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2024年10月3日木曜日

BISによる「プロジェクト・アゴラ」とは何なのか:どうやってホールセール型中央銀行デジタル通貨(CBDC)で国際決済を行うのか

 中央銀行デジタル通貨(CBDC)にはリテール型とホールセール型がある。リテール型中央銀行デジタル通貨(CBDC)とは,要するに中央銀行券をデジタル化し,専門的な用語で言えばトークン化したものである。他方,ホールセール型CBDCとは,中央銀行への預金をより高度なIT技術を使って効率化し,さらに金融機関のみならず民間の経済主体も使えるようにしたものである。

 リテール型は,いま紙であるものいがデジタル信号のまとまりになるわけで,その変化は分かりやすい。個人が支払うときの感覚だと,現金で払っていたものがバーコード決済での支払いや知人への送金になる感覚で理解して,そう間違いない。一方,ホールセール型とは,割り切っていえば単に中央銀行預金が便利になり,民間人も使えるようになるものであるから,どういう意味があるのかわかりにくい。

 現在,ホールセール型CBDCを使って国際決済を便利にしようという「プロジェクト・アゴラ」が国際決済銀行(BIS)によって推進されている。現在の国際決済にはコルレス・バンキングが用いられており,その手続きをSWIFTというしくみで簡素化して迅速化を図っている。しかし,それでも煩雑だということで,新プラットフォーム上で素早く決済するのだという。強引に簡略化していえばそうなる。民間企業も中央銀行に口座を持って,中央銀行間が連携し,情報技術の活用で素早く決済しようということではないかと推測できる。

 一見,わかりやすそうな話であるが,私にはまだ理解できない大きな謎がある。「どの時点でどのように両替するのか」である。現代世界経済には統一通貨はない。払うとすればドルとかユーロとか円とか元とかで払うしかない。例えば日本企業が日銀に口座を持つとして,円建ての日銀預金でどうやってアメリカのFRBやアメリカ企業に払うのか。

 考えられることは三つくらいある。

1.どこかの時点で外貨に両替し,CBDC化したドル現金を入手してバーチャル送金する。イメージとしては,デジタルドルを入手し,支払元が日本で持っている端末から,支払先がアメリカで持っている端末に送るようなものである。CBDC化したドル現金に両替することは確かに考えられる。しかし,それならばリテール型CBDCを使うことになり,ホールセール型の出番はない。

2.ドル預金をアメリカの銀行に持つことで払う。支払元はドル預金口座をアメリカの銀行(US-A行とする)に持ち,そこから支払先の取引銀行(US-B行とする)の口座に振り込んでもらう。A行とB行の銀行間決済はFRBの当座預金にバックアップしてもらう。しかし,これならば従来のコルレス・バンキングそのものであり,情報技術でスピードアップする以外は何も新しいことはない。

3.ホールセール型CBDCに積極的役割を持たせるとすれば,次のようになるのかもしれない。支払元の日本企業が日銀とFRBの両方に中央銀行預金(ホールセール型CBDC)を持ち,支払先のアメリカ企業はFRBに中央銀行預金を持っている。そして,日本企業は中央銀行預金を引き出してドルに両替し,ただちにFRBに預け,FRB内の預金振替でアメリカ企業に払う。これならば,ホールセール型CBDCが生きるし,確かにコルレスバンキングよりは手順は簡素になるかもしれない。ただし,各国中央銀行には非常に大きな負荷がかかる。日本からアメリカへのあらゆる大口送金について,FRBが自ら振替処理をしなければならないからだ。そんなことが可能なのだろうか。これを可能にする新しいプラットフォームを作るということだろうか。

 これまでのところ一番詳しいBISの報告は,2023の国際決済銀行(BIS)年次経済報告第3章「Blueprint for the future monetary system: improving the old, enabling the new」だと思うのだが,これを読んでも,決裁を迅速にするトークン技術の新しさが解説されているだけで,ここでの疑問である「どの時点で外貨両替するのか」が一言も書かれていないように見える。だから上記の3であるのかどうか,確証が持てない。

 このように,「アゴラ・プロジェクト」とは,国際決済としてどこをどう新しい仕組みにするのか,まだ私には謎である。BISのページを見ただけではよくわからない。現在,この領域を対象としているゼミの院生が文献を調査しているところだ。

BISの実験プロジェクト『アゴラ』への日本銀行の参加について,日本銀行,2024年4月4日

Project Agorá: central banks and banking sector embark on major project to explore tokenisation of cross-border payments, April 3, 2024, BIS.

2024年6月29日土曜日

Waiting for the publishing of C. Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2. C. Y. ボールドウィン『デザイン・ルール』第2巻を待ちながら

According to the MIT Press announcement, Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2: How Technology Shapes Organizations, will be published in December this year. The first volume of this book was published in 2000, and a Japanese translation was also published in 2004 by Haruhiko Ando.

 The first volume became the epicenter of the debate surrounding architecture. However, Professor Baldwin is not just discussing whether integral or modular is better. Baldwin is trying to build a general theory of the relationship between technology and organizations.
 Professor Baldwin began writing the second volume in 2016, and the drafts for chapters 1 to 25 are available on Research Gate, SSRN, and the HBS website. In our laboratory, we are reading through these drafts and trying to keep up with Professor Baldwin's new theoretical developments. One of our graduate students, who chose the theme of architecture and organization, is the main person in charge. Reading the 25 chapters at a rapid pace is quite tough, and there is a considerable risk that the finished product will be published before we have finished and we will be forced to compare it with the draft. However, if we can understand the book before other laboratories in Japan and the graduate student's thesis is completed, it will be worth the effort.

 Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Pressの今年12月が出版が予告されている。本書の第1巻は2000年に出版され,2004年にはボールドウィン&クラーク(安藤晴彦訳)『デザイン・ルール:モジュール化パワー』として邦訳もされている。
 第1巻はアーキテクチャをめぐる議論の震源地となった。しかし,ボールドウィン教授は,インテグラルかモジュラーかというそれだけの議論をしているのではない。技術と組織の関係に関する一般理論を構築しようとしているのだ。
 ボールドウィン教授は,第2巻を2016年から書き始められたそうで,第1章から第25章までのドラフトはResearch GateやSSRN,またHBSのサイトに掲載されている。当ゼミでは,アーキテクチャと組織をテーマとして選択した院生を中心にこれらのドラフトを何とかして読破し,ボールドウィン教授の新たな理論的展開を追跡しようとしている。25章を急ピッチで読むのはかなりきつく,また作業の途中で完成品が出版されてドラフトとの照合を余儀なくされる恐れがかなりあるが,その時はその時だ。国内のよそのゼミより早く本書を理解できて,院生の修論も完成するならば,労力を払う価値はあるだろう。

Carliss Y. Baldwin, Design Rules: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press.

2023年4月23日日曜日

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」の最終版(査読済雑誌掲載版)がWeb公開されました

 唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」研究年報『経済学』79巻1号掲載の完成版PDFが,東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。無料ダウンロードいただけます。草稿DP版の公開は停止しました。

こちらです。東北大学機関リポジトリTOUR
http://doi.org/10.50974/00137113

2022年8月4日木曜日

資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』最終章によせて

  学部ゼミでブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った』(みすず書房,2021年)を読み通した。色々と論点はあったが,ここでは最終章の「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか」という問いを考えてみたい。話が大きすぎて明快な切り口を設定するのが難しいが,それでもいくつか考えてみたい。

*資本家のジレンマ

 ミラノヴィッチは,資本主義経済が成長し続けていることには何の疑問も持っていないようである。しかし,資本主義は,成長すればするほど,投資・消費し切れないほどの所得を生み出してしまう。この,成長の果ての停滞というケインズ的問題が全く落ちていて,成長は成長を呼ぶかのように論じるところが,本書の現代資本主義論としての食い足りなさである。
 現実には,先進資本主義経済が長期停滞にある(ローレンス・サマーズ)と言われて久しい。停滞からの活性化を図るためにあh,「新市場開拓型イノベーション」(クリステンセン&ビーバー)が必要とされる。従来の顧客に新製品で奉仕する持続的イノベーションでは市場は広がらずに雇用が徐々に減っていくし,コスト節約型イノベーションではなおさら雇用が減る。それでも生じた利益が再投資される時代だったら経済は成長したが,いまは投資先を見つけられない現預金を企業が抱え込むか,金融資産に繰り返し投下している。そういう観点からすると,ミラノヴィッチが注目するサービス分野の市場化は,経済活性化のカギとなる領域である。
 しかし,サービス分野の商品化は「私的領域」というよりも,個人・家族・コミュニティの再生産に必要な「共同作業」を商品=サービスの売買に変えているといった方がいい。セックスも,育児も,調理や清掃も,介護も,生活に必要な近距離移動も,文化・芸術における交流や評価も,もともと孤立した「私」の営みでもないし,「買い手と売り手」「奉仕者と顧客」だけの関係を処理するものとモデル化するべきではない。大量生産・大量消費になじまなかったために,従来,非市場的・非営利的に営まれてきた「共同」作業だった。そこに,一方では停滞から脱却する必要性によって,他方ではITの発達によってこれを可能とする技術が出現したために,ついに商品化の波が及んでいると理解すべきだろう。

*「官僚化」の失敗

 サービスの商品化は「官僚化」の失敗と表裏一体である。マルクス経済学は,1930-70年代に国家が経済介入を強めた理由を様々にとらえて「国家独占資本主義」論のバリエーションを展開したが,中でも島恭彦や池上惇は,コミュニティの営みが官僚機構によって包摂されていき,その包摂の仕方が資本蓄積に奉仕するものであることを重視した。そこで提起された対抗戦略は,官僚機構の民主的地方自治への転換であった。
 ところが1980年代以降の新自由主義は,コミュニティの共同作業を官僚機構に包摂することを中断した。むしろこれを市場化し,あるいは官僚機構,市場,NPOの協業関係に変形させた。問題とすべきが官僚化から脱官僚化・市場化に変わったのである。

*プラットフォームによる「シェアリング」の「マッチング・ビジネス」化

 ミラノヴィッチは本書でほとんど触れていないが,共同作業の商品化はプラットフォーム・ビジネスを通して行われている。
 プラットフォーマーは,家族やコミュニティの共同作業であったものを,顧客と自営業者(ギグワーカー)の市場取引としての結び付きに変える。使用価値的には「共同作業」であり,お互いの遊休資源を有効活用する「シェアリング」であるものが,市場での価値の取引では「マッチング・ビジネス」として資本主義的に営まれる。食事の宅配であり,保健サービスであり,ライドシェアリングであり,ネット小説であり,個人の対話と交流であり,レストラン情報のやり取りと格付けである。
 ミラノヴィッチによる私的領域の商品化論を読んでいると,自律した個人がサービスを取引し合う自営業者だけの世界が生まれるようにも見える。しかし,そうではない。プラットフォーマーは巨大資本主義企業であり,ネットワーク外部性を活用して独占化する。マッチング・ビジネスにおけるサプライヤーはギグワーカーとなりがちであり,形式上は業務請負業者であっても実態は労働者にほかならず,労働市場で分断され,低い労働条件で働かねばならないことが多い。そして,コミュニティでの評価の代わりにグローバルな採点とその背後のアルゴリズムに直面する。
 なるほど,これは資本主義経済を救う新市場拡大かもしれない。取引相手をサーチする範囲を広げることで資源の有効利用度を高め,稼得機会を社会全体として拡大するかもしれない。確かに,弱体化する親類ネットワークやコミュニティよりも,はるかに広い範囲からのすばやいマッチングを,営利的動機によるプラットフォームへの吸引は可能にする。しかし,プラットフォームによる共同作業の商品化は,独占と激しい経済格差を生み出すものである。また「マッチング・ビジネス」だけがあらゆるところに入り込めば,その網の目がコミュニティをさらに侵食し,人間の共同作業を困難にして,所得をめぐる競争に励むしかないように動機づける。

*ユートピアではない

 これは経済的ユートピアではない。共同作業の別の形での発展の可能性をつみとって,市場取引オンリーに変えるものである。また,人間関係のディストピアにまでたどり着くかは別としても,少なくともユートピアではないだろう。







2022年5月6日金曜日

マッチングビジネスをシェアリングエコノミーと呼んでいいのだろうか

 本日の学部ゼミ。ゼミ生2人の卒論構想報告と討論を行った。

 一つ目は日本でのライドシェアリングの普及の可能性についての構想で(板書1),論点は三つ。1)市場競争における競合相手の強弱。つまりタクシーや他の公共交通機関が弱いところでライドシェアリングが伸びる。2)プラットフォームを通したクラウドソーシングになっている。このソーシングが,眠っているスキルや知識の活用なのか,既存企業にとっての過剰人口である単純労働力を動員して二次労働市場を作っているのかが問題。3)ソーシングの対象が労働力である限り,ギグワーカーの労働条件問題は避けられない。まあ,これはわかりやすい話だ。

 二つ目はシェアリングシティ構想(板書2)。この話題で引っかかったのは,シェアリングとは何かということ。いま推進されているシェアリングシティとそこで活用されるシェア臨時エコノミーは,本当に「シェアリング」と呼ぶのが適切なのか。シェアリングシティ構想は,「公助」を補う「共助」だという理屈で推進されているらしい。しかし,よく聞いてみると,遊休資源をプラットフォームでのマッチングを通して活用する,それを自治体は規制改革や制度で後押しする,何しろ自治体自身が動員できる資源は限られているから,という理屈になっている。それはそれでいいのだが,「それは共有財のシェアリングとかではなく,単にマッチングビジネスではないか」という疑問を禁じ得ない。マッチングはマッチングでよいし,ビジネスが地域課題を解決することはある。しかし,マッチングをシェアリングと言い換えて,私的なものを公的あるいは共同的なものと見せかけるのは問題ではないか。マッチングとシェアリングを区別した上で,両者の関係をつけていくというのならばわかるし,それが現実的な線だと思うが。

 ところで2枚目のマッチングの図を「これは互いの私的欲望が一致しているだけであって,プロポーズ大作戦そっくり……」と言いそうになったが,若者が知るはずもないのでやめた。

板書1


板書2




2022年2月26日土曜日

ロシアのSWIFTからの排除で何ができて,何はできないか

 ロシアに対する経済制裁の選択肢としてSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除が話題になっている。しかし,上垣彰先生の示唆で気づいたのだが,どうも一般にはその作用が過大に理解されているように思える。

 どこが過大か。それは「SWIFTから排除されるとロシアは国際決済ができなくなる」かのように報道されたり語られたりしていることである。私は『報道ステーション』だけでも少なくともこの種の説明を2回聞いた。しかし,そうではない。「国際決済が非効率で不便になる」のであり,それ以上でもそれ以下でもない。

 公式サイトの日本語ページにあるように,SWIFTとは,「金融メッセージングフォーマットの標準と、メッセージングのためのプラットフォームを業界に提供し、そのネットワークへのアクセスと業務との統合、認証確認、データ分析、法令遵守を容易にする製品とサービスを提供」するものである。「SWIFTはお客様の代理として資金の保持あるいは口座の管理をいたしません。」とも書いてある。SWIFTは国際決済を担う金融機関ではないのであって,金融機関同士が決済する際の効率をあげるプラットフォームと技術を提供しているものである。だから「SWIFTのメッセージサービスは,それまでのテレックスに取って代わった」などと言われるのだ。

 なぜ,SWIFTはこのようなものであり,このようなものでしかないのか。それは,諸国に分かれた世界経済には,国際決済を直接行える国際通貨も超国際的金融機関も存在しないからである(※)。いくらITが発達してもないものはない。国際送金はドルなりユーロなりの特定通貨で行うしかない。もちろん,ドル札を飛行機や船で運ぶわけではないので,預金口座で決済する。しかし,預金口座というのは基本的に各銀行のものであり,直接には互換性がない。たとえ同じ国で同じ通貨を使っていてさえも,A銀行とB銀行が存在するだけでは送金はできない。もちろんA銀行からB銀行に現金を輸送すればできるが,まったく現実的でない。銀行どうして銀行振替をする必要があり,それには両銀行が共通に口座を持っている中央銀行が必要なのである。例えばA銀行からB銀行に1億円送るのであれば,A銀行の中央銀行当座預金を1億円減らし,B銀行の中央銀行当座預金を1億円増やす預金振替によって行うのだ。

 では,A銀行とB銀行が異なる国であったらどうか。共通の中央銀行はない。そもそも通貨も異なっている。では,いったいどうやって国際決済するのか。SWIFTが決済するのではない。間接的な取引を積み重ねて,最後に,共通の中央銀行口座を持つ特定国の銀行同士で決済してもらうしかない。これを可能にしているのがコルレスバンキングというしくみである。

 例えば,日本のa社から,アメリカでないB国のb社にドルで送金しようとする。a社の取引銀行である日本のJ1銀行からb社の取引銀行であるB国のB1銀行に送金しなければならないが,直接送金はできない。なので,J1銀行もB1銀行も,アメリカ国内で中継地点となってくれる銀行を必要とする。こういう中継地点となる契約を結んでいる相手をコルレス銀行,コルレス先という。 

 送金のためには,J1銀行のコルレス先アメリカのUS1銀行から,B1のコルレス先アメリカのUS2銀行に送金してもらえばよい。US1銀行とUS2銀行の間の決済ならば,両銀行が連邦準備銀行にもつ当座預金を使って行うことができる。そして,US1銀行-J1銀行-a社の間で預金残高を調整し,US2銀行-B1銀行-b社の間で預金残高を調整する。もちろん,この時為替レートの影響を受ける。そして,複雑な国際手続きになるので,時間がかかったりエラーが起こったりしやすい。

 SWIFTは,標準フォーマットや情報技術により,この取引を効率化するものである。それ以上ではない。具体的な取引の実務には私も通じていないが,ロシアの銀行をSWIFTから排除すれば,ロシアと各国の間での国際送金は不効率になりコスト高になり,遅くなり,不正確にさえなることはまちがいないだろう。しかし,コルレス契約を拒否されなければ(各国や銀行はその措置もとるだろうが),国際決済が不可能になったり禁止されたりするわけではない。不正確を承知でたとえるならば,業界共通の情報システムへの入出力ですむしくみが,取引先ごとに異なる端末とフォーマット,最悪の場合各社各様の伝票の山に戻るとか,そういう類の不便さと考えていいと思う。それはそれで重大なことであり,企業・金融機関がロシアとの取引をためらう理由になるかもしれない。しかし,SWIFT排除だけで国際決済が不可能になるわけではない。あくまでもそういうものとして,SWIFTからの排除は論じられるべきではないか。

※日常用語ではドルは国際通貨と言われる。しかし,この記事を最後までお読みいただくとわかる通り,直接に国際的支払手段となるものとそうでないものを区別する立場に立つならば,前者の意味ではドルもドル建て預金も国際通貨ではない。

2021年12月11日土曜日

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」の早期公開版を公表しました

 唐嫘夢依さんの修士論文を改訂した共著論文「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」が査読を通り,研究年報『経済学』に掲載されることになりました。ただ,掲載巻号が未定であり,年1回しか出ない雑誌であるため,発行までかなりかかると予想されます。そこで許可を得てネット配信可能なTERG Discussion Paper, No. 455として東北大学機関リポジトリTOURに登載してもらいました。DP版は研究年報『経済学』が発行されるまで時限公開します。

 中国のネット小説の世界を一言で言うと,日本で言うラノベやハーレクイン系恋愛小説が紙の本ではなくネットで発表され,スマホで読まれています。また,アマチュアからトップ作家までがシームレスに同じプラットフォーム上で活動しています。その市場規模は2017年に90億元(同年末レートで1556億円)に達しています。中国ネット文学の世界にどうぞ触れてみてください。

起点中文網

起点軽小説

起点女生網

2023/3。最終版が雑誌に掲載されました。以下でご覧いただけます。

唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」研究年報『経済学』79巻1号
http://doi.org/10.50974/00137113


唐嫘夢依・川端望「中国におけるネット小説ビジネス:プラットフォームとユーザー生成コンテンツ(UGC)の視点から」TERG Discussion Paper, No. 455, 東北大学大学院経済学研究科,1-21。→公開停止しました。


大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...