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2024年10月1日火曜日

岡橋保の貨幣・信用論はなぜ少数派だったのか?この説を継承・発展させるためには何が必要か?

 ここ数年,再評価作業を行っている岡橋保氏の貨幣・信用論であるが,学界では当人の生前から少数派にとどまっていたようである。その原因を考えてみると,四点ほど思い当たることがある。

 第1に,その叙述スタイルである。まず前提として,岡橋氏が活躍した時代は,雑誌論文よりも著書が主要な研究成果発表形態であったことを踏まえておく必要がある。岡橋氏の著書は,1957年の『新版 貨幣論』までは,自己の理論を体系的に叙述するスタイルであった。しかし,その後の著作では,歴史書である『銀行券発生史論』を除いて,冒頭では自己の見解を要約し,その後は論敵に対して批判を行う形で記述されるようになった。取り上げられた論客は,当初は不換銀行券を信用貨幣でなく国家紙幣とみなす飯田繁,麓健一,三宅義夫の各氏であり,信用インフレーションを説く川合一郎氏であり,新しいインフレーションを説く高須賀義博氏であり,ドルを国際通貨とみなす岩野茂道,木下悦二,深町郁彌の各氏であり,信用を現金の貸し付けとみなす宇野弘蔵氏であり,最後は預金貨幣を貨幣と認めず,また経済法則の適用対象を国民経済でなく経済一般とみなす村岡俊三氏であった。批判を中心とした岡橋氏の叙述スタイルは,当時としては論点をビビッドに取り出すものであったのだろうが,後年の読者からすると,その積極的見解をわかりにくくし,また過去の議論とみなされやすくしたことは否めない。また批判の方法が,一方では相手の論旨を「というのである」「ということになる」とその帰結までたどる丁寧なものであったのだが,後年の読者が読むと,どこまでが相手の議論の紹介でどこからが岡橋氏の見解がわかりづらくなったことは否めない。他方で,批判の表現は,今日ではもちろん,おそらく当時の基準でもあまりにも苛烈であったために,その理論的内容が素直に受け取られにくかったことも想像に難くない。

 第2に,金でなければ本来の貨幣にならず,価値尺度にならないという主張を貫いたことである。これは,マルクスその人の貨幣論を素直に継承したものなのであるが,多くのマルクス経済学者はこの規定がリジッドに過ぎて管理通貨制下の資本主義を分析する際の障壁になるとみなし,多かれ少なかれ修正しようとした。しかし,岡橋氏はまったく譲ることがなく,ほんらいの貨幣は金でなければならないとし,その一方で,金が流通しなくなり,公定価格標準が廃止された現実を現実としてそのままみとめたのである。岡橋氏は,特定の商品貨幣が流通して直接の価値尺度機能を果たすことはもはやなく,代用貨幣のみが流通し,中央銀行券と中央銀行当座預金が最終決済手段になっていると,事実上主張していた。ここにはマルクス経済学の中核的命題を維持しながら現実の説明を可能とする理論的発展の手掛かりがあったはずである。しかし,岡橋氏はこのことについてまとまった説明を与えなかったために,読者にはその主張が十分に伝わらなかった。

 第3に,不換の預金貨幣や銀行券を信用貨幣とみなし,マルクス経済学を含む通念に真っ向から反対したことである。岡橋氏は,不換制の下での預金貨幣や銀行券・中央銀行券を,兌換制のもとと変わらず信用貨幣であるとした。しかし,当時,マルクス経済学を含めて信用貨幣とは金債務であるとするのが常識であった。つまり<銀行券などは金で支払われるから信用貨幣なのであり,不換制の下では国家紙幣になる>というのである。岡橋説は論敵の三宅義夫氏をして「岡橋教授の所説はおそらく教授以外の何人も納得しえないものと思われるが」と言わしめたほど少数派であった。しかし,その三宅氏もすぐ続けて「こんにちの不換制下においても,日銀のバランス・シートでは発行銀行券は『負債の部』に計上されている。これをどう説明するかはエレガントなパズルと言えよう」(三宅「兌換銀行券と不換銀行券:岡橋・飯田両教授の所説に寄せて」『経済評論』1957年3月号)と認めざるを得なかった。岡橋氏は,不換制のもとでも商業信用が執り行われ手形が存在する以上,銀行券・中央銀行券を手形と認めないのは不整合であることや,不換銀行券の流通量は伸縮しうること,返済を含む債権債務相殺の機能は生きていることを述べて,自説を主張した。しかし,金債務説がもっとも問いたいであろう,<中央銀行券が金債務でないというのならば,何によってどのように支払われるのか>については,岡橋氏は中央銀行券が最終支払い手段になったのだという以外のことは述べなかった。このため,岡橋説にあっては,中央銀行券・中央銀行当座預金の信用貨幣としての流通根拠が,今一つ積極的に説明されないままにとどまった。

 第4に,マルクスの「貨幣流通法則」と「紙幣流通の独自法則」を厳密に解釈した結果,現状分析の上で,1960年代から1975年にいたるまで,日本には厳密な意味でのインフレーションは起こっていなかったと主張したことである。岡橋説によれば,価格標準の切り下げによる名目的物価上昇としてのインフレーションは,公定価格標準(金平価)の切り下げか,財政赤字による投げ込み的(今日的に言えば外生的)貨幣投入によって生じる。一方,銀行貸付の肥大化による通貨供給は,商品流通量の増大に伴う,貨幣流通法則に沿った(今日的に言えば内生的な)供給であり,貸付・返済によって伸縮するものであるから,景気を過熱させることはあってもインフレーションを起こすものではない。したがい,岡橋氏から見れば,戦時中の物価上昇は厳密な意味でのインフレであったが,高度成長期から1975年までは日本の財政は赤字ではなかったので,インフレも生じなかった。岡橋氏は,高度成長期や過剰流動性期の物価上昇を,景気の過熱による一時的及び実質的物価上昇だったとみなしたのである。岡橋説では,また,1970年代には,アメリカの物価高騰や,オイルショックによる原燃料価格の高騰を反映して「輸入インフレ」と呼ばれる事態が生じたが,岡橋はこれも円の相対的価値の低下による不等価交換とみなし,やはりインフレーションとはみなさなかった。この,日常用語としては誰もが「インフレ」と呼んでいたものを,厳密にはインフレではないと言い切った岡橋説は,マルクス経済学者を含めて極論とみなされたのである。

 以上を踏まえると,岡橋説の現代的意義を主張する際には,これらの論点に対応した解明が必要である。第一に,岡橋貨幣・信用論の体系をわかりやすく再現する説明を行うことである。第二に,資本主義における貨幣システムの発展を,本来の貨幣としての金属貨幣=商品貨幣の流通を排し,代用貨幣によって代える傾向を持つものとして叙述することである。そしてその発展が,資本主義発展をどのように媒介し,どのように矛盾を蓄積させているかを明らかにすることである。第三に,不換の預金貨幣や中央銀行券が信用貨幣であることについて,その支払い能力がどう担保されているかの適切な説明を行うことである。第四に,日常用語として「インフレ」とされている現象について,厳密な意味でのインフレーションであるか,そうでない物価上昇であるかについて納得のいく説明を行うことである。これらは実は,1990年代以後の「デフレ」やポスト・コロナの「インフレ」,「異次元の金融緩和」とその解除の意味を問ううえでも必要な論点であり,その解明は歴史的にも現代的にも意義を持つと,私は考える。

(写真は,ようやくそろった岡橋の全著書・編著と追悼文集)




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