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2024年4月6日土曜日

信用貨幣は商品経済から説明されるべきか,国家から説明されるべきか:マルクス派とMMT

 「『MMT』はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性」東洋経済ONLINE,2024年3月25日。

https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/daa72c2f544a4ff93a2bf502fcd8786b9f93ecab


 島倉原氏によるここの記事は,MMT(現代貨幣理論)の理論の根源を,新古典派やマルクス派とわかりやすく対比して主張しているので面白い。しかし,賛成はできない。私の立場からコメントする。

 島倉氏が,「主流派にせよマルクス派にせよ、『政府がなくても商品経済やその交換手段たる貨幣は成立する』という世界観を有している点では同根であり」というのは,乱暴ではあるがおおむね妥当であろう。ただし,一点留保しなければならないところがあり,これは後で述べる。

 主流派もマルクス派も,商品交換の必要性から貨幣が生まれると考えることは,同じである。だから商品貨幣を本来の貨幣とする。そこまでは確かにそうである。


*主流派における手形の貨幣化論の欠如

 しかし主流派は,貨幣が成り立つ必然性といった論点にはあまり関心がないので,管理通貨制になれば,貨幣流通の根拠は「国家の強制通用力」または「人々の信認」だろうと,あっさりと乗り換えてすませるところがある。しかし,このプラグマティズムには,落とし穴がある。商品貨幣(金貨など)→紙幣での代用,という構図を当然だと思い込んで採用するところである。しかし,現在流通している預金貨幣や中央銀行券は,商品貨幣→商業手形での部分的代用→銀行手形(預金貨幣と銀行券)での代用という風に,手形が貨幣化する過程を必須条件として成立しているのである。手形が抜けると,現代の貨幣の運動がつかめなくなる。手形というのは,債務発生のたびに新規発行され,債務が決済されると消失するものである。現代の預金貨幣は,銀行が貸すたびに新規発行され,返済されるたびに消えるのである。国家紙幣にはそのようなことは起こらない。だから主流派が銀行実務をまったく考慮せずに貨幣を論じると,現実とずれてしまうのである。実は,現代経済においては,毎日毎日,銀行から通貨が新規発行されたり,逆に還流・消滅したりしているのである。この独特な運動を捉え損ねると,銀行とはお金を持っている人から持っていない人に仲介するものだという,当たり前のようでまったく間違いな見解が生じるのである。


*マルクス派の商品貨幣節約論

 マルクス派も,商品貨幣を本来の貨幣とする。しかしマルクス派は,発達する資本主義にとって,商品貨幣の現物を用いることが制約となり,それを乗り越えるために様々な代用貨幣が出現し,商品貨幣に代わって流通するようになることを重視する。商品経済から貨幣が生まれ,貨幣を用いた取引から手形が生まれ,販売と購買の分離,流通する手形を用いた債権債務相殺という手形原理が成立し,銀行手形による貸し付けが出現する,という順序で信用貨幣としての代用貨幣の論理を構築するのである。これにより預金貨幣や中央銀行券の運動が説明可能になる。

 しばしば誤解されているが,マルクス派とは「金が貨幣だから,いまそれが流通していないのは異常事態だ」というものではない。乱暴な単純化を覚悟で言えば「ほんらい金が貨幣なのだが,そんなものを使っていては不便で仕方がないので,代用貨幣,とくに信用貨幣が発達し,金の現物は流通しなくなる」ことを明らかにする見地である。もちろん,マルクスは資本主義に批判的だから,この発達には矛盾も伴うとしている。例えば金兌換が停止されると,財政赤字によるインフレの悪性化のリスクは大いに高まる。信用貨幣が膨張すると,経済は拡大する半面,バブルや金融危機も起こりやすくなる。しかし,そうした矛盾を含めて,代用貨幣が発達し,商品貨幣が流通から姿を消す必然性を述べるのがマルクス派である。


*商品貨幣は歴史的主流でなく論理的基本形

 島倉氏は,経済史の研究成果をもとに,「貨幣が導入される前は物々交換経済があり、貨幣も元々は市場で交換される商品の1つであった」ということを否定し,「商品貨幣論が想定するような物々交換経済はそもそも存在していなかった」とする。しかし,経済史と経済理論は異なる。例えばマルクスの『資本論』は商品論から始まって貨幣論に進み,貨幣が資本に転化する剰余価値論へと進む。しかし,商品論がt時点,貨幣論がt+1時点,剰余価値論がt+2時点での話だと歴史的順序を述べているのではない。商品論が資本主義以前,剰余価値論が資本主義というのでもない。あくまで資本主義社会を念頭に置いて論理的な抽象を行い,説明のために適した順序でものごとを論じているのだ。だから,金が貨幣として必要だというのも現代社会のことであり,しかしそんなものを使っていては不便で仕方がないから金の現物は用いずに,預金貨幣や中央銀行券で代替するというのも現代社会のことであり,同時に起こっていることなのである。


*歴史的経過で経済理論を否定することはできない

 商品貨幣は資本主義以前に主流の貨幣ではなかったと言われれば,そうかもしれない。しかし,それは歴史の問題である。他方,現代社会での信用貨幣の説明は,現在の論理の問題である。マルクス経済学が言っているのは,むかしむかし物々交換と金貨が主流でしたという歴史物語ではない。貨幣としての性質や機能を理解する際に,特定の商品にすべての性質・機能が体現されている状態から出発するのがよいということである。いわば金属貨幣は論理的な万能貨幣である。ところが,現実に貨幣を使う際には,そもそも貴金属の量が限られていること,重さがある物体であること,販売と購買が結合していることなどの制約もあって,不便極まりない。だから代用貨幣が発達するという説明になる。「過去に主要なものとして用いられていた」ことが問題ではなく,「今を説明する際の基本形と設定できる出発点」であることが問題なのである。

 これをやや哲学的に言えば,歴史的経過によって,論理的説明力を否定することはできないのである。


*国家の重要性はどこにあるか

 島倉氏は「歴史学・人類学・宗教学などの知見を総合すれば、近代的な主権国家の登場前も含め、古代以降の様々な貨幣は「神」を含む主権者との関係に基づいて成立していると考えられる」と主張する。経済学が他の諸科学の補完によって経済を説明しなければならないのは確かだろう。例えば,クナップの表券主義による貨幣論にも重要な貢献はある。それは冒頭で私が保留した一点であり,「価格標準は国家が定める」としたことである。価格標準には二つの面があり,ひとつはドルとか円などの貨幣名を定めること,もう一つは貨幣金属の一定量を貨幣名での一単位と対応させ,昔のIMF体制で言えば「金1オンス=35ドル」などと水準を定めることである。このうち前者は今でも機能しているが,後者は機能していない。このことは,現代を説明する上でも確かに有効であり,それはマルクス派も認めるべきことである。だから,国家の貨幣へのかかわりは確かに重要である。


*経済はできるだけ経済で説明すべき

 しかし,だからと言って経済学の論理自体を軽視してよいはずがない。商品交換にとって貨幣が必要とされる論理,購買と販売が後払いによって分離し,後払いの証書として手形が生まれ,手形が流通することによって債権債務の相殺が可能となり,商品貨幣を節約する可能性が生まれることを無視して良いとは思えない。経済のことは,なるべく経済によって説明すべきであり,それが限界に達したところで他の論理による補完を考えるべきだろう。MMTの国定貨幣説は,「それは国家の力による」という説明に安易に頼りすぎている。それゆえ私は,手形債務説によって現代の預金貨幣や中央銀行券を説明する道を選びたい。

2024年4月3日水曜日

ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」を公表しました。ダウンロードいただけます。まだ改良して雑誌に投稿しなければなりませんが,コロナ禍で延長した科研費の期間が3月末で終了したため,一区切りとしました。1990年代にベトナムに進出した共英製鋼が21世紀突入後に直面した,技術・生産システム間競争を分析しています。共英製鋼は,苦労の末に発展途上国の条鋼部門では王道とも言えるスクラップ・電炉システムを構築しましたが,日本には存在しない思わぬ伏兵に直面しました。それは,地場企業が構築した小型高炉一貫システムと誘導炉システムでした。本稿はこの競争の過程と帰結,意義を解明することに努めました。

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」


2024年3月24日日曜日

『ゴジラ -1.0』米アカデミー賞視覚効果賞受賞によせて:戦前生まれの母へのメール

 『ゴジラ -1.0』米アカデミー賞視覚効果賞受賞。視覚効果で受賞したのは素晴らしいことだと思います。確かに今回の視覚効果は素晴らしく,また,アメリカの基準で見ればおそらくたいへんなローコストで高い効果を生み出した工夫の産物であるのだと思います。

 けれど,私は『ゴジラ -1.0』のストーリーには複雑な気持ちがあります。それは「日本人のことだけ考えるならば感動できるけど,いまどきそれでいいのだろうか」ということです。このことは,いつかきちんと書こうと思っていたのですが,おそらくその時間が取れません。なので,昨日,戦前生まれの母に受賞の感想を聞かれて送ったメールを掲げます。いささか単純で政治的に過ぎるかもしれませんが,こう思ったことは間違いありません。

ーーー

 今回の『ゴジラ -1.0』は視覚効果は素晴らしいのですが,ストーリーの作り方に一定のひずみがあります。簡単に言うと,戦後の日本の軍人たちを「人命軽視の戦時体制による被害者」「国民を守る使命を果たせなかった挫折者」と描いています。ゴジラとの戦いは,そのトラウマの回復行動として描かれています(今度こそ,俺たちはやるぞ,という風に)。このような描き方は,戦後しばらくならば,ある種もっともなのですが,加害者的側面の無視は,いまとなってはいささか身勝手でしょう。○○さん(注:母)なら,ご覧になるとすぐにお気づきになると思います。しかも,このような演出は自覚的になされているようで,この映画には外国人がほとんど出てきません。在日朝鮮人や中国人が出ないだけでなく,占領軍がほとんど町を歩いていないのです。日本人の日本人による日本人の心の傷の回復のための物語です。日本軍の人命軽視や特攻は批判されていますが,それは日本人の生命を軽んじたから批判されるのです。戦争とは外国人と殺し合うものであること,日本人以外の生命を奪うものであったことは忘れられたかのようです。

 私は,ゴジラは,人間が身勝手なストーリーで自分を正当化することを否定する他者であろうと思います。だから決して死なずにまたやってきます。今回の映画でも,かろうじてラストシーンでそのような描写があり,ヒロインが「あなたの戦争は終わりましたか」と語る時に,そうではないことが暗示されてはいます。しかし,ここまでのトラウマ回復物語が強すぎて,人間の身勝手さを十分に相対化できていないように,私には思えます。

2024年3月21日木曜日

旅立ちの時

 旅立ちの時

 当ゼミの修了生,博士研究員の銀迪さんは,4月1日から同志社大学商学部助教に就任します。思えば,大学院受験の相談を受けて,出張ついでに銀さんと池袋の喫茶店で会ったのは2015年夏のことでした。それから約9年間,色々なことがありました。とくに後期課程に進んでからは,私は,春も夏も秋も冬も,銀さんの論文が完成するだろうか,仕事が見つかるだろうかという緊張と不安を抱えていましたが,本人にはその数倍の重圧がかかっていたことでしょう。よく耐えてがんばったと思います。博士論文と,単著論文1本,共著論文2本を公刊して,ついに独り立ちする時を迎えました。

 おめでとうございます。

銀迪(2022)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」博士(経済学)学位論文。

銀迪(2022)「中国の鉄鋼産業政策:設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結」『産業学会研究年報』37,133-153。

川端望・銀迪(2021)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」『アジア経営研究』27,35-48。

川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1),1-31。



2024年3月1日金曜日

2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」(2024年3月21日14時より)

 2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」

対面会場はキャパに限りがございますが,オンラインはどなたでも参加できます。下記リンクからGoogleフォームでお申し込みください。

■ ⽇時

– 2024年3⽉21⽇(木)14時〜17時
– 東北⼤学⼤学院経済学研究科 4階⼤会議室(ハイブリッド開催)

■ 登壇者

– 曽根 秀一⽒(静岡文化芸術大学文化政策学部、教授)
「地域に根差した長寿企業の存続メカニズム」

– 谷本 雅之 ⽒(東京大学大学院経済学研究科、教授)
「在来的発展と大都市ー20世紀東京の中小経営」

 参加希望の方はこちらにご記⼊ください(3⽉14⽇(木)締め切り)

https://forms.gle/FStBY3Pg98LjPQ2X7

連絡先:takenobu.yuki.c1あっとtohoku.ac.jp



2024年2月15日木曜日

財政赤字は貨幣を追加で生み出すのか,それとも国債消化と相殺されるのか:米山隆一氏の山本太郎氏への批判によせて

  山本太郎氏の2年前のアベマプライムでの発言を支持者がシェアし,それを米山隆一氏が批判し,それを山本氏の支持者が批判し,米山氏が応答するという形で,Xで議論がなされている。しかし,米山氏への批判と米山氏の応答を読む限り,噛み合っているとは言えない。

 この話は,財政を通貨供給システムと見るときの大事な論点に関わっているのでコメントする。まず論争について要約すると,私はこう思う。


*山本氏が,アベマプライムや,類似のことを主張しているYouTube動画で主張していることは,結論としては,ある範囲では正しい。
*しかし,これらの動画では論証で一番必要なところをすっ飛ばしているので,根拠を示さない主張になっている。したがい,批判されるのはもっともである。山本氏の支持者たちも,肝心かなめの根拠を説明していないので,米山氏は,彼/彼女らの主張が根拠のないものと受け取っている。
*その一方,米山氏がマクロ経済学の常識として述べていることは,確かに常識なのだが,ある重要な点で正しくない。
*したがい,根拠なき主張になっている点では山本氏に問題がある。一方,結論は米山氏よりは山本氏の方が妥当である。
*もっとも,山本氏の主張もいつでもどこでも当てはまるわけではなく,一定の条件を必要とするものである。
*れいわ新撰組の文書を見ると,山本氏の主張の根拠は書かれているが,やはり説明は足りない。

 山本氏は,「誰かの赤字は誰かの黒字」「政府の赤字は民間の黒字」「政府の負債は民間の資産」と主張して,政府が財政赤字を出すことによって民間は黒字となり,所得と雇用が生み出されて経済が回ると主張している。そして,政府の赤いと民間の黒字が対応している証拠として資金循環表をアベマプライムでもYouTube動画でも提示している。

 これに対して米山氏は,「非常に不正確で正確には「政府の赤字は国債を買った人の黒字。但しそれは、例えば100万収入がある人が、自分では50万しか使わず50万国債を買ったので収入(100万)>支出(50万)になって黒字なだけで別に何か富が生み出されている訳ではない」です。」と述べている。また補足として別の投稿では,「「政府の赤字」=「国債発行額」である以上(赤字は国債で埋めなければ支出できない)、論理必然に「民間の黒字」=「国債購入額」になります。」とも述べている。

 さて,この論点について私がどう考えるかである。実は以前もランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』の読書ノートとして投稿したことがあるが(※1),わかりにくいところが残っていた。より分かりやすくすることを心掛けて説明する。

 まず資金循環表を使って「政府の赤字は民間の黒字」と言えるのは,いわゆるISバランスのことである。対外関係を捨象すると,

政府支出-税収=民間貯蓄-民間投資
G-T=S-I

は必ず成り立つ。

 しかし,このことから,財政赤字が貨幣所得を生み出すという議論は直ちには言えない。財政赤字が貨幣所得を生み出すと説明しただけではなく,政府が国債を発行したことの作用も言わなければ不十分である。政府が国債を発行した際に民間からお金を吸い上げれば,生み出した貨幣所得は相殺されてしまう。しかし,民間からお金を吸い上げずに国債を発行できれば,そうはならない。このどちらが生じるのかについて,資金循環表では何もわからないのである。

 では,国債発行は民間資金を吸い上げるか。常識的なマクロ経済学で思考すれば,答えはイエスである。しかし,実は重要な場合に答えはノーなのである。それは,銀行が新規発行国債を購入する場合であり,現実に大きな割合を占める場合である。

 ここで切り口を貨幣論的にする。

 いま,硬貨は無視し,預金はみな当座性預金だと単純化すると,

・マネーストック(民間の貨幣流通量)=銀行預金と日本銀行券
・マネタリーベース(日本銀行が直接供給する貨幣供給量)=日本銀行当座預金と日本銀行券

となる。財政赤字によって貨幣所得が増えて経済が回るのは,政府支出でマネーストックが増えた場合である(※2)。国債発行が民間資金を吸い上げるとマネーストックが減ってプラマイゼロになり,吸い上げなければプラスのままになる。

 さて,政府が赤字支出を例えば100億円すると以下のことが起こる。なお,支出は企業・家計への口座振込で行われるものとする。


*政府が100億円赤字支出をしたとする。政府は受取人ごとの明細を記した振込指図書と政府小切手を日銀に交付する。
*日銀は,政府預金から100億円を取り立て,受取人が口座を持つ銀行の日銀当座預金に入金する。銀行はこれを受けて受取人の預金口座に100億円入金する。
*したがい,社会全体として銀行預金が100億円増える(=マネーストックが増える)。そのため,民間所得100億増円となる。
*銀行の準備預金(日銀当座預金)も100億円増える(=マネタリーベースが増える)。銀行は支払い仲介しただけなので,負債(預金)が100億円増,資産(日銀当座預金)が100億円増で,収支はプラマイゼロである。
*政府預金が100億円減る(なお,政府預金はマネタリーベースにもマネーストックにも含まれないことに注意して欲しい)。
*政府は赤字分を国債100億円を発行して調達する。銀行がこれを買うと,準備預金が100億円減る(=マネタリーベースが減って元に戻る)

 この動きをマネーの増減としてだけ見ると,以下のようになる。

・民間所得が増えてマネーストックが増えた。
・マネタリーベースも増えた。
・国債は,増加したマネタリーベースからの融通で消化された。
・マネタリーベースはプラマイゼロに戻った。

 だから,財政赤字分だけマネーストックは増え,貨幣所得が形成されたのである。

 このとき,「民間の黒字」や民間貯蓄によって国債が購入されているのではない。赤字支出で増えたマネタリーベースで国債が購入されているのである。

 なぜこうなるかというと,「財政支出をするとマネーストックもマネタリーベースも増える」,つまり「貨幣発行量が増える」からである。どうして増えるかというと,「中央政府は銀行にお金を支払って,預金債務を増やしてもらった」からであり,「日銀は準備預金という債務の増加を受け入れた」からである(※3)。銀行預金というマネーストック,日銀当座預金というマネタリーベースが増えたのである。

 常識的なマクロ経済学で考えると,こうはならない。それは,銀行が中銀当座預金によって国債を購入するというしくみが,常識的マクロ経済学では把握できないからである。しかし,これは現実である。敢えて言うならば,私の言っていることは個人的思想ではなく,銀行実務を叙述しているだけである。

 多くの人は,なお騙されたような気持になるかもしれない。「国が借金したならば,どこからかお金を持ってきたはずだ。借金しただけでお金が増えるというのはおかしいではないか」と思うだろう。山本氏や,またMMT(現代貨幣理論)の主張をトンデモだという人も,大体このように考えてのことだろう。

 しかし,そうではないのである。まず債務とは,「誰かが持っているお金を融通してもらう」こととは限らない。「支払約束の証書を新たに発行する」ことも債務である。そして,預金貨幣や日本銀行券は,こうした証書なのである。銀行の債務証書や日銀の債務証書が,銀行や日銀の信用度の高さゆえに貨幣として流通しているのである。こうした貨幣を信用貨幣という。だから,「債務証書を新たに発行する」ことこそ貨幣の発行なのである。「借金するから,新たな債務証書が流通してお金が増える」のである(※4)。

 財政赤字の効果を理解するには,この信用貨幣のしくみと,中央政府ー中央銀行ー銀行間の取引関係の二つを把握しておくことが必要である。

 最期に,もういちど山本氏と米山氏の主張に戻る。山本氏の主張が理解されないのは,動画では資金循環表を持ち出すだけで上記二つのしくみの説明をすっ飛ばしているからであり,それ故,「国債発行は民間資金を吸い上げない」ことが説明できていないからである(※5)。他方,米山氏が依拠する常識的マクロ経済学では,もともと「国債発行は民間資金を吸い上げる」と誤認しているので,財政赤字が民間所得に対してプラマイゼロだと見誤ってしまうのである。山本氏は結論は妥当だが根拠の説明がなく,米山氏は結論が妥当でない。米山氏の結論が妥当ではないのは,米山氏個人の問題ではなく,常識的マクロ経済学の問題である。

 なお公平のために言うと,れいわ新撰組の文書では,信用貨幣のしくみと,中央政府ー中央銀行ー銀行間の取引関係が把握されているように見える(※6)。しかし,「統合政府が貨幣を発行している」ことの説明はされているのだが,「国債を発行しても民間資金は吸収されない」という側面の説明が弱い。その点の説明にもっと注意を払い,演説などでも不可欠の要因として加えていくことが必要だろう。


<補足説明:財政支出の有効性について>

 貨幣表現の需要が増えて貨幣所得が増えるとしても,それで「ものとしての富」が増えるかどうかは,また別問題である。政府が行った事業が,社会にとって適切かどうかは,増えたカネの金額だけでは決まらない。

 たとえば,完全雇用状態で財政赤字を出してもインフレになるだけであって実質所得は増えない。つまり,出発点において需要不足であるかどうかが政府支出の有効性を左右する。

 また,失業者を吸収する際に「テキトーに穴を掘って,また埋め戻して下さい。給料は払います」としても,「地震で壊れた道路を復旧する仕事をしてください。給料は払います」としても,カネの動きは変わらないが,社会的には後者の方が明らかに望ましい。この社会的望ましさは,生まれた所得の金額だけでは判定できない。別の基準によって,「富が生まれた」かどうかを判断しなければならないのである。つまり,財政支出の成否は,金額の大きさだけでなく,それによってどんなモノ・サービスがどう生まれたかに依存する。だから財政支出は,タイミングと中身がたいへん重要である。赤字財政は一定の場合に積極的効果を持つが,どんな場合でも財政赤字を一方的に拡大させればよいということにはならないのである。


※1 「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html,「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_22.html

※2 貨幣所得が増えて実質所得も増えるのは,購入すべき在庫や雇うべき人がいる不完全雇用状態の時である。完全雇用状態の時は,インフレになるだけで実質所得は増えない。後に補足する。

※3 この設例では,日銀は国債を引き受けたわけでもないし,買いオペレーションさえしていないことに注意して欲しい。政府支出の際に,ただ黙って銀行の準備預金(日銀当座預金)100億円が増えて政府預金が100億円減るのを受け入れただけである。それでどうして貨幣を発行したことになるかというと,準備預金はマネタリーベースだが,政府預金はマネタリーベースに含まれないからである。
 ほんらい,準備預金は日銀が銀行に信用供与する際に発行するものである。しかし,この場合,準備預金が一方的に増えることで,マネタリーベースは増えたのである。これは財政赤字が中央銀行に与える独特の作用である。

※4 誤解を避けるために言うが,ここで言う「債務証書」とは発行された国債ではない。増加した銀行預金と中銀当座預金のことである。国債が貨幣なのではない。国債は,中銀当座預金によって買われる金融商品である。国債を貨幣等価物とみなす議論がよくあるが,マクロ的な貨幣流通の議論においては話を混乱させるだけなので止めるべきである。

※5 「れいわ財政政策」れいわ新撰組サイト。
https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/newdeal2021_01/

<参照>
米山氏の最初の山本批判のポスト。2024年2月10日。
https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1756230337162846325

米山氏の批判に関する報道。「米山隆一氏 れいわ山本太郎代表の言説を全否定「非常に不正確」「ミスリーディングな幻想を語るのも大概に」デイリー,2024年2月11日。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f83b1c3976e147d60d4e5f64bb1feb36517c047

補足として引用した米山氏のポスト。2024年2月12日。
https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1756987125265014867

山本氏のアベマプライムのフル動画。「【国債発行】「テレビでは聞かない話、半信半疑だと思う」独自色が強い経済政策をどう実現?れいわ新選組 山本太郎代表に聞く【ノーカット】」ABEMA Primetチェンネル, YouTube, 2022年2月1日。
https://www.youtube.com/watch?v=iW5gkmMKAN0

同様の主張をしている山本氏の演説動画。「【国の借金=私たちの借金は嘘!?】テレビ新聞で報じない 25年のデフレを脱却する方法【山本太郎】」れいわ新撰組チャンネル,2021年10月19日。
https://www.youtube.com/watch?v=t76Ep77Mo0Q

2024年2月13日火曜日

問題はあるも工業生産力を拡大し,不動産バブル崩壊はあるも海外より資金が流入し続けた2023年のベトナム経済

 ベトジョー記事等を解釈して2023年のベトナム経済を論じる。

 2023年のベトナムの実質GDP経済成長率は5.05%であった。2022年の8.02%よりは落ち込み,また政府目標の6.5%には届かなかった。2010年代後半には6%代を維持していたが,成長率を下げる構造的変化があったかどうかは,まだ何とも言えない。

 ベトナム経済の成長を支えるのは,海外からの資金流入である。2023年の海外直接投資実行額は前年比3.5%増の232億ドル,認可額に至っては前年比32.0%増の366億ドルと推定されている。さらに在外ベトナム人からの本国送金額が,年平均73億ドルと試算されている。豊かになった国内で発生する所得はもちろん,これらの流入資金もベトナムの投資と消費を支えている。

 投資はベトナムを工業化させており,輸出品の構成を製造業品,とくにコンピュータ・電子製品・部品,携帯電話・部品などに高度化させている。輸出の7割は外資が担っている。ベトナムは国際分業の中で組み立てなどの労働集約的工程を担っているから,たとえば最大の輸出品であるサムスンのスマートフォンを輸出しても,部品は輸入しなければならない。とはいえ,全体として280億ドルの貿易黒字を確保しているのだから,工業製品だけでなく農産物輸出に依拠している部分はあるにせよ,国全体としての生産力は向上を遂げていると言ってよい。

 弱点は,成長したと言っても製造業に深みがなく,投資が不動産に流れ込んでしまうことだろう。近年のベトナムでは超高層オフィスビル,マンション,郊外の一戸建て住宅地の開発が,短期滞在で目で見るだけでもわかるほどに盛んになっている。しかし,建設途上で放置されている建物があることも事実である。

 欧米諸国が,ポストコロナインフレ抑制のために行なった金利引き上げはベトナムにも打撃を与え,2022年の大手デベロッパー,タンホアンミン・グループの社債不正発行事件以来,不動産不況が2023年まで続いた。そのことは私の研究対象である鉄鋼業にも需要停滞となって影響した。

 この構図は中国と類似しているが,いまのところ経済全体を停滞に追いやるほどではない。そのことの例証として,ベトナムの外貨準備がある。ベトナムの外貨準備は2021年に1094億ドルにまで積み上がったが,2022年のドル高・ドン安に対応して中央銀行はドン買い・ドル売りの為替介入を行った。ベトナムの通貨当局がドル売り介入を挑むのは無謀と思えたが,外貨準備高は2022年末に865億ドルに減少したものの,2023年末には990億ドルまで回復した。介入の妥当性はとにかくとして,欧米の金融引き締め→ドン安・不動産不況→経済危機と連鎖させずにすんだことのひとつのあらわれであろう。

 ベトナムの成長に期待した資金流入がまだ継続しているために,不動産不況が経済全体の危機には至っていない。今後はどうか。注目していきたい。

 

「ベトナム経済を振り返る:国内総生産(GDP)成長率編 2023年版」ベトジョー,2024年2月8日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206205135.html

「ベトナム経済を振り返る:対外収支編 2023年版」ベトジョー,2024年2月9日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206210410.html

「ベトナム経済を振り返る:物価上昇率(CPI)編 2023年版」ベトジョー,2024年2月12日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206210808.html

「ベトナム経済を振り返る:外国為替レート編 2023年版」ベトジョー,2024年2月13日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206211329.html

小宮佳菜「ベトナムの不動産市場停滞の背景と今後の見通し」『国際通貨研レポート』2023年12月5日。
https://www.iima.or.jp/docs/newsletter/2023/nl2023.39.pdf

2024年2月10日土曜日

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか

 日本製鉄のUSスチール買収提案について,トランプ氏や全米鉄鋼労働組合(USW)が反対しているという報道(※1)。こうした反対は,日鉄にとって織り込み済みであったろう。大統領選挙の政争に巻き込まれれば冷静な議論の対象でなくなることも当然予想がつくはずで,何らかの対策を持っているはずだ。森副社長は「政治の思惑だけでブロックすることはできない」と発言したと報じられているが,実際にそう達観しているわけではないだろう。

 しかし,どのような対策を持っているのか。

 日本企業のアメリカ進出に関するこれまでの経験から類推すれば,雇用に対するコミットメントが考えられる。アメリカの労使関係では,平常時には解雇よりえこひいきや差別の方が排除すべきものとされ,レイオフ(一時解雇)は社会的に容認されている。しかし,不況や国際競争力低下でレイオフが回復不可能な恒久的解雇となり,大量現象となるにつれて,それもまた社会的非難の的となる。USスチールは世界金融危機以後,連続的に従業員を減らし続けてきた。2008年の4万9000人から2023年には2万1803人と,55%も削減された(※2)。正確に言うことはできないが,その多くは会社による解雇であったと推測される。11月末にもイリノイ州グラニット・シティ製鉄所で400名のレイオフを発表したばかりで,これで9月以降に同製鉄所で1076名を解雇することになる(※3)。

 対して,日本の大企業が,日本で雇用の維持に強くコミットしていることはアメリカにも知れ渡っているし,日本製鉄は過去10年を見る限り従業員を減らしてはいない(瀬戸内製鉄所呉地区閉鎖で今後減るとは思うが)(※4)。

 だから,雇用維持と,それを支える工場への新規投資に関するコミットメントを発するのが,日本企業の買収をアメリカ社会に受け入れてもらうための常道なのである。

 しかし,日鉄がその道に踏み出すことにはリスクがある。USスチールの製鉄所には,将来に向かって拡張すべき電炉鋼板ミルもあれば,縮小の道をたどる以外考えにくい,つぎはぎ投資でなんとか持たせている老朽製鉄所もある。後者を縮小するために,レイオフという手段を捨てたくはないであろう。

 日鉄が隠し持っているのは,雇用維持へのコミットメントなのか,別の方策なのか。

※1「日鉄、USスチール買収への反発「想定内」 海外担当役員」日本経済新聞,2024年2月7日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC06E2F0W4A200C2000000/

※2 United States Steel Employees(StockAnalysisサイト)
https://stockanalysis.com/stocks/x/employees/

※3 Sara Samora, US Steel lays off more than 1K as it indefinitely idles Illinois plant, Manufacturing Drive, November 30, 2023.
https://www.manufacturingdive.com/news/us-steel-idles-granite-city-illinois-plant-lay-off-over-1000/701023/

※4  日本製鉄従業員数の推移(同社サイト)
https://irbank.net/E01225/worker


2024年2月6日火曜日

立原透耶編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』新紀元社,2023年を読んで

 立原透耶編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』新紀元社,2023年。帯にも抜粋されている解説で林譲治氏は「『世界の中で中国とは何か?』という問いかけが無意識のうちになされているように思う」と書かれているが,私はむしろ,本書に収録された作品はどれも中国という場所にこだわらず,人間とは,人類とは何であり,何でありうるか,という問いに向かっているように思う。舞台が中国であれ,主人公が中国人であれ,ガジェットが中国で知られたものであっても,そこで問われているのは個々の人間の生が,また人類という種が,どこまでのことを経験し,どこまでのことをなしうるかなのだと思う。

 中国SFをそれほど多くを読んでいるわけではないが,その方向性は多様である。SF的想像力に基づきながら現代中国の内面を掘り下げた小説もある。その一方,本書のように中国という限られた場から解き放たれていくようなSFもある。ともに世界で読まれるべき中国発のSFと思う。

出版社ページ

http://www.shinkigensha.co.jp/book/978-4-7753-2023-5/



2024年2月4日日曜日

アメリカ経済の運命を左右するのはFRBのQTか,それとも国債の償還・借り換えか

 FRBの金融引き締めがいつ,どのように転換を迎えるかが話題となっている。しかし,その議論はかなり入り組んでいる。たとえば,「リバースレポ残高が枯渇すると市場の流動性がひっ迫するおそれがあるので,QTのペースを落とした方がいい」などと主張されているが,多くの人には何が何やらだろう。

 しかし,そもそもQTの理解に問題があるのではないかというのが,本稿のテーマである。FRBはコロナ後のインフレに直面して金融引き締めを行っているが,伝統的な手段,つまり手持ち国債を売却して金利を引き上げるという方法が,市場にショックを与えやすくとりにくいという問題に直面している(これは金融緩和の出口を模索する日銀も同じである)。そのため,引き締めは,準備預金金利引き上げ,リバースレポ金利引き上げ,そしてQTによって行われている。QTとは,売りオペレーションをするのではなく,保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入しないことによって,バランスシートを縮小することである。本稿は,この三つの引き締め手段のうち,QTに対象を絞って論じる。

 さて,QTに関する市場関係者の議論を聞いていると,そのほぼすべてが「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」,もう少し正確に言うと「QTをすれば準備預金またはリバースレポ残高が減る」と理解している。だから,最近のリバースレポ残高の減少について,「リバースレポがなくなってしまった後もQTを続けると,準備預金が大きく減って金融が引き締まる」と理解して,その行き過ぎで金利が急騰することを心配しているのである(※1)。

 しかし,「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」というのは果たして正しいのだろうか。QTのオペレーションをよく見てみよう。注意すべきポイントは,QTに国債が関わることである。国債購入に投じられたマネーは政府の下で眠り込むのではなく,財政支出される。このことを含めてQTと国債償還,または借り換えの効果を見る必要がある。

1)QTが行われる。まず,政府は国債償還のために課税等を強化してマネーをかき集め,政府預金を増やす。そして国債を償還する。FRBのバランスシートでは,まず負債側で政府預金が増えて連邦準備銀行券(つまりドル札の現金)発行高が減る。その後,資産側で国債が減り,負債側で政府預金が減る。結果として,負債側で減ったのは銀行券発行高である。通貨供給量(マネーストック)は減少する。準備預金は減少しない。ただし政府が課税した際に銀行預金を引き出して応じた人が多ければ,その分は銀行券でなく準備預金が減少する。

 このように,QTが行われ,政府債務が減少した場合は,マネーストックは確かに減るので,おおむね金融は引き締まる。ただし,銀行券と準備預金がどういう割合で減るかは,場合による。

2)話がここで終わらず,政府は国債を借り換えて政府債務総額を維持した場合を考えよう。借り換え国債は銀行が購入するとしよう(MMFが購入することもあるのだが,それについては別途考察する)。今度は銀行の準備預金が減り,政府預金が増える。しかし,これで終わりではない。政府は財政支出をする。仮に小切手支払だとすると,受け取り手はこれを取引銀行に持ち込んで預金か現金にかえる。銀行は政府に支払いを要求し,FRBの決済システム上で,政府預金から準備預金へと振り込んでもらうことで支払いを受ける。これで銀行の準備預金は回復する。したがいFRBのバランスシートは変化しない。ただし,政府支出の受け取り手が現金を選ぶと,その分だけ銀行は準備預金を引き出すので,準備預金は完全には回復せず減少し,その分だけ現金発行高が増える。政府債務は借り換え債発行前よりは増え,以前の国債償還前とは同額になる。そして,マネーストックは,借り換え債発行前と比べると,財政支出の受け取り手が得た預金または現金の分だけ増える。そして国債償還前と同額まで回復する。

 このように,QTが行われて政府債務総額は維持された場合は,マネーストックは変動しない。したがい金融もおおむね引き締まらない。準備預金は,政府支出が預金で受け取られた分は変動せず,現金で受け取られた分だけ減る。現金で受け取られる割合は,これも全く場合による。

 以上の理解が正しいとすると,「QTで準備預金は減って金融が引き締まる」と思い込むところが,そもそもおかしいのである。単純化のために,仮にこれらの取引に現金が用いられることないとすると,1)では準備預金は減るし金融は引き締まるが,2)では全く減らないし,金融も引き締まらない。この大きな違いを左右するのは,国債が借り換えられるか否かであることがわかる。

 「QE(量的緩和)では準備預金が増えるんだから,QTでは減るだろう」と思う人がいるかもしれない。しかし,そうではない。QEとQTではちょうど正反対のことをしているわけではないからである。QEでは,FRBは買いオペレーションを行う。つまり銀行が購入した国債を買い上げているので,準備預金が増えるのである。対してQTは,QEの正反対である売りオペレーションをするのではない。売りオペレーションによるバランスシート縮小は,市場へのショックが大きいため行われていない。QTとは満期国債の償還を受けることなのである。

 だから,QTそれ自体では,金融が引き締まるかどうかは決まらない。それを決めるのは,償還された分の国債が借り換えられるか否かなのである。

 だから,金融政策であるQTの効果とみられるものは,実際には財政政策の効果である,それも,QTによって一義的な結果が出るものではない。国債発行の縮小か継続かによって効果は全く異なる。FRBによるQTの選択ではなく,財政民主主義による財政支出の選択こそが本当の問題だ。

 QTそれ自体に効果があるとすれば,「もうこれ以上,国債を買いオペしませんよ」というシグナル,もっと言えば「国債をFRBで買い支える事実上の財政ファイナンスははやりませんよ」というシグナルを政府に対して送ることだろう。それも,金融システムそれ自体を操作するのではなく,結局は国債借り換えに対する警告である。

 国債発行を選択の問題とした場合,国債消化がそれを制約しないかという問題はある。QTの下で国債発行を続けた場合,FRBのによる買い上げを当てにせず,市中で消化しなければならないからだ。しかし,現状のアメリカで国債の引き受け手がなくなるとは考えにくい。むしろ,世界金融危機後の金融商品取引への規制は,銀行やMMFを国債に買い向かわせる効果を持っている。

 国債の消化自体は問題がないとすると,問題は,国債償還による財政支出の縮小か,借り換えによる財政支出の継続かである。QTと国債発行高縮小の組み合わせが取られた場合は,需要にはマイナスの圧力がかかる。逆にQTと国債償還の組み合わせが取られた場合は,その圧力はかからず,従来規模の財政赤字の下での政府支出規模が維持される。どちらが望ましいかの問題だ。まったくマクロ的に見れば,現状では,支出を絞れば超過需要によるインフレを冷ますにちょうどよいだろう。しかし,財政の問題は,支出規模だけでなく,内容も問題となる。物価を上昇させるだけで実質的に需要を拡大できない支出は無駄である。しかし,政府機関を止めずにその機能を維持するための支出は必要だろう。また,インフレ下での生活苦から消費者を救済する支出や,技術開発や人材育成や脱炭素社会のインフラ整備など経済の供給能力を改善して,長期的インフレ圧力を軽減することも有益だ。ポストコロナのインフレ下では,財政の総支出規模を絞り気味にすることと,必要な支出を確保することは区別する必要がある。

 財政の問題を抜きに,また財政支出の内容の吟味を抜きに,「QTが金融をどれほど引き締めるか」という次元だけで議論しても,空転気味の車輪で前進を図るようなものだと,私には思えるのである。

※1 話が横道にそれて複雑になるので,注で説明する。市場関係者は以下のように考えているのだと思われる。
<FRBがQT(量的引き締め)をする,つまり「保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入することはせずに,バランスシートを縮小する」と,FRBバランスシートの資産側で国債が減少する。では,負債側では何が減少するか。それは政府が借り換えのために発行した国債を,誰が購入するかによる。国債を銀行が超過準備で購入したならば,銀行の資産側,FRBの負債側で準備預金が減る。一方,MMFが購入したならば,MMFの信託勘定の資産側,FRBの負債側でリバースレポが減る。2023年半ばからリバースレポ残高が急速に減っているのは,FRBがQTを続ける一方,MMFが運用先をリバースレポから短期国債に切り替えているからである。FRBがQTを続け,政府が国債を借り換え続けると,FRBの負債側では準備預金かリバースレポが減る。リバースレポがなくなってしまうと,減るのは準備預金になる。準備預金が減ると銀行の融資や金融商品購入が制約され,金利が急騰するかもしれない。だから,リバースレポがなくなる前にQTのペースを落とした方がいい。>
 この議論の問題は,政府が国債を発行して集めたお金を支出した際の効果を見落としていることである。実際に銀行が借り換え国債を購入した場合には,FRBの準備預金は減少しないことは,本文を参照して欲しい。

信用貨幣は商品経済から説明されるべきか,国家から説明されるべきか:マルクス派とMMT

 「『MMT』はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性」東洋経済ONLINE,2024年3月25日。 https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/daa72c2f544a4ff93a2bf502fcd87...