私はこの問題を考えるにあたり,レイ教授が,しばしば金融資産と実物資産の世界,貨幣の世界と実物の世界の関係に触れていることを手掛かりとしたい。クラウディング・アウトの問題を考える際にも,貨幣(カネ)の世界と実物の世界を分けた上で,その関連を見ることが必要だと思う。つまり,カネのクラウディング・アウト=<財政赤字が利子率を高騰させ,民間の投資を押しのけること>と実物のクラウディング・アウト=<政府が雇用や財購入を増やしたために賃金や物価が騰貴し,労働力や財が他の有効な用途に回らなくなって民間の経済活動を押しのけること>を概念として分けるのである。実物のクラウディング・アウトは端的にインフレーションと呼んでもよいのだが,インフレには様々な原因のものがありうるから,特定の原因によるインフレーションであることをはっきりさせるために,あえて実物のクラウディング・アウトと呼んだ。私の理解では,ニュー・ケインジアンを含む主流派の経済学では,前者は,経済が流動性の罠に陥っていない限りは起こる。しかし,MMTでは前者は決して起こらない。後者については,ニューケインジアンでもMMTでも,労働力や財が財政支出以前に有効に用いられているかどうかに依存して起こったり起こらなかったりする。大きな違いは前者にある。以下,説明しよう。
MMTが説明するように,政府の赤字支出の仕方は1)シンプルなものと2)事前に国債を発行して資金調達した上で行うものの二通りがあるので,レイ教授に従って説明しよう(※5)。話を単純にするため政府は雇用はせず財を買うことにする。まず1)は国庫と中央政府が統合された政府が直接支出する場合だ。政府は単に小切手を切って財を購入する。すると民間企業は購入代金を受け取り,その取り立てを取引銀行に依頼する。銀行は小切手を現金化するので企業の預金は増える。銀行は中央銀行兼国庫にこの小切手を持ち込む。中央銀行兼国庫は銀行の持つ準備預金口座に小切手相当額を振り込む。この場合,民間貯蓄は増えている。銀行の準備金も増えている。したがって,利子率は下落する。「財政赤字の最初の効果は,金利を(上げることではなく)下げることである」(233ページ)。
そんな単純な仮定は信じられないという人のために,実際にアメリカや日本の政府が行っている2)の場合を考えよう。狭義の政府と中央銀行は別の勘定になっており,政府は中央銀行に政府預金を持っている。まず,政府は国債を発行して民間銀行に引き受けてもらう。つまり,銀行は国債を得て,その額面相当額が準備預金から引き落とされて政府預金に払い込まれる。次は1)と同じであって,政府は民間企業から財を買うので,民間企業が取引銀行に持つ預金が増える。取引銀行はその相当額を準備預金として得るが,1)と異なり,政府預金から準備預金への移動によって得る。この場合も,民間貯蓄は増えている。銀行の準備金は,いったん減った後もとの水準にもどっている。したがって,利子率は支出までのタイムラグにおいて上がるかもしれないが,結局は元に戻るだろう。
ここには何の特別な理論も思想もない。MMTはこの点でまったく説明的であり,ただバランスシートを使って金融実務を説明しただけだ。財政赤字はカネのクラウディング・アウト=金利高騰をもたらさないのだ(※6)。
にもかかわらず,クルーグマン氏も,早川氏も,野口氏も,松尾氏も利子率は騰貴すると言う。それはニューケインジアンや,もっと昔からあるアメリカン・ケインジアン(つまりはIS-LM分析)や,たいていの経済学の理論に依拠すれば当然そうなるからだ。財政赤字拡大によって需要は増えるが利子率は騰貴するというのだ。しかし,<標準的なマクロ経済学がそう言っているから正しい>というわけにはいかない。大事なのは,それを覆す事実があるということである。<MMTが金融実務を素直に描写しているのに対して,たいていの経済学はそうではない>ということではないのか。
しかし,もう一度,別の角度から考えよう。ある意味,MMTの方が人々の直観に反するから,受け入れられにくいからだ。つまり,マクロ経済学者でなくても<お金に対する需要が増大したのに,金利が上昇しないのはおかしくないか>という疑問を多くの人が抱くだろう。この疑問に答える必要がある。
ここで大事なのは,金利は準備預金をもとにした短期金融市場(コール市場)の需給によっても動くし,民間経済内部のカネの需給によっても動くということだ。このことを念頭に置きながら考えよう。
1)の場合も2)の場合も,民間経済内部では政府は支出してモノを買っただけなので,利子率には影響がない。一方,1)では準備預金は増加している。だからコール市場では,<お金の供給が増大したので金利は低下する>。2)の場合,準備預金はいったん減って,元に戻る。よってコール市場でも金利は変化しない(短期的に上昇して元に戻るかもしれない)。以上のように説明すれば,貨幣の需給がひっ迫しなかったことがわかるだろう。
それでもなお,直観的に受け入れがたい人もいるかもしれない。だから念のため,<お金に対する需要は増えなかったのか>という角度からもう一度点検しよう。1)について言えば,そもそも政府は,あらかじめ存在するお金を借りていない。手形で物を買うように,自分で発行した債務証書=信用貨幣で物を買っているのだ。しかも,それで民間では預金というお金がかえって増えている。預金が増加したぶんだけ準備預金も増加して利子率は下がる。2)について言えば,確かに政府は現存するお金を借りたのだが,それは準備預金から借りたので,民間預金増に連動して準備預金が増えることとちょうど相殺されるのだ。
どの角度から見ても,財政赤字によってカネのクラウディング・アウトは全く起こらない。この論点については,私はMMTは正しいと思う。
では,たいていの経済学や常識的な直観はどこが誤っているのか。それは,<政府は既に存在するお金を借りて,それを使う>とイメージしているからである。しかし正しくは,<政府は支出することによって新たに通貨を創造する>のである。1)の場合はもちろんそうだ。2)の場合ですら,一見すると銀行の準備預金を引き出して使ったように見えるが,結果としてはずの準備預金は減らず,支出を受けた民間企業の手元では通貨が増えているのだ。支出して通貨を創造したのは1)と同じなのだ。
これはなにもおかしくない。通常のものの売買において,会社は手形を振り出してものを買うことができる。政府は,それをより洗練された形態でやっているに過ぎない。信用貨幣である通貨を発行して,物を買うことができるのだ。確かに債務は増える。しかし,既に存在する貨幣を求めたわけではないので資本市場は需要超過にならず,利子率は騰貴しないのだ。
この点に関しては,MMTと主流派経済学は全く異なっている。もちろん,MMTとニューケインジアンが,当面の財政拡大が望ましいか,望ましくないかで,意見が一致することはあるだろう。それはそれで当然だ。しかし,財政赤字が金利を高騰させるか,させないかという点では根本的に対立することは確認しておかねばならない。そして,私はこの点はMMTの方が正しいと考える。これがこのノートの結論だ。
さて,次の問題はモノのクラウディングアウトだ。カネのクラウディング・アウトが起こらないからと言って,モノのクラウディング・アウトが起こらないとは限らない。政府は通貨=カネを作って支出できるが,同時にモノを作り出すわけではないからだ。この点に考察を進めねばならない。
また,このノートからは別の論点も派生する。<政府は通貨を創造して,それで支出する>のであれば,そもそも赤字であろうと黒字であろうと<政府は,既に存在するお金を使って支出するのではない>ことになる。それは,租税とは支出の財源ではないということを意味する。これは大多数の人の直観に反することだが,まさにMMTはそう主張しているのだ。こちらについては,また別途考察する必要がある。
※1 Paul Krugman, What’s Wrong With Functional Finance? (Wonkish): The doctrine behind MMT was smart but not completely right, The New York Time, Feb. 12, 2019.
Brad Delongによる要約の抄訳あり。optical_frog抄訳「ブラッド・デロング「クルーグマン:機能的ファイナンスのどこが問題か」(2019年2月14日)」経済学101,2019年2月17日。
※2 Stephanie Kelton, Modern Monetary Theory Is Not a Recipe for Doom: There are no inherent tradeoffs between fiscal and monetary policy, Bloomberg Opinion, Feb. 21, 2019.
邦訳あり。erickqchan訳「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」道草,2019年3月20日。
※3 早川英男「MMT(現代貨幣理論):その読解と批判」富士通総研,2019年7月1日。
※4 野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(4)─クラウド・アウトが起きない世界の秘密」Newsweek, 2019年8月8日。
※5 レイ『MMT』の叙述では,ここでの1)のケースはケース1b①として描写されている。図解は200ページ参照。2)のケースはケース3②③④として描写されている。図解は202-203ページ参照。ここでは議論が入り組むことを避けるために,1)のケースで事後に統合政府が国債を売却するプロセスを省いた。
※6 松尾教授は『MMT』の巻末解説で2)の場合について「クルーグマンの言うとおり,金利が元の水準よりも上がって当然だろう」(531ページ)と指摘されるが,どういう因果関係でそうなるのか,私には理解できない。なお,この解説は独立した記事としてネット公開された。
松尾匡「MMTの命題が「異端」でなく「常識」である理由:「まともな」経済学者は誰でも認める知的常識」東洋経済ONLINE,2019年9月6日。
<前稿>
「L.ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。
<続稿>
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。
※2024年11月23日追記
本稿の見地は修正を要する。「カネのクラウディング・アウト効果はない」という主張は,1)一般論として主張するのは誤っている。2)超過準備が一定以上存在する下では妥当する。3)中央銀行が政府と協調して金利を低め誘導するという条件下でも妥当する。このように,一定の条件の下で妥当するとすべきであった。詳しくは以下を参照。
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