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2019年5月7日火曜日

MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと

ネット記事では「MMT(現代貨幣理論)は財政赤字を心配する必要がないと主張している」と報道されていて,これに多くの人が困惑している。あるいは,そんなことあるわけないだろうと一蹴している。私もずっと困惑していたが,これはMMTによる「財政」というもののとらえ方が,従来の常識と全く異なるからだと思う。朴勝俊教授によるランダル・レイの本の解説のおかげで,MMTが言いたいことがようやくわかってきた。正しいと言っているのではない。どういう話の組み立てなのかがわかってきたということだ。

 まず,私はMMTの主張は,政府と中央銀行が一体の統合政府であるか,あるいは少なくとも中央銀行が政府と協調する場合にのみ,実施可能と思う。うまくいくかどうかは別として,実施可能という意味である。中央銀行が政府と対立すると実施できない。

 そこで,ここでは通貨発行権を持つ統合政府を考える。理解のポイントは,統合政府を,通常理解される政府財政としてでなく,可能な限り中央銀行=発券銀行のイメージでとらえることにあると思う。だから統合政府を必要に応じて政府銀行と呼ぼう。統合政府の発行する政府貨幣は信用貨幣=発行元宛ての債務証書なので,これも必要に応じて政府銀行券と呼ぼう。

 その運動を理解する入り口として,銀行券が発券銀行に戻ってきたらどうなるかを考えよう。銀行券は銀行の自己宛て債務証書である。自分宛ての債務証書をとりもどしたら,人はこれを廃棄する。中央銀行も還流してきた中央銀行券を資産とするのではなく帳簿から外す(正確には,ただのモノとして扱う)(※)。一般に十分知られていることとは言えないが,金融実務家ならご存じだろう。発券はそれと全く別の話である。中央銀行が貸し付けや買いオペなどの金融取引を銀行と行うと,銀行の準備預金が拡大する。銀行が現金を必要とするときにこの準備預金をおろすと,中央銀行券が発券される。

※例えば日本銀行に1万円札が還流して来ると,モノとしては汚損がなければ発券に再利用されるため保管される。ただし,資産としては1万円の現金にはならず,ただの紙でできたものになる。

 次に,統合政府の徴税を考える。統合政府が政府銀行券で徴税する。すると,政府は政府宛ての債務証書を取り戻したのだから,これを現金資産とするのではなく帳簿から外す(ただの紙として扱う)。……ここがほとんどの人の直観に反するだろう。この統合政府は徴税したお金を現金として使えないのだ!しかし,それでは,いったいどうやって財政支出をするのだろうか?それは,まったく別の話として,通貨を発行して支出するのである。ここの説明は少しややこしく,銀行券というより小切手の原理が用いられる。つまり,民間銀行に,支出先が持つ預金に代金を振り込んでもらい,かわりに政府預金から銀行に支払う……といいたいところだが,政府自身が中央銀行なので政府預金はない。そのかわり,政府銀行が銀行に準備金を無償供与する。

 MMTが言う統合政府は,中央銀行が発券し,回収するように,支出し,徴税していると理解すべきだ。そして,ここに,MMTが理解されにくい理由がある。ほとんどの人の政府財政の概念に反するからである。しかし,おそらくMMTはこのように構成されている。もちろん,発券と回収は信用の供与と回収という金融取引であるが,支出と徴税は異なる。異なるのだけれどバランスシートの動きから見ると同じだとMMTは述べているのだ。

 中央銀行券の発券と回収(還流)を,「中央銀行は市中の銀行券を回収してきて,その金額の範囲内で金融取引をする」という人は誰もいないだろう。この回収と発券の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。中央銀行は民間経済の必要に答えて発券し,不必要な銀行券を回収するのであって,「回収の範囲で発券すべきだ」ということもない。それよりも,金融調節を行って悪性インフレを防ぐ方が大事だ。

 同じように,MMTが想定する統合政府は,「政府が税金を集めて,その金額の範囲内で支出する」というものではなく,徴税と支出の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。統合政府は民間経済の必要に答えて支出し,不必要な政府貨幣を回収するのであって,「課税の範囲で支出すべきだ」ということもない。それよりも,財政調節を行って失業をなくしつつ悪性インフレを防ぐ方が大事だ。

 中央銀行のバランスシートにおける負債は大きい。中央銀行券発行高と銀行の持つ準備預金が巨額だからであり,発券したり買いオペを行ったりするたびにこれらが増えるからだ。しかし,これは発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。

 同じように,統合政府のバランスシートにおける負債は大きい。政府銀行券発行高と準備預金が巨額だからであり,支出するたびにこれらが増えるからだ。しかし,これも政府=発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。

 MMTが正しいかどうかは別にして,MMTの論理はおそらくこうなっている。このように理解した上で議論するのがよいと,私は思う。

朴勝俊「<レポート 012> MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。

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2 件のコメント:

  1. 統合政府が何故ますいのか歴史から学ぶべきですね。

    https://www.sankeibiz.jp/macro/news/191119/mcb1911190700001-n1.htm

    https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-24/ftp20080424faq12_01_0.html

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    1.  戦前の日銀による国債引き受けの問題は,統合政府の危険なあり方の一つを示すものですが,統合政府という概念自体を否定するものではありません。

       本投稿でも書いていますが,狭義の中央政府と中央銀行の関係は,MMTにせよ他学派にせよ,財政問題を考える上で回避できない重要問題です。
       この投稿をしてから2年以上たちましたが,私は以下のように整理しています。
      *通貨発行主体として中央銀行と中央政府を統合政府と言う大きな単位と見なすことは,良いか悪いかの問題でなく,事実として正しいと思います。
      *しかし私は,中央銀行と中央政府が意思決定主体として一緒であるとか,一緒であるべきだとは思いません。
      *それはなぜかというと,まず中央銀行は,政府の一部分であると同時に,銀行の銀行として民間機関でもあるからです。つまり,良いか悪いかは別として,もともと中央銀行は半官半民のものなのです。だから別主体であって当たり前です。
      *上のことから派生して,中央銀行は,一方では政府とともに完全雇用に尽くすべきですが,他方において通貨の安定と決済システムの維持を本務としています。そして,両者は矛盾することがありますので,もともと中央銀行は矛盾を抱えた存在です。
      *中央銀行と中央政府には,異なる意思決定システムがあって当然です。とくに中央政府は議会選挙や大統領選挙によって示された国民の信任の下に財政政策を行ないますので,議会や行政府の意志によって,良い意味でも悪い意味でも特定の集団に有利な政策をとることも許されます。その結果,政治次第で大企業に有利なこともできるし,低所得者に有利なこともできます。しかし,中央銀行は金融政策を行うので,特定の集団に明示的に有利な政策をすることは基本的に不適切です。そして,そうしないことを前提に,独立性を認められるのです。独立性のある公共の機関が特定の主体に奉仕することは正当化されません。
      *なので,中央銀行が政府の意志に従属し,通貨価値の安定性を犠牲にして,戦費調達のための赤字国債を引き受けるようなことは,私は不適切だと思います。
      *ちなみに,MMTは私より強く統合政府を肯定的に視ていますが,完全雇用のための財政赤字は許容する一方で,インフレは食い止めるべきと考えています。戦費調達のための財政赤字はたいていの場合悪性インフレを招きますから,MMT論者もそれは認めないと思います。
      *『赤旗』の2008年のこの記事は,公債の原則禁止=均衡財政を平和主義の表れと肯定している点が誤りだと思います。ケインズもマルクスも明らかにしているように,資本主義では需要不足=失業の発生が常態です。日本共産党が,資本主義の範囲でも貧困と格差をなくそうとするならば,インフレに気を付けながら赤字財政を行い,失業を失くしていく政策をとることは不可避だと思います。

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