ここで特定の条件とは,「ゼロ金利にしても需要不足が解消できないような状況」のことだ。つまりは,今世紀になってから先進諸国がしばしば陥っている状態のことだ。
この条件が満たされない限りは,常識的なマクロ経済学とMMTの政策的対立はそれほど激しくない。中央銀行の金融政策で金利を操作すれば,銀行の企業に対する貸出金利に影響を及ぼし,それによって投資にも影響を及ぼし,したがって需要に影響する。失業率が高いときに政府の財政政策を発動することで需要が喚起されて雇用が拡大する。これによって財政赤字も増大するが,景気が回復すればインフレになり,かつ税収が拡大するので,財政は引き締め気味に運営することが適切となる。これらは,少なくとも実践のレベルでは常識的な理論だろうがMMTだろうが同じことだ。
しかし,上記の条件が満たされてしまうと,話が大きく異なってくる。以下,浅学を省みずに対比してみる。
常識的な経済学は,管理通貨制の下での通貨を政府の強制通用力か人々の信認による価値シンボルとみなす。そして,貨幣は政府または中央銀行により金融システムを通して外生的に供給可能であるとする。政府または中央銀行は金融システムを用いて通貨を創造する。悪性インフレを防ぎ通貨価値を安定させることも金融システムの役割である。この考えを延長すれば,ゼロ金利下であっても,通貨が外生的に供給可能である以上,政府は非伝統的金融政策により通貨供給量を増やして有効需要を喚起するという,リフレーション政策を取ることが有効である。
また,常識的な経済学は,財政システムにおいては政府はハードな予算制約の下に置かれており,税収の範囲で支出すると考える。正常な財政システムでは通貨は創造されない。課税の本質的役割は公共目的に支出財源を確保することである。課税しなければ支出できない。政府は,一時的に財政赤字を出すことはあるとしても,財政均衡を保つのが正常な状態である。通貨が統合政府の負債と記帳されることは単なる会計の形式論で実質的意味がないものである(※)。したがって,財政赤字の一定以上の拡大や恒久化は避けるべきであり,ゼロ金利下であっても財政拡張に頼るべきではない。財政赤字を拡張したところで,政府債務が積みあがり,結局将来の税収によって補わねばならないだけであるから,裁量的財政政策での有効需要創出効果はそもそも限られていると見るべきだ。すでに政府債務累積している状況下では財政再建を優先すべきだ。
対して,MMTではどうなるか。
MMTは,貨幣(現金通貨と預金通貨)は統合政府(政府+中央銀行)の手形=債務証書であるとする。そして,このことの系として,金融システムにおいて「貨幣は貸付需要に応じて銀行・中央銀行が信用を供与する金融取引によって創造される」という内生的貨幣供給論を採ることになる。政府は金融政策では通貨を創造しない。企業の借り入れ需要に応じて通貨が創造される。したがって,ゼロ金利下であれば,金融政策では企業の借り入れ需要を刺激することはできない。中央銀行が一方的に通貨供給量を増やすことはできない。ゼロ金利下でのリフレーション政策は,金融政策のみで行う限りまったく無効である。なお,人為的にマイナス金利政策を取れば,金融機関の経営を破綻に追い込むだけである。
一方,MMTは,財政システムにおいて,統合政府が貨幣=政府手形を発行して贈与したり財・労働力・サービスを購入したりする実物取引によって,需要が創造されると主張する。つまり財政システムで通貨が創造される。公共目的に必要な財源は,政府債務の創造によって調達される。課税の本質的役割は支出財源を確保することではなく,悪性インフレを防ぎ通貨価値を安定させることである。課税しなければ通貨価値を調整できない。統合政府は赤字なのが正常な状態であり,統合政府が債務を負って信用貨幣を発行することで,流通に必要な現金通貨が供給できているのである(※※)。したがって,財政赤字と政府債務はそれ自体は問題ではない。統合政府債務は恒久的に存在するのであって,将来の税収によって埋め合わせねばならないものではない。ゼロ金利下にあっては,財政政策だけが有効需要を拡張できるマクロ経済政策である。
常識的な経済学から見れば,MMTが「統合政府が財政政策を調節して外生的に貨幣を供給できる」というのは馬鹿げている。租税を徴収しなければ財政支出で貨幣を供給することもできない。いくら統合政府が財政赤字を拡張したところで,政府債務が積みあがり,結局将来の税収によって補わねばならないだけであり,通貨供給量も需要も通時的にはさほど増やすことはできない。マクロ経済政策の範囲で需要を増やしたければ,政府または中央銀行が金融システムによって貨幣を供給しなければならない。
MMTからみれば,常識的な理論が「政府または中央銀行が金融政策を調節して外生的に貨幣を供給できる」というのは馬鹿げている。借り入れ需要のないところに貸し出しは起こらない。いくら中央銀行が金利を引き下げ,買いオペレーションをしても,それだけでは,中央銀行当座預金が積みあがるだけであって,通貨供給量は増えない。マクロ経済政策によって需要を増やしたければ,政府が財政支出するしかない。
このように,ゼロ金利下,そして財政赤字の累積下では,常識的なマクロ経済学とMMTとでは,金融政策と財政政策の役割がそっくり入れ替わるのである。そうなる理論的根拠は,おそらくMMTが信用貨幣論的な政府貨幣論(※※※)と,強い意味の統合政府論(※※※※)をとっていることにある。ということは,常識的なマクロ経済学とMMTのどちらかが正しいとするならば,MMTの正否は,信用貨幣論的政府貨幣論と,強い意味の統合政府論にかかっているということになるだろう。
※こう考えないと,中央銀行が中央銀行券を発行している以上,統合政府は常に債務を背負っていることになってしまう。だから常識的なマクロ経済学では,中央銀行券の債務性は実質的にはないものと考える。
※※だから,統合政府が貨幣=政府手形を発行し,中央銀行が中央銀行券を発行している以上,統合政府は常に債務を背負っていることになる。MMTでは,貨幣=政府手形の債務性が実質的にあると考える。
※※※MMTは,政府貨幣=統合政府の手形とする点で信用貨幣論を取っている。ここで,政府手形がどうして現金通貨として人々によって信認され,支払手段としても流通手段としても用いられるのかという問題がある。MMTは,政府が人々に対して,政府貨幣を納税手段として認めることによってである,とする(中央銀行券も,政府への納税及び中央銀行に対する支払いの手段と認められる)。納税手段と認められることにより,政府貨幣=政府手形は税債務との相殺を可能とする支払い手段となる。そして,納税手段であることによって,人々が政府貨幣を求めるようになり,民間でも支払い手段及び流通手段になるというのである。
※※※※MMTの統合政府論では,政府が国債を発行することによって生じる債務のみならず,中央銀行が中央銀行券を発行し,また市中銀行からの預金を受け入れることによって負う債務も実質的な債務だとされている。これが「強い意味」での統合政府である。だから政府債務があって当たり前であって,債務のない統合政府など存在しない。一方,常識的なマクロ経済学では,たとえ統合政府論を取る場合でも,中央銀行券や中央銀行預け金の債務性は実質的にないものとみなす。そして,財政だけを対象として,政府債務がないことを正常な状態とみなす。
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ご苦労様でした。野口教授は「反緊縮の経済学」で持論を纏められていましたがご指摘の点はそのままなようでした。現在、インフレが現実のものとなり今後政策をどうするかは非常に困難なものになると思われます。金利は引き上げざるを得ないのでしょうがその後どうするのか?
返信削除景気がそこそこ回復しながらのインフレが昂進していくことになるでしょう。財政・金融政策のかじ取りは難しいと思います。生活・営業困難な層を救済できてない一方で,中間層以上の家計と企業に貯蓄が積み上がっている状態を変える手立てが必要と思います。
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