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2023年12月19日火曜日

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声

 日本製鉄はUSスチール(USS)買収を発表した。来年4月にUSSの株主総会が承認することが前提だ。買収総額は141億2600万ドル(2兆100億円)。USスチールの12/15株価に対して40%のプレミアムを支払う。借入金は日本の金融機関より。買収により日鉄のD/Eレシオは0.5から0.9となる。日鉄のグローバル粗鋼生産能力は6600万トンから8600万トンとなり,目標の1億トンに接近する。このうち日本国内が4700万トン(55%),海外が3900万トン(45%)となる。

 USSスチールの粗鋼生産能力はアメリカ1580万トン,チェコ450万トンで計2030万トン。うちアメリカの子会社Big River Steelの電炉は,資料によって違いがあるが日鉄の計算だと330万トンで,他は高炉・転炉法と思われる。電炉は2024年にはさらに300万トン追加予定。つまり,1年後にはUSSの粗鋼生産能力は2330万トンとなり,うち630万トン(27%)が電炉となる。なお,アメリカ全体では,粗鋼生産のうち60%以上は既に電炉になっている。

 ここから私のコメントだが,日本製鉄の狙いは,グローバル粗鋼生産能力とグローバルシェアの拡大である。日本製鉄は,2010年代半ばまでは,製鉄ー製鋼ー圧延ー加工のうち川下の圧延ー加工工程のみを海外に配置してきたが,2019年にインドのエッサールを,アルセロール・ミッタルと共同で買収して以来,製鉄や製鋼工程からの一貫企業を買収する方式に打って出た。今回の買収もその延長線上である。今回の買収が完了すれば,「日本」製鉄という名の企業の生産能力のうち45%は海外にあることになる。

 USS買収により,日本製鉄は立地としては先進国と新興国,製品グレードとしては高級品市場と汎用品市場,技術としては高炉・転炉法と電炉法の全方位にわたるグローバル買収を敢行することになった。しかし,むやみに全方位に手を広げているわけではないだろう。現時点と将来とで,異なる目標を二重に持っていると思われる。現時点では高級品大量生産に競争力を持つ高炉一貫製鉄所を手中に収めて市場を確保するとともに,将来に向かっては電炉法を拡大して,先進国・東南アジアでは2050年,インドでは2070年のカーボンニュートラル達成という環境規制に対応していこうという戦略なのだと思われる。

 とくに,USSの場合,高炉は過去から現在,電炉は現在から未来を代表していることは明らかである。USSがアメリカ国内に持つ高炉一貫製鉄所はもはやGaryとMon Valleyの2か所に過ぎないし,まともに一貫生産を行っているのはGaryだけである。Mon Valleyは以前に紹介したように,かつては3つの一貫製鉄所と1つの圧延所であった。輸入品や電炉との競争に耐えられず,設備の多くが閉鎖されてしまい,残った設備を河川輸送でつないで,一貫生産の形を整えているに過ぎないのだ。Mon Valleyは過去を代表している。

 一方,USSは2019年に買収したBig River Steelに電炉ーコンパクト・ストリップ・ミルー冷延ミルー電磁鋼板設備,亜鉛めっき設備を持ち,電磁鋼板や,GMに納入する自動車用鋼板まで製造している。原料はスクラップ,銑鉄,直接還元のホット・ブリケット・アイアン(HBI)の3種混合のようだ。既に電炉による高級鋼生産は拡大しつつあるのだ。未来はこちらにある。

 日本製鉄も瀬戸内製鉄所広畑地区で電炉鋼から電磁鋼板を製造しているが,高炉・転炉法に比べると技術の確立度は弱い。高炉・転炉技術はもはやUSSに対して供与する側であろうが,大型電炉操業と電炉鋼からの高級鋼製造については,むしろUSSからノウハウを吸収しようという構えであろう。

 ただし,現在は高炉・転炉,将来は電炉というのであれば,両者の間に移行戦略が必要となる。いつまで高炉・転炉を用いるのか,高炉・転炉から電炉への切り替えを経営的に,また地域経済や労働者の利害を踏まえて円滑に行えるのか。高炉での部分的水素還元はどの程度実用に耐えるのか。高級スクラップが不足したら,直接還元鉄はどこから手に入れるのか。100%水素直接還元に投資する決断はいつになったら行うのか。その立地はどうするのか。どちらの新技術も,日本政府から開発補助金を得ている以上,1号機は国内に建てるべきという道義的制約はかかるはずだが,海外の方が採算がよさそうになった時に,どうするのか(川端,2023を参照)。

 日本製鉄は,他の拠点でもそうであるように,USスチールにおいても,過去から現在を代表する製鉄所と,現在から未来を代表する製鉄所を同時に抱えることになる。日本製鉄の運命を決めるのは,過去からの声か,未来への声か。カーボンニュートラルを目指す鉄鋼業の新時代において,同社はまだ数々の課題に立ち向かわなければならない。その行動の社会的効果に,私たちは期待することもできるが,同時に注意深く監視もしていかねばならないだろう。

日本製鉄株式会社「U.S.Steelの買収について」2023年12月18日。

Gary製鉄所空撮(Googleマップ)

Mon Valley製鉄所を構成する4工場空撮

クレアトン工場空撮(Googleマップ)
エドガー・トムソン工場空撮(Googleマップ)
アーヴィン工場空撮(Googleマップ)
フェアレス工場空撮(Googleマップ)

Big River Steel空撮(Googleマップ1)位置がズレて駐車場になっているが,写真掲載多数。工場は右下。

Big River Steel空撮(Googleマップ2)製鉄所の位置。

参考:製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)

川端(2023)「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」(日本語原稿)

元論文 Nozomu Kawabata(2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 

 

2023年10月25日水曜日

ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年を読んで

 スティーブ・ジョブズの伝記と言い,今回のイーロン・マスクの伝記と言い,著者のウォルター・アイザックソンが考えていることは,次の箇所に集約されていると思う。

「自信満々,大胆不敵に歴史的な偉業に向けて突きすすむなら,ひどい言動や冷酷な処遇,傍若無人なふるまいも許されるのだろうか。くそ野郎であってもいいのだろうか。答えはノーだ。もちろんノーだ。同じ人でもそのいい面は尊敬し,悪い面はけなす。それはそんなものだろう。ただ,ひとりの人を形作る糸はより合わさっている。それこそ,きっちりとより合わさっている場合もある。布全体を全部ほどくことなく闇の糸を抜くことは難しかったりするのだ。」(邦訳,下,p. 435)

 ジョブズとマスクには具体的なところでは共通点も違いもある。マスクはエンド・ツー・エンドに仕上げようとするところはジョブズと同じだが,工学系の人間であり,エンジニアリングでも製造でも自ら現場指揮を執るところは違う。物理的なところも自ら見られるので,現場に行かないエンジニア,製造を知らない設計者を許さないという特徴もある。限界まで激しく,現場に詰めて寝ずに働くシュラバそれ自体を価値あるものとする点はジョブズより極端である。製品に対する美意識の強さは同じだが,マスクはコスト意識が極めて強く,無茶なほど設計簡素化と省略を強要するところが違う。家族に対する態度は,形は違うようでところどころ無茶苦茶なのは同じとも言えて,これは何とも言い難い。

 経営学の研究者からすると,マスクがエンジニアリングと製造のシームレス化や改善や激しい働き方についてやっていることは,ある意味ではかつての日本の企業人と似ていると考えることもできる。ただ,自分と優れたエンジニア数名が主役となり,現場を駆け回って命令しながら成し遂げようとするところは違う。上から下まで誰にでも合理的説明と工夫をさせようとする点はかつての日本企業と似ているが,それを自らの一方的命令で行い,うまくいかなければ速攻で解雇して人を入れ替えるところは違う。

 実は私は,何だかんだ言っても少量生産であるスペースXはとにかく,一般顧客向け大量生産のテスラをどうやって成り立たせたのかが不思議でならず,本書を買った。答えは,「自分と何人かの専門家が総出で現場で徹夜で監督する+説明と改善をすみずみまで強要する+能力不十分なら速攻で解雇して速攻で補充採用する」のように見える。それで何とかなるはずはないだろうと思う一方で,本書を読むと何とかなりそうにも思えてくるから不思議である。まだ半信半疑だが,確かにすごいと思う。

 スペースXやテスラに関する章に比べると,ツイッターに関する章は読んでいて気持ちが悪い。著者がカンパしたように,マスクはスペースXやテスラと同じようにツイッターもテック企業だと思い込んでいたが,実はコミュニケーション企業だったのだ。スペースXやテスラでは,マスクがダメだと思い込んだ人間をクビにして設計や製造の仕方を変えれば済むが(それでもどうかとは思うが),ツイッターの場合,マスクの不用意な言動で,轟轟たる中傷を浴びねばならなくなる人が発生するところは,本書で最も嫌な気持ちになった部分である。

 結局は冒頭に引用したアイザックソンの言葉に尽きるのだが,私の関心は上記のようなところにあった。それぞれの関心から読めば,きっと面白く,また考えさせられる本だと思う。


ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917306




2022年8月28日日曜日

JFEスチールが西日本製鉄所倉敷地区で高炉1基を停止し大型電炉を増設するという報道に接して

 JFEスチールが西日本製鉄所倉敷地区の高炉1基を2028年前後に停止し,あわせて大型電炉を建設するという報道。日本製鉄に3年遅れを取ったが,ついに決断したか。事実だとよいが(9/1 JFEスチールはカーボンニュートラル戦略説明会を開催し,この報道が事実であることを裏付けた。)

 NHKは正確に報じているが,時事通信社の配信に依拠したメディアは「高炉を電炉に転換」と書いている。これはやや筆が滑ったところがあり,正確には電炉と同次元で対応するのは転炉である。高炉は鉄鉱石から銑鉄(溶銑)をつくり,その溶銑をつかって転炉で粗鋼をつくる。電炉はスクラップや銑鉄・還元鉄などから粗鋼をつくる。転炉は溶銑の持つ熱を利用するので,高炉が隣接していないと効率的に操業できない。

 だから,この報道が正しいとすれば,その意味するところは,高炉を1基減らし,対応する転炉の能力も縮小し,それで減る分の粗鋼生産を電炉でカバーするということだろう。

 鉄鋼業は製造業最大のCO2排出源であり,その原因は酸化鉄である鉄鉱石をコークスと微粉炭,つまりは炭素を用いて還元するからである。この問題を根本的に解決するのは,炭素でなく水素で還元する次世代製鉄法である。それにはやや劣るが有効な方法として,排出されるCO2をCCUS(二酸化炭素回収・利用・貯留)で貯蔵または再利用することも構想されている。しかし,いずれにせよ実用化にはまだ時間が必要だ。さしあたり,既存技術である電炉法の適用範囲を拡大すればCO2排出は抑制できる。電炉法では主原料として鉄スクラップを使うので,高炉が不要になるからだ。当面,これでしのぐしかない。

 電炉法で高級品を製造するのは,多品種・少量生産で,二次精錬などの多数の工程をかけてやれば可能である。あとは価格とコストの見合いである。特殊鋼電炉メーカーはそのような生産方式で成り立っている。しかし問題は,現代社会は,大量生産品の鋼材にも高級化を求めているということだ。その最たるものは自動車のボディである。

 高級化は仕様の多様化でもあり,鉄鋼メーカーに入る受注は小ロット化する。高炉メーカーはこれを何とか大ロットにまとめ上げて効率性を維持しつつ,高級品を製造する技術開発を進めてきた。そのため,高級化した大量生産品の知識・ノウハウは,高炉・転炉法での製造技術として高炉メーカーに蓄積され,また学界での研究もおこなわれている。

 高級化した大量生産品の製造を電炉法に切り替えようとすると,以下のことが課題となる。

1.電炉自体の大型化。これは世界ではすでに実績があり,さほど困難ではない。
2.高品質なスクラップまたは直接還元鉄の調達。少量なら問題なくとも,大量にとなると容易ではない。
3.高級品の知識・ノウハウの高炉・転炉法から電炉法への置き換え。これも長年高炉・転炉法に固着していたため容易ではない。メーカーのR&Dだけでなく,学界や大学での研究の重点を含めて転換が必要だ。
4.電力業の脱炭素化。電炉とは電気炉の略称で,その名の通り電力を大量消費する。なのでEVと同じで,温暖化防止には発電でのCO2排出を抑えねばならない。鉄鋼メーカーがCO2排出の少ない電力を選択して購入したり,電力業に直接・間接に関与したりする動きも広がるだろう。例えば,太陽光発電の普及により,昼間電力が余り気味になるという現象が生じているので,長年,夜間操業を強いられてきた電炉メーカーは,今後昼間操業に転換し,太陽光発電業者から集中的に電気を買うことが考えられる。

 今回の決断はJFEスチールのものだが,これらの転換を担うのは,何も既存高炉メーカーや既存電炉メーカーに限られない。次世代技術や業際的ビジネスモデルをひっさげたスタートアップやアライアンスを含めて,様々な担い手に機会を開くことが必要だ。

「JFEスチール 高炉1基を休止し「電炉」建設を検討 脱炭素加速へ」NHK NEWS WEB,2022年8月27日。

「JFE、高炉1基を電炉に転換 岡山の製鉄所、27年にも」時事通信社,2022年8月26日。

JFEスチール カーボンニュートラル戦略説明会 [2022年9月1日],JFEスチール株式会社。


<参考>

「日本製鉄広畑製鉄所の製鋼工程が電炉法に切り替わることについて」Ka-Bataブログ,2019年11月19日。

川端望「日本鉄鋼業の現状と課題~高炉メーカー・電炉メーカーの競争戦略と産業のサステナビリティ~」『粉体技術』第12巻第10号,日本粉体技術工業協会,2020年10月,15-19頁。

「脱炭素時代に日本鉄鋼業はどう変わるか(『Value One』No.73,株式会社メタルワン,20201年7月15日掲載原稿)」Ka-Bataブログ,2021年7月16日。


2022年8月4日木曜日

資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』最終章によせて

  学部ゼミでブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った』(みすず書房,2021年)を読み通した。色々と論点はあったが,ここでは最終章の「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか」という問いを考えてみたい。話が大きすぎて明快な切り口を設定するのが難しいが,それでもいくつか考えてみたい。

*資本家のジレンマ

 ミラノヴィッチは,資本主義経済が成長し続けていることには何の疑問も持っていないようである。しかし,資本主義は,成長すればするほど,投資・消費し切れないほどの所得を生み出してしまう。この,成長の果ての停滞というケインズ的問題が全く落ちていて,成長は成長を呼ぶかのように論じるところが,本書の現代資本主義論としての食い足りなさである。
 現実には,先進資本主義経済が長期停滞にある(ローレンス・サマーズ)と言われて久しい。停滞からの活性化を図るためにあh,「新市場開拓型イノベーション」(クリステンセン&ビーバー)が必要とされる。従来の顧客に新製品で奉仕する持続的イノベーションでは市場は広がらずに雇用が徐々に減っていくし,コスト節約型イノベーションではなおさら雇用が減る。それでも生じた利益が再投資される時代だったら経済は成長したが,いまは投資先を見つけられない現預金を企業が抱え込むか,金融資産に繰り返し投下している。そういう観点からすると,ミラノヴィッチが注目するサービス分野の市場化は,経済活性化のカギとなる領域である。
 しかし,サービス分野の商品化は「私的領域」というよりも,個人・家族・コミュニティの再生産に必要な「共同作業」を商品=サービスの売買に変えているといった方がいい。セックスも,育児も,調理や清掃も,介護も,生活に必要な近距離移動も,文化・芸術における交流や評価も,もともと孤立した「私」の営みでもないし,「買い手と売り手」「奉仕者と顧客」だけの関係を処理するものとモデル化するべきではない。大量生産・大量消費になじまなかったために,従来,非市場的・非営利的に営まれてきた「共同」作業だった。そこに,一方では停滞から脱却する必要性によって,他方ではITの発達によってこれを可能とする技術が出現したために,ついに商品化の波が及んでいると理解すべきだろう。

*「官僚化」の失敗

 サービスの商品化は「官僚化」の失敗と表裏一体である。マルクス経済学は,1930-70年代に国家が経済介入を強めた理由を様々にとらえて「国家独占資本主義」論のバリエーションを展開したが,中でも島恭彦や池上惇は,コミュニティの営みが官僚機構によって包摂されていき,その包摂の仕方が資本蓄積に奉仕するものであることを重視した。そこで提起された対抗戦略は,官僚機構の民主的地方自治への転換であった。
 ところが1980年代以降の新自由主義は,コミュニティの共同作業を官僚機構に包摂することを中断した。むしろこれを市場化し,あるいは官僚機構,市場,NPOの協業関係に変形させた。問題とすべきが官僚化から脱官僚化・市場化に変わったのである。

*プラットフォームによる「シェアリング」の「マッチング・ビジネス」化

 ミラノヴィッチは本書でほとんど触れていないが,共同作業の商品化はプラットフォーム・ビジネスを通して行われている。
 プラットフォーマーは,家族やコミュニティの共同作業であったものを,顧客と自営業者(ギグワーカー)の市場取引としての結び付きに変える。使用価値的には「共同作業」であり,お互いの遊休資源を有効活用する「シェアリング」であるものが,市場での価値の取引では「マッチング・ビジネス」として資本主義的に営まれる。食事の宅配であり,保健サービスであり,ライドシェアリングであり,ネット小説であり,個人の対話と交流であり,レストラン情報のやり取りと格付けである。
 ミラノヴィッチによる私的領域の商品化論を読んでいると,自律した個人がサービスを取引し合う自営業者だけの世界が生まれるようにも見える。しかし,そうではない。プラットフォーマーは巨大資本主義企業であり,ネットワーク外部性を活用して独占化する。マッチング・ビジネスにおけるサプライヤーはギグワーカーとなりがちであり,形式上は業務請負業者であっても実態は労働者にほかならず,労働市場で分断され,低い労働条件で働かねばならないことが多い。そして,コミュニティでの評価の代わりにグローバルな採点とその背後のアルゴリズムに直面する。
 なるほど,これは資本主義経済を救う新市場拡大かもしれない。取引相手をサーチする範囲を広げることで資源の有効利用度を高め,稼得機会を社会全体として拡大するかもしれない。確かに,弱体化する親類ネットワークやコミュニティよりも,はるかに広い範囲からのすばやいマッチングを,営利的動機によるプラットフォームへの吸引は可能にする。しかし,プラットフォームによる共同作業の商品化は,独占と激しい経済格差を生み出すものである。また「マッチング・ビジネス」だけがあらゆるところに入り込めば,その網の目がコミュニティをさらに侵食し,人間の共同作業を困難にして,所得をめぐる競争に励むしかないように動機づける。

*ユートピアではない

 これは経済的ユートピアではない。共同作業の別の形での発展の可能性をつみとって,市場取引オンリーに変えるものである。また,人間関係のディストピアにまでたどり着くかは別としても,少なくともユートピアではないだろう。







2021年12月28日火曜日

日本の高炉メーカーは,イノベーターのジレンマにはまりつつあるのか? 高炉における水素利用と水素直接還元製鉄の選択について考えるべきこと

 鉄鋼業をカーボン・ニュートラル化するためには,鉄鉱石を炭素で還元する製造法を改めねばならない。これは,世界の鉄鋼業が等しく直面している難題である。現存技術でこれに貢献できるのは,すでに鉄鋼となって存在している鉄スクラップを電気炉で溶解精錬するスクラップ・電炉法である。もちろん発電でCO2を出さないことが必要であり,発電を再生可能エネルギーで行ったうえで電炉で精錬するということになるだろう。今後,世界の鉄鋼業で電炉法のシェアが高まることは確実である。しかし,それだけで世界の需要をまかないきれるわけではない。どうしても,鉄鉱石を製錬する製造法の脱カーボン化が必要である。いまのところ,その最終的な解決は,炭素でなく水素で鉄鉱石を還元することと想定されている。

 この,水素製鉄に向けての技術選択について,日本とヨーロッパで異なる経路が生じつつある。本稿では,このことの意味を考えてみたい。

 日本鉄鋼連盟や日本製鉄,JFEスチールのゼロカーボン・スチール構想では,最終目標は水素直接還元製鉄とされている。しかし,両者も日本鉄鋼連盟も,その実用化には時間がかかると考えて,当面は高炉での水素利用,カーボンリサイクル高炉,高炉+CCS/CCU(CO2貯留・有効利用)の開発に注力している。これに対して,自然エネルギー財団の「鉄鋼業の脱炭素化に向けて 欧州の最新動向に学ぶ」(2021年12月14日公開)によれば,ヨーロッパでは,まず天然ガスで還元する大型の直接還元製鉄炉(製鋼は電気炉)を2025-2030年に立ち上げ,これを水素還元に切り替えていくというプロジェクトが次々と立ち上がっている。ヨーロッパメーカーは,早々に製鉄法を直接還元法に切り替えようというのである。

 製鉄法が高炉法と直接還元法に分かれると,製鋼法もまた分かれる。高炉法では製造される銑鉄が溶融状態なので,精錬には,酸素を吹き付けるだけで脱炭できる転炉を用いるのが効率的である。一方,直接還元炉で製造されるのは固体としての還元鉄であるため,精錬には加熱・溶解が必要なため酸素転炉が使えず,電炉を使うことになる。高炉は転炉と,直接還元炉は電炉とセットなのである。

 高炉・転炉法は現状では非常にエネルギー効率が良い製造技術であり,それ故高炉・転炉法の技術を蓄積している日本の高炉メーカーは,現在に至るまで競争力を維持できている。しかし,もし水素還元が早期に確立すると,直接還元・電炉法の方がCO2削減効果が大きくなる可能性がある。なぜなら,高炉法では,炉内の装入物の荷重を支え,還元ガスや溶けて降下する鉄の通路を確保するために固体のコークスが不可欠であり,これを,気体である水素に完全に置き換えることができないからである。一方,直接還元炉は還元をガスによって行うことができるので,この制約がない。

 日本の高炉メーカーは,現存する高炉・転炉による一貫製鉄所の設備と,国内に蓄積されている高炉・転炉法の技術・ノウハウを活用する方が,技術的にも手を付けやすく,また当面は低コストであるために,次世代技術の第一弾として高炉での水素利用を選択しているのだと思われる。対してヨーロッパメーカーは,高炉・転炉法のレガシーが強力でないがために,当初より水素直接還元製鉄を目指していると解釈できる。

 もし高炉の水素利用を早期に確立できるならば,当面は日本メーカーが優位に立つかもしれない。高炉・転炉を座礁資産にせずに,長く使うことも可能になるだろう。しかし,技術発展の経路が高炉・転炉法にロックインされると,水素直接還元製鉄技術の最終的確立,CO2排出規制への対応において,ヨーロッパメーカーに遅れを取るかもしれない。

 水素直接還元製鉄は,しばらくの間,エネルギー効率においては高炉・転炉法に追い付かず,したがって通常の意味での生産コストは高いだろう。しかし,CO2排出規制への適応性が高いために,カーボン・プライシングのレベルによっては不利は相殺されるかもしれない。CO2排出の社会的費用を含んだ生産コストでは,水素直接還元製鉄が,早々に優位に立つかもしれない。

 かつて製鋼技術が平炉から純酸素転炉に置き換わる際に,アメリカ高炉メーカーは,すでに巨額の設備投資を行っていた平炉法の維持・改善に固執して転炉導入に後れを取り,そのことがコスト高・競争力喪失につながった。鉄鋼業の脱カーボン化において,日本メーカーは同じ轍を踏まずに済むだろうか。脱カーボン製鉄技術の選択については,エンジニアリングの側面だけでなく,経済の側面からもよく検討する必要があるだろう。

 これをやや一般化して言うならば,既存大企業は,保有する現存の設備・技術を自ら陳腐化させるカニバライゼーションをためらい,従来技術の延長線上にある持続的イノベーションで環境規制に対応しようとする。その分だけ,市場における挑戦者企業よりも新技術採用で後れを取る危険がある。一方,挑戦者企業はレガシーの重みがないために,果敢に新技術に挑戦する。新技術は,しばらくの間は,従来の市場における基準ではパフォーマンスが劣る。しかし,環境規制への適合性が高いために,まず規制や世論による環境基準が高い市場の一部で支持される。その支持を足場にして,挑戦者企業は生産を拡大して生産性とコストを改善する。並行して,技術それ自体も洗練されていく。そして,ついには新技術が従来技術にとってかわり,挑戦者企業が既存大企業にとって代わるかもしれない。クレイトン・クリステンセンの言う「イノベーターのジレンマ」は,カーボン・ニュートラルをめざす環境技術においても生じ得るのである。

 本件は,まだデータによって裏付けられる話ではなく,あり得る可能性についての問題提起と注意喚起にとどまる。しかし,関係者がそれぞれの立場から検討すべき論点であることは,間違いないと思う。拙論への賛否を問わず,生産的な討論が起こることを切望する。

2022/4/16 語句修正。


2021年8月10日火曜日

2021年1月25日月曜日

次年度の学部ゼミテキストは遠藤環・伊藤亜聖・大泉啓一郎・後藤健太編『現代アジア経済論:「アジアの世紀」を学ぶ』有斐閣ブックス,2018年

 次年度の学部ゼミ最初のテキストは遠藤環・伊藤亜聖・大泉啓一郎・後藤健太編『現代アジア経済論:「アジアの世紀」を学ぶ』有斐閣ブックス,2018年とした。今年度は後藤先生の『アジア経済とは何か』と塩地洋・田中彰両先生編著の『東アジア優位産業』を読んだので,その流れに沿っての選書である。前年度にちゃんと勉強したはずの新4年生は新3年生をきちんとサポートせよ,という建前も成り立つ。

 今年度の反省点としては,「アジア」を論じるはずが,学生の思考が「日本とそれ以外」という風に向かってしまいがちだということだ。そして,「日本は高付加価値で高品質の分野に集中し……」という永遠の回転木馬に流れてしまう。いや,実際にそういうことが起こっている産業ではいいのだが,よくわからない,調べてないけど,こう言っておけばいいんだろ的になると問題である。

 その点,本書は「アジア化するアジア」「生産するアジア」「移動するアジア」「都市化するアジア」「老いていくアジア」といったように,「アジア」そのものが切り口になっていることを特徴としている。次年度は「他のアジア諸国に対する日本」でなく「アジア」を考えるために,本書の構成と切り口を活用させていただきたい。もちろんそれは,「アジア」の経済・社会がどこでも同じだという意味ではないし,本書もそんなことは書いていない。「アジア」は現実においてダイナミックな経済・社会変容の場であり,その変容を捉えるための思考の単位であろう。



2020年12月12日土曜日

2050年に鉄鋼生産工程でのCO2発生ゼロを目指すという日本製鉄の方針について

 『日本経済新聞』2020年12月11日付によれば,日本製鉄橋本英二社長は「政府が掲げる50年のゼロ目標に合わせて,鉄をつくる過程で発生しているCO2ゼロを目指す」と述べたとのこと。

 待たれていた方針だ。日本の鉄鋼業界の温暖化対策は,京都議定書の削減目標を達成したところまでは見事であったが,その後はベースライン比何百万トン削減という形での,国際社会への貢献度があいまいな目標しか立ててこなかった。2018年には日本鉄鋼連盟がゼロカーボンスチールを目指す温暖化対策ビジョンを作成して一歩踏み込んだが,そこでも世界鉄鋼業がゼロカーボンを達成するのは2100年とされていた。この達成時点を2050年に前倒しすることで,「世界的な平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに,1.5℃に抑える努力を追求する」というパリ協定の目標に見合った削減シナリオとなる。

 また報道が正確だとすれば,今回日鉄は,「電炉活用を進める」と公言したことになる。すでに日鉄は,瀬戸内製鉄所広畑地区への電炉導入を決めて布石を打っていたのだが,(報道が正確であれば)ついに公然と電炉の温暖化対策上の意義を認めた格好になる。これはJFEスチールや神戸製鋼所,また日本鉄鋼連盟にも影響を与えるだろう。これまで日本鉄鋼連盟は,「電炉の方がCO2排出原単位が小さい」という話題が出るたびに徹底して反発してきた。その背後に高炉メーカー会員の意向があったことは容易に推定できる。このかたくなさも変化すると期待できる。

 もっとも,これは必然だったと言える。そうしなければ目標が達成できないからだ。鉄鋼連盟が公表している,2100年ゼロカーボンスチールの方針は,ある程度の電炉法比率拡大を想定していた。もっとも主要な達成手段はそこにはおかず,現在開発中の部分的水素還元製鉄COURSE50を実用化した上に,さらにその先の超革新的製鉄技術,端的には完全な水素製鉄法,加えてCCSまたはCCU(二酸化炭素回収・貯留,再利用),さらに系統電源のゼロエミッション化をすべて達成することで目標を達成するとしていた。しかし,2050年に排出ゼロを実現しようとすれば,これらの次々世代技術開発は必要である一方で,そこにすべてをかけるわけにはいかないだろう。また,次々世代技術がすべて実用化されて2100年に達成では遅すぎる。10月公表の拙稿(※)で指摘したように,まず2050年に向かっては,現存する技術であるスクラップ・電炉法の適用比率をもっと拡大していくことが必要だろう。

 ただし,日鉄の方針にはより詳しく見るべき点もある。排出ゼロとするのはどの範囲なのかということだ。世界全体としての日鉄の連結あるいは持ち分法対象企業すべてなのか,それとも日本国の排出に計上される分,つまり日本国内の生産拠点についてなのか。前者であることを期待するが,後者だとすると,960万トンの還元鉄一貫システムを持つインドでの合弁事業AM/NSインディアなどは対象外ということになる。

 この点は注意が必要だ。現在,日本製鉄は粗鋼生産の量的拡張は国際M&Aで進める方針を取っている。旧エッサール・スチールをアルセロール・ミタルと共同で買収して再編したAM/NSインディアはその主力であるが,今後も同様の買収があるかもしれない。裏返すと,国内では粗鋼生産能力を拡張することはもはやなく,すでにコロナ禍以前から呉製鉄所閉鎖などの大規模な設備調整に入っている。生産設備が縮小すればCO2排出も縮小する。もしゼロカーボンの方針を国内拠点だけに適用すると,生産拠点の国内から新興国へのシフトを加速させる要因になるし,地球全体としてのCO2排出削減効果をそぐ作用も持つ。ゼロカーボンの方針を全世界の拠点に適用するか,あるいは国内でのスクラップ・電炉法へのシフトを円滑に進めれば,こうした副作用は起こらない。

 日本製鉄の立地戦略と環境戦略を総合して,今後も注視していく必要がある。

「日鉄、50年に排出ゼロ 水素利用や電炉導入」『日本経済新聞』2020年12月11日。

※川端望「日本鉄鋼業の現状と課題~高炉メーカー・電炉メーカーの競争戦略と産業のサステナビリティ~」『粉体技術』第12巻第10号,日本粉体技術工業協会,2020年10月,15-19頁。


2020年2月6日木曜日

クレイトン・クリステンセン教授の逝去によせて

 クレイトン・クリステンセン教授が亡くなられた。私は彼の破壊的イノベーション理論に気づくのが遅れ,2010年代になってから慌てて学部ゼミの教科書に採用して学んだ。記録によると2014年度第1学期に『イノベーションへの解』,2018年度第1学期に『イノベーションの最終解』と「日本は「イノベーションのジレンマ」を超えられるか」,それに「資本家のジレンマ」,第2学期にThe power of market creationを輪読している。おかげで自分の考えも随分と変わったと思う。とくに日本の産業政策における既存大企業優先策の問題点と,発展途上国における地場企業の台頭の可能性と意義については,クリステンセンを学ぶことなしに考えを深めることはできなかったろう。どうか安らかにお休みください。

 Harvard Business Reviewは同誌掲載の論稿を紹介しているが,私はこの他にBOPの市場開拓を破壊的イノベーション論で基礎づけたHart and Christensen (2002)と,低成長に陥った先進国資本主義の限界そのものに迫ったChristensen and Bever (2014)が,重要な社会的意義を持つと思う。

The Editors, The Essential Clayton Christensen Articles, Harvard Business Review Website, January 24, 2020.
https://hbr.org/2020/01/the-essential-clayton-christensen-articles

Hart, Stuart L. and Christensen, Clayton M. (2002). The great leap: Driving innovation from the base of the pyramid, MIT Sloan Management Review, 44(1), Fall.
https://sloanreview.mit.edu/article/the-great-leap-driving-innovation-from-the-base-of-the-pyramid/

Christensen, Clayton and Bever, Derek van (2014). The Capitalist’s Dilemma, Harvard Business Review, June.
https://hbr.org/2014/06/the-capitalists-dilemma


2019年12月1日日曜日

張艶氏博士論文「地域エコシステム構築による新興国産業のグローバル・バリューチェーン参入と高度化-大連市ソフトウェア・ITES産業の事例を通して-」の公開によせて

 9月に博士課程を修了した張艶さんの博士論文が東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。この博士論文は,張さんがこれまで査読を経て『アジア経営研究』誌に発表した共著(第一著者)論文1本と単著論文2本,また投稿中の単著論文1本に基づいていますが,大幅な加筆・修正を加えて一つのまとまりを持った論文に仕上げたものです。

<博士論文>
張艶「地域エコシステム構築による新興国産業のグローバル・バリューチェーン参入と高度化-大連市ソフトウェア・ITES産業の事例を通して-」(審査委員:川端望・柴田友厚・西澤昭夫)
http://hdl.handle.net/10097/00126448

 大連市ソフトウェア・ITES産業の詳細な事例分析を通して,GVC論を組み込んだ地域エコシステムの3段階区分という独自モデルを提示しました。とくに,新興国ハイテク産業育成においては,先進諸国の産学連携のように大学における先端研究成果の産業化がただちに課題とされるのではなく,まずはGVCへの参入が最大の目的とされ,その参入のためだけにも地域エコシステムの構築が求められることを明らかにしました。

<主要業績>
張艶(2018)「大連ソフトウェア・ITEサービス産業の地域エコシステム」,『アジア経営研究』24,pp.109-122。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.24.0_109
張艶(2017)「大連市におけるソフトウェア・情報技術サービス産業の発展と転機」,『アジア経営研究』23,pp.103-116。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.23.0_103
張艶・川端望(2013)「大連市におけるソフトウェア企業の事業創造と変革 -4社の事例分析から‐」『産業学会研究年報』28,pp.73-85。
https://doi.org/10.11444/sisj.2013.73
張艶・川端望(2012)「大連市におけるソフトウェア・情報サービス産業の形成」,『アジア経営研究』18,pp.35-46。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.18.0_35
Yan Zhang(2017). Development of and change in the software and IT-enabled services industry in Dalian, China , TERG Discussion Paper,361, pp.1-18.
http://hdl.handle.net/10097/00121009
Yan Zhang and Nozomu Kawabata(2015). Business creationand transformation processes in four software companies in Dalian, China:Commonalities and differences, TERG Discussion Paper, 331, pp.1-21.
http://hdl.handle.net/10097/59620
Yan Zhang and Nozomu Kawabata(2013). The Formation of the Software and Information Services Industry in Dalian ,China, TERG Discussion Paper,293, pp.1-18.
http://hdl.handle.net/10097/55766
(英文DPは日本語論文の英訳です)

2019年11月19日火曜日

日本製鉄広畑製鉄所の製鋼工程が電炉法に切り替わることについて

 製鉄所の再編・統合に隠れてあまり注目されていないが,日本製鉄は11月1日に,広畑製鉄所の製鋼工程を冷鉄源溶解法から電炉法に置き換えることを,第2四半期決算説明の一部として発表した。
 鉄鋼業界は,1980年代の円高不況期に過剰設備の削減に乗り出したが,この時,新日鉄(当時)の計画には広畑製鉄所の高炉休止が含まれていた。バブルを経て多少の延期はあったものの高炉は1993年に休止し,同年に製鋼工程は転炉法から冷鉄源溶解法に転換した。
 1996年に見学した際の記録によってまとめると,冷鉄源溶解法とは,型銑(固体・常温の銑鉄)とスクラップを加熱し,溶解炉で溶解して溶銑(融けた高温の銑鉄)と類似の鉄源を確保する方法であった。最初に前回のため湯100トンを残しておき,そこにスクラップや,大分製鉄所から運んできた型銑などの冷鉄源を投入する。その比率は当時は半々であった。これに上下から酸素・冷却LPG・窒素・粉炭を吹き込んで溶解し,出銑して取鍋にあける。以後は,高炉・転炉法と同じで,取鍋内で脱硫処理を行った後,脱炭炉(転炉)で脱炭・精錬し,さらに二次精錬を行ってから連続鋳造機に送り,鋳造してスラブにする。スラブが圧延やメッキを施されて各種の鋼板類になる。
 このプロセスならば高炉・転炉法と類似の品質の鉄源を確保できる。こうして,広畑製鉄所では圧延工程で電磁鋼板やブリキ,電気亜鉛めっき鋼板を含む高級鋼板を製造してきたのである。もっとも,半分以上は他の製鉄所から来るスラブを圧延していた。
 しかし,通常の高炉・転炉法よりコストも時間もかかる。高炉・転炉法では高炉から出銑された溶銑(融けた高温の鉄)が転炉に装入されるのに対して,冷鉄源溶解法では,大分製鉄所でいったん冷えて固まった銑鉄を広畑まで運び,もう一度加熱・溶解しているからである。
 広畑の製鋼工程は新日鉄時代から日本製鉄の長年の悩みの種であったため,今回,これを電炉法に切り替えるのは画期的な変革となり得る。ただ,公表資料には「高炉由来の高品位原料を活かし」とも書いてあるので,電炉法への切り替え後も,鉄源として型銑に依存する比率は高いのかもしれない。そうすると,いくらか画期性はそがれることになる。
 この上は,できる限りスクラップ比率を高めて欲しい。それが今回の措置の意義を高めるからだ。スクラップを主要鉄源にできればCO2排出原単位が画期的に低下するし,製銑工程を必要としないために製鉄所をコンパクトにできる。そして,冷鉄源溶解法が品質のために犠牲にしてきたコスト競争力を回復させられる。スクラップ・電炉法によって,差別化競争力の源泉である高級鋼板を製造できるのであれば,広畑製鉄所はコスト的にお荷物状態だった中型製鉄所から,未来型のコンパクト製鉄所に転換する。そして日本製鉄の未来には,地球温暖化の危機の時代に生き残るための一筋の光が差し込むことになるだろう。

「2019年度第2四半期決算説明会」日本製鉄株式会社,2019年11月1日。

2020年12月12日追記。その後の日本製鉄の温暖化対策。

2019年10月1日火曜日

佐藤千洋氏博士論文「アーキテクチャの位置取り戦略と製品開発組織 –電子部品メーカーの車載事業傾斜を事例とした分析-」の公表によせて

 当ゼミの後期課程修了生,佐藤千洋さんの博士論文「アーキテクチャの位置取り戦略と製品開発組織 –電子部品メーカーの車載事業傾斜を事例とした分析-」が東北大学機関リポジトリTOURに全文掲載されました。基礎になった論文は査読を経て『赤門マネジメント・レビュー』と『工業経営研究』に掲載されています。
 佐藤さんの論文の特色は,製品開発研究,アーキテクチャ研究の蓄積を踏まえ,これを一歩進める論点を提起して事例研究を行ったことです。まず,アーキテクチャの位置取りにおける依存性と戦略性の把握です。自社および顧客のアーキテクチャをそれぞれ孤立的にとらえるのでなく,相互に影響を与えあうものとしてとらえ,また経営者にとって所与として決定されるものではなく,戦略的に変化させ得るものとして把握しました。次に,アーキテクチャの位置取り戦略と開発組織の相関性の把握です。これまで自社の製品アーキテクチャと製品開発組織の相関性について研究が積み重ねられてきましたが,顧客製品のアーキテクチャを含めて開発組織との関係を論じる視点を打ち出しました。そして専業電子部品メーカーのイリソ電子と総合電子部品メーカーのアルプス電気の車載事業傾斜について比較事例分析を行いました。

<博士論文>
佐藤千洋「アーキテクチャの位置取り戦略と製品開発組織 –電子部品メーカーの車載事業傾斜を事例とした分析-」
http://hdl.handle.net/10097/00125764

雑誌掲載論文
佐藤千洋(2018)「総合電子部品メーカーのアーキテクチャ戦略と開発組織の適合性 : 車載市場への傾斜を踏まえて」『工業経営研究』32(1), 16-27。
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021581969
佐藤千洋(2018)「電子部品産業における専業メーカーの競争優位:アーキテクチャ戦略と製品開発体制の適合性の観点から」『赤門マネジメント・レビュー』17(3), 111-130。
https://doi.org/10.14955/amr.0170607a

国際会議報告
Chihiro Sato (2016), A Study on the Business Strategy of Highly Profitable Electronic Component Manufacturers, Proceedings of the 2016 International Conference on Industrial Engineering and Operations Management
Kuala Lumpur, Malaysia, March 8-10, 2016.
http://ieomsociety.org/ieom_2016/pdfs/136.pdf

学会報告
佐藤千洋(2015)「高収益部品メーカーにおける製品戦略 : キーエンスとヒロセ電機の比較」『イノベーション学会年次大会講演要旨集』30(0),2466-469。
https://doi.org/10.20801/randi.30.0_466

2019年4月6日土曜日

「破壊的イノベーション」の意味を取り違えている内閣府総合科学技術・イノベーション会議の「ムーンショット型研究開発制度」

「欧米や中国では、破壊的イノベーションの創出を目指し、これまでの延長では想像もつかないような野心的な構想や困難な社会課題の解決を掲げ、我が国とは桁違いの投資規模でハイリスク・ハイインパクトな挑戦的研究開発を強力に推進している」(「ムーンショット型研究開発制度の基本的考え方について」2018年年12月20日,内閣府総合科学技術・イノベーション会議)。

 何てこった。完全に「破壊的イノベーション」(Disruptive Innovation)と「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)を取り違えている。破壊的イノベーション論の総帥クレイトン・クリステンセンが『イノベーションへの解』(マイケル・レイナーとの共著。邦訳は翔泳社刊)でこの二つを混同するなと戒めているのに。総合科学技術・イノベーション会議には経済学者や経営学者は一人もいないのかと思ったら,実際いないようだ。安倍さんとか菅さんとか麻生さんはしょうがないとして,世耕経産相も知らないんだな。

 「破壊的イノベーション」とはDisruptive Innovationの訳で,その意味は「ぶっ壊す」というより「既存の秩序を乱す」だ。個人的には「破壊的」と訳したところがそもそも間違いで「攪乱的」の方がよかったと思う。その定義は,「主流市場の顧客には使いようがないイノベーションのことであり,新しい性能次元を生み出すことによって性能向上曲線を定義するもの」だ。破壊的イノベーションは,これまで消費していなかった人々に新しい機能をもたらすか,既存市場のローエンドにいる顧客により大きな利便性または低価格を提供することによって,新しい市場を創出する。既存大企業が獲得できないセグメントや新しい市場を開くことがその革新性の中心だ。銑鋼一貫製鉄法に対する電炉製鋼,銀塩カメラに対するデジカメや,デジカメに対するカメラ付きスマホや,紙の出版に対するDTPなどがそうだった。既存企業をかく乱するところが「破壊的」なのであって,科学的・工学的に新しいことを「破壊的」と言っているのではな。また,投資金額がでかくなければならないのでもない。最初からハイインパクトとも限らない。破壊的イノベーションは,むしろ,「小さく生んで大きく育てる」になることの方が多い。

 総合科学技術・イノベーション会議が言っている「ムーンショット型」は経済・経営的文脈では「ラディカルイノベーション」(Radical Innovation)に近く,これは定義は人によって異なるが,科学的・工学的・組織的原理が従来と根本的に違うことが中心的意味だ。

 この混同がなぜまずいか。「これまでの延長では」できないことを解決するのに必要なのは,大規模な研究開発と資源投入を必要とするようなラディカルイノベーションの場合もあるが,そうでない場合もある。むしろ,既存大企業の死角をつき,一見するとむしろ性能が低いが,それ以外に良いところがある製品で小規模に事業を始めながら,発展しているうちに市場全体を変革するような破壊的イノベーションが必要な分野もある。後者を見失ってはならないのだ。

 両者を混同して前者に解消するようでは,またしても技術中心主義に陥って市場を見失い,またしてもカネと力はあるが革新性を失いつつある既存大企業をかばい続けて,いまは小さいが将来性あるベンチャーを見て見ぬふりをし,またしても大規模資源投入と称して官僚的で舵の効かない大艦巨砲主義に陥って,作戦に必要な自由に小回りの利く民間の小艦艇を忘れ,月でなくあさっての方向にすっ飛んでいくのではないか。

「破壊的技術に1000億円 「選択と集中」どう機能 」『日本経済新聞』2019年4月6日。

「ムーンショット型研究開発制度」内閣府ウェブサイト。

付記:私の理解では,破壊的イノベーションとは,例えば以下で書いたように,「新興国市場の,高級な材料には手の届かない人々に,安くて使いやすくそこそこの品質のカラートタンを個人住宅の屋根材料として普及させて新市場を拓く」といったことだ。
川端望(2016)「ベトナム鉄鋼業における民間企業の勃興」『アジア経営研究』22, pp.79-92。

岡橋保信用貨幣論再発見の意義

  私の貨幣・信用論研究は,「通貨供給システムとして金融システムと財政システムを描写する」というところに落ち着きそうである。そして,その前半部をなす金融システム論は,「岡橋保説の批判的徹底」という位置におさまりそうだ。  なぜ岡橋説か。それは,日本のマルクス派の伝統の中で,岡橋氏...