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2019年11月25日月曜日

大澤昇平氏のTwitterについての統計的差別論からの考察

 東大の大澤昇平特任准教授のTwitterについて,ひとつ前の投稿で所感を述べたが,そこで積み残した課題について考察したい。それは統計的差別という課題であり,企業や大学が直面する話題だ。私は「日本経済」の講義で雇用システムも取り上げるので,学生に説明できるようにしておきたいので考えてみる。

 まずおさらいしておくと,大澤氏は「弊社Daisyでは中国人は採用しません」とツイートし,その理由として「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」と言ったが,その根拠は何も示さなかった。これは,単純な偏見であり差別だ。すでに多くの人がこれを指摘している。東大の情報学環・学際情報学府はこれを不適切発言であり東京大学憲章に反すると認め(※1),マネックスグループは大澤氏の寄付講座に対する寄付を停止すると発表した(※2)。

 これらとは別に検討しておかねばならないのは,彼が以下のように言い放っていることだ(2019年11月25日17時分までチェック)。数値は発言順序とは限らないが,各発言の前後も確かめたので,文脈を曲げて切り取っていることはないはずだ。

1「整理すると,私企業が『個人が努力によって変えられない属性』(例:人種・国籍・年齢・性別)に基づき採用を決定するのは是が(ママ)否かの議論です。これはHR Techとも密接に関係します。」(11/22 午後4:25)(※3
2「既にHR Tech(AI)の領域では,採用時に人物属性を考慮した自動穿孔を行っており,インプットには人種や国籍だけでなく性別や年齢が含まれる。私のことをレイシストと『なんかそれっぽい名前』でレッテル貼りしたからといって,これらの属性とパフォーマンスの因果関係が突然無に帰すわけではない」(11/22 午後3:25)(※4
3「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」(11/22 午後1:24)(※5
4「今回の採用方針が統計的差別にあたると認定されたところで、「では、私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」という点には大いに議論の余地があります。
 人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります。」(11/25 午後0:11)(※6

 1-3は24日までのもので,4は25日のものだ。これは24日に公表された彼の同僚の明戸隆浩氏のブログ(※7)を受けてのことではないかと思われる。Twitterでは,私が追跡した限り統計的差別という概念を明示したやりとりはなかったからだ。

 さて,再三繰り返すが,彼は中国人のパフォーマンスが劣るというデータを全く出していないので,ここから行う議論にかかわらず,単純な偏見によって差別しているに過ぎない(しかも,前の投稿でも書いたが,差別の上に,何事かと思うほど現実とズレている)。

 だが,彼が言い放つ1-4の主張は,人事・労働・教育関係での深刻な課題に関わるので考えてみたい。

 一言でいうと,彼の主張は<統計的差別の肯定>だ。ここでの統計的差別とは,採用において一人一人の職務遂行能力を測定するのではなく,その候補者が属する母集団(国籍,人種,性別など)を設定し,その母集団の能力を統計的に何らかの指標で評価し,候補者もそれと同等であろうと推定して採否を決定することだ。わかりやすい例としては,長期の教育訓練を必要とする職務について採用を行うとして,<女性は短期勤続の傾向がある>という統計的認識をもとに,女性の候補者を個々にテストするまでもなく一律不採用にする,といったことだ。同じく業務に高度な日本語能力が必要だとして,候補者を個々にテストせず<日本人以外は日本語能力が劣っている可能性が高い>という統計的認識をもとに,<採用対象は日本人のみ>とすることだ。企業の採用以外でも,学校の入学であり得る。<過去の統計的結果として,女子は医師になったとき結婚や出産で離職することが多かった。だから病院と提携している医科大学が,女子を入学試験で一括して不利に扱っていた>という例があったことは,記憶に新しい。

 当人の能力やパフォーマンスにかかわらず,変えることのできない属性を理由に低い処遇にしているのだから,統計的差別も明らかな差別だ。よって是正されねばならない。ここは社会的規範としてはまったく動かないところなのであって,これから話す経済合理性云々によって調整されることはあっても完全に覆ることはない。差別はよくないのだ。

 統計的差別は,もともとの統計が虚偽で偏見だった場合にはお話にならない。今回の彼の認識などがそうだ。話が難しくなるのは,統計的な相関関係としては正しい場合だ。

 社会の人権に対する認識が変化するとともに,色々な分野の差別が批判されるようになる。しかし,企業には(場合によっては学校にも),統計的差別を行いたいという誘惑が付きまとう。それは,統計的差別が,差別している主体が過去の統計データに基づいて,経済合理的に行動することで起こるからだ。仮に,偏見によって差別しようという意図がない場合でも,差別したほうが得だから差別するという誘惑が働く。なぜならば,採用候補者の能力や勤続見通しを丁寧にチェックするには膨大なコストがかかるため,属性ごとに一括して扱った方が低コストになるからだ。だから統計的差別はなくなりにくく,深刻なのだ。

 低コストだから仕方がないというのは,企業の利潤追求の論理である。それはそれとして存在する。しかし,社会には,人権をはじめとする,守らねばならない社会的規範も存在する。企業の論理と社会的規範が衝突するときは,人権と社会的規範の優先度をできるだけ上げねばならない。とはいえ,極端な高コストにより企業活動が困難になってしまっては採用そのものも社会も成り立たない。だから,コストにかかわらず絶対に許されないこと,企業にとって過大な負担となることを避けながらできるだけなくすべきことなど,何段階かに分けながら,差別のない選考をするように調整を行うしかない。これが統計的差別をめぐって長年議論され,法制や政策上も工夫されてきたことだ。この課題は,近年,AIが人事選考に用いられるようになって先鋭化している。コストを下げるために,AIが性別や人種に基づいて候補者を一括評価してよいのかどうかという問題だ。例えばAmazonではAIによる採用を行ってきたが,女性に対するバイアスを示したために中止したと報じられている(※8)

 統計的差別は,実は経済的にも合理的でない可能性がある。正確に能力を測定していないということは,有能な人の力を活かせないことになる。だから,短期的に当該企業には低コストで合理的でも,長期的に,かつ/または社会的には合理的でないことがありうるのだ。例えば女性が活躍できない経済のパフォーマンスが結局は下がるというのが,私たちの国がまさにいま直面していることだ。このような場合は,人権と倫理の面だけではなく,経済合理性の面からも差別是正が望ましいことになる。

 このように考えると,彼が3で「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」と言い放ったことは,二つの問題を含んでいる。一つは相関関係は因果関係ではないということだ。彼は2では「因果関係」と言っているが,ここで問題になっている属性のうち,国籍,人種,性別について示されるのは相関であって因果など証明されていない。○○人のパフォーマンスが悪かったとしても,それは○○人であるからではなく別の要素かもしれない。例えば,教育を受ける機会がなかった人はみなパフォーマンスが悪かったのだが,社会的事情で○○人には教育を受ける機会が少なかった場合,などだ(彼は相関関係も示していなかったのだから,何度も言うが無茶苦茶だ)。もう一つは,相関というのは集団についての統計的関係であって,候補者一人一人のパフォーマンスを測った結果ではないということだ。だから統計的差別であり,それは基本的に是正されるべきだ。もちろん,現実に企業にかかるコストを想定した場合,差別是正の社会的要請と企業経営の合理性の要求との間で調整は必要だ。しかしそれは合理的に調整すべきということであって,差別を是正しなくてよいということではない。

 4の最初の文章,「私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」ついて言えば,逆に問う必要がある。大澤氏はこれまで,できる限り差別をなくす必要性には何も注意を払っていない。では,意のままに統計的差別をしてよいかと思っているのか。差別をなくす必要性を最大限尊重しながら企業活動の合理性を維持するという調整に取り組む気はあるのだろうか。

 4の2番目の文章「人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります」はすりかえだ。書類選考によって,候補者個人の属性と能力・パフォーマンスについて因果関係を十分に推定できる場合,例えば資格の取得などでその資格に関連した職務遂行能力が推定できる場合は,それで選別するのは当然だ。業務に高度な日本語を用いる場合,日本語能力資格を指標にするのももっともだ。書類選考はちゃんとできるではないか。
 しかし,性別や国籍など,単なる相関関係しか示さない指標を使い,それを因果関係だと強弁して選別するのは統計的差別だ(そして,相関関係すら証明できないような指標で選別するのは偏見による差別だ)。法が強制する規制を守るだけでなく,企業にとって過度な負担とならない範囲で最大限解消しなければならない。そうしなければ,たとえ違法でなくても批判されざるを得ないのだ。

 統計的差別を減らすため,またAIを統計的差別の道具にしないために,2,3,4のような主張は批判され,乗り越えられるべきだ。

※(補足)もともとの氏のツイートが自身が経営するDaisy社の採用方針であることから,それが法律的に許容されるかどうかという議論が起こっている。しかしそこでは,氏が違法とされるかどうかと,差別だと批判を受けざるをえないかどうかが混同している。違法でなくても差別と批判されるべきことがあるのは,当たり前だ。
 その上で,法的なことは濱口桂一郎氏がブログですでに解説されている(※9)ので詳しくはそちらを参照いただきたい。私の理解できる範囲でつづめて言うと,法の上では,国籍や民族や人種を理由に採用しないということに対する判断は複雑だ。a)条約レベルでは日本は人種差別撤廃条約に参加しており,b)しかしこの条約を具体化する国内法はない。c)採用時の差別については,個々の法律で明示的に差別が禁止されている事項や判例で差別と認定されている事項もあれば,d)そうでない事項もある。e)国籍によって採用することは明示的に禁止されていないが,厚生労働省の行政指導では行うべきでないこととされている(※10※11)。他の例をあげると,採用での女性差別は男女雇用機会均等法によって明確に禁止されている。
 だから,大澤氏のもともとの発言について言えば,中国人と言う国籍またはエスニシティを指標にするのは,おそらく日本では直ちに違法とはされないが,行政指導の対象であり,条約の観点からも問題視されるし,社会的には当然批判される。また発言1,2,3,4にあげている指標のうち「性別」を指標にするのはパフォーマンスと見かけ上の相関があっても許されず,直ちに違法である。こういうところになるのだろう。

※1「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」東京大学大学院情報学環・学際情報学府,2019年11月24日。
※2「寄付講座担当特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」マネックスグループ株式会社代表取締役CEO 松本大
※3,4,5,6 大澤昇平氏Twitter
※7 明戸隆浩「東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について」researchmap研究ブログ,2019年11月24日。
※8 Isobel Ashler Hamilton「アマゾンの採用AIツール、女性差別でシャットダウン」Business Insider, 2018年10月15日。
※9 「採用における人種差別と国籍差別」hamachanブログ,2019年11月23日。
※10 「公正な採用選考を目指して」平成31年度版,厚生労働省。
※11 「事業主の皆様へ 外国人雇用はルールを守って適正に」厚生労働省・都道府県労働局・公共職業安定所。


2 件のコメント:

  1. 国籍とパフォーマンスに因果関係がはっきりしない以上この問題は差別だということははっきりしているのですが(中国人が帰化したら突然パフォーマンスがよくなるということはないでしょう)興味深い疑問を私たちに投げかけます。例えば日本は入国管理上、短期的な訪問者に対してビザが必要な国籍とそうでない国籍とを明確に分けています。これらは国籍をもとにした差別ということになるのでしょうか。もしそうでないとすればそれはなぜなのでしょうか。

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    1.  コメントありがとうございます。ご指摘の件は,人間の国際的な移動を普遍的に保証されるべき人権とするか,各国の国単位の主権に属するので国単位で決めてよいか,に依存するのと思います。私は国際法に疎いのでよく存じませんが,前者を主張する立場に立つならば,移動が自由なのが当たり前で,移動を制限するのが権利の制限だということになります。その制限に当たっては差別は不当だということになるでしょう。例えば,EU域内であれば労働移動の自由が認められているので,これを国籍で制限したら統計的差別と指摘されるかもしれません。しかし,一般的には国際法は後者で動いているのではないでしょうか。だとすると,外国人に対して在留資格をどれだけどのように認めるかは,もともと各国がそれぞれの理由で決めてよいことだという考えが正当と認められているのだと思います。

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