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2026年6月11日木曜日

資本主義経済の一般理論(原理論)における銀行:宇野弘蔵説の批判的継承について

  宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫版,再読記念ノート。

 マルクス『資本論』における金融論において有名な問題の一つは,一般理論(宇野派における原理論)において,「貨幣資本家は,なぜ自ら持つ貨幣を産業資本として投下せず,機能資本家に貸し付けるのか」である。貨幣を持っていて,それを産業資本として前貸しすれば利潤を得られるという条件下では,機能資本家に貸し付けて,自分は利子を得るだけで満足するという行動はあり得ないのではないか,ということである(※)。宇野弘蔵氏はこの疑問をマルクス『資本論』の利子生み資本論における貨幣資本家と機能資本家という規定に投げかけた。そして,この資本家類型の規定を排し,遊休貨幣資本を預金として集中し,他の資本に一定の起源をもって貸し付ける銀行の存在を前提に,利子生み(宇野氏の用語では利子付き)資本を説明すべきことを主張した。

※ 日常用語で言えば,「カネがあるなら自分で起業すればいいのであって,貸し付けて利子をとるだけで満足するなんてアホとちゃうか」ということである。

 ここで断りを入れておくと,マルクスの利子生み資本では,利子とは,資本という商品,つまり「投下すれば平均利潤を生む商品」を一時的に利用する対価である。宇野氏の場合は,社会的な資金の使用に対する対価であり,資本の商品化と言う規定は,ここではまだ入らない。それは,株式会社とともに成立するものとされている。

 宇野氏のこの問題提起は,マルクス経済学界に強い影響を与えた。しかし,正しく影響したかどうかについては,私は疑いを持っている。宇野氏の問題提起について,私自身の意見を箇条書き風に述べると,以下のようになる。なお,これは資本主義の一般理論(原理論)の次元でのことである。したがい,正貨が流通している状態から出発する。


宇野説の貢献

1.銀行は資金を所有していないことを明確にした。
2.銀行の,遊休資金の社会的動員という機能を明確にした。
3.銀行において成立するのは,資本の商品化というよりは,資本としての貨幣を一時的に利用する権利と言う商品であることを明確にした。

宇野説の問題点

3.預金として受け入れた資金を又貸しするという理論構成をとった。
4.預金が支払い手段機能を持つことが軽視され,預金という形態での銀行手形への信認が,決済機能に対する信認から生じることを看過した。
5.資金と言う言葉を多用し過ぎて,意味のあいまい化を招いた。

宇野説を生かしながら,これに対置すべき見解

5.銀行は社会の遊休貨幣を預金として受け入れてこれを管理する。
6.預金と言う形態が信任されるのは,振替を通した決済機能を持つからである。
7.銀行は,受け入れた貨幣自体を貸すのではなく,預金または銀行券と言う銀行手形を新規発行して(創造して)貸し付ける。
8.だから,受け入れた貨幣と,新たに創造して貸し付ける信用貨幣は別物である。
9.しかし両者は無関係ではない。貸し付ける際に創造した預金は払い戻しを請求されることがあり,受け入れた貨幣はその準備金として必要とされるのである。

 これらの規定は,正貨流通停止のもとでは以下のように変形する。宇野派ではこれは段階論としてしか論じられないとするかもしれないが,私はそうは思わない。あらゆる資本主義に通じる一般理論の一部であると考える。

10.正貨流通停止のもとでは,最初に遊休貨幣が預金として受け入れられるのではなくなる。流通している貨幣が預金貨幣と銀行券になるが,これらは,まず銀行が貸し付けを行う際に発行されるからである。
11.貨幣の形態としては,いったん銀行券が発券され,流通して,再預金されることが,社会的には遊休貨幣が預金として受け入れられるということである。つまり,正貨流通停止のもとでは,遊休貨幣の預け入れは本源的預金ではなく,派生的な再預金となる。
12.従い,正貨流通停止のもとでは,遊休貨幣が先に存在して銀行に預け入れられるのではなく,銀行によって創造された預金貨幣が遊休貨幣となって銀行に滞留するか,銀行券に転換された後,他行に再預金されるという形になる。

 こうして,宇野氏の提起した問題に対しても回答が可能になる。

 「産業資本として前貸しすれば利潤を得られるという条件下では,機能資本家に貸し付けて,自分は利子を得るだけで満足するという行動はあり得ないのではないか」。その通り,ありえない。

 銀行は,もともと貨幣を持っていないので,産業資本としての前貸しができない。できるのは,自己宛ての手形を発行して,これを貸し付けることである。この手形が信用されるのは,決済に用いるという便宜があり,現金に転換する準備を保持しているからである。なので,銀行は預金とその振替業務を営んでいなければならない。預金業務を行わなければ,銀行手形は信用されない。だから,銀行は,自己宛て債務証書を持って自ら産業資本となることもできない。産業資本としての前貸しができるのは,借り入れによって銀行手形を得た側だけなのである。かくて,「前貸しすれば平均利潤を生む商品」としての貨幣の一時的使用権が商品化され,その対価としての利子が成立するのである。

 しかし,このようにしてみると,「利子のみを得る貨幣資本家」という側面を持つ銀行資本と,「産業資本として前貸しを行う機能資本家」という二つは,やはり両立する。なので銀行を規定することで,マルクスの貨幣資本家・機能資本家規定を否定するのは適切ではないのである。

 宇野説の優れていたところは,銀行の社会的役割を,遊休貨幣に関連付けたことであった。宇野説の弱点は,「預金として集めた現金を又貸しする」とみなしたところであった。そしてこの弱点は,宇野派だけでなくオーソドックス派にも広く受け継がれてしまった。

 現金の又貸しと,銀行手形の創造による貸し付けは大きく異なる。現金は,貸す前に存在していなければならない。しかし,銀行は,貸すときに銀行手形と言う形で信用貨幣を創造するのであって,貸す前にはこの信用貨幣は存在していない。貸した瞬間に生まれて貨幣となり,返済された瞬間に消えるのである。だから,正貨と異なり価値を持たないにもかかわらず,その流通量は伸縮し,今日風に言えば内生的に供給される。正貨と異なり価値を持たないにもかかわらず,流通から出ることができ,しかも蓄蔵はされない。流通から出た瞬間に消えるからである。

 ここのところでのボタンの掛け違えは,マルクス派において,通貨供給システムの叙述を困難にしてしまったのである。私が研究年報『経済学』に発表した「通貨供給システムとしての金融システム」は,このかけ違いを正そうとするものであった。

※余談。書影の周囲は,私の研究室の机で,戦前から使われていたものである。残念ながら旧使用者は不明である。このタイプの机は当研究科にほとんどなくなってしまったが,宇野弘蔵氏が戦前に使用した机もあり,これは今も別な先生が使っている。






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