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2026年2月14日土曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(5):金ETFについて

 さて,中央銀行と並んで金価格を動かすもう一つの需要である金ETFについて見なければならない。

 ここで取り扱う金ETFとは,金を裏付けにした上場投資信託のことであり,上場されている株式と同じように取引ができる。だから,ETFを購入するというのは,厳密に言えば擬制資本である証券を購入しているのであって,金を直接購入しているわけではない。しかし,ETFは金地金を保有しているので,取引が公正である限り実物の金によって裏付けられていると言える。地金に比べれば,ETFの取引コストははるかに低い。とくに小口の個人投資家によっては,少額でも金に対する確実な持ち分を得られるETFは,購入しやすく魅力的な金融商品である。もちろん,ETFにも独自のコストがかかる。ETFの1口が代表する金重量は,信託報酬が差し引かれることによって少しずつ目減りしていく。しかし,地金取扱いのコストに比べればはるかに低い負担だ。

 金ETFが初めて上場されたのは2004年のことであった。以後,物量ベースで見た金ETFの金保有量は,長期的には大きく伸びて,2026年2月6日には4114.4トンに達した(※1)。その間に保有量の増減はあったが,特徴的なことは,2023年から2024年にかけての一時期を除き,金ETFの金保有量が伸びた時には金価格も上がり,逆なら逆であったことだ。金ETFの所在地は北米が約半分であり,残り半分のうち大半はヨーロッパが占めている。しかし近年はアジアが拡大しており,495トンを占めている。

 金は単なる金属であるから,収益のフローを生み出さない。金ETFには株式のような配当もないし,債券と異なって利子も得られない。したがい,静態的にとらえるならば,金ETFの価格は収益の資本還元ではなく,むしろ金の内在的価値を反映したものである。金ETFで資産運用するということは,価値保蔵を目的とするか,純然たる金の価格変動に賭けて利益を狙うということになる。

 ここで重要なことは,ETFによって大から小零細までの個人投資家による金需要が広範に現実化したことである。その背景には,まず株式とは別な理由での,金価格上昇の長期的見通しがある。それは2000年代の終わりには世界金融危機というリスクであり,それ以後に始まった各国中央銀行による金購入の底堅さであり,コロナ以後のインフレーションであり,2010年代後半以後の地政学的リスクであり,2020年代におけるその加速である。そして,中国やインドからの投資家の市場流入によって,投資家の数そのものも増大した。

 さて,投資家の金購入の動機は,それが小口になればなるほどインフレヘッジが中心になる。大投資家と異なって金価格の大規模変動に賭けることなどできないし,中央銀行のようにドルでの決済不能のリスクにおびえる立場ではないからだ。しかし,こうしたささやかな動機による購入は,いったん上がり始めた金価格をさらに押し上げることになる。なぜならば,インフレヘッジ程度の低い収益性しか期待していない小零細投資家群は,それ以外の大規模投資家に比べると,高い金価格でも購入できるからである。低収益しか期待しない投資家が増えるほど価格は上がるというのが,証券市場の逆説なのである(※2)。こうして金価格は,内在的価値からはるかに乖離して高騰した。内在的価値の指標は新産金生産コストであるが,2020年までは1000ドル/トロイオンス前後で安定していたが,2025年には1500ドル/トロイオンスを超えた(※3)。一方,金のスポット価格は2020年初には1500ドル/トロイオンス前後であったものが,2026年2月前半は5000ドル/トロイオンス前後で上下を繰り返している(※4)。この上昇率がアメリカのインフレ率をはるかに超えていることも言うまでもない。これは投機的な価格であり,何らかのきっかけがあれば下落することもある。現に上昇傾向の中でも,しばしば下落しているのだ。

 まとめよう。金ETFの取引には,内在的価値に関連した根拠があるにはある。中央銀行による価値保蔵のための継続的な準備資産積み上げを背景としており,また投資家によるインフレヘッジの動機に導かれているからだ。しかし,この背景と動機に基づくETF購入は,結果として金価格を内在的価値から乖離して高騰させる。だから,金ETF取引は,架空性の高い価格の変動を当てにした,金投機と化しているのである。内在的価値に根拠を持ちながら投機と化すことが,金ETF取引の逆説である。

 この項の最後で,何度も繰り返してきたことを再度強調しよう。金価格高騰をもっぱらインフレーションの反映であるとか,高騰した金価格がインフレーションを起こすなどと言ってはならない。それは客観的には,金投機の架空性を覆い隠す言説だからである。インフレヘッジを動機に金ETFを購入することはもっともである。しかし,投機に参与し,これに巻き込まれることなしに金ETFを購入することはできないのである。

※1 この段落の数値はGold ETFs, holdings and flows, World Gold Council, February 9, 2026による。
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-etfs-holdings-and-flows

※2 これは株式時価総額が企業の解散価値から乖離して上昇する理由でもある。伊藤光雄「擬制資本の形成と運動 -債券と株式-」研究年報『経済学』44(3),1982。
https://doi.org/10.50974/0002005133

※3 Production Costs, World Gold Council, January 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/aisc-gold

※4 Gold Spot Pries, World Gold Council, February 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-prices


2026年2月11日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(4):中央銀行の金購入について

  近年の金需要のうち,まず需要に継続性がある中央銀行の金購入から見ていこう。

 World Gold Councilの統計では,中央銀行の金購入は2010年からプラスになったが,そのボリュームは2022年に1000トンを突破し,3年間1000トン超えを維持した。2025年は多少減退したが,863トンである(※1)。Brooking Institutionの最新レポートによる中央銀行金保有残高も同様の傾向である(※2)。

 この金購入は,その時々の価格上昇とは連動していない。金価格が上記的な上昇に転じたのは2000年前後,急騰したのは2008年の世界金融危機から2012年まで,2019年から2020年まで,そして2024年初からである。とはいえ,長期的に見て中央銀行がネットで連続購入する時代になったことは,需要の底支えになっているとみるべきだ。

 中央銀行の金保有額の重みを世界GDP比で見ると,2000年以後上昇し,2024年末には2.5%に達している(※3)。金保有の多くは先進諸国中央銀行によるものであるが,重量で見たその保有量は横ばいで,過去15年ほどの増加はもっぱら新興国中央銀行によるものである。外貨準備に占める金の割合は金額で見るよりないが,ユーロ地域では62%,アメリカでは75%,ロシアでは32%,中国では6%,日本では6%である。暫定的な推計では世界全体では約4分の1と見られている。

 近年の金購入の動機と傾向については,シンクタンクOfficial Monetary and Financial Institutions Forum(OMFIF)のレポートが参考になる(※4)。OMFIFによると,中央銀行の80%は,いまなお安全性と流動性のためにドルに投資している。また調査回答者の92%は,米国債市場はなお十分な流動性を保っていると回答している。しかし,中央銀行の58%は,来る1-2年の間に多様化を計画している。ドルへの投資をくじく要因は,アメリカの政治環境,地政学,アメリカの財政政策である。一方,ほぼ全ての中央銀行が、準備資産の中核あるいは増加傾向にある構成要素として金を挙げている。このレポートを作成したワーキンググループの議論の中では,外貨準備運用担当者は,配分決定が主に地政学的考慮によって駆動されており,財務的リターンは補助的な役割しか果たしていないと報告している。なお,ETFを保有しようとする中央銀行は少数派である。

 つまり,新興国中央銀行が,地政学的な理由から準備資産としての金の保有を増やそうと地金の形態で毎年購入していることが,金価格の底支えになっているわけだ。

 これを裏返すと,相対的にドルの信認が下がっているということである。ドル建て準備資産は当座預金や紙幣のまま持たれることは少ないので,より具体的には,価値保蔵資産としてのアメリカ国債の信認が下がっているわけである。

 一部のアナリストは,ドル国債信認低下=金価格高騰=インフレーションと見ている。繰り返し述べてきたように,これは部分的に正しいが,部分的にしか正しくない。インフレは金価格を高騰させる。しかし,インフレ以外の要因も金価格を高騰させる。そして金価格高騰はインフレを起こさない。インフレとは別に,地政学上の理由によってドル国債信認低下=金価格高騰が起こっていると見なければならない。金が今では流通手段や支払い手段ではなく,しかし価値保蔵手段ではあるために,このようなことが起きるのである。

 では,中央銀行の金購入が増えた2022年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それはロシアのウクライナ侵略であり,これに対して各国が経済制裁を行ったことである。また,金価格の高騰が生じた2024年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それは国際政治が,複数の大国が,互いに武力の行使を辞さないものに変転しつつあることである。中国一国が台湾への武力侵攻を放棄しないだけではない。ロシア一国がウクライナを攻撃するだけでもない。アメリカ一国がベネズエラを攻撃し,デンマークを脅迫するだけでもない。複数の大国が武力行使をためらわないために,相互作用が破滅的な結果をもたらしかねないことである。これは新興国にとって,国際通商システムや決済システムへのアクセスに障壁が生じることを意味する。これら諸国の通貨当局は,平和裏にドル国債をドル建預金に転換できないリスクや,ドル建預金で国際決済ができなくなるリスクを考慮せざるを得ないのだ。インフレーションのリスクだけではなく,国際政治による通商・決済の途絶リスクが高まりつつある。中央銀行の購入による金価格底支えの意味はそこにある。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gian Maria Milesi-Ferretti, How important are central bank holdings of gold?, Brookings Institution.
https://www.brookings.edu/articles/how-important-are-central-bank-holdings-of-gold/

※3 この段落の終わりまで同上レポートによる。なお,アメリカの場合,金の現物は財務省が保有しており,FRBはそれに対するGold Stockを保有している。この経過は,重見吉徳「【マーケットを語らず Vol.211】米国政府の保有ゴールド含み益とBITCOIN法:その①」フィデリティ証券,2025年8月21日を参照。
https://www.fidelity.co.jp/page/strategist/vol211-the-fed-gold-revaluation-and-bitcoin-act

※4 この段落の記述は,OMFIF Global Public Investor Working Group, Redefining resilience  in reserve management How global public investors are navigating  uncertain time, 2025による
https://www.omfif.org/redefining-resilience-in-reserve-management/

※2026年2月13日。最終段落が2024年以後の地政学的リスクだけを論じていたところに,2022年以後に関する記述を追加。


2026年2月7日土曜日

政府債務のGDP比率は何を語っているのか:Allison Shrager氏の記事から考える

 ブルームバーグのコラムニストAllison Shrager氏による記事「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」2026年2月6日。私は,長期的にはかなり共感できるところがあるが少し違う視点を取りたい。また,短期的には別な評価も必要だと思う。論点整理の作業として投稿するために,話が行きつ戻りつすることをご勘弁いただきたい。

 短期の方から行こう。そのポイントは,政府債務/GDP比率を示したグラフにある。コロナ禍以後,日本の政府債務/GDP比は,依然として他国より高いが,他国より急速に低下していることに注意する必要がある。これはコロナ対策終了でいったん財政支出が縮小したことにもよるが,同時にインフレ・輸入物価高騰のためである。ストックで言うと,物価上昇によって日本に住む人が持つ貯蓄は実質的に目減りする。一方,政府の累積債務は実質的に軽減される。この現象は「インフレ税」と呼ばれる。また,物価上昇に対して,名目所得や名目消費額は追い付いていないが,見かけ上は所得や消費の額もそれなりに大きくなるので,税の支払額は増える。とくに所得税など累進性のあるものは,課税区分が上昇して税率が上がることがあり,実質的負担増となる。これらが,長年上昇傾向にあった日本の政府債務/GDP比が下がりだした理由である。

 だから短期でいうと,政府債務/GDP比率が下がれば良くて,上昇すると悪いというわけではない。いま述べたように,日本の比率が下がっているのは,住民から政府に所得移転を行っているようなものだからである。住民搾取の結果として政府債務が減るのは,よいこととは言えない。

 しかし,では積極財政が正しいかというと,いまは異なる。もし仮にに今が不況であり,失業率が世界金融危機の時のように5%に達し,遊休設備が存在するのであれば,しばらく積極財政,減税でもよい。雇用が生まれ所得が生まれるからである。しかし,2026年の現実はインフレ・輸入物価高と同時に景気は過熱気味で,失業率は昨年末2.5%であり,遊休設備はほとんど存在しない。だから,財政赤字を拡大してはだめなのである。なぜなら,実質所得が増えずにインフレが加速し,また円安が進んで輸入物価がさらに上昇するリスクを高めるからだ。これが目の前の問題である。債務が大きすぎるからではなく,すでに生産能力を使い切った状態だから,財政赤字が益少なく害多いことになるのである。

 次に長期である。コラムの言うことは間違っていないとは思うが,少し視点を変えた方がよい。政府債務/GDP比が長期にわたって上昇していることを,分子の政府債務の大きさだけに即して評価するのでなく,分子と分母の関係に即してみるべきである。つまり,「財政赤字が所得に寄与していないのに拡大し続けていること」が問題なのである。これは明らかな事実である。またもうひとつは,マーケットに対し,政府が課税能力を徐々に失っているという疑念を発生させることである。これは期待の問題である。この二つは,通貨価値の毀損=インフレのリスクを高め,日本国債に対する評価を下げ,主に円安と長期国債価格の下落,長期金利の上昇を引き起こす。また,短期金利を調節する日銀も板挟みに陥る。このコラムの以下の指摘は正しい。「インフレと闘うために金利を引き上げれば、債務コストが急増する。一方,金利を低く据え置いてインフレを高止まりさせれば,円は下落する」。

 日本政府にもジレンマが生じる。一つの道は,緊縮財政をとって国民をさらに苦しめつつも長期金利の上昇を防ぎ,国債市場と外為市場での信認をつなぎとめることである。もう一つは,国債をさらに増発して日銀に買い上げを求めることである。日銀は,たとえ独立性を持っていようとも,国債暴落を放置することはできない。黒田時代のように買い上げざるを得ないだろう。すると,しばらく国際市場での信認は維持されるだろうが,インフレ圧力がさらに強まる。

 最後に,このコラムが引き出した教訓と対話しよう。一番目の教訓は,「長期金利はマーケットが決める価格であり,下手にいじれば危ないということ」である。これは正しい。ただ,その意味はもっと深い。長期金利が上がるのは,財政支出に効果がなく,また課税能力が疑われているということである。借金の金利が高くなってたいへんだというイメージで考えるべきでなく,円という通貨の価値が疑われているというレベルでとらえるべきである。

 このコラムによる二番目の教訓は,「インフレはいずれ戻り,財政計画を揺るがすということ」である。これもほぼ正しい。「インフレリスクは決して消えない」というのはさらに正しい。たとえ財政赤字を容認する学派であろうとも,その限界を悪性インフレ=通貨価値の毀損を引き起こさない範囲に置く。例えば機能的財政論の元祖であるラーナー『雇用の経済学』を見よ。これを踏み外すべき根拠はどこにもない。

 ただし,インフレリスクを政府が逆用する可能性を見落としてはならない。仮にマーケットをパニックに陥れず,国民が反攻に転じないという前提が成り立つならば,インフレによって政府が債務者利得を得られるのである。現に,いまそうなっている。だから日本政府は,インフレを放置するという積極的な賭けに出るかもしれないし,あるいは無策のまま何とかなることを期待する結果として消極的な賭けに出ることもありうる。

 最後の教訓は,「第三に、政府が巨額の債務を抱えても何も起きないことは時にあるだろうが、それは長期戦略にはなり得ないということだ。卑近な例を用いれば、断層の上に家を建て、何十年も地震で倒壊せずに住めるかもしれないが、それが賢明だったことにはならない」というものだ。これは正しくない。脆弱地盤しかないとことろでは,地盤を徹底的に改良して家を建てることは賢明な選択である。資本主義社会に生きるとは,地盤の脆弱な土地に住むようなものである。自由放任では成し遂げられないことは多い。しかし,公的機関の努力によって失業を減らし,外部効果の高い科学研究や技術開発を支援し,環境破壊を食い止め,市場では供給されない公衆衛生のようなサービスを提供するならば,インフレなき完全雇用と,環境保全と社会の安定を確保できる可能性が高まる。それに寄与するならば,債務は創造しがいがあるし,長期金利は上昇しない。理論的にも,いまの日本の現実に沿っても,問題は債務の金額が大きいことそれ自体ではない。財政支出が有効に使われずに,供給能力を伸ばさず,インフレを起こし,格差を放置する結果をもたらすことなのである。

Allison Shrager「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」Bloomberg, 2026年2月6日。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-05/T9U3UHKGIFPZ00


2026年2月6日金曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(3):金需要の動向について

 金価格は1月末から2月初めにかけ,暴騰したかと思えば暴落している。このことは,前回までに論じたことの傍証となっている。つまり,金価格上昇がもっぱらインフレーションの表現だという見解は誤りなのである。数日以内でインフレとデフレが逆転するはずもないし,そもそも管理通貨制のもとでは不況による価格下落はあっても厳密な意味でのデフレは起きないのであり,したがい,金が暴落してもデフレのせいではないのである。

 さて,それでは,資産としての金需要をどう考えればよいか。ここからはある程度実証的に論じる必要がある。公開情報しか取れない立場では限界があるが,できるだけやってみよう。

 金について比較的信頼できる統計は,World Gold Council(WGC)のものである(※1)。1月30日に発表されたばかりのGold Demand Trends Full year and Q4 2025によると,2025年の金需要は5002トンに達し,前年比1%増加した。1年前の2024年の金需要は4962トンであった。

 需要の内訳は以下のようになる。1トン未満は四捨五入している。

2025年
・宝飾品製作需要1638トン,総需要に対するシェア32%,前年需要量比16%減
・技術需要323トン,シェア7%,前年比1%減
・投資需要2175トン,シェア44%,前年比73%増
・中央銀行その他の機関の需要863トン,シェア17%,前年比37%減
・店頭取引その他3トン,シェアほぼ0%,前年比で1%未満に
・合計5002トン

2024年
・宝飾品製作需要2026トン,シェア41%
・技術需要326トン,シェア7%
・投資需要1185トン,シェア24%
・中央銀行その他の機関の需要1092トン,シェア22%
・店頭取引その他331トン,シェア7%
・合計4961トン

 WGCのいう宝飾品製作と技術の需要が,前回まで述べた商品としての需要,投資需要と中央銀行の需要が資産としての需要に相当する。

 投資需要の内訳は,以下のようになる。

2025年
・地金(延べ棒と鋳貨)1374トン,シェア28%,前年比30%増
・上場投資信託(ETF)および類似商品801トン,シェア16% ,前年は3トン売り越し

2024年
・地金(延べ棒と鋳貨)1188トン,シェア24%
・上場投資信託(ETF)および類似商品マイナス2.9トン

 さて,ここで注目すべき点は二つである。

 第一に,中央銀行が買い手となっていることである。WGCによれば,2010年以来連続して買い手となっている(※2)。中央銀行は通常はETFを購入しないので,地金の購入である。

 第二に,投資需要が極めて大きく,まだ拡大していることである。そしてまだ地金の水準には及ばないものの,2025年にETFを通した金保有が急拡大していることである。

 以下,この2種類の需要について検討していこう。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gold Demand Trends Full year and Q4 2019, January 30, 2020.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2019


2026年2月4日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(2):金価格高騰=インフレーション論について

  さて,まず問題とすべきは,最近になってアナリストの一部が主張するように,金価格の高騰をもっぱらインフレーションによって説明できるかである。今回は,この点を主に理論的に考察する。

 前回述べた基本的観点をもう少しかみくだくと,金価格を規定する要因は四つあると思われる。

 第一に,管理通貨制と変動相場制の下では,金の生産費(金の投下労働価値)が変化すると,それによって産金業者の金売却価格も変動するといこうとである。これは金1グラム=Xドルと価格標準が固定されている金本位制とは異なる現象である。

 第二に,一般商品としての金に対する需要によって価格が変動する。主に工業用および宝飾用としての需要によるものである。

 第三に,財政赤字を通した外生的な代用貨幣(預金貨幣または中央銀行券)の供給によって事実上の価格標準が切り下がり,厳密な意味でのインフレーションとなることで金価格が上昇する(※1)。これについては上昇だけがあり得て,下落は起こりえない。なぜなら代用貨幣が不足すれば,単に物価が実質的に下落して不況となるのであり,価格標準切り上げとしてのデフレーションは起こらないからである(※2)。

 第四に,資産としての金の需要により,金の投下労働価値から乖離して金価格が上下する。

 コロナ禍での巨額の財政赤字を背景にして,ポストコロナ期には先進諸国でインフレーションが生じたことは確かである。上記の第3要因,つまり厳密な意味でのインフレーションによる金価格上昇も起こっているとみてよいだろう。しかし,それだけでは十分な説明要因とはなりえない。というのは,最近の金価格高騰はポストコロナのインフレーションがいくらかおさまってきた2024年以後に起こっているからである。また,それ以前の高騰も,リーマンショック後,物価が下落気味になっていた2009-11年頃に起こっている。加えて,傾向的には上昇している金価格であるが,この2月初めに見られたように,時に下落することもある。前述のように管理通貨制のもとでは厳密な意味でのデフレーションは起こりえないので,金価格がこれを反映することはない。

 金価格が上がったからインフレなのだと,逆の説明をするのも間違いである。これは金本位制と管理通貨制を混同するあやまりである。

 金本位制のもとでは,公定価格標準としての金価格を切り上げれば,物価全体も上昇する。例えば以下のようになる。=は投下労働価値に沿って等価交換されることを意味する。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

2)金本位制のもとでの公定価格標準の切り下げ
投下労働価値量X=金1g=200ドル=商品100個
商品1個=2ドル

 しかし金貨流通や兌換が停止され,公定価格標準が廃止された管理通貨制のもとでは,金価格は他の商品と同じように独立して上昇しうるし,下落しうる。金価格が上がれば,金で測った物価はむしろ下落する。しかし,金に対して通貨が下落しているから,通貨で測った物価は一定なのである(※3)。なお,ここで金価格の上昇が金生産費の高騰(金の労働価値の増加)によるのか,単に需要超過によるのかで本質的な意味は異なるが,現象としては同じである。例えば以下のようになる。×は,不等価交換が行われることを表す。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

3)管理通貨制のもとでの金生産費の2倍化
投下労働価値量2X=金1g=200ドル=商品200個
商品1個=1ドル

4)管理通貨制のもとでの需給関係による金価格2倍化
投下労働価値量X=金1g × 200ドル=商品200個=投下労働価値量2X
商品1個=1ドル

 3)でも4)でも,金価格のみが上昇するのであり,通貨ドルで測った物価が上がるわけではない。たしかに通貨の金に対する購買力は下がっているが,だからといって物価全般が上昇するわけではなく,インフレーションになるわけではない。金価格が上がっていることを,それに相応するインフレーションが起こっている証拠と見なすのは,まちがいなのである。

 確かにポストコロナでインフレーションは起こっている。しかし,金価格の2000年以来の傾向的上昇や2024年以来の急騰をすべてインフレで説明することは,情勢論としては行き過ぎであり,理論的にはむしろ間違いと言わねばならないのである。

 とすると,金価格の高騰の相当部分は第1,第2,第4要因に求めねばならない。第1要因の金生産費の上昇は,2000年代半ば以後,確かに生じている(※4)。しかし,短期間に急激に起こるものではない。第2要因の商品としての需要も,急騰しているとは考えにくい。銀の場合は工業需要が急増しているが,金についてはその証拠はない。すると,第4の,資産としての需要の増加が最も説明力のある要因であろう。

 この資産需要は何によるものか,それは商品に対する純然たる投機なのか,それとも貨幣に関わることがらなのか。これが,次の問題である。

※1 ここで厳密な意味でのインフレーションとは,価格標準の切り下げによる全般的・名目的物価上昇のことである。厳密な意味でのデフレーションは,その逆である。特定商品の需要超過により物価が上昇することは,日常用語ではインフレーションであるが厳密な意味では一時的または実質的物価上昇である。

※2 岡橋保『金の価格理論:価格標準の研究』日本評論新社,1956年,216-221頁。同『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,88-89頁。川端望「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492,2025年,6-7頁(

https://doi.org/10.50974/0002002920)。 当たり前であるが,「不況だから物価が下がる」ことはある。物価の持続的下落をみな「デフレ」と呼ぶ日常用語にしたがうとしても「不況だからデフレになる」のである。逆に,不況と無関係に,通貨不足から物価下落期待が生じ,そして実際に物価下落が起こり,それゆえに不況になる「デフレだから不況になる」ということはあり得ない。あるとすれば,単に「不況で物価が下がっていて,いよいよそれがひどくなりそうだから不況になる」だけである。通貨と商品の量的関係を抜きに,「期待で物価は決まる」とする理論は誤りである。

※3 金本位制の場合と管理通貨制の場合の相違については,村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年,121-127頁を参照。金本位制の場合から出発して,管理通貨制度になるとそれがどう変わるのかを説明することが大事なのであって,金を理論から追放して事足れりとするのは誤りなのである。

※4 松本朗「金価値と金価格の動向とその理論についての考察―最近のドイツにおける研究動向を参考にして―」『立命館経済学』61(6),2013年,350-351頁(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61617.pdf)。



2026年2月3日火曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(1):問題の所在

 2024年以降,金価格の高騰が著しい。また,2026年1月末から2月初めにかけては暴騰と暴落を示すなど,値動きも激しい。この理由は,直接的なマーケット心理としては,安全資産を求めてのリスクヘッジまたは逃避行動とされている。それにしても,主要国の物価上昇率をはるかに超える値上がり率である。また株式についても,先進国の市場はコロナ突入直後のショックから立ち直った後は,おおむね好調に推移しており,むしろ株価と金価格の同時上昇が不思議がられるという状況である。ちなみに銀とプラチナも似たような傾向を示している。

 過去1年間の金価格高騰は何を意味するのか。リスクヘッジまたは安全資産への逃避とは何なのか。このことに対する見方は,大きく見て二つに分かれるようである。

 ひとつは,単に商品としての金が極度に選好されて投機が激しくなっているという見方である。この背後には,金は単なる商品の一つであり,その希少性,耐久性,分割・結合の容易性,あるいは過去に貨幣商品であったことの記憶から,極端に関心を集めているに過ぎないのであって,そこに貨幣論上の意味は何もないという見方がある。1970年代以来,常識として定着してきた金廃貨説の立場と言ってもよい。

 しかし,あまりに金が選好されることについて,別の見方も浮上している。それは,金価格の高騰は各国通貨の信用失墜の裏返しであり,結局のところ金が貨幣である,あるいは貨幣として復権しつつある。という見方である。このような見方は,1971年8月の金ドル交換停止,そして1973年の変動相場制移行後,衰退する一方であったが,ここにきて復活している。それも研究者の間にではなく,アナリストの間で広がっているのである。金価格高騰とは,ドルの金に対する購買力暴落の裏返し,通貨に対する信認の崩壊,インフレーションの表現またはその予兆だというのである。

 しかし,私は,いずれに対しても与することはできない。金の位置はアンビバレントだからである。金のような価値を持つ商品が貨幣であることは,資本主義にとって必要であるとともに制約である。だから資本主義は,ひとたびは金を貨幣としながら,金の実際の流通を回避できる代用貨幣のシステムを構築してきた(川端望「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』第81巻,東北大学大学院経済学研究科,2025年3月)。そのことによって資本主義は発展し,しかし,その代償としてインフレやバブルという,自己の基盤を掘り崩す問題をも発生させてきたのである。

 今この瞬間,金は貨幣として流通していない。しかし,あらゆる商品の中で相対的に貨幣に最も近いものとみなされている。この両面をともに重視する見地から,金価格高騰について考えていきたい。しかし,途中で行き詰まって止めるかもしれないことをご容赦いただきたい。何しろ,明日にはどんなショックがマーケットを襲うともしれず,言うべきこともどんどん変わっていくのかもしれないのである。

 ともあれ,金価格に対する基本的観点は,以下のようなものである。古いと馬鹿にするなかれ。時代が一回りしてみると,古い理論が実は正しかったということもあるのだ。

「金の市場価格には価格標準の逆数と,一定金量を代表する代用貨幣の支配金量の逆数を示す二つがある。前者の価格標準の切下げを反映する金の市場価格の騰貴は,兌換の停止された銀行券が流通必要金量をこえて濫発されて価格標準が事実上切り下げられても,あるいは平価の法律上の切下げや,金の買い上げ価格の引上げ,為替相場の引上げなど,価格標準を直接切り下げる方法によってもおこる。これにたいして,後者の金の市場価格の騰貴は,価格標準の切下げとはなんの関係もなしにおこる。金との自由な兌換が禁止されているときには,いろいろな事情から金選好がおこり,銀行券の代表金量にすこしの変更もないにもかかわらず,一定量の金がそれ以上の金量を代表する銀行券と交換されるという不等金量の交換があらわれる」(岡橋保『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,47頁)。



2026年1月11日日曜日

賃上げ,賃上げ,賃上げと労働運動は主張すべき:高市政権がインフレを止められない状況下で,日本経済を望ましい方向に向ける短期的方策

 高市首相が何と言おうと,いま政権がやっているのは拡張的財政政策であり,需要刺激政策である。したがって,供給能力がすぐに拡大しない現状ではインフレを加速するし,行き過ぎた円安を是正もできない。日銀がそろそろと金利を引き上げて,これまで長く続いた借り手企業優遇,預金者搾取を改めているのは合理的だが,それ以上のことができるわけではない。

 すぐに政権が変わらないという条件下で,ただちに望ましい方向に日本経済を持っていく方策はあるだろうか。このままでは,物価が下がらず,物価高対策の効果が相殺されてしまうことは避けようがない。それにしても,物価だけが上がるのは最悪である。また,円安の下で,輸入物価は上がり,輸出企業だけがもうけるのも二番目くらいに悪い。輸出企業がもうかっただけでは,そこで働く人の利益にはならないことは,過去20年の実績から明らかである。

 しかし,よりましな状況を作る短期的方策はある。春闘での大幅賃上げが実現することである。賃上げをすることによって日本の多数の人の生活が救われるし,企業に対してイノベーションを促すことができる。賃金コストが上昇することこそが,企業にとって待ったなしの生産性向上,製品革新を促す力である。これによって供給能力が向上すれば,物価高も緩和される。幸いにして,今は政府も,企業経営者も「賃上げは必要」と認めているので文句がつくこともない。いまこそ,イデオロギーに関係なく,労働運動が,ただ基本的な使命のために奮起し,ひたすらに賃上げ,賃上げ,賃上げと主張するときだ。

2026年1月4日日曜日

原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年を読んで

 本書は副題が示すように,日本のラジオ・テレビの100年史を概説したものである。まず一言で言えば,その使命を果たしている本であり,日本のラジオ史・テレビ史をまずざっと理解したい人にとってたいへん便利な本である。とくに今日では,若年層の動画視聴はテレビ放送からインターネットを基礎とした各種プラットフォームにシフトしており,高齢層は感覚的に知っているテレビ業界の構造や習慣が,若年層にとって常識ではなくなりつつある。例えば,広告モデルのビジネスゆえの番組枠の希少価値をめぐってのテレビ局,広告代理店,広告主,芸能プロダクション,制作陣の緊張関係である。これがすでに当世の常識ではなく,歴史的知識となっているのであり,改めて要領よく整理してくれている本書は貴重な存在と言っていい。新書,とくに昨今のそれという性質から個々の箇所での注記はあまりされていないが,参考文献の長大なリストは巻末に記されていて,さらなる読書や研究の手引きとなる。個人的にはラジオ産業と言えば平本厚『戦前日本のエレクトロニクス』,テレビ産業と言えば同『日本のテレビ産業』が欠かせない業績であると考えているので,前者が文献リスト,後者が本文内に注記されていたことに安堵した。

 さて,本書の書き口として明快なのは,放送メディアは権力と対峙しているし,対峙すべきという古典的視野である。このことの確認は重要である。昨今の風潮として,SNS上ではラジオやテレビが「オールドメディア」として嘲笑されることが多い。それにはそれなりの理由があるが,注意すべきは,この嘲笑においては,「オールドメディアの嘘と既得権益」が,その対極にある何らかの「真実と無私・独立性」と対置されているということである。この二分法は二つの意味で不適切である。一つは,「オールドメディア」の対極でネットメディアを「真実」,テレビで批判される人や団体を「無私」と決めつける根拠がなく,実際に事実から逸脱する主張も少なくないということである。「どうせオールドメディアは嘘ばかりの既得権益」と賢しらにいいたてられる際に,何を真実・無私とするかについてのすり替えが行われている。もう一つが本書との関連で重要であるが,この二分法の社会観には国家権力についての視点が全くないことである。国家権力と社会という観点は,いかに古い観点・理論に基づくものであろうと,ゆるがせにできないものである。国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし,首相やその他の国務大臣はその言動について,一国民とはまるで異なる重さの責任を負っているのである。

 誤った二分法が流される情勢下において,放送メディアを担う人々が権力による恣意的な放送介入に対峙してきた歴史,国家からの独立性を確保することの重要性を強調する本書の意義は大きい。繰り返し言うと,いかにこれが「古い」観点であり,ポストモダンではなくて「モダン」であろうとも,いまなお重要なことである。

 しかし,「権力との対峙」以外の点については,本書の切れ味はいささか鈍く,問題は描かれてはいるが投げ出されたままになっている。例えば,視聴者が直接に求めるものと,メディアの担い手が留意する放送内容の公共性や「よいもの」は相違する。本書は,この相克が戦前のラジオから続くことをよく描いているが,この相克をどう考えたらよいのかについては,さほど突っ込んでいるようには見えない。

 また,テレビという放送メディア自体が権力となり,個人に対して暴力的に対峙してきたことをどうとらえるかという問題もある。「おわりに」に語られる来歴からすると,著者はこの問題に強い関心を持っているはずである。しかし,メディアが持つ権利と個人の権利の衝突に関する考察は,本書では弱い。

 テレビ局に関する「組織」としての考察も物足りない。正確に言うと,権力に対して独立しているか否かという側面についてはよく描かれているが,フジテレビ問題にみられるような,会社組織として労働者を尊重しているか,ステークホルダーを含めたガバナンスはいかにあるべきか,という点についての視点が十分定まっているとは言えない。むろん事実関係についての記述はされているが,考察が弱いのである。

 いささかないものねだりをしているのかもしれないが,視聴者ニーズとの専門家によるコンテンツ供給の緊張関係,マスメディアの暴力性,組織としてのテレビ局の在り方は,今日の「オールドメディア嘲笑」の風潮の背景の一つであり,放送の将来を考えるうえで,考察をより深めねばならないはずである。なので,もう少し突っ込んで欲しかったという気持ちが残るのである。

 まとめると,本書は,事実関係のコンパクトな整理と,政治権力から独立することの重要性という観点において際立っている。しかし,それ以外の新たな論点については物足りなさが残る。むろん完璧な本などないし,書いてあることすべてをうのみにする読書もありえない。本書はラジオとテレビについて学ぶ際に,まず手元に置くとたいへん便利であり,考えながら読むことで,得られるものは多いだろう。

 原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721392-8

2026年2月9日。誤字をなおし、わかりにくい表現を修正
修正前:「「オールドメディア」の対局で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別個に監視されねばならないし」
修正後:「「オールドメディア」の対極で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし」




2025年12月23日火曜日

人文社会系の学会において修士課程院生が報告することをめぐって

  少し前に,修士課程院生が人文系の国内学会で報告することについて否定的な投稿がXにんされ,それをめぐっていろいろな議論がありました。修士課程院生と連名で社会科学(経営学)系の国内学会で報告したことのある教員なので,限られた知識に基づいてではありますがコメントします。長文でないと説明できないのでXに投稿せずブログとします。私の所属する部局では「前期課程」と言いますが,「修士課程」の方が一般的でしょうからそう呼びます。

1)前提として,日本の人社系学会報告は,1セッション25-45分程度あることが多く,裏返すと一回の大会での報告数が限られます。理工系の学会はもっと短いことが多いはずです(私も一つだけ加入しているので少しは分かります)。

2)そして人社系はポスターセッションが理工系ほど普及していませんから,参加者は会場に来たら最後,よい報告でもそうでなくても25-45分間拘束されることになります。

3)上記1)2)の事情により,「一つ一つの枠が貴重なので,よく練られた報告をしてほしい」という規範が働きます。

4)他方で,日本の人社系では、理工系ほど報告の事前審査制,プロシーディングスの査読制が厳しくないことが多く,エントリーすれば報告できることもあります。最近は海外に倣って厳しくする学会もあります。

5)上記の2)と3)から,混雑して会場も日にちも足りなくなるのではないかと思われるかもしれません。しかし、(遺憾ながら)一学会当たり会員数が少ないことが多いので,そうはなりにくいのです。私にとっての主要2学会は、いずれも300人くらいしか会員がいません。加入している社会科学系学会で一番会員数が多いもので2000人弱です。一つだけ入っている理工系の学会は約8000人です。

6)上記2)3)4)の事情により,大学院生の報告がよく練られたものになるための主要な方法は,「指導教員が事前に丁寧に指導する」と言うものになります。そして,そのことを教員の会員は知っています。

7)上記1)2)3)により「よく練られていない院生の報告」がなされた場合,会員が感情的に面白くない気持ちを抱くことがあります。それ自体は理解可能です。

8)しかし,ここまでの論理から言って,「よく練られていない院生の報告」がなされてしまう理由は,直接には修士課程院生の自己責任にあるものの,間接的には指導教員の指導にありますし,また一部は学会の制度・慣行にある空隙に由来します。すべて修士課程院生当人の問題とすることはできません。

9)また,よい報告がなされる可能性もある以上(私と院生はよい報告をしたと自負しているし,その後査読を通って学会誌に論文を載せました),修士課程院生の報告全般を否定することは適切ではありません。

10)なお,上記4)により,大学院生がある意味では積極性を発揮し,別な意味では自己認識が甘くて,自己判断でエントリーすることもあります。それが自己認識の甘さに由来する場合には,指導教員が止めるのが妥当です。しかし,ことの性質上,強制力はない抑止になりますから,指導教員の指導を院生が受け入れやすい関係になっていないと,そのままエントリーしてしまうことはあります。

11)以上のことから,人社系学会の現在のルールと慣行のもとでは,「前期課程院生が報告することは,明文化されたルールには違反していない」,「その内容が未熟すぎるということも後期課程院生や教員よりは高い確率で起こる」,「未熟すぎる報告が行われた場合,学会にとって貴重な報告枠が失われたという機会費用的受け止めがなされやすい」,「未熟すぎる報告が行われた場合,明文化されたルールの上では院生の自己責任である」,「しかし事実上,指導教員の指導の在り方にも,そもそも学会のルール・慣行にも問題があると考えられる」,「ルール・慣行に問題があるからと言ってその隙を突く行為に対して周囲はよい感情を持てない」といった問題が絡み合うのだと思います。

2025年12月5日金曜日

藤本隆宏編『工場史ー「ポスト冷戦期」の日本製造業ー』(有斐閣,2024年7月)の書評論文が『社会経済史学』91巻3号に掲載されました

  このたび『社会経済史学』編集委員会からの依頼にもとづき,藤本隆宏編『工場史ー「ポスト冷戦期」の日本製造業ー』(有斐閣,2024年7月,444頁,5000円+税)の書評論文を執筆いたしました。何とか意を尽くそうと約8000字書きました。

 私は,藤本先生らが工場(または事業所)を経済学・経営学の重要なカテゴリーとし,分析単位とすることに心より賛同します。本書にも工場経営と企業経営を区別して観察すべき根拠を多数見出しました。しかし,工場が一般的に,存続と雇用維持という目的を持つという見解には強いためらいを覚えざるを得ません。そう信じるべき根拠が本書には見出せませんでした。ポスト冷戦期における日本の工場という分析単位の,存続努力というアクティビティは貴重でした。しかし,それは一般理論の証明としてではなく,この時期の日本の歴史的文脈において貴重であったのだと理解いたします。


『工場史』出版社ページ
https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641166288








クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...