フォロワー

ラベル 哲学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 哲学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年10月14日火曜日

言語論的転回すらしなかったオールド・マルクス学徒が東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』(講談社現代新書,2025年)を読んで

 私には,カウンセリングのやや本格的な本を,哲学的認識論・実践論として読むという妙な癖がある。あまり人に言ったことはないが,学生時代からマルクス派であった私にとって,非マルクス学派で哲学的に最も印象に残り,自分の世界観を変えた本は河合隼雄『カウンセリングの実際問題』(誠信書房,1970年)であった。私は哲学の言語論的転回に出会う機会を持たなかったが,心理学的には転回していたのかもしれない。読んだのは心の問題が日本社会で課題化された1990年代であり,河合氏の軽めの本は大いに出回っていた。しかし,どれもこれも大変失礼ながらお説教としか思えなかった。お若いころにはもっと力の入ったものを書かれたはずではないかとこの本を手に取って,なるほど,これがご本尊か,さすがだと衝撃を受けた記憶がある。どんな軽めの本よりも頭にすんなり染み渡った。

 しかし,いま考えれば,河合(1970)は心の理論を論じたものであり,またそれだけに集中していたとも言える。私自身のせまい唯物論的思考方法に対する解毒剤ないし補完であったことは間違いないが,それで認識論の全体的な構図を得られたかというと,そうではなかったろう。

 さて,先月の終わりに,東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』(講談社現代新書,2025年)という本があると知り,直感で「これはいいかも」と思って購入したところ,大当たりであった。本来はカウンセリング原論であるが,やはり認識論・実践論として読めるもので,大変面白い。それは,著者の「自己―心―世界モデル」が,物質的所与と精神,さらに両者の境界,物質的身体と,精神が受け止めるものとしての「からだ」,社会に働きかける実践と心に働きかける実践を包括しているからである。それに対応して,著者のカウンセリングも「生存」を獲得するものと「実存」を獲得するものに二層化される。まずは生存を確保しなければどうにもならないが,実存も大事である。たいへん納得のいく話である。

 読み進むうちに,著者が日本の臨床心理学史における屈折を踏まえて自らの「自己―心―世界モデル」を構築していることに気が付いた。日本の臨床心理学は1970年前後に,カウンセリングは「個人を変化させることで,社会の悪しきところを温存することになる」という批判を受け,「学問全体が壊滅状態になったこともあります」(203ページ)というのである。

 そこでつい野次馬根性を出して,東畑開人「反臨床心理学はどこへ消えた?--社会論的転回序説2」『臨床心理学増刊』第14号,2022年8月のKindle版も購入して読んだところ,当時の事情と現在に至る経過が論じられていて,著者の「自己―心―世界モデル」の背景が納得できるような気がした。日本臨床心理学会は反臨床心理学からの批判によって1971年に分裂し,脱退した人々が形成した日本心理臨床学会が臨床心理学の再建を図り,「河合隼雄の時代」を作ったというのである。ちなみにその先は著者の時代区分では「多元性の時代」と「公認心理師の時代」である。

 以下,東畑(2022)の長めの引用だが,宣伝を兼ねることでお許しいただきたい。

ーー
Young (1976)(補注1)では,説明モデルには個人の外部に問題の原因を探し求める「外在化」型と,個人の内部に原因を見出す「内在化」型があると指摘されている。前者はたとえば,先祖の霊や社会構造に原因を見出す説明モデルを考えたらいいし,後者は身体医学を思い浮かべるといい。両者は背反しやすい。盆のせいにすると,身体の不調を見過ごしやすいし,体のケアだけしていると,労働環境の問題を看過することになりやすい。

 「河合隼雄の時代」の「心理学すること」が極端に内在化型であったのが重要である。「ロジャースの時代」の終わりに生じた専門性の危機を,心理臨床学は個人心理療法を範型とすることで乗り越えようとした。面接室の内側で,個人の内面を見る。心に問題を見出し,心の変化を狙う。徹底して内在化型の誂明モデルを彫琢することで, 専門家としてのアイデンティティを確立しようとしたのである。

 そのことによって排除されたのは反臨床心理学にあった外在化型の説明モデルである。問題を社会構造に見出すこと,環境に暴力を見ること,そして変わるべきは個人の内側ではなく,社会や環境といった外部であること。つまり「社会すること」。
ーー

 たいへん納得がいく。「心理学すること」と「社会すること」を包摂した東畑(2025)は,私にとって河合(1970)の後継書となってくれるように思った。

※補注1。Young A (1976). Some implications of medical beliefs and practices for social anthropology. American Anthropologist, 78(1), 5-24,  https://doi.org/10.1525/aa.1976.78.1.02a00020  のことである.

※補注2。臨床心理学はおそらく障害学に近い位置にあると思われる。そのため,障がいをめぐる種々の議論を知らないおまえが何を言うかとおっしゃる向きもあるかもしれない(学生時代もよく新左翼の諸君にそう詰め寄られたものである)。確かに,コンテキストを知らない無知な発言も問題である(なので,私は例えば沖縄とガザについては発言は控えている)。しかし,自分の方が事情に通じているからと言って,生半可な発言をする人を「そんなことも知らない奴が何を言う」と恫喝するのも問題であると思う。よって,ここではとにもかくにも考えたことを投稿した。また,私とて何のコンテキストも背負わない能天気と思ってもらいたくないとは言っておく。

東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』講談社現代新書,2025年。


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...