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2025年10月27日月曜日

中峯照悦『労働の機械化史論』溪水社,1992年のオープンアクセス化を祝う

  広島大学が溪水社と協力して,同大学の研究者の著作62点を電子化し,オープンアクセスとした。

 私にとっての技術論のバイブルである中峯照悦『労働の機械化史論』が,誰にでも読めるものになったことはすばらしい。私は本書が出版された際に詳細なレジュメを作って生産システム研究会(坂本清氏主宰)で報告し,その縁で,自分が学位を持ってもいないのに大阪市立大学における本書による博士(商学)の学位審査に加わった。参考論文として「田辺振太郎「技術論」における労働手段論の検討」『社会文化研究』第12号,1986年 も提出された。主査は加藤邦興氏であった。1995年のことである。

 私の意見では,本書は旧ソ連に起源をもち,戦前は相川春喜氏が,戦後は中村静治氏が体系化した労働手段体系説と,石谷清幹氏が提起し,田辺振太郎氏がいささか偏った形で定式化した「動力と制御の矛盾」による技術の内的発展法則論の完成度を,飛躍的に引き上げた。その理論的飛躍は,1)学説史的にはマルクス機械論とそこで引用された機械学文献を詳細に検討した上で,2)労働の理論においては(アダム=スミスのように)分業ではなく協業の発達という視角を貫き,3)労働手段の理論においては(田辺氏を含む多くのマルクス派のように)単体の機械(マシーネ)でなく機械(マシネリ)の体系(動力機ー伝導機構ー作業機の体系のこと)の次元で「動力と制御の分化→それぞれの側面での発達→再結合」という把握を貫くことによって成し遂げられた。

 プラットフォームに基づく技術構造が注目される以前の,フロー生産プロセスに関する理論では,本書はマルクス派の一つの到達点であると,いまなお私は考えている。

 ところが本書は版元は品切れ,大学図書館でもわずか49館しか入っておらず,書評論文すら1本(『科学史研究』掲載。慈道裕治氏による)しか見つからず,学位論文審査報告書すら電子化公開されていない。オープンアクセス化を機会に,本書の価値が再発見されることを願ってやまない。


「溪水社書籍62冊を電子化・公開しました」広島大学図書館,2025年10月21日。
https://www.hiroshima-u.ac.jp/library/news/93521


中峯照悦『労働の機械化史論』溪水社,1992年。
まえがき
凡例
序説 人類史における生産力の画期
第1章 発達した機械(マシネリ)の構造
第2章 18-19世紀機械学史と『資本論』における機械の把握
第3章 田辺振太郎『技術論』における機械論の検討
第4章 協業論
第5章 “機械"以後の機械の発達一制御的労働の機械化の過程一
結 び 労働過程と自然法則導入の歴史性
挿絵出典一覧
索引

以下より全編ダウンロード可能
https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2041235


2025年6月28日土曜日

「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」が『産業学会研究年報』第40号に掲載されました

  拙稿「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」が『産業学会研究年報』第40号に掲載されました。昨年発表した「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」とあわせて,共英製鋼のベトナム進出2部作が完結しました。いずれもダウンロードいただけます。

 もともと,2020年度から始まった科研費でベトナム鉄鋼業における外資の役割を取り上げる予定でしたが,コロナ禍突入によってベトナム渡航ができなくなり座礁しかかりました。そこで共英製鋼に事例を絞って日本での聞き取り,資料収集から始め,2023年2月には念願の現地調査も実現して,どうにか完成へと向かいました。

 現地での生産拠点第1号のビナ・キョウエイ・スチールには2000年8月から訪問を続けてきましたので,もう25年になります。ずいぶん時間がかかってしまいましたが,第1論文では,巨大高炉メーカーでなく,中堅電炉メーカーの共英製鋼がベトナム事業を定着させられたことの意義を,また第2論文では,地道に現地定着を目指した同社が,異なる技術を用いたローカル企業に思わぬ挑戦を受けたことの意義を解明できたと思います。

 必ずしも成功の側面ばかりを描いたわけではないにもかかわらず,快く調査に応じてくださった共英製鋼株式会社には深く感謝しています。


第2論文

川端望「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」『産業学会研究年報』第40号,産業学会,2025年3月,37-55頁。
https://researchmap.jp/read0020587/published_papers/50024237
※学会の許諾をとってPDFを公開しています。

第1論文

川端望「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」『アジア経営研究』第30-1号,アジア経営学会,2024年8月,77-92頁。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.30.1_77



2025年6月6日金曜日

市川浩『“技術論”の源流を訪ねて―1930年代ソ連における“マルクス主義的技術史”の探求―』広島大学出版会,2024年を読んで

  市川浩教授とは若いころに研究会でお会いしただけであり,その時もふたこと,みこと以上の会話はなかったように思う。しかし,本書のあとがきを読んでみると,私はこの方の数年遅れで同じ道を,もっとぼんやりしながら歩いていたような気がする。

 私は市川教授に7,8年遅れて技術論論争史に出会って夢中になり,彼が単位取得退学(のちに学位取得)した3年後に大阪市立大学に職を得て,彼が学んだ加藤邦興ゼミに1年ほど出席させていただいた。同大学に在職中には,市川教授の同僚である中峯照悦『労働の機械化史論』の学位論文審査委員に選出されたのでこれを精読して「マシーネ」と「マシネリ」の違いを初めて認識した。博士でない駆け出し教員に審査をさせるのも無茶であったとは思うが,おかげで勉強になり,中村静治『技術論論争史』に次いで私の技術論に影響を与えた本となった。その後,私は技術論を軸にしながら産業論を研究したが,技術ー生産管理ー技能の関連をどう整理すべきなのかがわからずに苦労した。その観点から注目したのが,転向後の相川春喜の技術論であった。唯物論研究会時代から転向後の戦時期,そしてシベリア抑留から帰国した後までの相川技術論について論じたいと思いながら果たせないうちに,市川教授は本書で技術論の源流にたどり着かれていた。

 さて本書は,技術を「労働手段の体系」と規定する説が,1930年代のソビエト連邦において,他の見解を政治的に圧殺しながら定式化されたものであることを明らかにしている。これは薄々予想できたことではあったが,実際に起こっていたこと,その具体的な過程を解明したことが本書の大きな功績である。技術論には,その源流において見落とされ,断絶された分岐があり,また「大テロル」を正当化したマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義の呪縛を受けていたのである。

 ところで,圧殺されたのが,労働手段体系説による技術史に物質文化史を対置する見解であったことは,私にとっては示唆的である。物質文化史研究は,いわば人間の実践を対象とするものだからだ。

 マルクス体系に沿って技術を考える際に,「手段」概念は,技術が社会において果たす役割を,技術進歩がかえって労働者を抑圧する問題を含めて,科学的に研究する道を開いたことは間違いない。また「実践」概念が,客観的条件に規定されながら主体的である人間の営みを解明する手掛かりになったことも間違いないだろう。そのように考えるならば,両者にはそれぞれ意義があるはずだ。

 私自身は,マルクスの理論構造に沿って理解し,産業論を研究し,まとまった理屈に沿ってものごとを論じるためには,手段概念の方が優れていると考えてきた。そうして鉄鋼業などを研究してきた。実践概念は技術でなく労働そのもの,例えば研究開発労働の規定にふさわしいし,理論としてまとまりがなく話が拡散しすぎると考えてきた。例えば星野芳郎氏の鉄鋼技術論をそのように批判的に評価してきた。だからといって意識的適用説を階級的敵であって反革命でブルジョア的だとも思わないし,スターリン主義の所産だとも思わない。繰り返すが実践概念は研究開発労働の規定としては意味があると思う。

 しかし,マルクス主義の歴史において,技術の手段概念と実践概念は,学問的に競い合う関係に入らなかった。相川春喜が定式化した「労働手段体系説」と武谷三男が提唱した「客観的法則性の意識的適用説」の相克において,技術を「手段」概念でとらえる見地と「実践」概念でとらえる見地は,通常の意味での学説の違いを超えて,互いを敵視し,根絶しようとする勢いで非難し合った。それはなぜなのか。

 私の限られた学びの範囲で,大まかに言うならば,「手段」概念がマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義的に理解されたときに極度に硬直的で異端審問的な命題と化すのに対して,「実践」概念はそれに対する解毒剤ないしアンチ・テーゼとしての役割を果たしたのだと思う。本書で論じられたソ連におけるズヴォルィキンの体系説による技術史と,ガルベルの実践概念に立つ物質文化史の関係にも,そのようなところがあったのではないか。戦後日本における技術の労働手段体系説と適用的適用説の関係,さらに言えば民科『理論』派に対する『季刊理論』派,戦後直後の松村一人らに対する主体的唯物論,反映論的芸術論に対する表現論的芸術論,反映論的唯物論に対する実践的唯物論は,みなそのような対立を含んでいたのではないか。やや戯画化して言えば,タダ,モノから出発し,モノを正しく認識しろ,正しい在り方はひとつであって間違うことは許されないという類いの硬直した唯物論理解に対する,実践行為から出発してその契機として認識を位置づけようとすることで,個性や多様な行動の価値を認めさせようとする理解の対抗である。そのような政治的文脈に「手段」概念と「実践」概念が置かれたのである。

 ただ,私はこの対立があったから,反スターリン主義の「実践」概念の方が正しかったと言いたいのではない。問題は,スターリン主義的硬直とそれに対するアンチテーゼという文脈の方だ。この文脈を取り去ってみれば,根本的には技術には「手段」概念の方が妥当すると考えているのである。それだけに,この,政治的文脈ゆえに起こった相克に納得がいかないのである。

 この相克は,具体的にはどのような理論的契機により,またどのような歴史的経緯により生じたのか。マルクス的技術論に潜む理論的可能性と危険とは何なのか。これらは,本書の到達点に立った上で,さらに追求されるべき課題のように思う。


出版社のページ
https://www.hiroshima-u.ac.jp/press/59

何と,本書は丸ごとオープンアクセスになっている。
https://doi.org/10.15027/55809

2019年2月24日日曜日

古い本と現在の私

 仙台駅前のE BeanS(=エンドーチェーン)で古本市があり,栃木県から「かぴぱら書房」という古書店が出店していた。ついうっかり,もうやるまいと思っていた「大学図書館にあるのだが手元に置きたいから買う」を3冊もやってしまった。

 1冊目はひとつは私の師匠村岡俊三教授のそのまた師匠である岡橋保教授が1972年に出された本で,序文にはスミソニアン合意のことが書かれている。師匠の言うことも半分くらいしか理解できていない私には,岡橋教授の論文もかなり難しい。しかし,この方の「不換銀行券は信用貨幣であり,政府が中央銀行に国債を引き受けさせる時以外は貨幣流通の法則に従う」という理論を,師匠を通して知らなければ,私はリフレーション論・インフレターゲティング論を批判できなかった。

 2冊目は,ついにお手紙を交わすだけでお会いすることのなかった技術論の心の師匠,中村静治教授の第1作。横浜高商を出て東京瓦斯電気工業に入社し,働きながら書いたものだそうだ。一方で,日本工業の立ち遅れを実証的に書きながら,1943年という戦時中のことで,時局迎合的な表現もある。大日本出版会から賞をもらえることになったと思ったら難波田春夫氏が「これはどうもアカの残党ではないか」と言ったとのことで取り消しになり,逆に特高に踏み込まれるかもしれないと蔵書を隠す騒ぎになったと,中村氏は述べられたことがある(「中村静治氏に聞くー工場・技術・経済学ー」『経済科学通信』第11号,1975年2月。なお,インタビュアーは森岡孝二氏である)。中村教授が後に著した『技術論論争史 上・下』(青木書店,1975年)に出会わなければ,私は産業論研究者として立ち上がれなかった。

 3冊目は,これまでタイ鉄鋼業の史実の確認と,雁行形態論と鉄鋼業の関係に関わる論点の確認のために2回引用した,戸田弘元氏の1970年の著作。氏は日本鉄鋼連盟調査部のエコノミストで,後に常務理事にもなられた。アジア経済研究所のアジア鉄鋼業プロジェクトにもアドバイスをくださった。実は,氏はかなり気難しい方でもあるのだが,私は,氏が小学生の頃,仙台で父と間接的な知り合いだったこともあってか,おおむね勘弁してもらい,励ましてもらうことが多かった。一度だけ,ホテルニューオータニかどこかのバーで,2人でお話しさせていただいたことが,記憶に残っている。鉄鋼業に特化しつつ世界各国を見るという,私の無茶な研究スタイルの大先輩である。

 どの本も,いまから見れば過去の存在なのだろうが,私にとっては現在の力だ。こうした先達のおかげで,私はかろうじて経済学者という商売をしていられる。

岡橋保(1972)『増訂 金投機の経済学』時潮社。
中村静治(1943)『日本工業論』ダイヤモンド社。
戸田弘元(1970)『アジアの鉄鋼業』アジア経済研究所。


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...