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2019年3月11日月曜日

2018年度卒業論文特集号によせて ーあの日のゼミー (産業発展論ゼミ誌『研究調査シリーズ』No.37所収)

 本号に収録するのは,2018年度に学部ゼミを修了する皆さんの卒業論文です。
 ゼミを毎週やっていてもっとも気になるのは,「今日の経験は,ゼミ生の心に残るのだろうか」ということです。たいていの場合そんなわけはなくて,今日のゼミの内容も明日には忘れられるのかもしれません。でも,私は,ゼミ生のその後の人生のどこかで,思い出されて力になるようなゼミをしたいのです。なぜならば,自分もそのような経験をしてきたからです。
 最近も,授業をするうえで,かつてのゼミの経験に助けられました。私は,2016年度まで学部基本専門科目「企業論」を担当していましたが,今年度から「日本経済」担当に変わりました。講義準備にあたってはいくつかの難しい問題がありましたが,その一つは,直接にはアベノミクス,広くはマクロ経済政策を論じなければならないことでした。しかも,アベノミクスの最大のポイントは,インフレ・ターゲティングを伴う金融緩和であり,およそ自分にとって得意とは言えない金融論を使わないと評価できません。
 あれこれとあがきながら,ようやく「金融緩和という方向性は,引き締めるよりは妥当であったが,金融政策に過度な期待をかけたことは適切ではなかった。この過度な依存を正当化したリフレーション論は理論的に誤っていた」という見地にたどりつき,講義を構成することができました。これは実は,大学院生時代の研究会やゼミでの学びのおかげでした。
 リフレ論に対する私の批判は,一方では実務の説明に基づいています。リフレ論は,中央銀行が,実体経済の需要増を実現するための通貨の需要と関係なく,貨供給量を一方的に増やせるかのように主張しています。極端な形としてヘリコプターマネー論が唱えられたのはその表れです。そして,「デフレだから不況になるのであって不況だからデフレになるのではない。インフレにすれば好況になる」のだから,通貨供給量を増加させてインフレを起こすべき(リフレーション)と主張したのです。しかし,日銀の金融調節は,通貨供給量を直接に増やすことはできません。いくら買いオペが行われても,それだけでは市中銀行の日銀当座預金が増えるだけです。それで短期利子率を下げて企業が銀行からお金を借りやすくし,極端にはマイナス金利のように,銀行が日銀当座預金以外の資産運用方法を探すように刺激するのです。それで確かに実体経済の需要を刺激することはできるし,需要増大の結果としての物価上昇を誘導することはできます。しかし需要と関係なく通貨供給量を一方的に増やして,名目的物価上昇を起こすことはできないのです。
 これは,実務を丁寧に見ただけでも言えることなのですが,その背景として,通貨供給は実体経済の必要に応じて増え,必要がなくなれば収縮するという金融論,マルクス経済学で言えば貨幣・信用論を持っている必要があります。私は,日銀の金融調節について調べている時に,自分がそのような理論を学んでいたことを思い出したのです。それは,副指導教官であった村岡俊三教授から学んだものでした。もちろん,その著作からも学びましたが ,何しろ素養が足りないので読んだだけではわかりません。むしろ,何度か,私に大きなショックを与え,貨幣と信用に対する見方を変えたゼミがあり,それが心に残っていたのです。今回,これを書くにあたって,当時のレジュメやノートを確かめて,詳細を確認してみました。
 まず,前期課程2年の時,1988年7月1日の国家独占資本主義研究会です※2。この日報告を行ったのは,大学院で同期だったH君でした。H君は信用インフレーションを全面的に認める見地から報告を行ったのですが,そこで村岡教授が以下のように疑問を呈しています(当時の手書きノートから再現)。
――
村岡/信用膨張→滞貨一掃。物価上昇→やがては下降。これはインフレではない。景気変動の諸局面でのことだ。下降しないようなものだけをインフレというべきだ。
H/下降する,しないで区別するべきではない。
村岡/しかし,そこで流通外からの購買力を出してくる。だが,景気変動の諸局面でもW-GなきG-Wは出る。せっかくつけた区別がなくならないか?価格標準の切り下げはどこで判別するかが分かってないのでは?
H/確かに。景気循環-好況とインフレの区別がつきにくい。
――
 信用膨張で実体経済が拡大して実質的に物価が上がることと,通貨価値が切り下がって名目的に全般的物価上昇が起こることは違います。信用インフレーション論は,銀行の信用創造が拡大すると,どうして前者だけでなく後者が起こるのかを説明しなければなりません。H君は,この時点ではそれがうまくできませんでした。
 この日の研究会は,どのような場合には流通外からの購買力を投じたことになり,インフレにつながるのかに議論が集中しました。私は初めて,そのことを分析的に考えないとインフレのメカニズムは解明できないのだと知りました。
 残念ながら,H君は大学院を途中でやめてしまい,故郷の北海道に帰って公務員になりました。
 次は,1990年5月30日と7月30日の国際経済論特論・特殊研究 ,端的には大学院の村岡ゼミでした※3。このゼミでは,修士論文作成のために佐藤俊幸さん(現・岐阜経済大学教授)が報告されました。佐藤さんは不換銀行券論争と不換制下でのインフレについて詳しく研究史を報告されました。私はこの時,不換銀行券が返済や預金によって還流する,つまり必要に応じて流通に入り,不要になれば流通外に出る,言い換えると紙幣流通法則でなく貨幣流通法則にしたがうために,思っていたよりもインフレが起きる場合は限られることを知り,衝撃を受けました。
 5月30日のゼミで村岡教授は,単純商品流通を前提として論じられた貨幣流通法則が,信用論の前提の上でどう生きるかについて解説されています(レジュメに書き込んだメモから再現)。まず,単純商品流通の下では蓄蔵貨幣も支払い手段も世界貨幣も金であるが,信用制度の下では蓄蔵貨幣は銀行預金,支払い手段は銀行券,世界貨幣は外貨準備であるとします。そして,大要次のように言われました。
――
村岡/岡橋(保)先生は,銀行券が収縮すると言いながら,蓄蔵貨幣は金だけとするのがおかしい。どこで伸縮するのか。貸し付けた銀行券が返済で発券銀行に戻って来て破棄されるのが蓄蔵だと言われているが,預金で戻ってきたら破棄されないではないか。
(中略)
 フィッシャーに倣ってPTとMVの関係を考えよう(P:物価,T:商品の総量,M:貨幣量,V:貨幣の流通速度)。Vは一定とすると,PTが増えればMが増えねばならず,PTが減ればMも減らねばならない。
 まず単純商品流通を想定した上で,金と紙幣が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。何らかの理由で紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったらどうなるか。紙幣が増価して物価が下がるのか。そうではない。退蔵されている金が流通に出てきて通貨として用いられる。僕は,こう言ったのが岡橋さんの一番良いところだと思う。ここまでは『資本論』の1巻で理解できる。
 では,信用制度の下でならどうか。紙幣と銀行券が流通可能なもとで,必要な流通量が紙幣によってまかなわれているとする。紙幣の発行量が増やせない時,もしPTが大きくなったら,やはり蓄蔵貨幣が流通に出て来なければならない。これが銀行券による貸し付けによって実現される。そして,PTが縮小したら,不要になった銀行券は預金として還流するのだ。これは『資本論』3巻の論理だ。
 インフレの問題は,この後にある。銀行券が流通に滞留するとインフレになる。
――
 村岡教授は,ここで信用制度の下では銀行預金が蓄蔵貨幣に当たり,不換銀行券は流通の必要に応じて貸付によって流通に出ていき,返済または預金によって流通から出るのだと,それはマルクス経済学体系で説明できるのだと述べたのでした※4。
 この日,おそらく時間切れのために討論できずに残ったのは,現在の日本や多くの諸国のように,中央銀行だけが銀行券を発行し,それが通貨になっている場合の蓄蔵貨幣機能でした。しかし,そこについても佐藤さんは重要なことをレジュメに記していました。この場合は,市中銀行の預金すべてではなく市中銀行の支払準備金(市中銀行の現金手許残高+中央銀行への預け金)だけが蓄蔵貨幣に当たるというのです。
 日銀券や預金通貨は,実体経済の必要に応じて,銀行の融資拡大を主要経路として流通に入り(もちろん,銀行が株式や社債を買っても入りますが),不要になれば民間融資の返済,市中銀行による日銀当座預金の積み増し,市中銀行から日銀への融資返済,日銀の売りオペレーションによって流通から出るのです。とりわけ重要なことは,市中銀行が日本銀行に持つ預金は,実体経済の流通に必要な貨幣量に含まれない蓄蔵貨幣だということです。私は,このような関係をようやく理解するに至りました。いや,当時はおぼろげに理解していただけだったと思います。当時は,「そうすると,政府が国債を日銀に引き受けさせない限りは,インフレにならないことになるな」と思ったことを覚えています※5。
 これらの学びの仕上げは,後期課程3年時,1991年7月24日から12月20日まで行われた村岡ゼミでした。我々の理解の浅さに業を煮やしたのか,村岡教授は1991年7月24日から12月20日まで,国際経済論特論・特殊研究として『資本論』3巻5編(第25-31章)の講読を行ってくれました※6。そこでの討論と解説で,手形流通の相殺原理を基礎とした銀行信用論,不換銀行券=信用貨幣説,蓄蔵貨幣を出発点とした銀行論,信用における貸付先行説,産業的流通と金融的流通の区別などを,ようやく概要において理解できたと思います。ノートを見ると,いかにもわかっていない感じの私の質問に対して,先生ががまん強く説明してくれていることがわかります。

 こうして私は貨幣・信用理論を学びましたが,その内容は長い間,研究にも教育にも使われることがなく,頭の中に眠っていました。もっぱら産業論や経営学の研究に没頭しなければならなかったからです。1990年代の終わりから2000年代の初めに,デフレをめぐる論争を眺めていた時にも,過去の学びとはうまく結びつきませんでした。
 ところが,2018年度「日本経済」の講義を準備するために,マネタリーベースを急拡大させてもマネーストックは一向に拡大しないというデータを見ていたときに,大学院ゼミの記憶がよみがえってきたのです。私はこの現象を説明できる。リフレ論のどこがおかしいのかもわかる。これは,あのゼミの話だ,と。
 国独資研と村岡ゼミでの経験は,私が日本経済の講義をすること,アベノミクスを批判的に評価することを可能にしてくれました。ゼミが私を育ててくれたのです。25年以上前のゼミが,私を助けてくれたのです。
 学部ゼミ生の皆さんの多く,また大学院ゼミ生であっても半分以上の人は,公務やビジネスの世界に進まれるのであって,学術研究に専念するわけではありません。けれど,それぞれが異なる形で,何か,ゼミをきっかけに自分のものの見方,考え方が変わり,人生に何かが付け加わるような経験をしてほしい。私はそう思っています。

2019年3月

産業発展論ゼミナール担当教員
川端 望

※1 当時,『マルクス世界市場論』(新評論,1976年)がすでに出版されていましたが,私は怠惰にも読んでおらず,もっぱら前期課程2年の時に出た『世界経済論』(有斐閣,1988年)を読み,わからないところを研究年報『経済学』の論文で補っていました。なぜ,読書の優先度が単行本でなく研究年報に向かっていたのか,いまでもよく思い出せません。
※2 当時,資本論・国家独占資本主義研究会という自主的な研究会がマルクス経済学の教員・院生の参加で開催されていました。学派別の研究会はほかにも多くあったらしく,これらが大学院改革の際に正規の授業である特別演習に引き継がれました。資本論・国独資研究会は「社会経済特別演習」となりました。
※3 当時,大学院の授業は前期課程においては「特論」,後期課程においては「特殊研究」として開講されていました。当時は大学院生が1学年に数人しかいませんでしたので,授業の実態はゼミでした。
※4 これは,「管理通貨制度のもとでは金兌換がなされていないから,流通必要金量概念は必要ない」という主張への反論でもありました。金兌換があろうとなかろうと,流通必要金量の概念があるから,銀行券が流通に入る際の論理を説くことができるのだと言っていたのです。
※5 H君が可能性を追求したように,信用創造がインフレーションにつながる何らかのメカニズムが存在すれば別で,その可否を私はまだ断言できずにいます。しかし,少なくとも,信用膨張による景気過熱とインフレを単純に同一視するのは根拠がないと思います。景気過熱の際は,財・サービスの需要超過によって物価が上昇しつつ,流通に必要な貨幣量が増大しているのです。
※6 私たちより前の世代の学生ならば原書で行ったかもしれませんが,それはもはや無理で,日本語訳を使いました。

<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と『異次元緩和』の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。


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