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2024年7月22日月曜日

麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』中公新書,2024年を読んで

 麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』中公新書,2024年を読んで。

 本書を読んで認識を新たにしたのは,何よりも「日ソ戦争」という名称でくくられる一つの戦争があったということである。この戦争は,対中国の戦争とも対米英の戦争とも異なる性格のものであり,1945年8月15日を過ぎても戦闘が終わらなかった戦争であり,戦後の日ソ関係,今日の日露関係にも重大な影響を及ぼしている,独自なものだった。本書の最大の意義は,この戦争の独自性をはっきり示したことにあるように思うし,また著者の狙いもここにあったのだろうと思う。

 一方において,日ソ戦争は第二次世界大戦の一部であり,その意味で相対化される。大日本帝国の軍事支配体制が背景となり,アメリカの戦略によっても規定されたものである。しかし,繰り返しになるが,それでもやはり日ソ戦争は日ソ戦争という独自の戦争なのであって,それ自体としても評価されねばならない。本書で,著者は日ソ戦争の特徴として3点を挙げている。第1に,民間人の虐殺や性暴力など,現代であれば戦争犯罪である行為が停戦後にも頻発したことである。第2に,住民の選別とソ連への強制連行である。第3に,領土の奪取である。もっともな指摘である。

 こうして改めて見直してみれば,戦後の日本における世論がソ連に対して否定的になったことはもっともであった。それはアメリカと同盟を結んだが故の反共イデオロギー宣伝の結果だけではなく,根拠のある話であった。また,この話を敢えて裏返すならば,日本の社会主義者たちがある時期までソ連に批判的に接することができなかったことの問題も,やはり深刻であった。戦後の日ソ関係や日露関係とは,そういうトラウマや呪縛との格闘であったのかもしれない。


出版社ページ
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/04/102798.html




2023年8月27日日曜日

E・H・カー(近藤和彦訳)『歴史とは何か 新版』岩波書店,2022年がずいぶん売れたらしいことについて

 E・H・カー(近藤和彦訳)『歴史とは何か 新版』岩波書店,2022年。『思想』7月号の特集を見て,清水幾太郎訳で読んだ内容をすっかり忘れていることを思い出し,なんぼ何でもまずいかと思い,買って読んだ。久しぶりに自覚したが「これを読んでおかないとまずい」という強要,いや教養マインドの残り火くらいは私の心にもあったようだ(※1)。

 新訳は昨年8月の時点で4刷り2万5千部出たそうで,この種の本では大変な売れぶりである。「なぜ,いま,カーなのか」というのが『思想』の特集号のテーマと思うが,一番分かりやすいことを,わが同僚の小田中直樹教授が書いている。いわく,「危機の時代には変化の歴史学が求められる」のだそうだ。

 私は彼の言うことに賛成である。ただし,それは「本日,みな腹が減っているから食事が必要だ」というのに賛成だというのと同じ意味においてである。文化や歴史に関心を持つものにとって,たいていの場合,「現代は危機の時代」である。したがい,我々はどこから来て,どこに行くのかということ関心をもつので,優れた歴史論に関心が集まる。これは,過去100年くらいはいつでもどこでもあてはまることなので,わざわざ言う必要はないのではないか。ちょうど,あらゆる政党が,選挙に当たっては必ず(無投票の場合を除き)「今度の選挙は歴史的なたたかい」であり「かつてない激戦」であるというのと似ている。

 では,なぜ,いま,この時に限ってカーなのか。およそ私などに深い理由はわからないが,カーが好意的に評した社会学の発想を借りて考察すると,こうなるのではないか。

 いまや,あまりにもろくでもない本ばかりが出回っているために,「『現代』の範囲でちょっと昔の名著の方がはるかにちゃんとしたことが書いてある!」と再発見され,世代を超え,新鮮さをもって広く読まれており,4万5千部に達している(※2)。

 ただし,これは楽観的に過ぎるかもしれない。以下のような可能性もある。

 いまや,活字の本それ自体が電子版を含めて読まれなくなったことに怒り心頭に達した中高年の研究者や本好きが,「本当に素晴らしい名著を読め,コラア」という共通の心情に駆られ,意地になって名著の新版を買い,再読しているが,中高年の研究者と本好きの域にとどまるので4万5千部である(※3)。

 さすがに悲観的過ぎるだろうか。

 私個人は,読むと改めていろいろな新しい発見があり,そうすると逆に「多少古い理論でも,十分これで行ける。これでいいじゃないか」と退行してしまいがちである。緩やかな実在論で,進歩の概念は一応想定するカーの議論で十分研究の導きの糸になるし,21世紀に研究する上でもとくに支障はないんじゃないか,当時の社会主義国を過大評価しているかもしれないけれど,という風に割り切りたくなるのである。これで本当にいいのか,よくわからないが。


<異次元の注>

※1 特撮・アニメオタクの世界でも,かつては自分の趣味の中核ではなくても,「この領域は一応全部抑えておかないと」と読んだり見たり買いそろえたりして,時間もカネも居住スペースも失っていったものである。

※2 さんざ特撮SF・ヒーロー番組を見たあげく,「やっぱり初代のウルトラマンがいちばんよかった」という人が後を絶たないようなものである。

※3 おたくがこぞって初代ウルトラマンのすばらしさを再発見して関連商品を買いあさり,評論を発表したところで,社会的影響力は極めて限られているというようなものである。



ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。  会田...