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2022年6月28日火曜日

安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある

  あいも変わらず「悪夢のような」を繰り返す安倍晋三氏。金融を引き締めたら「『悪夢のような時代』に戻ってしまう」のだそうだ。しかし,悪夢のように忌まわしいのは本当のところ何なのか,誰がどのようにそれを引き起こしたのかを考えてみよう。

 6月20日に投稿したように,日銀はいま,国債買い支え=金融緩和に失敗すれば不況,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちになってしまうという,ジレンマにはまり込んでいる。

 問題はなぜこのようなジレンマに日銀が追い込まれたかである。金利を引き上げられないのは,景気が弱々しいからである。金融引き締めが「悪夢」と安部氏は言うが,わずかな引き締めもできない景気の弱さこそ慢性的な「悪夢」だろう。では,なぜ9年にわたって「量的・質的金融緩和」をしても景気が良くならないのか。欧米の景気は回復しているから,コロナだけのせいではない。

 それは,安倍政権以降の政府と黒田日銀が,あまりにも金融政策ばかりに頼ってきたからである。この10年間,日銀が金融を「引き締めない」ところまではもっともだった。アベノミクス期もコロナ禍でも,引き締めれば景気が悪化するほど需要が弱々しかったからだ。しかし,「緩和する」意味はほとんどなかった。金融政策とは紐であり,引くことはできるが押すことはできない。企業がお金を借りて投資するという引張りがないところで,緩めても意味を持たないのだ。現に,アベノミクス期には緩和してもマネーストックは増えず,需要は増えなかった。

 金融を引き締めれば不況になるが,緩和したところで好況にならない。黒田日銀は,ずっとこのジレンマの中にあったのに,とにかく緩和しようとマイナス金利などの無理を重ね,徒労に終わって来たのである。

 間違いの根本は「金融を緩和すれば好況になる」という思い込みにある。日銀にとっては,金融政策しか実施できないのだから,ある意味では仕方がないかもしれない。しかし,この思い込みは黒田総裁や日銀だけのものではなく,安倍政権以来の自民党政権のものである。「デフレは日銀のせいである」「日銀が金融緩和すればデフレから脱却できる」と白川前総裁を攻撃し,政府と日銀の協定書で日銀にデフレ脱却の責任を負わせたのは安部政権である。

 アベノミクスは,「金融を緩和すればそれでいいんだろ」と言わんばかりであったのみならず,「金融緩和は日銀の仕事なんだから」という責任回避の屁理屈で成り立っていた。だから,景気がちょっとでもよくなれば自分の成果,都合の悪いことは日銀のせいで政府への批判は「あたらない」で押し通したのである。安倍政権は金融緩和に頼り切り,コロナ前には適切な財政拡張を行わなかった。消費者が将来不安ゆえに消費できず,消費者の萎縮を見た企業の設備投資も委縮してしまうような状況を改善しなかった。安倍政権も菅政権も,コロナ禍で生活苦に苦しむ人を救済せず,格差や貧困をなくすための制度改革を行わなかった。今日の事態はそれらの結果である。そして岸田首相は,資産課税や再分配でこれを変えるかのように見せて政権につきながら,実際にはほぼ何もやっていない。「悪夢のような」ものとは,わずかな金利引き上げもできないほどの慢性的経済停滞という現実であり,その責任は,さかのぼればいろいろあるとしても,安倍以降の政権にもまちがいなくある。

 今起こっていることは,もはや日銀では解決できないのであり,政府の経済政策が問われている。需要面では,政府が中低所得者の賃金を底上げし,税負担を軽減して,ボトムアップで消費が盛り上がるように,逆に底抜けしないように生活支援を行わねばならない。逆に資本所得が多いような高所得者にはこれ以上貯蓄を積み上げさせずに支出してもらうなり,税収に貢献してもらうなりするのがよい。つまりは賃上げ,税制改革,再分配による下からの消費底支えである。同時に供給面では,国際環境の悪化を受けて,再生可能エネルギー事業と食糧自給を強化することが必要になる。問題は,政府がこうした対策を行うか否か,政治選択においてこうした政策を求める議員が増えるか否かではないか。

「金融引き締めたら「悪夢のような時代に戻る」 自民・安倍晋三元首相」朝日新聞DITITAL(Yahoo!配信),2022年6月22日。

「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ,2022年6月20日。


追悼・渡辺宙明先生。『組曲バトルフィーバーJ』と『電子戦隊デンジマン音楽集』の日々

 2022年6月27日,渡辺宙明先生が亡くなられた。私にとって最初の渡辺ソングと言えば,小学生時代の「Zのテーマ」であった。人の命が尽きた後も不滅の存在があるのだと信じた。その後,次第にどうかしていきながら高校生となり『組曲バトルフィーバーJ』と『電子戦隊デンジマン音楽集』のLPレコードを購入した(お金が足りず,同じころに出た『宇宙刑事ギャバン音楽集』は隣人に借りてカセットテープに落とした)。その魅力をたどたどしく周囲に訴えるもまったく理解されずに笑われ続け,意固地になって毎日のように聞き耽った。「ダンシングソルジャーズ」「愛のテーマ」「はるかなるデンジ星」「青春のテーマ~一人ぼっちの青春~」「闘争の終り」を聞きながら,何に感動しているのか自分でもわからないのに,誰にもわかってもらえないだろうと思いこんだ。「バトルフィーバーJのテーマ」「哀詩」「勇者が行く」「ベーダ―大出撃」「デンジマンにまかせろ!」を聞きながら,何とどう戦うかわからないのに,戦い続けねばならないのだと思った。当時中二病と言う言葉はなかったが,もう高三で,大学受験は目の前に迫っていた。その後,BJのLPは行方不明となり,デンジマンのLPは母親が納屋にしまうも大家が無断で廃棄,CDで買い直して現在に至る。中二病という言葉は生まれて久しいが,もう57歳で,このまま息絶えるのだろう。これらの曲を聞くことができたのだから,それでもよい。

「バトルフィーバーJ」ミュージック・コレクション,日本コロムビア。

「電子戦隊デンジマン」ミュージック・コレクション,日本コロムビア。




2022年6月20日月曜日

日銀のジレンマもしくはバクチ打ち

  日銀が連続指値オペで国債を買い支えられるかどうか=長期金利を低め誘導し切れるかどうか,それはわからない。しかし,どちらになっても良いことは起きない可能性の方が高い。

 買い支えに失敗すれば長期金利が高騰する。企業の資金繰りは悪化し,景気は冷え込む。円安の進行は止まるだろうが,止まったところでエネルギーと食料のドル建て価格も上がっているのだから,景気に対して十分な救いにはならない。日銀は保有国債を塩漬けにすることになる。政府の国債費が増大し,その多くは日銀に入ることになるだろう。不況に向かう時に,事実上の財政ファイナンスがいよいよ強まり,しかも対策を打とうにも新規発行債の金利は高い。財政運営は大きな困難を抱えることになる。

 成功すれば長期金利は抑えられ,企業の資金繰りは悪化しない。円安がさらに進行するかどうかは,アメリカ金利の引き上げ期待が続くか,市場に織り込まれてしまうかに依存する。私の意見では,注意すべきは円安よりもマネーストックの膨張である。

 現在の指値オペは,やればやるほどマネーストックが膨張するところが,アベノミクス期の買いオペと異なることである。それは,もっぱら銀行から買うのではなく,海外勢を含む機関投資家から間接的に買っているからである。国債は機関投資家→銀行→日銀と流れ,代金は日銀→銀行の日銀当座預金→機関投資家が銀行に持つ口座,と流れる。日銀当座預金のブタ積みで止まってしまい,なんちゃってマネー供給になっていたアベノミクス期とは異なり,真正のマネー供給になっているのだ。

 では,国債買い支えで増えたマネーはどこへ行くのか。運がよければ,企業の資金繰り改善と,コロナ期に「強制貯蓄」させられた高中所得層のリベンジ消費があいまって,好況になるかもしれない。日銀は明らかにこれを狙っている。しかし,マネーが高騰した輸入代金の支払いに消えて,不況のままインフレになるスタグフレーションを招くかもしれない。はたまた,バブルを再興するかもしれない。一つには,日銀が金利上昇を阻止すると,すでに価格上昇傾向を見せている不動産への資金流入が一層強まる可能性があり,また急落した欧米市場の株式より日本の方が買いやすくなるかもしれないからだ。

 つまり,私の理解では,行く手は日銀が買い支えに失敗すれば不況であり,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちである。所得が低い人ほど被害に遭う確率は高いだろう。

 目の前のことはこのように解釈できるが,問題は,そもそもなぜこのようなことになったのかである。別途整理したい。

続編:「安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある」2022年6月28日。


2022年6月16日木曜日

「インフレか失業か」という金融政策の限界について

 金融政策では,景気過熱によるディマンドプルインフレに対して利上げで対抗する。それは中央銀行にとって,できることはそれしかないという点ではもっともだ。しかし,この政策がマクロ経済に対して果たす客観的役割は,失業率を高めて労働市場にバッファを作り出すことで,インフレを鎮めるというものである。インフレを更新させない程度の失業率を,マクロ経済学者は「自然失業率」と呼び,失業率を下げられる下限とする。言い換えれば,「完全雇用」と言っても失業率を下げられるのはせいぜい「自然失業率」までであり,それ以上下げようとしても下がらずにインフレだけ起こると言っているのだ。

 しかし,実際の労働市場はあちこちに移動障壁や独占や情報の非対称性や差別が存在するものであり,どの集団や地域も均一に「自然失業率」が生じることなどない。

 たとえば2022年6月16日付けロイターのコラムで,コラムニストのGina ChonはFRBが利上げを行っているアメリカの状況について,以下のように書いている。
「(FRBが--引用者)前のめりの利上げに乗り出した今、これらの労働者は再び見捨てられる危険が出てきている。5月の黒人の失業率は6.2%と、全体の3.6%や白人の3.2%を大きく上回った。そしてFRBの最新見通しに基づけば、失業率自体も今後数年で上昇してしまう。さらに先のニューヨーク連銀調査を見ると、学歴が高卒以下の人々の間でこれから借金を期限通り返済できなくなるとの見通しが強まった。このように全体から置いて行かれたままになる人たちをどう支援するのが最善かを決めるのは、もはや中央銀行当局者ではなく、政治家の仕事になっていくだろう。」

 「自然失業率」と呼ばれているものは実際には自然でもなんでもなく,現在の経済構造を与えられたもの,動かせないものとした場合に成立するものに過ぎない。このコラムの筆者が言う通り,そこに生じる理不尽な格差は,中央銀行ではなく政治の課題である。

 やっかいなのは,現在(2022年6月)のアメリカのようにすでにディマンドプルインフレが加速している時,まして現在のように輸入物価によるコストプッシュも同時に発生している時には,格差是正の措置を財政赤字拡大によって行うことが困難だということである。それは再分配や雇用制度・慣行の改革によって行わねばならない。もっと一ひねりした方法としては,MMTが主張するように,公的セクターが最低賃金で失業者を無制限で雇うという道もある。これなら財政赤字を拡張しながらでも賃金インフレは抑えられるが,実際上の課題が多い(最低賃金への不満の矛先が政府に向かうであろうことと,無制限で雇い入れた政府が有効な事業を創造できるかということが主な問題だ)。

 弱者を対象とした上に再分配を行うという,格差是正の政治的障壁は低くはない。しかし,そこに立ち向かわなければ,マクロ経済政策は「インフレなき完全雇用」を達成することは出来ず,弱者から先に失業させることでインフレを鎮めるという,上出来とはいいがたい方法に頼り続けることになるだろう。

参照
Gina Chon「コラム:FRBの「柔軟な物価目標」、わずか2年で自ら幕引き」REUTERS,2022年6月16日。



2022年6月14日火曜日

「新規学卒採用」に過度に依存する限り,「氷河期」という理不尽はまた起こる

 武田安恵「自己責任も甘えもウソ 氷河期、大卒就職率低下の真実」『日経ビジネス』2022年6月10日は,1990年代半ばから2000年代半ばに就職氷河期が発生したのは自己責任ではなく,1)団塊世代の人件費が重く,企業が採用を抑制した,2)製造業で高卒の働き口が激減し,この世代に大学生が増えた,3)派遣労働の規制緩和で非正規雇用が増えた,4)男女の平等化により女性の4年生大卒労働市場への参入が増えたという社会的要因によると主張している。

 いずれもその通りではあるが,肝心なことを指摘していない。それは,「新規学卒採用」が採用の中心である限り,景気を中心とする時々の事情によって,ある卒業年次が丸ごと有利または不利になるということだ。何年に生まれて,いつ大学を卒業するかが自己責任のわけがない。しかし日本では,何年に大学を卒業するかで就職の有利,不利が決定的に異なる。これが氷河期世代を生み,いまなお若者を採用に関わる「ガチャ」に追い込む問題の核心である。当然,今後も景気によって「氷河期」が生じ得るのだ。

 氷河期世代がその後,今に至るまでよい職を得にくく苦しまねばならない基本的理由も,「新規学卒採用」が正社員採用の中心だからであり,新卒でなくなると正社員採用の門が極度に狭くなるからである。東洋経済『CSR企業総覧』編集部の作成した,「新卒でないと入りにくく,勤続年は長い」ランキングを見ると,転職や中途採用が多くなった現在でも,有名どころ企業が数多く含まれていることがわかる。

 武田氏が指摘している,氷河期の頃から,会社が就職できた学生に対する「自己責任」「会社に頼るな」論を振りまいたことの問題も,「新規学卒採用」と言う慣行に関わる。長期の勤務を想定して,仕事スキルをまだ持っていない新卒者を採用するならば,その企業でしか認められないスキルやコミットメントについて,企業内訓練をすることがは必須であり合理的だからだ。就職氷河期はまた,企業の人材投資が減少した時期でもあり,今に至る日本企業の人材育成の失敗の始まりの時期でもあった。会社人間向きの採用をして「会社人間になるな」と命じる欺瞞的精神論の反省なしに人的投資も何もない。

 このように正社員採用の余りにも多くを「新規学卒採用」方式に頼ることが,良い仕事の不足や人的投資の不足を特定時期に偏って生み出すという理不尽を生み,さらにそれを自己責任扱いする誤った議論を生みだしているのである。

 「新規学卒採用」刊行は,あまりにも日本社会に深く食い込んでいるので,なくすことは難しい。なくしたらなくしたで欧米と同様に若年者の失業が増えるという問題も生じる。しかし,その範囲を調節することはできる。

 よく考えれば「新規学卒採用」は,「長期の勤務を想定し,スキルとコミットメント育成に会社が責任を負い,仕事の割り当てを会社が決める」若者を対象にしているのであり,いわゆるメンバーシップ型雇用の入り口なのである。これを会社の人事政策に応じ,幹部候補生プラスアルファに絞り込んでいくことは可能であろう。そして,それ以外は通年採用,仕事スキルに応じて採用し,転勤をはじめとする過度な会社人間化を求められないジョブ型雇用とする。通年採用は年齢差別が禁止されるので,新卒応募に失敗した若者も中高年もだれでも応募できる。そして,このジョブ型雇用に,ワークライフバランスを重視する層から,現在は差別的に処遇が低い非正規雇用層まで包摂していく。

 このように「新規学卒採用」・メンバーシップ型雇用と通年採用・ジョブ型雇用の境目を変えることが,氷河期や非正規差別をなくすためには有効で,かつ現実的に実行可能な範囲にあると私には思われる。

2022年6月10日金曜日

「日本の家計が値上げを受け容れている」を炎上させるだけでは,重大なことを見失う

 日銀総裁の発言から「日本の家計が値上げを受け容れている」だけ切り取って,炎上させて終わりでは,重大なことを見失う。

黒田総裁発言該当箇所
「ひとつの仮説としては、コロナ禍における行動制限下で蓄積した「強制貯蓄」が、家計の値上げ許容度の改善に繋がっている可能性があります。いずれにせよ、強制貯蓄の存在等により、日本の家計が値上げを受け容れている間に、良好なマクロ経済環境を出来るだけ維持し、これを来年度以降のベースアップを含めた賃金の本格上昇にいかに繋げていけるかが、当面のポイントであると考えています。」

 注目すべきは「強制貯蓄」である。これは,日本の家計全体を合計した場合には確かに存在する。コロナ禍で賃金も減ったが消費はもっと減り,給付金が支給され,社会給付(雇用保険,生活保護等)が増え,税・社会負担の一時軽減があったからである(峯岸,2021)。

 にもかかわらず,日銀総裁の発言に反発する人も多いのは,コロナ禍の所得へのダメージにも「強制貯蓄」にも格差があって,貯蓄など手元にない人も少なくないからである。コロナ禍での所得へのダメージは階級・階層によって異なっており,非正規労働者と自営業者が最もダメージを受けた(2021年9月3日著者投稿。橋本健二氏の調査に依拠)。2021年に,貯蓄保有世帯の中央値は1104万円であるが,2人以上の家計の20.7%は300万円未満の貯蓄しかもっていなかった(総務省家計調査)。

 問題は,貯蓄額には大きな格差があり,「家計の値上げ許容度」も様々であって,合計した典型的一個人など実際には存在しないということである。しかもこれは一般論でなく,おそらく今年後半の景気を左右する目の前の問題である。

 一方で,所得が高い層は「強制貯蓄」がある。円安で大企業の業績はどちらかと言えば回復している。夏から冬にかけて髙中所得層のリベンジ消費が盛り上がれば,景気を回復させる力になりうる。他方で,所得が低い層には「強制貯蓄」もなく,輸入物価高騰が生活を直撃する。中小企業も原料価格を転嫁できない。この影響で景気が停滞したままであれば,最悪,コストプッシュインフレと不況が共存するスタグフレーションになってしまう。

 現在の所得・資産格差から来る消費意欲の格差は,今年後半の景気を岐路に立たせている。マスメディアも野党もここを突かねばならない。日銀批判から入ってもいい。しかし,炎上して謝罪させて終わりでは何にもならない。問題なのは発言一つではない。格差であり,格差がいま直ちに景気を左右しようとしていることである。格差に対して対策を打つべきは日銀ではない。政府である。政府に対して,格差を放置するなと対策を迫る時である。

黒田東彦「金融政策の考え方─「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向けて─きさらぎ会における講演」2020年6月6日。

峯岸直輝(2021)「日本の経済主体別にみた資金需給と金融資産・負債の動向」『内外経済・金融動向』No. 2021-2,信金中央金庫地域・中小企業研究所,1-23。

2021年9月3日Facebook投稿。橋本健二氏らの調査結果の紹介。

家計調査報告(貯蓄・負債編)-2021年(令和3年)平均結果-(二人以上の世帯)

2022年6月4日土曜日

『産業学会研究年報』第37号が発行されました

 『産業学会研究年報』第37号が完成しました。編集委員長になって4冊目です。招待論文2本,査読付き投稿論文10本,書評8本を掲載できました。

■招待論文
"日本繊維産地の構造変化と主体的行為―衣服製造産地を例に―" (奥山雅之)
"グローバル化/ファスト化に翻弄される繊維産地と域内縫製業の苦闘"(岩佐和幸)

■査読付き投稿論文
"CASE時代の欧州自動車産業の「脱炭素」戦略―欧州「EVシフト」をどう見るか?―" (細矢浩志)
"2020年コロナ禍下での日欧の自動車リサイクル制度改革の論点―日本とポーランドを事例に―" (外川健一)

"地理的分断克服に向けたトヨタ・グループでの委託開発の取り組み―トヨタ車体研究所の事例研究―" (佐伯靖雄)
"オーラル・ヒストリー手法によるトヨタ自動車と天津汽車の国産乗用車合弁事業の経緯"(垣谷幸介)
"ボーイングの技術競争力と連邦政府の認証制度"(山崎文徳)
"中国の鉄鋼産業政策―設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結―"(銀迪)
"日系塗料2社の住宅・建築用海外事業の比較研究  ―寡占反応説は成立するか?―"(竹下伸一)
"金属3Dプリンタビジネスの現状と課題―サービスビューローの役割に関する検討―" (原田優花子・小竹暢隆)
"デザイン経営に向けた感性を起点としたマッチング―ものづくり中小企業におけるデザイン人材とのマッチング実践事例からの考察―"(三好純矢・近藤信一)
"市場構造の変化を踏まえた事業展開のあり方について―写真館を事例に―"(大平哲男)

■書評
北嶋守『ヘルスケア産業クラスター形成の日本的特質』同友館,2020年12月。(杉浦勝章)
明石芳彦『基本から学ぶ地域探究論』ミネルヴァ書房,2021年6月。(中山健一郎)
金容度『日本の企業間取引』有斐閣,2021年3月。(田中彰)
松原宏・鎌倉夏来『工場の経済地理学 改訂新版』原書房,2020年11月。(山﨑朗)
藤本典嗣・朴美善『東アジア・北米諸国の地域経済:中枢管理機能・工業の立地と政策』中央経済社,2021年4月。(田村大樹)
折橋伸哉編著『自動車産業のパラダイムシフトと地域』創成社,2021年1月。(佐伯靖雄)
石川幸一・馬田啓一・清水一史(編著)『岐路に立つアジア経済:米中対立とコロナ禍への対応』文眞堂,2021年10月。(小林哲也)
佐藤寛, アジアコンビニ研究会 編『コンビニからアジアを覗く』日本評論社,2021年6月(孫飛舟)

■追悼文
"高橋哲雄元産業学会会長を悼む"(山﨑朗)
"高橋哲雄先生を偲んで"(宮田由紀夫)
"大西勝明元産業学会会長を悼む"(山﨑朗)
"大西勝明先生を偲んで"(小林世治)

最新号の無償公開は1年後です。1-36号はJ-Stageで無償公開されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/sisj/-char/ja




『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...