日銀総裁の発言から「日本の家計が値上げを受け容れている」だけ切り取って,炎上させて終わりでは,重大なことを見失う。
黒田総裁発言該当箇所
「ひとつの仮説としては、コロナ禍における行動制限下で蓄積した「強制貯蓄」が、家計の値上げ許容度の改善に繋がっている可能性があります。いずれにせよ、強制貯蓄の存在等により、日本の家計が値上げを受け容れている間に、良好なマクロ経済環境を出来るだけ維持し、これを来年度以降のベースアップを含めた賃金の本格上昇にいかに繋げていけるかが、当面のポイントであると考えています。」
注目すべきは「強制貯蓄」である。これは,日本の家計全体を合計した場合には確かに存在する。コロナ禍で賃金も減ったが消費はもっと減り,給付金が支給され,社会給付(雇用保険,生活保護等)が増え,税・社会負担の一時軽減があったからである(峯岸,2021)。
にもかかわらず,日銀総裁の発言に反発する人も多いのは,コロナ禍の所得へのダメージにも「強制貯蓄」にも格差があって,貯蓄など手元にない人も少なくないからである。コロナ禍での所得へのダメージは階級・階層によって異なっており,非正規労働者と自営業者が最もダメージを受けた(2021年9月3日著者投稿。橋本健二氏の調査に依拠)。2021年に,貯蓄保有世帯の中央値は1104万円であるが,2人以上の家計の20.7%は300万円未満の貯蓄しかもっていなかった(総務省家計調査)。
問題は,貯蓄額には大きな格差があり,「家計の値上げ許容度」も様々であって,合計した典型的一個人など実際には存在しないということである。しかもこれは一般論でなく,おそらく今年後半の景気を左右する目の前の問題である。
一方で,所得が高い層は「強制貯蓄」がある。円安で大企業の業績はどちらかと言えば回復している。夏から冬にかけて髙中所得層のリベンジ消費が盛り上がれば,景気を回復させる力になりうる。他方で,所得が低い層には「強制貯蓄」もなく,輸入物価高騰が生活を直撃する。中小企業も原料価格を転嫁できない。この影響で景気が停滞したままであれば,最悪,コストプッシュインフレと不況が共存するスタグフレーションになってしまう。
現在の所得・資産格差から来る消費意欲の格差は,今年後半の景気を岐路に立たせている。マスメディアも野党もここを突かねばならない。日銀批判から入ってもいい。しかし,炎上して謝罪させて終わりでは何にもならない。問題なのは発言一つではない。格差であり,格差がいま直ちに景気を左右しようとしていることである。格差に対して対策を打つべきは日銀ではない。政府である。政府に対して,格差を放置するなと対策を迫る時である。
黒田東彦「金融政策の考え方─「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向けて─きさらぎ会における講演」2020年6月6日。
峯岸直輝(2021)「日本の経済主体別にみた資金需給と金融資産・負債の動向」『内外経済・金融動向』No. 2021-2,信金中央金庫地域・中小企業研究所,1-23。
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