スティーブ・ジョブズの伝記と言い,今回のイーロン・マスクの伝記と言い,著者のウォルター・アイザックソンが考えていることは,次の箇所に集約されていると思う。
「自信満々,大胆不敵に歴史的な偉業に向けて突きすすむなら,ひどい言動や冷酷な処遇,傍若無人なふるまいも許されるのだろうか。くそ野郎であってもいいのだろうか。答えはノーだ。もちろんノーだ。同じ人でもそのいい面は尊敬し,悪い面はけなす。それはそんなものだろう。ただ,ひとりの人を形作る糸はより合わさっている。それこそ,きっちりとより合わさっている場合もある。布全体を全部ほどくことなく闇の糸を抜くことは難しかったりするのだ。」(邦訳,下,p. 435)
ジョブズとマスクには具体的なところでは共通点も違いもある。マスクはエンド・ツー・エンドに仕上げようとするところはジョブズと同じだが,工学系の人間であり,エンジニアリングでも製造でも自ら現場指揮を執るところは違う。物理的なところも自ら見られるので,現場に行かないエンジニア,製造を知らない設計者を許さないという特徴もある。限界まで激しく,現場に詰めて寝ずに働くシュラバそれ自体を価値あるものとする点はジョブズより極端である。製品に対する美意識の強さは同じだが,マスクはコスト意識が極めて強く,無茶なほど設計簡素化と省略を強要するところが違う。家族に対する態度は,形は違うようでところどころ無茶苦茶なのは同じとも言えて,これは何とも言い難い。
経営学の研究者からすると,マスクがエンジニアリングと製造のシームレス化や改善や激しい働き方についてやっていることは,ある意味ではかつての日本の企業人と似ていると考えることもできる。ただ,自分と優れたエンジニア数名が主役となり,現場を駆け回って命令しながら成し遂げようとするところは違う。上から下まで誰にでも合理的説明と工夫をさせようとする点はかつての日本企業と似ているが,それを自らの一方的命令で行い,うまくいかなければ速攻で解雇して人を入れ替えるところは違う。
実は私は,何だかんだ言っても少量生産であるスペースXはとにかく,一般顧客向け大量生産のテスラをどうやって成り立たせたのかが不思議でならず,本書を買った。答えは,「自分と何人かの専門家が総出で現場で徹夜で監督する+説明と改善をすみずみまで強要する+能力不十分なら速攻で解雇して速攻で補充採用する」のように見える。それで何とかなるはずはないだろうと思う一方で,本書を読むと何とかなりそうにも思えてくるから不思議である。まだ半信半疑だが,確かにすごいと思う。
スペースXやテスラに関する章に比べると,ツイッターに関する章は読んでいて気持ちが悪い。著者がカンパしたように,マスクはスペースXやテスラと同じようにツイッターもテック企業だと思い込んでいたが,実はコミュニケーション企業だったのだ。スペースXやテスラでは,マスクがダメだと思い込んだ人間をクビにして設計や製造の仕方を変えれば済むが(それでもどうかとは思うが),ツイッターの場合,マスクの不用意な言動で,轟轟たる中傷を浴びねばならなくなる人が発生するところは,本書で最も嫌な気持ちになった部分である。
結局は冒頭に引用したアイザックソンの言葉に尽きるのだが,私の関心は上記のようなところにあった。それぞれの関心から読めば,きっと面白く,また考えさせられる本だと思う。
ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917306
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