本書は副題が示すように,日本のラジオ・テレビの100年史を概説したものである。まず一言で言えば,その使命を果たしている本であり,日本のラジオ史・テレビ史をまずざっと理解したい人にとってたいへん便利な本である。とくに今日では,若年層の動画視聴はテレビ放送からインターネットを基礎とした各種プラットフォームにシフトしており,高齢層は感覚的に知っているテレビ業界の構造や習慣が,若年層にとって常識ではなくなりつつある。例えば,広告モデルのビジネスゆえの番組枠の希少価値をめぐってのテレビ局,広告代理店,広告主,芸能プロダクション,制作陣の緊張関係である。これがすでに当世の常識ではなく,歴史的知識となっているのであり,改めて要領よく整理してくれている本書は貴重な存在と言っていい。新書,とくに昨今のそれという性質から個々の箇所での注記はあまりされていないが,参考文献の長大なリストは巻末に記されていて,さらなる読書や研究の手引きとなる。個人的にはラジオ産業と言えば平本厚『戦前日本のエレクトロニクス』,テレビ産業と言えば同『日本のテレビ産業』が欠かせない業績であると考えているので,前者が文献リスト,後者が本文内に注記されていたことに安堵した。
さて,本書の書き口として明快なのは,放送メディアは権力と対峙しているし,対峙すべきという古典的視野である。このことの確認は重要である。昨今の風潮として,SNS上ではラジオやテレビが「オールドメディア」として嘲笑されることが多い。それにはそれなりの理由があるが,注意すべきは,この嘲笑においては,「オールドメディアの嘘と既得権益」が,その対極にある何らかの「真実と無私・独立性」と対置されているということである。この二分法は二つの意味で不適切である。一つは,「オールドメディア」の対局でネットメディアを「真実」,テレビで批判される人や団体を「無私」と決めつける根拠がなく,実際に事実から逸脱する主張も少なくないということである。「どうせオールドメディアは嘘ばかりの既得権益」と賢しらにいいたてられる際に,何を真実・無私とするかについてのすり替えが行われている。もう一つが本書との関連で重要であるが,この二分法の社会観には国家権力についての視点が全くないことである。国家権力と社会という観点は,いかに古い観点・理論に基づくものであろうと,ゆるがせにできないものである。国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別個に監視されねばならないし,首相やその他の国務大臣はその言動について,一国民とはまるで異なる重さの責任を負っているのである。
誤った二分法が流される情勢下において,放送メディアを担う人々が権力による恣意的な放送介入に対峙してきた歴史,国家からの独立性を確保することの重要性を強調する本書の意義は大きい。繰り返し言うと,いかにこれが「古い」観点であり,ポストモダンではなくて「モダン」であろうとも,いまなお重要なことである。
しかし,「権力との対峙」以外の点については,本書の切れ味はいささか鈍く,問題は描かれてはいるが投げ出されたままになっている。例えば,視聴者が直接に求めるものと,メディアの担い手が留意する放送内容の公共性や「よいもの」は相違する。本書は,この相克が戦前のラジオから続くことをよく描いているが,この相克をどう考えたらよいのかについては,さほど突っ込んでいるようには見えない。
また,テレビという放送メディア自体が権力となり,個人に対して暴力的に対峙してきたことをどうとらえるかという問題もある。「おわりに」に語られる来歴からすると,著者はこの問題に強い関心を持っているはずである。しかし,メディアが持つ権利と個人の権利の衝突に関する考察は,本書では弱い。
テレビ局に関する「組織」としての考察も物足りない。正確に言うと,権力に対して独立しているか否かという側面についてはよく描かれているが,フジテレビ問題にみられるような,会社組織として労働者を尊重しているか,ステークホルダーを含めたガバナンスはいかにあるべきか,という点についての視点が十分定まっているとは言えない。むろん事実関係についての記述はされているが,考察が弱いのである。
いささかないものねだりをしているのかもしれないが,視聴者ニーズとの専門家によるコンテンツ供給の緊張関係,マスメディアの暴力性,組織としてのテレビ局の在り方は,今日の「オールドメディア嘲笑」の風潮の背景の一つであり,放送の将来を考えるうえで,考察をより深めねばならないはずである。なので,もう少し突っ込んで欲しかったという気持ちが残るのである。
まとめると,本書は,事実関係のコンパクトな整理と,政治権力から独立することの重要性という観点において際立っている。しかし,それ以外の新たな論点については物足りなさが残る。むろん完璧な本などないし,書いてあることすべてをうのみにする読書もありえない。本書はラジオとテレビについて学ぶ際に,まず手元に置くとたいへん便利であり,考えながら読むことで,得られるものは多いだろう。
原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721392-8




