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2024年4月3日水曜日

ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」を公表しました。ダウンロードいただけます。まだ改良して雑誌に投稿しなければなりませんが,コロナ禍で延長した科研費の期間が3月末で終了したため,一区切りとしました。1990年代にベトナムに進出した共英製鋼が21世紀突入後に直面した,技術・生産システム間競争を分析しています。共英製鋼は,苦労の末に発展途上国の条鋼部門では王道とも言えるスクラップ・電炉システムを構築しましたが,日本には存在しない思わぬ伏兵に直面しました。それは,地場企業が構築した小型高炉一貫システムと誘導炉システムでした。本稿はこの競争の過程と帰結,意義を解明することに努めました。

 ディスカッション・ペーパー「ベトナムにおける共英製鋼の事業展開―発展途上国における技術・生産システム間競争の研究―」


2024年3月21日木曜日

旅立ちの時

 旅立ちの時

 当ゼミの修了生,博士研究員の銀迪さんは,4月1日から同志社大学商学部助教に就任します。思えば,大学院受験の相談を受けて,出張ついでに銀さんと池袋の喫茶店で会ったのは2015年夏のことでした。それから約9年間,色々なことがありました。とくに後期課程に進んでからは,私は,春も夏も秋も冬も,銀さんの論文が完成するだろうか,仕事が見つかるだろうかという緊張と不安を抱えていましたが,本人にはその数倍の重圧がかかっていたことでしょう。よく耐えてがんばったと思います。博士論文と,単著論文1本,共著論文2本を公刊して,ついに独り立ちする時を迎えました。

 おめでとうございます。

銀迪(2022)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」博士(経済学)学位論文。

銀迪(2022)「中国の鉄鋼産業政策:設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結」『産業学会研究年報』37,133-153。

川端望・銀迪(2021)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」『アジア経営研究』27,35-48。

川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1),1-31。



2024年3月1日金曜日

2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」(2024年3月21日14時より)

 2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」

対面会場はキャパに限りがございますが,オンラインはどなたでも参加できます。下記リンクからGoogleフォームでお申し込みください。

■ ⽇時

– 2024年3⽉21⽇(木)14時〜17時
– 東北⼤学⼤学院経済学研究科 4階⼤会議室(ハイブリッド開催)

■ 登壇者

– 曽根 秀一⽒(静岡文化芸術大学文化政策学部、教授)
「地域に根差した長寿企業の存続メカニズム」

– 谷本 雅之 ⽒(東京大学大学院経済学研究科、教授)
「在来的発展と大都市ー20世紀東京の中小経営」

 参加希望の方はこちらにご記⼊ください(3⽉14⽇(木)締め切り)

https://forms.gle/FStBY3Pg98LjPQ2X7

連絡先:takenobu.yuki.c1あっとtohoku.ac.jp



2024年2月13日火曜日

問題はあるも工業生産力を拡大し,不動産バブル崩壊はあるも海外より資金が流入し続けた2023年のベトナム経済

 ベトジョー記事等を解釈して2023年のベトナム経済を論じる。

 2023年のベトナムの実質GDP経済成長率は5.05%であった。2022年の8.02%よりは落ち込み,また政府目標の6.5%には届かなかった。2010年代後半には6%代を維持していたが,成長率を下げる構造的変化があったかどうかは,まだ何とも言えない。

 ベトナム経済の成長を支えるのは,海外からの資金流入である。2023年の海外直接投資実行額は前年比3.5%増の232億ドル,認可額に至っては前年比32.0%増の366億ドルと推定されている。さらに在外ベトナム人からの本国送金額が,年平均73億ドルと試算されている。豊かになった国内で発生する所得はもちろん,これらの流入資金もベトナムの投資と消費を支えている。

 投資はベトナムを工業化させており,輸出品の構成を製造業品,とくにコンピュータ・電子製品・部品,携帯電話・部品などに高度化させている。輸出の7割は外資が担っている。ベトナムは国際分業の中で組み立てなどの労働集約的工程を担っているから,たとえば最大の輸出品であるサムスンのスマートフォンを輸出しても,部品は輸入しなければならない。とはいえ,全体として280億ドルの貿易黒字を確保しているのだから,工業製品だけでなく農産物輸出に依拠している部分はあるにせよ,国全体としての生産力は向上を遂げていると言ってよい。

 弱点は,成長したと言っても製造業に深みがなく,投資が不動産に流れ込んでしまうことだろう。近年のベトナムでは超高層オフィスビル,マンション,郊外の一戸建て住宅地の開発が,短期滞在で目で見るだけでもわかるほどに盛んになっている。しかし,建設途上で放置されている建物があることも事実である。

 欧米諸国が,ポストコロナインフレ抑制のために行なった金利引き上げはベトナムにも打撃を与え,2022年の大手デベロッパー,タンホアンミン・グループの社債不正発行事件以来,不動産不況が2023年まで続いた。そのことは私の研究対象である鉄鋼業にも需要停滞となって影響した。

 この構図は中国と類似しているが,いまのところ経済全体を停滞に追いやるほどではない。そのことの例証として,ベトナムの外貨準備がある。ベトナムの外貨準備は2021年に1094億ドルにまで積み上がったが,2022年のドル高・ドン安に対応して中央銀行はドン買い・ドル売りの為替介入を行った。ベトナムの通貨当局がドル売り介入を挑むのは無謀と思えたが,外貨準備高は2022年末に865億ドルに減少したものの,2023年末には990億ドルまで回復した。介入の妥当性はとにかくとして,欧米の金融引き締め→ドン安・不動産不況→経済危機と連鎖させずにすんだことのひとつのあらわれであろう。

 ベトナムの成長に期待した資金流入がまだ継続しているために,不動産不況が経済全体の危機には至っていない。今後はどうか。注目していきたい。

 

「ベトナム経済を振り返る:国内総生産(GDP)成長率編 2023年版」ベトジョー,2024年2月8日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206205135.html

「ベトナム経済を振り返る:対外収支編 2023年版」ベトジョー,2024年2月9日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206210410.html

「ベトナム経済を振り返る:物価上昇率(CPI)編 2023年版」ベトジョー,2024年2月12日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206210808.html

「ベトナム経済を振り返る:外国為替レート編 2023年版」ベトジョー,2024年2月13日。
https://www.viet-jo.com/news/economy/240206211329.html

小宮佳菜「ベトナムの不動産市場停滞の背景と今後の見通し」『国際通貨研レポート』2023年12月5日。
https://www.iima.or.jp/docs/newsletter/2023/nl2023.39.pdf

2024年2月10日土曜日

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか

 日本製鉄のUSスチール買収提案について,トランプ氏や全米鉄鋼労働組合(USW)が反対しているという報道(※1)。こうした反対は,日鉄にとって織り込み済みであったろう。大統領選挙の政争に巻き込まれれば冷静な議論の対象でなくなることも当然予想がつくはずで,何らかの対策を持っているはずだ。森副社長は「政治の思惑だけでブロックすることはできない」と発言したと報じられているが,実際にそう達観しているわけではないだろう。

 しかし,どのような対策を持っているのか。

 日本企業のアメリカ進出に関するこれまでの経験から類推すれば,雇用に対するコミットメントが考えられる。アメリカの労使関係では,平常時には解雇よりえこひいきや差別の方が排除すべきものとされ,レイオフ(一時解雇)は社会的に容認されている。しかし,不況や国際競争力低下でレイオフが回復不可能な恒久的解雇となり,大量現象となるにつれて,それもまた社会的非難の的となる。USスチールは世界金融危機以後,連続的に従業員を減らし続けてきた。2008年の4万9000人から2023年には2万1803人と,55%も削減された(※2)。正確に言うことはできないが,その多くは会社による解雇であったと推測される。11月末にもイリノイ州グラニット・シティ製鉄所で400名のレイオフを発表したばかりで,これで9月以降に同製鉄所で1076名を解雇することになる(※3)。

 対して,日本の大企業が,日本で雇用の維持に強くコミットしていることはアメリカにも知れ渡っているし,日本製鉄は過去10年を見る限り従業員を減らしてはいない(瀬戸内製鉄所呉地区閉鎖で今後減るとは思うが)(※4)。

 だから,雇用維持と,それを支える工場への新規投資に関するコミットメントを発するのが,日本企業の買収をアメリカ社会に受け入れてもらうための常道なのである。

 しかし,日鉄がその道に踏み出すことにはリスクがある。USスチールの製鉄所には,将来に向かって拡張すべき電炉鋼板ミルもあれば,縮小の道をたどる以外考えにくい,つぎはぎ投資でなんとか持たせている老朽製鉄所もある。後者を縮小するために,レイオフという手段を捨てたくはないであろう。

 日鉄が隠し持っているのは,雇用維持へのコミットメントなのか,別の方策なのか。

※1「日鉄、USスチール買収への反発「想定内」 海外担当役員」日本経済新聞,2024年2月7日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC06E2F0W4A200C2000000/

※2 United States Steel Employees(StockAnalysisサイト)
https://stockanalysis.com/stocks/x/employees/

※3 Sara Samora, US Steel lays off more than 1K as it indefinitely idles Illinois plant, Manufacturing Drive, November 30, 2023.
https://www.manufacturingdive.com/news/us-steel-idles-granite-city-illinois-plant-lay-off-over-1000/701023/

※4  日本製鉄従業員数の推移(同社サイト)
https://irbank.net/E01225/worker


2023年12月25日月曜日

玉川寛治氏博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」審査結果の要旨について

  さきに,玉川寛治氏の博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」が東北大学機関リポジトリTOURに掲載されました。しかし,審査結果の要旨は掲載されておりません。各方面に問い合わせたところ,審査報告書は1年に1度,まとめての掲載であることが判明しました。そのため,こちらで「論文審査の結果の要旨」をご紹介します。既に正式決定され公表が予定されているものであり,秘密ではございません。


論文審査担当者

主 査 准教授 結城 武延
第一副査 教授 川端 望
第二副査 大阪大学名誉教授 阿部 武司

 本論文は、技術史および産業考古学の視点から産業革命期日本における綿糸紡績技術の推移を実証的に解明し、またこの技術的諸条件とその変化が綿紡績業の移植・定着の過程に与えた影響を論じることを目的としている。論文は全9章で構成される。 

 第1章「序論」では、産業革命期における紡績技術と機械、生産工程と製品について当時の図や現物のレプリカ写真を用いて説明する。第2章から第8章にかけて綿紡績業の移植・定着過程の実態が解明され、9章で本論文の研究史上の意義が述べられている。 

 第2章「日本における紡績業発達史の概要」では、1867-1900 年における紡績機械・織機の新規設置の状況を紡績所別に明らかにし、草創期の鹿児島紡をのぞいて、1890 年に大阪紡が織布工場を入手するまで紡績・製織一貫工場は存在しないことを示している。さらに同時代の各国(イギリス、欧州、アメリカ、インド)との比較から、産業革命期日本の紡績工場の規模は過少であったことを指摘している。 

 第3章「始祖三紡績」は、日本最初の紡績工場として薩摩藩によって設立された鹿児島紡、同じく薩摩藩により設立された堺紡、鹿島万平によって設立された鹿島紡について、紡績機械の由来と特徴、機械や原料の選択過程と製品、生産成績を次のように明らかにしている。鹿児島紡の紡績機械はインド向けとまったく同じ仕様であり、日本綿の紡績には不適であったため、織物の製造が断念されるに至った。堺紡はイギリス人から技術指導を受けた石河正龍が責任者となり設立・運営され、工程間均衡を欠く欠陥を持っていたものの、後の官営紡績所や二千錘紡のモデルになった。鹿島紡ではイギリスの紡機メーカーであるヒギンス社が日本綿で紡績可能となるように、インド向けより太番手の糸を製造する紡績機械を送り、機械の据付と運転のために技術者を派遣していた。こうした生産体制を構築したことにより、のちに国産化を目的として設立された官営紡績所よりも良好な生産成績を収めていた。

 第4章「官営愛知紡績所から大阪紡績会社へ」では、まず『米欧回覧実記』の記録から、岩倉遣欧使節団(1871-73 年)が欧米の紡績業の事情を技術的内容等も含めてかなり正確に把握していたことを示している。続いて、使節団の視察をふまえて1880年代前半に設立された官営紡績所・二千錘紡績所の紡績機械の仕様を解明している。いずれも手織りで織る白木綿の原糸となる極太糸を生産していたことを示している。さらに渋沢栄一主導のもとで設立された大阪紡の機械設備と技術者の活動を明らかにする。そして、技術者山辺文夫が短繊維に適したプラット社製機械を採用したことが大阪紡の好成績の要因であるとしている。 

 第5章「繭糸織物陶漆器共進会(第二区二類綿糸)で明らかにされた紡績技術」は、政府が殖産興業の事業を促進する目的で開催した共進会が紡績業者に与えた影響を検討している。共進会には各工場の綿糸が出品・展示され、審査された。審査結果により各工場の綿糸の問題点が明確になり、日本綿を原料とした綿糸生産は13番手程度の極太糸に限るべきだということが業者間で合意された。さらに共進会における技術者の講演により紡績業者は初めて紡績技術の全体像を知ることになり、技術情報の共有の重要性を認識することになった。共進会において、紡績業が直面している最大の問題は、日本綿の品質が紡績機械による紡績に不適であることが確認されたというのである。 

 第6章「日本綿・中国綿からインド綿・米綿・エジプト綿へ」では、共進会以後広まった日本綿の不良な品質について、その根本問題は、日本綿の繊維が短すぎて、精紡機でローラードラフトするには不適であったことにあると、著者自ら繊維工学の手法により解明している。続いて著者は、問題の所在を認識した日本の紡績業者が、原料の輸入に転じ、インド綿を主体として、中国綿および米国綿を混綿して極太糸・太糸を製造する日本独自の生産構造を作り上げ、輸入防遏に成功したことを示している。 

 第7章「インド綿・米綿・エジプト綿用の紡績機械」は、原料輸入に転じて以降、大阪紡第 3 工場から日本紡に至る紡績機械について明らかにしている。ここでリング精紡機がほぼ全面的に採用された事実が確認され、次章への伏線となっている。 

 第8章「ミュール精紡機とリング精紡機の選択をめぐる諸問題」は、論争的なものである。日本の綿紡績業の発展の契機となった一つがミュール精紡機からリング精紡機の全面的採用への転換であり、それは日本の紡績技術者による主体的な選択によってもたらされたというのが通説である。著者は、これまで看過されてきた技術史的視点による検証と新資料の発掘により、この通説を批判し、自説を対置する。著者は各国におけるリング精紡機採用の理由を比較検討する。そして、日本では国内と中国市場に向けて厚地手織木綿用原糸を供給しており、それには繊維の短い綿を強撚して一定の強度を確保する必要があったが、その必要を満たすのがリング精紡機であったこと、そして、日本綿や中国綿よりは繊維が長いインド綿や米国綿を輸入することによって、リング精紡機の効率的使用の展望が開けたことを、リング精紡機全面採用の理由としている。さらに、リング精紡機の採用を推進したのが、世界最大の紡機メーカーであったプラット社とその輸入代理店の三井物産であったことを示している。 

 第9章「結論」は全体を要約し、本論文が鹿児島紡から1900年に至る綿糸紡績技術を、初めて、通史的に解明することができたとしている。 

 本論文は、著者の長年にわたる研究の集大成として執筆されたもので、極めて独創性が高く、実証的にも確度の高い研究成果である。すなわち、技術史及び産業考古学の観点から当時の紡績技術と生産工程を復元・再構成した上で、日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であったことを明らかにし、さらに紡績業者がその事実を認識して原料転換と新たな技術選択を行っていく過程を説明したことである。産業革命期日本の紡績業に関する先行研究はその重要性から膨大にあるが、意外にも始祖三紡績の実態や官営紡績所から大阪紡績会社をはじめとした民間会社への移行過程における技術・機械・原料選択に関する要因は不明な点が多く、それらを明らかにした本論文の学術的貢献は非常に大きいといえる。この研究が可能になったのは、元紡績技術者でもあった著者が独自に収集した広範な資料群を駆使したからにほかならない。 

 今後の課題として、独立系の鹿島紡績所の実態や遣欧使節団及び共進会が後の紡績業や紡績連合会に与えた影響の含意のいっそうの考察が必要であろうが、それらはいずれも資料発掘が行われたのちに検討する課題であり、学界全体で取り組むべき残された宿題ともいえる。本論文は既発表25本の論文・報告書を再構成して作成されており、それら個別論文は当該分野の多くの先行研究ですでに何度も引用されていることから、学界においても高い評価を得ている。以上のことから、本論文は博士(経済学)の学位論文を授与するに相応しい業績であると判断する。 

 なお、主査の所属は経営学領域であるが、技術、機械、原料の選択が産業発展に与えた影響を解明している本論文の内容に即して、学位は博士(経済学)が妥当であると判断した。 

学位授与日:2023年8月24日。

本文ダウンロードページ

玉川寛治『日本における初期綿糸紡績技術の研究』


2023年12月19日火曜日

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声

 日本製鉄はUSスチール(USS)買収を発表した。来年4月にUSSの株主総会が承認することが前提だ。買収総額は141億2600万ドル(2兆100億円)。USスチールの12/15株価に対して40%のプレミアムを支払う。借入金は日本の金融機関より。買収により日鉄のD/Eレシオは0.5から0.9となる。日鉄のグローバル粗鋼生産能力は6600万トンから8600万トンとなり,目標の1億トンに接近する。このうち日本国内が4700万トン(55%),海外が3900万トン(45%)となる。

 USSスチールの粗鋼生産能力はアメリカ1580万トン,チェコ450万トンで計2030万トン。うちアメリカの子会社Big River Steelの電炉は,資料によって違いがあるが日鉄の計算だと330万トンで,他は高炉・転炉法と思われる。電炉は2024年にはさらに300万トン追加予定。つまり,1年後にはUSSの粗鋼生産能力は2330万トンとなり,うち630万トン(27%)が電炉となる。なお,アメリカ全体では,粗鋼生産のうち60%以上は既に電炉になっている。

 ここから私のコメントだが,日本製鉄の狙いは,グローバル粗鋼生産能力とグローバルシェアの拡大である。日本製鉄は,2010年代半ばまでは,製鉄ー製鋼ー圧延ー加工のうち川下の圧延ー加工工程のみを海外に配置してきたが,2019年にインドのエッサールを,アルセロール・ミッタルと共同で買収して以来,製鉄や製鋼工程からの一貫企業を買収する方式に打って出た。今回の買収もその延長線上である。今回の買収が完了すれば,「日本」製鉄という名の企業の生産能力のうち45%は海外にあることになる。

 USS買収により,日本製鉄は立地としては先進国と新興国,製品グレードとしては高級品市場と汎用品市場,技術としては高炉・転炉法と電炉法の全方位にわたるグローバル買収を敢行することになった。しかし,むやみに全方位に手を広げているわけではないだろう。現時点と将来とで,異なる目標を二重に持っていると思われる。現時点では高級品大量生産に競争力を持つ高炉一貫製鉄所を手中に収めて市場を確保するとともに,将来に向かっては電炉法を拡大して,先進国・東南アジアでは2050年,インドでは2070年のカーボンニュートラル達成という環境規制に対応していこうという戦略なのだと思われる。

 とくに,USSの場合,高炉は過去から現在,電炉は現在から未来を代表していることは明らかである。USSがアメリカ国内に持つ高炉一貫製鉄所はもはやGaryとMon Valleyの2か所に過ぎないし,まともに一貫生産を行っているのはGaryだけである。Mon Valleyは以前に紹介したように,かつては3つの一貫製鉄所と1つの圧延所であった。輸入品や電炉との競争に耐えられず,設備の多くが閉鎖されてしまい,残った設備を河川輸送でつないで,一貫生産の形を整えているに過ぎないのだ。Mon Valleyは過去を代表している。

 一方,USSは2019年に買収したBig River Steelに電炉ーコンパクト・ストリップ・ミルー冷延ミルー電磁鋼板設備,亜鉛めっき設備を持ち,電磁鋼板や,GMに納入する自動車用鋼板まで製造している。原料はスクラップ,銑鉄,直接還元のホット・ブリケット・アイアン(HBI)の3種混合のようだ。既に電炉による高級鋼生産は拡大しつつあるのだ。未来はこちらにある。

 日本製鉄も瀬戸内製鉄所広畑地区で電炉鋼から電磁鋼板を製造しているが,高炉・転炉法に比べると技術の確立度は弱い。高炉・転炉技術はもはやUSSに対して供与する側であろうが,大型電炉操業と電炉鋼からの高級鋼製造については,むしろUSSからノウハウを吸収しようという構えであろう。

 ただし,現在は高炉・転炉,将来は電炉というのであれば,両者の間に移行戦略が必要となる。いつまで高炉・転炉を用いるのか,高炉・転炉から電炉への切り替えを経営的に,また地域経済や労働者の利害を踏まえて円滑に行えるのか。高炉での部分的水素還元はどの程度実用に耐えるのか。高級スクラップが不足したら,直接還元鉄はどこから手に入れるのか。100%水素直接還元に投資する決断はいつになったら行うのか。その立地はどうするのか。どちらの新技術も,日本政府から開発補助金を得ている以上,1号機は国内に建てるべきという道義的制約はかかるはずだが,海外の方が採算がよさそうになった時に,どうするのか(川端,2023を参照)。

 日本製鉄は,他の拠点でもそうであるように,USスチールにおいても,過去から現在を代表する製鉄所と,現在から未来を代表する製鉄所を同時に抱えることになる。日本製鉄の運命を決めるのは,過去からの声か,未来への声か。カーボンニュートラルを目指す鉄鋼業の新時代において,同社はまだ数々の課題に立ち向かわなければならない。その行動の社会的効果に,私たちは期待することもできるが,同時に注意深く監視もしていかねばならないだろう。

日本製鉄株式会社「U.S.Steelの買収について」2023年12月18日。

Gary製鉄所空撮(Googleマップ)

Mon Valley製鉄所を構成する4工場空撮

クレアトン工場空撮(Googleマップ)
エドガー・トムソン工場空撮(Googleマップ)
アーヴィン工場空撮(Googleマップ)
フェアレス工場空撮(Googleマップ)

Big River Steel空撮(Googleマップ1)位置がズレて駐車場になっているが,写真掲載多数。工場は右下。

Big River Steel空撮(Googleマップ2)製鉄所の位置。

参考:製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)

川端(2023)「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」(日本語原稿)

元論文 Nozomu Kawabata(2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 

 

2023年11月11日土曜日

ライドシェアリングは地域の交通手段確保の観点からこそ検討されるべき

 共同通信の報道によれば,「一般ドライバーが自家用車を使い乗客を有償で運ぶ「ライドシェア」を巡り,都道府県で独自に導入を検討しているのは神奈川、大阪の2府県にとどまる」そうだ。これでよいのだろうか。ライドシェアリングは,地域と地方という観点からこそ検討されるべきだと思うのだが。

 この3月に経済学部産業発展論ゼミを卒業した庄司健人氏の卒業論文「ライドシェアリングの実態と日本への導入の検討」は,ライドシェアリングの新規性を二つに分けて整理した。①タクシー事業に必要な特別な資格を持たないドライバーが自家用車で乗客を輸送することと,②アプリ内ですべてのサービスを完結し,さらに乗客とドライバーの情報の非対称性を解消したこと,である。この二つを区別しなければならない。

 ②は,まだスマホを使えない人がいるという点を除けばよいことずくめであり,①の副作用(公正な取引,安全,言語障壁等)を緩和する作用も持つ。そして,②はタクシー事業でも導入できることであり,現にアプリによる配車サービスとして実現しつつある。

 しかし①は,公共交通機関が豊富な大都市圏とそうでない地方部では異なる作用を引き起こすことに注意しなければならない。日本において,ライドシェアリングの大都市圏への導入は移動需要に対する供給過剰を引き起こす一方,「人口の減少などの影響で既に公共交通機関が廃止され,さらにタクシー事業者も撤退したような地域では,自家用車を用いたライドシェアリングが住民の新しい移動手段として受け入れられる可能性が高い」。これが著者の結論であった。

 私も同意する。ワイドショーやニュースインタビューに都会の人間ばかりを登場させて「安くなったらいいなーなんて思いますけど」「交通混雑がひどくなるんじゃないかなー」とかのんきな寝言をしゃべらせ,議論を見当違いの方向にそらすのをやめるべきだ。導入を検討すべきは大都市ではない。バスもタクシーも鉄道も失われつつある地域の交通手段としての有効さを,真剣に検討すべきだろう。

「ライドシェア9割が未検討 都道府県、安全確保に懸念」『共同通信』2023年11月4日。

2023年10月20日金曜日

Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigationを読む:日本鉄鋼業に難問を突き付けるシミュレーション

 Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigation. Energy Conversion and Management, 254, 115268.
https://doi.org/10.1016/j.enconman.2022.115268


 これは日本鉄鋼業に難問を突き付ける論文である。オープンアクセスなので,誰でも読める。

 本研究は,西オーストラリアのピルバラ地域において製造されるグリーン水素を,日本とオーストラリアのパートナーシップの下,両国のどちらかで水素直接還元製鉄・電炉製鋼(H2DRI-EAF法)に利用するとして,どの工程をどちらに立地した場合に,エネルギー消費と鉄鋼製造コストがどうなるかをシミュレーションしたものである。輸送やエネルギー転換の際に,水素を液化水素にするか,アンモニアにするかについても比較している。時点は2030年と2050年である。使用する鉄鉱石についてはどれも同じ条件である。

 研究結果を立地についてだけ紹介する。パターンは以下の3つである。

SC1:太陽光発電,水の電気分解による水素製造をピルバラで行ない,液化水素またはアンモニアとして日本に輸出。日本で水素製鉄と電炉製鋼を行う。

SC2:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄までピルバラで行い,海綿鉄(HBI),液化水素またはアンモニアを日本に輸出。日本で電炉製鋼を行う。

SC3:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄,電炉製鋼をピルバラで行い,鉄鋼半製品を日本に輸出する。

図解はFig.1にある

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr1_lrg.jpg

注1:日本で製鉄・製鋼を行う場合も,ピルバラで製造された水素や,そこから燃料電池で製造された電力を用いると想定。

注2:海上輸送においても,燃料電池を船用動力とし,動力源としてピルバラで製造された水素をもちいる。

 その結果は以下のFig. 3のとおりである。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr3_lrg.jpg

 2030年でも2050年でも,また液化水素を用いてもアンモニアを用いてもSC1よりSC2,SC2よりSC3の方がエネルギー消費が小さく,鉄鋼製造コストも低い。つまり,ピルバラにグリーン水素製造から製鉄,製鋼まで集中立地した方が効果的だというのである。ただし,従来の化石燃料ベース,つまり石炭・コークスで鉄鉱石を還元する高炉・転炉法と比較すると,省エネにはなっているが,コストは高い。ピルバラでのグリーン水素製造を起点としたグリーンスチール生産のためには,一定のカーボンプライシングが必要である。ただし,2050年のSC3では,カーボンプライシングがなくとも高炉・転炉法と競争できるようになると予測されている。

 ここから私見である。本論文の通りであれば,このシミュレーションの前提に立つ限りにおいて,適度にカーボンプライシングがかけられた場合,オーストラリアから鉄鉱石と原料炭を輸入し,日本の製鉄所で製鉄,製鋼を行うという従来の日本鉄鋼業の方式は成り立ちがたいということになってくる。これは日本に立地するという意味での日本鉄鋼業にとっては,深刻な将来像と言わねばならない。もちろん,日本でピルバラよりも安価にグリーン水素が製造されれば,このシミュレーションと異なる将来像も描けるが,これまでのところ,その見通しはたっていない。

 このシミュレーションが妥当であるとした場合に,日本の鉄鋼企業や,水素製鉄のサプライチェーンに関わる諸企業(エネルギー企業,商社,海運業,そして,鉄鋼業の新規参入候補)の選択肢はどのようになるかを考える必要がある。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0196890422000644?via%3Dihub

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






2023年10月4日水曜日

東北大学は,論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与しました

  東北大学大学院経済学研究科は,2023年8月24日の教授会において,博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与することを決定しました。審査は,結城武延(主査),川端望,阿部武司の3名が行いました。この学位論文は,10月2日に東北大学機関リポジトリTOURにて公開されました。シェア先で全文PDFをダウンロードいただけます。

 本論文は,歴史ミステリーもかくやと思わせるような謎解きとなっています。著者は「日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であった」というシンプルな命題の真実性を明らかにし,これを軸に,技術史,経済史上の謎を次々と解き明かしていきます。関心のある方はぜひご覧ください。審査の詳細は日本経済史専門の結城,阿部先生にリードしていただきましたが,本論文の審査に携われたことは,私にも大変な幸いであり,学びとなりました。

 「本論文は、著者の長年にわたる研究の集大成として執筆されたもので、極めて独創性が高く、実証的にも確度の高い研究成果である。すなわち、技術史及び産業考古学の観点から当時の紡績技術と生産工程を復元・再構成した上で、日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であったことを明らかにし、さらに紡績業者がその事実を認識して原料転換と新たな技術選択を行っていく過程を説明したことである。産業革命期日本の紡績業に関する先行研究はその重要性から膨大にあるが、意外にも始祖三紡績の実態や官営紡績所から大阪紡績会社をはじめとした民間会社への移行過程における技術・機械・原料選択に関する要因は不明な点が多く、それらを明らかにした本論文の学術的貢献は非常に大きいといえる。この研究が可能になったのは、元紡績技術者でもあった著者が独自に収集した広範な資料群を駆使したからにほかならない。」(審査報告より抜粋。この報告書も間もなくTOURに掲載されます)。


<目次紹介>

第1章 序論
第2章 日本における紡績業発達史の概要
第3章 始祖三紡績
第4章 官営愛知紡績所から大阪紡績会社へ
第5章 繭糸織物陶漆器共進会(第二区二類綿糸)で明らかにされた紡績技術
第6章 日本綿・中国綿からインド綿・米綿・エジプト綿へ
第7章 インド綿・米国綿・エジプト綿用の紡績機械
第8章 ミュール精紡機とリング精紡機の選択をめぐる諸問題
第9章 結論

 なお,玉川氏には以下の著書がありますので,併せてご紹介します。

玉川寛治『「資本論」と産業革命の時代―マルクスの見たイギリス資本主義』新日本出版社,1999年。
前田清志・玉川寛治編集『日本の産業遺産〈2〉―産業考古学研究』玉川大学出版部,2000年。
玉川寛治『製糸工女と富国強兵の時代―生糸がささえた日本資本主義』新日本出版社,2002年。
玉川寛治『飯島喜美の不屈の青春―女工哀史を超えた紡績女工』学習の友社,2019年。

本文ダウンロードページ
玉川寛治『日本における初期綿糸紡績技術の研究』


2023年9月28日木曜日

Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition (Open access)

 My new paper "Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition" was published on "The Japanese Political Economy" website.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162

 On October 19, Japan time, the paper became open access.

 新論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」オンライン版がJapanese Political Economy誌のサイトで発行されました。

 日本時間10月19日より,この論文はオープンアクセスになりました。

 日本語原稿は以下からダウンロードできます。

川端望「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」

28/09/2023投稿
20/10/2023修正



2023年9月8日金曜日

ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表

 ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表しました。

 本稿は,1990年代において,日越合弁鉄鋼企業ビナ・キョウエイ・スチール(VKS)社がどのように設立され,操業を開始し,急速に市場での地位を築いたかを明らかにしたものです。

・ベトナムの外資受け入れ環境がまだ整っていなかった1990年代前半に,VKS社はどのようにして設立されたのか。この事実関係を明らかにしました。
・VKS社はベトナム鉄鋼業の初期の発展にどのような役割を果たしのか。その意義を述べました。
・進出したのが大手高炉メーカーでなく中規模な普通鋼電炉メーカーの共英製鋼であったことは,どのような意味を持っていたのか。この点をとくに重点的に考察しました。
・理論的には,「後発性利益」論と「誘発機構」論,「確立技術と適正技術」論,「中堅企業」論との接点を重視しました。実証の先行研究はないのですが理論的には先行研究が重く,言わねばならないことが多くて,うまく書けたかどうかが問題です。

 共英製鋼には公刊された社史がありますが,今回は社内誌,記念誌(画像)の提供を受け,またVKS初代社長にインタビューを,さらに共英製鋼のベトナムにおける出資先をひととおりの訪問・見学をさせていただきました。心から感謝しています。20年間蓄積したベトナム鉄鋼業の調査記録も活用しました。むろん,すべての文責は私にあります。

 改訂してから雑誌に投稿します。ご意見をいただければ幸いです。

 PDFこちら。リポジトリがシステム更新中で新規登録できないため,個人サイトからお送りします。
http://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/terg479.pdf




2023年8月14日月曜日

石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年を読んで

 石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年。幸いにも8月9日石田教授・植田教授が臨席される書評会にオンライン参加させていただいた。著者らは,おそるべき詳細な実態調査と600ページにわたる記述を通して,以下のことを論じている。雇用関係の全体像は,仕事のガバナンスと報酬のガバナンス,両者の整合性を論じないと把握できないこと。仕事のガバナンスの描き方が先行研究では弱かったこと。経営過程とはPDCAサイクルに沿った計画の体系として叙述すべきこと。PDCAに基づく運営を,従業員のできる限り下位の層まで関与させながら進めるのが日本の経営の特質であること。

出版社ページ
https://www.minervashobo.co.jp/book/b589600.html



2023年6月5日月曜日

東北の自動車部品産業を論じた「自動車部品産業集積の質的発展に向けて ―地場部品メーカー参入と成長への課題―」の原稿PDFを公開しました

 震災復興研究として書いた論文をもう一つ,共著者との合意を得てアップしました。東北の自動車部品産業のデータは少し前の時期のものですが,話の基本方向は今も間違っていないと思います。共著者の千葉啓之助さんは経済学部の大先輩で,1961年卒・安井琢磨ゼミです。

川端望・千葉啓之助「自動車部品産業集積の質的発展に向けて ―地場部品メーカー参入と成長への課題―」(東北大学大学院経済学研究科地域産業復興調査研究プロジェクト編『震災復興政策の検証と新産業創出への提言:広域的かつ多様な課題を見据えながら「新たな地域モデル」を目指す』河北新報出版センター,2014年,207-234頁。

こちらをクリックするとダウンロード



2023年4月23日日曜日

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」の最終版(査読済雑誌掲載版)がWeb公開されました

 唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」研究年報『経済学』79巻1号掲載の完成版PDFが,東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。無料ダウンロードいただけます。草稿DP版の公開は停止しました。

こちらです。東北大学機関リポジトリTOUR
http://doi.org/10.50974/00137113

2023年4月21日金曜日

Vaclav Smil, Still the Iron Age: Iron and Steel in the Modern World, Butterworth-Heinemann, 2016.を読んで--「今もなお鉄の時代」

 Vaclav Smil, Still the Iron Age: Iron and Steel in the Modern World, Butterworth-Heinemann, 2016.

 流し読みながら、ようやく通読できた。スミル氏は,食料,エネルギー,環境問題の専門家として知られており,その著作はいくつか日本語にも訳されている。しかし,氏の知識は恐ろしいほど範囲が広い。鉄鋼にも及んでいるというだけでなく、鉄鋼の歴史,技術,経済,社会のいずれの側面にも及んでいる。昔読んだもので言うと中澤護人『鋼の時代』(岩波新書,1964年)を思い出させる。本書は,残念ながら私にはとても書けそうにない,鉄鋼についての総合的な理解を得るために不可欠の著作である。

 代替素材が出現し,また先進諸国では経済・社会の非物質化(Dematerialization)が進行しているとはいえ,著者はタイトルにある通り『今もなお鉄の時代』であり,それは容易には終わりそうにないと考えている。

「今後半世紀を見通しても,我々の最良の工学的,科学的,経済的理解にもとづく結論は以下のようになるに違いない。我々の文明が鉄鋼(steel)なしにたちゆくという現実的可能性はない。この金属に対するグローバルな依存の規模はあまりにも大きく,急速に極小化することができない。われわれはアルミニウムの33倍,あらゆるプラスチックの合計の約6倍の鉄鋼を使っているのである」(終章より)。

 そして著者は、新製鉄技術が高炉に取って代わることのハードルも高いと考えている。それは、技術とは、開発されるだけでは完成したことにはならず、経済的な大規模生産を実現しなければならないものだからである。

「いずれにせよ,たとえ成功裏に実証されたとしても,すべての新製鉄技術は,手ごわい目標に立ち向かい,実証実験からパイロットプラントへ,そして大規模生産へという決定的な移行を遂げねばならないだろう。現代的な高炉における熱的・化学的効率と,その大規模な作業量,高い生産性,すぐれた寿命の長さは,同様のパフォーマンスを示す大規模な還元技術を考案することを極めて困難にしているのである。」(同上)

 著者は、鉄鋼技術の科学的研究や研究室での開発の歴史だけではなく、実際に社会で生産に用いられてきた歴史を踏まえてこのように述べている。これが本書を重要な社会的意義を持つものにしている。

 技術が市場とコストという経済的テストに合格しなければならないという命題は深刻である。経済的合理性を考慮しながら、地球温暖化防止のポイント・オブ・ノーリターンに間に合うように、鉄鋼技術を脱炭素化することは可能だろうか。これが読後に残される問題である。


出版社直販
https://www.sciencedirect.com/.../9780.../still-the-iron-age

Amazon
https://www.amazon.co.jp/Still-Iron-Age.../dp/B01B4KO21C

2023年4月1日土曜日

『産業学会研究年報』第37号がJ-Stageで公開されました

 昨年,編集に携わった『産業学会研究年報』第37号がJ-Stageで公開されました。紙媒体発行から1年後に無償公開されることになっています。以下でご覧になれます。ただいま第38号を初校ゲラ校正中です。

第37号トップhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/sisj/2022/0/_contents/-char/ja


奥山 雅之, 日本繊維産地の構造変化と主体的行為, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 1-19,

https://doi.org/10.11444/sisj.2022.1

岩佐 和幸, グローバル化/ファスト化に翻弄される繊維産地と域内縫製業の苦闘, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 21-39, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.21

細矢 浩志, CASE時代の欧州自動車産業の「脱炭素」戦略, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 41-59, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.41

外川 健一, 2020年コロナ禍での日欧自動車リサイクル制度改革の論点, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 61-77,
https://doi.org/10.11444/sisj.2022.61

佐伯 靖雄, 地理的分断克服に向けたトヨタ・グループでの委託開発の取り組み, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 79-91, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.79

垣谷 幸介, オーラル・ヒストリー手法によるトヨタ自動車と天津汽車の国産乗用車合弁事業の経緯, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 93-115,
https://doi.org/10.11444/sisj.2022.93

山崎 文徳, ボーイングの技術競争力と連邦政府の認証制度, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 117-132, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.117

銀 迪, 中国の鉄鋼産業政策, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 133-153,
https://doi.org/10.11444/sisj.2022.133

竹下 伸一, 日系塗料2社の住宅・建築用海外事業の比較研究, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 155-171, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.155

原田 優花子, 小竹 暢隆, 金属3Dプリンタビジネスの現状と課題, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 173-181, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.173

三好 純矢, 近藤 信一, デザイン経営に向けた感性を起点としたマッチング, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 183-195, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.183

大平 哲男, 市場構造の変化を踏まえた事業展開のあり方について, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 197-209, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.197

書評, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 211-222, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.211

英文要約, 産業学会研究年報, 2022, 2022 巻, 37 号, p. 223-234, https://doi.org/10.11444/sisj.2022.223

2023年3月25日土曜日

李捷生氏大阪公立大学退官記念講演会にオンライン出席して

  3月18日に,李捷生氏の大阪公立大学退官記念講演会にzoom参加した。

 私は大阪市立大学経済研究所において,氏の前任者であった。自分が転出することになった1997年のある日,後任をどうしたらいいだろうと,同僚の植田浩史氏(現・慶應義塾大学)と話し合ったときのことを覚えている。数分間,二人で考えた後,たぶん私の方からだと思うが,「李さんをお呼びすれば」と気がつき,そうだ,それがいいと早速準備に入ってもらった。ついこの間のことのようだが,もう25年も前の話だ。当時李氏は,松崎義編『中国の電子・鉄鋼産業』法政大学出版局,1996年に寄せた首都鋼鉄に関する論文で高い評判を得ていた。

 李氏の着任後,経済研究所はなくなって,氏は創造都市研究科に移られ(2018年度より経営学研究科),社会人大学院を担当されることになった。経済研究所は研究に専念できる場であったため,改組によって先生に過大なご苦労をかけることになったかと思ったこともある。しかし,講演会に参加して,実におおぜいの大学院修了者が各方面で活躍していることを知り,李氏が偉大な仕事をされたことが理解できた。

 記念講演は,「労働研究38年 -方法としての日本-」という題目で,李氏の研究の問題意識と理論的背景が語られた。

 まず,氏がご自身の中国での経験を背景として,マルクス派宇野理論の「労働力商品化の無理」規定を解釈し,「労働供給は組織コミットメントを通して初めて達成される」という観点で労働調査を行ってこられたことが理解できた。氏の経験からすれば,おそらくそれは「資本主義であれ,社会主義であれ」そうなのだということだ。氏が博士論文・単著において首都鋼鉄における従業員代表者大会によるガバナンスに注目されたのは,中国の国有企業においても,企業の運命は,労働者が組織にコミットする在り方によって左右されると考えられていたからであろう。

 また,李氏の調査の問題設定が,氏原正治郎氏の問題意識を継承したものであることも理解できた。日本企業は生活給的な年功賃金を正規労働者に支給している。熟練や成果に応じた賃金でないのであれば,いったいどうやって労働者のコミットメントを確保しているのか。また職務の曖昧さゆえに労働が「不定量」になる時に,企業はどうやって必要な「量」を確保するのか。それは,一方においては年功的なものを含みつつ様々な展開を遂げる賃金管理によって,他方において生産管理によって確保するということである。この二つが李氏の調査・研究領域となったのである。

 李氏は,詳細な実態調査において右に出る者のない研究者であるが,同時にその研究は,日本のマルクス派や労働問題研究の問題意識や着眼点を受け継ぎ,これを発展させるものでもあった。まさに「方法としての日本」であり,「故きを温ねて新しきを知る」である。

 1970-80年代中国において育まれた氏の鋭い問題意識が,日本の学問の中から自らの方法となり得るものをつかみ取ることを可能にした。私は,日本において積み重ねられてきた学問的伝統を自分がどう扱っているのかを自問せざるを得ない。理論が古くなったから役に立たないのではなく,単に私が漫然と生きているから,先人の蓄積から見つけられるものを見つけられていないのではないだろうか。いや,よく記憶をたどると,氏に初めて会った時からそう思い知らされていたのである。

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...