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2024年2月10日土曜日

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか

 日本製鉄のUSスチール買収提案について,トランプ氏や全米鉄鋼労働組合(USW)が反対しているという報道(※1)。こうした反対は,日鉄にとって織り込み済みであったろう。大統領選挙の政争に巻き込まれれば冷静な議論の対象でなくなることも当然予想がつくはずで,何らかの対策を持っているはずだ。森副社長は「政治の思惑だけでブロックすることはできない」と発言したと報じられているが,実際にそう達観しているわけではないだろう。

 しかし,どのような対策を持っているのか。

 日本企業のアメリカ進出に関するこれまでの経験から類推すれば,雇用に対するコミットメントが考えられる。アメリカの労使関係では,平常時には解雇よりえこひいきや差別の方が排除すべきものとされ,レイオフ(一時解雇)は社会的に容認されている。しかし,不況や国際競争力低下でレイオフが回復不可能な恒久的解雇となり,大量現象となるにつれて,それもまた社会的非難の的となる。USスチールは世界金融危機以後,連続的に従業員を減らし続けてきた。2008年の4万9000人から2023年には2万1803人と,55%も削減された(※2)。正確に言うことはできないが,その多くは会社による解雇であったと推測される。11月末にもイリノイ州グラニット・シティ製鉄所で400名のレイオフを発表したばかりで,これで9月以降に同製鉄所で1076名を解雇することになる(※3)。

 対して,日本の大企業が,日本で雇用の維持に強くコミットしていることはアメリカにも知れ渡っているし,日本製鉄は過去10年を見る限り従業員を減らしてはいない(瀬戸内製鉄所呉地区閉鎖で今後減るとは思うが)(※4)。

 だから,雇用維持と,それを支える工場への新規投資に関するコミットメントを発するのが,日本企業の買収をアメリカ社会に受け入れてもらうための常道なのである。

 しかし,日鉄がその道に踏み出すことにはリスクがある。USスチールの製鉄所には,将来に向かって拡張すべき電炉鋼板ミルもあれば,縮小の道をたどる以外考えにくい,つぎはぎ投資でなんとか持たせている老朽製鉄所もある。後者を縮小するために,レイオフという手段を捨てたくはないであろう。

 日鉄が隠し持っているのは,雇用維持へのコミットメントなのか,別の方策なのか。

※1「日鉄、USスチール買収への反発「想定内」 海外担当役員」日本経済新聞,2024年2月7日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC06E2F0W4A200C2000000/

※2 United States Steel Employees(StockAnalysisサイト)
https://stockanalysis.com/stocks/x/employees/

※3 Sara Samora, US Steel lays off more than 1K as it indefinitely idles Illinois plant, Manufacturing Drive, November 30, 2023.
https://www.manufacturingdive.com/news/us-steel-idles-granite-city-illinois-plant-lay-off-over-1000/701023/

※4  日本製鉄従業員数の推移(同社サイト)
https://irbank.net/E01225/worker


2023年10月27日金曜日

「同一価値労働同一賃金」を実現するための法改正について:共産党と立憲民主党の提案を手掛かりに

  2023年10月,共産党が「非正規ワーカー待遇改善法案」(骨子)を発表した。論点ごとにどの法律を改正しなければならないかを列挙しているので具体的である。また,立憲民主党は2020年11月に「同一価値労働同一賃金」法案を衆議院に提出している。野党から均等待遇に向けた具体案が出ていることは望ましい。

 ここでは,処遇の根幹である賃金において,正規・非正規の格差をどう是正するか,とくに法的措置としては何ができるかについて,両党の提案を手掛かりに検討したい。

 共産党の法案骨子は「『同一価値労働同一賃金』『均等待遇』の具体化を法律に明記します」「企業の恣意的な判断ではなく,客観的基準に基づいて評価し,非正規雇用を理由とする賃金・労働条件の差別を禁止します」と宣言している。もっともなことであるが,問題は,どのような「客観的基準」を設定するかである。他の論点に比べると,共産党の提案はここのところで具体性を欠いている。

 他方,2020年の立憲民主党法案は正規と非正規の待遇格差の合理性に関する挙証責任を使用者側に求めること,すでに起こった訴訟を踏まえて賞与・退職金の格差是正の規定を盛り込むこと,また複数個所(正規・非正規の待遇差の説明義務と,派遣労働者と通常労働者の処遇に不合理な差を付けないために考慮すべき要因)で「職務の価値の評価等を踏まえた」場合に言及していること,基本給・賞与・退職金が賃金の後払いまたは継続的な勤務に対する功労報償の性質を持つ場合については,他の性質を持つ部分とわけて扱うことを求めている。これは具体的な格差是正基準に迫ったものである。

 立憲民主党法案が,この間に起こった様々な正規・非正規格差に関する訴訟を踏まえ,「継続的な勤務に対する功労報償」を他の部分と区分せよという着眼点を入れたことは,理論的には鋭い。しかし,この区分を実務的に行うこと,つまり基本給や賞与や退職金について年功的部分と他の部分を分離することはかなり難しいだろう。実施するなら手法開発が必要である。また,職務の価値の評価という,格差を是正するためのまぎれのない視点に注目しながら,それを考慮すべき要因にとどめてしまっており,これも実務的に具体化することは難しい。既に法にある「職務の内容」規定に溶け込んで独自の意味を持たなくなってしまう恐れがある。

 日本において,正規雇用労働者の賃金は,何に基づくか不明だが勤続とともに昇給する漠然とした「基本給」と,職務遂行能力に基づく「職能給」を中心に置いていることが多い。これは,年功的基本給と職能給は,人の特性を基礎にしたメンバーシップ型雇用の賃金である。ところが非正規雇用労働者はおおざっぱな職務給であり,適切に職務を評価されていない。差別的に切り下げられたジョブ型雇用の賃金である。このままでは両者のものさしがまったく異なっていて,客観的基準に基づいた格差是正ができようもない。「働き方改革」の目玉であった正規・非正規の不合理な格差是正がなかなか進まないのも,ここに原因がある。

 是正のために,理論的妥当性を実務的実行可能性を両立させる措置を考えた。

*案1)企業には就業規則の一部として賃金表作成を義務付けるとともに(ない会社もあるのだ。驚くべきことだが),正規・非正規間で賃金の主要部分について賃金形態と賃金表を統一する。つまり,非正規労働者も正規労働者の給与表を用いて,そのどのランクに該当するかに基づいて賃金を支給する。これで少しは客観的な基準が生まれる。ただし,これは公務員や独立行政法人の少なくとも一部ではすでに実施されていて,それで問題が解決した様子もないので,部分的な効果しかない。

*案2)案1に加えて,賃金のうちとくに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」については,職務評価を義務付ける。職務評価に関する規程を就業規則の一部分として作成必須とすればよいので,法的にはそれほど複雑ではない。

 職務評価とは,簡単に言えば,職務を分析し,諸要因(技術難易度,資格必要度,肉体負荷度,精神負荷度,責任度,安全衛生リスク,業績への貢献度等々)に基づいてランク付けし,ランクごとの賃率を決める,というものである。職務の価値をもとに,それについて成果を達成した場合の賃率も決められる。まちがってはならないのは,人ではなく,職務(job)の方をランク付けするのである。本来,産業別の統一基準が欲しいところだが,すぐにはできないし,法的義務になじまない。よって法的には各社ごとの職務評価でよいこととし,その適切性について要件を定める。

 やや専門的な論点が二つある。一つは,職務給は成果を評価できないのではないかという疑問がみられることである。これは単なる誤解である。職務価値に基づいて職務の成果についても賃率が付けられる。成果給とは職務の成果給なのであり,むしろそうしてこそ成果の評価にそれなりのものさしがうまれる。

 もう一つの論点は,厳密な意味での職務評価,すなわち個々の職務の価値・その成果を評価するものでなければならないか,すでに大企業が正社員にある程度取り入れている「役割」評価でもよいかということである。「役割」「行動特性」評価は職務の評価と人の能力評価の中間になるので,客観性担保のためには職務評価としたいところだが,実行可能性を踏まえ,また職務内容が流動的な場合も踏まえると,「役割」評価的なものは許容せざるを得ないだろう。ただし,ぼんやりとした行動特性ではなく,職務に即し,職務を果たすために必要な役割に限定する必要がある。

 なお,職務評価の導入は企業にはそれなりの負担となるので,中小企業に何らかの公的支援をつけるのがよいだろう。

 これにより,賃金体系の一部または全部について,端的に職務ランクと賃率が「A:時給○○円」「B:時給△△円」などと,同一基準で正規についても非正規についても定まっている状態を生み出すことができる。就いている職務がAランクならば,正規だろうと非正規だろうと,まだ性別が何であろうと,年齢が何才だろうと,職務給は○○円×労働時間だけ支給されるのであり,この部分については差別はなくなる。「同じ仕事をしているのに非正規の方が給料が安い」という問題を大幅に改善できる。

 もちろん,これでも問題は残る。そもそも就いている仕事そのものの格差による賃金格差はなくせず,これは職務給が一般的なアメリカの現実である。ただし,その差の根拠は客観化されるので,身分的な説明のない差別的格差は緩和できる。また,会社は正規労働者だけに勤続に基づく給与部分を残すであろうから,その部分では非正規との格差が生じる。これは,立憲民主党法案の考え方を,より具体化する手法を開発して変えていく必要がある。

 これによって,正規・非正規ともに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」についてはまったく同一の基準によって賃金が支給されることになり,差別は法的に禁止される。この方策が「同一価値労働同一賃金」原則の直接的な具体化策であることは言うまでもない。

 いったんこの制度ができれば,職務評価を公正にするために,労働団体,コンサル,使用者団体がそれぞれに工夫し,ナショナルな,まだ産業別の基準が形成されていくことが期待できる。それによって,会社の枠を超えて,賃金の在り方を社会的なこととして議論し,改善していく動きが強まるだろう。

 以上が,「同一価値労働同一賃金」を,実行可能な形態で具体化するための私の提案である。

「『非正規ワーカー待遇改善法』の提案」『しんぶん赤旗』2023年10月21日。

「賞与・退職金等に係る正規・非正規労働者の待遇格差を是正、 同一価値労働同一賃金法案を衆院に提出」立憲民主党,2020年11月13日。


2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






2023年8月24日木曜日

研究活動と就職活動が競合する前期課程院生の現実:当人の苦悩と教員の苦悩

 以前に大学教員を目指す博士課程院生の苦悩について書いたが,今回は田中圭太郎「「文系学生は門前払い」就活に苦しむ院生の嘆き:研究時間減少、企業の理解の少なさ等の問題も」東洋経済ONLINE,2023年8月17日を手掛かりに,就職活動をする修士課程院生の苦悩について書く。なお,当研究科では後期課程,前期課程という。

 当研究科の大学院前期課程修了生は,日本国内でさほど不利にはならずに就職できている。ただし高学歴で修士を持っていても有利にもならない。年功基準で,学部卒より2歳年上と扱われるのがせいぜいである。

 前期課程在学中の最大の問題は,院生が就職活動に時間を取られるために研究がさほどできず,逆に言えば研究に時間を取られるために就職活動に力を入れられないことである。

 2013年頃まで,私は「就活のためにゼミを休んでもよい。TAなどはしなくてもよい。ただし研究は計画通りするように」と指導していた。理工系,生命系の研究室とは違い「研究室の仕事」というものはほとんどなく,私がすべての雑用を自分でやる麗しき民主主義社会なので,これで大丈夫と思ったが,それでも院生にとっては苦しかったようで,勝手に東京に住んで帰って来ない学生,連絡を切り,研究が完全にストップする院生が出現した。「ふだんから関連する論文を読み,きちんと調べておくのは当然である」という指導に納得しない院生も現れた(それはできない時期もある,の意であろう)。

 そこでやむを得ず,後期課程進学に関するガイドラインを設定して共有し,後期課程に進む,進まないを,院生に自分から表明させ,「進まないで就職する」という学生には,研究スケジュールの中に就職活動期間を織り込むことにした。まず原則として,1)研究科が必要とする修士論文の基準は絶対に曲げないが,2)修士論文として合格するためには,何をどこまでやらねばならないかは節目節目で通知して理解できるようにする,3)「就活は自分の核心的利益だからなにをやってもよい」論と「その時になって見ないとわからないから計画しない」論を絶対に認めないので,就活で苦しくても連絡を切ったり,無断で授業を欠席したり,東京に引っ越したりしてはならないが,4)スケジュールは就活に配慮するから相談せよ,の四点を明確にした。そして,前期課程の2年間の間に,就職活動のために研究がまったくできない期間,あまり進まない期間を認める。そして,ーー本当は死んでもやりたくないがーー修士論文で到達すべき地点を最初から研究科の許容範囲内で低める,あるいは,研究時間が量的に少なくても到達しやすい性質のものに調整することとした。なお,これらの手法は普遍性を持つとは思うが,ゼミの過半数を占める中国人院生に対する解りやすさをとくに考慮したものである。

 これで,就活をめぐるゼミ内のトラブルはほぼ解消した。ただ,せっかく修士の学位を取っても優遇されない問題や,修士論文に自分の限界に挑戦するほどの労力は投入できないという問題は,解決していない。

(参考)「大学教員を目指す後期課程院生の苦悩」Ka-Bataブログ,2023年9月3日。

田中圭太郎「「文系学生は門前払い」就活に苦しむ院生の嘆き:研究時間減少、企業の理解の少なさ等の問題も」東洋経済ONLINE,2023年8月17日。


2023年8月14日月曜日

石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年を読んで

 石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年。幸いにも8月9日石田教授・植田教授が臨席される書評会にオンライン参加させていただいた。著者らは,おそるべき詳細な実態調査と600ページにわたる記述を通して,以下のことを論じている。雇用関係の全体像は,仕事のガバナンスと報酬のガバナンス,両者の整合性を論じないと把握できないこと。仕事のガバナンスの描き方が先行研究では弱かったこと。経営過程とはPDCAサイクルに沿った計画の体系として叙述すべきこと。PDCAに基づく運営を,従業員のできる限り下位の層まで関与させながら進めるのが日本の経営の特質であること。

出版社ページ
https://www.minervashobo.co.jp/book/b589600.html



2023年7月8日土曜日

賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済

 日銀によれば,2023年1-3月期の需給ギャップはマイナス0.34%。つまり,まだ多少の需要不足である(※1)。

 昨年の6月20日に私は,日銀は国債の「日銀が買い支えに失敗すれば不況であり,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ち」に直面していると指摘した(※2)。2022年の後半はコロナの再発によってリベンジ消費が不発に終わり,日本だけが超金融緩和を続けている状況が継続しているため,「ばくち打ち」は今年に持ち越された。現在,国債に対する投機攻撃は落ち着いており,日銀はさしたる抵抗もなく金融緩和を続けているので,「ジレンマ」は収まった。しかし,「ばくち打ち」は続いている。2023年の後半はどうなるだろうか。

 設備投資と消費は回復しており,需給ギャップは縮まりつつある。21世紀突入以来設備投資をためらい続けて日本企業も,DX投資とグリーン投資をしないわけにもいかず,設備投資は拡大している(※3)。また,この夏こそリベンジ消費は盛り上がるかもしれない。この春に名目賃金が20年ぶりくらいに上昇したことも財布のひもを緩める作用を持つ。しかし,コスト・プッシュインフレは電力料金の引き上げなど目に見える形で顕在化している。日銀が超金融緩和を堅持しているために内外金利格差は今後も続くと期待されており,それ故に円安も続いている。それ故に輸入品経由のコストプッシュ・インフレ,購買力流出による需要抑圧効果は続く。現時点でもまだ実質賃金は低下し続けている(※4)。これは当然,財布のひもを締める方向に働く。一方,欧米のインフレ・金利引き上げがなお続いているのに,日本は超金融緩和と円安になっていることで,日本株買いが起こっており,日経平均はうなぎのぼりである。このことは,富裕層には資産効果による消費増をもたらす。

 植田総裁率いる日銀は,おそらく超金融緩和の継続が景気に与えるプラス(株高・資産効果,企業の資金繰り改善,輸出促進)とマイナス(コストプッシュ・インフレによる景気抑圧)を踏まえた上で,プラスの方が大きくなり,今年後半に需給ギャップが解消,ディマンド・プルインフレが起こることを期待している。それをきっかけにイールド・カーブ・コントロール(長期金利抑圧)解消など金融政策の正常化にもっていこうとしているのだろう。そうすれば過度の円安圧力も解消される。

 問題は,賃上げが定着するかどうかである。賃金が上がり続ければ日銀の思惑通りになり,また何よりも日本に住む多くの人が景気回復の利益を享受できるかもしれない。しかし,もし賃上げがしりすぼみに終わって実質賃金が低下し続けるならば,リベンジ消費は高中所得層だけのものに終わるかもしれず,最悪,景気は腰折れして物価高のみが残るかもしれない。あるいは,株高だけが突っ走るバブルとなるおそれもある。

 繰り返すが,必要なのは賃上げ圧力の継続である。それが,当面の間,日本経済にいちばんベターな状態をもたらす。労働組合運動には奮起が求められるし,政府は最低賃金引き上げ,労働基準の厳格適用によるブラック企業根絶が求められる。また,賃上げが日本経済全体のためになるという世論づくりも各方面から必要である。賃上げ圧力がなければ,高中所得層のみが享受できる好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちであることは,昨年と変わらないのである。

※1 「需給ギャップ、近づくプラス圏 日銀の1〜3月期推計」日本経済新聞,2023年7月5日。

※2 「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ,2023年6月20日。

※3 「設備投資計画、23年度11.8%増 日銀6月短観」日本経済新聞,2023年7月3日。

※4 「5月の実質賃金1.2%減、14カ月連続 基本給28年ぶり伸び」日本経済新聞,2023年7月7日。



2023年6月23日金曜日

現在の日本では,まず賃金を引き上げることが生産性向上につながる

 日本経済に成長と分配,消費と投資の好循環を作り出す方策が様々に議論されている。その際,賃金上昇のためには,まず企業成長,まず投資が必要だという議論には注意しなければならない(※)。

 長期的に見て,日本経済の生産性を向上させて成長の天井を上げ,生活を豊かにするための原資を作り出すことには何ら異存はない。しかし,この2023年度の日本の状況に即してみるならば,まず生産性を向上させようという議論には賛成できない。まず賃金を上げ,賃金の上がりにくい非正規の労働市場を改革すべきである。

 第一に,賃金が上がらない限り,企業は本気で生産性を引き上げようとしないだろう。経済学者の好きな言葉で言えばインセンティブの問題である。経営者は,賃金コストが低くはないが予測可能な正社員に長時間労働をさせ,足りない分は賃金コストの低い非正規労働者の数を調節し,自分の任期の間は業績が何とかなるのであれば,生産性向上を必死に行うことなどない。経営者に生産性を向上させるしかないと思わせるのは,何と言っても賃金コストの上昇である。

 第二に,仮に何らかの理由で生産性が向上したとして,それだけでは日本経済は活性化しないだろう。生産性向上は人材育成に志のある一部の企業以外では賃金上昇に結びつかず,企業利潤の増加に帰結するだろう。そして,企業利潤は国内に投資されず,海外投資か,M&Aか,自社株買いか,金融資産購入に充てられるであろう。なぜそう言えるのかというと,現に21世紀に入ってからずっとそうだったからである。一部の企業を除き,日本企業は,誰かから圧力を受けない限り賃上げをしない。2023年春は,政府から圧力を受けたから少し上げたのであるが,物価上昇率に追いついていない。大まかに言って,他のOECD諸国では,種々問題を抱えながらもそれなりに賃金が上がっているのだが,日本とイタリアでは21世紀になってまるで賃金が上昇していないのだ。それは自社の当面の利益にはかなうのであるが,国内消費が停滞したままだという経営者自身の見通しに跳ね返る。だから利益が上がっても国内の実物資産にも人的資本にも投資しない。死に金である。この死に金状態を打破する最大の契機は賃金の持続的上昇であり,それによって国内消費が拡大し,新規投資の期待利益の水準と確実性が高まることなのである。

 したがい,企業支援のあれこれの方策ではなく,賃上げと非正規雇用の処遇改善こそ,日本経済を救い,生産性を向上させる道であり,少なくともその必要条件である。労働基準の順守,最低賃金の引き上げ,非正規雇用の慣行改革(例えばジョブ型正社員への誘導)こそが,実は生産性を上げるのである。

 リベラルや左派は,労働組合運動を強化すること,賃金を上げること,労働基準を守ること,労働法制や雇用慣行を改善することに,もっと力の大きな部分を注がねばならない。新しい社会的課題も様々にある。しかし,この古典的な課題こそ,現代日本では新たな形で切実化している重要課題なのである。

 なお,岸田首相が「構造的な賃上げ」を目指して「リスキリング(学び直し)、日本型職務給の導入、成長分野への円滑な労働移動」を提唱していることには,また別の注意が必要である。これらの政策については,改めて考えたい。

 画像は講義資料であり,マクロ経済学で好循環とされるものが,日本では賃金引き上げのところで止まってしまっており,まず賃金を上げることが肝心だと強調したものである。


※たとえば,以下の議論

千賀達朗「成長力を取り戻す(下)企業の成長可能性最大限に」『日本経済新聞』2023年6月21日より。「分配のための原資を稼ぎ出す成長が重要なことは言うまでもない。」


宮川努「投資起点の好循環を目指せ 成長力を取り戻す」『日本経済新聞』2023年6月19日より。「需要面に着目した強化策は、結果的に起点となる賃金上昇がなかなか実現せず、供給サイドの脆弱性が放置されたままになった。これに対し20年代は、まずは投資を起点とした好循環を考えるべきだろう。」






2023年4月3日月曜日

浜田宏一氏の証言を手掛かりに,もう一度アベノミクスと賃金について考える

  浜田宏一教授インタビュー。いろいろ考えるべきことはあるが,いまさら浜田教授ご自身を批判してもあまり生産的ではない。ここでは,アベノミクスはトリクルダウン狙いではなかったという主張に批判的にコメントするとともに,その一方,賃金を抑圧したのはアベノミクスではなかったことにも注意を促し,アベノミクス批判派に対しても問題提起したい。

 アベノミクスがトリクルダウン政策であったかどうかを考える時に,二つの次元から評価すべきことに注意が必要である。

1.アベノミクスとは株高・円安誘導策であった

 一つは,安倍首相・黒田日銀の合作としての量的・質的金融緩和策は,国内需要より先に輸出と株価を回復させることを狙ったものだったということである。

 量的・質的金融緩和の効果として,日銀が公に想定していたのは,物価上昇の予想が高まることによって実質利子率が低下し,投資が活発になることであった。しかし,それはゆっくりと,わずかに,2014年の消費税増税でくじかれるまで起こったに過ぎなかった。それは当時の岩田規久男副総裁も認めていることである(岩田, 2018)。その代わりに,2012年末からの半年で直ちに大規模に起こったことは,円安と株高であった。円安と株高によって,輸出企業と,株式投資に手を出せる機関投資家,大企業,富裕な個人投資家は利益を得たのである。政治家や官僚は「近隣窮乏化政策」の批判を恐れて円安狙いを公言しなかったが,そう期待していたことは明らかである。またアベノミクスのブレーンの中でも高橋洋一氏は金融緩和が円安・株高を呼ぶのだと論文で説明していた(高橋,2014)。

 まず輸出企業と株式投資家が儲かる。そこから先はその後だ。アベノミクスがこのようなものであったことはまちがいない。

2.内需拡大策は,うまくいったとしても企業利益優先策であった

 次に,日銀が説明したような内需の拡大に関する問題である。物価上昇予想によって実質利子率が低下し,投資が活発になるというのも,ある意味ではトリクルダウンである。というのは,まず物価が上がるならば,名目賃金は一緒でも実質賃金率は低下するのであり,だからこそ企業利潤率は上昇して投資が盛んになるからである。いわゆる「賃金遅れ」が景気回復に寄与するという理屈である。これはアベノミクスで考え出された巧妙な陰謀ではなく,むしろマクロ経済学が教える通りなのである。政権が「トリクルダウン狙いです」とわざわざいうわけにもいかなかったであろうことはわかるが,「トリクルダウンではない」というのは正直ではなかったというべきだろう。

 だからアベノミクスが,輸出と金融的利益を景気回復の先導者としようとしたことや,賃金より先に企業利益の回復を目指していたことは間違いないのである。

3.賃金を抑圧したのはアベノミクスではなく日本的雇用慣行と企業内労使関係であった

 ただし,アベノミクス批判者も,安倍氏憎しの余り行き過てはならないことがある。それは,アベノミクスが積極的に賃金を抑圧したわけではなかったということである。むしろ安倍元首相個人は,あまりに賃金が上がらないことに不安を抱き,経済界に賃上げを促した。その流れはいまの岸田首相にまで継承されている。それでも賃金が上がらなかったのは,アベノミクスではなく,日本的労働慣行と企業内労使関係に問題がある。アベノミクスは,賃金を下げたのではなく,賃金が上がらない日本の労働慣行と労使関係を放置した,というのが正確である。

 まず,アベノミクス期においては雇用は増加し続けた。しかし,労働者に占める非正規雇用の割合は,それまでと同様に拡大し続けた。また業種別・職種別に見れば医療・介護職をはじめとするサービス業の,相対的に低賃金の職が増えたのである。こうして,日本的雇用慣行に組織され,ジェンダーバイアス付き生活給を曲がりなりにも支給される労働者の割合が減っていった。

 また,民間大企業の正規労働者や公務セクターの賃上げも微々たるものであった。それは,バブル崩壊以来,「とにかくコスト切りつめのため賃金を上げない」ことに大企業経営者が血道を上げており,また大企業の企業内労働組合が,企業グループ内の継続雇用(つまり中高年になったら関連会社に出向することを含めた継続雇用)さえ守られればよいとばかり,賃金については経営側の言うことに唯々諾々と従う姿勢を取ってきたからである。

 これらのことは安倍元首相やアベノミクス故に起こったのではなく,戦後築かれて来た日本的雇用慣行と日本的企業内労使関係の逆機能が発現した結果なのである。

4.まとめ

 アベノミクスを「トリクルダウンでない」と擁護することは,金融機関と大企業の利益を優先したその性格を糊塗するものであり,強い言葉で言えば反労働者的である。その一方,賃金低迷をアベノミクスのせいにすることもまた,日本的労働慣行と企業内労使関係を改革する必要性を見落とすものである。アベノミクス批判者は,安倍氏憎しの余り大企業経営者を免罪し,政治変革を求めるあまり労働運動を再生する必要性を看過するという,本末転倒の見地に陥らないように注意する必要がある。

<参考文献>

岩田規久男(2018)『日銀日記:五年間のデフレとの闘い』筑摩書房。
高橋洋一(2014)「現在の金融緩和に危険はない」(原田泰・斎藤誠編著『徹底分析アベノミクス』中央経済社)。
「賃金上がらず予想外」アベノミクス指南役・浜田宏一氏証言 トリクルダウン起こせず…「望ましくない方向」『東京新聞』2023年3月14日。


2023年3月25日土曜日

李捷生氏大阪公立大学退官記念講演会にオンライン出席して

  3月18日に,李捷生氏の大阪公立大学退官記念講演会にzoom参加した。

 私は大阪市立大学経済研究所において,氏の前任者であった。自分が転出することになった1997年のある日,後任をどうしたらいいだろうと,同僚の植田浩史氏(現・慶應義塾大学)と話し合ったときのことを覚えている。数分間,二人で考えた後,たぶん私の方からだと思うが,「李さんをお呼びすれば」と気がつき,そうだ,それがいいと早速準備に入ってもらった。ついこの間のことのようだが,もう25年も前の話だ。当時李氏は,松崎義編『中国の電子・鉄鋼産業』法政大学出版局,1996年に寄せた首都鋼鉄に関する論文で高い評判を得ていた。

 李氏の着任後,経済研究所はなくなって,氏は創造都市研究科に移られ(2018年度より経営学研究科),社会人大学院を担当されることになった。経済研究所は研究に専念できる場であったため,改組によって先生に過大なご苦労をかけることになったかと思ったこともある。しかし,講演会に参加して,実におおぜいの大学院修了者が各方面で活躍していることを知り,李氏が偉大な仕事をされたことが理解できた。

 記念講演は,「労働研究38年 -方法としての日本-」という題目で,李氏の研究の問題意識と理論的背景が語られた。

 まず,氏がご自身の中国での経験を背景として,マルクス派宇野理論の「労働力商品化の無理」規定を解釈し,「労働供給は組織コミットメントを通して初めて達成される」という観点で労働調査を行ってこられたことが理解できた。氏の経験からすれば,おそらくそれは「資本主義であれ,社会主義であれ」そうなのだということだ。氏が博士論文・単著において首都鋼鉄における従業員代表者大会によるガバナンスに注目されたのは,中国の国有企業においても,企業の運命は,労働者が組織にコミットする在り方によって左右されると考えられていたからであろう。

 また,李氏の調査の問題設定が,氏原正治郎氏の問題意識を継承したものであることも理解できた。日本企業は生活給的な年功賃金を正規労働者に支給している。熟練や成果に応じた賃金でないのであれば,いったいどうやって労働者のコミットメントを確保しているのか。また職務の曖昧さゆえに労働が「不定量」になる時に,企業はどうやって必要な「量」を確保するのか。それは,一方においては年功的なものを含みつつ様々な展開を遂げる賃金管理によって,他方において生産管理によって確保するということである。この二つが李氏の調査・研究領域となったのである。

 李氏は,詳細な実態調査において右に出る者のない研究者であるが,同時にその研究は,日本のマルクス派や労働問題研究の問題意識や着眼点を受け継ぎ,これを発展させるものでもあった。まさに「方法としての日本」であり,「故きを温ねて新しきを知る」である。

 1970-80年代中国において育まれた氏の鋭い問題意識が,日本の学問の中から自らの方法となり得るものをつかみ取ることを可能にした。私は,日本において積み重ねられてきた学問的伝統を自分がどう扱っているのかを自問せざるを得ない。理論が古くなったから役に立たないのではなく,単に私が漫然と生きているから,先人の蓄積から見つけられるものを見つけられていないのではないだろうか。いや,よく記憶をたどると,氏に初めて会った時からそう思い知らされていたのである。

2023年1月20日金曜日

なぜ,まず賃上げをしなければならないか。まず生産性を上げようという発想のどこがまずいのか

 まず付加価値生産性を高めて賃金原資をつくり出して賃上げしよう,そのことに政策の重点を置こうという意見は根強い。この記事で奥平寛子氏が述べるのも,その一つのバージョンだ。氏は言われる。「労働市場の流動化がすぐには進まないことを前提とすると、成長分野での資本蓄積やイノベーションを促す投資減税などの政策が求められる。労働者あたりの付加価値が増えれば実質的な賃上げが進むだろう。」


 だが,21世紀に入ってからの20年余り,何が起こって来たのかをよく考えよう。異次元とか超のつくほど金融は緩和されてきた。研究開発減税も行われた来た。企業の売上高経常利益率はバブル以前に劣らない水準だ。日本全体としてみれば,企業は,投資のもとでとなる資金を入手するのは容易だったのだ。しかし,実物資産への設備投資は増えなかった。企業の資産に占める有形固定資産の割合は低下し,現預金や子会社・関連会社株式の割合が増えた。経営者は,日本国内で消費が伸びそうもないことを強く認識していたからだ。消費が伸びないのは,中低所得者の賃金が全く伸びないからであり,またそれでも老後の不安から予備的動機で貯蓄してしまうからである。企業はもうかっても生産能力を拡大する純投資は手控えたままだった。純投資を行たのは海外直接投資においてであった。国内で盛んに行われたのは子会社・関連会社の再編であり,端的に相対的に伸びている分野に自社の所有・支配権を移していくことだった。


 この状態では,まずやるべきは生産性向上ではない。生産性向上は長い目で見て必要であるが,そのためにまずやるべきは,企業にお金を与えることではない。それでは,決して設備投資は増えない。現に20年余り増えなかったのである。まず最初に,個人がお金を今よりも使えるようにしなければならない。そうしなければ消費は増えず,国内消費が増えなければ投資も増えない。所得が増えれば増えた分だけ消費を増やすのは中低所得者である。なので,広範な非正規労働者を包摂するように,中低所得者の賃金を引き上げることを,「まず最初に」やるべきだ。それによって,生産性を上げなければ経営が成り立たないという危機感を経営者に与えることが,長い目で見ても有効だろう。

奥平寛子「賃上げへ生産効率向上カギ インフレの先にあるもの」日本経済新聞2023年1月18日。

2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年10月30日日曜日

雇用慣行の改革なしには,リスキリング推奨も不発に終わる:エンプロイヤビリティの二の舞にならないために

 リスキリングと言われている問題は,以前,具体的には90年代末から2000年代初頭にはエンプロイヤビリティと言われていた。スキルを学んで再就職できるようにしろというのは同じである。装いを変えて,せいぜい「副業促進」を付け加えているだけである。もちろん,職業能力開発の取り組みを広げるのはいい。私は,教育機関でも広げざるを得ないだろうと考えているくらいだ。しかし,それで雇用の質の問題が解決するとは思わない。

 ここでは若年の問題を脇に置いて中高年のことを考える。いったん離職した中高年に良質な雇用が提供されないのは,正社員のほとんどをメンバーシップ型で雇う慣行が原因である。メンバーシップ型とは「会社の一員として雇い,どんな仕事をどこで行なうかは会社が指示する」ものである。したがって賃金は「会社の一員としての重要性」で評価され,具体的な「仕事」には基づかない。「人」の能力が評価され,その能力基準に「年功」が強く加味される。

 このことが,中高年の「正社員」としての採用を著しく阻害する。中高年を雇うのは,高度専門家の場合であれ一般業務であれ,どんな仕事をしてもらうかがだいたいわかっているときである。そのため,会社としては,将来性を見込んで新卒を採用する場合と異なり,割り当てる仕事と賃金の釣り合いを考える。しかし,それを考えると,高度専門家はとにかく,一般社員では「年功」を加味した賃金になっていると高賃金を払わねばならないことが,割に合わないと受け取られる。だから,高度専門家は中途採用されるとしても,一般業務では,中高年は正社員に採用されないのである。そして,非正規とされてしまう。非正規の単価は具体的な「仕事」に基づく造りになっているが,もともと多数の正社員の「仕事」と賃金の関係を評価していないのだから,非正規にだけきちんとした評価が行われるわけもなく,その単価は,もっぱら会社のコスト上の都合で低い水準に抑えられている。

 ここに手を付けない限り,リスキリングだけでは解決しない。スキルとはテクニカルなものではあるが,値段がつくのは社会的な基準で資産として評価されるときである。テクニカルにはスキルがあっても,今の雇用慣行の中では,高度専門家の域(例:M&Aの案件発掘やアドバイザーができる金融パースン)に達するのでない限り,正社員としての転職の役に立たないだろう。エンプロイヤビリティの二の舞である。

 雇用慣行は労使の契約による部分が大きく,法律だけでは変えられない。しかし,法律と規制によって,改革をある程度促すことは可能だし必要だ。次年度の講義に向けて,この改革促進につながる政策提案を具体化したい。

 なお,先回りして行っておくが,「全員メンバーシップ型正社員で雇え」と法で命じろなどというわけでもないし(できっこない),また「全員ジョブ型雇用にしろ」と言いたいのでもない(そんなことを言っている人は,まともな学者にも実務家にもいない)。実行可能なことを考えねばならない。

2022年6月14日火曜日

「新規学卒採用」に過度に依存する限り,「氷河期」という理不尽はまた起こる

 武田安恵「自己責任も甘えもウソ 氷河期、大卒就職率低下の真実」『日経ビジネス』2022年6月10日は,1990年代半ばから2000年代半ばに就職氷河期が発生したのは自己責任ではなく,1)団塊世代の人件費が重く,企業が採用を抑制した,2)製造業で高卒の働き口が激減し,この世代に大学生が増えた,3)派遣労働の規制緩和で非正規雇用が増えた,4)男女の平等化により女性の4年生大卒労働市場への参入が増えたという社会的要因によると主張している。

 いずれもその通りではあるが,肝心なことを指摘していない。それは,「新規学卒採用」が採用の中心である限り,景気を中心とする時々の事情によって,ある卒業年次が丸ごと有利または不利になるということだ。何年に生まれて,いつ大学を卒業するかが自己責任のわけがない。しかし日本では,何年に大学を卒業するかで就職の有利,不利が決定的に異なる。これが氷河期世代を生み,いまなお若者を採用に関わる「ガチャ」に追い込む問題の核心である。当然,今後も景気によって「氷河期」が生じ得るのだ。

 氷河期世代がその後,今に至るまでよい職を得にくく苦しまねばならない基本的理由も,「新規学卒採用」が正社員採用の中心だからであり,新卒でなくなると正社員採用の門が極度に狭くなるからである。東洋経済『CSR企業総覧』編集部の作成した,「新卒でないと入りにくく,勤続年は長い」ランキングを見ると,転職や中途採用が多くなった現在でも,有名どころ企業が数多く含まれていることがわかる。

 武田氏が指摘している,氷河期の頃から,会社が就職できた学生に対する「自己責任」「会社に頼るな」論を振りまいたことの問題も,「新規学卒採用」と言う慣行に関わる。長期の勤務を想定して,仕事スキルをまだ持っていない新卒者を採用するならば,その企業でしか認められないスキルやコミットメントについて,企業内訓練をすることがは必須であり合理的だからだ。就職氷河期はまた,企業の人材投資が減少した時期でもあり,今に至る日本企業の人材育成の失敗の始まりの時期でもあった。会社人間向きの採用をして「会社人間になるな」と命じる欺瞞的精神論の反省なしに人的投資も何もない。

 このように正社員採用の余りにも多くを「新規学卒採用」方式に頼ることが,良い仕事の不足や人的投資の不足を特定時期に偏って生み出すという理不尽を生み,さらにそれを自己責任扱いする誤った議論を生みだしているのである。

 「新規学卒採用」刊行は,あまりにも日本社会に深く食い込んでいるので,なくすことは難しい。なくしたらなくしたで欧米と同様に若年者の失業が増えるという問題も生じる。しかし,その範囲を調節することはできる。

 よく考えれば「新規学卒採用」は,「長期の勤務を想定し,スキルとコミットメント育成に会社が責任を負い,仕事の割り当てを会社が決める」若者を対象にしているのであり,いわゆるメンバーシップ型雇用の入り口なのである。これを会社の人事政策に応じ,幹部候補生プラスアルファに絞り込んでいくことは可能であろう。そして,それ以外は通年採用,仕事スキルに応じて採用し,転勤をはじめとする過度な会社人間化を求められないジョブ型雇用とする。通年採用は年齢差別が禁止されるので,新卒応募に失敗した若者も中高年もだれでも応募できる。そして,このジョブ型雇用に,ワークライフバランスを重視する層から,現在は差別的に処遇が低い非正規雇用層まで包摂していく。

 このように「新規学卒採用」・メンバーシップ型雇用と通年採用・ジョブ型雇用の境目を変えることが,氷河期や非正規差別をなくすためには有効で,かつ現実的に実行可能な範囲にあると私には思われる。

2022年5月6日金曜日

マッチングビジネスをシェアリングエコノミーと呼んでいいのだろうか

 本日の学部ゼミ。ゼミ生2人の卒論構想報告と討論を行った。

 一つ目は日本でのライドシェアリングの普及の可能性についての構想で(板書1),論点は三つ。1)市場競争における競合相手の強弱。つまりタクシーや他の公共交通機関が弱いところでライドシェアリングが伸びる。2)プラットフォームを通したクラウドソーシングになっている。このソーシングが,眠っているスキルや知識の活用なのか,既存企業にとっての過剰人口である単純労働力を動員して二次労働市場を作っているのかが問題。3)ソーシングの対象が労働力である限り,ギグワーカーの労働条件問題は避けられない。まあ,これはわかりやすい話だ。

 二つ目はシェアリングシティ構想(板書2)。この話題で引っかかったのは,シェアリングとは何かということ。いま推進されているシェアリングシティとそこで活用されるシェア臨時エコノミーは,本当に「シェアリング」と呼ぶのが適切なのか。シェアリングシティ構想は,「公助」を補う「共助」だという理屈で推進されているらしい。しかし,よく聞いてみると,遊休資源をプラットフォームでのマッチングを通して活用する,それを自治体は規制改革や制度で後押しする,何しろ自治体自身が動員できる資源は限られているから,という理屈になっている。それはそれでいいのだが,「それは共有財のシェアリングとかではなく,単にマッチングビジネスではないか」という疑問を禁じ得ない。マッチングはマッチングでよいし,ビジネスが地域課題を解決することはある。しかし,マッチングをシェアリングと言い換えて,私的なものを公的あるいは共同的なものと見せかけるのは問題ではないか。マッチングとシェアリングを区別した上で,両者の関係をつけていくというのならばわかるし,それが現実的な線だと思うが。

 ところで2枚目のマッチングの図を「これは互いの私的欲望が一致しているだけであって,プロポーズ大作戦そっくり……」と言いそうになったが,若者が知るはずもないのでやめた。

板書1


板書2




2021年12月16日木曜日

MMTはケインズ派の困難を克服できるか?

 MMTは,「インフレなき完全雇用」をめざすものであり,その意味ではマクロ経済学の多くの潮流と同じことを目指している。だから,MMTは,ただ財政支出を増やせばよいと主張しているのではなく,完全雇用達成に貢献するように支出せよ,雇用増大に貢献しないような財政支出はするな,なぜならば完全雇用になる前にインフレになってしまうおそれがあるから,と主張している。この点では,MMTはケインズ派の常識的見解とそう外れているものではない。

 だとすれば,MMTに投げかけられるべき疑問は「MMTは,1970年代にケインズ派が陥った困難を克服できるのか」というものだろう。どうしたことか,MMTと聞くと脊髄反射的に「財政赤字をいくらでも出してもいいはずがないだろう」と批判する人が多いが,以前から述べているように,MMTはそんなことは言っていない(※1)。そんな浅い批判でなく,本質的な批判が望まれる。批判によって議論は深まり,理論と政策は鍛えられるからだ。

 ケインズ派は1970年代に経済理論と現実への対処の二つの方面で困難に陥った。ケインズ派の応用としてのMMTがこれらを克服する道を提起しているかどうか,以下,考えてみたい。

1.合理的期待に基づく財政の中立命題

 まず,理論的問題としての,合理的期待に基づく財政の中立命題である。これは単純化すると,以下のようなケインズ派批判であった。財政赤字はいつかは返済されねばならない。すると,現在の財政赤字と将来の財政黒字はプラスマイナスゼロなので,赤字期間と黒字期間を通算すれば,本質的には有効需要は増えない。増えるとすれば,拡張政策を行ったときに,有効需要が増えると国民(納税者)が錯覚して,投資や消費に対する態度を積極的なものに変えた場合である。しかし,将来の財政について合理的に予想できる国民は,そうした錯覚を起こさず,将来の増税を予想する。なので,拡張政策に反応して投資や消費を増やしたりはしないであろう。

 MMTはこの問題にどう立ち向かうだろうか。実は,MMTにとっては,この問題は,本来存在しないものを存在するかのように見せかける偽問題なのである。MMTは,インフレなき完全雇用が保てるならば財政赤字は出し続けてもよく,財政赤字を将来完済する必要はない,むしろすべきではないと考えているからである。

 なぜ財政赤字が常に必要なのか。MMTはケインズやマルクスとともに,自由放任の資本主義経済では有効需要は完全雇用を実現する水準に達せず,失業が不可避だと考えるからである。失業防止のためには通貨供給による需要創造が必要である。現代では,通貨は統合政府の負債であり,失業を救済しながら経済規模に見合った通貨供給を行うには,中央銀行がバックアップする銀行からの信用供与と言う金融ルート(中央銀行と銀行の債務増)だけでなく,課税より大きい財政支出という財政ルート(中央政府の債務増)を併用しなければならない。財政ルートで通貨供給を増やそうとすれば,財政赤字は常に存在し続けるし,経済規模ともに増え続けてもおかしくないのである。国債が自国通貨建てで計上されている限りは,デフォルトすることはない。満期になった国債は借り換えればよい。以前に述べた通り(※2),国債発行は民間貯蓄を吸収しないので,カネのクラウディング・アウトが起こることもなく,金利が高騰することもない。財政赤字が増え続けること自体は問題ないのである。

 もちろん,ここで財政支出の質も重要である。完全雇用達成前はモノのクラウディング・アウト=インフレに注意し,完全雇用達成後はヒトのクラウディング・アウト=悪性の賃金・価格スパイラルに注意し,全過程を通して通貨の金融的流通への滞留=バブルと通貨投機=為替レート急落に注意しなければならない。これを政策プログラムや運営の制度(中央銀行と中央政府の新たな関係)・手法に具体化することは,MMTの重要な課題である。その主要な提言は雇用保証プログラム(JGP)であるが,これは次に述べよう。

 いずれにせよMMTによれば「財政赤字が出た以上,政府はいつかは債務を完済しなければならず,そのための増税がある」というのは合理的期待でも何でもなく,むしろこれこそが錯覚なのである。したがって,財政の中立命題も,もとより成り立たない。なので,この理論的なケインズ批判は,MMTにはあてはまらないのである。

2.スタグフレーション

 次に,現実的問題としてのスタグフレーションである。インフレと不況が共存する状況では,従来の公共事業や呼び水政策によるケインズ政策では,拡張的財政・金融政策も取れず,引き締めもできないというジレンマに陥ってしまうと言う問題である。スタグフレーションの再来は,2021年末の現在でも警戒されているだけに,過去の出来事ではない。

 私の解釈では,MMTは,この問題への反省も行っている。スタグフレーションとは,言い方を変えると,完全雇用に達する前にインフレになってしまうことである。これは,財政支出で作り出されるはずの有効需要が,失業の吸収に結びつかないことによって生じる。この時,財政支出は雇用創造以外の何に作用しているかというと,まず,財の価格を引き上げることに結びついてしまっていると考えられる。政府調達や公共事業における水増し的価格設定,独占による価格つり上げ,ボトルネック財の価格上昇等々である。次に,失業吸収ではなく,既に雇われている労働者の賃金引き上げに結びついていると考えられる。例えば大企業でだけ賃上げが行われ,それが賃金・価格スパイラルを生み出しているのに,失業者は放置されたまま,というような状態である。これがスタグフレーションを引き起こす。そして,経済が混乱して,価格が硬直したままで投資や消費がさらに停滞するとスタグフレーションは深化する。

 こうなってはだめだということを,MMTははっきりと意識している。それゆえ,MMTは呼び水的公共事業には批判的である。そして対案として掲げるのが,公共部門が最低賃金で,希望する失業者を全員雇用するという,雇用保障プログラム(JGP)である。仮にJGPが実施できたとすれば,支出の多くが失業者を雇用して賃金を支払うことに用いられるので,労働市場や財市場を圧迫しない(ヒトやモノのクラウディング・アウトを起こさない)。そしてその賃金水準は最低賃金なので,最低賃金が適度に設定されていれば,デフレも賃金・価格スパイラルも起こさずにすむ。MMTにとって,JGPはスタグフレーションのリスクを乗り越える方策なのである(※3)。

 もちろん,JGPにも種々の問題はある。最低賃金で大量に失業者を雇って,社会的に有用な事業を組織できるかどうかが最大の問題である。また日本に適用しようとすると,そもそも未活用な労働力は家庭に眠ってしまっていたり非正規雇用になっていたりして,完全失業者として現れていないという問題もある。JGPが財政政策の本流になるには,まだ乗り越えねばならない課題は多いだろう。しかし,JGPは原理的に不合理なことを言っているわけではなく,スタグフレーションを回避して,インフレなき完全雇用を実現する一つの道筋は示していると思われる。

 私の理解では,以上が,1970年代にケインズ派が直面した困難をMMTが克服しようとする理論的・政策的方向である。未解決の問題はあるし,具体的な政策に落とし込むまでに至っていない論点も多々あるだろう。しかし,MMTはケインズ派の困難を乗り越える手がかりを示していると,私には思える。重要なことは,現在の地点を否定することでもそこに安住することでもなく,前進することである。

※1「いくらでも財政赤字を出してもいいはずがないだろう」という批判には,ひとつ前の投稿で応えているので,以下を参照して欲しい。「小幡績「日本では絶対に危険な『MMT』をやってはいけない」には,あまりにも誤解が多い」Ka-Bataブログ,2021年12月14日

※2 MMTがカネのクラウディング・アウトは起こらず,ヒトとモノのクラウディング・アウトは起こり得るとしていることは,拙稿「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日を参照して欲しい。

※3 だから,雇用増加を第一に考える姿勢を持たずに,漠然とした「景気対策」で,もっぱら「所得増大」の効果を狙って公共事業を推進しようとするのはMMTではないのである。それでは完全雇用達成前のインフレ,言い換えるとインフレと失業のトレード・オフに直面してしまうからである。インフレ率で財政政策をチェックすることでMMT的な政策を取ったつもりでも,インフレを抑えるために失業を許容することになる。それでは,フィリップス曲線を使った旧来のケインジアンの発想である。

*2021年12月19日。表現を修正。

2021年11月12日金曜日

第73回東北大学祭模擬講義「日本の雇用はどう変わるか:持続可能なしくみを求めて」動画できました

 第73回東北大学祭模擬講義「日本の雇用はどう変わるか:持続可能なしくみを求めて」(2021年11月6日)動画できました。最初の方は同じ画面が続きますが,5:23付近から始まります。

※2023年7月9日。リンク修正しました。

リンク
https://www.youtube.com/watch?v=GeE6_lIjFbw







2021年11月5日金曜日

大学祭模擬講義「日本の雇用はどう変わるか」11月6日13:30YouTube Live配信です。

 明日11月6日の大学祭模擬講義「日本の雇用はどう変わるか」YouTube Live配信は13時30分よりこちらのサイトからの模様。スライドもダウンロードできます。

https://www.festa-tohoku.org/?page_id=1964

11月13日追記。模擬講義終了。録画された動画は以下で配信されています。

https://youtu.be/AKotBfeM5Zs





2021年9月27日月曜日

「親ガチャ」の背後にある現実:ヒオカ氏の記事に寄せて

 「親ガチャ」をめぐる議論について,もっとも納得できたのは,シェア先のヒオカ氏のものだった。「人生の成果は、ベース×本人の努力だろう」(引用)という言葉を手掛かりに,私なりの表現に置換えて述べる。

 「ベース」には本人が選べない環境があり,そこにはマクロ的なものからミクロ的なものまであるが,それを,いつ,どこの,どんな家庭に生まれたかということに収斂させれば,今話題の「親ガチャ」という表現になる。

 戦後の日本では,1980年ごろまでは「ベース」で決まってしまう部分が縮小し,「本人の努力」や,生まれて以降の運で決まる部分が拡大していった。「ベース」自体が「本人の努力」を後押ししてくれたと言ってもよい。つまり社会の流動性が広がっていった。ある瞬間には階級や階層があるのだが,生きている間にその境目を望む方向に越えて行ったり,自分は無理でも次世代では越えることが可能であった。例えば農民の子どもが大企業のサラリーマンになって「旧中間階級」が次世代には「新中間階級」になることが増えて行った。

 ところが1980年代を境に所得と資産の格差が拡大しはじめ,しばらくすると,二つのことが目立ってきた。一つは,ある瞬間を見ても,「一億総中流」ではなく「新中間階級」「労働者階級」「アンダークラス」の差があると感じられるようになってしまったことだ。ホワイトカラーの管理職や専門職と,正規の販売員や工場労働者の所得は結局は違っていたし,非正規労働者が絶対的にも割合としても増えて行った。

 もっとも,非正規労働の問題は,最初は深刻と受け止められなかった。その主力は1980年代までは,夫と言う主要な稼ぎ手を家庭内に持つパート主婦だったからであり,また非正規労働が増えても完全失業者はさほど増えなかったからだ。しかし,1990年代以後,非正規の低い賃金で家計を切り盛りする層が徐々に拡大し,状況が違ってきていることが認識され始めた。明らかに好き好んでやっているわけではない,例えば普通の事務員や販売員やサービス員(なのに身分だけ非正規),中高年フリーター,シングルマザー,年金が少ない高齢者,といった非正規労働者が増えてきた。

 もう一つは,社会的流動性が弱まり,すくなくとも高資産・高所得が次世代も高資産・高所得とし,低資産・低所得が次世代も低資産・低所得にする関係が目立ってきたことだ。資産・所得により子どもにかける教育費用や教育意欲が異なるからだ。さらにはなはだしいことに,21世紀になるとアンダークラスは未婚率が高く,それ故に子どももつくらないという事実が明らかになった。日本は,格差や貧困が世代を越えない社会から,格差や貧困が再生産される社会に変わってしまったのだ。

 苦しい境遇を「ベース」が決める度合いが強まり,「本人の努力」で逆転できない場合が増えている。若者は,あるいは自分の家庭のから,また嫌でも入ってくる情報から,そう考えざるを得ない。これが「親ガチャ」と言う言葉の背景にある現実だろう。最後に再びヒオカ氏の表現を借りるならば,「環境のせいにするな」と説教してすむ状態ではない。必要なのは「自分の問題は自分だけの問題ではなく、環境の影響があって、社会問題なのだ」という認識を広げていくことだ。さもなくば,日本社会の分裂は広がる一方だろう。

※なお,本当にそこまで深刻なのかという方には,橋本健二教授の『アンダークラス』(ちくま新書,2018年)や,とくに氷河期世代にフォーカスした『アンダークラス2030:置き去りにされる「氷河期世代」』(毎日新聞出版,2020年)などで,具体的な数値にあたって確認されることをお勧めする。

シェア先

ヒオカ「「親ガチャ」論争で気になる上から目線、真に語るべき貧困再生産の深刻」DIAMOND ONLINE,2021年9月24日。

2021年8月10日火曜日

2021年4月26日月曜日

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年を読んで

  「日本経済」講義準備。業務の波に飲まれかかり,読むのに2週間以上かかってしまった。

 本書で小川一夫教授は,日本経済の長期停滞のメカニズムを,主に投資停滞の原因を探るという角度から,計量的実証によって明らかにしている。不確実性を伴う期待収益率の動きが投資停滞の原因と考える私にとっては,非常に重要なテーマを扱っている。

 本書の特徴は,1990年代以降の日本経済の長期停滞を,人々の長期的な期待形成と関連付け,どのような長期期待が設備投資の停滞につながったかを明らかにしていることである。

 その主張は明快である。日本の設備投資の低迷は,収益性に設備投資が反応しないことによるものであり,その理由は企業による長期経済見通しの悪化である。この悪化を規定する最大の要因は過去から現在にかけての消費成長率の低迷である。そして,消費の低迷を規定するのは,家計,とくに貯蓄の取り崩しに慎重な家計が持つ,公的年金制度の脆弱性への不安による予備的貯蓄の増大であり,その慎重さは夫婦の雇用形態に影響されているのである。

 もう少し詳しく見よう。まず著者は,日本企業の設備投資が長期にわたって停滞し,とくに世界金融危機以降は利潤率が回復しているにもかかわらず,停滞が続いていることを確認する(第1章)。この停滞をもたらした要因分析が次章以後の課題となる。

 その前に著者は,2000年代初頭にGDPが年1.5%程度の成長を回復したことについて,輸出の貢献が大きく,とくに世界所得という需要要因よりも企業による生産性向上という供給要因の貢献が大きかったことを示している。ここで次章以降に,設備投資が停滞し続けているのに生産性が向上したとすれば,その要因はコスト削減のためのリストラ活動ではないかという課題が持ち越される。

 続いて著者は,設備投資が収益性に反応しない理由の検討にかかる。収益性に対する設備投資の反応は第1次石油危機以降,継続的に低下してきた。その背景には,趨勢的な「成長企業群」の割合低下と,「リストラ企業群」の割合増加があった。成長企業群とは売上高成長率,生産費用上昇率がともに正,リストラ企業群とは両比率がともに負の企業群である。リストラ企業群は自社に対する需要減に対して,生産コスト削減で収益性を高めてきた。このような企業は収益性が向上しても設備投資には慎重なのである(第3章)。

 期待成長率が高まらなければ企業は設備投資を増加させない。では,期待成長率は何によって左右されるか。著者は設備投資率の長期均衡値系列を求め,これが企業による日本経済に対する長期の経済見通しと連動していることを明らかにした。長期の経済見通しは,正規雇用の規模や負債増分・資産比率にも影響を与えていた。企業が日本経済の長期見通しに悲観的であり続けたために設備投資は伸びず,正規雇用は増えず,負債も増加しなかったというのである。かわって取った行動がコスト削減,非正規雇用の増大というリストラ活動であり,現預金の蓄積による流動性確保である(第4章)。

 それでは,企業の長期経済見通し自体は何によって左右されるか。著者はこれを需要要因と供給要因に分け,2001年度から2018年度のデータによって定量的に検討する。その結果,企業がGDP成長率を予測する上で,需要側では各業界の需要見通し,マクロレベルでの過去から現在の消費成長率,供給側では現在の資本ストック成長率,労働成長率,全要素生産性(TFP)を同時に考慮した場合の説明力が高いこと,しかし需要要因の方が供給要因の方よりも重要であることが判明する。つまり,過去から現在の消費の低迷が企業にとっての日本経済の長期見通しを悪化させ,それが設備投資を停滞させるのである(第5章)。

 それでは,消費の停滞は何によって規定されているのか。これを明らかにするために,著者は家計の消費行動の分析に移る。まず家計の意識調査データを分析し,家計が公的年金制度を脆弱であると捉え,老後の成果に不安を抱えていることを明らかにする(第6章)。

 次に著者は,1970年代以降現在までの家計行動を分析する。その結果,年間収入が停滞する一方,家計の非消費支出,とりわけ社会保険料の割合が高まってきたこと,世帯主の収入減少をカバーすべく妻の就業率が上昇したこと,持ち家率の上層が負債残高を押し上げてきたことを指摘する(第7章)。

 この結果に対して,著者は勤労所得に占める社会保険料の割合の増大が,社会保障制度に対する脆弱性の認識につながるのではないかと考え,この認識の分析をさらに進める。老後を心配している家計の割合は1990年代に急上昇した。そして家計を年金と老後の暮らしに関する主観的評価によってグルーピングすると,「年金や保険が十分でないから,老後の暮らしを心配している」家計の比率が一貫して増加している。年金制度の改正は家計から全体としてはポジティブな評価を得ているが,家計属性によって評価は異なっていた。公的年金制度の脆弱性の認識の強まりという問題は解決されていない(第8章)。

 そこで問題となるのが,公的年金制度が家計の貯蓄と消費に及ぼす影響である。著者はマクロデータとマイクロデータを用いて,家計の貯蓄行動と公的年金の関係を分析する。その結果明らかになったのは,家計は納付した公的年金保険料を資産としてでなく,負担としてとらえていること,したがって家計収入に対する公的年金保険料の割合が上昇すると,家計の負担感が高まり,公的年金制度への信頼感が揺らぐこと,それ故に家計は消費を抑制し,老後の生活のために貯蓄率を高めてきたことである。しかも,公的年金の納付額が貯蓄を増大させる傾向は,貯蓄の取り崩しに慎重な家計ほど顕著であった。そして,貯蓄の取り崩しに慎重な家計の態度は,夫婦の雇用関係に影響されていた。夫婦ともに正規雇用であれば,貯蓄の取り崩しに慎重である確率が著しく低下する。つまり将来の不確実性に対して予備的な貯蓄を行う誘因が低くなるのである(第9章)。

 著者が引き出した政策的インプリケーションは名白である。男女とも希望すれば正規雇用で働ける環境を整備すること,公的年金制度への信頼を回復することである。これらにより,予備的貯蓄の縮小を消費の拡大が期待でき,企業の長期的な経済見通しの回復,設備投資の回復が期待できるというのである(終章)。

 本書のインプリケーションを裏返せば,ただひたすらに企業の収益性を重視し,家計の所得と消費を置き去りにして企業の投資だけを回復させようとする経済政策は誤りだと言うことである。正規雇用の充実と公的年金制度への不安の解消こそが,消費と投資双方の回復につながることを示した,本書の意義は大きい。

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年。

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...