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2024年5月25日土曜日

「なんの抗議も来ん!誰も読んどらんのだ!」:異端の信用貨幣論に反応はあるのか

  古い話題で恐縮ですが,いしいひさいちのマンガに,作家・広岡達三ものというのがあります。元プロ野球選手・広岡達朗がモデルですが,とにかく偏屈で頑固で,それ故に墓穴を掘るところがあります。彼のセリフで私が一番好きなのは,危うい表現続出の小説を書いたあげく激怒して断筆を宣言するときに言い放ったものです。

「なんの抗議も来ん!誰も読んどらんのだ!」

 もしかすると,先月公表した拙稿「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」もこうなるかもしれません。

 この論文は教科書風の説明に徹しているのですが、実は1)常識的な考えとも、2)マルクス経済学の多数とも、3)宇野理論とも異なることを言っています。ついでに言うと4)MMT(現代貨幣理論)とも違います。例えば、

1)銀行業務の本質とは、既に存在している貨幣の融通をすること(金融仲介)ではなく、支払い決済サービスと、新規の代用貨幣発行によって貸しだすこと(信用創造)だとしています。

2)遊休貨幣を集めるところから銀行信用(金融仲介)を説明するのではなく、銀行信用(信用創造)の結果として遊休貨幣が生じるのだとしています。

3)商業信用は既に存在している資金の相互融通だという宇野弘蔵説を採用せず、単に後払いの約束だとしています。手形が成立すると後払い約束証書の方が流通するようになり、それで債権債務の相殺もできるようになります。手形とは貨幣を貸すものではなく、貨幣の現物の代わりに手形で済ます仕組みを作るものなのです。手形が発達したのが預金貨幣であり中央銀行券です。

4)兌換されない信用貨幣が流通する根拠を,MMTのように納税に使えるからだとするのではなく,手形債務だからだとしています。3)で述べたように,手形という後払い約束証書は金などの商品貨幣に代わって流通し,債権債務を相殺できるようになります。貨幣流通の根拠は国家権力を持ち出さずとも,経済そのものによって可能なのです。

 これらは師匠の師匠である岡橋保教授が1930-50年代に確立していた見地なのです。私はそれを再発見し、一部修正し、弱点と思われるところ(準備金論)を補強して、現代の金融システムの説明に使ったに過ぎません。なのでオリジナリティをそれほど主張するわけにはいきません。私の論文は,岡橋説を再発見し,現代の問題を説明できるように一部修正して徹底したことに意味があります。

 ただ,最大の問題は、この主張の特異さを気づいてもらえるかどうかです。昔は、岡橋教授の論文には直ちに反論が寄せられ,それにまた岡橋教授が反論して激論になったことが,文献からうかがえます。だから,拙論に対していろいろなところから矢が飛んできてもいいはずで,私としても批判を受けて討論できることを期待しています。しかし,マルクス経済学や宇野理論で信用理論をやっている先生も昔に比べるとずいぶんと減り,主流派経済学の方は拙論を読んでくださらないでしょう。残るはMMTerの方の批判を待つくらいかもしれません。

「なんの抗議も来ん!誰も読んどらんのだ!」だと寂しいです。批判を歓迎します。


「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」ダウンロードページ

いしいひさいち『わたしはネコである殺人事件』講談社文庫,1996年(Amazonのページ)。引用したセリフは8ページより。
https://www.amazon.co.jp/dp/4063300242



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