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2025年10月30日木曜日

アベノミクスの金融・財政政策を継承すると,物価高対策にならない:高市政権下でのマクロ経済政策の方向性について

 高市政権は,金融緩和,財政出動という意味でアベノミクスを継承する気配を見せている。むしろ財政支出に関してはアベノミクスより積極的になるかもしれない。アベノミクスは,金融緩和は政府の日銀への圧力のもとで「超」がつくほど徹底して行ったが,財政赤字はそれまでの水準を維持したというレベルであり,さらに拡大したわけではなかった。むしろコロナ後の岸田政権以後の方が,財源の手当てなく大型支出を次々提案している。防衛費のGNP比2倍化,子育て支援,グリーントランスフォーメーション等々である。高市政権では,物価高対策を理由に何らかの形での家計向け減税が加わるであろう。これは歳出増というより,むしろ歳入減となる面が強いが,赤字財政による需要刺激という点では同じである。

 高市政権の政策の詳細がどうなるかが判明するのはこれからである。しかし現時点で重要なことは,金融緩和,財政出動をいま行うとどうなるかを考えておくことである。それが,今後の政策評価の出発点になるだろう。

 ここで大事なことは,2010年代に行われたアベノミクスと,2025年以後に行われそうな高市政権の金融緩和・財政出動では,経済環境も違うし,予想される結果も違うということである。

 まずアベノミクスは,物価がほとんど上がっていない状態と,円ドル相場が購買力平価より高い状態(世銀国際比較プログラム2011推計)から出発した。また,失業率も4%を超えている下で出発した。そこで,金融を引き締めるよりは緩和する方向に,財政を引き締めるよりは拡大する方向に舵を切るのはもっともなことであった。その限りでは普通であった。

 問題は,アベノミクスは,物価上昇率を年率2%にすることをめざし,とくに財政よりも金融政策に力を入れてこれを実行しようとしたことである。そして,結局,達成できなかった。いくら量的・質的金融緩和(日銀による国債買い上げとETF/J-REIT購入)を激しくおこなっても,またそれなりに財政赤字を出し続けても,通貨供給量(マネーストック)が増えなかったからである。そして,それはなぜかというと,金融緩和だけでは,企業においては日本市場で長期をにらんで設備投資しようという意欲を喚起できなかったからであり,家計においては消費意欲を喚起できなかったからである。企業は日本市場が活性化する見通しを持てず,個人は,すぐあとで述べる賃金抑圧と雇用の非正規化により,家計が好転するだろうという見通しを持てなかったからである(※1)。一方,株式市場と外国為替市場は,財政赤字は従来ベースだが金融は超緩和という組み合わせに対して敏感に反応した。株高・円安の実現である。これにより一部輸出向けの設備投資は喚起できたが弱弱しかった。大々的に喚起されたのは対外直接投資と金融資産購入,とくに外国投資家の株式市場への呼び込みであった。

 だから,アベノミクスは,高く評価できるようなものではない。できるだけよく言うならば,金融・財政引き締め策を取らず,日本経済を政策不況のどん底に陥れなかったという点だけは評価できる。しかし,しかし,自ら掲げた日本経済再興を達成したわけではまったくなかったのである。それは,金融緩和という一面的なツールでは,日本経済がよくなると経営者にも個人にも信じてもらえなかったからである。これは経済政策の責任者としても政治家としても失敗だろう。アベノミクスを継承するのをポジティブなことと見なす言説が,私には理解できない。

 さて,高市政権である。政権が2025年に直面している情勢は,安倍政権発足時とは大きく異なっている。まず,物価上昇率はG7諸国で最高になっている(熊野,2025)。そして,円ドル相場は購買力平価を超える極端な円安になっている。一方,失業率は2.5%にとどまっており,人手不足が起こっている。

 国民生活にとって最大の直接的問題が物価高であることは,高市総理も強く意識している。裏返して言うと,物価の停滞が企業行動を停滞させるという問題や,働こうとする人が仕事を見つけられずに困っているという,安倍政権発足時のような問題があるわけではない。アベノミクス開始時とまったく異なる条件に置かれ,国民生活の問題も異なっているのである。これで,どうしてアベノミクスと同じ金融緩和・財政拡大で対処できるのであろうか。いったい,どういう理屈になっているのか,私には理解できない。

 もう少し丁寧に言う。マクロ的に金融緩和・財政拡大をするというのは,国内総需要を刺激するということである。総需要刺激は,未稼働の労働力と設備,滞貨,その他未利用の物的資源が存在し,それらを使えば生産が拡大して所得が生み出せるような場合には有効である。しかし,現在の日本経済はこうなってはいない。未稼働の設備や失業している人は決めて少ないので,総需要を刺激しても生産と所得が伸びにくいのである。

 さらに詳しく言う。内閣府推計のGDPギャップでみるとプラス,つまり需要超過に転じている状態である(※2)。日銀推計のGDPギャップはまだマイナスであるが,それも資本には遊休があるものの労働は既に需要超過となっている(※3)。そして,いずれの潜在成長率推計をみても,労働者数はまだ伸びる余地があるものの,労働時間はマイナスであり伸びる余地がない。確かに完全雇用状態ではなく,いま雇われていない女性全般と男女高齢者が勤めに出る余地はあるが,労働時間は短縮傾向にある。そして前者の作用より後者の作用方が大きいから,労働投入を増やすのは困難なのである。つまり,総需要を刺激して実質総生産(GDP)を伸ばすことは難しい状態なのである。GDPが成長できるとすれば,イノベーションが盛んになって供給能力が伸びた場合,労働時間を延長した場合,労働力供給を過程からもっと引き出した場合であるが,いずれも容易ではない(※4)。しかも,イノベーション政策にせよ労働市場政策にせよ,金融・財政の拡張か引き締めかという次元では不可能である。よって,マクロ経済政策とは別の話が必要となる。

 こうした状況で高市政権が日銀の金利引き上げを牽制し,財政を拡大すれば,何が起こるだろうか。生産が拡大せず,名目所得の増加を物価上昇が打ち消すだろう。つまり,さらなるインフレである。これでは物価高対策という目的は達成できない。さらに日本の低金利が国際的に突出すれば,益々の円安が加速する。それは輸出産業には刺激となるが,エネルギー,食料,さらに各種製造品,海外から提供されるITサービスを含めて,輸入物価の高騰を一層加速する。これもまた物価高対策という目的に逆行する(※5)。ついでに言うと,工場を建設するような対内直接投資の刺激には役立つが,外資による不動産購入も加速する。またインバウンドも過度に促進することになり,オーバーツーリズム問題は悪化するだろう。さらに付け加えるならば,実物経済から実質的な利益が見込めないとなれば,金融資産購入を意図した資金調達が強まり,株式や不動産や商品市場でのバブルが強まることも十分あり得る。

 なお,財政赤字の拡大が国債引き受けの困難を増し,長期金利を高騰させるという問題も指摘されるかもしれない。しかし,ここは複雑であり,数年単位では何とも言い難い。長期金利に逆方向から影響を与える複数のベクトルが作用するからである。長期金利が急騰するのは,きっかけは金融的要因で起こるとしても,結局のところ景気の先行きと政府財政の持続性が危ぶまれるからである。高市政権が景気過熱状態でのインフレを起こした場合,悪性インフレが経済を混乱させていると見られるか,何はともあれ過熱状態程度の好景気が保たれていると見られるかは決め難い。長期的には前者だろうが短期的には全く状況依存的であって後者になるかもしれない。また,財政赤字を拡大した場合,一方では円の価値が毀損されるが,他方でインフレはあらゆる債務を目減りさせるので,政府の実質利払い負担や実質債務残高も軽減される。したがい,円の信認は長期的には低下するだろうが,短期的には維持される可能性もあり,やはり状況に依存する。二つの軸のいずれで見ても,金融・財政拡張策は長期的には長期金利を高騰させるリスクを高めながら,数年のスパンでは,どうなるともいえないのである。いわゆるマーケットとの対話や偶発的ショックに左右されながら状況依存的に推移するだろう。

 まとめよう。設備も人も余っていない状態,とくに労働面のGDPギャップが極小化されている現状では,金融緩和・財政拡張はインフレを起こすだけで実質的所得を生まない。したがい,物価高対策として有効ではない。高市政権の経済政策について現時点で言うべきは,まずもってこのことである。

 それでは,物価高による市民生活圧迫にどのような対策をとればよいのか。これが次の問題となる。マクロ的な緩和・拡張か引き締めかというだけでなく,労働市場政策,労使間の分配や社会的格差是正,イノベーション刺激など,よりブレークダウンされた次元で考えねばならない。

※1 公平のために言うと,当時の企業行動は,安倍政権や日銀の予想を超えていた。アベノミクス期のみならず,「失われた30年」と呼ばれる時期にも企業セクターは,実はそこそこの生産性向上は実現し,過去の実績に劣らぬ利益率を計上していた(河野,2025)。しかし,国内での正社員を拡大せず,増やすとすれば非正規労働者に限り,あわせて労働組合が極度に弱体であるのをいいことに賃金を決定的に抑圧し続けたのである。これはコロナ前に物価が頑として上昇しない要因であった。賃金が上がらないので消費が喚起されなかった。賃金を上げない経営者は,富裕層以外には消費を伸ばしそうにないと理解していたので,国内市場拡大に展望を持てず,設備投資に意欲的になれなかった(海外直接投資には意欲的だった)。したがい,企業は価格を引き上げる気になれなかった。むしろ人件費節約を選び続けた。これにはむしろ安倍政権の方が慌て,次第に賃上げを自ら奨励するようになったほどである。

※2 月例経済報告のGDPギャップデータ(2025年10月30日),内閣府ウェブサイト。( https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/getsurei-index.html#sonota )。

※3 需給ギャップと潜在成長率(2025年10月3日),日本銀行ウェブサイト( https://www.boj.or.jp/research/research_data/gap/index.htm )。

※4 もし日銀推計のように設備側にまだ遊休があるならば,生産を拡大する方法も三つくらいあるように思われる。第一に,残された非労働力である女性と男女の高齢者が,ワークライフバランスを尊重してなお,もっと働きたいと思えるように,労働条件を改善することである。これにより,従来の推計以上に労働力が生み出せるかもしれない。そのような政策が期待されるが,現時点ではその気配がない。第二に,この真逆であり,ワークライフバランスの放棄という首相の姿勢を国民に強制し,労働時間規制を全面緩和することである。高市政権は,労働時間規制緩和を提唱しているが,これは抵抗もあるし,実施できるとしても大規模なものになるかは疑問である。第三に,外国人労働力の急拡大である。一部の業界がこれを望んでいることは明らかだが,高市政権の政治的傾向から言ってこの選択は取らないであろう。

※5 正確に言うと,引き起こされる物価上昇は三種類ある。第一に,金融緩和が景気過熱を招き,需要超過で一時的に物価を上昇させる。これが定着してコスト構造が変わってしまうと,実質的物価上昇になる。第二に,財政赤字拡大により厳密な意味のインフレ,つまり通貨の外生的投入による名目的物価上昇が生じる。第三に,金利差が引き起こす過度な円安によって,輸入品の価格が高騰する。これは円の購買力が低下することであり,一時的な物価上昇,定着すれば実質的な物価上昇である(川端,2025)。

参考文献

熊野英生(2025)「気がつけば、日本の物価上昇率はG7最高~消費者物価は日本が3.6%上昇、各国2%台~」経済レポート,第一生命経済研究所,6月5日( https://www.dlri.co.jp/report/macro/465617.html )。

川端望(2025)「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492, 1-20.
https://doi.org/10.50974/0002002920

河野龍太郎(2025)『日本経済の死角:収奪的システムを解き明かす』筑摩書房。

※2025年11月22日:言葉を補った。「企業においては日本市場で長期をにらんで設備投資しようという意欲を喚起できなかったからであり,」の前に「金融緩和だけでは,」を追加。「日本経済がよくなると経営者にも個人にも信じてもらえなかったからである。」の前に「金融緩和という一面的なツールでは,」を追加。河野(2025)を参考文献に追加。



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