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2021年2月10日水曜日

「休業手当」とそれが受け取れない労働者への「休業支援金・給付金」という方式について

 現在国会では,これまで中小企業の労働者のみを対象としていた休業支援金・給付金を大企業の非正規労働者に拡大する件が議論されている。緊急措置としてこの拡大を行い,支給時期もできる限りさかのぼる方がよいと思う。しかし,この問題の背後には,かなり根の深い問題があることも考えておかねばならない。つまり,どうして「休業手当」と「休業支援金・給付金」という二重の手立てが必要になるかということだ。

 新型コロナに対応する政府の雇用政策の基本ツールは雇用調整助成金である。これは,企業が労働者を休業させ,休業手当を支給した場合,事後にその負担の一定割合(最大100%)を政府が補填する制度である。これにより休業した労働者と休業させた企業を支援するとともに,解雇を防止するものだ。

 しかし,休業手当は,ほんらい「使用者の責に帰すべき事由」による休業についてのみ支給される。不可抗力による休業の場合,企業には支給する義務はない。では,新型コロナウイルス対策で政府・自治体の要請を受けて営業を縮小し,それに伴って労働者を休業させた場合はどうかというと,支給義務があるかないかは明確ではなく,ケースバイケースなのでである。しかし,これで休業手当を支払わない企業ばかりになっては,到底対策の実効性がない。そのため現在は「労働基準法上の休業手当の要否にかかわらず、経済上の理由により事業活動の縮小を余儀なくされた事業主に対しては、雇用調整助成金が、事業主が支払った休業手当の額に応じて支払われます」(厚労省Q&A)という措置が取られている。しかし,これは経済的に苦しくなった企業が休業手当を支給すれば補填しますよ,ということであり,やはり休業手当支給を義務づけるものではない。

 このように企業に対する休業手当支給への動機付けが弱く,かつ雇用調整助成金の手続きが複雑であること,さらに事後的補填であるため一時的には現金流出が生じることから中小企業には負担が重く,結果として休業手当を支給しない企業も相当あると報じられている。これが労働者の減収を招いている。

 これをカバーするために,中小企業労働者を対象として政府から直接支給されるのが,昨年整備された休業支援金・給付金である。中小企業の中には,休業手当を支給しないケースが多いこと,それは自体はやむを得ないことと認めて,この補完措置を取ったのである。

 今回の支給対象拡大問題は,休業手当不支給が,非正規に対する差別や経営者の認識不足によって先鋭化したために生じたものと言える。経営者がシフト勤務のパートタイマー/アルバイトのシフトを減らした場合について,休業に当たることを認識せず,休業手当を支給していない場合が多々あることが判明したのである。休業手当を正規のみ,あるいは労働日が明確な労働者のみに支給し,シフトが減少したシフト勤務労働者に支給しないことは差別的取り扱いであり,違法の疑いが濃い。しかし,この違法をすべて取り締まることの困難から,今回,大企業のシフト制非正規労働者(シフト制,日々雇用,登録型派遣)に対しても休業支援金・給付金を支給する政府方針が出されたのである。これはこれで改善であるが,野党が要求するようにできるだけさかのぼって支給対象とすべきであろう。また,差別的不支給は労働監督行政の強化によってなくしていくべきだろう。

 しかし,そもそもの制度としての問題は残るように思う。休業による減収に対する支援措置は,1)まず企業による休業手当と政府によるその補填,2)それでカバーできない部分は政府からの直接支給という二段構えになっている。しかし,休業手当は上述したように,そもそも企業の責による休業について支払うものであるから,コロナウイルス感染症流行という,企業の責任と言えない事態に直面しての休業・減収を補償する措置としてなじむものではない。この観点からすれば,初めから政府による直接支給で労働者を支援すべきとした方が,考え方は整合するようにも見える。具体的には,激甚災害の際に用いられている雇用保険の「みなし失業」という考え方を用い,休業状態でも失業給付を受け取れるようにすべきであったのかもしれない。この方式は昨年4月に「生存のためのコロナ対策ネットワーク」という団体が提案していたが,実現していない。コロナ禍が激甚災害とは異なるということだろう。しかし,労働者の生活支援としては,この方が整合性があり,手続きも簡素であったかもしれない。

 今後の政策改善に向けては,企業による休業手当支給とその政府による補填という方式の限界について注意しながら,進めるべきだろう。


2020年10月10日土曜日

ジョブ型は「解雇自由」ではない。職務の存続と正常な遂行を雇用存続の根拠としている

 濱口桂一郎氏が怒りつつ呆れつつ書かれているように,「ジョブ型は解雇自由」というのは間違いである。しかし,日本でジョブ型について説明していくとそのように理解されやすいことも事実で,私の一昨年度と昨年度の「日本経済」講義でも学生にもその傾向があった。

 これを防ぐには,雇用存続の根拠をメンバーシップ型とジョブ型とでニュートラルに対比して説明し,ジョブ型には雇用存続根拠が強い面もあることをはっきりと言わねばならない。今年度の講義ではその点を補強したところ,誤解はほぼなくなった。

 メンバーシップ型の雇用存続の根拠とは,当該労働者が「会社にとって重要な一員と認められている」ことであり,ジョブ型の場合は「現に就いている職務が存続し,それを職務記述書の求める水準で遂行できていること」である。

 経営再編で職務自体が消滅する時に,その職に就いていた労働者を解雇することは,メンバーシップ型雇用の方が不当とされやすく,ジョブ型雇用の方が正当化されやすい。しかし,現存する職務はこれからも存続し,正常にそれを遂行している労働者を,会社にとって都合が悪い,例えば正常に仕事はしているが長期勤続で賃金が高いという理由で解雇し,別の人にとりかえるのは,メンバーシップ型雇用の方が正当化されやすく,ジョブ型雇用の方が不当となりやすいのである。

 だからジョブ型雇用=解雇自由というのはまちがいである。上司が説明なく「こいつは解雇。以上」というのは,ジョブ型においても不当なのである。 

 にもかかわらず,ジョブ型が解雇自由だと日本人が思い込みやすいのは,一つにはジョブ型の原理とアメリカという解雇自由な個別例を混同しており,またジョブ型の原理と日本の非正規への差別的待遇を混同しているからだろう。また,ジョブ型の方が解雇しやすそう,されやすそうに見えるのは,メンバーシップ型において正社員を解雇すること=仲間とされている人を切ることへの倫理的うしろめたさが日本社会にまだ残っているからでもある。ジョブ型になればその後ろめたさがなくなる。そこだけを捉えて,古い規範がなくなったら会社がやりたい放題になるのではないかと,それを望む人も,批判する人も予感するのだろう。確かに制度の移行期には力関係が物事を支配しやすい。しかし,古い制度・慣行を壊すときに新しいものを打ち立てようとせず,想定していては,経営側からも労働側からもよい改革はできないだろう。そのような想像力の貧困さこそが,克服すべき問題ではないか。

「ジョブ型は解雇自由だと、批判したい人が宣伝してしまっている件について」hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳),2020年9月28日。



2020年9月22日火曜日

経団連提言「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」への所感

 経団連提言「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」が述べているのは,要するに公費でICT教育基盤を整備しろという事である。そのこと自体は全く正しいと思う。この文書に書かれている内容については大いに支持したい。

 しかし,経団連は,会員たる日本企業の雇用慣行が教育格差を不当に広げていることを,もっと自覚すべきである。すなわち,非正規労働者に正規労働者とは別の処遇体系を設け,しかも職務価値に見合った給与ではなく家計補助水準の給与しか払わないという差別的処遇である。そして,中高年になってからの再就職,とくに女性のそれにおいて非正規の職しか入職機会を提供しないという機会制限である。非正規の給与で子どもを養わざるを得ない家庭が,教育環境を確保できずに苦しんでいるのだ。この差別的処遇と機会制限を改める努力が必要だ。そうでないと,バケツの底に穴を開けながら,そこに水をそそげと言うようなものである。

日本経済団体連合会イノベーション委員会「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」2020年9月18日。

2020年9月16日水曜日

「財政赤字になってもいい」は背景に過ぎない。「インフレとバブルを起こさないように失業をなくせ」がMMTのコアである

  今後,失業の問題が厳しくなると思います。その際,再度MMTの妥当性が問われる事態になると思うので,ここで頭出しとして私の理解を述べておきます。解釈を明示することがポイントなので厳密な表現ではないかもしれませんがご容赦ください。

 日本のMMT論者の中には,財政拡張を用途を問わない打ち出の小づちのようにみなす人がいるのは事実です。しかし,私がL.ランダル・レイの『MMT 現代貨幣理論』を読んだ限り,「財政赤字になってもいい」はMMTの主張の背景であって主張のコアではありません。MMTは本来インフレとバブルを非常に警戒した理論であり,そのニュアンスは「赤字になってもいいがインフレとバブルを起こすな」の「インフレとバブルを起こすな」の方にあるのです。

 このインフレへの警戒は,(高齢の方ならご記憶と思いますが)1970年代にいくら財政刺激をしても乗数効果も加速度効果も効かず,インフレになるばかりで効果がなかったというジレンマを念頭に置いています。この時,先進国のマクロ経済政策論が引き出した教訓は,「呼び水による高成長などもう無理だ。インフレになる」でした。そこまでは共通です。分かれるのはこの先です。世間の主流が,当時マネタリストが唱えた,財政赤字が悪い。失業は民間活力で防ぎ,政府は財政でなく金融政策で調整しようという方向であったことは,よく知られている通りです。対して,MMTが目指したのは,「赤字はいいがインフレになる支出の仕方が悪い。最低賃金レベルの大規模政府雇用で失業を失くし,科学研究や環境対策など外部性をカバーする事業をせよ」でした。

 MMTは,確かに貨幣・信用理論として「自国通貨建て財政赤字はそれ自体は問題ではない」としているし,ケインジアンとともに「財政赤字をある程度出さないと完全雇用は達成できない」と考えています。しかし,それは背景であって,コアな主張はそこではない。そして,赤字による呼び水的公共事業には本来懐疑的なのです(レイははっきりそう言っている)。コアな主張は日本の政策用語で言えば「大規模失業対策事業」なのです。

 私は,賛否の前に,MMTを先ずこのように理解すべきだと思います。レイ以外の議論を確認できてないのですが,たぶんまちがいではない。そして,このように理解した上で,批判すべきだと思います。私自身も,MMTの貨幣・信用論を受け入れましたし,政府雇用拡大には大いに意義があると思います。しかし,その運営は容易でないと予想しています。この論点は,今後,現実の雇用政策を考える上でリアルなものとして浮上する可能性があると思います。

 今までSNSでも講義でもこの話をあまりしなかったのは,MMTの論文を多数読んで裏取りする時間が取れないこともありましたが,日本には「全部雇用」という特有の条件があるために,直接適用しにくかったからです。日本は専業主婦と自営業の比率の高さのため,これまで不況でも失業率が低かった。そのため,格差や貧困や低処遇雇用の問題は,「失業率が高いからだ」という論点に収斂せず,解決策も「雇用をつくれ」が中心にならなかった。近年は,雇用は増えて失業率は極小化したにもかかわらず,非正規労働者が増え,その収入では家計を支えられないということが問題になっていました。この場合,政府雇用は解決になりにくいので,持ち出さなかったのです。

 しかしコロナ危機で,今のところ雇用調整助成金で抑えられている失業率が,今後上昇するおそれがあります。その時には雇用創造が政策的論点として正面に出ざるを得ません。公的機関が直接雇用を増やすべきかどうかも問題になるでしょう。それに際して,MMTの本来の主張を確認しておくことが必要になると思ったのです。


2020年8月28日金曜日

雇用調整助成金の限界とその「次の一手」について考えなければ

 雇用調整助成金の特例措置期限が,9月末から12月末に延長される見通し。失業を防止する効果があるのでとりあえずは望ましいのだが,問題はいつまで雇用対策をこの制度に頼れるかだ。

 雇用調整助成金は,従業員に休業手当を支払った企業に支給されるものだ。つまりは,不況で操業度を落とさざるを得ない企業に対して,従業員を解雇せずに休業させるならば賃金(休業手当)の一部を助成しようというものだ。この制度は,当該企業にとっての活動水準低下が一時的であってやがて回復するならば,労働者にも企業にも社会全体にもプラスの効果が期待できる。労働者にとっては失業しなくてすむし,企業にとっては技能のある労働者を失わなくてすむからだ。社会全体としても,一時的な不況の際に失業率を上昇させずに済む。

 問題は,活動水準低下が一時的でない場合である。これには2種類あって,一つはマクロ的な需要低下が長引き,経済全体が不況からなかなか脱出できない場合,もう一つは産業構造が転換し,他の企業は成長しているが当該企業の活動水準が回復しない場合だ。このような状況が見通されてくると,雇用調整助成金は,企業にとっての効果が薄れる。つまり,不況から脱出した際に労働者を呼び戻して働いてもらう動機がなくなるからだ。また,社会的にも不合理になってくる。前者の不況自体が長引く場合,失業対策の基本は需要拡大策に置かねばならず,いつまでも企業に労働者の抱え込みを促すわけにはいかない。また後者の産業構造転換の場合,需要が拡大している分野への労働移動を促さないと,成長分野では人手不足,衰退分野では雇用抱え込みということになり,労働市場が機能しなくなる。

 コロナ危機の問題は,この不況長期化と産業構造転換が両方とも生じそうだという事であることである。そうすると,やがて雇用調整助成金では対処できなくなる。その時にどうするのか。

 単純に考えれば方策は三つである。一つは,需要拡大による雇用創出だ。これを感染拡大防止と両立する形で行わねばならない。二番目は,やがて失業が増えることを踏まえて,失業給付と職業訓練への助成を手厚くすることだ。つまり,失業する人が出ることを前提とした上で,生活を支え再就職を支援するのだ。三番目は,「失業なき労働移動」を促すことだ。

 実は,安倍政権は当初は三番目の路線を狙っていた。そのために,労働移動支援助成金を拡充しようとして2014年度から予算も大幅に増額していた。この制度は,事業規模の縮小等に伴い離職を余儀なくされる労働者がいることを前提に,その再就職を援助する措置等を講じた企業に助成金を支給するものだ。雇用調整助成金より支給額を多くするという目標まで立てられた。

 しかし,労働移動支援助成金は,ほとんど意図通りに機能していない。まず単純に考えて企業の側にインセンティブがない。整理解雇や早期退職だけをするのでなく訓練してあげようという善意がある場合,あるいは整理解雇すると紛争になるのを恐れてこの制度を用いざるを得ない場合と言う,規範的動機にたよって利用してもらうものである。そこが雇用調整助成金と異なる。インセンティブがあったのはモラル・ハザード的な利用であった。つまり,人員削減を余儀なくされたからこの制度を用いるのではなく,この制度を梃子にし,職業紹介会社と組んで人員削減を進めようという企業が出てきた。その危険を受けて,2016年度から抜け穴を防ぐ措置が取られたが,その結果,もともとの使い甲斐のなさにより利用されなくなっている。

 安倍政権は成立当初,「失業防止」から「失業なき労働移動」に舵を切ろうとしていた。ところが労働移動支援助成金が機能せずに暗礁に乗り上げていた。そこにコロナ危機に襲われ,雇用調整助成金による「失業防止」に頼らざるを得なくなった。これが現在の局面なのである。そして,安倍政権は終焉を迎えることが本日確定的になった。

 今後,一定数の企業で一定の労働者が離職を余儀なくされることは避けられない。しかし,おそらく労働移動支援助成金は機能しない。政府は現在,次の手を持っていないのだ。

 不況自体が長引けば,感染防止策と両立するような雇用創出策が必要になる。産業構造転換が強く作用するのであれば,「失業なき労働移動」のための新たな政策開発が早急に求められる。それが無理ならば,最低限,常識的な措置として失業給付と職業訓練への公的助成を手あつくすることが必要だろう。いずれにせよ,雇用調整助成金の「次の一手」の研究は急務である。

2020年8月21日金曜日

教育基本法第9条2項の規定を教員の解雇を制限する根拠とした奈良地裁判決

 田中圭太郎「奈良学園大学、学部再編失敗し教員大量解雇…無効判決で1億円超支払い命令、復職を拒否」Business Journal,2020年8月16日。

 ・この報道の通りだとすれば,教育基本法第9条2項の規定を教員の解雇を制限する根拠とした点で重要な判決と思う。

・ただ,専任教員と再雇用教員で判決が異なった理由はよく検討する必要があると思う。職責の区分ならばあり得るが,正規・非正規の身分差によるのであれば問題が残る。

・私学の理事会であれ国公立の理事会であれ,「ガバナンス改革」と称して裁量的経営を推進するのは経営学のイロハを知らない所業である。確かに経営者には一定の権限が必要だ。しかし,経営者は組織の主権者ではない。だから営利企業でも,株主主権なのか利害関係者統治なのかが問題になる。大学においても,経営者の経営裁量を誰がどうチェックすべきか問われねばならない。教員という専門家集団によるチェックは,依然として必要である。

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教育基本法

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。


2020年6月22日月曜日

ジョブ型雇用を妨げているのは労働時間管理ではない:『日経』の記事について

本日の『日経』1面(有料記事だが登録すると月10本無料で読める)「ジョブ型」労働規制が壁」(林英樹記者)

 たいへん申しにくいが,「働き方改革」について,ここ2,3年の『日経』本紙の記事はおかしい。別にリベラルや左派でないから悪いとか言っているのではない。制度の理解があさっての方向に外れている。しかもそういう記事がしばしば1面に載っている。

 「ジョブ型雇用」を「企業が職務内容を明確にして」処遇するというのはいいが,「成果で社員を処遇する」が余計である。ジョブ型かメンバーシップ型かは成果主義かどうかとは関係ない。仕事内容をマニュアル化して,これをやったら時給いくらだよという単純な時間給アルバイト雇用もジョブ型である。そのポイントは成果主義ではなく,「誰がやっても同じ賃金」ということであり,年齢,勤続,学歴,正社員か否か,いわんや性別に一切無関係に支払われるということだ。ジョブ型かつ成果給だと「誰が挙げても成果は成果」となる。そのポイントも「誰があげたのかは関係ない」という匿名性であって,労働時間とはまた別のことだ。

 次に,「成果より働いた時間に重点を置く日本ならではの規制」というのもおかしい。先進国や発達した新興国で,労働時間規制がない国などないし,日本が無闇に厳しいわけでもない。
 確かに時間管理が難しい仕事はある。冒頭に出てくるIT企業に勤める女性が「パソコンやスマートフォンの操作履歴を会社に把握され,午後5時の就業後にメール1本遅れなくなった」は,テレワークで課題になる,働いたり休んだりが細切れになり,夕方以後にも発生する場合への対処である。しかし,これは新たな時間管理方式が必要だということであって,時間管理をなくすべきだということではない。時間管理がない状態では,企業側は遠慮会釈なくノルマを課せるので,長時間労働はひどくなるだろう(学生さんのための例示をすると,オンライン講義において,総勉強時間の管理がない下で課題を出され放題の学生のような状態だ)。

 あらゆる職種に高度プロフェッショナル制や裁量労働制を導入しろというのも,制度をはき違えている。高プロや裁量労働制のポイントは「プロフェッショナル」と「裁量」であり,その意味は指示・命令がそぐわない仕事ということである。だから,時間を含めて自分で働き方を決めた方がいいということだ。それにふさわしい仕事には導入したらよかろう(本学の教員は専門業務型裁量労働制であり,私はそれでいいと思っている)。指示・命令により労働者を拘束して働かせる仕事は,たとえ「時間と成果が比例しない」にしても,拘束して働かせたことに対価を払わねばならず,拘束を過剰にして労働者の健康を損なってはならない。指示・命令を受ける仕事に高プロや裁量労働制を導入したら,長時間労働はひどくなる一方だ。現に裁量労働制なのに出勤時間があり,遅刻すると処罰される不適切制度も横行している。

 テレワーク下での労働時間管理は確かに難しく,改革しなければならない。成果主義がふさわしい仕事に成果給を導入して給料を上積みし,裁量的な仕事には裁量労働制を導入して自由裁量で働けるようにする必要はあるだろう。しかし,何もかも労働時間管理のせいにしてそれをなくしてしまうのでは,筆者が労基法のせいにしている「長時間労働を美徳とする企業文化」はますますひどくなるだろう。


2020年5月19日火曜日

国家公務員の定年延長法案:「年齢を唯一の理由に給料を下げる」ことの問題

 検察官及び国家公務員全般の定年延長の件。検察官について,個々の検事正の定年を内閣の裁量で延長するのは露骨な利益誘導であって反対だ。しかし,その議論は他の方に任せる。当方の講義内容との関係では,国家公務員の定年延長自体が,実は困難な問題を発生させる。濱口桂一郎氏も指摘されているが,ここで私の言葉で述べる。

 国家公務員法改正案の定年延長規定は,現在の日本社会の制度・慣行に適応したものであり,民間大企業の定年延長と類似したものになっている。つまり,1)定年を段階的に65歳まで引き上げ,2)役職は60歳で終了とし,3)60歳以降は俸給を7割に引き下げるのである。大きな問題は3)だ。

 どこが問題なのかというと,「年齢で給料を決めます」と法律が宣言することになるからだ。このことは,今後の日本経済における高齢者の活躍について,当面はプラスとなっても長い目で見るとブレーキをかけることになる。

 人口減少・高齢社会においては,政権が右であれ左であれ高齢者が条件に応じて,公平な処遇の下で働けるようにする以外にない。しかし,「定年までは年齢とともに賃金がまず上がり,それから下がる。定年以後は非正規」という年功賃金慣行はそれと矛盾する。

 仕事内容が変わって軽めの労働になるなら分かる。役職勇退で役職手当がなくなるのは当たり前だろう。しかし,民間企業では雇用延長や再雇用,定年延長において,従来と類似の仕事をしていても,「雇用延長だから,再雇用だから,定年延長期間だから」という理由で給料を下げることが一般的に行われている。これはメンバーシップ型雇用慣行の「家族を支える稼ぎ手にふさわしい賃金カーブを,組織にとって大切な人に設定する」という考えに即しているからだ。高齢で子どもが就職しており,メンバーシップの弱い人には低い賃金でよいだろうとなるからだ。

 しかし,この想定に合わない人が実際には「稼ぎ手」になるケースが増えているのが日本社会の現実である。その大きな集団の一つが待遇が平均的に低い女性であり,もう一つが高齢者である。高齢者が働いて,自分自身や時には家族を支えねばならないのである。そうした高齢者にとっては,同一労働での賃金切り下げや非正規への切り替えというのは,不当な非正規搾取の制度である。

 この新しい条件に対応するには,高齢者雇用をジョブ型に切り替えて,誰がやっているかに関係のない,職務の価値に即した同一労働同一賃金を設定するしかない。そうしなければ,働いても暮らしていけない高齢者が増えるだろう。

 ところが,まさにそのようなときに,国家公務員法が「60歳を過ぎると,年齢を唯一の理由にして給料は下がる」ことを正当化するのである。これは民間における訴訟での裁判所の判断などにも影響するだろう。古い制度を延長すれば,古い制度を前提とする限り合理性は増す。だが,改革はいっそう困難になる。多少のことでは解決しそうにない。

濱口桂一郎「メンバーシップ型公務員制度をそのままにした弥縫策としての改正案」hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳),2020年5月10日。



2020年4月9日木曜日

会社には内定者を自殺に追い込む権利などない

正式に労働者となっていないものに内定者研修をタダ働きで強要するのは労働法制に違反しないのか。指揮権の下にない人間にどうして「毎日サイトに書き込め」と命令できるのか。会社の業務に関係ない部分まで自己開示する必要がどうしてあるのか。必要な仕事ができればよいはずなのに,どうして血みどろになる必要があるのか。終業時刻を超えて終電まで話し込むことを強要してよいのか。百歩譲ってそれが自発的行為だとしても,正規業務でない以上,終電まで話し込む労働者を高く評価し,そうしない労働者を低く評価することは不適切ではないのか。
 かくも不適切な管理を,まだ正式に労働者となっていない内定者に強要して自殺に追い込む権利が,パナソニック産機システムズとかいう会社にはあるのか。

岡林佐和・吉田貴司「内定者にSNSで「辞退して。邪魔です」 入社前に自殺」朝日新聞デジタル,2020年4月9日。

2020年4月8日水曜日

日本でもできる外出抑制の強い措置:危険な出勤をさせることを,労働契約法上の安全配慮義務違反として禁止せよ

日本の法制でもできる,外出抑制のための強い措置はある。
「使用者が労働者に危険な出勤をさせることは,労働契約法上の安全配慮義務違反である」
という行政解釈を,政府が出すことだ。これで出勤する人は減らせる。法解釈として,それほど無茶なことではないと思う。ぜひ政府にやって欲しいし,政府がやらないならば,野党が国会で政府を追及して実行を迫って欲しい。
 少し具体的に言う。「風邪症状のある人を出勤させる人」は,確定診断を受けていない軽症者・無症状者が多いと考えられる現状では,新型コロナウイルスを拡散させる恐れのある行為である。また現状では,緊急事態宣言の対象と重なるとみなせる「感染拡大警戒地域」では「10人以上の集会,イベント」,また「感染確認地域」では「50人以上の集会,イベント」(※)相当の行為を強制するような通勤環境,職場環境に労働者を置くことは,感染を拡大させる行為である。したがって,これらをすべて安全配慮義務違反とすべきである。
※地域と人数の対応はいずれも4/1専門家会議の分析・提言による。

2020年3月27日金曜日

コロナ経済危機に対する実物経済面での経済対策メモ

コロナ経済危機に対する実物経済面での経済対策メモ。金融危機回避策はまた別。随時改訂。講義でも話すこと。

 この危機に立ち向かう上では,1)緊急に必要な,数日から数か月程度で実行されるべき政策と,2)景気を浮揚させるもう少し長いスパンの政策を区別する必要がある。

 1)の緊急対策の目的は,生活と営業を守り,雇用を守ることに尽きる。「需要」の規模は重要だが,必ず生活,営業,雇用に沿って行わねばならない。無関係なところでは,むやみに需要を刺激すべきでない。また,緊急対策はコロナウイルス感染症の流行下で行われる。感染症対策を妨げず促進すること,感染症への国民の不安を和らげることも需要な条件となる。

 2)では総需要と総供給の関係が問題になる。需要不足を防ぐと同時に,供給制約が現れてくることに注意しなければならない。

 ここでは1)についてコメントする。

 1)緊急に必要なのは,a)「企業の資金ショートの防止」,b)「家計の所得低下の防止」とc)「失業の防止」,d)「失業の救済」とe)「低所得者の生活維持」である。「企業の売上支援」は,1)の段階では目的にすべきではなく,b)c)d)e)の結果として実現するようにすべきだ。

 規模的に大盤振る舞いすべきであるが,抽象的に「需要増のための総額」を大盤振る舞いするだけでは不十分だ。b)c)d)e)によって,国民・住民の不安を緩和することができる。

・a)c)のため,流動性は無制限供給しなければならない。無担保・無保証・無利子融資を拡大する。後でゾンビ企業化するという懸念は,1)の段階で考えることではない。

・b)とe)のためには,現金給付も効果はある。やるなら10万円以上の規模で行うべきである。ただし,一時金をもらったところで,失業したり,今後数年間所得が低下するかもないという時には,不安は払しょくできない。何より失業しないことが肝心だ。b)にはもっと強力な対策が必要であり,さらにc)d)も必要だ。失業防止というマクロ経済政策の基本視点を忘れ,現金を配れば万能であるかのように語ることは適切でない。なお,貯蓄に回ることを防止するために商品券にすべきだという議論があるが,意味がない。貯蓄できる家計は,商品券を用いた分だけ現金を貯蓄に回すだろうからだ。また,国民の不安緩和という目的に対しては,現金と商品券では効果は段違いである。

・b)e)のために公共料金の緊急減免も効果がある。

・b)のためには,学校休校の影響で休業する人だけでなく,風邪程度の症状で休むすべての人と,そうした家族・同居人を看護するすべての人のための実質有給休暇の保障が必要だ。ただ,中小企業の経済的苦境にも配慮しなければならない。政府機関や独法には風邪症状で休める有給休暇を直ちに導入する(すでにかなり実施されているのはよい)。企業には,一時措置として同様の有給休暇を義務づけた上で,その負担は政府が全面的に企業を補填するそちをとる。あるいは無給休暇を義務づけた上で,事後的に労働者に減収分を全額給付する。いずれも技術的には企業の休暇記録と賃金台帳で簡単にできる。上記の実効性を確保するとともに,感染症対策に寄与するため,風邪症状のある労働者を出勤させることは労働契約法上の安全配慮義務違反であることを明示する。

・b) では個人事業主・フリーランスの所得補償も必要になる。水準の算定は要検討だが,課税証明から前年並みとするか,業種ごとに相場を決めるか,より一律の金額にするなどがありうる。

・b)e)のため,生活保護要件の緊急緩和と審査の迅速化を行う。中長期のモラル・ハザードを気にしている場合ではない。

・c)のため,雇用調整給付金の支給要件緩和をしているのは,緊急措置としては適切だ。長い目で見ると日本的雇用慣行の歪みを維持してしまう効果を持つが,この際,やむを得ない。

・d)失業給付の拡充が必要。モラル・ハザードを気にしている状況ではない。失業給付を拡充すると雇用主が安易に解雇しないかという疑問がありうるが,危機の時は問題にならない。失業給付の水準など考慮する余裕もなく解雇したり,倒産したりするからだ。

・b)e)を補強するため,法技術的に緊急に可能ならば消費税の一時減税が望ましい。緊急に軽減税率を全財・サービスに適用して5%とする。また,所得税についても,中低所得層を減税するか,マイナスの税額控除を導入して低所得層を支援することが考えられる。ただし,時間が不可避的にかかる措置は2)にまわす。

・a)について,イベント自粛や飲食需要停滞による損失に対しては一時金で支援する。1)の段階では,まちがっても,外食や旅行を促す商品券など配布してはならないし,高速道路を無料になどしてはならない(生活必需品を輸送する業者にはしてもよい)。それは密閉,密集,密接会話を避けよという感染症対策に正面から反する破滅的政策だ。2)の段階で検討すればよい。

・a)d)について,企業の売り上げと雇用をつくりだす需要刺激は,感染症対策と整合するように選別的に行うべきであり,感染症対策,医療体制の強化,病院以外の療養施設の緊急整備,国民の自宅療養支援(生活支援物資調達と宅配手配),テレワーク・遠隔授業の財政支援,宅配業者での雇用促進などがある。公共事業全般を拡大することは,1)の段階では適切でなく,内容によっては感染症対策に逆行する。

・中長期的に2)の段階では,サプライ・チェーンも傷んでいる現状ゆえに,景気対策の方法を誤るとボトルネックが発生してインフレが生じる恐れがある。しかし,これは2)の課題であるし,1)の国民生活防衛のところでは短期的には問題にならない。現時点では,国民の生活必需品の需要が延びてもすぐに物価が上昇する恐れは小さいし,多少上昇しても国民生活防衛のための給付をためらうべきでない。

2020年2月14日金曜日

日本製鉄の設備集約について

日本製鉄は厳しい設備集約に乗り出した(※1)。高炉を一度に4基も休止するのは1980年代の円高不況期以来のことではないか。対象となる製鉄所の製銑・製鋼設備を見ておくと以下の通り。*が休止する設備。確かに稼働率が悪いことがわかる。
 日鉄和歌山製鉄所について追加コメントすると,この製鉄所は製鋼工程以降は大きくはビレット連鋳→継目無鋼管造管と,スラブ連鋳→他の製鉄所へ供給,中鴻鋼鉄(台湾)に外販,というルートに分かれる。今回,第1高炉を休止すると生産量は半分になるわけだが,どちらの生産量を減らすかという問題がある。スラブ連続鋳造機を1ストランド休止するということなので,おそらくスラブを中国鋼鉄に外販する部分を減らすのではないか。
 2000年代前半にホット・ストリップ・ミルを閉鎖し,スラブは中国鋼鉄(台湾)グループの中鴻鋼鉄に外販する契約を結んでいた。あわせて,高炉を持株会社東アジア連合鋼鉄の下に移し,そこに中国鋼鉄が出資する形としていた(※2)。ところが2018年に高炉は新日鉄住金に統合され,中国鋼鉄は東アジア連合鋼鉄の持ち株比率を30%から20%に縮小するという報道がある(※3)。和歌山からスラブを台湾に送るスキームを縮小するのではないだろうか。
 呉製鉄所については,関連会社を含めて3300人の雇用が影響を受ける(※4)。日本の高炉メーカーは,ある時期までは各社単独での「終身雇用」維持を図ったが,1980年代は出向先,1994年代は転籍先を含む「継続雇用」は守るという姿勢に変わり,労働組合もそれに合意して来た(※5)。しかし,一貫製鉄所を丸ごと閉鎖するというのは,地域当たりで見ればこれまでにない大掛かりな設備縮小である。はたしてこれまでの雇用政策で臨むことができるのだろうか。そして,会社との協調姿勢を保ってきた労働組合はどうするのだろうか。

日鉄日新製鋼呉製鉄所
*第1高炉2650m3(1995年4月改修稼働)
*第2高炉2080m3(2003年11月改修稼働)

*転炉90t(1965年4月稼働)
*転炉90t(1966年11月稼働)
*転炉185t(1979年12月稼働)

生産能力推計:銑鉄345万トン(出銑比2,365日操業)。粗鋼383万トン(銑鉄比90%)

粗鋼生産実績()内は推定稼働率
2018年度279万トン(73%)
2017年度248万トン(65%)
2016年度360万トン(94%)

日本製鉄和歌山製鉄所
*第1高炉3700m3(2009年7月稼働)
第2高炉3700m3(2019年2月稼働)

転炉260t
転炉260t
転炉260t
電炉80t

生産能力推計:銑鉄540万トン,粗鋼652万トン(転炉の銑鉄比90%,電炉はスクラップ100%,1日25チャージ,261日操業とした)。

粗鋼生産実績
2018年度432万トン(66%)
2017年度456万トン(70%)
2016年度446万トン(68%)

日本製鉄八幡製鉄所(小倉地区)
*第2高炉2150m3(2002年4月改修稼働)

*転炉70t
*転炉70t
*転炉70t
*転炉70t

生産能力推計:銑鉄157万トン,粗鋼174万トン

粗鋼生産実績
2018年度118万トン(68%)
2017年度120万トン(69%)
2016年度121万トン(70%)

出所)設備規模は『日鉄ファクトブック』,『日鉄日新製鋼ガイドブック』。生産量は呉は『鉄鋼年鑑』の日新製鋼生産高を呉のものとみなした。日鉄は『日鉄ファクトブック』各年版より。能力と稼働率は川端推計。

※1「生産設備構造対策と経営ソフト刷新施策の実施について」日本製鐵プレスリリース,2020年2月7日。
https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20200207_700.pdf


※2 川端望(2005)『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』ミネルヴァ書房,pp. 126-127。

※3 中鋼出售日本東亞聯合鋼鐵公司股權,總交易金額為新台幣9.33億元,中時電子報,2019年11月11日
https://www.chinatimes.com/realtimenews/20191111002712-260410?chdtv

※4「呉製鉄所 全面閉鎖の衝撃~冬の時代に入った鉄鋼業界~」NHK NEWS WEB,2020年2月10日。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200210/k10012279851000.html

※5 川端望(2017)「日本鉄鋼業の過剰能力削減における政府の役割」TERG Discussion Paper, No. 371, pp.12-14。
http://hdl.handle.net/10097/00121018

2020年1月19日日曜日

「この外国人をホワイトカラー職務に就かせる」と約束して肉体労働をさせる違法行為は,外国人労働者も日本人労働者も大学をも脅かす

 「“高度外国人材”として働けない」NHKニュースおはよう日本,2020年1月14日で報道されているように,「技術・人文知識・国際業務」ビザの外国人労働者に土木作業,倉庫の整理,牛舎の片づけやえさやりなどをさせているのは違法行為である。外国人労働者当人でなく,会社によって引き起こされている違法行為だ。研修のために入社後数か月現業の技能労働をさせるのはよいが,当然本人にその計画を理解してもらわねばならない。ここで摘発されているのはそのような例ばかりでなく,恒久的に肉体労働に従事させられていたのだろう。
 NHKで取り上げられている例は留学生ではない。だが,同じようなことが留学生が日本の大学を卒業・修了した場合に行われると,大学のあり方にも影響が出てくる。
 現在,事実上の就労目的での留学が拡大していると報道されており,その対象が日本語学校から,一部でたらめな留学生受け入れを行っている大学に広がっている。そこでは法の抜け道としてのアルバイト就労が問題になっている。そうした状況下で,学校卒業後に日本で就労できるかどうかを在留資格の切り替えによって管理することは,不正常な就労を防ぐ砦になっている。「大卒でホワイトカラー職への採用が決まったら『技術・人文知識・国際業務ビザ』に切り替えられるし,実際にホワイトカラー業務に就ける」という条件を崩してはいけないのだ。ここが崩れると,外国から日本の大学に留学して,学部卒業後,ブルーカラー業務につくというルートができてしまう。一方で日本の留学生受け入れ拡大策を国際交流でもイノベーション促進策でもない単純労働力確保政策にしてしまうものであり,高等教育の無駄遣いだ。他方で「特定技能」資格によってブルーカラー外国人労働者の質と処遇を保証しようという制度が骨抜きになって,ブルーカラー外国人労働者の需給管理が困難となってしまう。端的に供給過剰になって外国人労働者の処遇は下がるし,日本人労働者との競合が発生する恐れがある。
 だから労働政策の立場から見ても大学の立場から見ても,このような違法行為は厳重に取り締まらねばならない。日本の大学を卒業した留学生が労働者となる場合は,会社がブルーカラー職務でなくホワイトカラー職務に就けると約束した場合にのみ「技術・人文知識・国際業務」ビザへの切り替えを認めるという,現在の制度を守らねばならない。そして会社には,その約束を守らせねばならないのだ。

<関連投稿>
「外国人留学生が卒業後に起業することは促進すべきだが,在学中の起業は認めるべきではない理由」2019年6月13日。
「続々:留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」2019年5月29日。
「続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」2018年11月3日。
「留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」2018年10月22日。


2019年12月11日水曜日

パートタイマーだけにボーナスや通勤手当を支給しないことは2020年4月1日から違法となる:労働運動も経営者もただちに行動すべき

「働き方改革」関連法の賃金関連部分が来年4月1日より施行されるのだが,世の中で全然話題になっていない(中小企業については2021年4月1日から)。大丈夫なのか。不十分で問題も含んだ法律であったが,それでもパートタイマー・有期雇用労働者,派遣労働者にとっては,処遇改善のまたとない機会である。逆に経営者にとっては,必要な財源を計算して確保し,就業規則を改正しなければ違法状態に陥る。いずれの立場からみても,行動を起こすべきは今であり,何もしなければたいへんな混乱状態を招くだろう。

 ここでは話を分かりやすくするため,パートタイマー・有期雇用労働者について,解釈の余地が小さく,ほぼ確実に違法あつかいされることを四つあげる。労働運動は,これを経営者に強く主張してよい。法的にまちがいなく正当だからだ。経営者は,これらを4月1日にはなくせるように人事制度を改革しなければならない。

*正規労働者にはその貢献にかかわらず常に何らかのボーナスを支給しているのに,パートタイマー・有期雇用の労働者にだけ支給しないのは違法である。パートタイマー・有期雇用労働者にも,貢献に応じて何らかの支給をしなければならない。
*正規労働者とパートタイマー・有期雇用労働者の間で,通勤手当と出張旅費について差をつけるのは違法である。
*正規労働者とパートタイマー・有期雇用の労働者との間に福利厚生の利用条件で差をつけるのは違法である。
*正規労働者とパートタイマー・有期雇用の労働者との間で,慶弔休暇,健康診断のための勤務免除および有給の保証について差をつけるのは違法である。

 もちろん,働き方改革の事項は他にもいろいろあり,また派遣労働者に独自の事項もある。しかし,派遣労働者については運用が複雑で,このように短く目玉をまとめることが難しいため,ここではパートタイマー・有期雇用の問題に絞ったことをお断りしておく。

 なお,これが私の勝手な法解釈でない証拠として,厚労省「同一労働同一賃金ガイドライン」を参照されたい。

厚生労働省「同一労働同一賃金ガイドライン」のページ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000190591.html
ガイドラインへの直リンク
https://www.mhlw.go.jp/content/11650000/000469932.pdf

2021年3月7日追記。
 2020年10月に大阪医科薬科大学事件について最高裁は,働き方改革関連法(改正短時間・有期雇用労働法)ではなく旧労働契約法に依拠した判決を下した。そこでは,同大学の条件に即してであるが,アルバイト職員に対してボーナスを支給しないことが不合理とまでは言えないという判断が下された。私は,この判決は,パートタイマー・有期雇用労働者にも貢献に応じてボーナスを支給すべきという立法趣旨に反するものだと考えるが,少なくとも,非正規労働者にボーナスを支給しないことが,当然には違法とされないことになってしまった。

2019年11月25日月曜日

大澤昇平氏のTwitterについての統計的差別論からの考察

 東大の大澤昇平特任准教授のTwitterについて,ひとつ前の投稿で所感を述べたが,そこで積み残した課題について考察したい。それは統計的差別という課題であり,企業や大学が直面する話題だ。私は「日本経済」の講義で雇用システムも取り上げるので,学生に説明できるようにしておきたいので考えてみる。

 まずおさらいしておくと,大澤氏は「弊社Daisyでは中国人は採用しません」とツイートし,その理由として「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」と言ったが,その根拠は何も示さなかった。これは,単純な偏見であり差別だ。すでに多くの人がこれを指摘している。東大の情報学環・学際情報学府はこれを不適切発言であり東京大学憲章に反すると認め(※1),マネックスグループは大澤氏の寄付講座に対する寄付を停止すると発表した(※2)。

 これらとは別に検討しておかねばならないのは,彼が以下のように言い放っていることだ(2019年11月25日17時分までチェック)。数値は発言順序とは限らないが,各発言の前後も確かめたので,文脈を曲げて切り取っていることはないはずだ。

1「整理すると,私企業が『個人が努力によって変えられない属性』(例:人種・国籍・年齢・性別)に基づき採用を決定するのは是が(ママ)否かの議論です。これはHR Techとも密接に関係します。」(11/22 午後4:25)(※3
2「既にHR Tech(AI)の領域では,採用時に人物属性を考慮した自動穿孔を行っており,インプットには人種や国籍だけでなく性別や年齢が含まれる。私のことをレイシストと『なんかそれっぽい名前』でレッテル貼りしたからといって,これらの属性とパフォーマンスの因果関係が突然無に帰すわけではない」(11/22 午後3:25)(※4
3「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」(11/22 午後1:24)(※5
4「今回の採用方針が統計的差別にあたると認定されたところで、「では、私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」という点には大いに議論の余地があります。
 人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります。」(11/25 午後0:11)(※6

 1-3は24日までのもので,4は25日のものだ。これは24日に公表された彼の同僚の明戸隆浩氏のブログ(※7)を受けてのことではないかと思われる。Twitterでは,私が追跡した限り統計的差別という概念を明示したやりとりはなかったからだ。

 さて,再三繰り返すが,彼は中国人のパフォーマンスが劣るというデータを全く出していないので,ここから行う議論にかかわらず,単純な偏見によって差別しているに過ぎない(しかも,前の投稿でも書いたが,差別の上に,何事かと思うほど現実とズレている)。

 だが,彼が言い放つ1-4の主張は,人事・労働・教育関係での深刻な課題に関わるので考えてみたい。

 一言でいうと,彼の主張は<統計的差別の肯定>だ。ここでの統計的差別とは,採用において一人一人の職務遂行能力を測定するのではなく,その候補者が属する母集団(国籍,人種,性別など)を設定し,その母集団の能力を統計的に何らかの指標で評価し,候補者もそれと同等であろうと推定して採否を決定することだ。わかりやすい例としては,長期の教育訓練を必要とする職務について採用を行うとして,<女性は短期勤続の傾向がある>という統計的認識をもとに,女性の候補者を個々にテストするまでもなく一律不採用にする,といったことだ。同じく業務に高度な日本語能力が必要だとして,候補者を個々にテストせず<日本人以外は日本語能力が劣っている可能性が高い>という統計的認識をもとに,<採用対象は日本人のみ>とすることだ。企業の採用以外でも,学校の入学であり得る。<過去の統計的結果として,女子は医師になったとき結婚や出産で離職することが多かった。だから病院と提携している医科大学が,女子を入学試験で一括して不利に扱っていた>という例があったことは,記憶に新しい。

 当人の能力やパフォーマンスにかかわらず,変えることのできない属性を理由に低い処遇にしているのだから,統計的差別も明らかな差別だ。よって是正されねばならない。ここは社会的規範としてはまったく動かないところなのであって,これから話す経済合理性云々によって調整されることはあっても完全に覆ることはない。差別はよくないのだ。

 統計的差別は,もともとの統計が虚偽で偏見だった場合にはお話にならない。今回の彼の認識などがそうだ。話が難しくなるのは,統計的な相関関係としては正しい場合だ。

 社会の人権に対する認識が変化するとともに,色々な分野の差別が批判されるようになる。しかし,企業には(場合によっては学校にも),統計的差別を行いたいという誘惑が付きまとう。それは,統計的差別が,差別している主体が過去の統計データに基づいて,経済合理的に行動することで起こるからだ。仮に,偏見によって差別しようという意図がない場合でも,差別したほうが得だから差別するという誘惑が働く。なぜならば,採用候補者の能力や勤続見通しを丁寧にチェックするには膨大なコストがかかるため,属性ごとに一括して扱った方が低コストになるからだ。だから統計的差別はなくなりにくく,深刻なのだ。

 低コストだから仕方がないというのは,企業の利潤追求の論理である。それはそれとして存在する。しかし,社会には,人権をはじめとする,守らねばならない社会的規範も存在する。企業の論理と社会的規範が衝突するときは,人権と社会的規範の優先度をできるだけ上げねばならない。とはいえ,極端な高コストにより企業活動が困難になってしまっては採用そのものも社会も成り立たない。だから,コストにかかわらず絶対に許されないこと,企業にとって過大な負担となることを避けながらできるだけなくすべきことなど,何段階かに分けながら,差別のない選考をするように調整を行うしかない。これが統計的差別をめぐって長年議論され,法制や政策上も工夫されてきたことだ。この課題は,近年,AIが人事選考に用いられるようになって先鋭化している。コストを下げるために,AIが性別や人種に基づいて候補者を一括評価してよいのかどうかという問題だ。例えばAmazonではAIによる採用を行ってきたが,女性に対するバイアスを示したために中止したと報じられている(※8)

 統計的差別は,実は経済的にも合理的でない可能性がある。正確に能力を測定していないということは,有能な人の力を活かせないことになる。だから,短期的に当該企業には低コストで合理的でも,長期的に,かつ/または社会的には合理的でないことがありうるのだ。例えば女性が活躍できない経済のパフォーマンスが結局は下がるというのが,私たちの国がまさにいま直面していることだ。このような場合は,人権と倫理の面だけではなく,経済合理性の面からも差別是正が望ましいことになる。

 このように考えると,彼が3で「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」と言い放ったことは,二つの問題を含んでいる。一つは相関関係は因果関係ではないということだ。彼は2では「因果関係」と言っているが,ここで問題になっている属性のうち,国籍,人種,性別について示されるのは相関であって因果など証明されていない。○○人のパフォーマンスが悪かったとしても,それは○○人であるからではなく別の要素かもしれない。例えば,教育を受ける機会がなかった人はみなパフォーマンスが悪かったのだが,社会的事情で○○人には教育を受ける機会が少なかった場合,などだ(彼は相関関係も示していなかったのだから,何度も言うが無茶苦茶だ)。もう一つは,相関というのは集団についての統計的関係であって,候補者一人一人のパフォーマンスを測った結果ではないということだ。だから統計的差別であり,それは基本的に是正されるべきだ。もちろん,現実に企業にかかるコストを想定した場合,差別是正の社会的要請と企業経営の合理性の要求との間で調整は必要だ。しかしそれは合理的に調整すべきということであって,差別を是正しなくてよいということではない。

 4の最初の文章,「私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」ついて言えば,逆に問う必要がある。大澤氏はこれまで,できる限り差別をなくす必要性には何も注意を払っていない。では,意のままに統計的差別をしてよいかと思っているのか。差別をなくす必要性を最大限尊重しながら企業活動の合理性を維持するという調整に取り組む気はあるのだろうか。

 4の2番目の文章「人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります」はすりかえだ。書類選考によって,候補者個人の属性と能力・パフォーマンスについて因果関係を十分に推定できる場合,例えば資格の取得などでその資格に関連した職務遂行能力が推定できる場合は,それで選別するのは当然だ。業務に高度な日本語を用いる場合,日本語能力資格を指標にするのももっともだ。書類選考はちゃんとできるではないか。
 しかし,性別や国籍など,単なる相関関係しか示さない指標を使い,それを因果関係だと強弁して選別するのは統計的差別だ(そして,相関関係すら証明できないような指標で選別するのは偏見による差別だ)。法が強制する規制を守るだけでなく,企業にとって過度な負担とならない範囲で最大限解消しなければならない。そうしなければ,たとえ違法でなくても批判されざるを得ないのだ。

 統計的差別を減らすため,またAIを統計的差別の道具にしないために,2,3,4のような主張は批判され,乗り越えられるべきだ。

※(補足)もともとの氏のツイートが自身が経営するDaisy社の採用方針であることから,それが法律的に許容されるかどうかという議論が起こっている。しかしそこでは,氏が違法とされるかどうかと,差別だと批判を受けざるをえないかどうかが混同している。違法でなくても差別と批判されるべきことがあるのは,当たり前だ。
 その上で,法的なことは濱口桂一郎氏がブログですでに解説されている(※9)ので詳しくはそちらを参照いただきたい。私の理解できる範囲でつづめて言うと,法の上では,国籍や民族や人種を理由に採用しないということに対する判断は複雑だ。a)条約レベルでは日本は人種差別撤廃条約に参加しており,b)しかしこの条約を具体化する国内法はない。c)採用時の差別については,個々の法律で明示的に差別が禁止されている事項や判例で差別と認定されている事項もあれば,d)そうでない事項もある。e)国籍によって採用することは明示的に禁止されていないが,厚生労働省の行政指導では行うべきでないこととされている(※10※11)。他の例をあげると,採用での女性差別は男女雇用機会均等法によって明確に禁止されている。
 だから,大澤氏のもともとの発言について言えば,中国人と言う国籍またはエスニシティを指標にするのは,おそらく日本では直ちに違法とはされないが,行政指導の対象であり,条約の観点からも問題視されるし,社会的には当然批判される。また発言1,2,3,4にあげている指標のうち「性別」を指標にするのはパフォーマンスと見かけ上の相関があっても許されず,直ちに違法である。こういうところになるのだろう。

※1「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」東京大学大学院情報学環・学際情報学府,2019年11月24日。
※2「寄付講座担当特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」マネックスグループ株式会社代表取締役CEO 松本大
※3,4,5,6 大澤昇平氏Twitter
※7 明戸隆浩「東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について」researchmap研究ブログ,2019年11月24日。
※8 Isobel Ashler Hamilton「アマゾンの採用AIツール、女性差別でシャットダウン」Business Insider, 2018年10月15日。
※9 「採用における人種差別と国籍差別」hamachanブログ,2019年11月23日。
※10 「公正な採用選考を目指して」平成31年度版,厚生労働省。
※11 「事業主の皆様へ 外国人雇用はルールを守って適正に」厚生労働省・都道府県労働局・公共職業安定所。


2019年10月15日火曜日

派遣事業者と職業紹介事業者の労働立法への参画について

 労働分野の立法の検討は政労使または公労使の三者構成だが,労働市場の需給調整機能に関する審議は,派遣事業者または職業紹介事業者を含む四者構成であるべきだとする中村 天江氏の意見が公表された。

 ここまで労働者派遣事業や民営職業紹介事業が定着した今,傾聴に値すると思う。

 労働者派遣事業や民営職業紹介事業に対する政策が,長らく規制し,制限するという趣旨であったのは,歴史的経過から中間搾取が懸念されていたからであるが,実は企業内労働市場と,学校が職業紹介に関与するしくみによって,労働力需給調節機能が担われていたからでもある。中間搾取の懸念は今なおあるが,企業内労働市場と学校による職業紹介機能は徐々に弱体化しており,いまさら労働者派遣や民営職業紹介なしでやっていくことはできない。となれば,課題は業界の発展を抑えることではなく,現代化することだろう。

 実際,中村氏が紹介している派遣労働者の同一労働同一賃金について,当初,派遣先での類似職務に就く直接雇用労働者との同一性だけが当たり前のように議論されていたのを,労働市場の相場をもとにした派遣元での,派遣先の個別性にとらわれない同一性という基準も盛り込んだ例は重要だ。後者は派遣事業者の観点だ。つまり,よく機能する派遣事業というのは,企業横断的な同一労働同一賃金を促進するものなのである。

 労働者派遣事業をブラック職場にしてはならない。しかし,派遣事業の拡大を阻止し,縮小させようとすることはもはや非現実的であり,誤りでもある。その存在を認め,現代化を促し,労働市場の専門的担い手として活動できるようにすることが,政策の基本視点であるべきだろう。

中村天江「労働市場政策100年目のターニングポイント―「三者構成原則」のままでよいのか?」リクルートワークス研究所,2019年10月11日。

2019年10月13日日曜日

「学卒一括採用」か「対象を限定しない通年の採用」かが本来の問題だ

 「学生の4割「通年採用望まない」 採用の自由化に不安」という記事を読んで思うのだが,今の日本ではそもそも「通年採用」とは何かがあやふやだ。アンケートをする側,回答する学生,論評する記者がそれぞれ何を「通年採用」と呼んでいて,それが一致しているかどうかが問題だと思う。食い違っていると,調査が意味をなさない。

 基本的な問題は,日本企業が本来の意味の「通年の採用」に踏み切るか,そうでなく学卒者対象の就活が開始される時点をてんでんばらばらに早めることを「通年採用」と呼ぶだけなのかということだ。それがはっきりしないから,学生の認識も固めようがない。

 まず「一括採用」というのは,雇用対策法の年齢差別禁止規定の例外として新規学卒者に対象を絞り,就「職」でなく「入社」させてから,職務・勤務地を会社が命じるものだ。「学卒一括採用」と言った方がわかりがいい。必要な職務能力は採用時点で決まっていないから,漠然とした潜在能力だけを測定して採用したうえで,必要な職務能力は企業内訓練で育成することになる。

 一方,何の限定もつけずに言葉通りの意味,つまり「通年の採用」というだけの意味の「通年採用」は,特定の仕事をしてもらうために,それに必要な職務能力を持つ人を雇うというものである。当然,職務・勤務地を指定した求人になる。そして,新規学卒者に対象を絞る意味はなく,また法律上もそれは出来ず,新規学卒者から高齢者まで対象とすることになる(※)。即戦略になってもらうのであって,既に職務能力を持っているかどうかを基準に採用する。
 日本ではこうした採用は「中途採用」と呼ばれる。上で書いたような採用を新卒者以外に対してのみ行うからだ。しかし,本来,上記のような採用をして新卒者も既卒者も対象にするのが「通年の採用」だ。例えば以下の報道でトヨタやホンダが「中途採用」を拡大するというのは,言い換えれば本格的な「通年の採用」をするということだ。

「トヨタやホンダなど中途採用を拡大 即戦力の人材確保へ[新聞ウォッチ]」Response,2019年10月3日。

 だからまともに「通年の採用」をすれば学生が不利なのは当たり前のことだ。すべての年齢層の,技能のある経験者と同次元で競わねばならないからだ。それが深刻な問題なのであって,「さあて,学生はどっちを好むかなあ」などと学生の志向だけを論じる次元のものではない。

 そして,大学教員としては悩むところだが,学生に厳しいからといって,退けるべきと決めつけるわけにもいかない。この「通年の採用」は,「会社の一員として雇用するメンバーシップ型雇用」の縮小と,「特定の職務を遂行する人を雇用するジョブ型雇用」の広がりを意味する。前者は新卒者の「入社」に有利であり,中高年の正規職への再就職や転職にとって不利である。後者は逆である。だから「通年の採用」は
,非正規職しか転職・再就職できずに苦しんでいる高齢者や女性全般の地位を改善し,社会全体として生産性や公平性を高める効果がありうるのだ。今後の日本社会全体としては,そちらの方が望ましい可能性がある。

 しかし,もしかすると日本企業はこうした本来の「通年の採用」をしないという可能性もある。つまり,従来の新規学卒採用をそのまま続け,ただ単に「一括」だけを止めて,通年で少しずつ採用する,という可能性もある。はなはだしきは,いわゆる「就活ルール」を廃止したので,学生にとっての就活開始時点をひたすらはやめる青田買いを強めるだけ,ということもありうる。つまりは「通年学卒採用」だ。しかし,学生はほとんどが3月に卒業するのだから結局4月1日に「入社」するのであり,これは「一括」採用の範囲に過ぎない。就職浪人,第二新卒の部分が4月1日以外の「入社」になるだけだろう。「なんちゃって通年採用」だ。
 たとえば以下の記事が解説する「通年採用」とは「通年学卒採用」「なんちゃって通年採用」に過ぎない。「通年採用とは、必要に応じ、一年を通して新卒・中途を問わず採用活動を行うことです」と言っていてるが,職務を指定せず潜在能力だけで採用する方式を念頭に置いているので,これでは新卒者やそれに準じる相手しか対象に出来ない。

「通年採用」日本の人事部,2019年6月14日。

 この場合,個々の学生によって有利か不利化はいろいろだろう。しかし大事なことは,日本の労働市場は何も改革されないということだ。前述の「漠然とした潜在能力だけを測定して採用したうえで,必要な職務能力は企業内訓練で育成すること」は同じである。日本企業のパフォーマンスや働き方は何も変わらず,ただ就活だけが年がら年中行われるようになるだろう。

 本当の違いは「学卒採用」か「そうでない通年の採用」かだ。日本の企業自身も学生もマスコミも,「一括採用」か「通年採用」かと論じているが,暗黙の裡に「学卒採用」の範囲内で「通年採用」という言葉を使うことが多い。その一方,ほんらいの「通年の採用」を「中途採用」と呼び,学卒者が応募するものではないかのように呼ぶ。これは習慣的な日本独特の用語法であり,改革を論じる時には混乱を招きやすいので,注意した方がいい。

※これを言うと仰天する人が今でも多いことには仰天するが,応募年齢を限ること自体が年齢差別であり,雇用対策法で禁止されている。例えば,求人に「35歳程度まで」と書くのはアウトである。

安田亜紀代「学生の4割「通年採用望まない」 採用の自由化に不安」NIKKEI STYLE,2019年10月11日。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191012-00000004-nikkeisty-bus_all&p=2

2019年9月29日日曜日

インド人の流入・流出の効果を考えるには,そのハイスキル比率の高さと,日本におけるICT人材の不足を念頭に置いた方がいい

この記事のタイトルにある「優秀なインド人」の実態を考える一つの切り口として,在日インド人の構成を考える。2018年12月現在の中長期在留インド人は3万5419人で,在留外国人の1.3%を占める。問題はその内部構成だ。誤差を承知で在留資格の種類により,経営者,ホワイトカラー,専門家の比率をハイスキル比率として推定してみる。すると,外国人全体では11.3%がハイスキル者ということになるのだが,インド人の場合,30.1%がハイスキル者なのだ。総数が1万人を超える出身国・地域で,インドよりもハイスキル比率が高いのは,フランスの31.1%,英国の34.1%,カナダの32.8%,米国の34.4%だけだ。先進国以外の主要な出身国・地域では,インドは最高のハイスキル比率を示しているということだ。
 人間の人間としての尊厳は誰もが平等という前提を置いたうえで,労働市場への影響を考える時には,外国人労働力の性質については注意を払わざるを得ない。インド人のハイスキル比率の高さを念頭に置いて,その日本への定着・日本からの流出の効果を考える必要がある。インド人は人手不足のICT関係職に就くことが多いので,求職において日本人と競合していない。そのため,定着してくれることによって日本初イノベーションの可能性を広げてくれるし,流出することは日本経済にとってスキルの損失になると私は考える。

※教授,芸術,宗教,報道,高度専門職1号イ,ロ,ハ,高度専門職2号,経営・管理,法律・会計業務,教育,技術・人文知識・国際業務,企業内転勤,特定活動(特定研究及び情報処理・本人),特定活動(高度人材・本人)をハイスキル者とみなした。言うまでもないが,この方法には特別永住者や永住者のハイスキル者をカバーできないなどのエラーがある。

石川奈津美「「優秀なインド人が日本から流出している」江戸川区議に初当選したよぎさんが語る在日インド人のリアル」BLOGOS,2019年9月24日。

2019年7月26日金曜日

採用改革は人事改革,雇用政策改革,大学改革へと連動する

 採用改革について。企業が特定の能力をもった人材を必要とするならば,採用する職種や職務を特定し,その上で,必要な能力について専門試験を行って「就職」させるしかない。その場合,能力さえあれば新卒かどうかは関係ない。この当たり前と思われることが,日本の慣行とは大きく異なる。現状の新規学卒採用では,新卒予定者だけを対象として,入社後にどこでどの仕事に就くのかも指定せず,一律にぼんやりとした「潜在能力」や「コミュニケーション能力」を諮って「入社」させているからだ。

 実際,経団連と大学が作る委員会でも,職務や必要能力を特定した「ジョブ型」の「通年」での採用活動について議論していて中間報告書も出している。この,採用の枠組みをどうするのかという議論からブレて妙な精神論になると,まったく改革されないだろう。

 ただ改革をして「ジョブ型通年採用」を本格化すると,企業も大学も政府もただではすまない。

 一方において企業は入社年次が「同期」のものを一律に管理し,初めは年功的に処遇して徐々に差をつけていくという慣行を止めねばならない。今度こそ年功序列を変えるしかなくなる。

 他方,「ジョブ型通年採用」では雇用安定法の年齢制限禁止規定が適用される可能性がある。つまり,新規学卒者に限った採用枠ではなくなる。ほとんどの人が意識していないが,学卒に限った採用は本来年齢差別であり,日本の慣行に配慮して年齢制限禁止規定の例外にしてあるのだ。しかし,ジョブ型採用ならば年齢制限は合理的ではないだろう。そうすると,学生は経験豊かな転職希望者と同じ枠で争わねばならなくなる。

 この枠組みでは,ヨーロッパ諸国と同じく不況期に若年失業者が出るおそれがある。それを防止するための雇用対策がまた必要になる(幸か不幸か,若年人口の減少で構造的に人手不足傾向になりつつあるが)。

 大学は大学で,従来のカリキュラムの延長線上で専門能力を育成できる場合はよいとして,それが無理な大学は,キャリア教育,職業教育を強化しなければ学生を社会に送り出せなくなる。医療,福祉,ビジネス,地域マネジメントなどでの実践的な科目編成を持つ大学が増えていることや,新制度としての専門職大学の設置は,この流れを察知したものだろう。

 専門能力にたけた人材の採用を促進するためには,企業の人事管理全体が,また企業と大学のつなぎ目となる採用活動が,雇用政策が,そして大学が大きく変わることが要求される。この動きは大波となるのか。なるとしたら,企業と大学と政府は飲み込まれずに変わっていけるのか。そこで学問の府としての大学の役割は守られるのか。これは就活だけの問題ではなく,企業と大学の根幹にかかわる問題だと私は思う。

「経団連トップに聞く教育・人材育成とは」日テレNEWS24,2019年7月25日。

<関連投稿>
「『ジョブ型』通年採用は『仕事に即した処遇』と『年齢不問』を意味することは認識されているか:『採用と大学教育の未来に関する産学協議会の中間とりまとめと提言』を検討するにあたって」Ka-Bataブログ,2019年4月23日。
「経団連の『就活ルール』廃止と『提案』をどう受け止めるか」Ka-Bataブログ,2019年2月22日。




2019年5月29日水曜日

続々:留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について

 法務省が,日本の大学を卒業した留学生が就職できる範囲を広げ,日本語能力がN1に達しているのであれば,接客業や小売業でも認めるという報道がありました。
 以前に書きましたように(1,2),私はホワイトカラー業務や専門職への就職制限を緩和することには賛成ですが,ブルーカラー業務への就職制限を緩和することには反対です。今回も,接客業や小売業のホワイトカラー職(例:コンビニの購買担当業務やシステム開発業務)への就職ならばいいですが,コンビニの店員,居酒屋の店員への就職を含むならば反対です(私の言うブルーカラー職は現場での肉体労働による販売労働を含みます)。
 留学生が卒業してブルーカラー業務に就く可能性を閉ざせと言っているのではありません。そのような場合は,「特定技能」の資格に応募しなおす仕組みとすべきです。そして,「特定技能」の対象に接客業や小売業を含めた上で,それらの語学能力要件をN1にすればよいのです(「特定技能」全般についてはN4でなくN3にすべきです)。そうして,「特定技能」の受け入れ総数を管理します。それだけのことです。今回の政策には,そういう適切な制度設計をせずに,手っ取り早く人手不足を解消したいという安直な姿勢が見えます。このようなことを,法改正なしに法務省の告示だけで行うなどとんでもないことです。
 この政策ではなぜまずいかを説明します。何よりも,留学生に日本語能力だけを身に付けさせてブルーカラー業務に就職させるというルートを念頭に置いて,教育体制も整っていないのに留学生の大量獲得を目指すというモラル・ハザードが,一部の大学に発生するおそれがあるからです。東京福祉大学事件を念頭に置くならば,これは決して杞憂ではないでしょう。留学生を対象とする高等教育を形骸化させる危険があります。
 もうひとつは,人数に制限がないからです。「特定技能」の人数管理もあまり適切に行われているとは言えませんが,一応,ぼんやりとした総枠はあります。しかし,「特定活動」には全く総枠はありません。日本の労働市場の状態と関係なく外国人労働者の参入を認めるのは,適切ではありません。景気の状態によって,日本の高卒の若者との競合を招きかねません。
 外国人労働者を適切に受け入れることは必要です。同時に,留学生に対する高等教育の質を向上させるために,必要な工夫をすべきです。安易な政策は,日本の高等教育の効果をそぎ,質の低い職を外国人大卒者におしつけることになりかねません。

「専門外の接客業OKに 法務省、留学生の就職先を拡大」朝日新聞デジタル,2019年5月28日。
https://www.asahi.com/articles/ASM5X3TKYM5XUTIL026.html

出入国在留管理庁「留学生の就職支援のための法務省告示の改正について」2019年5月28日。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00210.htm

前稿
「留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年10月22日。
「続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年11月3日。

参考
「東京福祉大学問題から見える,歯止めなきトップダウンのダメさ加減」Ka-Bataブログ,2019年4月13日。
濱口桂一郎「留学生の就職も「入社型」に?」hamachanブログ(EU労働政策雑記帳),2018年10月25日。
濱口桂一郎「ジョブ型入管政策の敗北」hamachanブログ(EU労働政策雑記帳),2019年5月29日。


論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...