2021年2月25日木曜日

「私営」でも「国有」でもない「共有企業」という改革案:張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」を読んで

 張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」『財新』2021年2月19日。

 正しく読めたかどうか自信はないが(→留学生に確認したら大丈夫とのこと),著者はおおむね以下のように主張している。

 中国における「公有」「非公有」の二分法は単純に過ぎるので,三分法にすべきである。自由放任資本主義や完全な社会主義と異なり,現代の市場経済では個人の貯蓄が大量に形成されている。それらは,何らかの機構に委託されて投資されるが,受託者は利益に対する排他的な権利を保有している。こうした金融仲介を行う企業,すなわち民営であれ公共管理の下にあるのであれ養老基金,保険会社,商業銀行,投資基金,単位信託基金などは私営とも国有とも異なる「共有企業(jointly owned enterprise)と呼ぶべきである。

 この共有企業の考えを年金保険制度の改革に活かし,個人口座に対する個人の排他的な請求権,基金の受託者責任,政府の非介入を実現すべきである。

 また,国家が保有する国有企業の株式の一部は機関投資家に委託し,その投資収益は国民全体に配分し,政府は制度の運行と受託機関投資家の選択に責任を負って,企業の経営的意思決定には関与しないという運用が可能である。これにより国有資本の国家所有権を保持しつつ「政企分離」を徹底し,国家所有権と市場経済の対立を減らすことができる。また低所得者の保護を手厚くし,国民全体の共通利益を促進することができる。

(感想)

 現代資本主義における機関所有の増大に注目しつつ,これを中国の経済改革に結びつけた面白い発想と思う。ピーター・ドラッカーの年金基金社会主義やアドルフ・バーリの財産なき権力論を,中国の現状に対応させたような感触を得た。これら機関投資家所有に注目したアメリカの議論では,個人所有から機関所有へのシフトに注目し,機関所有家の行動原理は個人投資家と異なるのではないか,異なるべきではないかと問う。そこでの議論のポイントの一つは,一方で個人大資本家が縮小し,他方で労働者が年金基金加入者になって,いずれの資本も機関投資家が管理し,投資先を決定していることである。

 この張春霖氏の論稿の場合,国有資産も個人資産も実は機関投資家に運用を委託されているのだから,機関投資家の行動原理に従うべきではないかという風に構成されている。それによって,一方では国家の個々の企業活動への介入を抑制しようとして,近年危うくなっている政企分離を改めて進めようとし,他方では個人の年金資産や投資にに対する権利を確定しようとしているように見える。巧みな構成である。中国の政治経済においてどのくらい実行可能性を持つか,私の知識では判断できないが,少なくともいきなり政治的に否定されにくい論理になっているように見える。

 ただ,著者の改革が仮に実現しても,その先には,欧米資本主義と同じように,機関投資家が実際にはだれの立場を代表しているのかという問題が生まれだろう。一方で機関投資家が「物言う株主」になった場合に,それは誰の立場をどのように代表しているのかという問題がある。他方で,個人は年金基金に加入していても受益権があるだけで,投資決定や投資先企業の意思決定には参与できないという問題がある。これらは,著者の改革が実現しても難題となるように思える。

 なお部分的なことであるが,銀行は貯蓄を貸し付けに仲介しているのではなく,銀行が(原理的にはその株主が)リスクを取って預金を創造することで同時に貸し付けている。よって,金融仲介を根拠に銀行を「共有」企業に入れることは賛成できない。銀行は,通貨供給と決済という機能を持つ独自の機関であると位置づけた方がよいと思う。

2021年2月24日水曜日

吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年を読んで。

 吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年。吉川方人様のご厚意により入手して読むことができた。私が内生的貨幣供給論をあれこれ模索してたどり着いた見地は,貨幣・信用・銀行の一般理論の次元では,故・吉田暁教授の見解とほぼ同じであったことが確認できた。もっと早く気づくべきであった。もっとも,本書は一般理論の書として書かれているわけではない。原論文が書かれた時点でのトピック(CMAなど銀行以外の決済業務への参入と呼ばれた事態やナロウバンク論)に即した論じ方になっているため,その理論的立場は,読者が一定程度努力して読み込む必要がある。

 「はしがき」によれば,吉田教授は1955年に東京大学経済学部を卒業された。ゼミナールでは横山正彦氏,研究会では日高晋氏の指導を受け,マルクスのオーソドックス解釈と宇野理論の双方を学ばれた。志村嘉一,林健久,山口重克といった方々が学友とのこと。卒業して全国銀行協会連合会(全銀協)に1985年まで勤務されてから武蔵大学に転身された。私は本書で,吉田教授の内生的貨幣供給論が,経済原論の学びと銀行系エコノミストとしての研鑽の成果であったことを知った。

 なお,吉田教授の内生的貨幣供給論と,マルクス経済学内部の外生的貨幣供給論の違いは,以下でよくわかる。

吉田暁(2008)「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2), 15-25。






2021年2月21日日曜日

「中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関する日本銀行の取り組み方針」を読んで:預金減少が起こす問題は信用創造の制限でなく銀行間競争の激化

 日銀は,2021年春に中央銀行デジタル通貨(CBDC)の実証実験を行うとのこと。中国やスウェーデンはすでに実証実験に入っており,カンボジアとバハマではすでに運用が始まっている。今後の動向が注目されるので,日銀が2020年10月に発表した「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針」を読んでみた。以下,コメントする。

・ホールセール型CBDCと一般利用型CBDCの区分について。ホールセール型CBDCというのは,単に中央銀行当座預金をデジタル技術革新したものである。これは「利用者を一部の先に限定した電子的な中央銀行マネーという点で、民間銀行が中央銀行に保有する当座預金と共通している」(引用。以下,カギカッコ内は同じ)。実際,図表2のベン図でも同じところに入っている。いまでも中央銀行当座預金はデジタル化されているのだら,これを何か別の存在に置換える必要はない。中央銀行当座預金が,何か別の存在に置き換わるかのように言うのは混乱の下であり,やめた方がいいと思う。

・一般利用型CBDCについて。これを間接型で供給し,「現金と同様の中央銀行マネーとして,決済のファイナリティ(支払完了性)および即時決済性」を持たせ「誰でも使える」ようにするという点は注目される。これは要するに,一般利用型CBDCとは中央銀行債務であり,現金=中央銀行券のデジタルトークン化だということである。私の意見では,CBDCを間接供給の,現金のデジタル化として設計することは,そうでない方式に比べて合理的であり,支持できる(※1)。

・「CBDCの発行により、銀行預金からCBDCへの大幅な資金シフトが生じれば、民間銀行の金融仲介機能に影響を及ぼすことになる。例えば、銀行預金よりもCBDCの利便性が高くなると、銀行預金は大きく減少してしまい、そのことを通じて銀行の信用創造が抑制されるとの指摘がある」。これは,非常に不安にさせられる文章である。預金が現金やCBDCで引き出されるとどうなるのかを考えてみよう。

 銀行は,借り手の預金を設定することによって貸し付ける。このとき,中銀に持っておく準備は必要であっても,事前に預金は必要ない。銀行は信用仲介機関ではなく信用創造機関であり,貸し付けることによって預金通貨を創造する(内生的貨幣供給論)。そして,現金やCBDCは貸し付けによって生まれた預金を,借り手aや,その支払先の企業bや個人cが引き出すことによって必要となるのである。この時,aまたはbまたはcの取引銀行は中央銀行券やCBDCを預金者に渡さねならず,それは中銀当座預金をおろして調達するしかない。貸し付けによって預金が生まれ,その預金が引き出されることによって現金やCBDCが流通する。つまり他の条件(過去からの履歴や政府の財政や対外取引)を抜きにすれば,現在の制度では「銀行貸出総額=預金総額+現金総額」である。CBDCが実用化されれば,「銀行貸出総額=預金総額+現金総額+CBDC総額」である。

 先ず信用創造で貸出=預金が生まれ,後からその預金がどこかで引き出される。だから,預金の引き出し額が大きくなっても,それは事前になされた信用創造額を所与として,預金・現金・CBDCの比率が変わるだけである。

 ただし,銀行が預金を失うということは,その分だけ準備=中銀当座預金(と手持ち現金・CBDC)を失うということでもある。預金はいつ現金やCBRDで引き出されるかわからないのであるから,銀行は準備を持っておかねばならない。だから,準備を失うということは,その後の貸し付け能力に制約が加わるということである。この点では,預金がCBDCで引き出されると金融引き締め効果があり,信用創造が制約されると言える。

 もっとも,国債が大量に発行され,かつ低成長のこの時代,銀行は全体として大量の国債を保有してる。そのため,準備は買いオペレーションによって中銀から容易に供給される。現に21世紀になってから日銀当座預金は積み上がるが,マネーストックはなかなか増えないというのが日本の現実である。現代の中央銀行は,現金比率の上昇による引き締め効果には,十分対応できるとみてよい。銀行全体については,預金縮小による信用創造への制約を心配する必要はないだろう。

 しかし,個々の銀行にとっては異なる。預金の降ろされ具合は銀行によって異なり,また全体として預金が減少した場合の影響も銀行によって異なってくる。規模の小さな銀行は苦しくなるだろう。つまり,CBDCで預金が大量に降ろされると資金調達競争が激化し,そこで敗れる銀行が出てくるだろう。これが,本当の問題なのである。

 日銀が,このような問題の構造をつかんでいるのかどうか,上記の引用文の表現ではよくわからない。むしろ,日銀が銀行=信用仲介機関説(外生的貨幣供給論)という,学会で多数ではあるが誤っており,銀行実務にも反する見解に立っているのではないかという疑いを抱く。つまり,信用創造とは本源的預金に基づく現金の貸付,その一部の預金還流,そのまた貸付というたらいまわしであり,預金が流出すれば信用創造の原資が縮小すると考えているのではないかと疑われるのである。

 日銀はかつて「日銀理論」と呼ばれる,銀行=信用創造機関説に近い見地を取っていたのだが,黒田総裁になってから,量的金融緩和を正当化する銀行=信用仲介機関説に完全に転向したと見られる。この転向がCBDCへの見方にも影響を与えているのではないかと懸念する(※2)。

・「CBDCが決済手段として広く用いられるためには、プライバシー保護の面で利用者が安心できる設計・運営が求められる」。もっともである。現金は取引履歴の情報をほとんど記録しない(指紋がついたりすることはあるとしても)。しかし,CBDCについては設計次第である。中央銀行が個人の取引情報を握ってよいという理由はない。この点では,中央銀行や政府の方針に今後とも十分注意する必要がある。


※1「中央銀行デジタル通貨:口座型はまったく不合理であり,トークン型に絞って検討すべき」Ka-Bataブログ,2019年12月4日。


※2 黒田総裁のリブラについての発言からは,日銀,銀行を信用仲介機関とみなしていることがうかがえるという。建部正義「中央銀行デジタル通貨(CBDC)と民間デジタル通貨(libra)をめぐって」『ジャーナル・オブ・クレジット・セオリー』創刊号,信用理論研究会,2020年11月。



「『中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針』の公表について」日本銀行,2020年10月9日。


2021年2月19日金曜日

経済が成長するときに,流通に必要な通貨はどのように供給されるのか

 現代の管理通貨制のもとで経済が成長するときに,流通に必要な通貨はどのように供給されるのだろうか。ここには,一見矛盾する二つのもっともらしいストーリーが存在する。この二つは実は両立するのだが,両立の論理は我々の直感と必ずしも一致しないし,経済学の様々な学派の常識とも必ずしも一致しない。

1.経済が成長すれば必要な通貨量は増大する

 貨幣・通貨の種類は問わずに,資本主義経済が成長し続けていると考えよう。企業は生産活動を行い,利潤をあげ,これを一部は資本所有者の所得として配当し,それ以外は再投資する。労働者は労働力の再生産費を基準とした賃金を得る。経済が成長し続ければ,企業利潤は増大し,雇用は拡大するので賃金総額も増大する。流通する財・サービスの付加価値総額は拡大する。

 したがって,いま貨幣の流通速度を一定とすれば,流通のためにより多くの通貨が必要となる。一方,資本の回転の中で一時的に遊休する貨幣,設備投資のために積み立てねばならないために一時的に遊休する貨幣,資本家個人や労働者個人が一定期間支出せずに貯蓄する貨幣も増大する。

 以上のことは常識であり,何もまちがっていない。

2.預金通貨は貸し付けによって供給され,返済によって消滅する

 現代の通貨の基軸は預金通貨=要求払い預金と現金=中央銀行券である。預金通貨は,銀行が主として企業,場合によって個人に貸し付けることによって創造される。振り込みや小切手などをとおして預金通貨によって支払いがなされると預金は移動するので,個別銀行の預金は増減するが,預金量の総量は変わらない。また預金が降ろされるときは,銀行から企業(や個人)に中央銀行券で支払われる。銀行は中央銀行券を,貸し付けや信用代位によって供給される中央銀行当座預金を降ろすことによって入手する。このときに中央銀行券は発行される。中央銀行券は企業による支払いにも使われるが,主に個人による小口の支払いに使われる。そして預金として預けられることがあると銀行に戻る。銀行はこれを手持ち現金としてもよいし,日銀当座預金に預けても,日銀への返済に使ってもよい。中央銀行に戻った中央銀行券は破棄される。

 いま仮に政府が均衡財政を実施しているとすると,上記の民間経済の仕組みの中では,流通に必要な預金通貨は銀行からの貸し付けによって供給され,返済によって消滅することになる。中央銀行券は,現金流動性の必要に応じて預金通貨が置き替えられたものである。

 以上のことも,少なくとも銀行実務に通じた人にとっては常識である。

3.1と2はどのように両立しているのか。

 では,1と2はどのように両立するのか。1によれば経済成長とともに流通する通貨は増えて行かねばならない。しかし2によれば,通貨は貸し付けられ,回収されるだけであり,その動きは基本的にゼロサムである。ここから理論的な混乱が起こりやすい。

4.典型的な混乱

 混乱a。 1だけを見ると,貨幣は社会の拡大再生産によって増加していくように見えて,2が間違いだと思えてくる。だが,付加価値は増えても,魔法のように中央銀行券が増えるわけではないことはすぐわかる。預金通貨も同じである。企業が利潤を上げる時は,投下した資本よりも高い付加価値を体現した財・サービスを販売して通貨を手に入れるわけだが,そのためには財・サービスの買い手があらかじめ通貨を持っていなければならない。企業と個人の所得がいくら増えても,銀行以外の企業や個人は通貨をつくれない。

 混乱b。そこで,1の常識を延長し,遊休する貨幣が預金となって金融機関に集積され,原資(本源的預金)となって,その何倍かの貸し付けが行われるという,教科書的信用創造論で考える論もある。こうすれば中央銀行券は増えずとも,預金通貨は最初に預けられた現金の何倍かに増えると考えるのである。しかし,これでも解決はしない。最初に遊休する預金通貨や,最初に預金として預けられる中央銀行券はどこからきたのかという問題に答えられないからである。預金は,まず貸し付けによって生まれて,それが点々と流通するのであり,中央銀行券は預金が引き出されたからこそ流通に入るのである。そうした預金が遊休したり,中央銀行券が預金として預けられたからと言って(※1),何も増えることはない。銀行に(ただしおそらくは最初に貸付を行ったのとは別の銀行に)還流しただけであり,元の金額が維持されるだけである。信用創造が行われるとか,信用創造で預金が増えるとかいうのは,貸し付けられた時にだけ起こるのであり,預金が預けられて増えるのではない。

5.両立の論理:返済を上回る貸付と,その範囲での遊休貨幣の動員

 1と2が両立する唯一の論理は,流通に必要な通貨の増大は,返済を上回る貸し付け,すなわち信用創造の拡大によってまかなわれているということである。社会全体として見た場合に,債務が返済される以上に貸し付けが行われるという運動が連続的に生じ続けることが,通貨供給量を増大させる。通貨の増大イコール債務の増大なのである。

 もちろん,いったん貸し付けられた預金通貨や,それが降ろされた現金は,様々な場面で購買手段や支払い手段として流通に入り,財・サービスの価値を実現する。そして様々な形で遊休する。タンス預金もあれば,貯蓄性預金もあるだろうし,流通市場での金融資産購入にまわされる場合もある(なお,発行市場での証券投資は実物経済の投資に結びつく)。だから,ある時点で見れば,必要な通貨の増大は,遊休していた貨幣が流通に引き戻されることによっても実現する(ここで遊休と金融的流通の区別・関連をどう見るか問題があるが,今は脇に置く)。

 しかし,遊休している預金や中央銀行券と言えど,そもそもはどこかで銀行から貸し付けられた預金に由来するものである。その貸し付けは踏み倒すのでない限り,いつかは返済されなければならない。だから遊休貨幣も,結局,返済を上回る貸付という大きな運動によって供給されるものであり,それがなければ存在し得ないのである。

6.マルクスを拡張し,シュムペーターに注目する

 以上の通貨供給論は,マルクスの貨幣流通法則論(商品流通の必要によって貨幣流通量が決まる)を預金通貨と中央銀行券に適用すれば導出可能である。ただし,マルクス当人は預金について多くを書き残さなかったので,この論理展開を導くには,マルクスの個々の記述ではなく体系に依拠し,後続者が独自に理論構築することが必要であった。しかし,その過程でマルクス派も他の学派とともにaやbの迷路にはまりやすかった。また中央銀行券と国家紙幣を混同し,中央銀行券に紙幣流通法則論(投入された紙幣総額によって紙幣流通量が決まる)を適用して万年インフレ論を説くきらいもあった。

 この通貨供給論と親和性の高いことを直接に述べていたのは,実はシュムペーター『経済発展の理論』である。シュムペーターの経済発展論は,まずワルラス的静態均衡を仮定し,しかるのちにこれを経済発展の動態モデルに移行させようとする。すべての資源が有効利用されている均衡状態から出発して,それでも経済発展をさせようと思えば,企業者行動によって生産関数をシフトさせる革新を行うしかない。その際に必要な資源は他部門から引き抜かねばならない。だから創造でなく創造的破壊という。しかし,資本主義経済において資源を略奪するわけにはいかない。ではどういう方法をとるかというと,銀行が信用創造によって企業者に貸し付け,企業者はこれによって資源を調達するのである。ここで重要なことは,シュムペーターは,資源は無から作り出すことはできないが,貨幣だけは銀行によって無から創造され得ると考えていたことである。この理論の重要性は,今日もっと強調されるべきだと思う。

7.財政赤字と通貨供給

 なお,以上の通貨供給論は全くの内生的貨幣供給論である。しかし,これと異なる通貨供給がなされるルートも存在する。それは,財政赤字による通貨供給の増大である。よく知られているのは中央銀行が国債を引き受ける場合であるが,実はそれだけではない。民間銀行が国債を引き受けても,通貨供給量は外生的に増加する(※2)。このような外生的貨幣供給の作用は独自に検討しなければならない。

※1 この遊休のあり方については別途考察が必要だが,さしあたり単純な形態として,支払を受けた企業が差し当たり事業に投資しないお金を定期性預金にしていると考えておけばよい。

※2 なぜそうなるのかの説明は,以下をご覧いただきたい。「民間銀行が国債を引き受けても,通貨供給量は外生的に増加する」Ka-Bataブログ,2020年12月5日。

後記:上記1-7は,岡橋保,村岡俊三,松井和夫,楊枝嗣朗,大畠重衛,ランダル・レイ,吉田暁ら先学の見解を学びながら考えたものである。特に,最近になって気づいたが,1-6までは吉田暁氏の見解と一致する。吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年,吉田暁「実践感覚から理論への期待」『信用理論研究』20,2002年,「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2),2008年などを参照。ただし7はおそらく吉田氏と異なる。他方,2,7は,またおそらく5も現代貨幣理論(MMT)と一致する。

2021/2/23 「混乱b」の項を改訂。サブタイトルを削除。


2021年2月16日火曜日

日経平均株価終値3万円越えの報道に接して:金融緩和の深掘りは止め,財政支出で生活支援を

  2月15日の東京株式市場で,日経平均株価は終値で3万円を超え,30年6か月ぶりの高値になったとのこと。

 株価がつり上がっているのは,金融緩和の副作用である。しかし,庶民にはほとんど良いことはなく,景気全体は停滞している。内閣府の『月例経済報告』によっても「景気は、新型コロナウイルス感染症の影響により、依然として厳しい状況にある」のであって,せいぜい「持ち直しの動きがみられる」程度だ。2020年度実質GDP見通しはマイナス5.2%,うち民間最終消費支出はマイナス6.0%だ。

 もともと不況対策としての金融緩和は,流動性枯渇と信用機構の連鎖的崩壊を防ぐために行うものである。そこまでは意味があるが,現在の低成長経済で成長回復をもくろんでひたすら金融緩和を深堀りしても,実体経済にはほとんど効果はない。金利が下がったから設備投資をし,在庫を増やそうという状態ではないからだ。まして日銀がETFが続けているのは,露骨な上場企業優遇策を国会の議決なしでやっているに過ぎない。

 現下の不況対策は財政政策を中心に,それも,金融資産投資に回らず,確実に実体経済に回るような,生活と営業を支える支出に回るように行わねばならない。低所得者への現金給付,住宅確保給付,営業支援給付,休業者への給付金,失業給付金を地味に続けることが,庶民の生活を救い,バブルという副作用を最小化する道だ。

「株価 終値でも3万円超え 30年6か月ぶりの高値」2021年2月15日,NHK。

2021年2月14日日曜日

地震後も無事でおります

  2月13日に仙台市青葉区の自宅及び大学は震度5強の地震に見舞われました。自宅はほぼ無事で,現在本や書類が散乱して棚が歪んだ研究室の修復中です。ご心配くださった皆様に御礼を申し上げます。


2021年2月10日水曜日

「休業手当」とそれが受け取れない労働者への「休業支援金・給付金」という方式について

 現在国会では,これまで中小企業の労働者のみを対象としていた休業支援金・給付金を大企業の非正規労働者に拡大する件が議論されている。緊急措置としてこの拡大を行い,支給時期もできる限りさかのぼる方がよいと思う。しかし,この問題の背後には,かなり根の深い問題があることも考えておかねばならない。つまり,どうして「休業手当」と「休業支援金・給付金」という二重の手立てが必要になるかということだ。

 新型コロナに対応する政府の雇用政策の基本ツールは雇用調整助成金である。これは,企業が労働者を休業させ,休業手当を支給した場合,事後にその負担の一定割合(最大100%)を政府が補填する制度である。これにより休業した労働者と休業させた企業を支援するとともに,解雇を防止するものだ。

 しかし,休業手当は,ほんらい「使用者の責に帰すべき事由」による休業についてのみ支給される。不可抗力による休業の場合,企業には支給する義務はない。では,新型コロナウイルス対策で政府・自治体の要請を受けて営業を縮小し,それに伴って労働者を休業させた場合はどうかというと,支給義務があるかないかは明確ではなく,ケースバイケースなのでである。しかし,これで休業手当を支払わない企業ばかりになっては,到底対策の実効性がない。そのため現在は「労働基準法上の休業手当の要否にかかわらず、経済上の理由により事業活動の縮小を余儀なくされた事業主に対しては、雇用調整助成金が、事業主が支払った休業手当の額に応じて支払われます」(厚労省Q&A)という措置が取られている。しかし,これは経済的に苦しくなった企業が休業手当を支給すれば補填しますよ,ということであり,やはり休業手当支給を義務づけるものではない。

 このように企業に対する休業手当支給への動機付けが弱く,かつ雇用調整助成金の手続きが複雑であること,さらに事後的補填であるため一時的には現金流出が生じることから中小企業には負担が重く,結果として休業手当を支給しない企業も相当あると報じられている。これが労働者の減収を招いている。

 これをカバーするために,中小企業労働者を対象として政府から直接支給されるのが,昨年整備された休業支援金・給付金である。中小企業の中には,休業手当を支給しないケースが多いこと,それは自体はやむを得ないことと認めて,この補完措置を取ったのである。

 今回の支給対象拡大問題は,休業手当不支給が,非正規に対する差別や経営者の認識不足によって先鋭化したために生じたものと言える。経営者がシフト勤務のパートタイマー/アルバイトのシフトを減らした場合について,休業に当たることを認識せず,休業手当を支給していない場合が多々あることが判明したのである。休業手当を正規のみ,あるいは労働日が明確な労働者のみに支給し,シフトが減少したシフト勤務労働者に支給しないことは差別的取り扱いであり,違法の疑いが濃い。しかし,この違法をすべて取り締まることの困難から,今回,大企業のシフト制非正規労働者(シフト制,日々雇用,登録型派遣)に対しても休業支援金・給付金を支給する政府方針が出されたのである。これはこれで改善であるが,野党が要求するようにできるだけさかのぼって支給対象とすべきであろう。また,差別的不支給は労働監督行政の強化によってなくしていくべきだろう。

 しかし,そもそもの制度としての問題は残るように思う。休業による減収に対する支援措置は,1)まず企業による休業手当と政府によるその補填,2)それでカバーできない部分は政府からの直接支給という二段構えになっている。しかし,休業手当は上述したように,そもそも企業の責による休業について支払うものであるから,コロナウイルス感染症流行という,企業の責任と言えない事態に直面しての休業・減収を補償する措置としてなじむものではない。この観点からすれば,初めから政府による直接支給で労働者を支援すべきとした方が,考え方は整合するようにも見える。具体的には,激甚災害の際に用いられている雇用保険の「みなし失業」という考え方を用い,休業状態でも失業給付を受け取れるようにすべきであったのかもしれない。この方式は昨年4月に「生存のためのコロナ対策ネットワーク」という団体が提案していたが,実現していない。コロナ禍が激甚災害とは異なるということだろう。しかし,労働者の生活支援としては,この方が整合性があり,手続きも簡素であったかもしれない。

 今後の政策改善に向けては,企業による休業手当支給とその政府による補填という方式の限界について注意しながら,進めるべきだろう。


「私営」でも「国有」でもない「共有企業」という改革案:張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」を読んで

 張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」『財新』2021年2月19日。  正しく読めたかどうか自信はないが(→留学生に確認したら大丈夫とのこと),著者はおおむね以下のように主張している。  中国における「公有」「非公有」の二分法は単純に過ぎるので,三分法にすべきであ...