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2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






2018年11月2日金曜日

ケース・スタディの方法論を学ぶ

 一昨日は,英文誌投稿を念頭に置いたケース・スタディ方法論の大学院ゼミを実施した。テキストは院生が査読者から参照指示された以下のもの。なぜか図書館によって心理学の書棚に分類されていた。
Ghauri, P.[2004]. “Designing and conducting case studies in international business research” in Rebecca Marschan-Piekkari and Catherine Welch eds, Handbook of qualitative research methods for international business, E.Elgar, 109-124.
 いろいろ議論したが,いちばん大きな論点は,「山勘でやっていたことを,自覚的に,正当性を確かめ,アピールしながら行う」ということだ。暗黙知でやっていたことを形式知にすると言ってもいい。例えば,これまでは調査記録の作成について,メモ→朱書き補筆→訪問先ごとに清書→調査記録の分析→論文のデータとして活用,という流れで自分では理解してきたし,そう教育もしてきた。だが,調査記録の分析の方法を,自分自身が自覚的にとらえていなかったため,院生にも十分明示的に教えることができなかった。例えば,画像1枚目は,張艶さんと私の以前の共著論文で,ソフトウェア企業の調査記録をどのように分析して論文のロジックにしていったかを説明するマトリックスだが,私たちはこのマトリックスを書きながら論文を書いたわけではなかった。ああでもない,こうでもないと調査記録をにらんで切り口を考え,切り口に従って記録に赤線や記号をつけ,抜き書きし,組み合わせているうちに何とかストーリーが見えてきたというのが実態だ。完全に山勘法である。仮に私自身はヤマ勘法で何とかしたとしても,山勘法の極意はいっしょに調査をして討論を長時間行った相手にしか伝わらず,徒弟制の世界となる。ハラスメントはしないように気を付けるとしても,多数の院生がそれぞれ別の研究をしているととても教えられるものではない。
 そうした結果,近年は院生が論文を投稿すると「リサーチ・クエスチョンと事例選択の整合性が説明されていない」「ケースの説明自体が目的なのかコンテキストのためにケースを置いているのか不明」「インタビュー調査であることの理由付けがはっきりしない」等々とコメントされることが増えている。これはまずいのだ。
 研究過程においては,調査記録を,時系列化,コーディング,クラスタリング,マトリックス化,パターン・マッチングなどの分析方法をもっと客観的なツールとして意識し,分析しながら,常にその分析方法の正当性を問う習慣をつけねばならない。論文作成過程で「マトリックスにしてみよう」「キーワードでコーディングしよう」「うまくいかないのは,このクエスチョンにこの方法が××で合わないからだ」などと自覚することだ。そのために,Nvivoのような定性分析支援ソフトを使うのもいいかもしれない(が,財布との相談になる)。そして,論文においては「○○の理由によりこのように分類して分析した」と意識的に説明して正当性を主張する。対抗的な説明方法に対する優位性も述べる。このようにして「単なるお話」ではなく学問的認識であることをアピールしていかねばならない。
 お前は53歳にもなって何を当たり前のことを言っているのだとおっしゃる方も多いだろうが,定性的事例研究において山勘法から前進するのは大変なのである。
 なお,Ghari教授はJournal of International Business Studiesにも論文を載せている大家らしいが,この論文では「大企業より中小企業の方が研究に関心を持ち,深く話してくれる傾向がある」とか,「事例選択はリサーチ・クエスチョンとのレレバンシーが肝心だが,旅費にも左右される」とか「最初のインタビューがその後を大きく左右する」などという,実態調査あるあるの記述もあって,親しみが湧いた。


2018年10月27日土曜日

学部生卒業論文の研究方法論

 昨日の学部ゼミ。学部ゼミ生10人が卒論を提出するのだが,一方で働き方改革で卒論提出日が昨年までの1月の休み明けから12月26日に早まったので注意が必要だ(※1)。そこで夏休み直前に進捗報告を提出させてメールコメントし,2学期ゼミの冒頭には中間報告をしたもらったのだが,いくつか気がついたことがあった。それは,研究方法のレベルで迷子になっていて,データの収集や分析という中核的作業に進めていないケースがあることだ。具体的には二つに分かれる。

 一つは,「研究対象を対象として定めて,客観的に分析する」ことができていない場合だ。当ゼミの場合,さすがに対象がある「産業」とか「企業」と決まっている場合は起こらない。まずどういう産業なのか,企業なのか概観する作業が必要だよな,ということはわかるからだ。しかし,政策とか取引慣行とか人事管理などのしくみだとおかしくなりやすい。つまり,実践的行為やその集合体を扱う場合に生じやすい。その行為の束やしくみをまず客観的対象として突き放すことが,直観的にできないようだ。実践的行為の束を対象化し,境界線を決め,分類し,叙述し,経済・経営学的に分析する,という手順を体得していないのだ。
 そのような学生はどう報告するかというと,いきなり「メリット,デメリット」を列挙してしまう。しかし,判断基準も対象の境界線もないので,ありきたりな世間的基準か,根拠が示されない主観で決めつけることになってしまう(※2)。

 もう一つは,事例と理論,いや理論とまではいわなくとも,事例と「言いたいこと」との関係がよく考えられていない場合だ。これは学部生だけでなく,院生や,ひいては私自身にとっても頭痛の種だ。1)事例によって理論を証明するのか(説明的研究),2)事例の叙述と分析から,より一般性の高い命題を発見するのか(発見的研究),3)事象の普遍性・特殊性・個別性を総合的に叙述したいのか(総体としての叙述),がよく考えられていない。また,「言いたいこと」にこの事例はふさわしいか,そのためのデータ・情報はそろっているか,逆にこの事例から何が言えて何は言えないか,ということが考えられていない。
 そのような場合,学生がどう報告するかというと,i)一番よくあるのは,データ・情報の制約があったときに,その制約の方を突破するか,問題設定やストーリーを入手できなデータ・情報の範囲内で調節するか,という作戦が考えられないケースだ。さすがに院生だとないが,学部生の場合,「ここまでやったんですが,いいでしょうか。もっとやらなきゃいけませんか」と来る。たが、論文は自分自身が責任を負う作品だ。いいかどうかは,自分の問題設定,自分の資料に訊くのだ。ii)もうひとつは,一般論を述べて「これから事例を考えます」というパターン。事例についての知識をきちんと体得していないので,そもそも締め切りにまにあわなくなるおそれがある。定性的事例研究は,上記の研究のどのタイプになるにせよ,個別の事例を詳細に叙述しなければならないので,その事例となる産業や企業に関するデータ・情報を集め,知識を得るだけで時間がかかる。その上で,事象の中に潜む個別性・特殊性・一般性を見分けて,徐々に一般化に近づいていくのだ。さらに,iii)事例についてオタク的に際限なく資料を集めて叙述したが,それで理屈としてはどうなるのかわからないという類型もありうる。これは,いかにも当ゼミでは起こりそうなのだが,意外にも見当たらない。正確には,常に一人いる。私だ。なぜこういう類型が意外に少ないのか,わからない。オタクはオタクを遠ざけてしまうのか。

 こうした研究方法論は,それこそ一般的に学部生に講義して教えても,何のことかピンと来ないことになりがちで,自らのレポートや卒論の作成過程の中で覚えていかないと身につかない。だから,当ゼミでは入ゼミ時にも3年生終了時にもレポートを課して訓練する。しかし,それでもいざ卒論という局面で,またこうなる。実に難しい。これは結局,つまずいた経験がパターン化,一般化されないからだろう。なので最近は,問題が生じるたびに,「どうして行き詰まっているかというと,ここがまずいからで……」と上記のようなやや抽象的な説明を図解付きで入れるようにしている。だが,通じるだろうか。


※1 なぜこれが働き方改革になるのかというと,まず教員にとっては,これまでは,結局ぎりぎりまでできない学生がいるために,年末年始にあれこれと世話を焼かねばならないという問題があった。また事務にとっては,修士論文の提出も1月初旬のため,仕事始めにいきなり特定日に業務付加が集中するという問題があったのだ。
※2 ちなみに,この院生バージョンで時々起こるは,業界も企業も分析していないのにSWOT分析「だけ」で「この会社のことはわかりました」と称するものだ。業界の構造も企業組織もわからないのに,「強み」「弱み」がどうしてわかるのか。


2018年10月9日火曜日

研究方法論に取り組まざるを得ないことについて

 先週より大学院ゼミ開始。各自の研究報告のほかに,研究認識論・研究方法論の文献も読むことにし,各種検索結果,院生がレフェリーからこの間受けた指摘などを手掛かりにして以下を選んだ。とにかく,当ゼミからの投稿は私本人を含め「事実発見と事例分析はよくできてる,実践的インプリケーションもOK。だがリサーチ・クエスチョンが弱い,理論的テーマが不明瞭,事例選択の根拠が希薄,理論的インプリケーションが薄い」等々と言われやすい。個人的学問観としては言いたいこともあるが,国際誌にもっと載せるためには,ここを何とかしなければ。
Sinkovics, Noemi [2017], "Pattern matching in qualitative analysis," in C. Cassell et al., The SAGE hand book of qualitative business and management research methods, Sage Publications, Ltd.
https://uk.sagepub.com/en-gb/asi/the-sage-handbook-of-qualitative-business-and-management-research-methods/book245704https://www.e-elgar.com/shop/handbook-of-qualitative-research-methods-for-international-business
→高いが,注文した。
Ghauri, P.[2004]. “Designing and conducting case studies in international business research” in Rebecca Marschan-Piekkari and Catherine Welch eds, Handbook of qualitative research methods for international business, E.Elgar, 109-124.
https://www.e-elgar.com/shop/handbook-of-qualitative-research-methods-for-international-business
→附属図書館にあった。
Fletcher, M. et al. [2018]. Three pathways to case selection in International business, International Business Review, 27(4), 755-766.
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0969593117301142
→附属図書館購入の電子ジャーナルにあった。

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...