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2024年9月25日水曜日

論文「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」を公開しました

 拙稿「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割:ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究」が『アジア経営研究』30-1号に掲載されました。J-Stageにアップされましたので,ダウンロードいただけます。

 2020年4月に科研費をとってベトナム鉄鋼業における外資企業成功の条件に関する研究を始めました。しかし,コロナ禍で海外調査ができなくなり,研究対象を共英製鋼に絞って国内取材から始め,2023年にようやく現地調査を再開して,本稿を完成させるに至りました。

 本稿は技術移転論と中堅企業論で,ビナ・キョウエイ・スチール(VKS)社の事例を解釈しています。共英製鋼が1990年代にベトナムに移転したのは,当時の現地で必要とされていた鉄筋用棒鋼の生産技術でした。当時のベトナム進出はハイリスクでしたが,共英製鋼は創業家高島一族の果敢な行動と組織の力を結合させて実行しました。それゆえにビナ・キョウエイ・スチールは成功し,経営を軌道に乗せることができました。しかし,まもなく鉄筋用棒鋼の生産は他の企業もできるようになりました。また共英製鋼の弱い財務基盤は,バブル崩壊後の建設不況の下で経営危機を引き起こしました。それゆえにビナ・キョウエイ・スチールは21世紀突入とともに激しい競争にさらされることになりました。保有していた技術の意義と限界,中堅企業としての強さと弱さがこの事例を特徴づけていたのです。

 21世紀になってからの共英製鋼のベトナム事業については,別の雑誌に投稿中です。

川端望(2024)「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」『アジア経営研究』30-1,77-92。

2024年9月6日金曜日

日本製鉄のUSスチール買収によってアメリカの安全保障が脅かされるのか?:ミッタル・スチールという前例から

 アメリカ政府の対米外国投資委員会は,日本製鉄のUSスチール買収が,国家安全保障上のリスクを生じさせるとする書簡を両社に送っていたという。日米同盟の絆と言われるものは,経済ナショナリズムとそれを利用した大統領選挙の都合によって簡単に覆されてしまうのだと,言わざるを得ない。

 いや,鉄鋼供給を外国企業に握られることに脅威を感じるのはもっともだという人がいるかもしれない。しかし,21世紀初頭にミッタル・スチール(現アルセロール・ミッタル)がアメリカで大規模買収を行った際,インド人オーナー一族がルクセンブルクに本社を置く企業であることによって,アメリカの安全保障は脅かされただろうか。当時買収されたのは,インランド・スチールとインターナショナル・スチール・グループ(ISG)であった。ISGの傘下にはベスレヘム・スチール,LTVスチール,ウェアトン・スチール,アクメ・スチールがあった。ちなみに売り払ったISGのオーナーはウィルバー・ロス氏であり,彼は後にトランプ政権の商務長官となって海外鉄鋼メーカーを非難する側に回った。

 大規模な前例から明らかだ。21世紀の今日,自動車用鋼板やブリキ鋼板や建設用鉄骨を製造する鉄鋼メーカーが友好国企業に買収されたところで,アメリカの安全保障に問題が生じるわけではない。あくまで問題だと言い張るならば,それは政治的都合にすぎない。

 日米同盟が,アメリカから見てどの程度のものであるのかを,私たちは冷静に見極める必要がある。

2024年9月5日木曜日

日本製鉄がUSスチール買収完了後のガバナンス方針を発表:買収が成立しても種々の問題は続く

 日本製鉄が,USスチール買収完了後のガバナンス方針を発表した。USスチールを買収しようとする場合,雇用維持,米国内での設備投資,地域社会との共存等々を求められることは最初から見えていたが,トランプ,ハリス両大統領候補やバイデン政権の反対方針が伝えられるに及び,一層強いコミットメントを発せざるを得なくなったようだ。以下,発表とは順序を変えながらコメントする。

 「日本製鉄はUSスチールに高度な生産および技術能力を供与します。これには、高炉におけるCO₂排出削減技術も含まれます」。これは約束するまでもなく当然そうするつもりであったろう。とくにハリスが大統領になった場合,アメリカはパリ協定にとどまり続け,高炉のCO2排出削減は強く求められるであろうからだ。

 「日本製鉄は、米国の鉄鋼市場において、USスチールの米国国内生産を優先します」というのは,日本から輸出ドライブはかけないという意味であろう。そのためにはUSスチールの生産拠点を強化しなければならない。

 「USスチールの既存の生産拠点への大規模な投資の実行」のうち,老朽化したモンバレー製鉄所への投資は負担になる。ただ,圧延・加工工程への投資に見えるので,とくに老朽化の激しいコークス工場や高炉・転炉のリフレッシュを約束させられるよりは経営合理性があるだろう。ゲイリー製鉄所の第14高炉改修は,もっとも健全な高炉一貫製鉄所をリフレッシュするわけだから,まず問題ない。なお,ここに書いていない大規模製鉄所だが,ビッグ・リバー・スチールはもとより最新鋭の高級鋼材も作れる大型電炉ミルであるから言及するまでもないのであろう。あと二つ,ナショナル・スチールから買収したグレートレークス製鉄所とグラニットシティ製鉄所があるのだが,前者はコロナ禍以来,高炉・転炉が休止されている。後者は高炉・転炉も動いているが年産200万トン以下である。言及してないということは,これらの扱いは争点になっていないのだろう。

 「USスチールの生産や雇用の海外移転は行いません」「本買収に伴うレイオフ、工場休止・閉鎖は行いません」というのは,日本製鉄にとって負担となる。モンバレーの老朽製鉄所を閉鎖することが困難になるからだ。逆に言えば,中西部の鉄鋼関係者や製鉄所地域の人々にとっての勝利である。

 このことは,むしろ日本の関係者に問題を突き付けているだろう。日本製鉄は日本でレイオフこそ行わないものの,「生産や雇用の海外移転」「工場休止・閉鎖」を進めているからだ。現に瀬戸内製鐵所呉地区では,高炉一貫生産システムを丸ごと閉鎖した。日本製鉄は日本でよりも,アメリカでの方が,強く生産維持のコミットメントを発している。また,「工場を閉鎖せずリフレッシュし続けよ」という社会的圧力は,本国である日本よりアメリカで強くかかっている。むしろ,日本の鉄鋼関係者や製鉄所地域はそれでいいのかということが問われている。

 しかし,モンバレーを維持し,圧延・加工工程だけリフレッシュして,それでどうなるかという問題がある。コークス工場や高炉・転炉に競争力がないまま動かし続ければ,輸入品やミニミル品との競争に敗れることは必至である。そうすると次のコミットが意味を持ってくるかもしれない。

 「USスチールの取締役の過半数は、米国籍とします」と「USスチールの通商措置に関する意思決定に対して、日本製鉄およびNSNAによる干渉がなされないことを確実にするため、通商措置に関する決定は独立取締役の過半数の承認を必要とすることとします」の組み合わせは,日本製鉄の足かせとなる可能性がある。端的に,USスチールが日本製鉄に対してアンチ・ダンピング訴訟を起こすかもしれないからだ。そんな馬鹿なと思う人がいるかもしれないが,前例がある。かつてNKKはナショナル・スチール(現在はUSスチールの一部)を子会社としていたが,ナショナル・スチールは通商訴訟においてNKKを訴えていた。子会社は親会社を訴え,親会社は子会社の主張が間違っていると抗弁していたのだ。NKKは結局,ナショナル・スチールをコントロールしきれずに手放した。

 日本製鉄は当然このことを知っているので,同様の事態を避けたいはずである。しかし,仮に反対の政治的圧力を乗り越えて買収を実現したとしても,このコミットメントが摩擦の発火点になる恐れがある。

「日本製鉄によるUSスチール買収完了後のガバナンス方針について」日本製鉄株式会社,2024年9月4日。
https://www.nipponsteel.com/news/20240904_050.html



2024年8月23日金曜日

「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」,それが鉄鋼業

 「中国の鉄鋼過剰、世界揺るがす-業界全体が窮地に陥る恐れ」という記事がブルームバーグから配信されている。なぜ中国という一国の過剰生産が世界を揺るがすからというと,規模がバカでかいからである。

 中国は世界の鉄鋼生産の半分を占める超製鉄大国だ。2024年の生産量は不況が続くとしても10-11億トンになると予想できる。

 そして,2024年の中国からの鉄鋼輸出は1億トンを超える可能性がある。これは,前回,貿易摩擦を激しくした2015年の1億1200万トンと同水準だ。

 ただ,10億トン生産して1億トン輸出するというのは,10%の輸出比率にすぎない。過剰能力を抱えて輸出ドライブをかけると言っても,内需9億トンの方が需要の中心だ。日本鉄鋼業の輸出比率が40.6%に達することを考えれば,その低さは明らかである。おそらく中国の鉄鋼企業からしてみれば,輸出が主力市場にしているという感覚はないだろう。

 しかし,絶対量で1億トンの輸出というのは,大きい。日本の昨年の鉄鋼輸出3242万トンと比べても3倍以上である。輸出品が向かってくる輸入国の鉄鋼業からすれば脅威だ。もっとも,鉄鋼を消費する建設産業や機械工業からすれば大助かりであろう。

 このように,中国鉄鋼業は全体が途方もなく巨大であるために,さほど輸出ドライブをかけず,低い輸出比率であっても,巨大な輸出量となって世界に影響を与える。昔,「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という言葉があったが,鉄鋼業においては「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」のだ。

2024年6月12日水曜日

神戸製鋼の電炉転換構想をどう理解するか

 神戸製鋼は5月20日の中期経営計画説明会で,今後加古川製鉄所の高炉2基体制を前提とせず,高炉1基,電炉1基の体制に移行していくことを検討していくと発表した。ただし質疑応答記録によれば高炉巻き替え時期は2030年代後半であり,移行は少し先の話となる。2050年の生産体制についてのイメージはまだないとのこと。

 日本製鉄やJFEスチールと比べると,唯一の高炉一貫製鉄所で高炉生産量を半分にするのであるから,神戸製鋼の方針はラディカルな転換ともいえる。しかし,移行時期については,日本製鉄やJFEスチールのそれと比べて保守的とも言える。

 日本製鉄は九州製鉄所八幡地区で2030年までに,JFEスチールは西日本製鉄所水島地区で2027年に,それぞれ高炉1基を停止して電炉に移行することを表明している。電炉へ移行する生産の割合は神戸製鋼より低い。しかし,移行時期は神戸製鋼より早い。また神戸製鋼とJFEスチールは高炉巻き替え(内部耐火物等の寿命により,いったん操業を停止して大規模改修をすること)の機会での,いいかえると現在の高炉を1サイクル使い切ってからの移行であるのに対して,日本製鉄はそれ以前の移行だ(八幡地区の高炉は2014年火入れなので2030年はまだ改修必至時期ではない)。

 神戸製鋼は,次世代の水素還元製鉄技術については,子会社のMIDREX(本社アメリカ)で着々と進めているという優位性がある。オマーンでの直接還元鉄事業も検討中だ。しかし,国内では漸進路線をとろうということだろう。現在,加古川製鉄所の高炉では,海外から調達したHBI(発熱しやすい直接還元鉄をブリケット状にして輸送可能にしたもの)を装入してCO2排出を抑制する操業法を採用している。これでしばらくはしのぎ,続いて相対的に高級でない製品を電炉製鋼に移行しようというのだろう。しかし,HBI装入高炉から一定のCO2は出続けるので,CO2の排出・貯留・再利用(CCUS)か,別のオフセット手段も必要になるだろう。高炉が残ると,どうしてもCCUSやオフセット手段が必要となり,方策が複雑になってしまう。

 神戸製鋼は,水素直接還元鉄の技術開発地体制とプラント建設能力をグループ内に保持している。海外ではもっぱらこちらを活用しようとしている。しかし,現に高炉一貫製鉄所という固定資産と,顧客への高級鋼の継続供給による評判という無形資産を持っている日本国内の生産拠点では,技術のラディカルな転換に踏み切りにくい。このイノベーションのジレンマをどうマネージしていくかが,神戸製鋼の課題である。

KOBELCOグループ中期経営計画(2024~2026年度)説明会

2024年4月3日水曜日

ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」を公表しました。ダウンロードいただけます。まだ改良して雑誌に投稿しなければなりませんが,コロナ禍で延長した科研費の期間が3月末で終了したため,一区切りとしました。1990年代にベトナムに進出した共英製鋼が21世紀突入後に直面した,技術・生産システム間競争を分析しています。共英製鋼は,苦労の末に発展途上国の条鋼部門では王道とも言えるスクラップ・電炉システムを構築しましたが,日本には存在しない思わぬ伏兵に直面しました。それは,地場企業が構築した小型高炉一貫システムと誘導炉システムでした。本稿はこの競争の過程と帰結,意義を解明することに努めました。

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」


2024年3月21日木曜日

旅立ちの時

 旅立ちの時

 当ゼミの修了生,博士研究員の銀迪さんは,4月1日から同志社大学商学部助教に就任します。思えば,大学院受験の相談を受けて,出張ついでに銀さんと池袋の喫茶店で会ったのは2015年夏のことでした。それから約9年間,色々なことがありました。とくに後期課程に進んでからは,私は,春も夏も秋も冬も,銀さんの論文が完成するだろうか,仕事が見つかるだろうかという緊張と不安を抱えていましたが,本人にはその数倍の重圧がかかっていたことでしょう。よく耐えてがんばったと思います。博士論文と,単著論文1本,共著論文2本を公刊して,ついに独り立ちする時を迎えました。

 おめでとうございます。

銀迪(2022)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」博士(経済学)学位論文。

銀迪(2022)「中国の鉄鋼産業政策:設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結」『産業学会研究年報』37,133-153。

川端望・銀迪(2021)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」『アジア経営研究』27,35-48。

川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1),1-31。



2024年2月10日土曜日

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか

 日本製鉄のUSスチール買収提案について,トランプ氏や全米鉄鋼労働組合(USW)が反対しているという報道(※1)。こうした反対は,日鉄にとって織り込み済みであったろう。大統領選挙の政争に巻き込まれれば冷静な議論の対象でなくなることも当然予想がつくはずで,何らかの対策を持っているはずだ。森副社長は「政治の思惑だけでブロックすることはできない」と発言したと報じられているが,実際にそう達観しているわけではないだろう。

 しかし,どのような対策を持っているのか。

 日本企業のアメリカ進出に関するこれまでの経験から類推すれば,雇用に対するコミットメントが考えられる。アメリカの労使関係では,平常時には解雇よりえこひいきや差別の方が排除すべきものとされ,レイオフ(一時解雇)は社会的に容認されている。しかし,不況や国際競争力低下でレイオフが回復不可能な恒久的解雇となり,大量現象となるにつれて,それもまた社会的非難の的となる。USスチールは世界金融危機以後,連続的に従業員を減らし続けてきた。2008年の4万9000人から2023年には2万1803人と,55%も削減された(※2)。正確に言うことはできないが,その多くは会社による解雇であったと推測される。11月末にもイリノイ州グラニット・シティ製鉄所で400名のレイオフを発表したばかりで,これで9月以降に同製鉄所で1076名を解雇することになる(※3)。

 対して,日本の大企業が,日本で雇用の維持に強くコミットしていることはアメリカにも知れ渡っているし,日本製鉄は過去10年を見る限り従業員を減らしてはいない(瀬戸内製鉄所呉地区閉鎖で今後減るとは思うが)(※4)。

 だから,雇用維持と,それを支える工場への新規投資に関するコミットメントを発するのが,日本企業の買収をアメリカ社会に受け入れてもらうための常道なのである。

 しかし,日鉄がその道に踏み出すことにはリスクがある。USスチールの製鉄所には,将来に向かって拡張すべき電炉鋼板ミルもあれば,縮小の道をたどる以外考えにくい,つぎはぎ投資でなんとか持たせている老朽製鉄所もある。後者を縮小するために,レイオフという手段を捨てたくはないであろう。

 日鉄が隠し持っているのは,雇用維持へのコミットメントなのか,別の方策なのか。

※1「日鉄、USスチール買収への反発「想定内」 海外担当役員」日本経済新聞,2024年2月7日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC06E2F0W4A200C2000000/

※2 United States Steel Employees(StockAnalysisサイト)
https://stockanalysis.com/stocks/x/employees/

※3 Sara Samora, US Steel lays off more than 1K as it indefinitely idles Illinois plant, Manufacturing Drive, November 30, 2023.
https://www.manufacturingdive.com/news/us-steel-idles-granite-city-illinois-plant-lay-off-over-1000/701023/

※4  日本製鉄従業員数の推移(同社サイト)
https://irbank.net/E01225/worker


2023年12月19日火曜日

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声

 日本製鉄はUSスチール(USS)買収を発表した。来年4月にUSSの株主総会が承認することが前提だ。買収総額は141億2600万ドル(2兆100億円)。USスチールの12/15株価に対して40%のプレミアムを支払う。借入金は日本の金融機関より。買収により日鉄のD/Eレシオは0.5から0.9となる。日鉄のグローバル粗鋼生産能力は6600万トンから8600万トンとなり,目標の1億トンに接近する。このうち日本国内が4700万トン(55%),海外が3900万トン(45%)となる。

 USSスチールの粗鋼生産能力はアメリカ1580万トン,チェコ450万トンで計2030万トン。うちアメリカの子会社Big River Steelの電炉は,資料によって違いがあるが日鉄の計算だと330万トンで,他は高炉・転炉法と思われる。電炉は2024年にはさらに300万トン追加予定。つまり,1年後にはUSSの粗鋼生産能力は2330万トンとなり,うち630万トン(27%)が電炉となる。なお,アメリカ全体では,粗鋼生産のうち60%以上は既に電炉になっている。

 ここから私のコメントだが,日本製鉄の狙いは,グローバル粗鋼生産能力とグローバルシェアの拡大である。日本製鉄は,2010年代半ばまでは,製鉄ー製鋼ー圧延ー加工のうち川下の圧延ー加工工程のみを海外に配置してきたが,2019年にインドのエッサールを,アルセロール・ミッタルと共同で買収して以来,製鉄や製鋼工程からの一貫企業を買収する方式に打って出た。今回の買収もその延長線上である。今回の買収が完了すれば,「日本」製鉄という名の企業の生産能力のうち45%は海外にあることになる。

 USS買収により,日本製鉄は立地としては先進国と新興国,製品グレードとしては高級品市場と汎用品市場,技術としては高炉・転炉法と電炉法の全方位にわたるグローバル買収を敢行することになった。しかし,むやみに全方位に手を広げているわけではないだろう。現時点と将来とで,異なる目標を二重に持っていると思われる。現時点では高級品大量生産に競争力を持つ高炉一貫製鉄所を手中に収めて市場を確保するとともに,将来に向かっては電炉法を拡大して,先進国・東南アジアでは2050年,インドでは2070年のカーボンニュートラル達成という環境規制に対応していこうという戦略なのだと思われる。

 とくに,USSの場合,高炉は過去から現在,電炉は現在から未来を代表していることは明らかである。USSがアメリカ国内に持つ高炉一貫製鉄所はもはやGary,Mon Valley,そしてNational Steelを買収して獲得したGranite Cityの3か所に過ぎない。主力はGary,Mon Valleyであるが,Garyはまともに一貫生産を行っているものの,Mon Valleyはそうではない。Mon Valleyは以前に紹介したように,かつては3つの一貫製鉄所と1つの圧延所であった。輸入品や電炉との競争に耐えられず,設備の多くが閉鎖されてしまい,残った設備を河川輸送でつないで,一貫生産の形を整えているに過ぎないのだ。Mon Valleyは過去を代表している。

 一方,USSは2019年に買収したBig River Steelに電炉ーコンパクト・ストリップ・ミルー冷延ミルー電磁鋼板設備,亜鉛めっき設備を持ち,電磁鋼板や,GMに納入する自動車用鋼板まで製造している。原料はスクラップ,銑鉄,直接還元のホット・ブリケット・アイアン(HBI)の3種混合のようだ。既に電炉による高級鋼生産は拡大しつつあるのだ。未来はこちらにある。

 日本製鉄も瀬戸内製鉄所広畑地区で電炉鋼から電磁鋼板を製造しているが,高炉・転炉法に比べると技術の確立度は弱い。高炉・転炉技術はもはやUSSに対して供与する側であろうが,大型電炉操業と電炉鋼からの高級鋼製造については,むしろUSSからノウハウを吸収しようという構えであろう。

 ただし,現在は高炉・転炉,将来は電炉というのであれば,両者の間に移行戦略が必要となる。いつまで高炉・転炉を用いるのか,高炉・転炉から電炉への切り替えを経営的に,また地域経済や労働者の利害を踏まえて円滑に行えるのか。高炉での部分的水素還元はどの程度実用に耐えるのか。高級スクラップが不足したら,直接還元鉄はどこから手に入れるのか。100%水素直接還元に投資する決断はいつになったら行うのか。その立地はどうするのか。どちらの新技術も,日本政府から開発補助金を得ている以上,1号機は国内に建てるべきという道義的制約はかかるはずだが,海外の方が採算がよさそうになった時に,どうするのか(川端,2023を参照)。

 日本製鉄は,他の拠点でもそうであるように,USスチールにおいても,過去から現在を代表する製鉄所と,現在から未来を代表する製鉄所を同時に抱えることになる。日本製鉄の運命を決めるのは,過去からの声か,未来への声か。カーボンニュートラルを目指す鉄鋼業の新時代において,同社はまだ数々の課題に立ち向かわなければならない。その行動の社会的効果に,私たちは期待することもできるが,同時に注意深く監視もしていかねばならないだろう。

日本製鉄株式会社「U.S.Steelの買収について」2023年12月18日。

Gary製鉄所空撮(Googleマップ)

Mon Valley製鉄所を構成する4工場空撮

クレアトン工場空撮(Googleマップ)
エドガー・トムソン工場空撮(Googleマップ)
アーヴィン工場空撮(Googleマップ)
フェアレス工場空撮(Googleマップ)

Big River Steel空撮(Googleマップ1)位置がズレて駐車場になっているが,写真掲載多数。工場は右下。

Big River Steel空撮(Googleマップ2)製鉄所の位置。

参考:製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)

川端(2023)「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」(日本語原稿)

元論文 Nozomu Kawabata(2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 

※2024年9月23日:USSが2004年にNational Steelを買収した際に獲得したGranite City製鉄所についての記述を追加。なおGreat Lakes製鉄所も獲得したのだが,同製鉄所の高炉・転炉はもはや稼働していない。

 

2023年11月25日土曜日

UAEにおける水素直接還元法のパイロット・プロジェクト:日本への示唆

 UAEのエミレーツ・スチールは,アブダビ・フューチャー・エナジー・カンパニーPJSC(マスダール社)とともに,水素直接還元鉄のパイロット・プロジェクトを推進している。

 エミレーツ・スチールは中東最大規模の鉄鋼メーカーであり,製鉄は直接還元法,製鋼は電炉法で行い,多様な建設用条鋼・鋼管類を製造している。生産能力は直接還元鉄が420万トン,鋼材が350万トンである。

 今回のプロジェクトは,水素直接還元の実証を行うもので,水素製造のための電解層はすでに設置中とのこと。

 エミレーツ・スチールのプロジェクトは,2031年までに世界最大の水素製造国になろうとするUAEの方針と軌を一にするものだ。

 またエミレーツ・スチールは,年間80万トンのCO2を回収し,油田に圧入するCCSプロジェクトも推進している。

 ちなみに,JFEスチールはエミレーツ・スチール,伊藤忠商事,アブダビ・ポーツ・グループとともに,直接還元鉄サプライチェーンの構築を進めている。つまりは,エミレーツ・スチールが生産した還元鉄を日本に輸入し,低炭素鉄源として利用しようというものである。おそらく電気炉に投入するのであろう。

 これは確かにwin-winの関係をもたらす取引である。そして,日本でも脱炭素に向けて高級鋼製造の電炉化が推進されていることも示されている。だが,次世代製鉄技術,とくに水素直接還元法の開発と実用化において,日本が後れを取っていることもまた明らかである。

Theodore Reed Martin, Masdar and Emirates Steel Arkan to develop green hydrogen project, Energy Global, 23 November, 2023.

Emirates Steel to use green hydrogen in steelmaking, South East Asia Iron and Steel Institute News Room, 23 November, 2023.

「低炭素還元鉄のサプライチェーン確立に向けた協業体制の構築について」JFEスチール株式会社,2023年7月18日。


2023年10月20日金曜日

Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigationを読む:日本鉄鋼業に難問を突き付けるシミュレーション

 Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigation. Energy Conversion and Management, 254, 115268.
https://doi.org/10.1016/j.enconman.2022.115268


 これは日本鉄鋼業に難問を突き付ける論文である。オープンアクセスなので,誰でも読める。

 本研究は,西オーストラリアのピルバラ地域において製造されるグリーン水素を,日本とオーストラリアのパートナーシップの下,両国のどちらかで水素直接還元製鉄・電炉製鋼(H2DRI-EAF法)に利用するとして,どの工程をどちらに立地した場合に,エネルギー消費と鉄鋼製造コストがどうなるかをシミュレーションしたものである。輸送やエネルギー転換の際に,水素を液化水素にするか,アンモニアにするかについても比較している。時点は2030年と2050年である。使用する鉄鉱石についてはどれも同じ条件である。

 研究結果を立地についてだけ紹介する。パターンは以下の3つである。

SC1:太陽光発電,水の電気分解による水素製造をピルバラで行ない,液化水素またはアンモニアとして日本に輸出。日本で水素製鉄と電炉製鋼を行う。

SC2:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄までピルバラで行い,海綿鉄(HBI),液化水素またはアンモニアを日本に輸出。日本で電炉製鋼を行う。

SC3:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄,電炉製鋼をピルバラで行い,鉄鋼半製品を日本に輸出する。

図解はFig.1にある

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr1_lrg.jpg

注1:日本で製鉄・製鋼を行う場合も,ピルバラで製造された水素や,そこから燃料電池で製造された電力を用いると想定。

注2:海上輸送においても,燃料電池を船用動力とし,動力源としてピルバラで製造された水素をもちいる。

 その結果は以下のFig. 3のとおりである。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr3_lrg.jpg

 2030年でも2050年でも,また液化水素を用いてもアンモニアを用いてもSC1よりSC2,SC2よりSC3の方がエネルギー消費が小さく,鉄鋼製造コストも低い。つまり,ピルバラにグリーン水素製造から製鉄,製鋼まで集中立地した方が効果的だというのである。ただし,従来の化石燃料ベース,つまり石炭・コークスで鉄鉱石を還元する高炉・転炉法と比較すると,省エネにはなっているが,コストは高い。ピルバラでのグリーン水素製造を起点としたグリーンスチール生産のためには,一定のカーボンプライシングが必要である。ただし,2050年のSC3では,カーボンプライシングがなくとも高炉・転炉法と競争できるようになると予測されている。

 ここから私見である。本論文の通りであれば,このシミュレーションの前提に立つ限りにおいて,適度にカーボンプライシングがかけられた場合,オーストラリアから鉄鉱石と原料炭を輸入し,日本の製鉄所で製鉄,製鋼を行うという従来の日本鉄鋼業の方式は成り立ちがたいということになってくる。これは日本に立地するという意味での日本鉄鋼業にとっては,深刻な将来像と言わねばならない。もちろん,日本でピルバラよりも安価にグリーン水素が製造されれば,このシミュレーションと異なる将来像も描けるが,これまでのところ,その見通しはたっていない。

 このシミュレーションが妥当であるとした場合に,日本の鉄鋼企業や,水素製鉄のサプライチェーンに関わる諸企業(エネルギー企業,商社,海運業,そして,鉄鋼業の新規参入候補)の選択肢はどのようになるかを考える必要がある。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0196890422000644?via%3Dihub

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年9月28日木曜日

Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition (Open access)

 My new paper "Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition" was published on "The Japanese Political Economy" website.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162

 On October 19, Japan time, the paper became open access.

 新論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」オンライン版がJapanese Political Economy誌のサイトで発行されました。

 日本時間10月19日より,この論文はオープンアクセスになりました。

 日本語原稿は以下からダウンロードできます。

川端望「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」

28/09/2023投稿
20/10/2023修正



2023年9月8日金曜日

ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表

 ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表しました。

 本稿は,1990年代において,日越合弁鉄鋼企業ビナ・キョウエイ・スチール(VKS)社がどのように設立され,操業を開始し,急速に市場での地位を築いたかを明らかにしたものです。

・ベトナムの外資受け入れ環境がまだ整っていなかった1990年代前半に,VKS社はどのようにして設立されたのか。この事実関係を明らかにしました。
・VKS社はベトナム鉄鋼業の初期の発展にどのような役割を果たしのか。その意義を述べました。
・進出したのが大手高炉メーカーでなく中規模な普通鋼電炉メーカーの共英製鋼であったことは,どのような意味を持っていたのか。この点をとくに重点的に考察しました。
・理論的には,「後発性利益」論と「誘発機構」論,「確立技術と適正技術」論,「中堅企業」論との接点を重視しました。実証の先行研究はないのですが理論的には先行研究が重く,言わねばならないことが多くて,うまく書けたかどうかが問題です。

 共英製鋼には公刊された社史がありますが,今回は社内誌,記念誌(画像)の提供を受け,またVKS初代社長にインタビューを,さらに共英製鋼のベトナムにおける出資先をひととおりの訪問・見学をさせていただきました。心から感謝しています。20年間蓄積したベトナム鉄鋼業の調査記録も活用しました。むろん,すべての文責は私にあります。

 改訂してから雑誌に投稿します。ご意見をいただければ幸いです。

 PDFこちら。リポジトリがシステム更新中で新規登録できないため,個人サイトからお送りします。
http://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/terg479.pdf




2023年4月21日金曜日

Vaclav Smil, Still the Iron Age: Iron and Steel in the Modern World, Butterworth-Heinemann, 2016.を読んで--「今もなお鉄の時代」

 Vaclav Smil, Still the Iron Age: Iron and Steel in the Modern World, Butterworth-Heinemann, 2016.

 流し読みながら、ようやく通読できた。スミル氏は,食料,エネルギー,環境問題の専門家として知られており,その著作はいくつか日本語にも訳されている。しかし,氏の知識は恐ろしいほど範囲が広い。鉄鋼にも及んでいるというだけでなく、鉄鋼の歴史,技術,経済,社会のいずれの側面にも及んでいる。昔読んだもので言うと中澤護人『鋼の時代』(岩波新書,1964年)を思い出させる。本書は,残念ながら私にはとても書けそうにない,鉄鋼についての総合的な理解を得るために不可欠の著作である。

 代替素材が出現し,また先進諸国では経済・社会の非物質化(Dematerialization)が進行しているとはいえ,著者はタイトルにある通り『今もなお鉄の時代』であり,それは容易には終わりそうにないと考えている。

「今後半世紀を見通しても,我々の最良の工学的,科学的,経済的理解にもとづく結論は以下のようになるに違いない。我々の文明が鉄鋼(steel)なしにたちゆくという現実的可能性はない。この金属に対するグローバルな依存の規模はあまりにも大きく,急速に極小化することができない。われわれはアルミニウムの33倍,あらゆるプラスチックの合計の約6倍の鉄鋼を使っているのである」(終章より)。

 そして著者は、新製鉄技術が高炉に取って代わることのハードルも高いと考えている。それは、技術とは、開発されるだけでは完成したことにはならず、経済的な大規模生産を実現しなければならないものだからである。

「いずれにせよ,たとえ成功裏に実証されたとしても,すべての新製鉄技術は,手ごわい目標に立ち向かい,実証実験からパイロットプラントへ,そして大規模生産へという決定的な移行を遂げねばならないだろう。現代的な高炉における熱的・化学的効率と,その大規模な作業量,高い生産性,すぐれた寿命の長さは,同様のパフォーマンスを示す大規模な還元技術を考案することを極めて困難にしているのである。」(同上)

 著者は、鉄鋼技術の科学的研究や研究室での開発の歴史だけではなく、実際に社会で生産に用いられてきた歴史を踏まえてこのように述べている。これが本書を重要な社会的意義を持つものにしている。

 技術が市場とコストという経済的テストに合格しなければならないという命題は深刻である。経済的合理性を考慮しながら、地球温暖化防止のポイント・オブ・ノーリターンに間に合うように、鉄鋼技術を脱炭素化することは可能だろうか。これが読後に残される問題である。


出版社直販
https://www.sciencedirect.com/.../9780.../still-the-iron-age

Amazon
https://www.amazon.co.jp/Still-Iron-Age.../dp/B01B4KO21C

2023年4月14日金曜日

神戸製鋼所がオマーンでの直接還元鉄製造事業を本格的に検討

  神戸製鋼所と三井物産は,オマーン国ドゥクム特別経済地区において直接還元鉄製造事業の本格的検討を加速すると発表した。生産能力は年間500万トン。神戸製鋼所の子会社であるMIDREX社の技術を用いる。このニュースは,日本鉄鋼業の将来を照らすものかもしれない。

 日本の鉄鋼メーカーでは,企業再編の結果,かつての高炉6社は3社に統合されているが,日本製鉄とJFEスチールの規模が圧倒的に大きく,神戸製鋼所は生産量で両社に大きく引き離されている。

2022年暦年粗鋼生産量

日本製鉄 4946万トン(世界第4位)
JFEスチール 2685万トン(世界第13位)
神戸製鋼所 628万トン (世界上位50位ランク外)

※日本製鉄には山陽特殊鋼,オバコ,AM/NSインディアの40%,ウジミナスの31.4%を含む。
※日本製鉄,JFEスチールはWorld steel in figures, 2022より。神戸製鋼所は財務諸表より推定。

 ところが,ここに来て,高炉技術を主要テクノロジーとする日本製鉄とJFEスチールに対して,子会社にMIDREXを持つ神戸製鋼所が,直接還元法による巻き返しを強めている。それは,CO2排出ゼロにまで到達し得るテクノロジー・パスに載っているからだ。

 神戸製鋼所は日本国内では高炉一貫企業であるが,子会社として直接還元法のエンジニアリング企業であるMIDERX社を保有している。MIDREXプロセスによる直接還元鉄の製造は,鉄鉱石の還元に天然ガスを用いているため,高炉による銑鉄の製造よりもCO2排出を20-40%抑制できる。しかも,還元反応の一部は水素還元であり,この水素還元の割合を高めることで,設備の根幹部分を維持したままでCO2排出ゼロに向かっていくことが可能である。つまり直接還元法のテクノロジー・パスは,低炭素製鉄からニア・ゼロエミッション・スチールへと連続している。神戸製鋼所は,すでにスウェーデンの製鉄ベンチャーH2グリーンスチールから,水素100%をめざす直接還元設備を受注しており,さらにMIDREX社の水素100%を目指す直接還元設備もティッセンクルップ社に採用された。これらが計画通りに稼働すれば,ニア・ゼロエミッションスチールへの前進が加速する。

 対して従来の主流技術である高炉技術は,鉄鉱石の還元に固体コークスを必要とするため,100%水素還元にすることはできない。つまり,ニア・ゼロエミッションに向けたテクノロジー・パスが直接還元法より低い水準で行きどまりになってしまう。そのため,日本製鉄やJFEスチールは,水素還元の適用拡大に加えてCCUS(CO2回収・貯留・活用)の開発を進めているが,いずれもまだ実用段階ではない。とりあえず,すでに利用可能な電炉法の適用を拡大しているところである。長らく技術的に最先端にいた日本の高炉企業は,次世代技術の必要性が明らかになるとともに,すでにその地位から滑り落ちつつあるのである。

 このように先端的地位に躍り出た神戸製鋼所/MIDREXであるが,従来は,エンジニアリング企業としての取り組みのみを進めてきた。今回,神戸製鋼所が海外での直接還元鉄事業に乗り出すことは,鉄鋼メーカーとしてのニア・ゼロエミッションへの新たな一歩なのである。

 ただし,新事業の立地がオマーンであって日本ではないことにも留意しなければならない。MIDERXプロセスは立地を選ぶ。さしあたり天然ガスが豊富な場所が有利であり,やがては再生可能エネルギー発電によってグリーン水素(製造過程で)を製造できる場所が有利になる。天然ガスにせよグリーン水素にせよ輸送費が高くつくからだ。そうすると,いまのところ天然ガスもなければ大規模再エネ発電所も少ない日本では不利である。だからオマーンなのである。

 神戸製鋼所/MIDREXの挑戦が平たんな道を進むとは限らない。直接還元法は高炉法ほど成熟した技術ではなく,原燃料の性質による安定操業への制約が高炉法より強いと見られているからである。しかし,それでもこのニュースは未来を示唆している可能性がある。最大2社が従来技術に依拠したままであり,3位企業の方が次世代技術を実用化しつつあるという企業間競争の要因と,安価な水素供給のめどが立たねば次世代製鉄所の立地に不利であるという立地要因により,日本鉄鋼業は変貌を迫られつつあるのだ。

神戸製鋼所プレスリリース,2023年4月10日。

「神戸製鋼と三井物産、鉄鋼原料製造を検討 世界最大規模」『日本経済新聞』2023年4月10日。


2023年3月25日土曜日

李捷生氏大阪公立大学退官記念講演会にオンライン出席して

  3月18日に,李捷生氏の大阪公立大学退官記念講演会にzoom参加した。

 私は大阪市立大学経済研究所において,氏の前任者であった。自分が転出することになった1997年のある日,後任をどうしたらいいだろうと,同僚の植田浩史氏(現・慶應義塾大学)と話し合ったときのことを覚えている。数分間,二人で考えた後,たぶん私の方からだと思うが,「李さんをお呼びすれば」と気がつき,そうだ,それがいいと早速準備に入ってもらった。ついこの間のことのようだが,もう25年も前の話だ。当時李氏は,松崎義編『中国の電子・鉄鋼産業』法政大学出版局,1996年に寄せた首都鋼鉄に関する論文で高い評判を得ていた。

 李氏の着任後,経済研究所はなくなって,氏は創造都市研究科に移られ(2018年度より経営学研究科),社会人大学院を担当されることになった。経済研究所は研究に専念できる場であったため,改組によって先生に過大なご苦労をかけることになったかと思ったこともある。しかし,講演会に参加して,実におおぜいの大学院修了者が各方面で活躍していることを知り,李氏が偉大な仕事をされたことが理解できた。

 記念講演は,「労働研究38年 -方法としての日本-」という題目で,李氏の研究の問題意識と理論的背景が語られた。

 まず,氏がご自身の中国での経験を背景として,マルクス派宇野理論の「労働力商品化の無理」規定を解釈し,「労働供給は組織コミットメントを通して初めて達成される」という観点で労働調査を行ってこられたことが理解できた。氏の経験からすれば,おそらくそれは「資本主義であれ,社会主義であれ」そうなのだということだ。氏が博士論文・単著において首都鋼鉄における従業員代表者大会によるガバナンスに注目されたのは,中国の国有企業においても,企業の運命は,労働者が組織にコミットする在り方によって左右されると考えられていたからであろう。

 また,李氏の調査の問題設定が,氏原正治郎氏の問題意識を継承したものであることも理解できた。日本企業は生活給的な年功賃金を正規労働者に支給している。熟練や成果に応じた賃金でないのであれば,いったいどうやって労働者のコミットメントを確保しているのか。また職務の曖昧さゆえに労働が「不定量」になる時に,企業はどうやって必要な「量」を確保するのか。それは,一方においては年功的なものを含みつつ様々な展開を遂げる賃金管理によって,他方において生産管理によって確保するということである。この二つが李氏の調査・研究領域となったのである。

 李氏は,詳細な実態調査において右に出る者のない研究者であるが,同時にその研究は,日本のマルクス派や労働問題研究の問題意識や着眼点を受け継ぎ,これを発展させるものでもあった。まさに「方法としての日本」であり,「故きを温ねて新しきを知る」である。

 1970-80年代中国において育まれた氏の鋭い問題意識が,日本の学問の中から自らの方法となり得るものをつかみ取ることを可能にした。私は,日本において積み重ねられてきた学問的伝統を自分がどう扱っているのかを自問せざるを得ない。理論が古くなったから役に立たないのではなく,単に私が漫然と生きているから,先人の蓄積から見つけられるものを見つけられていないのではないだろうか。いや,よく記憶をたどると,氏に初めて会った時からそう思い知らされていたのである。

2023年3月6日月曜日

ギソン・アイアン・アンド・スチール社の新工場建設計画から,VASグループの戦略を読み解く

  VIET JOの2023年3月1日付報道によれば,ベトナムのVASグループ傘下ギソン・アイアン・アンド・スチールの新工場建設計画がタインホア省政府に承認されたとのことです。VIET JOの元記事は,おそらくVietNam FINANCE2月28日付でしょう。これらによると,新工場は,先月私が見学したギソン経済区にほど近いタンチュオン区第4工業団地に建設される予定です。投資額は5.5兆ドン(約319億円,2.31億ドル)。

 注目されるのが,生産能力,原料,工程,製品です。本記事は,ここからVASグループの戦略を読み解こうというものです。

 報道によれば,第1フェーズでは,スクラップを用いて厚さ150ミリ,幅550-750ミリ,長さ7000ミリの半製品を製造し,そこから厚さ2.3-3.6ミリ,幅550-750ミリ,グレードQ345,Q235,Q195またはそれらに相当する98万トンの熱延コイルを製造します。

 また第2フェーズでは,3万トンの構造用鋼,30万トンの鋼管,角型鋼管,亜鉛メッキ鋼板を製造すると報じられています。

 これを工程の流れがわかるように言い換えますと,第1フェーズはスクラップを原料とし,アーク電炉法か誘導炉法によって溶解するものです。VASグループの履歴から見て,おそらく誘導炉でしょう。連続鋳造してスラブを製造し,これをナロー・ストリップ・ミルで狭幅の熱延コイルに圧延するのです(ちなみに中国規格で狭幅帯鋼の上限は600ミリ。大型一貫製鉄所で製造される広幅帯鋼は幅750-1600ミリが多い)。

 第2フェーズは造管機・冷間圧延機・亜鉛メッキラインを増設するもので,狭幅熱延コイルを用いて溶接鋼管,溶接角鋼管,亜鉛めっき鋼板を製造するものと思われます。構造用鋼の3万トンというのは数字が半端なこともありよくわからないのですが,狭幅帯鋼から鉄骨を加工するのかもしれません。

 ここで専門的な話ですが,VIET JOの日本語記事だけだと熱延コイルが狭幅であることがわからないために,アメリカの大型電炉メーカーが用いる薄スラブ連続鋳造とコンパクト・ストリップ・ミルを用いるかのように読めてしまいます。しかし,数字が少し詳しく出ているVietNam FINANCEを読むと,そうではないことがわかります。スラブが厚く,コイルの幅が狭いからです。これは,中国で民営企業が,中国製設備を用いて多数建設している,狭幅熱延帯鋼工場と同じようなスペックです。VASグループは,誘導炉はこれまでも中国から調達していましたが,今回は連続鋳造機と圧延機も中国製のものを用いるのではないでしょうか。

 このような工場であれば,投資額が5億ドル以下で実現できることは理解できます。とはいえ2.31億ドルはさすがに過小ではないかとも思います。ベトナムでは投資ライセンスを獲得しやすくするために,企業は投資額を過少に見積もる傾向があるので,これもそうした傾向の表れかもしれません。

 さて,ここから読めるVASグループの事業戦略は,従来の事業,つまり単圧工場へのビレット売り,建築用棒鋼・線材の製造・販売から多様化をはかり,鋼板類・鋼管類にも進出するというものです。ベトナムでは,高炉メーカー2社が出現したいまもなお,熱延コイルの輸入依存度は高く,国産化の余地があるからでしょう。

 ただし,VASは,独自の立ち位置をとろうともしています。自らの資金動員力の限界を踏まえつつ,技術的には自ら持つスクラップ選別能力と誘導炉の活用で対処できる範囲として,また事業ドメインとしては高炉メーカーと正面から競合しない狭幅の鋼板としているのでしょう。

 ベトナムの不動産・建設業がインフレ・金利の高騰によるバブル崩壊から立ち直っていない現在,VASグループの次なる野望が実現するかどうかは何とも断定できません。しかし,言えることはあります。

 ベトナムの建設用鋼材市場では,高炉,アーク電炉,誘導炉,単純圧延の各メーカーが入り乱れ,品質・価格の様々なセグメントを作り出しながら激しく競争しています。棒鋼や線材という一見等質的なコモディティの世界であるにもかかわらず,マイクロな異質化競争が起こっているのです。これは,建設用コモディディ鋼材はアーク電炉メーカーによって占拠され,したがって諸企業が同質的行動をとりやすい多くの諸国とは異なる状況です。この独特の状況を生み出した有力なプレーヤーの一つがVASグループなのです。VASグループが誘導炉を用いながら品質管理と環境管理においてほぼフォーマルな存在になったことによって,異質性を帯びた競争がとりわけ激しくなり,セグメントごとの顧客に異なる価格と品質で棒鋼・線材が供給されることにつながっています。そして,セーフガードの力を借りているとはいえ,ベトナム鉄鋼業はビレットや棒鋼において中国からの輸入品の浸透を許さずに,生産を拡大し続けているのです。

 VASグループのフォーマル化とマイクロな異質化競争行動は,ベトナム鉄鋼業条鋼部門の発展に寄与していると私は考えます。それ故に,今度は鋼板市場でも,同じようなマイクロな異質化競争を挑もうとしているVASグループの行動は注目に値するのです。

「タインホア省:DSTギーソン鉄鋼工場案件を原則承認、投資総額314億円相当」VIET JO,2023年3月1日。

Văn Tuân, Thanh Hóa có thêm nhà máy luyện cán thép 5.500 tỷ tại khu kinh tế Nghi Sơn, VietNam FINANCE, 28/02/2023.



2023年3月3日金曜日

VASグループ・ギソン(Nghi Son)製鉄所訪問記

  2月21日,ベトナムタインホア省のギソン経済区にあるVAS Steel ギソン(Nghi Son)製鉄所を訪問しました(※)。ハノイから約200キロメートル南下したことになります。

 VASグループの以前の主力企業は,1998年に創業したアン・フン・トゥオン(Anh Hung Tuong=AHT)であり,南部ビン・ズォン省で創業しました。AHTは誘導炉(IF)メーカーです。スクラップを誘導炉で誘拐し,連続鋳造機で鋳造してビレットをつくり,外販します。一部は自ら棒鋼に圧延して販売します。誘導炉はスクラップを溶解するだけで,アーク電気炉と異なり精錬し成分を調整することが十分にはできません。そのため,無思慮に操業すれば品質の悪いビレットやペンシルインゴットができます。これが「地条鋼」として中国で禁止されたものです。一方,標準的な技術である高炉・転炉法やアーク電気炉法に比べると,設備コストは極めて安くすみます。

 ベトナムでは,誘導炉による鉄鋼生産はインフォーマルセクター的なものであり,北部のチャウケー村ダホイ地区などで多数の小規模事業者によって行われていました。AHTはこれを,フォーマルなビジネスに高めました。内外のスクラップを丁寧に選別・配合すれば,規格に達する品質のビレットが生産できることを証明し,製品規格を取得し,会社の経営も現代的なものに整えました。アーク電気炉製よりも品質はやや劣るが,価格も安いというビレット事業のセグメントを作り出したのです。ベトナムの顧客は,品質と価格のバランスを考慮して,高炉・転炉ビレット,電気炉ビレット,IFビレットを選び分けることができるようになりました。

 このVASグループが,誘導炉製鋼を一気に拡大して,ギソン経済区の一角に建設したのがギソン製鉄所です。第1工場はIF製鋼80万トン,線材圧延60万トン,第2工場はIF製鋼80万トン,棒鋼圧延60万トンで既に稼働しています。第3工場はIF製鋼のみ130万トンで稼働のための準備中です。ということは,第3工場が稼働すればIF製鋼290万トン,圧延120万トンに達します。たいていの電炉製鉄所より大きく,小規模の高炉一貫製鉄所並みの製鋼能力です。

 日本を含む多くの諸国では,鉄鋼業は枝分かれ型の工程を持ち,川上に行くほど規模の経済性を生かした大型設備が用いられます。高炉,転炉,電炉は大型化する傾向を持っています。ところがギソン製鉄所では,確かにインフォーマルセクターのものよりは大型ではあるものの,おそらく第1-第3工場に30-50トン/ヒートの誘導炉を15機前後設置していると思われます。小型設備を多数並べているのです。これで設備コストを節約するとともに,需要に対応した生産調整を行っています。ちなみに大規模な集塵機とバグフィルターが設置されており,製鋼工場から煙が上がることもありません。圧延工場の圧延機は,イタリアのダニエリ社製の標準的なものです。

 IFによって規格を通る鋼を製造するための生命線は,スクラップの調達と選別です。VAS Nghi Sonは経済区内に港と広大な野外スクラップヤードを持っています。スクラップは国内から3割,輸入が7割ですが,見学時には3万2000トンを積んだアメリカからの船が荷下ろしをしていました。これはスクラップ取引では最大級の船です。また,VAS Nghi Sonの従業員は2500人程度とのことですが,うち400人はスクラップヤードで働いているとのことです。これも日本では考えられない規模です。

 無造作に行えば劣悪な無規格材を生み出してしまうIF事業を,フォーマルで競争力あるものに変えたのは,設備コストを抑えながら,スクラップへの徹底したこだわりによって品質を確保することなのです。

※種々の報道からみると,VAS Nghi Son Steel Co. Ltd.単一所有有限会社であり,その傘下にVAS Nghi Son Iron and Steel Joint Stock Companyがあり,後者が製鉄所を保有しているようです。






2023年2月24日金曜日

『日本大百科全書(ニッポニカ)』の更新項目「鉄鋼業」と新規設置項目「日本製鉄」を執筆しました

 『日本大百科全書(ニッポニカ)』の更新項目「鉄鋼業」と新規設置項目「日本製鉄」を執筆しました。いずれも2023年1月19日更新です。幸い,双方ともサンプルページにありますのでご紹介します。紙で刷られることはなく,ネット版の更新です。『日本大百科全書(ニッポニカ)』の書籍版は1994年に刊行されていますが,全25巻で,一応図書館に見に行きましたが,おいそれと改版を出せるものではありませんね。辞書の類は,場所も取らないし検索の便宜が圧倒的に良いので,書物の中でもオンライン化に特に向いた分野です。

「鉄鋼業」(松崎義氏が執筆された原稿に対し,現状に見合うように加筆し,若干の置換を行ったもの)

「日本製鉄(株)」(新規項目)


大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...