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2019年8月27日火曜日

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討」(5)を読んで

 野口教授によるMMT検討と批判第5回。政府に予算制約があるかないかという論点についての考察。

 まず野口教授は「MMT派は、自らの立場を単に赤字タカ派のみではなくハト派からも区別し、それを赤字フクロウ派と名付けた。彼らは要するに、赤字ハト派とは異なり、「政府財政は景気循環を通じて均衡する必要すらない」と理解する。次に,野口教授はこの分類から,MMTが「リカード・バローの中立定理」を否定していること,「物価水準の財政理論」(FTPL)による物価水準論も否定していることを正しく読み取られる。

 ここまでは読解として問題はない。そしてこの確認は大変重要だ。1970年代以後,ケインズ的財政政策に加えられた批判の重要な柱は<課税と公債発行には本質的な差はない><赤字財政の効果は将来の増税によって相殺される>という「リカード・バローの中立定理」だった。MMTはこの定理を否定する。それは,価値観として否定するのではなく,原理的にこの定理が成りたたないような貨幣・財政理論を持っているということだ。MMTでは統合政府にハードな予算制約がない。だから赤字財政が将来増税を招くということが原理的にないのだ。ちょうど中央銀行が流通に必要な準備や銀行券を自己宛債務として供給するように,MMTの政府は経済を機能させるために必要な通貨を政府債務として供給する。MMTでは,政府は集めた税金の範囲で支出するのではない。経済を機能させるのに必要なだけを支出し,必要なだけを課税し,結果としていくら黒字だろうと赤字だろうとそれ自体は気にしなくてよいとするのだ(※1)。気にすべきは,経済が機能したかどうか,典型的には失業者がいなくなり,悪性インフレが起きないようにできているかどうかだ(※2)。

 次に,野口教授が次のように言うのは適切でない。「赤字ハト派の多くは、完全雇用で財政赤字が残るのであれば、その構造的赤字については増税や歳出削減などによって縮小させる必要があると考える。というのは、そうでないと、望ましからぬインフレなくしては政府の通時的予算制約が満たされない可能性が生じるからである。それに対して、政府債務は無限に拡大できると考える赤字フクロウ派にとっては、完全雇用であれ何であれ、政府の予算制約への配慮それ自体が無意味なのである」。なるほど,MMTにとっては,<政府の予算制約><それ自体>に対する<配慮>は<無意味>である。MMTは,<望ましからぬインフレ>とその背後にある供給制約には厳重に警戒している。すなわち,一国経済の物的生産能力の天井が低く,あるいは/かつ物的生産性が低ければ,いくら財政拡張を行っても生み出せる実質所得は限られており,完全雇用か設備フル稼働の後はインフレになるだけなのである。野口教授がMMTのこの部分を無視されるのは公平ではない。

 また,野口教授の次の指摘もおかしい。「正統派の一部には、FTPLやヘリコプター・マネー論のように、『財政赤字を許容し、非増税にコミットすることによって、それに伴う財政悪化と民間資産の増加を逆に不況やデフレの克服策として利用する』という戦略が存在する。それは、政府の通時的予算制約は概念として存在せず、政府債務は単に過去の財政赤字の帳簿上の記録でしかないと考えるMMTの立場とは、まったく相容れない」。これは全く言いがかりであって,財政赤字の拡大と民間資産の増加による不況やデフレの克服はMMTでも,赤字ハト派の正統派と変わらず有効に機能する。例えばWrayが主張する,政府が財政を拡張して,失業者すべてを最低賃金で雇い,その賃金水準を調整するという政策が不況の克服策となる(※3)。なぜ,野口教授がMMTが大声で主張していることを正反対に解釈するのか,理解できない。

第6回の検討に続く) 

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(5)─政府予算制約の無用論と有用論」Newsweek,2019年8月13日。


※1。MMTで直観的に一番わかりにくいところがここだろう。これまでMMTについて対話したすべての人が,ここで一端はつっかかる。私もそうだった。以下の拙文は,こう解釈すれば飲み込めるのではないかという試み。
「MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」


※2。私見では,MMTの最大の問題は財政赤字が拡大すること自体ではなく,失業を失くしインフレを起こさないように赤字の程度や増減の速度をコントロールできるのかというところにある。以下の拙文で述べた。
「最大の課題は財政膨張のコントロール:早川英男氏のMMT批判に寄せて」

2019年8月26日月曜日

野口旭「MMT(現代貨幣理論」の批判的検討」(4)を読んで

 野口旭教授によるMMTの検討と批判第4回。クラウド・アウトは原理的に起こらないというMMTの主張を取り上げて批判している。

 この回は奇妙である。野口教授は話の途中までは,MMTが<政府が財政赤字を出して支出を増やしても民間貯蓄を吸収することはない。むしろ民間貯蓄は増える。だからクラウド・アウトは起こらない>としている理由を,第1回で紹介されたMMTによる金融実務的解説に即して,おそらく正確に紹介している。ところが後半になると,「完全雇用下における政府の赤字財政支出は、一般に金利上昇と民間投資のクラウド・アウトをもたらす」ことは正統派はきちんと明らかにしているが,MMTはこれができていない,と言い出す。

 そんなことはない。MMTは,財政赤字で所得を増加させられる限度は,物的・人的生産能力の実物的限界だとはっきり述べている。設備がフル稼働し,完全雇用が達成されたら,あとは財政赤字をいくら出しても民間投資をクラウドアウトし,インフレになるだけだ。これはMMTだけでなくすべてのケインズ派が同意するところだろう。このことは,MMTのどんな通俗的解説でも述べていることなのに,なぜ野口氏はネグレクトするのだろうか。

 おそらくその理由は,私がまだ不勉強なMMTの所得決定メカニズムに野口教授が疑問を持たれたからだと思われる。野口教授の理解では,「MMTには、国民所得会計の恒等式は存在しても、IS曲線に相当する分析用具が存在していない」。そして,野口教授はここで一刀両断して終わらずに,MMTは民間投資の利子非弾力性を仮定しているのだろうと推定した上で,それでもMMTはおかしいという。「少なくともIS-LM分析では、政府の赤字財政支出によってIS曲線が右にシフトすれば、仮にそれが垂直であったとしても、必ず金利を上昇させる方向に作用する。MMTではそのようなステージがまったく想定されていないということは、そこにはIS曲線あるいは財市場そのものが存在していないと考えるほかない」というのだ。

 MMTにIS曲線がないというのはおそらく正しい。MMTは,<利子率によって所得が決まるという単純なメカニズムがそもそもない>としていて,IS-LM分析を肯定しないのだろう。しかし,MMTに財市場が存在しないというのは無茶な批判で,前述の通り,生産能力の実物的限界は当然に想定されている。

 逆のベクトルで言うと,MMTでは財政赤字の拡大は民間貯蓄を全く減少させない。だから,財政赤字分だけ所得が拡大しても金利に上昇圧力はかからないのだ。野口教授はMMTのこの説明を正確になぞったはずで,しかもその説明自体はとくに否定していない。ならば,<財政赤字が拡大しただけでは利子率は上がらない>と認めるのか。そうではなく,正統派の理論通りに,<財政赤字が拡大すれば利子率は上がる>というのであれば,金融実務に沿ったMMTの説明のどこがおかしいかを指摘すべきではないか。

 こうして考えてみると,ここでもMMTと,野口氏が妥当だと考える正統派(ニューケインジアン)との違いは,あれこれの部分的理屈だけでなく,利子,投資,貯蓄の関係,それに関するケインズ理解なのだと思う。MMTは,<利子率を下げれば投資が増えるというものではない>と考えているのだ。おそらくケインズその人が述べたように,資本の限界効率に不確実性が大きいと見るからだろう。またMMTは<投資は事前に貯蓄が形成されていることを必要としない>,むしろ<投資が所得の調整を通じて,投資と等しい額の貯蓄をもたらす>と考えているのだ。1-3回を読んだ時と同じ結論だが,ここに根本的な理論的相違があるのではないか。

 引き続き第5回以後も読んで考えたい。
第5回の検討に続く)

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(4)─クラウド・アウトが起きない世界の秘密」Newsweek, 2019年8月8日。

野口旭「MMT(現代貨幣理論」の批判的検討」(1)(2)(3)を読んで

野口旭教授によるMMTの検討と批判。「MMTとは財政赤字を出しても問題ないという理論である」などという政治宣伝による賛否の争いでなく,経済学的な検討であって,誠にありがたい。野口教授はすでにWrayたちの教科書Macroeconomicsも読破されているようだ。現在,連載4回目であって,今後も続くようだが,ここまでの論点について考えたい。私はマクロ経済学の歴史的な系譜について素人なので,学びながらのノートのつもりだ。

 まず1-3回について。

 野口教授はMMTとマクロ経済学の正統派(ニューケインジアン)の違いは中央銀行の役割だとする。野口教授の理解では,MMTは中央銀行無能論に立っている。つまり金利が所与とされている時に中央銀行は受動的に中銀当座預金を調整するだけだとしている。これに対して正統派はマクロ経済の安定のためには金利調整が必要不可欠であり,だから「中央銀行がインフレ率と産出ギャップを両睨みしながら政策金利を調整する」というテーラー・ルールを採用しているのだという(シェア先はこのことが書いてあるページ)。

 野口教授によるこの対比は,中央銀行の役割論としては妥当だと思う。だが,理論的には両者の背後に利子率に対する捉え方の決定的な違いがあるのではないか。

 MMTは一定のケインズ理解により<利子率が貯蓄と投資を均衡させるのではない>と考えているし,<投資が所得の調整を通じて,投資と等しい額の貯蓄をもたらす>と考えている。これは野口教授が参照されているビル・ミッチェルのブログ記事「自然利子率は『ゼロ』だ!」からはっきりとわかる。だから,物価に対して中立な利子率水準が存在し,それより利上げすればデフレを,利下げすればインフレを促すという発想をとらないのだ。MMTと正統派(ニューケインジアン)の根源的な違いは,大元をたどればケインズの理解の違いであり,利子,貯蓄,投資の関係の捉え方の違いなのではないか。

第4回の検討に続く)

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(1)─政府と中央銀行の役割」Newsweek,2019年7月23日。

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(2)─貨幣供給の内生性と外生性」Newsweek,2019年7月30日。

野口旭「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(3)─中央銀行無能論とその批判の系譜」Newsweek,2019年8月1日。

ビル・ミッチェル(望月慎訳)「自然利子率は「ゼロ」だ!」(2009年8月30日)「経済学101」2018年2月28日。


2019年7月9日火曜日

最大の課題は財政膨張のコントロール:早川英男氏のMMT批判に寄せて

 元日本銀行理事,現在は富士通総研経済研究所エグゼクティブ・フェローである早川英男氏のMMT評価。MMTの3つの柱を①信用貨幣論(credit theory of money)に基づく信用創造の理解、②ラーナー流の機能的財政論(functional finance)による財政の理解、③表券主義(chartalism)に基づく現金通貨の理解とし,いずれについても,主流派より正しい面があること,また現実の描写として実は常識的であることを述べつつ,財政政策論がおかしいと批判している。私はあるところまで早川氏とともにMMTを理解したい。その上で,氏の批判にある程度の再解釈を加えた方が,より論点が明確になると思う。

 まず早川氏は,信用貨幣論による信用創造論は,「金融実務家の常識」から言って正しいことを認めている。これは非常に重大なことであり,マクロ経済学の常識が全く間違っていることを示している。早川氏は「MMTでは貸出が出発点だから、『中央銀行がマネタリーベースを増やしても、資金需要がなければ貸出は増えないので、マネーストックも増えない』」としていることに賛同し,「『金融実務家の常識』を理論の1つの柱として打ち出したのはMMTの功績であり、MMTの信用創造の理解は主流派経済学の弱点を突くものとなっていると思う」としている。早川氏は,この点で主流派,リフレ派,「期待に働きかける」派は誤りであったとしているのである。私も全くそう思う。

 その上で,早川氏は,国債発行によって吸収されるのは民間銀行の中央銀行当座預金であって,民間貯蓄は逆に増える,だからクラウディング・アウトはありえないとするMMTを以下のように批判する。「銀行により多くの国債を買ってもらうためには金利が上がる必要があるから、国債発行額が増えれば国債の金利は上がる。国債発行に限界がないのではなく、金利という価格の制約が厳に存在するのである」。 

 次に,機能的財政論についても,早川氏は財政健全化より財政が果たす機能で財政を評価しろというのは常識的であるとする。その上で,「国債発行額が大きくなれば金利上昇を招くから、民間需要のcrowding-outにつながる。国債金利(r)と名目成長率(g)の関係がr>gとなった場合、十分なプライマリーバランスの黒字が無ければ、債務が雪ダルマ式に膨らみ、国債残高/名目GDP比率が発散してしまう。」という。

 信用創造論と機能的財政論について早川氏が論評していることは本質的に同一であり,金利制約である。これに対するMMTの回答は,おそらくこうなるだろう。「銀行からみれば,利子がゼロまたは低い中銀当座預金などもっていても仕方がないのであり,これを国債に喜んで置き換えるはずだ。また,国債を購入すれば中銀当座預金が減って政府預金が増えるが,政府が国債発行で調達したお金を支出すれば,民間企業が銀行に政府からの代金取立てを要求するので,今度は政府預金が減って中銀当座預金が増える。プラマイゼロであって,銀行が民間企業に貸し出す信用創造には何ら悪影響を及ぼさず,利子率は騰貴しない。
 政府からみれば,利子が高くなるような局面はそもそも景気が回復してインフレになりそうな場合だから,そのような時には国債の追加発行の必要はない。国債の追加発行が必要なのは,低金利でも景気が回復せず,デフレになっている時だ」。そしてこうも言うだろう。「それでも国債発行により金利が高騰しそうな状況があるとすれば,デフォルトリスクがあるときだろう。それならば,現に日銀が行っているように中央銀行が国債を買い支える保証を与えればよい」。

 早川氏はこの論点は無視しているが,MMTは極めて強い意味の統合政府論であり,中央銀行と政府は協調すると想定しているのである。なので統合政府論によって上記のように反論されてしまう。逆に言えば,早川氏の批判をより突き詰めるためには,統合政府論に対してもっと突き詰めて追求する必要があるだろう。1)中央銀行は常に政府と協調して国債を買い支えるだろうか。2)逆に中央銀行が常にそのように協調した場合,財政赤字は発散して歯止めがなくならないか。私は,ここまで言うことで,MMTに対する正面からの疑問になると思う。

 早川氏はMMTの表券主義に対しても一定の理解を示しつつ,「納税に使えたとしても、政府財政に対する信用がなければ、現金通貨の価値は保証されないのである」という疑問を呈している。これはより具体的には,「日本政府が消費増税にどれだけ苦労しているかを考えれば明らかだと思うが、政府に増税の必要を国民に納得させる力、または国民に増税を強要する力がない限り、増税でインフレを止められる保証はない」という疑問である。これは極めてもっともなMMT批判であり,金利制約論への私の再解釈による2)と同じであると思う。つまり,早川氏のMMT批判は突き詰めるように再解釈すれば,1)と2)に帰着する。

 MMTは,インフレ対策としての課税強化,または支出削減が合理的であると経済分析するが,それを実行可能にする政策論を持たねばならない。しかし,これは非常に難しいことだ。

 一方で,MMTが述べるように,財政均衡論は合理的ではない。しかし,財政均衡の義務付けや,中央銀行による国債引き受けの禁止は,単なる錯誤ではなく,いわば悪徳を避けるための過度な禁欲である。例えば,これにより軍事費が不合理かつ無限に膨張しうることを防止できるが,合理的な社会保障や教育や生活インフラに対する支出まで禁じてしまう。インフレは防げるが,減らせるはずの非自発的失業者を減らすことができず,路頭に迷わせてしまう。
 逆に,この歯止めを解除した場合に,今度は,過度な禁欲もなくなるが,悪徳への歯止めもなくなる。社会保障や教育や生活インフラに対する支出に対する歯止めもなくなるし,失業者がいなくなるまで雇用を増やすことができるが,軍事費の膨張に対する歯止めもなくなってしまう。そして,民主主義国家においては,軍部であれ経済界であれ貧困層であれ,いずれの集団の代表も支出の拡大を常に求めるだろう。インフレ圧力に対して,どこからどのように歯止めをかけられるのか。中央銀行の独立性が認められない以上,支出膨張を求める諸勢力が,自ら国会で定める法とルールによってかけねばならない。ここには政治構造上,かなりの困難が立ちはだかっているように思う。私はこれが,MMTを政策として実行しようとした場合の最大の困難であると思う。

 財政均衡論を旨とする議論は,財政支出に不合理な歯止めをかけるものであり,その弊害は明らかに大きい。MMTはこれは不合理だよと証明する経済分析を提示する。しかし,不合理な歯止めが亡くなった後に,どのような合理的歯止めを,民主主義国家は設定し,運用することができるのか。それが問題であろう。

 このように,私は早川氏とともに,まずMMTが金融・財政機構の描写としては主流派経済学より妥当なところがあり,「金融実務家の常識」にもかなっていることを確認したい。その上で,金利制約論を重視する早川氏の見解に一定の再解釈を加えることで,MMTを政策化しようとする場合の本質的問題は,1)強い意味での統合政府論の現実性と,2)統合政府の下での,財政赤字の歯止めの問題であることが理解できるように思うのである。

早川英男「MMT(現代貨幣理論):その読解と批判」富士通総研,2019年7月1日。

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MMTではゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる


2019年7月7日日曜日

MMTと常識的な経済学とでは,ゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる

 MMT(現代貨幣理論)は,どうも常識的なマクロ経済学とただ「違う」だけでなく,特定の条件の下で,「金融政策と財政政策の役割をそっくり入れ替えて理解している」ように見える。なぜ,こうなるのだろうか。最終的なMMTの正否や,当面の政治的立場とは別に,理論の問題として考えておかねばならないように思う。

 ここで特定の条件とは,「ゼロ金利にしても需要不足が解消できないような状況」のことだ。つまりは,今世紀になってから先進諸国がしばしば陥っている状態のことだ。

 この条件が満たされない限りは,常識的なマクロ経済学とMMTの政策的対立はそれほど激しくない。中央銀行の金融政策で金利を操作すれば,銀行の企業に対する貸出金利に影響を及ぼし,それによって投資にも影響を及ぼし,したがって需要に影響する。失業率が高いときに政府の財政政策を発動することで需要が喚起されて雇用が拡大する。これによって財政赤字も増大するが,景気が回復すればインフレになり,かつ税収が拡大するので,財政は引き締め気味に運営することが適切となる。これらは,少なくとも実践のレベルでは常識的な理論だろうがMMTだろうが同じことだ。

 しかし,上記の条件が満たされてしまうと,話が大きく異なってくる。以下,浅学を省みずに対比してみる。

 常識的な経済学は,管理通貨制の下での通貨を政府の強制通用力か人々の信認による価値シンボルとみなす。そして,貨幣は政府または中央銀行により金融システムを通して外生的に供給可能であるとする。政府または中央銀行は金融システムを用いて通貨を創造する。悪性インフレを防ぎ通貨価値を安定させることも金融システムの役割である。この考えを延長すれば,ゼロ金利下であっても,通貨が外生的に供給可能である以上,政府は非伝統的金融政策により通貨供給量を増やして有効需要を喚起するという,リフレーション政策を取ることが有効である。

 また,常識的な経済学は,財政システムにおいては政府はハードな予算制約の下に置かれており,税収の範囲で支出すると考える。正常な財政システムでは通貨は創造されない。課税の本質的役割は公共目的に支出財源を確保することである。課税しなければ支出できない。政府は,一時的に財政赤字を出すことはあるとしても,財政均衡を保つのが正常な状態である。通貨が統合政府の負債と記帳されることは単なる会計の形式論で実質的意味がないものである(※)。したがって,財政赤字の一定以上の拡大や恒久化は避けるべきであり,ゼロ金利下であっても財政拡張に頼るべきではない。財政赤字を拡張したところで,政府債務が積みあがり,結局将来の税収によって補わねばならないだけであるから,裁量的財政政策での有効需要創出効果はそもそも限られていると見るべきだ。すでに政府債務累積している状況下では財政再建を優先すべきだ。

 対して,MMTではどうなるか。

 MMTは,貨幣(現金通貨と預金通貨)は統合政府(政府+中央銀行)の手形=債務証書であるとする。そして,このことの系として,金融システムにおいて「貨幣は貸付需要に応じて銀行・中央銀行が信用を供与する金融取引によって創造される」という内生的貨幣供給論を採ることになる。政府は金融政策では通貨を創造しない。企業の借り入れ需要に応じて通貨が創造される。したがって,ゼロ金利下であれば,金融政策では企業の借り入れ需要を刺激することはできない。中央銀行が一方的に通貨供給量を増やすことはできない。ゼロ金利下でのリフレーション政策は,金融政策のみで行う限りまったく無効である。なお,人為的にマイナス金利政策を取れば,金融機関の経営を破綻に追い込むだけである。

 一方,MMTは,財政システムにおいて,統合政府が貨幣=政府手形を発行して贈与したり財・労働力・サービスを購入したりする実物取引によって,需要が創造されると主張する。つまり財政システムで通貨が創造される。公共目的に必要な財源は,政府債務の創造によって調達される。課税の本質的役割は支出財源を確保することではなく,悪性インフレを防ぎ通貨価値を安定させることである。課税しなければ通貨価値を調整できない。統合政府は赤字なのが正常な状態であり,統合政府が債務を負って信用貨幣を発行することで,流通に必要な現金通貨が供給できているのである(※※)。したがって,財政赤字と政府債務はそれ自体は問題ではない。統合政府債務は恒久的に存在するのであって,将来の税収によって埋め合わせねばならないものではない。ゼロ金利下にあっては,財政政策だけが有効需要を拡張できるマクロ経済政策である。

 常識的な経済学から見れば,MMTが「統合政府が財政政策を調節して外生的に貨幣を供給できる」というのは馬鹿げている。租税を徴収しなければ財政支出で貨幣を供給することもできない。いくら統合政府が財政赤字を拡張したところで,政府債務が積みあがり,結局将来の税収によって補わねばならないだけであり,通貨供給量も需要も通時的にはさほど増やすことはできない。マクロ経済政策の範囲で需要を増やしたければ,政府または中央銀行が金融システムによって貨幣を供給しなければならない。

 MMTからみれば,常識的な理論が「政府または中央銀行が金融政策を調節して外生的に貨幣を供給できる」というのは馬鹿げている。借り入れ需要のないところに貸し出しは起こらない。いくら中央銀行が金利を引き下げ,買いオペレーションをしても,それだけでは,中央銀行当座預金が積みあがるだけであって,通貨供給量は増えない。マクロ経済政策によって需要を増やしたければ,政府が財政支出するしかない。

 このように,ゼロ金利下,そして財政赤字の累積下では,常識的なマクロ経済学とMMTとでは,金融政策と財政政策の役割がそっくり入れ替わるのである。そうなる理論的根拠は,おそらくMMTが信用貨幣論的な政府貨幣論(※※※)と,強い意味の統合政府論(※※※※)をとっていることにある。ということは,常識的なマクロ経済学とMMTのどちらかが正しいとするならば,MMTの正否は,信用貨幣論的政府貨幣論と,強い意味の統合政府論にかかっているということになるだろう。

※こう考えないと,中央銀行が中央銀行券を発行している以上,統合政府は常に債務を背負っていることになってしまう。だから常識的なマクロ経済学では,中央銀行券の債務性は実質的にはないものと考える。

※※だから,統合政府が貨幣=政府手形を発行し,中央銀行が中央銀行券を発行している以上,統合政府は常に債務を背負っていることになる。MMTでは,貨幣=政府手形の債務性が実質的にあると考える。

※※※MMTは,政府貨幣=統合政府の手形とする点で信用貨幣論を取っている。ここで,政府手形がどうして現金通貨として人々によって信認され,支払手段としても流通手段としても用いられるのかという問題がある。MMTは,政府が人々に対して,政府貨幣を納税手段として認めることによってである,とする(中央銀行券も,政府への納税及び中央銀行に対する支払いの手段と認められる)。納税手段と認められることにより,政府貨幣=政府手形は税債務との相殺を可能とする支払い手段となる。そして,納税手段であることによって,人々が政府貨幣を求めるようになり,民間でも支払い手段及び流通手段になるというのである。

※※※※MMTの統合政府論では,政府が国債を発行することによって生じる債務のみならず,中央銀行が中央銀行券を発行し,また市中銀行からの預金を受け入れることによって負う債務も実質的な債務だとされている。これが「強い意味」での統合政府である。だから政府債務があって当たり前であって,債務のない統合政府など存在しない。一方,常識的なマクロ経済学では,たとえ統合政府論を取る場合でも,中央銀行券や中央銀行預け金の債務性は実質的にないものとみなす。そして,財政だけを対象として,政府債務がないことを正常な状態とみなす。

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2019年7月3日水曜日

MMTの評価には,規範論でなく経済分析からの批判が必要

 小黒一正氏のMMT批判。これは,昔のケインズ政策に対する「ハーヴェイロードの前提」批判であり,公共選択論による批判である。私は,規範論としてこの指摘は一理あると予感する。MMTは統合政府の財政が赤字で政府債務があることは当然とした上で(赤字にしないと日銀券=統合政府の手形も発行できない),財政は悪性インフレを防ぐように運営されるべきとする。それを民主主義の下でどうやって防ぐのだという公共選択論の問いかけは,おそらくMMTにも妥当する。
 しかし逆に言うと,これはMMTが抱える問題が,昔のケインズ政策と同様の「財政赤字のサステナビリティ」問題であることを意味する。つまり,多くの人が昔の財政赤字論争を忘れてしまったからMMTの主張が突飛に見えてくるだけであって,実は昔のケインズ政策より突飛ということはないのである。何しろMMTは一種のケインズ理解なのだから。
 そしてまた,公共選択論が,資本主義国家の財政に与える様々な利害関係の強弱を無視し,軍事国家や企業国家と呼ばれるように(宮本憲一『現代資本主義と国家』岩波書店,1981年の類型論による),政府に影響力を行使できる資本グループに奉仕する財政構造が作られていることを無視していること,ともすれば教育や社会保障支出の切りつめを正当化する理屈になりやすいことも,昔と同じである。古くからある左からの批判も,小黒氏に向けられるだろう。MMTの支持者のうち左派は,そういう財政構造が問題であって,人民のために支出しろと言っているのだ。
 ここまでのところ,話は新しいようで古いのだ。だから,実はMMTにせよそれに対する反対にせよ,さほど突飛ではない。少なくとも,MMTだけが突飛で小黒氏が常識的だとはとても思えない。どちらも,大いにあり得る話として温故知新で議論すればよい。

 もっとも,それだけではすまない,新しいこともある。1)規範論としての意味と,2)規範以前の客観的な現実分析としての意味は違っているということだ。当然,現実分析(「財政とは+++である」)を踏まえて規範(「財政は××であるべきだ」)を述べねばならない。
 MMTも(私の理解ではケインズも),規範論という側面と,経済システムの客観的分析の側面を持っている。もちろん,後者が基礎になって前者がある。そして,MMTによる後者,つまり経済分析は,おそらく主流のマクロ経済学と異なっている。MMTを評価するには,規範論に規範論をぶつけるのではなく,その経済分析を理解した上で,正しいかどうかを判断すべきだろう。
 具体的に言うと,小黒氏は,明らかに財政均衡がノーマルな状態であって,財政赤字は,出すこともできるし,出さないこともできるととらえている。それはそれで,主流派の経済分析による根拠があるからだ。だから,「憲法で財政均衡を義務付けるしかない」というブキャナンの主張まで肯定的に紹介する。これは自らの経済分析による規範論だ。
 しかし,MMTはもともと統合政府論であり,統合政府の財政は赤字なのがノーマルな状態であり,通貨はもともと,納税に使えると政府に認定されたから通用しているのだと主張している。赤字を出さないことは,やりたくてもできないのである。だから,MMT自らの経済分析による規範論は「憲法で財政均衡を義務付けるなど意味がない」となるのである。
 だから,MMTに向かって,「赤字を出してもよいなんてトンデモない主張だ」では表面的な批判にしかならず,理論的にはほとんど意味がない。規範論の背後にある経済,財政,貨幣に対する分析を把握したうえで,そこから評価しなければならないだろう。これは小黒氏に特定して言っているのではなく,多くのMMT批判についてこのように指摘したいのだ。もちろん,MMTが主流派の理論を評価する場合も同じ基準が妥当する。

 私は,時間はかかっても,MMTの経済分析を理解して評価したいと思っている。

小黒一正「MMT(現代金融理論)が見落としているもの…財政の民主的統制の難しさ」Business Journal,2019年6月4日。



2019年5月11日土曜日

MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意

 朴勝俊教授によるL. Randall Wray の Modern Money Theory の要点解説が公表されたおかげで,MMTへの理解をいくらか進められた。趣旨は読んでいただくとして,以下,私が留意点と思ったことをノートする。

*レイのMMTは信用貨幣論である。これは貨幣とは負債であるという意味である。使用者の信認で成り立つ貨幣という意味ではない。
*レイは,中央銀行による量的金融緩和によってはインフレーションは起こりえないと考えている。これは,私が理解するマルクス経済学ベースの信用貨幣論と一致し,リフレーション論と対立する。
*レイは,統合政府または政府と中央銀行の協調の下では,金融緩和よりもむしろ財政支出が通貨供給量を増やし,課税が通貨供給量を減らすと考えている。通貨供給量は財政政策によって調整されるという理論だと思われる(原典で要確認)。
*レイは,政府と中央銀行が統合されていてもいなくても,結果としてバランスシートは同じになると考えている。
 ・なぜそうなるかというと,たとえ政府が直接に政府貨幣を発行する場合でも,信用貨幣として,つまり政府が負債として発行するとしているからだ。いわば政府手形だ。ここが,政府の資産と想定される不換紙幣,政府紙幣とは異なる。というより,レイは貨幣はもともとすべて信用貨幣で負債であって,負債でない貨幣はあり得ないと言いたいように見える。金貨も銀貨もそうなのかと疑問に思ってしまうが(原典で要確認)。
*ただし,レイの信用貨幣論が一か所だけ独特な動きをするのは財政支出だ。私の学んだ限り,銀行券は金融取引においてのみ発行される。しかしレイの統合政府は,政府貨幣創出によって民間非銀行から直接に財を購入できるとされていることだ。ここがいちばんわかりにくく,朴教授の解説の文言でもすっきりと飲み込めない。
 ・そこでもう少し分かりやすように解釈すると,要は財を政府に売った企業に政府宛債権が発生する。企業は銀行に取り立てを依頼し,銀行は企業の預金口座に代金を振り込むとともに政府から無償で準備金を供与される,という論理になっているのだと思う。
 ・ここでは統合政府は自己宛債務証書で直接財を買っていることには間違いなく,政府貨幣は銀行券というより小切手のように機能していると思える(要検討)。
 ・レイの政府貨幣が流通する根拠は何か。手形一般がそうであるように債権債務相殺機能を持っている他に,法定納税手段であって,税債権と税債務を相殺する機能をもっているからのようである。これは私の解釈(要検討)。
*レイの政府貨幣は政府手形=政府債務証書なので,政府資産にはならない。政府に還流したら消滅すると解釈できる(原典で要確認)。だから政府は徴税した貨幣を使っているのではない。むしろ,財政支出によって貨幣を供給し,課税によってこれを回収している。
*レイは政府が,自ら定めた最低賃金率で,働きたいひとをすべて雇用することにより,失業をゼロにするとともに,失業ゼロによるインフレ圧力が生じないようにしようとしている。
*レイの理論では,政府が通貨発行権を持つ場合,財源問題には直面しない。ただし,通貨を発行して支出するとそれは財政赤字を増大させ,政府債務は増加する。
 ・なぜなら,政府貨幣は信用貨幣であって,バランスシートの負債側に記帳されるからだ。
 ・その場合,債権が増えるのは銀行である。というのは,政府に何かを売った非金融企業が銀行に持つ預金が増えるので,銀行が統合政府に持つ準備預金が増えるから。
*もちろん,政府が政府貨幣を発行できない場合は,政府支出を増やすことは財政赤字の増大を意味し,政府債務は増加する。
*レイの理論では,政府支出が膨張しても,統合政府であるか,中央銀行が政府と協調している限りはデフォルトには陥らない。ただし,不健全なインフレーションになる危険はある。
*レイによれば,歴史的に不健全なインフレーションになったのは,1)供給制約が厳しい場合と,2)政治的事情により課税が十分にできない場合だ。だから,その二つに陥らないようにしなければならないということになる。
*ということは,レイの政策論は,以下のようになると思われる。
A)大前提として,中央銀行は政府と協調しなければならない(とこの解説では書かれていないが,論理的にそうなると思う。原典で要確認)。
B)財政破綻の恐れがあるから財政支出を拡大できない,という考えは採るべきではない。
C)通貨供給量は主に財政政策で調整する。
D)失業問題の解決については,政府が最低賃金率を適切に定めた上で限度なく雇用する必要がある。
E)供給制約を超えて需要を刺激しようとするような財政赤字を出さないようにする必要がある。
F)(財政破綻の防止でなく)不健全なインフレ圧力をつくらないために課税が十分に行われるようにする必要がある。
*以上の理解が間違っていないとすれば,私の解釈では,レイの政策論を実現するためには,通貨価値安定と金融システム安定は中央銀行が,政府から相対的に独立して担う,というシステムを放棄し,これらの機能も政府が担わねばならない。
*レイの考えるシステムの下では,財政赤字が理由で非自発的失業をなくすのに十分な予算が組めなくなるという制約が外れる。そして,左派から見れば社会保障充実の予算が組めないという制約が外れ,経済的保守派から見れば企業支援策の予算が組めないという制約が外れ,タカ派から見れば軍事支出を拡大できないという制約が外れる。
*とすると,行政府と立法府の責任は極めて重くなる。
 ・D)E)F)について,立法府や行政府が近視眼的な政策をとると不況やインフレーションの危険がある。そのかわりデフレーションの危険はほぼなくなるが。
 ・また,時々の政治勢力のあり方によって,右であれ左であれ,優位な政治勢力が推進する財政支出の規模は,いままでよりもはるかに大規模になるだろう。
*政治的含意。朴教授が紹介するように,レイは「MMT自体は右でも左でもない」と述べている。もっとも,MMTは保守派が財政均衡派である社会では保守派ではありえず,リベラル寄りとなるだろう。しかし,財政拡張派の保守派が存在する日本のような社会では異なる。現に,リベラル派の中の反緊縮派とともに,自民党内の財政拡張派もMMTに注目している。MMTが政治的文脈の中でどのように主張されるかは,日本では単純でなくなるだろう。

朴勝俊「MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。

<関連投稿>
「MMTが『財政赤字は心配ない』という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」2019年5月7日。
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)」2019年5月2日。
「MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書」2019年3月21日。





2019年5月7日火曜日

MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと

ネット記事では「MMT(現代貨幣理論)は財政赤字を心配する必要がないと主張している」と報道されていて,これに多くの人が困惑している。あるいは,そんなことあるわけないだろうと一蹴している。私もずっと困惑していたが,これはMMTによる「財政」というもののとらえ方が,従来の常識と全く異なるからだと思う。朴勝俊教授によるランダル・レイの本の解説のおかげで,MMTが言いたいことがようやくわかってきた。正しいと言っているのではない。どういう話の組み立てなのかがわかってきたということだ。

 まず,私はMMTの主張は,政府と中央銀行が一体の統合政府であるか,あるいは少なくとも中央銀行が政府と協調する場合にのみ,実施可能と思う。うまくいくかどうかは別として,実施可能という意味である。中央銀行が政府と対立すると実施できない。

 そこで,ここでは通貨発行権を持つ統合政府を考える。理解のポイントは,統合政府を,通常理解される政府財政としてでなく,可能な限り中央銀行=発券銀行のイメージでとらえることにあると思う。だから統合政府を必要に応じて政府銀行と呼ぼう。統合政府の発行する政府貨幣は信用貨幣=発行元宛ての債務証書なので,これも必要に応じて政府銀行券と呼ぼう。

 その運動を理解する入り口として,銀行券が発券銀行に戻ってきたらどうなるかを考えよう。銀行券は銀行の自己宛て債務証書である。自分宛ての債務証書をとりもどしたら,人はこれを廃棄する。中央銀行も還流してきた中央銀行券を資産とするのではなく帳簿から外す(正確には,ただのモノとして扱う)(※)。一般に十分知られていることとは言えないが,金融実務家ならご存じだろう。発券はそれと全く別の話である。中央銀行が貸し付けや買いオペなどの金融取引を銀行と行うと,銀行の準備預金が拡大する。銀行が現金を必要とするときにこの準備預金をおろすと,中央銀行券が発券される。

※例えば日本銀行に1万円札が還流して来ると,モノとしては汚損がなければ発券に再利用されるため保管される。ただし,資産としては1万円の現金にはならず,ただの紙でできたものになる。

 次に,統合政府の徴税を考える。統合政府が政府銀行券で徴税する。すると,政府は政府宛ての債務証書を取り戻したのだから,これを現金資産とするのではなく帳簿から外す(ただの紙として扱う)。……ここがほとんどの人の直観に反するだろう。この統合政府は徴税したお金を現金として使えないのだ!しかし,それでは,いったいどうやって財政支出をするのだろうか?それは,まったく別の話として,通貨を発行して支出するのである。ここの説明は少しややこしく,銀行券というより小切手の原理が用いられる。つまり,民間銀行に,支出先が持つ預金に代金を振り込んでもらい,かわりに政府預金から銀行に支払う……といいたいところだが,政府自身が中央銀行なので政府預金はない。そのかわり,政府銀行が銀行に準備金を無償供与する。

 MMTが言う統合政府は,中央銀行が発券し,回収するように,支出し,徴税していると理解すべきだ。そして,ここに,MMTが理解されにくい理由がある。ほとんどの人の政府財政の概念に反するからである。しかし,おそらくMMTはこのように構成されている。もちろん,発券と回収は信用の供与と回収という金融取引であるが,支出と徴税は異なる。異なるのだけれどバランスシートの動きから見ると同じだとMMTは述べているのだ。

 中央銀行券の発券と回収(還流)を,「中央銀行は市中の銀行券を回収してきて,その金額の範囲内で金融取引をする」という人は誰もいないだろう。この回収と発券の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。中央銀行は民間経済の必要に答えて発券し,不必要な銀行券を回収するのであって,「回収の範囲で発券すべきだ」ということもない。それよりも,金融調節を行って悪性インフレを防ぐ方が大事だ。

 同じように,MMTが想定する統合政府は,「政府が税金を集めて,その金額の範囲内で支出する」というものではなく,徴税と支出の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。統合政府は民間経済の必要に答えて支出し,不必要な政府貨幣を回収するのであって,「課税の範囲で支出すべきだ」ということもない。それよりも,財政調節を行って失業をなくしつつ悪性インフレを防ぐ方が大事だ。

 中央銀行のバランスシートにおける負債は大きい。中央銀行券発行高と銀行の持つ準備預金が巨額だからであり,発券したり買いオペを行ったりするたびにこれらが増えるからだ。しかし,これは発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。

 同じように,統合政府のバランスシートにおける負債は大きい。政府銀行券発行高と準備預金が巨額だからであり,支出するたびにこれらが増えるからだ。しかし,これも政府=発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。

 MMTが正しいかどうかは別にして,MMTの論理はおそらくこうなっている。このように理解した上で議論するのがよいと,私は思う。

朴勝俊「<レポート 012> MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。

<関連投稿>

2019年5月2日木曜日

信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)

<目次>
1.はじめに
2.二つの通貨・銀行モデル
3.管理通貨制の下での通貨供給量の伸縮の説明
4.「非伝統的金融政策」はなぜ効かないか
5.「リフレーション」派と「期待に働きかける」派の誤り
6.結論と残された課題としての財政政策論 (5と同一ページ)

書き終えての感慨

1.はじめに

(1)問題意識と課題

 21世紀に入ってからの中央銀行の金融政策を論じる場合,「非伝統的金融政策」の成否についての評価は回避できない論点である。日本では日本銀行が2001年に「量的金融緩和」を開始して以降,「包括的金融緩和」,さらに2013年以後は「異次元緩和」とも呼ばれた「量的・質的金融緩和」,「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」が実施されてきた。これらは,伝統的な金融政策が政策的な金利操作を中心としていたのに対して,短期金利をゼロとすること,政策目標を中央銀行預金の量的拡大に置くこと,オペレーションの対象を拡張し,国債のみならずコマーシャル・ペーパー(CP),上場投資信託(ETF),不動産投資信託(REIT)などお金融資産を購入すること,中央銀行預金についてマイナス金利とすることなどの点で「非伝統的」とされている。「非伝統的金融政策」は,方向としては金融緩和の方向を向いており,とくに金利がほぼゼロとなってそれ以上の金利操作が困難となったもとで,どのように金融緩和をし,穏やかなインフレを起こし,需要を刺激して経済を上向かせるかという問題意識から開発されたものである[1]
 「非伝統的金融政策」は,その直接の目的として,金利が一定の下で,具体的にはゼロ金利であっても,通貨供給量を増やすことが設定されている[2]。しかし,日本の場合,とくに安倍政権・黒田総裁のもとで採られた「異次元緩和」の下では,その効果は芳しくない。日銀当座預金を積み上げてマネタリーベースを増加させても,マネーストック,すなわち民間に出回る通貨供給量が増えないという現象が顕著になっているからである[3]。このことが,政府・日銀が目標としてきた物価上昇率の達成を阻む一つの重要な要因であることは間違いない。
 本稿はここに注目して,「非伝統的金融政策」が,なぜ通貨供給量を増加させることに失敗しているのかを,通貨と銀行の原理的モデルによって理論的に明らかにしようとするものである。結論から言えば,「非伝統的金融政策」やこれを支持・唱道する「リフレーション」派,「期待に働きかける」派の政策論は,管理通貨制の下での通貨および銀行を不適当なモデルでとらえており,原理的に不可能なことを実行しようとしていること,その不適当なモデルとは中央銀行券を不換紙幣ととらえ,銀行の機能を預金された現金を貸し出すものとみなし,中央銀行による外生的貨幣供給を可能とするモデルであること,現実を適切に理解するためには中央銀行券を信用貨幣ととらえ,銀行の機能を貸し付けによって通貨を創造するものとみなし,中央銀行による貨幣供給は内生的であるとするモデルが妥当であることを示す。

(2)分析視角と研究方法

 本稿が用いるのは,日本のマルクス経済学の潮流において論じられてきた信用貨幣論の枠組みである。この理由は,著者の身に着けた理論の範囲が限られていることによるという個人的事情にもよるが,本質的にはマルクス経済学の枠組みの拡張による通貨・銀行モデルが,この課題を果たすのに適切と思われるからである。そして,研究状況とのかかわりでは,そのことが学界にも一般にもよく知られておらず,確認しておく意義があるからである。
 本稿の研究方法は,発券集中と管理通貨制の下での信用貨幣論・貸付先行説の通貨・銀行モデルを設定して通貨供給と通貨供給量伸縮のメカニズムを明らかにするとともに,これを不換紙幣論・預金先行説のモデルおよびメカニズムと対比するものである。演繹的分析と比較分析により,整合性,モデルの精度,現実に対する説明力において信用貨幣論・貸付先行説のモデルが優位にあることを示す。その上で,信用貨幣・貸付先行モデルによって「非伝統的金融政策」が有効でない理由を説明し,この政策を唱道する諸説の問題点が,不換紙幣論・預金先行モデルに依拠しているがためであることを示す。

(3)先行研究との関係

 本稿にとっての先行研究は,日本のマルクス経済学において行われた,不換銀行券の性質をめぐる研究,および発券集中をめぐる研究である。しかし,残念ながら,本研究についての著者の知識は限られており,日本のマルクス経済学における研究史に限っても,一定の理解を持っているのは岡橋保氏と村岡俊三氏の見解に限られる。著者は,学生・院生時代に村岡俊三教授のゼミナールで両氏の見解を学んだが,貨幣・信用論を専門としておらず,現時点では関連文献をすべてサーベイすることができない。そのため,本稿は著者の見解の説明を行うことを中心とせざるを得ず,個々の論点についての先達の見解を一つ一つ確認する文献注記を行うことはできない。本稿の叙述が,岡橋,村岡の両氏を含めて先達の著作に似通っている場合,プライオリティは当然にそれらの方々にある。
 本稿にとって最も直接的な先行研究である岡橋氏と村岡氏の見解についてのみ述べておくと,本稿に関わる論点についての見解,共通点と相違点は,さしあたり,岡橋保『信用貨幣の研究』春秋社,1969年,同『貨幣数量説の新系譜』九州大学出版会,1993年,村岡俊三『マルクス世界市場論』新評論,1976年,同『世界経済論』有斐閣,1988年で確認できる。両氏は,1)管理通貨制の下での中央銀行券が信用貨幣であるとする点は一致している。また,2)中央銀行券の流通根拠を手形であることに見る点も一致している。ただし,3)手形であることの内容として,岡橋氏は銀行手形の債権債務相殺機能を重視し,村岡氏は銀行手形による貸し付けが預金を先取りし,蓄蔵貨幣の活用を促進する機能を重視している。また,4)銀行券の本来的な発行ルートを,岡橋氏が手形割引に置くことに対して,村岡氏は企業に対する預金先取的な貸し付けに置いている。5)預金によって民間銀行に預けられた中央銀行券は,岡橋教授によれば一時休息しているだけで流通内にあるが,村岡教授によれば流通から引き揚げられた蓄蔵貨幣である。各論点についての本稿の見地をあらかじめ述べておくと,1)2)については両氏と同一であり,3)については岡橋氏,4)5)については村岡氏と同一である。
 岡橋氏と村岡氏は発券集中や管理通貨制度についても考察を行ったが,両者の下で,民間銀行が発券を行えず,したがって預金通貨は創造できるが銀行券は創造できないという現代的制度の下で,民間銀行による信用,中央銀行と民間銀行の関係がどのようなものになるか,預金通貨と中央銀行券がどのように発行され,その供給量がどのように伸縮するかをモデル化して考察することは行わなかった。この問題についての分析,その結果としての貸し付けによる預金通貨の創造の重視,中央銀行預金の理解の重視は,両氏に対する本稿の独自性である。
 なお,マルクス経済の外に出た場合,残念ながら著者の知識はさらに限られる。おそらくこの問題に関連しているであろう,ケインズ理論のミンスキー的解釈や,近年(20195月上旬現在),金融・財政政策論に関して話題となっているMMT(Modern Monetary Theory)について通じていない。MMTについては,ビル・ミッチェルのブログと関連研究者の解説記事に基づく覚書は記したものの[4],まだまだ理解がおぼつかない。研究論文をこれから確認しなければならない。しかし,私は,日本のマルクス経済学の成果を用いても,この課題には十分に迫れると考えている。かつ,学派が異なっても共有できるような用語とロジックで論じることも可能だと考えているのである。本稿はそのような試みである。
 日本でのMMTの紹介の仕方は,財政政策をめぐる論点に集中している。しかし,私の限られた知識から見てもまちがいないのは,MMTとはその名の通り,根本において貨幣論であり,信用貨幣論だということである。そこからの具体化として金融政策論があり,また信用貨幣論と統合政府論が合わさって財政政策論ができているのだと思われる。したがって,MMTについての論議は,まず信用貨幣理論から始めるのが妥当な手順だと思われる。より伝統的な理論による信用貨幣論の構造と,それによる政策論を論じておくことは,今後盛んになるであろうMMTと,その政策論をめぐる論議にも役立つはずである。

(4)以下の構成

 以下,2において信用貨幣論を定義的に説明し,不換紙幣論と対比し,さらに通貨と銀行の基本モデルについての,信用貨幣・貸付先行モデルと不換紙幣・預金先行モデルを祖述して対比する。次に3において,管理通貨制と発券集中の下での通貨供給量の伸縮を,信用貨幣・貸付先行モデルでは十分に理解できるが,不換紙幣・預金先行モデルでは理論的空白が残ることを示す。以上から,信用貨幣・貸付先行モデルの優位性が主張される。4においては「非伝統的金融政策」が通貨供給量を増やすことに失敗する理由を論じ,5においては「非伝統的金融政策」を支えるリフレーション派と期待派の理論が,不換紙幣・預金先行モデルを前提としたものであり,そのモデルとともに誤っていることを示す。6では結論を述べる。




[1] 伝統的には需要を刺激し,その結果として穏やかなインフレを起こすという因果関係が想定されていると見るべきだが,「非伝統的金融政策」の支持者たちの場合は,必ずしもそうではない。むしろ,デフレであることから不況がひどくなるのであって,予想インフレ率を高めることによってその弊害を除去し,需要も拡大させるという因果関係が想定されている。この想定の立脚するモデルと問題点については,後段で述べる。
[2] それ以外の目的がないわけではない。例えば,ETFREITCPの購入の目的は,通貨供給量を増大させるとともに,リスク・プレミアムを引き下げることとされている。
[3] 日本において,マネタリーベースとは日本銀行券発行高,貨幣流通高,日銀当座預金残高の合計である。マネーストックにはM1, M2, M3,広義の流動性があるが,M1について言うと,日本銀行券発行高,貨幣流通高の合計から金融機関保有現金を差し引いたものに,預金通貨を加えたものである。
[4] MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書」Ka-Bataブログ,2019321日(https://riversidehope.blogspot.com/2019/03/mmtmodern-monetary-theory.html)。


(続く)
第2節はこちら

2019年3月21日木曜日

MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書

最近,欧米リベラルの一部が依拠しているらしいMMT(Modern Monetary Theory)について。講義に関連するので興味はあるが,オリジナルの論文を読んで勉強する余裕は到底ない。さりとて新聞記事レベルでは「いくら財政赤字を出しても大丈夫」という話としてしか紹介されておらず,何だかよくわからない。幸い,主唱者の1人らしいビル・ミッチェル氏のブログが「経済学101」で訳されており,それをその他のブログの記述で補うと,おそらく以下のようなものであるらしい。

◇貨幣理論
*MMTは経済学的に貨幣理論とケインズに対する一定の理解を基礎としている。

*MMTは信用貨幣論を採る。現在流通している中央銀行券を政府債務と見るし,預金通貨を銀行の債務が通貨化していると見る。

*MMTは納税に利用されることが発券集中,つまり中央銀行券に通用力が集中した理由と見る。

*MMTは内生的貨幣供給論を採る。需要に応じて銀行が貸し出すことによって貨幣が供給されると見る。

*MMTが信用貨幣論と内生的貨幣供給論を採るということは,経済学の主流の見方である「銀行は,預けられた預金を貸し出している」というのは誤りであって,「銀行は,貸し付けることによって通貨を創造している」という見るのが正しいと主張していることを意味する。

◇非自発的失業
*MMTは,非自発的失業が発生するのは,民間部門が労働者を必要としてはいるが,貨幣を保有するために収入の一部を支出せずにおくためだと考える。純貯蓄需要と納税需要が失業を呼び起こす。

*MMTは,政府純支出によって失業を減少させることができると考える。

◇金融政策論
*MMTはヘリコプターマネーのように中央銀行が通貨を直接民間に供給することは,そもそもできないとする。中央銀行ができるのは,中央銀行が金融機関から金融資産を得て準備預金を増やしてやるという交換だけだ。

*MMTは,準備預金を増やすことと銀行が貸し出しを増加させることの間には関係がないとみる。民間の側に需要がない限り貸し出しは増えない。

*MMTが上記のような考えを取るのは,「銀行は準備預金を引き出して貸し付けている」とみておらず,「銀行は貸し付けることによって通貨を創造している」と見ているからである。

*MMTは,準備預金の量と金利を調節することを通じて望ましい金利の達成のために努力することは中央銀行の主要な機能だと認めている。つまり,中央銀行は金利を調節しているし,金利を調節することはできるが,通貨供給量を調節することはできないと考えている(4/13追加)。

◇財政政策論
*MMTはマクロ会計を重視し,政府,民間,海外のバランスがゼロになることを重視する。各部門の赤字・黒字は相殺されてゼロになる。政府の債務は,それと一致する民間が海外部門の債権と対応している。

*MMTは政府と中央銀行は一体である,またはあるべきと考える。政府と中央銀行が統合政府とみなされることの上にMMTは成り立つ。

*MMTは,通貨発行権を持つ(統合)政府であれば,自己ファイナンスが可能なのだと見る。つまり,財政赤字によって財政が破綻することはないし,政府収入のために租税が必要なのでもないとする。ここが直感や従来の諸理論ともっとも異なるところである。

*MMTは租税は政府の資金調達のために必要なのではないとする。資金調達は自己ファイナンスでいくらでも可能だからだ。

*MMTは,財政政策は完全雇用達成やインフラや社会保障システムの整備など,政策目的のために行われるべきであり,その際に財政赤字は制約にならないと見る。

*MMTは財政赤字の拡大はクラウディング・アウトを起こさないとする。民間銀行が国債を購入すると,銀行が中央銀行に持つ準備預金から政府預金に振り替えが起こるのであって,流通している通貨が減少することはない。中央銀行に預けられた預金の持ち主の構成が変わるだけである。そして,政府がその預金を引き出して支出すれば,それは誰かの銀行口座に振り込まれるのであって,民間の預金が増え,通貨供給量も増える。つまり,政府が財政赤字を拡大することが原因で政府の債務が増えて民間の資産が増える。経済学の主流のように,民間の貯蓄がまずあって,それを国債に投資してもらうのではない。だから,国債を大量に発行すると民間貯蓄が枯渇するというクラウディング・アウト論は間違いである。

*MMTは,需要が生産能力の限界に達するまでは,悪性インフレーションは起こらないと考え,そこまでは財政拡張が有効であるとする。生産能力の限界が財政政策の限界であって,生産能力がフル稼働している状態では,財政支出を行ってもインフレだけが生じると考える。

<最小限のコメント>
*MMTの政策的見地
 MMTの政策論的立場は「金融緩和にはさしたる効果がなく,財政政策こそ非自発的失業解消の王道」というものである。そこだけ見ればIS=LM分析によるケインジアンのようであるが,財政赤字という制約は一切ないと主張するところが異なる。
 MMTは通貨膨張による景気刺激というリフレーション政策を明確に否定する。そのため,金融政策においてはリフレーション派と全く異なり,正面から対立する。
 MMTは統合政府は財政的に破綻しない,自己ファイナンスが可能と主張する。この点は,リフレーション派の中の,財政政策は無効とするグループと対立し,財政政策活用も併用すべきで国債の日銀引き受けもすべきだとするグループと一致する。

*感想
 私個人は,MMTの貨幣・信用理論と金融政策論には全く違和感がない。私が,日本のマルクス経済学の貨幣・信用理論からたどりついた考えとほとんど同じである。リフレーション論がまちがっている理由,量的・質的金融緩和がいっこうにインフレを起こせない理由もMMTによって指摘できる。
 
 他方,MMTの財政政策論は,直観的に非常に分かりにくいが,その核心は中央政府と中央銀行が一体だとする統合政府論であると思われる。まだ理解できた自信がないが,政府を家計のような予算制約があるものと考えるとわからない。おそらく,政府を発券銀行のようなものと考えると理解可能になる(2019/5/8追記。どうもそうらしい。こちらをクリック)。

 発券銀行は,貸し付けも支払いも,自ら発行した自己宛債務=銀行券と預金通貨で行うことができる。銀行券は,その信用が保たれている限りにおいて,受け取り拒否や,額面以下へのディスカウントもなく決裁に用いられ,流通するだろう。
 MMTが想定している政府=中央銀行は,この発券銀行のように行動する政府である。よって,手元に現金がなくても自己宛小切手を切るなどの手段で支出できるし,支払い不能になることもない。赤字は自ら銀行券と預金通貨の創造か,せいぜい中央銀行からの債務増大,あるいは国債の中央銀行引き受けで補ってしまうというのだ。はっきり読み切れないのだが,こう言っているのだと思う。

 3点保留しておきたい。

 第1に,この統合政府論を受けて入れてよいかどうかである。日本を含む少なくない諸国で,中央銀行の政府からの独立性を保つ制度が取られていることには,一定の意味があるはずであり,そこを再検討する必要があると思われる。
 これに関連して,ブログを読んだだけではわからないのが,財政赤字は政府債務を生み出すはずであり,それは,統合政府とはいえ中央銀行と政府の勘定が別になっている時にどのように処理されるのかだ。私が思うには,中央銀行が政府に貸し付けるか,国債を購入することによってなされると思うのだが,それがミッチェルのブログではあまりはっきり書かれていない。
 そして累積した政府債務をどうするのかが,またよくわからない。政府発行の不換紙幣ならば政府自身が発行する紙幣で支払うことができるが,政府と中央銀行の勘定が分離して中央銀行券が通貨である以上,政府に債務,中央銀行に債権が累積していく。永久に借り換えすることで維持する,あるいは中央銀行の黒字を納付金として政府に戻すことで維持するのではないかと思うのだが,はっきり書かれていない。

 第2に,非自発的失業と遊休能力がある場合に,統合政府が通貨を増発して財政政策を行った場合にインフレが起こる可能性に無警戒なのは正しいか。財政支出で遊休生産能力と在庫と非自発的に失業している労働力だけをピンポイントで現行価格で購入できれば,インフレは起きないかもしれない。しかし,財政支出の一部は多方面に拡散してしまうし,寡占的市場も存在するので,財政支出の一部は生産増に向かわず価格上昇に向かってしまう。またこの形で投入された通貨は貸付=返済と異なり流通外に出てくるメカニズムがないので,増税による調整を行わない限り通貨量の一方的純増となり,インフレ要因となるのではないか(2019/5/6補足。おそらく,だからインフレ抑止のために課税をきちんと行わねばならない,という主張のようである)。

 最後に,この政府=中央銀行の限界は,発券銀行と同じく,いまや通貨となっている不換銀行券の信用維持にあると思われる。財政赤字を出していっても「支払えない」という意味での破綻は確かにしないだろう。しかし,通貨及び国債の信用が下落するリスクは大いにありうるのではないか。私は,財政赤字をゼロにする必要性は全くないが,通貨及び国債の信用維持が,その持続可能性を画すると思う。

 以上,私が初心者として理解できた限りのMMTは,1)信用貨幣論,内生的貨幣供給論という理論的基礎と,金融政策論については全く違和感がない。しかし,2)統合政府論と財政政策論が今一つ呑み込めないというのが正直なところだ。
→(2019/5/7追記。ある程度理解できました。以下の続編をごらんください)
「MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」Ka-Bataブログ,2019年5月7日。
(2019/5/11追記)
「MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意」Ka-Bataブログ,2019年5月11日。
(2019/7/8追記)
「MMTではゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。
(2019/9/29追記)
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。






<参照文献>
ビル・ミッチェル「中央銀行のオペレーションを理解する」(2010年4月27日)2019年2月12日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)2018年7月25日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)2018年4月3日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)2018年3月4日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 1」(2009年2月21日)2018年1月31日 by erickqchan,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)2018年2月2日 by erickqchan,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)2018年2月15日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
2018年3月16日 by 望月夜 

MMT 日本語リンク集,道草。

<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と「異次元緩和」の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
「森永卓郎さんとの対話を通して,新しい構造改革の必要性を考える」Ka-Bataブログ,2019年2月17日。
「稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む」Ka-Bataブログ,2018年11月1日。
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
「日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。

(2019年5月2日追記。私の考えをまとめて示す以下のノートを公表しました)
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。
第1節
第2節
第3節
第4節
第5・6節(完)

(2019年4月8日にアンダーライン部分を加筆・修正→2019年5月2日,そこだけ強調していると誤解される恐れがあるのでアンダーラインを削除)

論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...