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2024年8月23日金曜日

「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」,それが鉄鋼業

 「中国の鉄鋼過剰、世界揺るがす-業界全体が窮地に陥る恐れ」という記事がブルームバーグから配信されている。なぜ中国という一国の過剰生産が世界を揺るがすからというと,規模がバカでかいからである。

 中国は世界の鉄鋼生産の半分を占める超製鉄大国だ。2024年の生産量は不況が続くとしても10-11億トンになると予想できる。

 そして,2024年の中国からの鉄鋼輸出は1億トンを超える可能性がある。これは,前回,貿易摩擦を激しくした2015年の1億1200万トンと同水準だ。

 ただ,10億トン生産して1億トン輸出するというのは,10%の輸出比率にすぎない。過剰能力を抱えて輸出ドライブをかけると言っても,内需9億トンの方が需要の中心だ。日本鉄鋼業の輸出比率が40.6%に達することを考えれば,その低さは明らかである。おそらく中国の鉄鋼企業からしてみれば,輸出が主力市場にしているという感覚はないだろう。

 しかし,絶対量で1億トンの輸出というのは,大きい。日本の昨年の鉄鋼輸出3242万トンと比べても3倍以上である。輸出品が向かってくる輸入国の鉄鋼業からすれば脅威だ。もっとも,鉄鋼を消費する建設産業や機械工業からすれば大助かりであろう。

 このように,中国鉄鋼業は全体が途方もなく巨大であるために,さほど輸出ドライブをかけず,低い輸出比率であっても,巨大な輸出量となって世界に影響を与える。昔,「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という言葉があったが,鉄鋼業においては「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」のだ。

2023年7月30日日曜日

泉弘志「国際価値の理論と国際産業連関表による各国剰余価値率の計測」『経済』2023年8月号,110-132を読んで

 泉弘志「国際価値の理論と国際産業連関表による各国剰余価値率の計測」『経済』2023年8月号,110-132を読んで。

 泉氏はマルクス経済学の言う剰余価値率を実証的に計測しようと,長年研究を続けて来られた研究者である。本稿は,国際貿易を導入した上で,剰余価値率の国際比較を行う理論の提示と実証を試みたものである。個人的にはたいへんなじみ深い領域であり,勉強になった。泉論文で書かれていることの理論的側面を,注記で多少のコメントを加えながら要約すると以下のようになる。

 マルクスによれば剰余価値率は「不払い労働/支払い労働」または「剰余価値/労働力価値」である。いま複雑労働と単純労働の還元問題を捨象すれば,一社会内では物理的労働量でとらえた前者と,労働価値でとらえた後者は一致する。しかし,複数国民経済の間で貿易が行われるという前提で,実際に計測を行おうとすると難しい問題が生じる。

 それは,異なる国の間での労働量をどのように扱うかである。世界経済の一次モデルでは,労働力は移動しないと仮定する(※1)。移動しないことにより,国民経済間の労働生産性が均衡化せず,格差が存在し続けることが説明できる。では,国民経済間に労働生産性格差がある場合,先進国の1労働日と途上国の1労働日は等質等量と扱うべきなのか否か。これが問題である。

 もし全世界の労働を等質として扱うと,何が起こるか。労働時間で計算した労働量ベースで計算した剰余価値率と価値価格(※2)で計算した剰余価値率は大きくずれてしまうのである。

 先進国の労働者が消費する賃金財は,途上国からの多くを輸入している。それらの生産は先進国よりも労働集約的に行われている。このため,労働者による輸入賃金財の消費が増えることにより,全世界等質の労働量ベースで見た支払い労働が大きくなる(※3)。このことが大量に行われると,先進国の剰余価値率は低下する。実証を試みるとマイナスにすらなるそうである。

 しかし,国際価値論を踏まえて価値ベースで考えると異なる。労働力が国内移動はするが国際移動はせず,各国間の労働生産性に格差があるのだから,全世界の労働を等質に考えるのは適当ではない。むしろ,国民経済全体の平均的労働生産性が格差を持ったままで貿易が行われることを説明すべきである。つまり,A国1労働日=B国2労働日=C国5労働日などという関係を前提して貿易が行われる。この関係を国民的労働生産性格差と言う。そして,この格差が労働の国際交換比率でもある。もちろん,このとき各産業部門での労働の社会的平均的生産性も国ごとに違うままである。

 上記のようにA国の国民的労働生産性がB国の2倍であるとき,ある産業α部門での生産性格差が2倍,つまりA国1労働日=B国2労働日ならば,α部門では両国での生産物の価値価格は等しい(※4)。日常用語で言えば競争力は同等である。もし,先端産業のβ部門では生産性格差が2倍より大きく,例えばA国1労働日=B国5労働日であれば,β部門ではA国の生産物の方が価値価格が低い。つまりは製品が安く,国際競争力がある。ローテクのγ部門では逆に生産性格差が2倍未満であれば,たとえ絶対的生産性はA国の方が高くともB国の生産物の方が価値価格が低い(※5)。

 このように観た場合,先進国労働者の消費する輸入賃金財は,国産品よりも労働時間は多く費やされているが,価値価格はむしろ小さい。したがい,全世界等質の労働量で支払い労働を見た場合のように剰余価値率の分母が大きくなることは起こらず,むしろ労働力価値とともに分母が小さくなることすらありうる。したがい,先進国の剰余価値率が低下するということも起こらないのである。推計してみると,国民的生産性の高い国ほど剰余価値率が高く,また平均賃金が極度に低い国の剰余価値率も高いという結果になる。

 読解に誤りがないとすれば,泉論文が言いたいことは,以上のようなことである。

 さらに進んで言えば,全世界等質の労働ベースによる先進諸国の剰余価値率がマイナスだという推計が妥当ならば,先進国労働者は途上国労働者を価値論レベルで搾取しているという含意をもたらす。国際価値ベースによる,先進国や特別に低賃金な国の剰余価値率が高いという推計が妥当ならば含意は全く異なり,先進国の労働者も途上国の労働者も搾取されているということになる。労働を全世界等質を考えるのは適当ではない以上,前者の考え方は適当ではなく,後者のように考えるべきだ。泉氏が意識しているのはこのようなことである(※6)。

 私は泉氏の分析にほとんど賛成である。貿易を含めた場合の剰余価値率は,全世界等質の労働ベースではなく,国際価値論を前提にして,価値ベースで理解すべきである。このことを両説対比の上で明らかにした本稿には重要な意義があると思う。

 ただ,この力作にも,注記について気になる点がある。泉氏は,国際価値論に関する諸文献を文献リストに列挙し,それらを参照したことを明示されているが,国民的生産性格差説の説明のところで,依拠された先行研究を特定して注記されていない。そのため,この分野になじんでいない読者が読むと,あたかも国民的生産性格差説が泉氏の独創であるかのように見えてしまうだろう。泉氏が文献リストにより,誠実に参照指示をされようとしたことは理解できる。ただ,客観的には上記の誤読の余地はあると思う。国民的生産性格差説は戦後の国際価値論研究の中で種々の模索の末に確立された学説であり,他方では過去も現在もこの説に依拠しない国際価値論も存在する(※7)。泉氏には,自らが他の説でなく国民的生産性格差説の研究蓄積に依拠していることを明記し,それに該当する文献はリストの中のどれであるかを指示して欲しかったと思う。


※1 資本が移動すると仮定するかしないかは論者によって異なり,泉氏は移動しないとしているが本稿の論旨にはどちらでも影響はない。なお,マルクス経済学で国際労働移動が基本的にはないというモデルを立てる場合は,部分的な労働移動は国際価値論ではなく相対的過剰人口論で扱う。

※2 価値価格とは,労働価値どおりの価格という意味である。

※3 たとえば,労働者は,より労働集約的につくられたシャツを着るようになるからである。

※4 専門家はご存知の通り,3国以上あると計算は極度に複雑になるし,価値価格と生産価格と市場価値でも話は異なって来るが,いまはそれは脇に置く。

※5 泉氏はこの語を用いないが,これが比較生産費説のマルクス的国際価値論による説明である。泉氏の説明は,金貨幣による価値表現を省略しているが,それ以外は以下と一致する。村岡俊三『グローバリゼーションをマルクスの目で読み解く』新日本出版社,2010年。

※6 この記事で最初にこの話をしなかったのは,この記事を読む方に,実践的価値判断から経済理論の正否を裁断するのではなく,あくまで理論的妥当性によって判断して欲しかったからである。
 念のため付記するが,泉論文もこの記事も,あくまで国際価値論(世界経済における労働価値の修正)のレベルでこうだという話をしているのであり,現実の世界経済に対する判断は,もっとたくさんの理論的,個別的条件を踏まえた上で,行なうべきことは当然である。

※7 泉氏が列挙されている国際価値論の諸文献も,みな国民的生産性格差説を採っているのではない。例えば,名和統一『国際価値論研究』日本評論社,1949年は基軸産業が労働の国際交換比率を決めるという見解であった。日本では名和説を出発点に種々の研究と論争が行われ,整合性の高いモデルとして国民的生産性格差説が生まれた。木下悦二『資本主義と外国貿易』有斐閣,1978年や村岡俊三『世界経済論』有斐閣,1988年はこれに依拠している。一方,中川信義『世界価値論研究序説』御茶の水書房,2014年は産業部門ごとに世界レベルで社会的平均的労働が確立するが,部門間交換比率は問題にもしないという特異なものである。
 なお,これらの学説の相違については,佐藤秀夫『国際分業=外国貿易の基本論理』創風社,1994年で整理されている。

2023年3月14日火曜日

シリコンバレーバンク(SVB)の破綻:インフレと信用不安のジレンマ

  アメリカのシリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻し,連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれることになった。総資産は2090億ドルであり,2008年以来の大型銀行破綻である(※1)。

 SVBは,スタートアップの成長を見込み,貸し出しを拡大しようとして預金を盛んに集めていたようである。13 日まで判明している限り,少なくとも一部の顧客との契約では,他の金融機関と取引しないことを条件としていた(※2)。ところが預金を集めたはいいが,貸し出し先を見つけられず,資金を不動産担保債券(MBS)で運用していたところ,金利上昇で債券価格が下落した(※3)。同時に,金利上昇で顧客のスタートアップも資金が潤沢でなくなり,預金を引き出す動きが出る。SVBは流動性を確保しなければならなくなった。MBSの含み損の表面化を避けるために短期国債を売却したが,やはり売却損が表面化。これを埋め合わせようと増資を発表したが,このニュースが株価暴落,預金の取り付けを招き,破綻に至ったとのことである。

 預金保険は,本来1口座あたり25万ドルまでしか保護しない。しかし,財務省・FRB・FDICは12日に,同行および同じく破綻したシグネチャーバンクの預金を,本来の預金保険の上限を超えて全額保護するとの内容を含む共同声明を発表した(※4)。信用不安が拡大するのを防ぐためであろう。考えられる限り最も素早い措置であるが,うまくいくという保証はない。

 この出来事は,かねてから予想されていたアメリカ金融政策のジレンマを現出させたと言える(※5)。連邦準備制度理事会(FRB)はインフレーション退治のために,不況になることも厭わず金利を引き上げる姿勢を示してきた。FRBが望んでいたのは,実物セクターの需要減,失業率の上昇,賃金上昇の停止である。しかし,それが実現しないうちにSVBが破綻し,金融セクターへの不安が広まっている。金融セクターでの破綻の連鎖が起これば,金融システムが崩壊し,FRBが最も望まない状態が現出することになる。しかし,本来実物セクターと金融セクターは密接に連携しており,不況を実物セクターのみにとどめるのは容易ではない。FRBは,金利を引き上げれば信用不安が高まり,引き上げを止めればインフレが続くというジレンマに直面している。

 さらに,IMF等によって指摘されているように(※6),金利引き上げは新興国が抱えるドル建て債務を重くしている。信用不安が国際的に連鎖すれば新興国に打撃を与え,その損失がまた,新興国に投資する先進国に打ち戻されることになりかねない。預金全額保護措置が当面は功を奏するかもしれないが,世界的な金融危機に対する警戒は,むしろ高めねばならないだろう。


※1 Natalie Sherman & James Clayton, Silicon Valley Bank: Regulators take over as failure raises fears, BBC News, March 12, 2023.

※2 Rohan Goswami, Silicon Valley Bank signed exclusive banking deals with some clients, leaving them unable to diversify, CNBC, March 12, 2023.

※3 アメリカで資産運用会社を経営するTak(qRealtyPnw)さんのTweet,20223月10-11日。

※4 Joint Statement by the Department of the Treasury, Federal Reserve, and FDIC, March 12, 2023.

※5 「金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済」Ka-Bataブログ,2022年10月20日。

※6 International Monetary Fund, World Economic Outlook: Countering the Cost-of-Living Crisis, October 2022.


2022年12月25日日曜日

ドル高・金利引き上げがもたらす,新興国外貨建て対外債務の危機

 UNCTADの第13回債務管理会議のレポート。多くの国が,パンデミック,地政学的不安定性,気候変動による債務負担に苦しんでおり,そこにアメリカの金利引き上げが追い打ちをかけている。欧米諸国がインフレ退治に集中することが,世界の反対側で公共政策を困難に陥れていることに注意しなければならない。

「国際通貨基金(IMF)の推計によれば,新興国の債務の70%,低所得国の債務の85%が外貨建てである。
 途上国政府は現地通貨で支出し,外貨で借り入れを行うため,この構造では,公共予算が大規模かつ予期せぬ通貨安に大きくさらされることになる。
 2022年11月末までに,少なくとも88カ国が今年になって対米ドル安を経験した。このうち31カ国では,下落率が10%を超えている。
 アフリカのほとんどの国で,このような減価は,アフリカ大陸の公衆衛生支出に相当するほどに債務返済の必要性を増額させると,Grynspan氏は述べた。」

 資本主義は,金と言う世界通貨の現送をなくすことによって,国際金融の規模を拡大した。しかし,そのことにより,国際貿易や貸借や資産保全を特定国通貨建てで行わざるを得ないという矛盾を抱え込んだ。アメリカが自国のインフレを抑制するために金利を引き上げると,途上国の対外債務が増大するのは,この矛盾の表れだ。理想的な国際金融システムがすぐに実現するとも思えないが,現にあるシステムが円滑で平坦で公平なグローバリゼーションをもたらすものではないことは知っておく必要がある。

World leaders call for stronger multilateral solutions to debt crisis, UNCTAD, December 5, 2022.


2022年11月1日火曜日

2つのブロックへの世界の分裂は,経済をどれほど落ち込ませるか:IMFの警告

 IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022(アジア太平洋地域経済見通し,2022年10月), Chapter 3 Asia and the Growing Risk of Geoeconomic Fragmentation(アジアと,地経学的分断のリスク)を読んだ。

  IMFは国際貿易の分断に関するシナリオ分析を行っている。各国は2022年3月2日の国連総会におけるロシアのウクライナ侵略非難決議への態度をもとにロシア,反対国(ベラルーシ,北朝鮮など5か国),賛成国(141か国),棄権国(バングラデシュ,中国,カザフスタン,南アフリカ,ベトナムなど35か国)に分類される。分断ラインは2種類で,一つは「ロシア・デカップリング」,つまりロシアだけが賛成国との貿易を制限される場合,もう一つは「2つのブロックへの分裂」つまり賛成国と,ロシア・反対国・棄権国との貿易が制限される場合である。貿易制限の対象は,「ハイテク・エネルギー」の場合と,他のセクターでの非関税障壁が冷戦時代並みになったばあいに場合の2種類が想定される。

 結果は下記の図の通りであり,「ロシア・デカップリング」だけならば世界とアジアへの影響はほとんどない。しかし「2つのブロックへの分裂」では,対象が「ハイテク・エネルギー」だけであっても世界のGDPは1.2%,アジア・太平洋諸国のGDPは1.5%落ち込む。さらに他セクターの「冷戦時代並みの非関税障壁」が加わると,GDPの落ち込みは世界全体で1.5%,アジア・太平洋諸国では3.3%に達する。


出所:IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022, p. 50.


 以下は3章の結論部の最初の部分の訳である。

「近年,貿易政策の不確実性が高まり,各国がこれまで以上に貿易制限を強化し(特にハイテクやエネルギー分野),国家安全保障上の懸念から対内直接投資に新たな制限が設けられるなど,断片化の兆しは以前から見られていた。ロシアのウクライナ戦争は地政学的緊張をさらに高め,貿易や金融の流れが経済的というよりむしろ地政学的な要因でますます左右されるようになるリスクを前面に押し出している。本章の分析は,このような分断化の傾向が続けば,特に世界がはっきりとしたブロックに分断されるという最も激しい分断化のシナリオの場合,大きな経済的損失が-世界に,そしてとりわけアジアに-生じる可能性を強調している。さらなる分断化による悪影響を回避し,貿易が成長の原動力として機能し続けることを保証するためには,共同による解決策が必要である。」

 残念ながら,現在,この解決のための共同にとっての政治的障壁は上がる一方である。事態の改善は容易ではない。しかし,まず世界経済の分裂がもたらすであろう被害を直視することが重要だ。このIMF報告書は貴重な貢献をなしたと思う。


Overviewと全文ダウンロードページ

IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022.


IMFスタッフによる日本語ブログのページ

ディエゴ・セルデイロ,シッダート・コタリ「アジア、そして世界は、経済の分断によるリスクの高まりに直面している」IMFブログ,2022年10月27日。


2022年10月24日月曜日

アメリカの金利引き上げが度を過ぎれば世界の脅威に:ドル高円安の背後で進行している本当の危機

日本では円安を嘆く声が広がっている。目の前の苦痛を嘆くのは当然だが,その背後でより深刻な事態が進行していることを看過してはならない。ここでは,以下のことを述べたい。

1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない
2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある
3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である


1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない

 日米の金利差がドル高円安の要因だとよく言われるが,これは不正確である。なぜならば,海外事業への投資と異なり,金融商品への投資は極めて高速にポートフォリオが入れ換えられて,調整されるからである。金利差への適応は短期間で終了し,何か月も続くことはあり得ない。そして,通貨の間には為替リスクがあり,各国金融市場への評価の違いがある以上,金利裁定が終わり,ポートフォリオが入れ換えられた後も金利差は残るのである。入れ換えが終われば,そこから先は金利差があっても為替相場は動かない。

 だから,現にドル高円安が起こっているのは,金利差それ自体ではなく,今後の金利差に関する持続的予想のためである。つまり,投資家たちの「今後も日米の金利差は開くだろう」との予想が続いているために,ドル高円安が継続しているのである。


2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある

 上記の予想は,日本側の要因とアメリカ側の要因が総合されて成り立っている。日本側については,「日銀は今後も金利を引き上げずに,低位に維持しようとするだろう」という予想が成立している。他方,アメリカ側については「FRBはインフレ対策のために今後も金利を引き上げ続けるだろう」という予想が成立している。ドル高円安を招く要因は,日本側とアメリカ側,それぞれにある。


3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である

 このうち日本側の要因の背後にある問題は,低成長の持続であり,コロナ後の経済回復が弱く,賃金が上がらず,金融引き締めが適さない状況であることである。そのため,その解決は日銀の金融政策ではなく,政府による国民生活救済策,それに必要な所得再分配,そして供給サイド強化策である。このことは,すでに述べた(※1)。

 ここで問題にしたいのはアメリカ側の要因である。アメリカのFRBが自国のインフレ対策を行うこと自体はもっともである。しかし,FRBは,明らかに不況という代償を省みずに金利を引き上げ続けている。これは身勝手と言わざるを得ない。アメリカは世界の金融センターであって,ドルは基軸通貨だからである。アメリカが,不況という代償を払うほどの金利引き上げを行なってインフレ鎮静化を実現する時,ドルで国際取引を行っている他国はどうなるのか?とくに途上国の対外債務はどうなるのか?ここにこそ真の問題がある。

 幸か不幸か,これまでのところドルは途上国よりも先進国通貨に対して切り上がっている。これは上述した日本独自の低血圧的状況と,ウクライナ戦争をきっかけとしたヨーロッパ経済の急減速によるものだ。しかし途上国通貨に対しても切り上がっていることには変わりはない。「あまりにも多くの低所得国が過剰債務に陥っているか、陥りかけている。ソブリン債危機が相次ぐことを回避するためには、最も影響を受けている者を守るために主要20か国・地域(G20)共通枠組みを通じた秩序ある債務再編における進展が急務だ。直に時間がなくなるかもしれない」(IMF経済顧問兼調査局長ピエール・オリヴィエ・グランシャ)(※2)。

 危機はどこから発火するかわからない。イギリスの国債市場不安に見られるように,先進諸国が発火点になることもあり得る。問題は,どこから発火しようと金融グローバリゼーションのために燃え広がることである。念のため,その際に予想される最悪の行為を想定しておかねばならない。それは,危機がアメリカ以外のどこかで生じたときに,FRBが,アメリカとは関係ない話だとして金利引き上げを続行し,政府も事態を見過ごすことである。これこそ,世界を金融危機に陥れる行為である。国際機関と各国は,FRBとアメリカ政府が,「アメリカのインフレのこと以外は考えなくてよい」という,自己中心的見解で行動しないように,監視,助言,批判を行うべきだろう。アメリカに警戒の目を向けるべき時である。

※1 「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。

※2 ピエール・オリヴィエ・グランシャ「世界経済の雲行きが悪化し始めた今、政策当局者にはしっかりした舵取りが求められる」IMFブログ,2022年10月11日。


2022年10月20日木曜日

金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済

 IMF「国際金融安定性報告書」(2022年10月版)要旨より(日本語公式テキスト。明らかな誤字のみ修正)。

「国際金融環境は今年,著しく引き締まり,これを受けマクロ経済のファンダメンタルズが弱い新興市場国やフロンティア市場国の多くで資本流出が見られる。経済・地政学的な不確実性が高まる中,投資家のリスク選好度は9月に大幅に低下した。状況はここ数週間で悪化しており,システミックリスクの主要な指標となるドルの調達コストやカウンターパーティの信用スプレッドなどが上昇した。金融環境が無秩序に引き締まるリスクがあり,長年にわたり積み重なった脆弱性により変動がさらに高まる恐れがある。」

IMF「世界経済見通し」(2022年10月版)第1章より(DeepL翻訳を推敲した拙訳)。

「ウクライナ戦争は,いくつかの新興市場や途上国のソブリン・スプレッドの拡大を促した。この拡大は,パンデミックによる記録的な債務に起因する。インフレが高止まりすれば,先進国のさらなる政策引き締めが,新興国や途上国の借入コストに圧力をかける可能性がある。一部の大規模な新興国経済は,良好なポジションにある。しかし,ソブリン・スプレッドがさらに拡大した場合,あるいは現在の水準が長期にわたって続く場合,多くの脆弱な新興国や途上国,特にエネルギーや食料価格のショックで最も大きな打撃を受けた国にとって,債務の持続可能性が危険にさらされる可能性がある。(中略)資本流出の急増は,多額の対外資金需要を抱える新興市場経済や途上国経済にも苦境をもたらすかもしれない。これらの経済圏で債務危機が拡大すれば,世界の成長に大きな打撃を与え,世界的な景気後退を引き起こす可能性がある。さらにドル高が進めば,債務危機の可能性はさらに高まる。新興国や途上国の通貨安は,多額のドル建て純債務を抱える国々のバランスシートの脆弱性を誘発し,金融の安定に直接的なリスクをもたらすかもしれない。」

 コメントする。

 2020-2021年のコロナ・パンデミックにおいて,突如として経済活動の停止に直面した各国は,そろって金融を緩和し,国債を発行して財政を拡大した。アジア経済危機や世界金融危機にそれなりに学んだ国際機関と諸国の中央銀行・政府が,経済危機下において流動性を供給し,弱者を保護しなければならないという政策規範を持つようになっていたからだ。そして,不幸中の幸いというべきか,世界信用恐慌を防ぐことには成功した。

 しかし,金融緩和と財政拡張は,実体経済が停滞した分だけ,株式や国債への資金集中をもたらした。金融商品は,停滞した実体経済の実力以上に買われたと言わざるを得ない。各国政府は,足並みをそろえて株式バブルと国債バブルを起こし,それによってなんとか世界経済の崩壊を防いだのだとも言える。

 その代償は,経済回復とともに進行するインフレーションだった。そこに終わらないパンデミック,熱波や干ばつ,そしてロシアのウクライナ侵略を起点とした通商分断が追い打ちをかけている。世界の金融センターであるアメリカとEUは,自国・地域のインフレ沈静化を何より優先し,金利を継続的に引き上げている。またイギリスのような混乱はあるものの,財政を全体として引き締めている。しかし,自国・地域のことだけを考えた引き締め政策が,途上国経済や,先進諸国を含めて世界に存在している金融的に脆弱な分野・人々を直撃することになる。問題は各国のインフレだけではない。ディマンド・プルインフレより不況が問題な中国や日本にしても,自国の不況だけが問題なのではない。リスクは世界規模で存在する。

 2022年現在,パンデミックの最悪期と異なり,需要は回復し,経済活動は再開されている。他方,パンデミック期に撒布されたマネーは,行き先を求めている。多少なりとも盛り上がった活動にマネーが集中してブームを引き起こせば,それが引き締めによって崩壊したときの衝撃もまた大きい。どこかでの局地的なショックが,世界的な株式・国債バブルの崩壊と金融危機を引き起こしかねない。

 危険は広く存在している。しかし,どの地域のどの分野にもっとも脆弱なポイントがあるのか。どこの小さな崩壊が大きな崩壊につながる恐れがあるのか。イギリスの見当はずれの財政政策に対する債券市場の反応か。中国の不動産不況が予想以上に深いものであることか,またもアメリカの住宅市場の停滞か,どこかの株式市場の暴落か,どこかの途上国で生じる民間もしくは政府の外貨建て債務のデフォルトか,それはあまりに予想しがたい。燃料はばらまかれているのだが,どこに偏っており,加熱したときにどこに火が点くかはわからないのである。

 そして問題なのは,金融危機に火が付きかけた時に,マクロ経済政策がどう対処すべきかだ。繰り返すが,アジア経済危機以来の教訓は,金融危機時に引き締めを行ってはならないということであり,それはもっともなことだ。しかし,現在,日本を除く先進諸国はディマンド・プルの貨幣的インフレに直面しており,中国を除く途上国も同じである。金融危機が生じれば流動性を無制限に供給し,弱者を救済する以外にまともな道はないが,それではインフレに火をくべることになる。さりとて,現在のようにインフレ抑制優先の引き締めを危機が発生した際にも続ければ,危機は加速する。これは,アジア金融危機やリーマンショックの時にはなかったジレンマである。世界経済はリスクの高まりと政策的ジレンマに直面しつつある。


IMF「国際金融安定性報告書 高インフレ環境の舵取り」2022年10月。

IMF「世界経済見通し 生活費危機への対処」2022年10月。


2022年10月13日木曜日

IMF, World Economic Outlook2022年10月:インフレ,戦争,パンデミックに苦しむ世界経済。低体温の日本経済

 IMF「世界経済見通し」(World Economic Outlook)最新版が公表された。副題は「生活費危機への対処」(COUNTERING THE COST-OF-LIVING CRISIS)。

 GDP成長率見通しはウクライナ戦争前と比べて大きく下方修正されており,見通しは暗い。「物価は数年ぶりの高水準を上回っている。生活費の危機や、大半の地域で見られる金融環境の引き締まり、ロシアのウクライナ侵攻、長引く新型コロナウイルスのパンデミックがすべて、経済見通しに重くのしかかっている」(日本語版要約ページ)。おおむね2022年よりも2023年の方が成長率が低くなると予想され,また予想の下方修正度も高い。特異欧米先進国への打撃が大きい。新興国は成長率で見ると相対的に打撃は小さいが,高い物価上昇率が低所得層にダメージを与えている。

 この中で日本は低位安定状態を保つと予想されており,意外にも2023年の成長率は先進国で最高となっている。物価上昇率も,日本で暮らす当人には深刻だが,他国ははるかに高い上昇率を示している。私の理解では、日本はコロナ後の回復が弱々しいのだが、それ故に今のところ需要超過インフレや貨幣的インフレに火が点いておらず、コストプッシュインフレだけが起こっている低体温な状態だ。

国際通貨基金(IMF)日本語ページ

※欧米と日本のインフレの性質およびインフレ対策の違いについての拙論は以下をご覧ください

「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。



2022年4月27日水曜日

砲火の背後で企業は政治的選択を迫られ,貿易と投資が縮小していく

 ロイターによれば,中国のドローン大手DJIは,ロシア・ウクライナ事業を一時停止したと発表した。「危害を与えるため当社のドローンが使われることを好まない。戦闘に使われることがないようこれらの国で販売を一時停止する」とのこと。しかし,高口康太氏の記事からすると,その背景には,DJIが提供するドローン検知サービス「エアロスコープ」をロシア軍が使っているのに,なぜかウクライナ側が使えず,ウクライナのフェドロフ副首相がDJIに抗議したという経緯があるようだ。

 DJIの選択肢は,ドローンが両軍によって等しく軍事用に用いられるようにするか,疑われたようにロシアに味方するか,中国政府の姿勢に反してウクライナに味方するか,取引を停止するかであった。最初の一つを選べば戦争のエスカレートを担うことになる。真ん中の二つは政治的に立場を選ぶことであり,前者を選べば多くの国の市場で,後者を選べば中国国内で会社の立場を危うくする。最後の一つは選択を避けて事業を縮小することであった。ここで言いたいことはDJIに政治的にどうこうしろということではない。経済的に,後の方の3つが,いずれも取引を縮小するものであったことに注意を促したいのだ。

 この戦争が決着するにしても,どの国とも政治的立場を気にせず自由に取引できるという環境は戻らないであろう。立場を選ぶか,それが嫌なら撤退するかを迫られる時代となる。こうした立場に追い込まれるのは中国企業だけとは限らない。どの国の企業であれ,取引をすることが対立する諸陣営のどれかにつくことを意味してしまい,いちいち選択を迫られることになりかねないのである。

 企業が経営を守るために選択することは,よほど人道に反しない限りはやむを得ない。あるいは,人道のために利益を捨てることもあるだろう。繰り返すが,ここでは企業がどうすべきかを言いたいのではない。多くの企業の選択を通して,世界全体として貿易と投資が制約され,産業と生活に打撃を与えるだろうということを強調したいのである。砲火の背後でそうしたプロセスが進行していることに注意しなければならない。


「中国ドローン大手DJI、ロシア・ウクライナ事業を一時停止」2022年4月27日。

高口康太「海外展開が困難に? 中国企業が抱える大きな難題」WEDGE REPORT,2022年4月20日。



2022年3月16日水曜日

再論:コルレス契約が制限されない限り,SWIFT排除だけでは国際決済からの排除にはならないことに注意すべき

 ロイターの記事「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」(2022年3月8日)は,SWIFTから排除されたロシアの銀行が使う代替手段には限りがあると指摘している。確かにその通りだろうが,逆に言うと代替手段がないわけではないことには注意を要する。今後も,ロシアの政府・銀行は様々な抜け道を探るだろう。だから代替手段について研究しておくことは制裁の効果を見極めるうえで有意義である。

 記者が気づいているのかどうかわからないが,この記事が最後に紹介している手段が,実は最もオーソドックスである。

「ロシアの銀行にとってより適切な代替手段は、ロシア製品を輸入した業者から代金を受け取り、ロシアの輸出業者に支払いを行う海外の取引銀行との間で、電話やファックス、メッセージングアプリを使った特別の送受信システムを構築することだ。」

 これは特別なことではない。「メッセージングアプリ」を「テレックス」にでも置き換えれば,単に「昔に戻る」だけのことである。

 以前にも書いたように,SWIFTは国際決済システムそのものではない。通貨が国ごとに異なっており,金や貴金属の現送での支払いがもはや行われていない世界では,世界通貨が存在しないからである。なので,国際決済は,必ず特定の通貨で,特定国の中央銀行の預金システムを介して行わねばならない。だから,各国の銀行は決済を行う国の銀行とコルレス契約を結び,共通の中央銀行に預金を持つコルレス銀行同士で決済してもらうのである。SWIFTは,ICTとメッセージ標準化により,これを効率化するシステムであって,それ以上でもそれ以下でもない。これはICTが未熟だからではなく,世界が諸国に分かれて別の通貨を用いているという制度の問題である。

 この記事が紹介している方法は,コルレス契約を使った決済を,SWIFTをつかわずにやるだけのことである。恐ろしく面倒で,コストがかかるから小口取引が排除され,時間がかかり,不正確になるだろう。しかし,原理的に不可能ではない。

 もちろん,現実にはSWIFTからの排除だけでなくロシアの銀行との対外送金業務自体が制限されているので,決済ははなはだしく制約される。しかし,SWIFTからの排除自体が国際決済をただちに不可能にするものではないことは,この記事からも読み取っておく必要がある。

「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」REUTERS,2022年3月8日。


2022年3月9日水曜日

The End of Post-Cold War Globalization: Shaking by U.S.-China Conflict, Blow by Russian Invasion and Western Economic Sanctions

As Ian Bremmer says on March 4  (Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022), Putin's invasion of Ukraine is riddled with miscalculations. The Russian army is weak, Ukrainian resistance is stubborn, the West is tightly united, and Russian civil life suffers. "Putin's likely 'victory' on the battlefield guarantees that he will never achieve his core political objective and the one reason he chose to invade Ukraine in the first place: to make Russia great again." I would like to see Russia withdraw militarily, but even if that does not happen, I think that Russia's power will be weakened politically through this war.

 But if Putin's regime and Russia's political power are weakened politically, what will be the economic consequences? The changes brought about by sanctions against Russia will be irreversible, and the effects will be felt throughout the global economy. As Bremer puts it, "The rapid and forced decoupling of the Russian economy from the global trading and financial system will head toward severe economic stagnation (i.e., double-digit recession and inflation), impoverishing both ordinary Russians and oligarchs alike." The problem is that it is unlikely to be just during this war. Unless Putin's regime falls and a Western-friendly government is immediately installed in Russia, this decoupling will continue to some extent even after the war comes to some conclusion. Russia may try to return to the global economic system. Still, it will consider the global economic system dominated by the U.S. and the EU. Moreover, it will try to build another economic bloc with countries with the same awareness of the problem, i.e., China and its friendly countries.

 Of course, this is not a reversion to the Cold War economy. The Russian economy does not carry the same weight in the world as the Soviet economy did in the past. Nor is Russia or China a planned economy, nor do they intend to build an economy that is closed to the outside world. Nevertheless, the war of aggression against Ukraine and the sanctions to Russia will result in a more fragmented world economy than we have seen so far. I don't want that to happen, but as an economist, I predict it.

 The world economy may well be at the end of post-Cold War globalization. While some may argue that globalization is economically inevitable, a distinction must be made between globalization in general and "Post-Cold War globalization" in particular. We must not close our eyes to the difference between the two. However, since the term "globalization" itself is ambiguous, I will limit my discussion here to economic globalization, i.e., the actual progress of trade and investment liberalization based on policy guarantees.

 Economic globalization in the post-Cold War era means the following. After the end of the Cold War and the collapse of the Soviet Union and Eastern European planned economies, the economic development strategies of most countries in the world had to be based on trade and investment liberalization with certain political reservations. This period, which lasted for about 30 years, does not mean that the universal truths of market fundamentalism and economics of freedom of trade and investment have finally been realized. Even after the collapse of the Soviet and Eastern European regimes, various regimes continued to exist in world politics. China and Vietnam continued to advocate socialism politically, although their economic reality is capitalism with strong state intervention. Some countries had broken away from socialism but still favored authoritarian rule, such as Russia. So while Branko Milanovic said that "Capitalism Alone" remained in the world, there was not single free, democratic market economy like a textbook, but rather a competition between "liberal meritocratic capitalism" and "political capitalism." There are two kinds of capitalism, no matter how small the estimate. And it is possible to think of much more varied capitalism, and they are being discussed.

 Economic globalization in the post-Cold War period was not automatically realized because economics was right. Nor was it because a single regime covered the world with agreement on the details of the political regime and the market economy. Globalization, in general, is a kind of abstraction. In reality, post-Cold War globalization has promoted trade and investment liberalization for the past 30 years while maintaining a political consensus that dares to put aside political and diplomatic differences. There was a widespread political agreement to pursue the economic interests of both sides, with "market economy" and "trade and investment liberalization" as somehow common terms. Of course, there were various interpretations of the terms "market economy" and "trade and investment liberalization." But an agreement to remain committed to those terms was crucial. Some might say there was no agreement, only compromise, but either is acceptable here.

 This agreement or compromise was already crumbling due to the U.S.-China confrontation. It became impossible to put aside differences in political and foreign policy for free trade of semiconductors for 5G base stations and smartphones. It became difficult to choose the location of semiconductor factories based solely on economic calculations. And now, a rapid collapse is coming. The U.S., EU countries and Japan can no longer tolerate the Russian central bank managing foreign currency reservations, Russian banks conducting international payments through SWIFT, and Russian aircraft flying over Europe.

 Even in this phase, it is possible to defend the benefits of globalization in general from the standpoint of economics, or rather economics alone. For example, the "second unbundling" promoted by ICTs, which Richard Baldwin describes in "The Great Convergence: Information Technology and the New Globalization" or the benefits of the international division of labor between processes, continues to exist. So it is possible to ask public opinion and policymakers to respect economic rationality. However, it is no longer possible to persuade them to put aside political and diplomatic differences solely based on mutual benefits from economic rationality, as has been the case for the past 30 years. It became gradually more difficult at the time of the U.S.-China decoupling and is unthinkable now in the face of the Russian invasion of Ukraine. Just as considering economic interests objectively, it has become challenging to promote globalization if one looks at current international politics objectively.

  Post-Cold War globalization is coming to an end. The era in which liberalization of trade and investment can be promoted with the involvement of almost all countries of the world, leaving political and diplomatic conflicts aside, is coming to an end. I do not want it to happen, but I think it will be a high probability.


2022年3月6日日曜日

ポスト冷戦期グローバリゼーションの終焉:米中対立による揺さぶり,ロシアの侵略と西側諸国の経済制裁による一撃

 イアン・ブレマー氏が3月4日に発表した文章で言う通り(Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022),プーチンによるウクライナ侵攻は誤算だらけだ。ロシア軍は弱く,ウクライナの抵抗は頑強で,欧米諸国はおおむね結束しており,ロシアの国民生活が被害を受けている。「戦場におけるプーチンのあり得べき勝利は,彼が,自らの核心的な政治目標であり,ウクライナを侵略することを選択した一つの動機であること,すなわち『ロシアを再び偉大にする(make Russia great again)』ということを,決して達成できなくする」。私も,願望としては軍事的にもロシアに撤退して欲しいが,それがかなわないとしても,この戦争を通して政治的にロシアの力は弱まるだろうと予想する。

 だが,政治的にプーチンの体制とロシアの政治力が弱体化するとして,その経済的結果はどのようなものだろうか。ロシアへの制裁がもたらす変化は不可逆的であり,またその影響は世界経済全体に及ぶ気配が濃厚だ。ブレマー氏の言う通り「グローバルな貿易・金融システムからのロシア経済の急速で強制的なデカップリングは,深刻な経済停滞(すなわち2桁の景気後退とインフレーション)に向かい,ロシアの普通の人々とオリガルヒ(新興財閥)をともに困窮させることになるだろう」。問題は,それがこの戦争中のことだけとは思えないことだ。プーチン政権が倒れてロシアに欧米と融和的な政権が直ちに成立でもすれば別であるが,そうでない限り,このデカップリングは,戦争が何らかの終結を見た後も,ある程度継続するだろう。そして,ロシアはグローバルな経済システムに復帰しようとするだけでなく,むしろグローバルな経済システムはアメリカやEUが牛耳るものとして一層警戒し,おなじ問題意識を持つ諸国,つまり中国などとともに別の経済圏を構築しようとするかもしれない。

 もちろん,それは冷戦期の経済への逆戻りではない。ロシア経済には,かつてのソ連経済ほどの世界における重みはない。またロシアも中国も計画経済ではないし,対外的に全く閉じた経済を構築するつもりもないだろう。しかし,それでも,このウクライナ侵略戦争と,それに対する制裁がもたらすものは,これまでよりも分断された世界経済になるだろう。私はそうなることを希望しないが,経済学者としてそう予測する。

 世界経済は,ポスト冷戦期グローバリゼーションの終わりを迎えるのかもしれない。グローバリゼーションは経済的に不可避だと主張する人がいるかもしれないが,グローバリゼーション一般と「ポスト冷戦期グローバリゼーション」は区別されねばならない。両者の違いに目をつむってはならない。ただし,どう形容してもグローバリゼーションという言葉自体が多義的であるため,ここでは話を経済的グローバリゼーション,すなわち貿易・投資の自由化を政策的に保証したうえで,実際にそれらが進展することに限る。

 ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションとは,冷戦終結とソ連・東欧の体制崩壊の後,世界のほとんどの諸国の経済開発戦略が,一定の政治的留保の下で貿易・投資の自由化を基調とするものにならざるを得なかったことを意味する。約30年間継続してきたこの時代は,普遍的な真理である市場経済と貿易・投資の自由がついに実現したことを意味しない。ソ連・東欧の体制崩壊後も,世界政治には種々の体制が存在し続けた。中国やベトナムは経済的実態は国家介入の強力な資本主義なのだが,政治的には社会主義を標榜し続けた。社会主義とは縁を切っても,ロシアのように権威主義的統治を良しとする諸国も存在し続けた。だからブランコ・ミラノヴィッチは世界に『資本主義だけ残った』(Capitalism Alone)としながらも,そこでは教科書のような単一の自由と民主主義と市場経済があるのではなく,「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」が競っているとしたのである。資本主義はどんなに少なく見積もっても2種類ある。そしてもっと様々な資本主義を考えることも可能だし,現に議論されている。

 ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションがグローバリゼーションでありえたのは,経済学が正しいから自動的にそうなったのでもないし,政治体制と市場経済のあり方について細部まで合意ができて,世界が単一の体制におおわれたからでもない。グローバリゼーション一般は一つの抽象である。現実に過去30年間推進されたのは,政治・外交上の相違を敢えて脇に置くという,それ自体政治的な合意を維持しながら,貿易・投資の自由化を推進したポスト冷戦期グローバリゼーションである。「市場経済」と「貿易・投資の自由化」を何とか共通の言葉として,双方の経済的利益を図ることでの政治的合意が広く存在したのである。もちろん「市場経済」や「貿易・投資の自由化」という言葉の解釈もさまざまであった。しかし,その言葉にコミットし続けようとする合意が肝心であった。合意などなく妥協だけがあったという人がいるかもしれないが,ここではどちらでも構わない。

 この合意・妥協は,米中対立ですでに崩れつつあった。政治・外交方針の違いを脇に置いて,5Gの基地局やスマホ用の半導体を自由に取引し,経済計算のみによって半導体工場の立地を選ぶことはすでにできなくなりつつあった。そしていま,急速な崩壊が訪れつつある。ロシアの軍事行動の是非を脇に置いて,ロシア中央銀行が外貨を運用し,ロシアの銀行がSWIFTで国際決済を行うこと,ロシアの航空機がヨーロッパを飛ぶことを,アメリカやEU諸国や日本は容認できなくなった。

 この局面にあっても,経済学的に,むしろ経済学だけの見地から,グローバリゼーション一般の利益を擁護することは可能である。例えば,リチャード・ボールドウィンが『世界経済 大いなる収斂』で述べる,ICTが促進した「第二のアンバンドリング」,つまり工程間国際分業の利益は,いまなお存在し続けている。だから,世論や政策担当者に対して,経済合理性を尊重しろということは可能である。しかし,過去30年間のように,経済的合理性による相互利益のみを理由に,政治・外交上の相違を脇に置けと説得することは,もはや困難である。米中デカップリングの時点で徐々に困難になりつつあったし,ロシアによるウクライナ侵略については考えられない。経済的利益が客観的に考えられるように,現在の国際政治を客観的に見れば,グローバリゼーションの推進を図ることが困難になったのである。

 ポスト冷戦期グローバリゼーションは終焉を迎えようとしている。政治や外交を脇に置いて,貿易・投資の自由化を,世界のほとんどの諸国を巻き込んで推進できる時代が終わろうとしているのである。私はそうなることを望まないが,そうなる確率が高いだろうと考えている。

2022年2月27日日曜日

ロシア中央銀行に対する金融制裁:どのように行うのか,どこまで有効か,金と中国元は抵抗要因になるか

  欧州委員会,フランス,ドイツ,イタリア,イギリス,カナダ,アメリカの共同声明(※1)によれば,ロシアへの金融制裁として,いくつかの銀行に対するSWIFTからの排除と,中央銀行の国際準備資産運用の制限が実施される。

 SWIFTからの排除とはどのようなものであるかについては前稿で述べた。ここでは,国際準備資産(金+外貨準備)の運用制限とは何に対して,どのように行われるのかを考えよう。

 日本では外貨準備高は外国為替資金特別会計がほとんどを持ち,日本銀行が一部だけを持っている。私はロシアの制度に疎いのだが,どうもロシアでは連邦中央銀行が管理しているようである。というのは,ロシア連邦中央銀行のバランスシートを見ると,外貨建て資産がやたらと大きな割合を占めているからである。総資産は54兆2888億8600万ルーブルだが,そのうち32兆5364億8700万ルーブル,59.9%が「非居住者に預けられた資金と非居住者によって発行された証券」,つまり外貨建て資産である(※2)。ロシア国内への貸し付けよりも,ロシア国債保有高よりもはるかに大きいのだ。よって,今回の制裁はロシア中央銀行の行動を縛るものとなる。

 国際準備資産の運用とは,金の国際取引か外貨準備をもちいた為替介入であり,主要には後者だと考えられる。為替介入資金の決済は,介入に用いられる通貨を発行している中央銀行預け金勘定間の振り替えによって行われる。その作業にもSWIFTは用いられるようだ(※3)。

 今回の制裁では,欧米各国の中央銀行が,この振替をできなくするということだろう。例えば,ロシア連邦中央銀行がドル売り・ルーブル買いやユーロ売り・ルーブル買いを行おうとしても制限される,ということなのかと思う。

 この場合,ルーブルの対ドルレートや対ユーロレートが下落することが予想できる。ただ,これによりロシア中央銀行の国際準備資産価値がどれほど毀損されるかは,よく考えておく必要がある。国際準備はドルとユーロだけで構成されているわけではないからだ。

 公式データによるとロシア連邦中央銀行の国際準備資産は以下の通りである(※4 2022年1月31日。単位は100万ドル)。

国際準備 630,207
 金 132,256(21.0%)
 外貨準備 497,951(79.0%)

そして外貨準備の構成は以下の通り
 外貨 468,631
    SDRs   24,085
    IMF準備 5,235

 まず金が21.0%とかなり多いことが目を引く。ロシアについては国際準備(International reserves)と外貨準備(Foreign exchange reserves 金含まず)はわけておかないと混乱しそうだ(ちなみに日本では金を含めて外貨準備と呼んでおり,金の割合は3.5%。※5)。

 外貨準備はドル,ユーロ,中国元などからなる。近年はドルの比率を急落させ,ユーロ比率も低下させており,かわって中国元比率を上げている。上記の表より少し古い2021年の6月30日現在の公式データによると(※6),金と外貨準備合計を100%とした際の比率は以下の通り。

金 21.7%
ユーロ:32.3%
ドル:16.4%
中国元:13.1%
ポンド:6.5%
日本円:5.7%
カナダドル:3.0%
オーストラリアドル:1.0%
スイスフラン:0.3%

 金は本当に金の現物で保有されるが,外貨は現金で保有されるわけではない。その形態は同じく2021年6月30日に以下の構成を取る。

海外の政府証券または政府保証証券 38.0%
外貨預金 24.1%
金 21.7%
海外非政府証券 10.3%
国際機関証券 4.1%
対外リバースレポ(債券担保貸付) 0.7%
IMFポジション 0.7%
ロシアの取引相手に対する外貨請求権 0.1%
海外の取引相手に対する外貨供給請求権 0.0%

 もちろん,対ドル・対ユーロレートが暴落すれば資産価値は毀損される。しかし,ロシア中央銀行は中国元や金もかなり抱えているので,この危機に際しても,中国元とのレートは相対的に安定させやすいかもしれないし,国際準備の枯渇,対外債務支払いの困難という事態に直ちに直面するとは限らない。そして,対中国元レートが相対的に安定すれば,民間経済主体も中国との取引を選ぶように動機づけられるだろう。

 この制裁がロシアの対外金融取引をどこまで困難に追い込むかは,よく観察する必要がある。

※1 Joint Statement on Further Restrictive Economic Measures, Statements and Releases, The White House, February 26, 2022.

※2 Bank of Russia, Statistical Bulletin, No.1(344), 2022p. 75

※3 日本銀行金融市場局為替課「日本銀行における外国為替市場介入事務の概要」2018年3月。

※4 International Reserves of the Russian Federation (End of period), Bank of Russia.

※5 財務省「外貨準備等の状況(令和4年1月末現在)」2022年2月7日。

※6 Bank of Russia Foreign Exchange and Gold Asset Management Report, No.1, 2022, pp. 6-7.


2022年2月26日土曜日

ロシアのSWIFTからの排除で何ができて,何はできないか

 ロシアに対する経済制裁の選択肢としてSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除が話題になっている。しかし,上垣彰先生の示唆で気づいたのだが,どうも一般にはその作用が過大に理解されているように思える。

 どこが過大か。それは「SWIFTから排除されるとロシアは国際決済ができなくなる」かのように報道されたり語られたりしていることである。私は『報道ステーション』だけでも少なくともこの種の説明を2回聞いた。しかし,そうではない。「国際決済が非効率で不便になる」のであり,それ以上でもそれ以下でもない。

 公式サイトの日本語ページにあるように,SWIFTとは,「金融メッセージングフォーマットの標準と、メッセージングのためのプラットフォームを業界に提供し、そのネットワークへのアクセスと業務との統合、認証確認、データ分析、法令遵守を容易にする製品とサービスを提供」するものである。「SWIFTはお客様の代理として資金の保持あるいは口座の管理をいたしません。」とも書いてある。SWIFTは国際決済を担う金融機関ではないのであって,金融機関同士が決済する際の効率をあげるプラットフォームと技術を提供しているものである。だから「SWIFTのメッセージサービスは,それまでのテレックスに取って代わった」などと言われるのだ。

 なぜ,SWIFTはこのようなものであり,このようなものでしかないのか。それは,諸国に分かれた世界経済には,国際決済を直接行える国際通貨も超国際的金融機関も存在しないからである(※)。いくらITが発達してもないものはない。国際送金はドルなりユーロなりの特定通貨で行うしかない。もちろん,ドル札を飛行機や船で運ぶわけではないので,預金口座で決済する。しかし,預金口座というのは基本的に各銀行のものであり,直接には互換性がない。たとえ同じ国で同じ通貨を使っていてさえも,A銀行とB銀行が存在するだけでは送金はできない。もちろんA銀行からB銀行に現金を輸送すればできるが,まったく現実的でない。銀行どうして銀行振替をする必要があり,それには両銀行が共通に口座を持っている中央銀行が必要なのである。例えばA銀行からB銀行に1億円送るのであれば,A銀行の中央銀行当座預金を1億円減らし,B銀行の中央銀行当座預金を1億円増やす預金振替によって行うのだ。

 では,A銀行とB銀行が異なる国であったらどうか。共通の中央銀行はない。そもそも通貨も異なっている。では,いったいどうやって国際決済するのか。SWIFTが決済するのではない。間接的な取引を積み重ねて,最後に,共通の中央銀行口座を持つ特定国の銀行同士で決済してもらうしかない。これを可能にしているのがコルレスバンキングというしくみである。

 例えば,日本のa社から,アメリカでないB国のb社にドルで送金しようとする。a社の取引銀行である日本のJ1銀行からb社の取引銀行であるB国のB1銀行に送金しなければならないが,直接送金はできない。なので,J1銀行もB1銀行も,アメリカ国内で中継地点となってくれる銀行を必要とする。こういう中継地点となる契約を結んでいる相手をコルレス銀行,コルレス先という。 

 送金のためには,J1銀行のコルレス先アメリカのUS1銀行から,B1のコルレス先アメリカのUS2銀行に送金してもらえばよい。US1銀行とUS2銀行の間の決済ならば,両銀行が連邦準備銀行にもつ当座預金を使って行うことができる。そして,US1銀行-J1銀行-a社の間で預金残高を調整し,US2銀行-B1銀行-b社の間で預金残高を調整する。もちろん,この時為替レートの影響を受ける。そして,複雑な国際手続きになるので,時間がかかったりエラーが起こったりしやすい。

 SWIFTは,標準フォーマットや情報技術により,この取引を効率化するものである。それ以上ではない。具体的な取引の実務には私も通じていないが,ロシアの銀行をSWIFTから排除すれば,ロシアと各国の間での国際送金は不効率になりコスト高になり,遅くなり,不正確にさえなることはまちがいないだろう。しかし,コルレス契約を拒否されなければ(各国や銀行はその措置もとるだろうが),国際決済が不可能になったり禁止されたりするわけではない。不正確を承知でたとえるならば,業界共通の情報システムへの入出力ですむしくみが,取引先ごとに異なる端末とフォーマット,最悪の場合各社各様の伝票の山に戻るとか,そういう類の不便さと考えていいと思う。それはそれで重大なことであり,企業・金融機関がロシアとの取引をためらう理由になるかもしれない。しかし,SWIFT排除だけで国際決済が不可能になるわけではない。あくまでもそういうものとして,SWIFTからの排除は論じられるべきではないか。

※日常用語ではドルは国際通貨と言われる。しかし,この記事を最後までお読みいただくとわかる通り,直接に国際的支払手段となるものとそうでないものを区別する立場に立つならば,前者の意味ではドルもドル建て預金も国際通貨ではない。

2021年8月3日火曜日

「目の前には資本主義しかない」:ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』は何を語るか

 ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』みすず書房,2021年。本書は,骨太な現代資本主義論であり,様々な角度から検討すべき論点を含んでいる。一度に整理できないので,何度かに分けてノートしたい。

 まず今回はタイトルについて。現代はCapitalism, Alone: The Future of the System That Rules the Worldである。このメインタイトルに「だけ残った」というニュアンスはあるのだろうか。「だけ残った」というのは,端的に「社会主義が消えて」ということのように思えるのだが,本書の趣旨は「残った」と言う「過去から現在へ」の視線ではないと思う。副題が示すように,「現在から未来へ」の視線で資本主義を捉えているのだ。直訳すれば「資本主義だけがある」であり,ニュアンスとしては「資本主義だけの世界」「資本主義しかない現実」「ただ資本主義だけが存在する、いま」ではなかろうか。

 われわれの目の前には資本主義しかない。なぜなら中国も資本主義だと著者は考えているからだ。資本主義の主要なタイプを著者は「リベラル能力資本主義」(liberal meritocratic capitalism)と「政治的資本主義」(political capitalism)に二分する。一方において,著者はいわゆる西側の資本主義国における従来の分類,たとえばアングロサクソン型,ライン型などの分類をとらず,アメリカを代表として欧米先進諸国はみなリベラル能力資本主義であるとする。さほど明確に述べていないが,日本もここに含まれるのだろう。他方において,著者は中国は資本主義であり,政治的資本主義の典型であると断言する。そして,シンガポール,ベトナム,ビルマ,ロシアとコーカサス諸国,中央アジア,エチオピア,アルジェリア,ルワンダにも政治的資本主義が存在するという。

 ここで著者は資本主義について独特な定義をしているのではなく,マルクスとヴェーバーによって,社会で生産の大半が民間所有の生産手段を用いて行われ,労働者の大半が賃金労働者であり,生産や価格設定についての決断の大半が分散化した形でなされているのが資本主義だというだけである。だから著者にとっては,アメリカも市場経済化した中国も資本主義なのだ。

 二つの資本主義には違いもある。リベラル能力資本主義は,古典的資本主義や社会民主主義的資本主義と区別されるものである。キャリアが才能ある者に開かれているという点で「能力主義」であり,社会的移動性が存在するという意味で「リベラル」とされる。しかし,リベラル能力資本主義は,資本主義一般と同じく不平等をもたらす傾向がある,その上二つの独自性,つまり資本所得の金持ちが労働所得の金持ちでもあること,金持ち同士が結婚することにより,いっそう不平等を強化するのだという。他方,政治的資本主義は,支配政党やイデオロギーがどうあれ資本主義である。ただし政治的資本主義は「優秀な官僚」「法の支配の欠如」「国家の自律性」というシステム的特徴を持つのだという。こちらにも不平等はあるが,システムに独自な問題はむしろ腐敗である。

 目の前には資本主義しかない。ただし,大きな違いを持つ二つのタイプの資本主義がある。そして,資本主義しかないことそれ自体はしばらく変わらないだろうが,二つのタイプの資本主義には,重点は違えどともに不平等と腐敗という問題があり,それぞれ独特の矛盾も存在する。二つの資本主義が,今後はどのような資本主義になるかは,いろいろな選択肢があり得る。ただし,資本主義とはいずれもエリート層が支配するものであるから,その変化とは,効率の良いものへの自動的変化ではない。エリート層が,あるいはその支配に対する他の人々が,自らの立場を貫徹しようとする選択と行動の結果である。

 以上は本書が描く大まかな世界像の紹介である。あえて言えば,邦題によって,とくに私を含む一定以上の年齢層の読者が「資本主義しかないよなあ,そうだよなあ,しかたないよなあ。社会主義って何だったんだろうなあ」という本だと思い込んでしまわないための紹介である(そういう話もあるがメインではない)。そうではなく「気がつけばどこを見てもおおむね二つの資本主義しかないんだけど,一体,これからどうしろというんだ」という本なのだ。だから面白い,と私は思う。もちろん,面白いということと,著者の分析に賛同するということは異なる。考察と評価は,他日を期したい。

https://www.msz.co.jp/book/detail/09003/

2022年8月4日追記:読み終えてのノート
「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』最終章によせて」Ka-Bataブログ,2022年8月4日。






2021年7月15日木曜日

Book review: Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020

Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020 (The reviewer read the Japanese version translated by Eri Kosaka, published by Misuzu Shobo). This book has two theoretical backbones. One is "The General Theory of Employment, Interest and Money" by J. M. Keynes. The other is "Imperialism" by J. A. Hobson. Especially the author respects the latter. The book opens with a quote from Hobson, and the preface praises Hobson's insights.

 Why Hobson? Using the examples of China and Germany (and with Japan in mind), the author unravels the secret of the persistence of current account surpluses by using the term I-S balance, but differently than in conventional macroeconomics.

 The logic of the book, with some interpretation of mine, can be summarized as follows.

 A persistent savings surplus cannot be explained as the result of individuals saving and depositing. It should be seen as the result of the suppression of consumption in the country due to distributional inequality.

 The persistent current account surplus cannot be understood from the perspective of merchandise trade itself. First, excess savings are invested outward. Excess savings is what Hobson calls an "excess capital”. They create excess demand as unhealthy investment projects are carried out abroad. Excess demand, in turn, creates excess exports at home. Capital exports support commodity exports, not the other way around.

 Therefore, it is essential to raise people's income and revise inequality in countries with current account surplus, such as China, Germany, and Japan, to eliminate structural imbalances. Such measures increase domestic consumption and eliminate excess savings. This solution is just what Hobson emphasized.

 The arguments in this book are clear and persuasive. In particular, the reviewer thinks that the perspective of excess capital leads to meaningful insight. First, capital with no domestic investment destination is invested overseas, and then the purchasing power generated by that investment leads to commodity exports. This perspective reverse traditional thinking that commodities are exported first, and then the surplus is invested overseas. This book gives us a new approach to analyzing the world economy based on macroeconomic balance.

 Of course, some points need to be reconsidered. The emphasis on the active role of outward investment from surplus countries may lead to undervaluation of the role of financial institutions and corporations in organizing investment for unsound projects in deficit countries, such as the United States. Theoretically speaking, excess savings wandering around in search of investment is not a sole financing measure for investment. Money creation by bank loans is also an important measure.

 In addition, the author may be torn between the view that "investment generates the same amount of savings" and the view that "volume of saving limits investment." 

 However, even those questionable points are stimulant for readers. This book makes us aware of the importance of these theoretical issues to analyze the current world economy. It will be the mission of subsequent studies to solve the remaining puzzles.




マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年を読んで

 マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年。本書を理論的に導くのはJ・M・ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』とともにJ・A・ホブスン『帝国主義論』,とくに後者である。私が勝手に言っているのではない。本書冒頭にはホブスン(訳書表記はホブソン)からの引用が掲げられ,序文ではホブスンの洞察力が称えられている。

 なぜホブスンか。著者は,中国とドイツを例に(日本も念頭に置いて),経常収支黒字が継続することの秘密を,I-Sバランスの用語を用いて,ただし通常のマクロ経済学とは異なる仕方で用いて解き明かしているのだ。

 本書の論理を,多少の解釈を加えて強引に要約すると以下のようになる。

 継続的な貯蓄余剰は,個人がせっせと節約して預金した結果としては説明できない。分配の不平等により,その国の消費が抑圧された結果と見るべきである。

 継続的な経常収支黒字は,商品貿易それ自体からでは理解できない。まず過剰貯蓄が対外投資される。ホブスンの言う「資本の過剰」である。それによって不健全な投資プロジェクトが海外で実行されることで超過需要が生まれ,それによって自国の輸出超過が生じる。資本輸出が商品輸出を支えるのであって,逆ではないのだ。

 したがって構造的不均衡をなくすためには,中国,ドイツ,日本など経常収支黒字国での賃金抑圧をはじめとする不平等な分配を改善して国内の消費を高め,過剰貯蓄を解消することが不可欠である。これもホブスンが強調したことにほかならない。

 本書の主張は極めて明快であり,説得力は強力だ。とりわけ,「まず商品が輸出され,その黒字が海外投資される」のではなく,「まず国内に投資先のない資本が海外投資され,そこで生み出された購買力が商品輸出をもたらす」という視点は,マクロバランスに基づく世界経済分析を刷新するものだと思う。

 むろん検討すべき点はある。経常収支黒字国側の対外投資の能動的役割を強調し過ぎると,アメリカを代表とする経常収支赤字国の側において,不健全なプロジェクトへの投資を組織する金融機関と企業の役割を過小評価することになるかもしれない。理論的に言えば,投資をファイナンスするのは,投資先を求めてさ迷う貯蓄だけではない。信用創造を通した借り入れによる通貨膨張によってもファイナンスされるはずだ。さらに言えば,著者は「投資が同額の貯蓄を生み出す」と見る見地と「現存する貯蓄が投資の量を制約する」という見地の間で迷っているようにも見える。

 しかし,これらの問題点すら読者の思考を刺激してくれる美点である。これらの理論的諸問題が現状分析にとって持つ重要性に気づかせてくれること自体が,本書の功績なのだ。残されたパズルを解くのは後に続く研究が負うべき使命である。



2021年3月30日火曜日

World Inequality DatabaseにみるG7諸国,日本,中国の所得集中(2013-2019年)

 「日本経済」講義準備。世界経済の動態と格差編。ピケティらのWorld Inequality Databaseを使った所得集中のグラフを更新。対象は個人の税引前所得。2年前に作図した後にデータが更新されており,日本の数値は WIDのチームが作成したMarc Jenmana; Rowaida Moshrif and Li Yang(2020),“Regional DINA update for Asia”にしたがっているようだ。

*日本の上位1%の高所得層(年収1392万円以上)への所得集中度は12.4%で,アメリカ,イギリス,ドイツ,カナダほどではなく,G7では5位。ちなみに中国は日本より高い。

*日本の上位10%高所得層への所得集中度は43.3%で,G7ではアメリカに次いで2位。ちなみに中国も日本より低い。

*今回は,下位50%のデータをとることができたのでグラフを追加。日本では年収が270万円以下の人々が成人個人の50%を占めており,その所得のシェアは19.5%に過ぎない。このシェアは1990年代以後,他の先進諸国とともに低下傾向にあり,G7諸国では4位。なお,G7諸国ではアメリカの極端な低さが目立つ。また中国は改革・開放の進行とともに急速にシェアが低下している。

 以前から指摘されているように,日本は1%集中度が低く,10%集中度が高い。そして上位10%とは最新のデータによると年収915万円以上であり,富裕層というほどではない。しかし,その水準に届かない個人が90%だということである。そして,今回確認できたのは,年収270万円以下の人々が全体の50%を占めていることだ。アメリカやイギリスと比べると,超富裕層に所得が集中する問題よりも,下位の低所得層の抱える困難の大きさという問題の比重が相対的に大きいことになる(※)。


※今回,データが2019年まで更新されたのは良いが,過去データもすべて見直された結果,1%や10%の閾値の数値は大きく変わっている。日本の上位1%の年収は,以前は2010年に2161万円以上とされていたが,最新データでは2010年に1193万円以上,2019年に1392万円以上と大幅に低下した。日本の上位10%の収入は,以前は2010年に960万円以上とされていたが,最新データでは2010年は789万円以上と大幅に減少し,2019年は915万円以上となった。なぜこんなに変動したのか,説明が欲しいところだ。

World Inequality Database
https://wid.world/





2020年9月7日月曜日

『日経』よ,しっかりしてくれ。女神を探している場合ではない

 この「成長の女神 どこへ コロナで消えた「平和と秩序」パクスなき世界(1)」という記事,特集の幕を切って落とすもので今朝の『日経』本紙1面に載っているのだが,内容がおそろしくちぐはぐだ。

 いちばんすごいのは,言葉では「世界経済全体」が歴史的に長期停滞に突入しているかのように書いているのだが,実際に書かれていることは「先進諸国の経済」の停滞であることだ。だからおかしな文章になる。例えば「経済のデジタル化も『長期停滞』の一因となる。今週の上場へ準備する中国の金融会社,アント・グループ。企業価値は2000億ドル(約21兆円)と期待され,トヨタ自動車の時価総額に並ぶ」。「成長しとるやないか!」と突っ込まれて当然だ。真正面に出ているグラフも混乱している。経済成長率の要因になる1人当たりGDP成長率と人口成長率を示すのはいい。しかし,前者は米英伊スウェーデンの4か国平均で先進国経済を表しているのに,後者は世界全体であり,何を示したいか不明なものになっている。

 他にも混乱が目立つ。例えば,「経済成長の柱の一つは人口増だった。18世紀以降の産業革命は生産性を高め,19世紀初めにやっと10億人に届いた世界人口はその後125年で20億人に達した」という文章。生産性が高まると人口が増えて経済が成長するというロジックになっている。しかし,人口増加率と生産性向上率が経済成長率の2要因としなければ話が通じない。

 おそらく,先進諸国=世界全体という思い込みに導かれて書き進んだものの,現実には新興国が成長していることを無視できないので混乱し,長期的に先進国が停滞して新興国が成長しているのを,目の前のコロナ危機による世界全体の停滞とごちゃごちゃにして書いたのだろう。女神がいないとか気取っている場合ではない。しっかりして欲しい。

2020年4月17日金曜日

大恐慌(Great Depressoin)ならぬ大封鎖=グレート・ロックダウン(Great Lockdown):IMF世界経済見通し

IMF, World Economic Outlook, April 2020(世界経済見通し 2020年4月)。全文は英語だが,要約は日本語でも読める。2020年の日本のGDPが-5.2%,世界の経済成長がマイナス3.0%,世界貿易は-11.0%になるとの予測。大恐慌以来の経済後退であり,Great Depressionに対しGreat Lockdown(大封鎖)というべき事態だとしている。英語全文をいま読み切ることはできないが,要約と図表を見ていくつか気づいたことがある。
 IMFは,世界金融危機以後,構造調整を振り回さなくなったが,今回も,産業や労働者への財政的支援,苦境に陥った世帯や企業への融資条件の(緩和する方向での)見直しと,まともなことを言っている。
 2021年には経済がV字回復するというのがメインのシナリオなのだが,フルバージョンのレポートの末尾には代替シナリオも添えられている。2020年のアウトブレイクが長引いた場合,2021年に第2波のアウトブレイクが来た場合,その両方の場合だ。
 また先進国の方が感染対策のための資源動員能力を持っているとする一方,メインのシナリオでは,新興国・途上国の方が先進国よりも高い経済成長率によって回復することにも注意が必要だ。2021年第4四半期のGDPが2019年度第1四半期に対してどれほどになるかを見ると,新興国・途上国は1割増しと予想されるのに対し,先進国はプラマイゼロまでしか回復しないというのだ。

ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。  会田...