学部ゼミでブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った』(みすず書房,2021年)を読み通した。色々と論点はあったが,ここでは最終章の「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか」という問いを考えてみたい。話が大きすぎて明快な切り口を設定するのが難しいが,それでもいくつか考えてみたい。
*資本家のジレンマ
ミラノヴィッチは,資本主義経済が成長し続けていることには何の疑問も持っていないようである。しかし,資本主義は,成長すればするほど,投資・消費し切れないほどの所得を生み出してしまう。この,成長の果ての停滞というケインズ的問題が全く落ちていて,成長は成長を呼ぶかのように論じるところが,本書の現代資本主義論としての食い足りなさである。
現実には,先進資本主義経済が長期停滞にある(ローレンス・サマーズ)と言われて久しい。停滞からの活性化を図るためにあh,「新市場開拓型イノベーション」(クリステンセン&ビーバー)が必要とされる。従来の顧客に新製品で奉仕する持続的イノベーションでは市場は広がらずに雇用が徐々に減っていくし,コスト節約型イノベーションではなおさら雇用が減る。それでも生じた利益が再投資される時代だったら経済は成長したが,いまは投資先を見つけられない現預金を企業が抱え込むか,金融資産に繰り返し投下している。そういう観点からすると,ミラノヴィッチが注目するサービス分野の市場化は,経済活性化のカギとなる領域である。
しかし,サービス分野の商品化は「私的領域」というよりも,個人・家族・コミュニティの再生産に必要な「共同作業」を商品=サービスの売買に変えているといった方がいい。セックスも,育児も,調理や清掃も,介護も,生活に必要な近距離移動も,文化・芸術における交流や評価も,もともと孤立した「私」の営みでもないし,「買い手と売り手」「奉仕者と顧客」だけの関係を処理するものとモデル化するべきではない。大量生産・大量消費になじまなかったために,従来,非市場的・非営利的に営まれてきた「共同」作業だった。そこに,一方では停滞から脱却する必要性によって,他方ではITの発達によってこれを可能とする技術が出現したために,ついに商品化の波が及んでいると理解すべきだろう。
*「官僚化」の失敗
サービスの商品化は「官僚化」の失敗と表裏一体である。マルクス経済学は,1930-70年代に国家が経済介入を強めた理由を様々にとらえて「国家独占資本主義」論のバリエーションを展開したが,中でも島恭彦や池上惇は,コミュニティの営みが官僚機構によって包摂されていき,その包摂の仕方が資本蓄積に奉仕するものであることを重視した。そこで提起された対抗戦略は,官僚機構の民主的地方自治への転換であった。
ところが1980年代以降の新自由主義は,コミュニティの共同作業を官僚機構に包摂することを中断した。むしろこれを市場化し,あるいは官僚機構,市場,NPOの協業関係に変形させた。問題とすべきが官僚化から脱官僚化・市場化に変わったのである。
*プラットフォームによる「シェアリング」の「マッチング・ビジネス」化
ミラノヴィッチは本書でほとんど触れていないが,共同作業の商品化はプラットフォーム・ビジネスを通して行われている。
プラットフォーマーは,家族やコミュニティの共同作業であったものを,顧客と自営業者(ギグワーカー)の市場取引としての結び付きに変える。使用価値的には「共同作業」であり,お互いの遊休資源を有効活用する「シェアリング」であるものが,市場での価値の取引では「マッチング・ビジネス」として資本主義的に営まれる。食事の宅配であり,保健サービスであり,ライドシェアリングであり,ネット小説であり,個人の対話と交流であり,レストラン情報のやり取りと格付けである。
ミラノヴィッチによる私的領域の商品化論を読んでいると,自律した個人がサービスを取引し合う自営業者だけの世界が生まれるようにも見える。しかし,そうではない。プラットフォーマーは巨大資本主義企業であり,ネットワーク外部性を活用して独占化する。マッチング・ビジネスにおけるサプライヤーはギグワーカーとなりがちであり,形式上は業務請負業者であっても実態は労働者にほかならず,労働市場で分断され,低い労働条件で働かねばならないことが多い。そして,コミュニティでの評価の代わりにグローバルな採点とその背後のアルゴリズムに直面する。
なるほど,これは資本主義経済を救う新市場拡大かもしれない。取引相手をサーチする範囲を広げることで資源の有効利用度を高め,稼得機会を社会全体として拡大するかもしれない。確かに,弱体化する親類ネットワークやコミュニティよりも,はるかに広い範囲からのすばやいマッチングを,営利的動機によるプラットフォームへの吸引は可能にする。しかし,プラットフォームによる共同作業の商品化は,独占と激しい経済格差を生み出すものである。また「マッチング・ビジネス」だけがあらゆるところに入り込めば,その網の目がコミュニティをさらに侵食し,人間の共同作業を困難にして,所得をめぐる競争に励むしかないように動機づける。
*ユートピアではない
これは経済的ユートピアではない。共同作業の別の形での発展の可能性をつみとって,市場取引オンリーに変えるものである。また,人間関係のディストピアにまでたどり着くかは別としても,少なくともユートピアではないだろう。
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