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2024年10月12日土曜日

幸福への道か,底なし沼か:中国製の日常系アニメ『呼喚少女Call Up ・Girls』のPVが超絶ハイクオリティという話

 中国の日常系アニメ『呼喚少女Call Up ・Girls』のPVがすごいという話。2019年からマンガとしてネット配信されていた作品がアニメ化されたという局面らしい。一瞬,日本のアニメかと思うがセリフも背景の文字も簡体字であるし,制服がジャージっぽいので間違いなく中国である。デザインと言い動きと言い,中国のオタク界隈が,ここまで萌えに習熟したとは恐るべき進化である。ただし,それが幸せへの道であるか,底のない沼であるかは,わからない。


YouTube。もとはBiliBili動画。
https://www.youtube.com/watch?v=O9ABD1oKlsQ&t=1s


おそらくこれが原作。テンセント漫画。原作/凳小氷 円小劉。作画/羅克ROKとある。 

https://ac.qq.com/ComicView/index/id/642826/cid/1657




2024年8月23日金曜日

「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」,それが鉄鋼業

 「中国の鉄鋼過剰、世界揺るがす-業界全体が窮地に陥る恐れ」という記事がブルームバーグから配信されている。なぜ中国という一国の過剰生産が世界を揺るがすからというと,規模がバカでかいからである。

 中国は世界の鉄鋼生産の半分を占める超製鉄大国だ。2024年の生産量は不況が続くとしても10-11億トンになると予想できる。

 そして,2024年の中国からの鉄鋼輸出は1億トンを超える可能性がある。これは,前回,貿易摩擦を激しくした2015年の1億1200万トンと同水準だ。

 ただ,10億トン生産して1億トン輸出するというのは,10%の輸出比率にすぎない。過剰能力を抱えて輸出ドライブをかけると言っても,内需9億トンの方が需要の中心だ。日本鉄鋼業の輸出比率が40.6%に達することを考えれば,その低さは明らかである。おそらく中国の鉄鋼企業からしてみれば,輸出が主力市場にしているという感覚はないだろう。

 しかし,絶対量で1億トンの輸出というのは,大きい。日本の昨年の鉄鋼輸出3242万トンと比べても3倍以上である。輸出品が向かってくる輸入国の鉄鋼業からすれば脅威だ。もっとも,鉄鋼を消費する建設産業や機械工業からすれば大助かりであろう。

 このように,中国鉄鋼業は全体が途方もなく巨大であるために,さほど輸出ドライブをかけず,低い輸出比率であっても,巨大な輸出量となって世界に影響を与える。昔,「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という言葉があったが,鉄鋼業においては「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」のだ。

2024年3月21日木曜日

旅立ちの時

 旅立ちの時

 当ゼミの修了生,博士研究員の銀迪さんは,4月1日から同志社大学商学部助教に就任します。思えば,大学院受験の相談を受けて,出張ついでに銀さんと池袋の喫茶店で会ったのは2015年夏のことでした。それから約9年間,色々なことがありました。とくに後期課程に進んでからは,私は,春も夏も秋も冬も,銀さんの論文が完成するだろうか,仕事が見つかるだろうかという緊張と不安を抱えていましたが,本人にはその数倍の重圧がかかっていたことでしょう。よく耐えてがんばったと思います。博士論文と,単著論文1本,共著論文2本を公刊して,ついに独り立ちする時を迎えました。

 おめでとうございます。

銀迪(2022)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」博士(経済学)学位論文。

銀迪(2022)「中国の鉄鋼産業政策:設備大型化・企業巨大化・生産集中化の促進とその帰結」『産業学会研究年報』37,133-153。

川端望・銀迪(2021)「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」『アジア経営研究』27,35-48。

川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1),1-31。



2024年2月6日火曜日

立原透耶編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』新紀元社,2023年を読んで

 立原透耶編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』新紀元社,2023年。帯にも抜粋されている解説で林譲治氏は「『世界の中で中国とは何か?』という問いかけが無意識のうちになされているように思う」と書かれているが,私はむしろ,本書に収録された作品はどれも中国という場所にこだわらず,人間とは,人類とは何であり,何でありうるか,という問いに向かっているように思う。舞台が中国であれ,主人公が中国人であれ,ガジェットが中国で知られたものであっても,そこで問われているのは個々の人間の生が,また人類という種が,どこまでのことを経験し,どこまでのことをなしうるかなのだと思う。

 中国SFをそれほど多くを読んでいるわけではないが,その方向性は多様である。SF的想像力に基づきながら現代中国の内面を掘り下げた小説もある。その一方,本書のように中国という限られた場から解き放たれていくようなSFもある。ともに世界で読まれるべき中国発のSFと思う。

出版社ページ

http://www.shinkigensha.co.jp/book/978-4-7753-2023-5/



2023年8月21日月曜日

宝樹(中原尚哉訳)「金色昔日」(ケン・リュウ編,中原尚哉ほか訳『金色昔日 現代中国SFアンソロジー』ハヤカワ文庫,2022年)読後感

 宝樹(中原尚哉訳)「金色昔日」(ケン・リュウ編,中原尚哉ほか訳『金色昔日 現代中国SFアンソロジー』ハヤカワ文庫,2022年)。

 この本はケン・リュウが編集した中国SF集の2冊目である。私は書店で1冊目の『折りたたみ北京』とどちらを買おうか迷っていたが,本書を開いてぎくりとし,こちらを買うことにした。


「紫令は強硬すぎる」


という文字が目に映ったからである。もちろん,よく知られた実在の人物は紫玲であるが。

 表題作「金色昔日」の著者は,宝樹の作品で日本で知られているのは,『三体X 観想之宙』(原書2011年,日本語訳2022年)であろう。劉慈欣『三体』シリーズを著者公認の上で受け継いだスピンオフだ。彼は中国で活躍する作家だが,「金色昔日」は,2015年に英文誌に発表されたものであり,中国では出版されていない。中国の検索エンジン「百度」で「宝树 "金色昔日"」と入力しても,この日本語出版を紹介する記事しかヒットしない。

(以下,本作品のSF設定を明かします。知らずに読みたい方はここでおやめになることを勧めます。)

ーーーー

 「金色昔日」は時間小説である。登場人物たちは別の世界の中国を生きている。主人公は幼児期に北京オリンピックを見に行く。その後に経済停滞の時代が訪れ,高校時代には上海に住む幼馴染に紙の手紙を書くようになる。大学生になって天安門広場に立つ。やがて鄧小平は失脚し,毛沢東という人物が台頭する。そして文革が始まる。そう書いてもわけがわからないかもしれないから,イメージを喚起するために少しだけ主人公の言葉を引用しよう。

(引用)「ベルボトムのジーンズと鄧麗君の歌が大通りにあふれていた青年時代。香港四天王や台湾のテレビドラマが全国的に人気だった少年時代。ネットゲームやオリンピックや3D映画があった幼年時代。あれらは本当に存在したのだろうか。どこから来てどこへ消えたのか。すべては一場の夢だったのか。」(引用終わり)

 歴史は逆に流れているはずなのに,主人公が直面する状況はみなリアルである。また,個人の時間は読者と同じように流れ,主人公は出会いと別れに翻弄されながら生き,年老いていくのだ。

 SFにはなじみがなくとも,現代中国になじみがある人には一読をお勧めしたい。


出版社ページ
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015280/




2023年4月23日日曜日

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」の最終版(査読済雑誌掲載版)がWeb公開されました

 唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」研究年報『経済学』79巻1号掲載の完成版PDFが,東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。無料ダウンロードいただけます。草稿DP版の公開は停止しました。

こちらです。東北大学機関リポジトリTOUR
http://doi.org/10.50974/00137113

2023年3月25日土曜日

李捷生氏大阪公立大学退官記念講演会にオンライン出席して

  3月18日に,李捷生氏の大阪公立大学退官記念講演会にzoom参加した。

 私は大阪市立大学経済研究所において,氏の前任者であった。自分が転出することになった1997年のある日,後任をどうしたらいいだろうと,同僚の植田浩史氏(現・慶應義塾大学)と話し合ったときのことを覚えている。数分間,二人で考えた後,たぶん私の方からだと思うが,「李さんをお呼びすれば」と気がつき,そうだ,それがいいと早速準備に入ってもらった。ついこの間のことのようだが,もう25年も前の話だ。当時李氏は,松崎義編『中国の電子・鉄鋼産業』法政大学出版局,1996年に寄せた首都鋼鉄に関する論文で高い評判を得ていた。

 李氏の着任後,経済研究所はなくなって,氏は創造都市研究科に移られ(2018年度より経営学研究科),社会人大学院を担当されることになった。経済研究所は研究に専念できる場であったため,改組によって先生に過大なご苦労をかけることになったかと思ったこともある。しかし,講演会に参加して,実におおぜいの大学院修了者が各方面で活躍していることを知り,李氏が偉大な仕事をされたことが理解できた。

 記念講演は,「労働研究38年 -方法としての日本-」という題目で,李氏の研究の問題意識と理論的背景が語られた。

 まず,氏がご自身の中国での経験を背景として,マルクス派宇野理論の「労働力商品化の無理」規定を解釈し,「労働供給は組織コミットメントを通して初めて達成される」という観点で労働調査を行ってこられたことが理解できた。氏の経験からすれば,おそらくそれは「資本主義であれ,社会主義であれ」そうなのだということだ。氏が博士論文・単著において首都鋼鉄における従業員代表者大会によるガバナンスに注目されたのは,中国の国有企業においても,企業の運命は,労働者が組織にコミットする在り方によって左右されると考えられていたからであろう。

 また,李氏の調査の問題設定が,氏原正治郎氏の問題意識を継承したものであることも理解できた。日本企業は生活給的な年功賃金を正規労働者に支給している。熟練や成果に応じた賃金でないのであれば,いったいどうやって労働者のコミットメントを確保しているのか。また職務の曖昧さゆえに労働が「不定量」になる時に,企業はどうやって必要な「量」を確保するのか。それは,一方においては年功的なものを含みつつ様々な展開を遂げる賃金管理によって,他方において生産管理によって確保するということである。この二つが李氏の調査・研究領域となったのである。

 李氏は,詳細な実態調査において右に出る者のない研究者であるが,同時にその研究は,日本のマルクス派や労働問題研究の問題意識や着眼点を受け継ぎ,これを発展させるものでもあった。まさに「方法としての日本」であり,「故きを温ねて新しきを知る」である。

 1970-80年代中国において育まれた氏の鋭い問題意識が,日本の学問の中から自らの方法となり得るものをつかみ取ることを可能にした。私は,日本において積み重ねられてきた学問的伝統を自分がどう扱っているのかを自問せざるを得ない。理論が古くなったから役に立たないのではなく,単に私が漫然と生きているから,先人の蓄積から見つけられるものを見つけられていないのではないだろうか。いや,よく記憶をたどると,氏に初めて会った時からそう思い知らされていたのである。

2022年12月30日金曜日

国家が所有し,党が支配するが,資本である「党国家資本」:中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読んで

 中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読了。他の仕事の合間,合間で読んだために時間はかかったが,読んでいる時はすらすらと読み進むことができた。これは,すらすら読み進めた理由を考えながらの感想である。やや個人的事情に基づくところがあることをお断わりしておく。

 私は中国鉄鋼業研究者であっても,中国経済・社会全体に向き合う地域研究者ではない。しかし,中屋氏が描き出した,政府ー国有有限会社ー株式会社という国有企業の所有構造と,その人事を背後から中国共産党が支配する構造には,すんなりと納得がいく。その理由は,もちろん,中屋氏が豊富な資料を動員して実証しているからであるが,他にも個人的事情がある。

 一つは,私は,もともと独占資本主義論から出発したアメリカ経済研究者だったので,市場経済化した中国の巨大国有企業も資本主義の類推で理解できるからである。発達した資本主義とは,形は様々であれ独占体や寡占体制が存在するものであるから,私は中屋氏が批判するような,中国が市場経済化されて「国有企業が民営化されて自由な資本主義になる」という期待を持ったことなど一度もない。「一部の株主や金融機関や機関投資家が大きなシェアと影響力を行使する巨大企業体制になるだろう」とはじめから思っていた。その通りとなった。そして,巨大企業の所有と支配に関する研究史を踏まえれば,所有構造の一番上にモルガンやらロックフェラーやらがいるのではなく政府がいるのだと考えると,なにも不思議なことではなく,中屋氏の主張をすんなり飲みこめる。

 もう一つは,私はマルクス主義から社会科学の学びを始めた者として,共産主義運動史にも多少は覚えがあったからである。共産党組織が政府や企業の組織を実効支配する際に,主として人事を通して行うことも,今初めて中国だけに起こった新現象ではなく,共産党のあるところ歴史的にあり得ることである。企業内には企業党委員会,国有資産監督管理委員会には国有資産監督管理委員会党委員会がある。まず党の会議が,企業の役職に就くべき党員を選出し,その後(例えば党の会議を午前に行った日の午後)に企業の会議が役員を正式に選出する。中屋氏によるこの構造と過程の分析などは,堅い叙述にもかかわらず政治的生々しさが感じられるが,共産主義運動の在り方としては典型的なので,これもまた私にはすんなり理解できる。

 とはいえ,私にとっても,国有企業が,国家資本のまま,かつその国家資本を党組織に実効支配されたたままで,これほどまでに営利企業としての内実を獲得できたことは予想外であった。逆に言えば,営利企業としての内実を獲得した企業を国家資本と党組織で支配し続けることができたというのは,やはり意外なことであった。しかし,それが現実であった。この独特な在り方が現存することを,古い言葉で言えば「所有・支配」論,現在の日常用語では「企業統治」論の視角から解明したことが,本書の最大の功績と思う。

 国有企業は,国家が所有し,党が間接支配する所有・支配構造をもっている。しかし,利潤追求のメカニズムは改革が進むにつれて,強く作動するようになっている。したがって,その性質は「党国家資本」だというのも,納得がいく。イデオロギーや思想として中国経済と中国共産党をどう評価するにせよ,党支配であり国家支配であるが,資本でもあるというのが,国有企業の現実を把握する適切な規定であろう。

 本書に残された課題があるとすれば,それは党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者の専門的能力とキャリアの形成に関する研究であろう。巨大株式会社の「所有・支配」,あるいは今風には企業統治を研究する際には,株式などの所有から出発して支配を検出する方法と,専門的職能としての経営・各級管理の生成から出発して支配を検出する方法とがあり,主としてアメリカ経済研究を通して形成された。前者は,A.A.バーリ&G.C.ミーンズの経営者支配論とこれに対する批判を含んだ諸研究(※1),後者は古くはJ.バーナム,やや新しくはA.D.チャンドラー,Jr.の研究(※2)を画期とする諸研究である。中屋氏の研究は,所有から出発する前者の研究潮流に属する。ちなみに,日本の古典的研究としては馬場克三(※3)が参照されている。残されるのは後者の視角からの研究であろう。党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者はどのようにキャリアを積み,企業経営と政治支配を含むどのような専門的能力を身に着けて,「党国家資本」の活動を成立させているのであろうか。ときに相反する複合的な能力が求められること故の矛盾はないのだろうか。これは,中屋氏に要求すべきことではなく,後学の課題となる。

※1 A. A. Berly & G. C. Means, The Modern Corporation and Private Property, The Macmillan Company, 1932(A. A. バーリ&G. C. ミーンズ著,森杲訳『現代株式会社と私有財産』北海道大学出版会,2014年)。その後の種々の研究を踏まえた総括として松井和夫『現代アメリカ金融資本研究序説:現代資本主義における所有と支配』文眞堂,1986年。

※2 J. Burnham, The Managerial Revolution: What is Happening in the World, John Day, 1941(J.バーナム著,武山泰雄訳『経営者革命』東洋経済新報社,1965年)。A. D. Chandler, Jr., The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, The Belknap Press of Harvard University Press, 1977(A. D. チャンドラーJr.著・鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代:アメリカ産業における近代企業の成立(上・下)』東洋経済新報社,1979年。

※3 馬場克三『株式会社金融論』森山書店,初版1968年,増補改訂版1978年。

出版社ページはこちら。









2022年12月6日火曜日

博士論文 銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」の公表によせて

  当ゼミの修了生である銀迪さん(東北大学経済学研究科博士研究員)の博士論文「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」が東北大学機関リポジトリTOURで全文公開されました。

 この論文は,2001-2015年の高成長期における中国鉄鋼業の構造を,需要構造,技術選択と生産システム編成,企業構造,産業の構造,産業政策の諸側面から明らかにしたものです。

 中国は世界最大の製鉄国ですが,この時期の鋼材需要の中核は,小ロット指向の中低級品,典型的には鉄筋用棒鋼などの建設用鋼材でした。自動車用鋼板などの高級鋼材需要も増えましたが,そのシェアの拡大はゆるやかなものでした。

 鉄鋼企業は,この需要構造を背景にして技術・生産システムを編成しました。その結果,宝武集団に代表される,大型高炉一貫システムを基礎とした大型高炉一貫企業も多数形成されました。この15年間のうちに業界団体非加盟の小型企業から最大級の高炉一貫企業にまで駆け上った例もあります。しかし,民営の業界団体非会員の小型企業(高炉一貫企業,電炉企業,単純圧延企業)も多数成長しました。産業全体としては,国有・民営が混合する大型高炉一貫企業と,非会員小型企業が併存する構造となりました。そして,実は大型高炉一貫企業も,内部には大型高炉一貫システムと中小型高炉一貫システムの双方を保有していたのです。

 中国政府は鉄鋼業の高度化をめざし,設備巨大化・企業大型化・産業集中化を促進する産業政策を実施しましたが,その作用は功罪半ばするものとなりました。大型設備による沿海鋼鉄基地の形成や,旧式設備淘汰による環境改善には寄与しました。その一方,中低級品需要にこたえる民営小型企業の投資を排除しようとしたことは市場ニーズに逆行する行為でした。結果として,このニーズは,規制を逃れて投資を進めた民営企業によってカバーされたのです。

 中低級品の一部では,群生する小型民営企業に加えて,大型高炉企業までも,中小型高炉一貫システムを用いて競争しました。この激しい設備投資競争は過剰能力の形成に向かい,結果として中国鉄鋼業の高成長期を終わらせることになったのです。

 銀さんの論文は,この時期の中国鉄鋼業の技術や産業組織を理解するために,まず最初に読んでおくべきものになったと思います。

 また,この論文は徹底したケース・スタディですが,実は「生産システムー企業ー産業」という産業の三層構造分析と,「目的合理性ー執行強度ー結果」と言う産業政策の二軸三局面分析という理論的方法論に基づいています。

 前者の方法により,世界最大の製鉄国である中国が,生産システムの次元では中小型高炉一貫システムに依拠しており,また,そうでありながら企業レベルでは巨大企業の形成が進んでいるという複雑な構造を持っていることを明らかにしました。このことは,企業自身による市場適応という側面と,政府の企業巨大化・産業集中化政策の結果と言う二側面を持っていました。

 また後者の方法により,中国政府の産業政策について,政策目的通りの成果を上げたこと(沿海鋼鉄基地の形成,旧式小型設備淘汰による環境保全),政策目的を達成できなかったこと(合併・買収による産業集中度の向上),政策目的から外れた企業行動によって,かえって望ましい結果に至ったこと(民営企業の多数参入による建設用鋼材の供給)を区別して評価することを可能にしました。

 指導教員としては手前味噌ですが,本稿は,私自身の鉄鋼業研究ではこれまでなしえなかった,産業研究の理論的深化に踏み出していると思います。

銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」2022年10月6日学位授与。博士(経済学)

2022年3月2日水曜日

ロシアとの関係は大事だが,グローバリゼーションの利益は手放せない中国政府:迷いのある綱渡りをする理由

 Reuters BreakingviewsのコラムニストYawen Chen氏は,「中国はロシアへの対応で綱渡りを強いられており、しかも足を踏み外す危険がどんどん高まっている」「中国がロシアを手助けし過ぎると、自らも火の粉を浴びかねない」と評価している。これは主に,貿易取引を人民元建てで決済することに即した話だが,経済制裁全般に言えることだ。

 ロシアのウクライナ侵略に対する経済制裁の結果は,経済的な意味でのグローバリゼーションの中断か終焉かもしれない。とすれば,中国が対応に迷うのも当然だ。中国は,過去30年間,WTO加盟をはじめとする貿易・投資の自由化へのコミットメントを通して経済発展を遂げた。国家権力の利益の観点からあちこちに留保をつけることはあっても,全体としてはグローバリゼーションの受益者であった。そのためのルールづくりがアメリカや西欧諸国に握られていることを不満に思い,これを自らの手に奪いたいという要求は強めているが,経済的グローバリゼーションを否定する立場には立っていない。だからCPTPPにも加盟申請をしているのだ。

 したがって,中国政府は,政治的にはアメリカやEUよりロシアに親近感を覚えるとしても,経済的グローバリゼーションの中断や終焉につながる行為には加担しづらい。この危機にあって中国とロシアの経済関係は深まらざるを得ないが,まだ中国とロシアとそれに協調する諸国だけで,グローバリゼーションの新ルールを確立できる局面でもない。中国の経済発展の見地からすれば,ロシアの行為はどんなによく見ても早まったものであり,普通に見れば近視眼的で余計なことであろう。しかし,だからといってアメリカとEUに同調することも政治的に難しい。これが中国政府が,今回,迷いのある綱渡り的対応になる経済政策上の理由であると思う。


Yawen Chen「コラム:ロシア対応「綱渡り」の中国、制裁の火の粉浴びる危険も」ロイター,2022年3月2日。



2021年12月11日土曜日

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」の早期公開版を公表しました

 唐嫘夢依さんの修士論文を改訂した共著論文「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」が査読を通り,研究年報『経済学』に掲載されることになりました。ただ,掲載巻号が未定であり,年1回しか出ない雑誌であるため,発行までかなりかかると予想されます。そこで許可を得てネット配信可能なTERG Discussion Paper, No. 455として東北大学機関リポジトリTOURに登載してもらいました。DP版は研究年報『経済学』が発行されるまで時限公開します。

 中国のネット小説の世界を一言で言うと,日本で言うラノベやハーレクイン系恋愛小説が紙の本ではなくネットで発表され,スマホで読まれています。また,アマチュアからトップ作家までがシームレスに同じプラットフォーム上で活動しています。その市場規模は2017年に90億元(同年末レートで1556億円)に達しています。中国ネット文学の世界にどうぞ触れてみてください。

起点中文網

起点軽小説

起点女生網

2023/3。最終版が雑誌に掲載されました。以下でご覧いただけます。

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」研究年報『経済学』79巻1号
http://doi.org/10.50974/00137113


唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」TERG Discussion Paper, No. 455, 東北大学大学院経済学研究科,1-21。→公開停止しました。


2021年9月26日日曜日

関係者はぜひ活用を:渡邉真理子 ・加茂具樹・川島富士雄・川瀬剛志「中国のCPTPP参加意思表明の背景に関する考察」

 これほどまでにどんぴしゃりのタイミングで,政策関係者に大いに役に立つペーパーが出ることは滅多にないだろう。誰もが知りたいことがちゃんと書かれている。例えばこのあたり。

「中国が正式にCPTPP 加入申請をするのであれば、次のように考えている可能性がある。つまり、①国有企業章については、現行の適用除外、例外および留保、とりわけ地方政府所有国有企業留保を活用すれば大きな支障がない、あるいは CPTPP 加入交渉時により幅広い国別留保を獲得することが可能であると考えている。②電子商取引章についても CPTPP 全体に適用される安全保障例外の活用を考えている。以上 2 点については、このように楽観的に考えている可能性が高い一方、③労働章の規律を受け入れる準備があるのか大いに疑問が残る。」(30ページ)

 私もこの研究プロジェクトの隅っこに一応いるので,著者の先生方が以前からこの話をしているのをちらちら横目で見ておりました。ただ拍手です。

渡邉真理子 ・加茂具樹・川島富士雄・川瀬剛志「中国のCPTPP参加意思表明の背景に関する考察」RIETI Policy Discussion Paper Series 21-P-016,(独)経済産業研究所,2021年9月。




2021年9月20日月曜日

川端望・銀迪「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」の公表に寄せて

 銀迪さんとの共著「中国鉄鋼業における過剰能力削減政策:調整プロセスとしての産業政策」が掲載された『アジア経営研究』第27号が発行されました。このテーマで科研費の申請をしたのが2016年の秋ですから,論文にするまで5年を要したことになります。今回は,現実の事態が紆余曲折を伴って進行していくときに,それを学問的に把握することの難しさに突き当たり,結果として現実の方が一段落ついたところでまとめることができました。現時点(2021年9月)では,この研究対象に関して最も詳しい事例研究であり,より広く中国の産業政策のあり方にも一石を投じている論文であると自負しています。

 J-Stageに登載されるまで少し時間がかかるため,編集委員会の許可をいただき,大学サイトでPDFを公開いたしました(追記:J-Stageに公開されましたのでJ-Stageにリンクしました)。

こちらからご利用ください

  なお,本稿はRIETIプロジェクト「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第Ⅴ期)」の成果であり,RIETI Discussion Paper Series, 20-J-038の完成形です。





2024/7/30 リンクをJ-Stageにつけかえ。


2021年8月3日火曜日

「目の前には資本主義しかない」:ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』は何を語るか

 ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』みすず書房,2021年。本書は,骨太な現代資本主義論であり,様々な角度から検討すべき論点を含んでいる。一度に整理できないので,何度かに分けてノートしたい。

 まず今回はタイトルについて。現代はCapitalism, Alone: The Future of the System That Rules the Worldである。このメインタイトルに「だけ残った」というニュアンスはあるのだろうか。「だけ残った」というのは,端的に「社会主義が消えて」ということのように思えるのだが,本書の趣旨は「残った」と言う「過去から現在へ」の視線ではないと思う。副題が示すように,「現在から未来へ」の視線で資本主義を捉えているのだ。直訳すれば「資本主義だけがある」であり,ニュアンスとしては「資本主義だけの世界」「資本主義しかない現実」「ただ資本主義だけが存在する、いま」ではなかろうか。

 われわれの目の前には資本主義しかない。なぜなら中国も資本主義だと著者は考えているからだ。資本主義の主要なタイプを著者は「リベラル能力資本主義」(liberal meritocratic capitalism)と「政治的資本主義」(political capitalism)に二分する。一方において,著者はいわゆる西側の資本主義国における従来の分類,たとえばアングロサクソン型,ライン型などの分類をとらず,アメリカを代表として欧米先進諸国はみなリベラル能力資本主義であるとする。さほど明確に述べていないが,日本もここに含まれるのだろう。他方において,著者は中国は資本主義であり,政治的資本主義の典型であると断言する。そして,シンガポール,ベトナム,ビルマ,ロシアとコーカサス諸国,中央アジア,エチオピア,アルジェリア,ルワンダにも政治的資本主義が存在するという。

 ここで著者は資本主義について独特な定義をしているのではなく,マルクスとヴェーバーによって,社会で生産の大半が民間所有の生産手段を用いて行われ,労働者の大半が賃金労働者であり,生産や価格設定についての決断の大半が分散化した形でなされているのが資本主義だというだけである。だから著者にとっては,アメリカも市場経済化した中国も資本主義なのだ。

 二つの資本主義には違いもある。リベラル能力資本主義は,古典的資本主義や社会民主主義的資本主義と区別されるものである。キャリアが才能ある者に開かれているという点で「能力主義」であり,社会的移動性が存在するという意味で「リベラル」とされる。しかし,リベラル能力資本主義は,資本主義一般と同じく不平等をもたらす傾向がある,その上二つの独自性,つまり資本所得の金持ちが労働所得の金持ちでもあること,金持ち同士が結婚することにより,いっそう不平等を強化するのだという。他方,政治的資本主義は,支配政党やイデオロギーがどうあれ資本主義である。ただし政治的資本主義は「優秀な官僚」「法の支配の欠如」「国家の自律性」というシステム的特徴を持つのだという。こちらにも不平等はあるが,システムに独自な問題はむしろ腐敗である。

 目の前には資本主義しかない。ただし,大きな違いを持つ二つのタイプの資本主義がある。そして,資本主義しかないことそれ自体はしばらく変わらないだろうが,二つのタイプの資本主義には,重点は違えどともに不平等と腐敗という問題があり,それぞれ独特の矛盾も存在する。二つの資本主義が,今後はどのような資本主義になるかは,いろいろな選択肢があり得る。ただし,資本主義とはいずれもエリート層が支配するものであるから,その変化とは,効率の良いものへの自動的変化ではない。エリート層が,あるいはその支配に対する他の人々が,自らの立場を貫徹しようとする選択と行動の結果である。

 以上は本書が描く大まかな世界像の紹介である。あえて言えば,邦題によって,とくに私を含む一定以上の年齢層の読者が「資本主義しかないよなあ,そうだよなあ,しかたないよなあ。社会主義って何だったんだろうなあ」という本だと思い込んでしまわないための紹介である(そういう話もあるがメインではない)。そうではなく「気がつけばどこを見てもおおむね二つの資本主義しかないんだけど,一体,これからどうしろというんだ」という本なのだ。だから面白い,と私は思う。もちろん,面白いということと,著者の分析に賛同するということは異なる。考察と評価は,他日を期したい。

https://www.msz.co.jp/book/detail/09003/

2022年8月4日追記:読み終えてのノート
「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』最終章によせて」Ka-Bataブログ,2022年8月4日。






2021年7月15日木曜日

Book review: Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020

Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020 (The reviewer read the Japanese version translated by Eri Kosaka, published by Misuzu Shobo). This book has two theoretical backbones. One is "The General Theory of Employment, Interest and Money" by J. M. Keynes. The other is "Imperialism" by J. A. Hobson. Especially the author respects the latter. The book opens with a quote from Hobson, and the preface praises Hobson's insights.

 Why Hobson? Using the examples of China and Germany (and with Japan in mind), the author unravels the secret of the persistence of current account surpluses by using the term I-S balance, but differently than in conventional macroeconomics.

 The logic of the book, with some interpretation of mine, can be summarized as follows.

 A persistent savings surplus cannot be explained as the result of individuals saving and depositing. It should be seen as the result of the suppression of consumption in the country due to distributional inequality.

 The persistent current account surplus cannot be understood from the perspective of merchandise trade itself. First, excess savings are invested outward. Excess savings is what Hobson calls an "excess capital”. They create excess demand as unhealthy investment projects are carried out abroad. Excess demand, in turn, creates excess exports at home. Capital exports support commodity exports, not the other way around.

 Therefore, it is essential to raise people's income and revise inequality in countries with current account surplus, such as China, Germany, and Japan, to eliminate structural imbalances. Such measures increase domestic consumption and eliminate excess savings. This solution is just what Hobson emphasized.

 The arguments in this book are clear and persuasive. In particular, the reviewer thinks that the perspective of excess capital leads to meaningful insight. First, capital with no domestic investment destination is invested overseas, and then the purchasing power generated by that investment leads to commodity exports. This perspective reverse traditional thinking that commodities are exported first, and then the surplus is invested overseas. This book gives us a new approach to analyzing the world economy based on macroeconomic balance.

 Of course, some points need to be reconsidered. The emphasis on the active role of outward investment from surplus countries may lead to undervaluation of the role of financial institutions and corporations in organizing investment for unsound projects in deficit countries, such as the United States. Theoretically speaking, excess savings wandering around in search of investment is not a sole financing measure for investment. Money creation by bank loans is also an important measure.

 In addition, the author may be torn between the view that "investment generates the same amount of savings" and the view that "volume of saving limits investment." 

 However, even those questionable points are stimulant for readers. This book makes us aware of the importance of these theoretical issues to analyze the current world economy. It will be the mission of subsequent studies to solve the remaining puzzles.




マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年を読んで

 マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年。本書を理論的に導くのはJ・M・ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』とともにJ・A・ホブスン『帝国主義論』,とくに後者である。私が勝手に言っているのではない。本書冒頭にはホブスン(訳書表記はホブソン)からの引用が掲げられ,序文ではホブスンの洞察力が称えられている。

 なぜホブスンか。著者は,中国とドイツを例に(日本も念頭に置いて),経常収支黒字が継続することの秘密を,I-Sバランスの用語を用いて,ただし通常のマクロ経済学とは異なる仕方で用いて解き明かしているのだ。

 本書の論理を,多少の解釈を加えて強引に要約すると以下のようになる。

 継続的な貯蓄余剰は,個人がせっせと節約して預金した結果としては説明できない。分配の不平等により,その国の消費が抑圧された結果と見るべきである。

 継続的な経常収支黒字は,商品貿易それ自体からでは理解できない。まず過剰貯蓄が対外投資される。ホブスンの言う「資本の過剰」である。それによって不健全な投資プロジェクトが海外で実行されることで超過需要が生まれ,それによって自国の輸出超過が生じる。資本輸出が商品輸出を支えるのであって,逆ではないのだ。

 したがって構造的不均衡をなくすためには,中国,ドイツ,日本など経常収支黒字国での賃金抑圧をはじめとする不平等な分配を改善して国内の消費を高め,過剰貯蓄を解消することが不可欠である。これもホブスンが強調したことにほかならない。

 本書の主張は極めて明快であり,説得力は強力だ。とりわけ,「まず商品が輸出され,その黒字が海外投資される」のではなく,「まず国内に投資先のない資本が海外投資され,そこで生み出された購買力が商品輸出をもたらす」という視点は,マクロバランスに基づく世界経済分析を刷新するものだと思う。

 むろん検討すべき点はある。経常収支黒字国側の対外投資の能動的役割を強調し過ぎると,アメリカを代表とする経常収支赤字国の側において,不健全なプロジェクトへの投資を組織する金融機関と企業の役割を過小評価することになるかもしれない。理論的に言えば,投資をファイナンスするのは,投資先を求めてさ迷う貯蓄だけではない。信用創造を通した借り入れによる通貨膨張によってもファイナンスされるはずだ。さらに言えば,著者は「投資が同額の貯蓄を生み出す」と見る見地と「現存する貯蓄が投資の量を制約する」という見地の間で迷っているようにも見える。

 しかし,これらの問題点すら読者の思考を刺激してくれる美点である。これらの理論的諸問題が現状分析にとって持つ重要性に気づかせてくれること自体が,本書の功績なのだ。残されたパズルを解くのは後に続く研究が負うべき使命である。



2021年6月15日火曜日

日本製鉄における国際競争の論理:伸びる市場と縮む市場

  日本製鉄の橋本英二社長が中国鉄鋼業との競争の厳しさを盛んに訴えているが,日本国内では反応が鈍い。これは,他の産業と異なり,中国製鋼材に日本市場にあふれているわけではないからだろう。実は,中国政府自体も貿易摩擦を警戒するのと脱炭素のため,鉄鋼輸出を抑制しているの現実だ。

 それでは中国鉄鋼業との競争とは虚構の煽り文句なのかというと,そうではない。中国製品が海外にあふれるというのとは違う形で起こっているのだ。以下のグラフでお分かりの通り,コロナ以前から鉄鋼需要は中国とインドで伸びていて,日本やその他の地域計では伸びていない。そして,中国とインドの鉄鋼業は,すでに伸びた需要の分を国産化するくらいの競争力は持っている。ということは,他国の鉄鋼業が,拡大する中国とインドに割り込みにくくなっているということである。しかし,それ以外の地域は成長していない。これが,中国およびインド鉄鋼業との競争である。

 この壁を超える方法はクロスボーダーM&Aである。つまりインドか中国で生産拠点と販売ルートを手に入れてしまえばいい。しかし,中国は鉄鋼業への過半数出資禁止を解除したばかりであり,政治情勢から見ても入りにくい。だからこそ日鉄はアルセロール・ミタルと共同でインドのエッサールを買収して,AM/NS Indiaを設立したのである。これにより合弁ながら粗鋼生産能力960万トンを獲得した。一方,コロナ危機を経て日本では2025年度までに1000万トンを削減すると発表している。瀬戸内製鉄所(旧呉製鉄所)は丸ごと廃止され,九州製鉄所八幡地区小倉(旧小倉製鉄所)も非一貫化する。鹿島も高炉1基が止まる。伸びる市場を獲得し,すぼむ市場からは足を抜いていく。日鉄の目指すところは国内生産4400万トン,海外生産5000万トンという内外逆転である。



2021年5月21日金曜日

銀迪・川端望「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造 ―巨大企業の市場支配力と小型メーカーの成長基盤の検証―」を公表しました。

 ゼミ生の銀迪さんが第一著者のディスカッション・ペーパーを発刊しました。このペーパーは,私を第一著者としてまもなく『社会科学』(同志社大学人文科学研究所)に出る論文と対をなし,高成長期中国鉄鋼業の生産システムと企業・産業構造を論じます。画像は本稿の分析枠組みを示すもので,6ページに掲載されています。



銀迪・川端望(2021)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造 ―巨大企業の市場支配力と小型メーカーの成長基盤の検証―」TERG Discussion Paper, 452, 1-34。



2021年2月25日木曜日

「私営」でも「国有」でもない「共有企業」という改革案:張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」を読んで

 張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」『財新』2021年2月19日。

 正しく読めたかどうか自信はないが(→留学生に確認したら大丈夫とのこと),著者はおおむね以下のように主張している。

 中国における「公有」「非公有」の二分法は単純に過ぎるので,三分法にすべきである。自由放任資本主義や完全な社会主義と異なり,現代の市場経済では個人の貯蓄が大量に形成されている。それらは,何らかの機構に委託されて投資されるが,受託者は利益に対する排他的な権利を保有している。こうした金融仲介を行う企業,すなわち民営であれ公共管理の下にあるのであれ養老基金,保険会社,商業銀行,投資基金,単位信託基金などは私営とも国有とも異なる「共有企業(jointly owned enterprise)と呼ぶべきである。

 この共有企業の考えを年金保険制度の改革に活かし,個人口座に対する個人の排他的な請求権,基金の受託者責任,政府の非介入を実現すべきである。

 また,国家が保有する国有企業の株式の一部は機関投資家に委託し,その投資収益は国民全体に配分し,政府は制度の運行と受託機関投資家の選択に責任を負って,企業の経営的意思決定には関与しないという運用が可能である。これにより国有資本の国家所有権を保持しつつ「政企分離」を徹底し,国家所有権と市場経済の対立を減らすことができる。また低所得者の保護を手厚くし,国民全体の共通利益を促進することができる。

(感想)

 現代資本主義における機関所有の増大に注目しつつ,これを中国の経済改革に結びつけた面白い発想と思う。ピーター・ドラッカーの年金基金社会主義やアドルフ・バーリの財産なき権力論を,中国の現状に対応させたような感触を得た。これら機関投資家所有に注目したアメリカの議論では,個人所有から機関所有へのシフトに注目し,機関所有家の行動原理は個人投資家と異なるのではないか,異なるべきではないかと問う。そこでの議論のポイントの一つは,一方で個人大資本家が縮小し,他方で労働者が年金基金加入者になって,いずれの資本も機関投資家が管理し,投資先を決定していることである。

 この張春霖氏の論稿の場合,国有資産も個人資産も実は機関投資家に運用を委託されているのだから,機関投資家の行動原理に従うべきではないかという風に構成されている。それによって,一方では国家の個々の企業活動への介入を抑制しようとして,近年危うくなっている政企分離を改めて進めようとし,他方では個人の年金資産や投資にに対する権利を確定しようとしているように見える。巧みな構成である。中国の政治経済においてどのくらい実行可能性を持つか,私の知識では判断できないが,少なくともいきなり政治的に否定されにくい論理になっているように見える。

 ただ,著者の改革が仮に実現しても,その先には,欧米資本主義と同じように,機関投資家が実際にはだれの立場を代表しているのかという問題が生まれだろう。一方で機関投資家が「物言う株主」になった場合に,それは誰の立場をどのように代表しているのかという問題がある。他方で,個人は年金基金に加入していても受益権があるだけで,投資決定や投資先企業の意思決定には参与できないという問題がある。これらは,著者の改革が実現しても難題となるように思える。

 なお部分的なことであるが,銀行は貯蓄を貸し付けに仲介しているのではなく,銀行が(原理的にはその株主が)リスクを取って預金を創造することで同時に貸し付けている。よって,金融仲介を根拠に銀行を「共有」企業に入れることは賛成できない。銀行は,通貨供給と決済という機能を持つ独自の機関であると位置づけた方がよいと思う。

2021年1月25日月曜日

次年度の学部ゼミテキストは遠藤環・伊藤亜聖・大泉啓一郎・後藤健太編『現代アジア経済論:「アジアの世紀」を学ぶ』有斐閣ブックス,2018年

 次年度の学部ゼミ最初のテキストは遠藤環・伊藤亜聖・大泉啓一郎・後藤健太編『現代アジア経済論:「アジアの世紀」を学ぶ』有斐閣ブックス,2018年とした。今年度は後藤先生の『アジア経済とは何か』と塩地洋・田中彰両先生編著の『東アジア優位産業』を読んだので,その流れに沿っての選書である。前年度にちゃんと勉強したはずの新4年生は新3年生をきちんとサポートせよ,という建前も成り立つ。

 今年度の反省点としては,「アジア」を論じるはずが,学生の思考が「日本とそれ以外」という風に向かってしまいがちだということだ。そして,「日本は高付加価値で高品質の分野に集中し……」という永遠の回転木馬に流れてしまう。いや,実際にそういうことが起こっている産業ではいいのだが,よくわからない,調べてないけど,こう言っておけばいいんだろ的になると問題である。

 その点,本書は「アジア化するアジア」「生産するアジア」「移動するアジア」「都市化するアジア」「老いていくアジア」といったように,「アジア」そのものが切り口になっていることを特徴としている。次年度は「他のアジア諸国に対する日本」でなく「アジア」を考えるために,本書の構成と切り口を活用させていただきたい。もちろんそれは,「アジア」の経済・社会がどこでも同じだという意味ではないし,本書もそんなことは書いていない。「アジア」は現実においてダイナミックな経済・社会変容の場であり,その変容を捉えるための思考の単位であろう。



大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...