「その昔(昭和30年代)、当時神戸で急成長していたスーパーのダイエーが、あまりに客が来すぎて会計時の釣銭(1円玉)が用意できない事態となり、やむなく私製の「1円金券」を作って釣銭の代わりにお客に渡したところ、その金券が神戸市内で大量に流通しすぎて」云々というわけで,貨幣とは信用だと知るという話。
一応言っておくと,この場合の「信用」とは単に「信じられる」という意味ではない。「払ってくれる」という意味である。つまり,ダイエーが出していて1円金券は,「ダイエーはすごい,エライ!」とか「中内さんに逆らったら命がない」という意味で信じられていたのではなく,「この1円金券と引き換えにダイエーが1円分のものを確実にくれるなんてすごい!」という意味で信用されていたのである。
つまり1円金券は「貨幣だとみんなが信じている」(信認説)からでも「発行元が権力的に強制している」(強制通用力説)からでもなく,「その貨幣に対して発行元が支払ってくれる」,つまり債務弁済能力がある(信用貨幣説)ということで流通していたのだ。
また,1円金券が1円分の商品と等価交換であることは,1円券自体は保証しない。それは,ある商品とある量の商品貨幣が等価として市場で交換されており,その価値量が国家の定めた基準でいうと「1円」という名前であったことが根拠となっている。しかし,商品貨幣など不便で使っていられないから国家が1円玉を代わりに発行していた。さらにそれと同じ価値を持つ信用貨幣をダイエーならば発行できたということである。
だから,貨幣が本来商品貨幣であることと,実際には1円金券のような価値のない紙切れが流通していること,それが別の角度から言えば信用貨幣であることは何も矛盾しない。「商品貨幣論は間違いで表券主義が正しい」とか「商品貨幣論は間違いで信用貨幣論が正しい」(商品貨幣否定論)とかいうことではない。商品貨幣は国家の力による表券主義という補完によって価格標準を獲得し,さらに商品貨幣の代行として信用貨幣が流通するのである。
「釣銭不足に困った昭和のスーパーが苦肉の策で私製券を出したら「日本の貨幣体制が危ない!」と日銀が大慌てした話」Togetterまとめ,2024年6月4日。
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