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2019年5月2日木曜日

信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第4節)


4.「非伝統的金融政策」はなぜ効かないか

(1)問題の所在

 中央銀行は,国債など金融資産の売買オペレーションや,民間銀行への貸付金利の操作によって短期金利を調整する。金利を調節することが,金融政策の基本線である。ここまでは,信用貨幣論と不換紙幣論に対立はない。
 問題はこの先である。現在,日本をはじめ各国で行われている「非伝統的金融政策」においては,ゼロ金利のように金利引き下げが困難な時においても,中央銀行預金を積み上げることで金融を緩和しようとしている。これを一層促進する議論として,「金融政策により通貨供給量を増やして適度なインフレーションを誘発すべきだ」というリフレーション理論が唱えられている。
 日本の場合,「非伝統的金融政策」を始めた日本銀行に対して,リフレーション派や,後述する「期待に働きかける」派(期待派)は激しい非難を浴びせかけた。しかしそれは本質的に,「非伝統的金融政策」が必要だという共通理解の上で,そのやり方が不十分だという批判であったというのが,ここでの解釈である。白川方明『日本銀行』東洋経済新報社,2018年が述べるように,日本銀行は,マネタリーベースを増やすとマネーサプライが増えるメカニズムや,インフレ率へのコミットメントが物価を引き上げるメカニズムに確信を持てないままに「非伝統的金融政策」を開始した。これに対してリフレーション派や期待派は,そうしたメカニズムは確固として存在するとして,日本銀行にこのことを認めよ,政策強度を高めよと要求したのである。ここでは根本的には「非伝統的金融政策」が効かない根拠を現実の解釈として示しつつ,この政策を理論的に正当化したリフレーション派と期待派を学説として批判することを試みる。

(2)借り入れ需要とも利子率とも独立に通貨供給量を増やそうとする誤り

 「非伝統的金融政策」は事実上,リフレーション理論は明確に,中央銀行預金を積み上げれば通貨供給量を増やすことができると想定している。「マネタリーベースを増やせばマネーストックが増える」というのである。これは,「中央銀行が不換紙幣を流通に投じる」という不換紙幣論・外生的貨幣供給論の抽象モデルと軌を一にした主張であり,論者が意識していようといまいと,このモデルに立たない限り成り立たない主張である。
 しかし,「マネタリーベースを増やせばマネーストックが増える」という見解は,中央銀行と民間銀行が,銀行と銀行の関係であることを踏まえないものである。中央銀行が買いオペレーションをいくら行い,民間金融機関への貸し付けをいくら行っても,それでは民間金融機関が中央銀行に持つ預金,日本の場合は日本銀行当座預金が増えるだけである。中央銀行預金は,マネーストックには含まれない。
 「非伝統的金融政策」は,「マネタリーベースを増やせば,それに連動して信用創造が盛んになってマネーストックが増える」と想定しているし,リフレーション理論は明確にそのように主張している。しかし,銀行は,貸し出しを増やす際に中央銀行預金を下ろして貸しているのではないし,そのようにする必要もない。銀行は,自ら預金通貨を創造することによって企業に貸し付けるのである。
 日銀預金の積み上げが貸し出しを促進する場合もあるにはある。企業の借り入れ需要がきわめて強いときである。この時,マネタリーベースが増えれば,銀行は流動性を確保しやすいので,貸し出しをしやすくなるかもしれない。しかし,そのような場合はそもそもゼロ金利ではありえないから,金利を調節する伝統的金融政策が行われるだろう。そして,借り入れ需要が強くなく,銀行が流動性確保に不自由していない時は,マネタリーベースが増えても貸し出しが増える理由はない。いくら銀行が流動性を持っていようと,企業が借りたくもないお金を無理に貸すことはできない[12]
 「貨幣乗数がプラスでありさえすれば,マネタリーベースを増やすことでマネーストックを増やせるはずだ」という主張があるかもしれない。しかし,マネタリーベースを増やした後にマネーストックが増えたとすれば,それは利子率が下がった場合か,あるいはまったく別の要因によって企業の投資意欲が喚起されて,企業の借り入れ需要が増えた場合である。貨幣乗数とは,単なる計算結果であり,マネタリーベースとマネーストックが連動している証拠ではない。通貨供給量(マネーストック)が増えるのは,民間の需要が伸びて流通に必要な貨幣量が増える場合である。利子率と独立に,借り入れ需要の刺激とも独立に,中央銀行の行動一つで通貨供給量を増やすことなどできないのである。
 このように,中央銀行と銀行の関係を素直に観察すれば,あくまで民間経済の必要に応じて通貨が供給され,必要がなければ供給されないのであって,中央銀行の金融調節によって,この関係を変えることはできない。必要とされていない貨幣を一方的に供給することはできないのである。以上が「非伝統的金融政策」では通貨供給量を増大させられない理由である。

(3)ポートフォリオ・リバランシング論の一面性

 それでもなお,「非伝統的金融政策」を支持する論者は,ポートフォリオ・リバランシング論によって自らを正当化しようとするかもしれない。低利,または無利子,場合によってはマイナス金利の中央銀行預金が積みあがれば[13],民間銀行はより高い収益性を追求するためにポートフォリオを組み替え,この預金をおろしてよりハイリスク,ハイリターンの運用先を探すはずだというのである。日本における日銀当座預金のマイナス金利も,これを狙った政策であった。
 しかし,この政策に効果があるとすれば,サーチの効果だけに限られている。金利が一定の下で(例えばゼロ金利の下で),もともと潜在的な収益機会が株式や社債に対する投資があって,ただそれが市場の不完全性により銀行に発見されていなかった場合には,効果があるかもしれない。つまり,積みあがる中央銀行預金の収益性の低さに追い詰められ,銀行が懸命にサーチを行い,見失われていた収益機会を発見した場合だけである。しかしこれは,もとから存在したが,市場の不完全性のゆえに発見されていなかった需要が発見されただけのことであり,効果は限られている。
 その上,副作用もある。金利一定で,銀行のポートフォリオの収益性を低めるのであるから,銀行はそれ以前よりも低収益な運用方法やハイリスクな運用方法を採用せざるを得ない。しかし,そのような運用方法で,銀行経営に必要な利益率が得られるという保証はどこにもない。低収益またはハイリスクな方法では経営を保てないと判断したら,銀行はいくらリバランシングを期待されようと,単に中央銀行預金を積んだままにするので,効果はないであろう。それでもリバランシングを促そうと中央銀行が中央銀行預金のマイナス金利を強めれば,銀行経営を危機に追いやるだけであろう[14]





[12] このことにより,安倍政権,黒田総裁の下での「量的・質的金融緩和」の下で,マネタリーベースが急拡大したのに対して,マネーストックは一向に伸びなかったという事実を理解可能である。
[13] 日本の場合,日銀当座預金は,以前は無利子であったが,やがて付利されるようになり,その後,一定条件の下で積み増した分はマイナス金利になって,有利子,ゼロ金利,マイナス金利の部分が併存する状態へと変化した。
[14] 日本における日銀当座預金積み増し分へのマイナス金利が,長期金利の引き下げとあいまって,銀行経営を窮地に追い込んだこと,それ故に日銀がイールドカーブ・コントロールという形で政策の修正を余儀なくされたことは,この論理で説明できる。


(続く)
第3節はこちら
第5,6節はこちら

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