中央銀行デジタル通貨(CBDC)にはリテール型とホールセール型がある。リテール型中央銀行デジタル通貨(CBDC)とは,要するに中央銀行券をデジタル化し,専門的な用語で言えばトークン化したものである。他方,ホールセール型CBDCとは,中央銀行への預金をより高度なIT技術を使って効率化し,さらに金融機関のみならず民間の経済主体も使えるようにしたものである。
リテール型は,いま紙であるものいがデジタル信号のまとまりになるわけで,その変化は分かりやすい。個人が支払うときの感覚だと,現金で払っていたものがバーコード決済での支払いや知人への送金になる感覚で理解して,そう間違いない。一方,ホールセール型とは,割り切っていえば単に中央銀行預金が便利になり,民間人も使えるようになるものであるから,どういう意味があるのかわかりにくい。
現在,ホールセール型CBDCを使って国際決済を便利にしようという「プロジェクト・アゴラ」が国際決済銀行(BIS)によって推進されている。現在の国際決済にはコルレス・バンキングが用いられており,その手続きをSWIFTというしくみで簡素化して迅速化を図っている。しかし,それでも煩雑だということで,新プラットフォーム上で素早く決済するのだという。強引に簡略化していえばそうなる。民間企業も中央銀行に口座を持って,中央銀行間が連携し,情報技術の活用で素早く決済しようということではないかと推測できる。
一見,わかりやすそうな話であるが,私にはまだ理解できない大きな謎がある。「どの時点でどのように両替するのか」である。現代世界経済には統一通貨はない。払うとすればドルとかユーロとか円とか元とかで払うしかない。例えば日本企業が日銀に口座を持つとして,円建ての日銀預金でどうやってアメリカのFRBやアメリカ企業に払うのか。
考えられることは三つくらいある。
1.どこかの時点で外貨に両替し,CBDC化したドル現金を入手してバーチャル送金する。イメージとしては,デジタルドルを入手し,支払元が日本で持っている端末から,支払先がアメリカで持っている端末に送るようなものである。CBDC化したドル現金に両替することは確かに考えられる。しかし,それならばリテール型CBDCを使うことになり,ホールセール型の出番はない。
2.ドル預金をアメリカの銀行に持つことで払う。支払元はドル預金口座をアメリカの銀行(US-A行とする)に持ち,そこから支払先の取引銀行(US-B行とする)の口座に振り込んでもらう。A行とB行の銀行間決済はFRBの当座預金にバックアップしてもらう。しかし,これならば従来のコルレス・バンキングそのものであり,情報技術でスピードアップする以外は何も新しいことはない。
3.ホールセール型CBDCに積極的役割を持たせるとすれば,次のようになるのかもしれない。支払元の日本企業が日銀とFRBの両方に中央銀行預金(ホールセール型CBDC)を持ち,支払先のアメリカ企業はFRBに中央銀行預金を持っている。そして,日本企業は中央銀行預金を引き出してドルに両替し,ただちにFRBに預け,FRB内の預金振替でアメリカ企業に払う。これならば,ホールセール型CBDCが生きるし,確かにコルレスバンキングよりは手順は簡素になるかもしれない。ただし,各国中央銀行には非常に大きな負荷がかかる。日本からアメリカへのあらゆる大口送金について,FRBが自ら振替処理をしなければならないからだ。そんなことが可能なのだろうか。これを可能にする新しいプラットフォームを作るということだろうか。
これまでのところ一番詳しいBISの報告は,2023の国際決済銀行(BIS)年次経済報告第3章「Blueprint for the future monetary system: improving the old, enabling the new」だと思うのだが,これを読んでも,決裁を迅速にするトークン技術の新しさが解説されているだけで,ここでの疑問である「どの時点で外貨両替するのか」が一言も書かれていないように見える。だから上記の3であるのかどうか,確証が持てない。
このように,「アゴラ・プロジェクト」とは,国際決済としてどこをどう新しい仕組みにするのか,まだ私には謎である。BISのページを見ただけではよくわからない。現在,この領域を対象としているゼミの院生が文献を調査しているところだ。