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2026年3月30日月曜日

「スタグフレーション」が到来した場合に経済政策はどう調整されるべきか

  原油価格の上昇により,「スタグフレーション」が到来するのではないかと話題になっている。この用語にはいささかの問題があるのだが,物価上昇と不況が同時に起こるのではないかと言う懸念は日々高まりつつある。その場合に,高市政権の経済政策の役割はどう変わるだろうか。また,物価上昇と不況に対して,経済政策はどう調整されるべきだろうか。

1 コスト・プッシュ不況の到来か

 日本経済はコスト・プッシュに見舞われつつある。これは正確に言うとインフレーションつまり名目的・全般的物価上昇ではない。一時的ないし実質的物価上昇である(川端,2025)。インフレーションとは,貨幣の過剰発行による名目的・全般的物価上昇であり,特定部門のコストを引き上げるものではないし,日本全体の実質所得を低下させるわけではない。また,いったん上がった物価は二度と元に戻らない(これをインフレ・デフレの非対称性という)。一方,一時的・実質的物価上昇は,特定部門のコストを実際に引き上げるものであり,輸入物価を起点とする場合は日本全体の実質所得を低下させる。そして,おおもとになった原油価格の引き上げが一時的か恒久的かどうかに応じて,物価上昇も一時的か恒久的かが決まってくる。端的に原油供給が元に戻れば収まることもあり得る。

 さて,実質的物価上昇は特定部門の価格を引き上げると言っても,起点が原油であるため,その影響は産業連関に即して原燃料から製品へ,資本財・生産財から消費財へ,産業から家計へと広がっていく。原油の販売先構成から言って(alterne, 2026年3月16日),原油→ガソリン・軽油→自動車を用いる企業と家計のルートがメインであるが,他にも原油→ナフサ→エチレン→化学製品(包装材,自動車部品,洗剤,医療機器など。『日本経済新聞』2026年3月24日)があるし,原油→重油→電力→産業と家計というルートも,かつて石油火力発言が主流だったころほどではないが,今でもある。価格転嫁に川下の産業や家計が耐えられなくなれば産業の利潤率低下による生産停滞,ないしは家計の買い控えによる最終消費停滞が生じて,不況となる。円安を利用した輸出は可能だが,現状,アメリカにはむやみと輸出できず,中国の景気がいまひとつであるため,そこには限界がある。非常に難しい状況であるが,未曽有の事態ではなく,いくつか異なる要素はあるとはいえ,1970年代に起こったことでもある。

 このように経済情勢が激変した場合,現行の経済政策の意味が変化する可能性がある。何度か述べてきたように,植田日銀の金融政策は,金融市場の正常化を図り金利の機能を回復させるために緩やかに短期金利引き上げを行うものである。それはもっともなことであった。また,高市政権の経済政策はインフレかつ過熱気味の経済を維持しながら産業の国内投資を促進して,競争力を高め供給の天井を引き上げようとするものである。そこにはインフレ昂進,インフレ税による市民から政府への所得移転,円安による輸入物価高放置,長期金利上昇リスクという問題があった(川端,2026.2.27)。しかし,政策環境の激変によって,同じ政策が良かれ悪しかれ別な意味を持ってくる可能性がある。そうすると,これに対置されるべき望ましい経済政策も異なって来る。


2 マクロ経済政策のジレンマ

(1)金融政策

 まず金融政策。これまで,過度に低い金利を是正するために,日本銀行がじわじわと利上げするのはもっともなことであった。しかし,ここから先は話が違ってくる。

 一方において,金利引き上げは不況を加速する。原油価格引き上げが起こすのはインフレではなく実質的物価上昇だ。日本のような原油輸入国にとって,原油価格の高騰は購買力の流出をもたらし,総所得を減退させる。したがい,ここで金融を引き締めれば,不況への突入を後押しすることになる。物価だけを下げることはできない。過熱した景気を覚ますどころではなくなる。

 他方において,金利を据え置くことの弊害もなくなってはいない。円安がいっそう進行し,いよいよもって輸入物価が上昇するからである。それでも輸出産業は利益を上げるだろうが,おそらくそのGDP押し上げ効果より輸入価格高騰による押し下げ効果の方が大きいだろう。いまや主要企業を日本を輸出拠点としておらず,海外拠点で投資収益を稼ぐようになっているからである。

 つまり,物価上昇と不況が同時発生すると,日銀は,2022年頃のような,しかし帰結がやや異なるジレンマに逆戻りしてしまう(川端,2022.6.20,2022.6.26,2023.7.8)。金利を引き上げればコストプッシュ下で需要を減退させることにより,不況への突入を後押しする。金利を据え置いても円安による輸入物価高騰を招き,コストプッシュをさらに加速する。なぜこのようなジレンマに見舞われるかと言うと,アベノミクス期の「過剰に金融緩和していたが景気はたいして良くならなかった」という状態から出発したためである。このジレンマは,金融政策だけでどうにかできるものではない。


(2)財政政策

 次に財政政策。これまで高市政権は,景気が過熱気味で労働力と設備の供給制約に突き当たりつつあるのもかまわずに,積極財政に進もうとしていた。これはリスクの高いナローパスへの賭けであった(川端,2026.2.27)。しかし,輸入価格高騰というコストプッシュによる不況が発生し,遊休設備と失業・不安定就業の増加が生じた時には,話が違ってくる。積極財政は一面では合理的となる。物価高対策の給付や減税も,インフレを加速せずに行える余地が広がるからである。だから赤字財政自体への批判は当たらなくなる。もちろん,支出を何に使うか,つまり子育て支援やグリーン投資支援に回すか,軍事費拡張に回すかは,また別の問題である。

 しかし,この場合の財政赤字拡大は,国債消化,またその反面であるが利払い急増の問題を引き起こす。アベノミクス期と異なり,長期金利が財政赤字に反応して上昇する動きを見せているからである。これを防ぐもっとも単純な手立ては国債発行の規模を抑制することである。限られた規模で何を優先するかが問われるだろう。それでは不況を緩和できないというのであれば,財政出動を拡大しながら金利上昇を緩和するために,いまは減額中である日銀による国債の買い上げを,再び増額することが必要になるだろう。日銀による国債買い上げは,同時にマネタリーベースの拡大であり金利の引き下げである。これは,国際的に日本が突出して行うことになる可能性が高く,そうすると円安はますます進む恐れがある。

 アベノミクス期と異なり,物価の上昇傾向が明らかなので,賃金をまったく抑え込むわけにはいかない。企業は,エネルギーと賃金の双方のコストプッシュの価格転嫁,債務者利得を利用した借入増,生産水準の維持を図ると予想される。すると,物価はさらに上昇する。

 積極財政は,不況に転じた場合には本来妥当である。ところが,これからコストプッシュ不況が起こった場合に適用すると,物価を引き上げてしまう公算が高い。なぜかというと,すでに円安,輸入物価高騰,ホームメイドインフレ,賃上げ復活が起こっているため,アベノミクス期と企業行動がかわってしまっているからである。

 物価上昇が小幅にとどまる道があるとしたら,財政を引き締めるか,企業が「不況になったので賃上げどころではない」という姿勢に転じて賃金を再び徹底的に抑え込む場合であるが,その結果は消費が停滞し,さらなる不況となるだろう。


3 産業政策の方向性

 日本経済がこのような苦しい状態になるとすれば,その直接の主要因は原油価格急上昇による実質所得の減退である。だから,これを解決するには,原油価格上昇に影響されない経済,あるいはエネルギー価格高騰化に強い日本産業という経済のけん引力を作り出すしかない。これは1970年代のことを思えば,わかりやすい課題である。

 そこで産業政策である。これまでの高市政権のように,17分野を総花的に手掛けて,成長のスイッチを押している場合ではなくなるだろう。肝心なのは脱石油・脱化石燃料,省エネルギーであり,これを促進できる産業の競争力向上,またエネルギー消費に左右されない産業の競争力向上を最優先させることである。すると,やはり再生可能エネルギー,EV,スマートシティ,断熱建築,それらと関連した材料,半導体,機器,二次動力,サービス,AIを含むシステムである。AIとデータセンターの省エネルギーも必要である。いまさら何をと言うだろうが,結局,そこなのである。

 これらの技術の大規模導入は,日本においては,住民合意を無視した環境破壊を伴う発電所建設や,EVのコスト低減の遅れにより,障壁に突き当たっている。2100年の気温上昇幅より今の生活だという感覚からの反発もある。しかし,問題はいまや2100年だけではない。目の前のエネルギーコストの急上昇であり,まさに今の生活なのである。極論すれば,地球温暖化に関する価値判断は人により,政治勢力により分かれていても,省エネルギーの課題を共有すべきだろう。1970年代の環境投資も,一方では公害防止運動の成果であったが,他方ではコスト低減を求める企業の省エネ運動の成果であったことを思い出すべきだ。例えば自動車の燃費改善や製鉄所の熱回収は両方の成果であった。正直,やや手遅れの感はあるものの,開発規制を強めた上で再エネは推進すべきだし,EVのコストを下げて効率を引き上げることを支援すべきだし,都市のエネルギーマネジメントシステム,データセンターの省エネに投資すべきなのだ。

 ここで技術選択についての議論が必要になる。日本の政府と産業界が現にとっている方向は,原子力発電や石炭火力発電のアンモニア吹込,ハイブリッド技術の改良でまだ対処できるというものだ。これらの技術を全面否定するつもりはない。それらも同時に推進しても良い。だが,これらは現存技術の改良であり,原発と石炭火力発電については,この技術を現存老朽施設を長期間使用するとコスト安になるという次元のものである。これらの技術の発展経路が将来に至って長く続くとは思えない。原発もハイブリッド車もアンモニア発電も,あくまで将来へのつなぎ技術であって,これが本流だ,日本式だと自慢気に依存するものではないのである。

 なお,産業政策においては政策の方式も重要である。公的資金を特定企業に集中させて育成する方式はリスクも高ければ,モラル・ハザードによる停滞も生みやすいので回避すべきである。複数企業が競争できて,また新規参入が可能な方式をとらねばならない。周辺インフラに公費で支援するとか,スタートアップが公共調達に参加しやすくするといった形が望ましい。中国の政策を参考にするなら,特定企業に補助金を与えるのではなく,四輪EVの充電施設や,オートバイのカセット式バッテリー交換施設といったあたりに公的支援を行うのである。つまり,複数企業が競争のフィールドに乗りやすくし,フィールド上での競争を促すのである。円安を利用して日本企業の国内回帰と外資企業の対日直接投資を促進することも重要だ。関連機器やシステムがすべて輸入品になっては半ば失敗であるが,外資企業が日本で開発・製造することは,国内に雇用と所得を生むものであって有益である。何しろ日本企業も対外投資し,投資収益を海外で再投資しているためにお金が日本に還流しない現状である(唐鎌,2024)。それならば,むしろ外資企業に日本に投資し,収益も再投資してもらうことの価値に注目すべきだろう。


5 補足

(1)AIバブル崩壊との同時発生のリスク

 以上は,経済危機のきっかけとして原油価格高騰のことだけを考えた場合の話である。AIバブルの崩壊が同時に来た場合には,より苦しい状態になることは言うまでもない。AIの開発とそのアプリケーションは,傾向としては確実に成長する。しかし,大規模エクイティファイナンスを通して投資を行っているために,アメリカを中心地としたバブルと崩壊というサイクルは避けられない。昨年以来AI投資はすでに過熱気味であったので,エネルギーコストが下降局面の引き金を引くことになってもおかしくはないのだ。


(2)スタグフレーションというべきか

 今後到来する事態は,しばしば「スタグフレーション」と呼ばれている。スタグフレーションとはインフレーションと不況が同時発生する事態をさす用語とされている。私は,すでに述べたように,輸入品価格の上昇から生じる物価上昇は,厳密な意味でのインフレーション,つまり全般的・名目的物価上昇とは考えていない。特定産業での(ただしかなり広範な)実質的物価上昇である。したがい,輸入物価高騰から不況が生じることはコスト・プッシュ不況であり,これをただちにスタグフレーションと呼ぶのは正確ではない。そもそも持続的な物価上昇をすべてインフレと呼ぶ日常用語が定着してしまっている以上,これもまた日常用語としてはやむを得ないかもしれない。しかし,議論の正確性を損なう形で使用されるべきではなかろう。

 なお,コスト・プッシュ不況対策で財政を拡張し,それが生産拡大・雇用確保に十分な作用を持たなかった場合や,逆に設備と労働力の余裕がなくなっても財政拡張が続けられた場合は,厳密な意味でのインフレが生じる。この時,不況から回復していなければ,不況と厳密な意味でのインフレが併存することになり,スタグフレーションと呼ぶこともおかしくない事態になる。

 用語の正確さにこだわって何の意味があるのかと言われるかもしれないが,政策論議を誤らせないために必要なのである。安倍政権や黒田日銀は持続的物価下落をすべてデフレと呼んでいた。ところが岸田・石破政権以後は,物価が既に上昇に転じたのに,需要の弱さによる不況があればデフレだとして,「日本はまだデフレから脱却していない」と言い張るようになった。これではわけがわからない。このようなちぐはぐさをなくすためにも,物価変動分類論は必要なのである。詳細は川端(2025)を参照して欲しい。


唐鎌大輔(2024)『弱い円の正体:仮面の黒字国・日本』日経BP。
川端望(2025)「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492, 1-20。https://doi.org/10.50974/0002002920
川端望(2026.2.27)「高市首相の施政方針演説について:ナローパスに賭けるべきだろうか」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_27.html
川端望(2023.7.8)「賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/2023.html
川端望(2022.6.28)「安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2022/06/blog-post_28.html
川端望(2022.6.20)「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2022/06/blog-post_20.html



2026年2月27日金曜日

高市首相の施政方針演説について:ナローパスに賭けるべきだろうか

  2026年2月20日,高市首相が施政方針演説を行った。以下,「圧倒的に足りないのは、資本投入量、すなわち国内投資です。その促進に徹底的なてこ入れをします」という言葉は,よく考えて分析的に(複数の側面や可能性を考慮して)見る必要があること,しかしそうしてみても,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくってまいります」というのは根拠のない煽りであることを書く。

 内閣府データで潜在成長率と,これに対する各項目(資本投入,労働時間,就業者数,全要素生産性)の寄与度をみると,以下のとおりである(内閣府資料,2025年12月23日更新)。

潜在成長率:0.5
全要素生産性:0.4
資本投入量:0.2
労働時間:-0.2
就業者数:0.2

 いまのままの生産関数(経済構造)では,カネとヒトを投入しても,これまで程度の生産性上昇があったとして,0.5パーセント/年の実質成長が限度である。資本投入量を増やそうと無理をすれば,単に超過需要で生産が増えず,インフレになるだけだ。インフレになれば過度な円安も続き,輸入物価も高止まりする。これではだめなのだが,高市政権は,内閣府のデータが示す,そうした基本的な因果関係をごまかしている。

 いや,経済構造そのものを変え,全要素生産性をさらに引き上げて,潜在成長率を引き上げる(供給の天井を引き上げる)のだというならば,それ自体はもっともだ。「量子、航空・宇宙、コンテンツ、創薬などの17の戦略分野」の育成というのはそういうことだろう。しかし,全要素生産性をどうやって引き上げるかに注意が必要だ。

 すでにフル稼働しているモノを,カネの力で投資に誘導するならば,消費を減らさねばならない(※1)。どうしてもそうするというのであれば,消費税減税などでなくむしろ増税するか,あるいは消費税減税を上回る富裕層増税や法人税増税をして財源を作り出すべきだろう。高市政権には,そのようにする気はなさそうに見える。

 そうではなく,モノの配分をさほど変えず,消費を抑圧せずに生産性を引き上げるというのであれば,それ自体ももっともだ。しかしそれならば,設備投資を必要としない方策,つまり規制改革,税制によるインセンティブ構造の改善,研究者・技術者のキャリアパス確保,起業や,女性と高齢者の正規雇用拡大といった方法をとるべきだろう。高市政権には,そうした工夫をする気配がなく,投資促進を煽っているように見える。

 結局,政権が事実上狙っているのは,以下のような狭い道筋(ナローパス)だろう。まず,0.5%の成長余地を活用してAI導入の全面化に投資し,潜在成長率の向上を図る。また,現に進んでいる非労働力(高齢者と主婦)の雇用を促進するとともに,労働時間規制を緩和して労働投入を増加させる。同時に,名目賃金の引き上げは支持して,収入増が消費増に結び付くように誘導する。これらを行えばインフレは継続するが,これを緩やかな,国民の不満が爆発しない程度に保つ。そうすると,実質賃金は上がらないために,企業利潤の増と消費増で景気は維持される。その上,政府債務残高は目減りし,財政赤字拡大を相殺できる。こんなところだろう(※2)。

 だが,これはナローパスである上に,転落すれば危ない橋である。インフレが加速し,円安が是正されずに輸入物価が高止まりして,実質賃金が停滞すれば,国民の不満が爆発する可能性は高まる。また,単純な雇用促進では非正規雇用が拡大して正規との格差は是正されない。また裁量労働制拡大は,専門職はとにかく一般ホワイトカラーでは,単にただ働きに終わる危険が高い。そして,AI導入は結局は進展するとしても,この先バブル化してクラッシュするリスクも高い。新興産業とは,エクイティ・ファイナンス,バブル,クラッシュを通して生産力を発展させるものだ。すでにマーケットでは,株式の比重を減らし,ドル国債に慎重な態度をとり,エネルギーと貴金属に投資しようという動きが出ているのである。稼働できないデータセンター,利益を生まないAI開発投資という時期も,すくなくとも一度は来ると見た方が現実的だ。

 長い目で見て,生産性向上に投資すべきなことはまちがいない。成長の天井を上げないと,所得の生まれようがないからだ。しかし,インフレ・円安の現状でこの「投資の危ない橋のナローパス」に賭けるべきだろうか。それよりも,インフレを加速しない方法で,国民生活を救う道を求めるべきではないか。それは,再分配の強化である。選挙で選択された以上,減税はもっともである。しかし減税だけすればインフレを加速して元も子もなくなる。中間層・低所得層に減税すると同時に,富裕層や大企業には増税することが必要だろう。国民生活が安定すれば,企業も国内に投資する動機を強めるだろう。

 インフレと円安・輸入物価高という現下での制約条件を無視し,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくって」も効果は期待できない。日本人の底力などといって因果関係をごまかしてはならない。タイヤが滑って空回りしつつあるときに,エンジンの底力を信じて吹かすべきだろうか。タイヤが地面をとらえて,着実に進めるようにすることが肝心だと,私は考える。

※1 カネは海外からも調達できるし,金融的流通から実物経済に引き戻すこともできるし,信用創造で生み出すこともできる。だからカネの投資を名目的に増やすことはできる。しかしモノがなければ工場・設備・施設は作れず生産能力は拡大できない。
※2 古い学説をご存じの方は,大内力の国家独占資本主義論を思い出されたい。



2025年2月27日木曜日

「公正な移行」はできるか?タタ・スチールはイギリスで高炉を廃止し,電炉を設置する

 タタ・スチールはイギリスのポートタルボットに高炉2基を備えた一貫製鉄所を保有していたが,業績悪化により9月に最後の高炉を閉鎖した。この設備閉鎖をめぐっては地域経済の旧サイト雇用をめぐる激しい議論が交わされた末に,高炉・転炉に代わって電炉を設置する計画が提案され,このほど計画委員会の承認を得た。投資額は12.5億ポンド。政府から5億ポンドが補助される。高炉とそのほか川上工程の閉鎖により、南ウェールズでは約2500人の雇用が失われ、今後さらに300人の雇用が失われる見込み。電炉が作り出す雇用は500人と期待されている。

 このプロジェクトは,CO2排出負荷の高い技術から低い技術への「公正な移行」(just transition)ができるかどうかを占うもので,今後の世界各地で起こるであろう類似の技術移行にとって重要な示唆を与えることになる。

Huw Thomas, Tata Steel £1.25bn electric furnace approved by planners, BBC, 18 February, 2025.
https://www.bbc.com/news/articles/cvgegrep2xno

2024年3月21日木曜日

旅立ちの時

 旅立ちの時

 当ゼミの修了生,博士研究員の銀迪さんは,4月1日から同志社大学商学部助教に就任します。思えば,大学院受験の相談を受けて,出張ついでに銀さんと池袋の喫茶店で会ったのは2015年夏のことでした。それから約9年間,色々なことがありました。とくに後期課程に進んでからは,私は,春も夏も秋も冬も,銀さんの論文が完成するだろうか,仕事が見つかるだろうかという緊張と不安を抱えていましたが,本人にはその数倍の重圧がかかっていたことでしょう。よく耐えてがんばったと思います。博士論文と,単著論文1本,共著論文2本を公刊して,ついに独り立ちする時を迎えました。

 おめでとうございます。

銀迪(2022)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」博士(経済学)学位論文。

銀迪(2022)「中国の鉄鋼産業政策:設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結」『産業学会研究年報』37,133-153。

川端望・銀迪(2021)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」『アジア経営研究』27,35-48。

川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1),1-31。



2023年2月9日木曜日

ベトナムにおける直接投資プロジェクト認可の分権化に関する問題:Au Thi Tam Minh氏の論文から学ぶ

  一般論として,途上国かつ社会主義国において,地方分権化を進めることは積極的意味を持つことが多い。しかし,対象が大規模FDIプロジェクトの認可であって,また分権化の方法がぎこちなく適切でない場合には,話が違ってくる。ベトナム鉄鋼業における外資誘致について,私はずっとそう思っていた。技術的に合理性のないプロジェクトに認可を与え,プロジェクトは全く進まず建設予定地は更地のままということが少なくなかったからだ。そして初の大型銑鋼一貫企業フォルモサ・ハティン・スチールをめぐっては,高炉操業開始前に魚の大量死事件が発生した。

 ホーチミン国家政治・行政学院のAu Thi Tam Minh氏がESCAPの雑誌に発表したこの論文は,フォルモサ・プロジェクトの誘致と海洋汚染事件をめぐり,行政の機構と運営のどこにどう問題があったかについて,ヒアリングを重ね,何とか具体的に示そうとしている。フォルモサの具体的事例については,どうしても秘密の壁に阻まれて一般論にとどまるところはあるが,中央と地方,部署と部署をめぐる政府間関係の問題については,かなり具体的に解明できている。こういう論文が欲しかったので,たいへん参考になる。

「 FDI管理の分権化の有益な効果にもかかわらず,それがFDIプロジェクトの管理を緩くし,その結果,2016年の環境災害につながったのではないかという懸念は存在する。おそらく,地方当局は慎重な検討なしにFDIプロジェクト誘致を追求した。Hung Nghiep Formosa Ha Tinh Steelプロジェクトの許認可プロセスを振り返ると,広範囲な影響と高い環境リスクを伴うこのような大規模プロジェクトが、大雑把な報告しかなかったにもかかわらず,いとも簡単に承認されたことは驚くべきことである。」(p. 93)

Au Thi Tam Minh, Challenges in implementing decentralization of foreign direct investment management in Viet Nam – case study of the Hung Nghiep Formosa Ha Tinh Steel project in Ha Tinh province, Asia-Pacific Sustainable Development Journal, 2019, vol. 26, issue 2, 83-105.

ジャーナルのページ(ダウンロード可能)
https://www.unescap.org/publications/asia-pacific-sustainable-development-journal-vol-26-no-2-december-2019

直リンク
https://www.unescap.org/sites/default/files/Paper%204_0.pdf

2022年12月6日火曜日

博士論文 銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」の公表によせて

  当ゼミの修了生である銀迪さん(東北大学経済学研究科博士研究員)の博士論文「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」が東北大学機関リポジトリTOURで全文公開されました。

 この論文は,2001-2015年の高成長期における中国鉄鋼業の構造を,需要構造,技術選択と生産システム編成,企業構造,産業の構造,産業政策の諸側面から明らかにしたものです。

 中国は世界最大の製鉄国ですが,この時期の鋼材需要の中核は,小ロット指向の中低級品,典型的には鉄筋用棒鋼などの建設用鋼材でした。自動車用鋼板などの高級鋼材需要も増えましたが,そのシェアの拡大はゆるやかなものでした。

 鉄鋼企業は,この需要構造を背景にして技術・生産システムを編成しました。その結果,宝武集団に代表される,大型高炉一貫システムを基礎とした大型高炉一貫企業も多数形成されました。この15年間のうちに業界団体非加盟の小型企業から最大級の高炉一貫企業にまで駆け上った例もあります。しかし,民営の業界団体非会員の小型企業(高炉一貫企業,電炉企業,単純圧延企業)も多数成長しました。産業全体としては,国有・民営が混合する大型高炉一貫企業と,非会員小型企業が併存する構造となりました。そして,実は大型高炉一貫企業も,内部には大型高炉一貫システムと中小型高炉一貫システムの双方を保有していたのです。

 中国政府は鉄鋼業の高度化をめざし,設備巨大化・企業大型化・産業集中化を促進する産業政策を実施しましたが,その作用は功罪半ばするものとなりました。大型設備による沿海鋼鉄基地の形成や,旧式設備淘汰による環境改善には寄与しました。その一方,中低級品需要にこたえる民営小型企業の投資を排除しようとしたことは市場ニーズに逆行する行為でした。結果として,このニーズは,規制を逃れて投資を進めた民営企業によってカバーされたのです。

 中低級品の一部では,群生する小型民営企業に加えて,大型高炉企業までも,中小型高炉一貫システムを用いて競争しました。この激しい設備投資競争は過剰能力の形成に向かい,結果として中国鉄鋼業の高成長期を終わらせることになったのです。

 銀さんの論文は,この時期の中国鉄鋼業の技術や産業組織を理解するために,まず最初に読んでおくべきものになったと思います。

 また,この論文は徹底したケース・スタディですが,実は「生産システムー企業ー産業」という産業の三層構造分析と,「目的合理性ー執行強度ー結果」と言う産業政策の二軸三局面分析という理論的方法論に基づいています。

 前者の方法により,世界最大の製鉄国である中国が,生産システムの次元では中小型高炉一貫システムに依拠しており,また,そうでありながら企業レベルでは巨大企業の形成が進んでいるという複雑な構造を持っていることを明らかにしました。このことは,企業自身による市場適応という側面と,政府の企業巨大化・産業集中化政策の結果と言う二側面を持っていました。

 また後者の方法により,中国政府の産業政策について,政策目的通りの成果を上げたこと(沿海鋼鉄基地の形成,旧式小型設備淘汰による環境保全),政策目的を達成できなかったこと(合併・買収による産業集中度の向上),政策目的から外れた企業行動によって,かえって望ましい結果に至ったこと(民営企業の多数参入による建設用鋼材の供給)を区別して評価することを可能にしました。

 指導教員としては手前味噌ですが,本稿は,私自身の鉄鋼業研究ではこれまでなしえなかった,産業研究の理論的深化に踏み出していると思います。

銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」2022年10月6日学位授与。博士(経済学)

2022年6月4日土曜日

『産業学会研究年報』第37号が発行されました

 『産業学会研究年報』第37号が完成しました。編集委員長になって4冊目です。招待論文2本,査読付き投稿論文10本,書評8本を掲載できました。

■招待論文
"日本繊維産地の構造変化と主体的行為―衣服製造産地を例に―" (奥山雅之)
"グローバル化/ファスト化に翻弄される繊維産地と域内縫製業の苦闘"(岩佐和幸)

■査読付き投稿論文
"CASE時代の欧州自動車産業の「脱炭素」戦略―欧州「EVシフト」をどう見るか?―" (細矢浩志)
"2020年コロナ禍下での日欧の自動車リサイクル制度改革の論点―日本とポーランドを事例に―" (外川健一)

"地理的分断克服に向けたトヨタ・グループでの委託開発の取り組み―トヨタ車体研究所の事例研究―" (佐伯靖雄)
"オーラル・ヒストリー手法によるトヨタ自動車と天津汽車の国産乗用車合弁事業の経緯"(垣谷幸介)
"ボーイングの技術競争力と連邦政府の認証制度"(山崎文徳)
"中国の鉄鋼産業政策―設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結―"(銀迪)
"日系塗料2社の住宅・建築用海外事業の比較研究  ―寡占反応説は成立するか?―"(竹下伸一)
"金属3Dプリンタビジネスの現状と課題―サービスビューローの役割に関する検討―" (原田優花子・小竹暢隆)
"デザイン経営に向けた感性を起点としたマッチング―ものづくり中小企業におけるデザイン人材とのマッチング実践事例からの考察―"(三好純矢・近藤信一)
"市場構造の変化を踏まえた事業展開のあり方について―写真館を事例に―"(大平哲男)

■書評
北嶋守『ヘルスケア産業クラスター形成の日本的特質』同友館,2020年12月。(杉浦勝章)
明石芳彦『基本から学ぶ地域探究論』ミネルヴァ書房,2021年6月。(中山健一郎)
金容度『日本の企業間取引』有斐閣,2021年3月。(田中彰)
松原宏・鎌倉夏来『工場の経済地理学 改訂新版』原書房,2020年11月。(山﨑朗)
藤本典嗣・朴美善『東アジア・北米諸国の地域経済:中枢管理機能・工業の立地と政策』中央経済社,2021年4月。(田村大樹)
折橋伸哉編著『自動車産業のパラダイムシフトと地域』創成社,2021年1月。(佐伯靖雄)
石川幸一・馬田啓一・清水一史(編著)『岐路に立つアジア経済:米中対立とコロナ禍への対応』文眞堂,2021年10月。(小林哲也)
佐藤寛, アジアコンビニ研究会 編『コンビニからアジアを覗く』日本評論社,2021年6月(孫飛舟)

■追悼文
"高橋哲雄元産業学会会長を悼む"(山﨑朗)
"高橋哲雄先生を偲んで"(宮田由紀夫)
"大西勝明元産業学会会長を悼む"(山﨑朗)
"大西勝明先生を偲んで"(小林世治)

最新号の無償公開は1年後です。1-36号はJ-Stageで無償公開されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/sisj/-char/ja




2021年9月20日月曜日

川端望・銀迪「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」の公表に寄せて

 銀迪さんとの共著「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」が掲載された『アジア経営研究』第27号が発行されました。このテーマで科研費の申請をしたのが2016年の秋ですから,論文にするまで5年を要したことになります。今回は,現実の事態が紆余曲折を伴って進行していくときに,それを学問的に把握することの難しさに突き当たり,結果として現実の方が一段落ついたところでまとめることができました。現時点(2021年9月)では,この研究対象に関して最も詳しい事例研究であり,より広く中国の産業政策のあり方にも一石を投じている論文であると自負しています。

 J-Stageに登載されるまで少し時間がかかるため,編集委員会の許可をいただき,大学サイトでPDFを公開いたしました(追記:J-Stageに公開されましたのでJ-Stageにリンクしました)。

こちらからご利用ください

  なお,本稿はRIETIプロジェクト「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第Ⅴ期)」の成果であり,RIETI Discussion Paper Series, 20-J-038の完成形です。





2024/7/30 リンクをJ-Stageにつけかえ。


2021年6月15日火曜日

『産業学会研究年報』第36号刊行

 『産業学会研究年報』第36号,発行されました。今号は,査読制度改革後の最初の号です。「招待論文」「投稿論文」のそれぞれの性格を明確にしました。また書評選考プロセスを改革し,NDL-ONLINEを用いて会員著作を見逃さないようにしました。論文10本,書評15本が掲載されています。

 編集委員長になってから3冊目を無事に発行出来て一安心です。なお,昨年発行の第35号はJ-Stageで公開されました。
■ 招待論文
□ ふくしま医療機器クラスターの現状と課題,今後の動向(石橋毅)
■ 投稿論文
□ 日本における介護ロボットの普及課題-ビジネス・エコシステムの視点に基づいて-(北嶋守)
□ 医療機器におけるAM技術の普及-中小製造業を事例にして一(藤坂浩司)
□ テスラの事業戦略研究・序説(佐伯靖雄)
□ カーエレクトロニクス部品の国内需要に関する試算-産業連関表におけるデバイス製品からの推計-(太田志乃)
口 自動車部品ビジネスにおけるトップ・セールスの有効性について-人脈による企業間関係構築の媒介性と速度感の視点からの考察-(宮川正洋)
□ 日本の法人向け自動車販売における企業間関係(岸田淳)
□ 周辺地域における航空機部品受注と次世代航空機への対応一秋田県を事例として一(山本匡毅)
□ ファーストリテイリングのSDGsに向けての未来戦略(畑中艶子)
□ デザイン経営における感性のマッチング-岩手県内中小企業における実験的取組みに基づく実証研究からの考察-(三好純矢・近藤信一)
■書評
塩地洋・田中彰編著『東アジア優位産業:多元化する国際生産ネットワーク』中央経済社,2020年3月(赤羽淳)
前田啓一・塩地洋・上田曜子編著『ASEANにおける日系企業のダイナックス』晃洋書房,2020年10月(肥塚浩)
明石芳彦『進化するアメリカ産業と地域の盛衰』御茶の水書房,2019年3月(川端望)
公文溥・糸久正人編著『アフリカの日本企業:日本的経営生産システムの移転可能性』時潮社,2019年3月(小林哲也)
中島裕喜『日本の電子部品産業』名古屋大学出版会、2019年2月(佐伯靖雄)
山﨑朗編著『地域産業のイノベーション・システム:集積と連携が生む都市の経済』学芸出版社,2019年2月(松原宏)
奧山雅之『地域中小製造業のサービス・イノベーション : 「製品+サービス」のマネジメント』ミネルヴァ書房,2020年5月(山﨑朗)
加藤秀雄・奧山雅之『繊維・アパレルの構造変化と地域産業 : 海外⽣産と国内産地の行方』文眞堂,2020年8月(杉田宗聴)
赤松裕二『フルート製造の変遷 : 楽器産業の製品戦略』大阪公立大学共同出版会,2019年11月(中道一心)
久保隆行『都市・地域のグローバル競争戦略-日本各地の国際競争力を評価し競争戦略を構想するために-』時事通信社、2019年1月(杉浦勝章)
李澤建『新興国企業の成長戦略: 中国自動車産業が語る"持たざる者"の強み』晃洋書房,2019年11月(上山邦雄)
石鋭『改革開放と小売業の創発:移行期中国の流通再編』京都大学学術出版会,2020年3月(田中彰)
十名直喜『人生のロマンと挑戦 : 「働・学・研」協同の理念と生き方』社会評論社,2020年2月(熊坂敏彦)
中瀬哲史・田口直樹編著『環境統合型生産システムと地域創生』文眞堂,2019年3月(中山健一郎)
日野道啓『環境物品交渉・貿易の経済分析 : 国際貿易の活用による環境効果の検証』文眞堂,2019年12月(堀井伸浩)

2020年12月22日火曜日

ベトナム鉄鋼業論が英語の論集に収録されました:Hiromi Shioji, Dev Raj Adhikari, Fumio Yoshino & Takabumi Hayashi eds., Management for Sustainable and Inclusive Development in a Transforming Asia, Springer, 2020

  分担執筆した英語の本が出版されました。Google Scholarからのプロフィール自動更新情報で気づいたのですが,どうやら12/5にアップされたようです。紙版1冊をもらえるかどうかわからないので,とりあえず図書館所蔵用を注文します。


Kawabata, N. (2020). Development of the Vietnamese Iron and Steel Industry Under International Economic Integration, in Hiromi Shioji, Dev Raj Adhikari, Fumio  Yoshino & Takabumi Hayashi eds., Management for Sustainable and Inclusive Development in a Transforming Asia, Springer, 255-271.(国際経済統合下におけるベトナム鉄鋼業の発展)

https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-981-15-8195-3_15

 この論文の最初のバージョンは,2018年にベトナム鉄鋼業に関する評価の輪郭を思いついた時に,とにかく実務者,政策担当者,研究者に速報しようと日本語,英語両方でDPにして配信したものでした。その後,IFEAMA(東アジア経営学会国際連合)の大会で報告し,報告論文からピックアップしての出版にエントリーして採択されました。

 執筆を決めた時に念頭に置いたのは,実務家や政策担当者の状況でした。つまり,ベトナム鉄鋼業はアジアの産業の中で地位を急速に向上させているのに,この産業の発展史や各セクター(国有,民営,外資)に関する評価が提示されていなかったことです。その原因は簡単で,継続的に調査・研究している人が私以外にほとんどいないからでした。なので,まずはベースとなるものを私が書いて提示するのが社会的責任であろうと思ったわけです。これで,ベトナム鉄鋼業への評価がおかしな方向にすっとんでいく危険は回避できたし,この産業に関する仕事に携わろうとする人に,まず最初に読んでもらいたい論文になったと自負しています。

 しかし,とりあえず関係者に理解してほしい要点だけを詰め込んだものであり,実証分析は十分とは言えません。次の課題は,もっと解像度の高く詳細な研究書を一人で書き上げることです。


2020年10月10日土曜日

経済産業研究所(RIET)DP「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策」を公表しました

  銀迪さんとの共著による,中国鉄鋼業の過剰能力策削減政策研究。ようやく経済産業研究所のディスカッション・ペーパーになりました。2017年度の科研費から研究を初めて3年半,学会報告から2年,原稿を書き始めてから1年半。とにかく,人様の目に触れて政策論議に乗っけられるところまでは来ました。でもまだ終わりではありません。さらに改稿し,字数制限の範囲に納めて雑誌に投稿します。とにかく,書くには書いています。

川端望・銀迪(2020)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての評価」RIETI Discussion Paper Series, 20-J-038, 1-30,9月。

2021年9月21日追記。本稿の完成版は査読付き論文として『アジア経営研究』に掲載されました。発行元許諾を得て公開しています。

川端望・銀迪「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策―調整プロセスとしての産業政策―」『アジア経営研究』第27号,アジア経営学会,2021年8月,35-48頁。






2020年5月24日日曜日

大企業を救済するために無差別資本注入を行うことに反対する

 政府系金融機関による劣後ローンや優先株で大企業を救済する案について,私は基本的な観点を述べておきたい。
 経営者に責任のない災害による経営危機であるから,劣後ローンでの支援まではありうると思う。また,公共交通機関である航空会社など特定分野の企業については,オペレーション維持のための救済はありうるだろう。ただし,程度の差があれ公的規制が入るのは当然だ。
 一方,大企業への無差別資本注入は賛成できない。資本注入とは,出資先企業の存続にコミットすることだからだ。
 産業や企業は永遠のものではない。このコロナ危機を経て,産業構造は当然に変化するだろうし,変化すべきとさえ言える。インフラ維持と弱者救済はするとしても,どのような大企業が生き残るかは,市場で決めねばならない。大事なことは,将来の新産業構造を担う企業を興隆させることであり,現存する大企業をまるごと守ることではない。両者は異なるものだ。近い将来のビジネスの担い手は,まだ創業していないかもしれず,今は中小零細企業かもしれない。それらが伸びる可能性を摘まないためには,既存大企業に資本注入して政府がその存続にコミットしたりすべきではない。優先株として資本注入しながら何も発言しない無責任経営はもっと悪い。日銀のETF購入と類似の誤りである。
 労働者,自営業主,市民は人間であるからその存在そのものが守られねばならない。自営原理が浸透している日本の中小零細企業にも救済の余地がある。しかし,大企業は人ではなく,人に奉仕すべき組織である。守られるべきは既存企業ではなく,明日果たされるべき企業の役割だ。守るべきは人間であり,生き延びた人間に選ばれてこそ企業は生きるべきである。

2020年1月24日金曜日

2019年の中国鉄鋼業の状況と,能力置換プロジェクト公告・登録の停止通知について

 1月22日,国家発展改革委員会は「鋼鉄行業2019年運行情況」を公表した。それによると,2019年の中国銑鉄生産は8億937万トン(前年比5.3%増),粗鋼生産は9億9634万トン(同8.3%増),鋼材生産は12億477万トン(同9.8%増)であった。鋼材は重複計算を含むので,実際は10億トン程度であろう。鋼材輸出は6429万3000トン(前年比7.3%減),輸入は1230万4000トン(同6.5%減)であった。
 粗鋼の方が銑鉄より前年比の増加率が高い。これは,製鋼工程での原料における銑鉄比率が低まり,鉄スクラップ比率が高まったことを意味する。鋼材生産の伸び,輸出の減少,輸入の減少から内需の増減を計算すると,単純計算で1億390万6000トンの内需拡大があったことになる。米中貿易摩擦やそれと関連した景気の減速にもかかわらず,鉄鋼生産は好調であり,貿易摩擦激化につながる輸出増は起こらなかったのだ。
 ただし,企業間競争が激しいことも読み取れる。鋼鉄工業協会会員企業の売り上げは10.1%伸びたが,利潤は30.9%も減少し,売上高利潤率は4.43%と,前年比で2.63パーセントポイント下降した。
 翌23日,国家発展改革委員会弁公庁と工業和信息化部弁公庁は,「関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知」(発改電〔2020〕19号)を公表した。この通知は,1)鉄鋼生産能力置換方策の公告とプロジェクト登録の暫定的停止,2)現在の鉄鋼生産能力置換プロジェクトの自主検査を指示している。産業発展司によるその解説では,a)粗鋼生産が記録的な水準に達し,需給不均衡を引き起こす可能性があること,b)一部の能力が集中的に投資されるために需給バランスが崩れるリスクが高くなること,c)能力移転の科学的論証が不十分であり,地域の産業構造や環境の許容量や省エネ・汚染物質排出削減の観点から見て,構造調整の所定の結果を達成するのが難しいことを指摘している。
 この通知は重要な意味を持つ。中国政府は鉄鋼業の過剰能力を抑制するために,2016-2018年の3年間に,旧式・小型設備を中心に粗鋼生産能力を閉鎖させた。そしてそれと同時に「能力置換」政策を実施した。これは,閉鎖する設備と新設する設備を共に明示し,後者の製銑・製鋼能力が前者と同等か下回る場合にのみ設備投資を認めるというものであった。政策が文字通りに運用されれば,製銑・製鋼能力は中国全体として増えることなく,現代化されるはずであった。しかし,これまでも政策運用上のエラーや例外的措置によって,減量置換の原則を潜り抜けてしまった能力が存在すると推定されていた。私は,2016-2018年の能力削減実績が,政府によれば1.55億トンであるのに,同じ政府の公式統計を時系列で見ると1億トンにしかならないことの原因の一部は,ここにあったと推定してきた。そして今,能力置換が想定通りの効果を上げないおそれがあることを,政府自身が認めるに至ったのである。

国家発展和改革委員会「鋼鉄行業2019年運行情況」2020年1月22日。
https://www.ndrc.gov.cn/fggz/cyfz/zcyfz/202001/t20200122_1219726.html
国家発展改革委員会弁公庁・工業和信息化部弁公庁「関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知」発改電〔2020〕19号,2020年1月23日。
https://www.ndrc.gov.cn/xxgk/zcfb/tz/202001/t20200123_1219768.html
国家発展改革委員会産業発展司「深化供给側結構性改革 促進鋼鉄行業高質量発展——《関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知》解読」2020年1月23日。
https://www.ndrc.gov.cn/xxgk/jd/jd/202001/t20200123_1219770.html


※川端望(2019)「中国鉄鋼業の生産能力と能力削減実績の推計―公式発表の解釈と補正―」TERG Discussion Paper, 414, pp.1-8, November。
http://hdl.handle.net/10097/00126428


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...