,まず私人と私人の争いが国境を越えて行われる場合には司法の場でどのように処理されるのかの説明から始めてくださったので,法の門外漢にはありがたかった。

 日本での報道は,慰謝料請求が請求権協定の対象内かどうかという議論に集中している。だが,そもそもこの判決が出る前提は,もともと日本での裁判があって元徴用工の原告が敗訴したこと,韓国大法院が,通常であれば日本の判決を尊重するところ,これを否認したことにある。その際に,何をもってどのように否認したかを,青木教授は懇切丁寧に解説された。その上で,その否認の論理に判決の特徴と問題点を見出された。私は,大法院判決が韓国の憲法を個々の論点に直結させていることに驚いた。そして,そのよく言えばラディカル,悪く言えばちゃぶ台返しな論理を,これまでよりははるかによく理解することができたと思う。やはり物事は結論だけでなく,それを導くプロセスから理解しないといけないようだ(以上は青木教授の報告に対する私の理解であり,報告を誤解していればその責任は私にある。また素人がこれ以上詳述すると報告趣旨を歪める恐れがあるので,ここで止める。報告が論文化されることを期待したい)。

2019年度アジア政経学会秋季学術大会プログラム


2019年3月11日月曜日

三菱重工は賠償の可否とは別に挺身隊を働かせた事実についての見解を表明すべきだ

 元朝鮮女子勤労挺身隊員訴訟。判決が日韓請求権協定と矛盾しているかどうかは,政府レベルで交渉するしかないが,私は政府と独立に,また賠償金を支払うかどうかは別にして,三菱重工が,女子勤労挺身隊を働かせた事実をどう受け止めているのかを表明すべきだと思う。三菱重工は当事者だからだ。また,日本のマスコミは,これらの挺身隊員を三菱重工がどのように動員し,どのように働かせたのかを報じるべきだと思う。まず,それが基礎的事実だからだ。新日鐵住金についても同様であることは,以前に述べた

 徴用工や挺身隊員の訴訟と慰安婦問題はしばしば重ねられるが,一つ大きな違いがある。慰安婦問題では,日本政府が謝罪していることだ。謝罪のあり方についていろいろ議論があるにせよ,1992年の加藤官房長官談話から2015年の日韓合意時の安倍首相メッセージに至るまで,お詫びと反省を表明していることは間違いない。謝罪すべきでないなどという声が日本からあがるのも間違いだし,日本は謝罪していないなどという声が韓国からあがるのも間違いだ。

 しかし,新日鐵住金や三菱重工の場合は,自分たちが当事者であるのに,徴用工や挺身隊員を働かせたことをどのように考えているのかを,そもそも表明しようとしない。これは適切ではない。法的に賠償すべきかどうかと別に,そもそも前身企業や自社の行為はどうであったのかを,歴史として評価しなければならないはずだ。

 「謝罪や反省をすれば支払わざるを得なくなる」などというためらいが生じるかもしれないが,そんな態度を表明した方に道義がなくなることは明白だ。また,そうした懸念は過去の経験に照らしても正しくない。河野談話やアジア女性基金の時も,日本政府は首相や要人がお詫びと反省の意を表明したうえで,日韓請求権協定の上から国家賠償というスキームがとれないから別の方法を考えるという姿勢をとった。その措置が今に至るまで韓国側の理解を得られていないのは確かであるが,謝罪することと口をつぐむことではまったく異なる。

 具体的にどう異なってくるか。今後,記事にある欧州での差し押さえの問題を始め,国際的にこの問題が評価されるようになる可能性はある。韓国側の同意を得られていないとはいえ,日本政府は場合によっては国際司法裁判所への持ち込みも考えているのだからなおさらだ。その際に,基本的事実関係は何かということは,必ず問題になる。日韓請求権協定の交渉経過と解釈だけが問題になるのではない。新日鐵住金や三菱重工が,かつて徴用工や挺身隊員をどのように働かせたかが,英語やそのほかの言語でいまよりも論じられ,報道されるだろう。その時に,当事者が自社の歴史について口をつぐみ,ただ「条約で払わなくてよいことになっているから」という姿勢で,国際世論の評価に耐えられるだろうか。私は,無理だと思う。

 新日鐵住金と三菱重工は,日韓請求権協定の解釈は政府に同調するとしても,まず自社の過去に当事者として向かい合ってほしい。それはグローバル企業としての社会的責務の一つだと思う。

「三菱重工の資産差し押さえ、申請 徴用工訴訟の原告側」朝日新聞DIGITAL,2019年3月7日。

<関連投稿>
「徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を」Ka-Bataブログ,2018年11月13日。

2019年2月21日木曜日

なぜ韓国の文国会議長は日本政府による「法的な謝罪」とは別の謝罪を求めるのか

 慰安婦問題についての韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長発言が物議をかもしている。文議長の発言の最大の特徴は,日本政府が謝罪したことを認めたうえで,なお首相又は天皇が謝るのが望ましいとしていることだ。私は,この思考に,慰安婦問題をめぐる日韓のすれ違いを理解する,思想上の鍵の一つがあるように思う。

 まず文議長の主張を確認しよう。文議長は,首相や天皇に謝罪を求める発言をした際,日韓合意について尋ねられ,「それは法的な謝罪だ。国家間で謝罪したりされたりすることはあるが、問題は被害者がいるということだ」と発言している。つまり,法的な謝罪は行われたと認めたうえで,なおかつ国家の代表たる人間が慰安婦という個人に謝罪すべきだと考えているのだ。

 実は,この文議長の発言は,慰安婦問題をめぐる混乱の中では,事実を踏まえた方だともいえる。韓国内では日本の政府代表やそれに類する立場の人が何度も謝罪していること自体が,よく認識されていないからだ。世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授は2月10日に自身のFacebookに韓国語で投稿し,日本政府やアジア女性基金による従軍慰安婦問題や植民地支配に対する11回の謝罪を紹介した。うち従軍慰安婦に関する謝罪は,1992年の加藤官房長官,1993年河野官房長官,1995年五十嵐官房長官,1995年村山首相,1996年原アジア女性基金理事長,1997年橋本首相,1998年原アジア女性基金理事長,2015年岸田外相の日韓合意発表,同じくその際の安倍首相発言の9回だ。いちばん最近の安倍首相の発言(岸田外相が紹介)は,「日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」というものだ。

 朴教授は,投稿の意図を「これだけしたのでもう謝罪が必要ないという話ではない。日本が長い時間をかけてきた心と"正しく"向き合うことが必要だということだ」と書かれている(Google翻訳と報道に頼っているのでニュアンスが違っていたらご指摘を)。しかし,朴教授がわざわざこの投稿をしたというのは,謝罪の事実そのものが韓国内でよく認識されていないからだ。これと比べると,文議長は何はともあれ「法的な謝罪」をしたことは認めている。その上で,なお謝るべきだというのだ。もう少し具体的に言うと,国家の代表たる人間が慰安婦という個人に謝罪すべきだと考えているのだ。

 もちろん,ここで天皇を持ち出したのは明らかにお門違いだ。天皇は政治的行為を禁止されているから適切ではない。その上,親に戦争責任があることと関連付けて息子が謝るのがよいという古臭い血統主義は論外だ。しかし,いま問題にしたいのはそこではない。法的な謝罪をしてもなお,国家の代表が被害者に謝罪せよという文議長の考えに絞りたい。

 想像してみよう。天皇が慰安婦に謝罪すれば,文議長が言うところの解決は訪れるだろうか。私はそうは思わない。それは,謝罪を受けた元慰安婦の方々が,許す気持ちになるかどうか,それをどう表現するかにかかっているだろう。被害者の許しが解決の条件になることは,明らかだ。文議長の「被害者がいる」というのは,「被害者が許すまで謝罪するべきだ」という意味なのだ。

 私は,被害者と加害者の許しをこのようにとらえることは,個人と個人の関係ではあり得ると思う。しかし,これを政治として,個人と政府を当事者とする問題において行おうとするのが,文議長の論理だ。そして,このような論理は,彼一人のものではなく,慰安婦問題をめぐる韓国内の一定の立場が,一定の経過に反応して生じたもののように思う。

 さかのぼってみよう。1990年代に慰安婦問題をめぐって日韓で論争が行われていた際の争点は,日本政府が公式に責任を認めて罪を償うことだった。日本政府は,謝罪の意を表明したうえで,請求権協定の主旨から言って国家による賠償ができないとした。しかし,村山内閣とその周囲の人々は,それでも補償に類したことをすべきとして,アジア女性基金による事業を実行した。それでも韓国の慰安婦支援者たちからの批判は止まなかった。その時の主旨は,「国家による正式な賠償ではない。これでは謝罪したことにならない」だった。

 2015年の日韓合意においては,日本政府が改めて謝罪し,改めて元慰安婦への償いのための基金・財団を設立した。それが日韓の政府間合意であったことは明らかであり,否定のしようがない。そして,元慰安婦47人中,34人は支援金を受け取ったと,『朝日新聞』デジタル1月28日付けは報道している。元慰安婦の方々から,この事業が総否定されているわけではないのだ。

 しかし,文在寅(ムン・ジェイン)政権は日韓合意では解決しないとし,「和解・癒し財団」を解散すると決めてしまった。そして,日本にさらなる行動を求めるのだが,いったいなにを求めているのかは明確にしない。何かは求めているのだが,何なのかははっきりと言わない。そうした中で,何を求めるかを粗雑な形で表現してしまったのが,今回の文国会議長発言だと思う。

 文在寅大統領が,日本に何を求めるかをはっきりさせないのは,もちろん,政治力学上の選択でもあるだろう。しかし,そうならざるを得ない論理的理由もあるのだと私は思う。それは簡単で,日本政府が謝罪し,しかもアジア女性基金の時とは異なり,政府の正式な予算,日本国民の税金から基金を拠出したからだ。国と国との関係において,片方が正式に謝罪し,補償も支払った。そうすることに,前政権は合意した。これに対して以前の支援団体のように「正式な賠償ではないから,謝罪したことにならない」というのは,さすがに無理があるからだ。

 だが,それでも文在寅政権もその支持者も,文国会議長も納得せず,日韓合意の意義を否定する。支援金を受け取って日本政府の誠意を認めている元慰安婦もいるという事実を無視していることは問題だ。しかし,元慰安婦の少なくとも一部に,いまなお日本政府の謝罪の仕方を受け入れられない人がいることも事実だろう。文議長の発言や文在寅政権の態度が本心からだとすれば,つまりは,被害者の苦しみが十分癒されたとは考えていないということだろう。

 繰り返すが,このような納得できなさ,加害者の謝罪の仕方が被害者にとって納得できないことは,個人と個人の関係においては,あり得る。被害者が納得するまで加害者にもっともっと謝罪しなおさせねばならない,という倫理・道徳も,個人間ではあり得る。それほどまで苦しみ,傷つくことは,ありうるからだ。

 しかし,文議長は,この倫理を外交に適用し,個人と国家の関係に適用し,国家の行動原理にしようとしている。そして,文議長だけではない。文大統領の,日本に具体的要求はしないが善処は求めるという姿勢の背後には,少なくともこのような倫理・道徳による動機づけもあるのだと,私は思う(何度も言うが,政治の世界のことであり,これ「だけ」だとは全く思わない)。

 「政府としての謝罪や補償にかかわらず,慰安婦という被害者個人が許しを表現するまで,日本国家の代表が謝罪し続けるべき」という原理で,現代の,韓国と日本の国家を動かすことは可能であるのか。そして,妥当であるのか。その原理を作動させた場合に,日韓関係の将来はどうなるのか。その原理が政治の様々な場面で用いられるたら,何が起きるのか。

 私は,日韓合意後の慰安婦問題をめぐる,韓国からの日本批判を考える上で,一つの論点はここにあると思う。

 なお,一点だけ,ありうる批判にあらかじめ回答しておく。「慰安婦問題は人権問題だ」というものだ。私も人権問題だと思う。しかし,人権問題であることと,「被害者個人が許すまで,加害国家は謝罪し続けるべき」という原理を適用することは,必然的には結び付かない。それは,個人,倫理・道徳,国家の関係についての特定の見地によるものなのだ。どこでも当たり前のように妥当するものではない。この,特定の見地について,よく考えてみなければならない,というのが私の意見だ。

朴裕河(パク・ユハ)氏Facebook投稿。


「(世界発2019)慰安婦財団、残したものは 支援金、元慰安婦34人受け取り」『朝日新聞デジタル』2019年1月28日。


「盗人たけだけしい」韓国議長のヒートアップ 時系列でたどると見えるのは...J-CASTニュース,2019年2月18日。

2019年1月12日土曜日

日本政府は対抗措置の分野を拡大させず,韓国政府は不作為にたてこもらずに,双方知恵を絞るべき

 文在寅大統領記者会見。韓国政府が「日本も韓国も三権分立の国だ。韓国政府は司法の判決を尊重しなければならない。日本政府も判決内容に不満はあっても、『どうすることもできない』という認識を持ってもらう必要がある」という見地であることは確認できた。しかし,そうすると「解決のために互いが知恵を絞るべきだ」というのはどういうことなのか。「知恵を絞る」と言っても,最高裁判決を執行して新日鐵住金の資産を差し押さえたうえでのことだ,と韓国政府が考えるのであれば,日本政府がさらなる対抗措置に出るのは必至だろう。

 日本政府が申し入れている日韓請求権協定に基づく協議,あるいは今後ありうる国際司法裁判所への提訴について,韓国側が応じた場合についてもいろいろ考えるべきことはあるのだが,文大統領の態度から見て,協議にも提訴にも韓国側が応じないのではないかと予想される。韓国政府は「司法の判決を尊重する」とだけ言って,自らの請求権協定解釈を積極的に提示するのを回避したがっているように見える。韓国政治の専門家である木村幹教授が何度も解説されているところによると,韓国政府は積極的に日本を非難したいのではなく,むしろ対日外交を深刻な問題ととらえていないということだ。本日の会見も,日韓関係について全く触れずに終わりそうになったところを,NHKの記者がやや強引に質問して何とか発言を引き出したのだという。だから,「知恵を絞るべきだ」と言っているが,実際には韓国政府では絞りはせずに,ひたすら日本に対応を求めるという可能性がある。

 そうすると,安倍政権・自民党の対応はエスカレートするだろう。既に議論されているように,元徴用工問題をはみ出して韓国に対する関税引き上げとかビザの優遇措置停止などの措置を始めるだろう。しかし,そうすると元徴用工や請求権協定についてきちんと話ができなくなり,国を単位とした日韓の非難の応酬になってしまう。つまり,日韓政府の対話が成り立たず,問題を正面から扱わない結果,国家間の抜き差しならない感情的対立にエスカレートするおそれがある。

 今後,両国政府は表舞台では請求権協定に基づく協議や国際司法裁判所への提訴をめぐってやり取りするようになるだろう。規範論あるいは願望として言えば,対立のエスカレートはいずれも望ましくないことを悟り,様々なルートで本気で「知恵を絞る」ことをして欲しい。少なくとも日本政府には,関税やビザをどうこうするなどして,問題を国家間対立に拡大させないで欲しい。元徴用工問題は元徴用工問題として解決すべきなのだ。また韓国政府は,行政府としての主体的見解を示さず,自らは解決に乗り出さないという不作為は事態を悪化させ,深刻化させるということを認識して,自らも「知恵を絞る」ようにして欲しい。

「韓国ムン大統領 「徴用」めぐる裁判で「互いに知恵絞るべき」」NHK NEWS WEB,2019年1月10日。

2019年1月6日日曜日

日本政府が日韓請求権協定についての認識を韓国政府に問いただすのが正道だ:「徴用工」裁判原告側が申し立てた日本企業の資産差し押さえに安倍首相が対抗措置の検討を指示した件

 安倍首相は,「徴用工」裁判で韓国の原告側が日本企業の資産差し押さえを裁判所に申し立てたことについて,国際法に基づく具体的な対抗措置の検討を関係省庁に指示したと報道されている(※)

 日本政府は,日韓請求権協定での合意が無視されていると受け止めているのだから,この点を協定の相手である韓国政府に問いただすのが,第一にやるべきことだと思う。韓国政府は「司法は行政と独立だから行政は何もできず判決に従うだけだ」という立場なのか,「最高裁判決の請求権協定解釈は行政府としても正しいと思う」という立場なのか,「最高裁判決は外交上,そのまま放置できないとは考えている」という立場なのか,それを問いただすのだ。まずは二国間で行った方が良いと思うが,ICJに提訴して争うこともありうるだろう。木村幹教授が指摘されるように(※※),そうしたところで話が誰に有利に向かうのかはわからないのだが,それでも,いちばんましな争い方にはなると思う。争うべき法的争点をちゃんと取り上げて争うことになるからだ。

 心配なのは,一方では韓国政府が判決に対するスタンスをあいまいにしたまま司法の差し押さえ手続きを黙ってみている,他方で日本政府がこの問題に本質的に関係ないところで対抗措置を取る,ということだ。安倍首相は「国際法に基づく」という断りを入れているから,そんな変てこな争い方はしないだろうと期待したいところだが,この間の両国政府を見ているとやりかねない。そうなると,双方が全くかみ合わないまま,国民感情の対立が激化していく。それだけはやめてほしいと心より願う。

 なお,直接の当事者である新日鐵住金が問われていることについては,以前に書いた通り(※※※)なのでくりかえさない。

※「『徴用』資産差し押さえ 安倍首相が対抗措置の検討指示」NHK NEWS WEB,2018年1月6日。

※※木村幹「「元徴用工判決」への誤解を正す ICJ提訴は必ずしも有利にならない」Newsweek日本版,2018年12月7日。

※※※「徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を」Ka-Bataブログ,2018年11月13日。

2018年11月22日木曜日

韓国政府による「和解・癒やし財団」の解散決定について

 韓国政府による,慰安婦被害者支援のための「和解・癒やし財団」の解散決定について,暫定的にコメントする。

*韓国政府の見地に対して
・前政権による日韓合意が慰安婦被害者本人の意向を無視したものであったことを,文在寅政権が問題視するのはありうる。そこまではわかる。
・しかし,政府当局者も言うように,「韓日間の公式合意」であることから,「慰安婦合意の破棄や再協議を要求しない」というのも常識的な線というものだろう。それもわかる。
・しかし,韓国政府が慰安婦被害者支援のための「和解・癒やし財団」を解散するという場合,どうしても問題は起こらざるを得ない。
・韓国政府当局者は「日本政府が誠意ある姿勢でこのため(被害者の方々の名誉と尊厳の回復および傷の癒やし)に努力することを期待する」というが,日本政府は,そのつもりで「和解・癒やし財団」にお金を拠出したはずだ。そう認められたから合意が成立したのだ。
・それではだめだというのであれば,1)韓国政府は日本政府が拠出したお金はどのように扱うのかという問題が起きる。また,より根本的な問題として,2)公式合意を破棄はしないけれど,合意はまちがっていることなので遂行できない,日本政府はもっと別なことをして欲しいという立場を表明しているが,「最終的かつ不可逆的な解決」という合意を破棄せずに,別なことをしてほしいと要請するのは,さすがに矛盾している。
・それでも別なことをしてほしいというのであれば,それが何であるかを表明するのは,韓国政府側の責任であろう。それは何なのか。韓国メディアの日本語記事も見ても,どこにも見つからない。『朝鮮日報』のイム・ミンヒョク論説委員も文在寅政権は「自分たちはどのようにして真の謝罪と法的責任認定を引き出すのかについて、何の答えも出していないし、答えがあるわけでもない」と指摘している。要求項目が不明なまま「誠意ある姿勢」を要求して,日本が先に提案しろというのは,いくら何でも無茶である。それで話が進むわけがない。
・文在寅政権としては不本意であろうが,「和解・癒し財団」という方式が適切でないと考えたとしても,日韓の外交合意を破壊しないのであれば,やるべきは「和解・癒し財団」の解散ではなく,韓国の国内政策としての追加措置なのではないだろうか。

*日本政府がとるべき態度について
・日本政府が「日韓合意で終わったのだ」とだけ言い放つのは,適切ではない。日韓合意には,「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」という趣旨がある。この「おわびと反省」の立場を堅持していることを表明し続けねばならない。そうしなければ,おわびや反省は本心ではなかったのかと,韓国のみならず国際社会から疑われるだろう。
・「何度も謝罪しなければならないのはおかしい」という人がいるかもしれないが,そうする必要はないのだ。改めて謝罪するのではなく,「謝罪した立場にいまも変わりはない」と言い続けることが大事なのである。それは,政治だけの問題ではなく,倫理的にも当然のことだろう。
・政府が「日韓合意で終わったのだ」とだけ言い放つことによって,日本国内にある,慰安婦などいなかったという極論を始め,反韓国感情を煽り立てる効果があることは明らかだ。安倍政権がそれを放置するのは不適切であり,自ら選んだ「おわびと反省」という見地に照らして不誠実だ。自ら表明した正式見解を守ることが安倍政権の責任だ。慰安婦とされた女性たちに対する,お詫びと反省の気持ちをずっと維持していること,その具体的な形として「和解・癒し財団」への拠出を行ったこと,そのようなものとして日韓合意は有効であることを,内外に発信するのが妥当だと考える。

イム・ミンヒョク「【萬物相】慰安婦財団解散、「文在寅式解決法」とは一体何なのか」『朝鮮日報 日本語版』2018年11月22日。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/11/22/2018112280008.html
「韓国政府「慰安婦合意、破棄・再協議要求せず…日本の誠意ある努力に期待」」『中央日報日本語版』2018年11月22日。
https://japanese.joins.com/article/375/247375.html
「慰安婦財団解散 日本の真摯な姿勢に期待=韓国外交当局」『聨合ニュース』2018年11月21日。
https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20181121004900882?section=japan-relationship/index

<関連>「従軍慰安婦問題に関する河野談話についてのノート:企業経営研究者の立場から A Note on the Statement by the Chief Cabinet Secretary Yohei Kono on the Issue of "Comfort Women" (2014/3/3)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/a-note-on-statement-by-chief-cabinet.html

2018年11月3日土曜日

3つの権利から考える徴用工補償問題の解決方向とその困難

 徴用工補償問題。だんだんと理解できてきたが,法的には権利が3種類あるらしい。

1)被害者の実体的請求権。
2)1)を保護する政府の外交保護権
3)民事裁判で訴えて補償を求める権利

 まず大事なことは,韓国の政府,裁判所,日本の政府,裁判所とも1)は認めているということだ。つまり,徴用工には被害が発生しており,補償を求めるのはもっともなことだ,というのは認めている。ここは,政治家の個人的本音はとにかくとしても,公式見解として共通の立場なのであり,共通の出発点にして解決を図ることが政治・外交として妥当だろう。昨日,共産党の志位委員長がこの観点での解決を提案したが,私も方向性において賛成だ。日本政府が述べている,請求権協定で問題が解決しているというのは,2)と3)を否定しているということであり,徴用工などいなかったとか,徴用は何も悪くなかったなどと言っているわけではないはずだ。

 実体的請求権が認められていることは,新日鐵住金にとっても重要だ。被害者に何らかの補償や見舞金を払っても,会社に不当な損害を与えることとはみなされず,株主代表訴訟を起こされる心配はないということだからだ。
 実際,西松建設中国人強制連行事件などについては,日本の裁判では2)3)は認められないが1)はあるということになり,企業と被害者が和解し,企業が補償や記念碑の建立を行っている。本件も,解決の道として一番合意できそうなのは,本来はこの方法だ。

 しかし深刻な障壁が二つある。一つは,日本政府が2)3)が消滅していると主張しているのみならず,今回の判決を全否定し,新日鐵住金にも補償に応じるなと要求していることだ。2)も3)も消滅していないとする韓国の裁判での判決に従って補償するという行為は,確かにとりがたいかもしれない。しかし,1)が存在することは認めているのだから,徴用工の受けた被害に心を配り,何らかの形で償おうとするのが政治というものであり,また後継企業の社会的責任ではないか。判決の論理は従い難いが,他の解決の道を探るという政治的・道義的姿勢は必要だろう。ただひたすら韓国を非難するというキャンペーンは,適切でない。

 もう一つは,韓国の運動や司法が2)3)を断固として主張するところから変化するかどうかだ。何しろ今回出たのは最高裁(韓国大法院)の判決であり,韓国内において守らないわけにはいかない。実質的に判決と異なる行為をするとなれば,相当な理由づけと正当性が必要になる。また,別件の従軍慰安婦問題において,1990年代のアジア女性基金による償い事業が挫折し,いままた2015年の慰安婦問題日韓合意も揺らいでいるという事情がマイナスに作用する。これらは,事実上,1)は認めて償いをするが,2)3)は認められないので日本政府からの賠償という形はとれないという立場によるものだった。しかし,アジア女性基金は挫折し,慰安婦問題日韓合意も,韓国国内における反発から揺らいでいる。加害者が被害者に法的補償をするのが正しく,他の方法はごまかしだという見解は韓国内に根強い。

 さらに深刻なのは,今回の判決は,徴用工の問題は植民地支配下の不法行為であり,それがそもそも請求権協定の対象外だとしていることだ。通常,この種の戦後補償の議論は,戦争被害の後処理をする外交合意が被害者の被害を発生させた行為をカバーしていることを当然とし,その上で,1)2)3)が消滅したかどうかを争っていた。が,今回の判決は,性質が異なるのではないか。要するに日韓条約や請求権協定では大日本帝国による植民地支配下で不法行為が行われたことを認めていないので,徴用工への補償に対する外交的保護が外れていないと言っているのではないか。

 これは,日韓条約当時の自民党政権が,大日本帝国による植民地支配の不当性を認めない立場をとっていたことのつけと言うこともできる。しかし,問題はそこにとどまらない。

 この論理が認められると,影響は計り知れないと思えるからだ。過去,植民地支配下で行われたあらゆる不法行為について,その後の外交的取り決めでそれらが不法であったと明示的に認められていないことは,大日本帝国に限らず欧米の植民地支配を含めて,残念ながら少なくない。この判決の論理が通用するならば,それらすべての不法行為について,個人は補償を求める権利が一般論としてあるだけでなく,実際に,外国の加害者を裁判で訴えて補償を求める行為が法的に可能になる。これは被害者救済の正義だけを考慮すれば,ありうることだろう。しかし,そうなると大量の訴訟行為によって過去を裁くことになり,その反動で,自己の利益を守ろうとする被告側から,過去の不法行為を否定する主張をも誘発することになる。それによって紛争の多発,外交の混乱が生じるのではないか。政治と外交において,過去の清算が一定の比重で一定の位置を占めることは当然だ。だが,この清算方法は妥当なのか。ここには,検討を要すべき深刻な問題があるように思える。

田上嘉一「韓国「徴用工勝訴」が日本に与える巨大衝撃 戦後体制そのものを揺るがすパンドラの箱だ」東洋経済ONLINE,2018年11月1日。
https://toyokeizai.net/articles/-/246841

山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」法律事務所の書類棚。
http://justice.skr.jp/seikyuken.pdf
上記サイトには今回の判決文の日本語訳もある。
http://justice.skr.jp/

志位和夫「徴用工問題の公正な解決を求めるーー韓国の最高裁判決について」2018年11月1日。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

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