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2019年5月2日木曜日

信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第3節)


3.管理通貨制の下での通貨供給量の伸縮の説明

 本節では,二つの通貨・銀行モデルによって現実の中央銀行のオペレーションや銀行業務を理解することを試みる。とくに,通貨供給量の伸縮のメカニズムをどのようにとらえるかを比較分析することで,モデルの解像度,現実解釈への有効性を判定していく。

(1)信用貨幣・貸付先行モデルの説明

 信用貨幣・貸付先行モデルは,貨幣供給の内生性・外生性については,内生的供給論になる。つまり,中央銀行券や預金通貨は流通に必要な量の伸縮に応じて拡大し,また収縮する。必要に応じて拡大することは前節とここまでの説明から明らかなので,収縮のルートを見ていこう。
 預金形態での貸し付けが企業から返済されれば預金はその分だけ縮小する。中央銀行券は返済によって銀行に戻ってくる。また,企業活動や個人の経済活動を含めて,当面は必要のない現金も銀行に預金される。預金が増加するとともに,中央銀行券は銀行が保有する。こうして,流通に必要とされない通貨は銀行に還流するのである[8]。これは市場の自律的な作用として可能である。
 ちなみに,民間銀行と中央銀行との間でも,中央銀行券や預金は収縮しうるが,そのあり方には民間銀行の方針や中央銀行の金融政策が反映される。銀行は手元の中央銀行券を禁輸し用品の購入に回すこともできるが,準備金として必要な分は現金のままで持ったり,中央銀行預金を積み増して保有したりする。中央銀行預金は,民間銀行から中央銀行券が預けられた場合は増加し,銀行が中央銀行に債務を返済したり,中央銀行が売りオペレーションをしたりすれば縮小する。現金としての中央銀行券は,このいずれの場合も中央銀行に戻って来て,そこで消滅する。中央銀行券は,民間銀行では資産となりうるが,発行主体である中央銀行券ではなりえない。自己宛の手形は,発行主体に回収されたら消滅するのである。
 このように,信用貨幣・貸付先行モデルによれば,中央銀行券と預金通貨が,流通に必要とされない場合は,流通から出ることが理解できる。貸し付けによって拡大した民間銀行の預金通貨は返済によって縮小しうる。中央銀行券は民間銀行の手持ち現金となって蓄蔵されるか,中央銀行預金が増加するなどした際に中央銀行に還流することにより消滅する[9]。こうして通貨供給量(マネーストック)は民間経済の自律的作用により収縮する。信用貨幣は流通に必要とされるならば流通に入り,不要になれば出てくるのである。そして,マネタリーベースの動きはマネーストックはまた別である。

(2)不換紙幣・預金先行モデルによる説明の困難

 不換紙幣・預金先行モデルは,内生的貨幣供給も外生的貨幣供給もありうるモデルである。このモデルでは,企業の必要に応じても信用創造はなされるが,その必要を超えて,政府・中央銀行が通貨供給量を拡大することができるからである。では,このモデルにおいては,民間経済が必要としない通貨は収縮しうるだろうか。
 不換紙幣・預金先行モデルにおいても,貸し付けの返済によって預金通貨が縮小し,不換紙幣が民間銀行の手元に戻ること,企業や個人による貯蓄性預金の増加によって不換紙幣が民間銀行に預け入れられることは変わらない。その意味では,通貨供給量は,一見,自律的に縮小しうるようにも見える。
 しかし,このモデルでは,政府または中央銀行と民間銀行の関係が理論化されていないため,民間銀行の手元準備金と,中央銀行預金の性格がモデルに含まれておらず,この二つが通貨供給量に含まれるのか含まれないのかが理論的に判然としない。ここが大きな問題である。
 不換紙幣・預金先行モデルが,中央銀行を政府と本質的に同等とみなし,政府と民間の二分法でモデルを設定する限り,手元準備金と中央銀行預金は,根拠は不明ながらも漠然と民間の側に含ませられることが多い。なぜならば,手元準備金も中央銀行預金も,政府または中央銀行から見ればすでに供給済みなのであって,民間側にあると考えるのが,このモデル内部では自然だからである。だから,不換紙幣・預金先行モデルは,マネタリーベースとマネーストックの区別が本来的にあいまいであり,両者とも理論的には通貨供給量を表示するのだと認識される。マネタリーベースとマネーストックは貨幣乗数を介して連動するのだから,両者をひっくるめて通貨供給量とみなしてよいだろうというのである。
 ところが,返済や貯蓄性預金の増加によって収縮するのはマネーストックだけであり,マネーストックが縮小してもマネタリーベースは自動的には縮小しない。この現実を前にすると,不換紙幣・預金先行モデルは,民間経済の自律的作用によって通貨供給量が収縮するのか,しないのかをはっきりと言い切ることができなくなる。その一方,前述の通り政府または中央銀行が不換紙幣を,その決定に従って投じることができると想定している。こうして,不換紙幣・預金先行モデルは理論的な空白の部分で動揺しながらも,管理通貨制をインフレーションになりやすいシステムとみなすことになる[10]。翻って,政府または中央銀行の行動次第でインフレーションを起こすことができるシステムとみなすことにもなるのである[11]
 もちろん,このモデルを採る経済学者であっても,実務を考慮する際はマネタリーベースとマネーストックに違いがあることを考慮する。しかし,両者の違いを概念化することが,そのモデルの制約故にできないのである。

(3)信用貨幣・貸付先行モデルの優位性

 このように,管理通貨制の下での通貨供給量の伸縮,マネーストックとマネタリーベースの動きの相違は,信用貨幣・貸付先行モデルによる内生的貨幣供給論によれば整合的に説明可能である。しかし,不換紙幣・預金先行モデルによる外生的貨幣供給論では,マネーストックとマネタリーベースの関係について,理論的な空白が残るのである。理論的な空白は,大きな幅のある解釈と動揺をもたらす。
 理論的に整合しており,実務を無理なく説明できるのは,経済学上の「常識」に反する信用貨幣・貸付先行モデルである。そのポイントは,中央銀行預金の理解,言い換えるとマネタリーベースとマネーストックの関係の理解である。信用貨幣・貸付先行モデルは,中央銀行と民間銀行との関係を銀行と銀行の関係ととらえるので,これらを無理なく説明できる。とくに,マネタリーベースにのみ含まれる中央銀行預金の増減と,マネーストックにのみ含まれる預金通貨の増減は直接に連動するものではないことも,モデル内に含まれている。しかし,不換紙幣・預金先行モデルは,政府または中央銀行と民間銀行の関係がモデル内において明瞭ではない。とくに,マネタリーベースとマネーストックの区別がモデル内において明瞭でない。そのため,両者が本質的に同一の通貨供給量であり,一方が拡大すれば他方も拡大すると強弁されるのである。
 以上のことから,本稿は現実を説明するうえで,信用貨幣・貸付先行モデルによる内生的貨幣供給論に優位を認める。そして,このモデルによって現実を説明することで,「非伝統的金融政策」が効かない理由も明らかになると考える。





[8] ここで,銀行が準備金として自ら保有する現金は,流通に必要な通貨から除かれたものとみなしている。この考え方は日本の実務においても採用されており,現金通貨の流通量を計算する際には,民間金融機関が保有する現金が控除される。
[9] この時,民間銀行が持つ現金としての準備金と中央銀行に持つ預金が積みあがったとすると,これらは流通から退出させられたが消滅はしていない。つまり民間経済の自律的作用でマネーストックは収縮したが,マネタリーベースは収縮していない状態である。民間銀行が中央銀行に債務を返済したり,中央銀行が売りオペレーションを行ったりすると,マネタリーベースも縮小する。
[10] 例えば,日本のマルクス経済学における,金兌換が行われない管理通貨制の下での中央銀行券は不換紙幣であるという見解は,このように考えてきたのである。
[11] 後述するリフレーション派や期待派はこのように考えているのである。


(続く)
第2節はこちら
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