1.はじめに
2022年現在,アメリカのFRBを先頭に,欧米の中央銀行は「インフレを鎮静化させるために金融を引き締めて」いる。日本銀行がその例外とされる。本稿の目的は,この金融引き締めがもたらす効果について理論的可能性を考察し,そこからこの政策を論じる上で必要な観点を見出すことである。
その際,注意しなければならないことが二つある。ひとつは,2022年現在,先進国で「インフレ」と言われていることの中には,性質の異なる複数種類の物価上昇が含まれているのではないかということである。そのいずれに対しても,金融引き締めは効果を持つのだろうか。もう一つは,金融引き締めは,本当に「インフレを鎮静化させる」効果を持ち,またそれ以外の効果は持たないのかということである。「インフレを鎮静化させるために金融を引き締め」ることは金融政策上の「常識」であるが故に,ほとんど疑われることはない。しかし,落ち着いて理論的に考えてみれば,そこには十分疑いの余地があるのではないかということである。
2.「インフレーション」の種別と2022年における物価上昇の複合性
日常用語では,持続的な物価上昇はすべて「インフレーション」と呼ばれる。しかし,その中には,異なった作用が含まれている。
a.自律的好況による物価上昇
端的に,民間経済内で好況期に需要が供給を上回ることによる物価上昇である。銀行による信用創造の拡大を伴う。銀行貸出が返済を上回る状態が一定期間持続することで通貨供給量が拡大する。加熱すれば投機的な見込み需要による物価上昇に至る。需要が強い分野で物価が上昇し,そうでない分野では上昇しないので,本質的に不均等であり,商品間の相対関係も変わる。
b.コストプッシュによる物価上昇
財・サービスの生産費が上昇し,それが価格に転嫁されることによる物価上昇であり,供給制約による物価上昇である。景気循環の局面に関係なく生じうるので,銀行による信用創造への影響も場合による。やはり抽象モデルであり,現実には相当に異なる経済状況のいずれにも当てはまる。需要超過から始まって,それが原燃料・中間財の生産条件を悪化させるために生じることもあるが,海外から供給される原燃料や食料の生産費高騰が輸入価格上昇を通して国内に浸透することの方が目立つ。後者の場合は,国内の実質的購買力が低下する。商品間の相対関係はもちろん変わる。
c.通貨の過剰投入によるインフレ
流通に必要な貨幣量に対して,通貨が過剰投入されることによる名目的価格上昇である。いわば貨幣的インフレと言える。金兌換がなされていて公定の価格標準が明確であった時代には,このような物価上昇だけがインフレと呼ばれていた。
貨幣的インフレは,以前より述べている通り財政赤字によって通貨供給量が外生的に拡大することによって生じる(※1)。ただし,財政赤字なら必ず貨幣的インフレを生じるとは限らない。1)財政刺激によって財・サービスの流通量を拡大すれば生じない。2)財政刺激がさしあたり財・サービスの需要拡大に結び付かずに,貯蓄形成(金融資産形成を含む)に帰結してしまえば生じない。3)財政刺激によって財・サービスに買い向かう購買力が発生し,しかし財・サービスの流通量が拡大しない場合に生じるのである。
3)は抽象モデルなので,現象的にはまったく両極の経済状況のいずれにもあてはまる。一つの極は好況が完全雇用にまで達してなお財政刺激が行われている場合であり,他方の極は,財政赤字による補助金で企業や家計をいくら支援しても,生産能力がまったく停滞しているような場合である。
貨幣的インフレは名目的価格上昇なので,本来は商品間の相対関係は変化しない。しかし,政府需要や補助金や給付金などが特定の箇所を起点として社会に浸透していくものであり,また投入された通貨が貯蓄として遊休したり流通に復帰したりすることもあるので,実際には時間をかけて不均等に物価上昇が浸透していく。
この区別と関連に注目しなければならないのは,2022年現在の先進諸国の物価上昇は,a,b,cのすべてが作用していると考えられるからである。aの好況による物価騰貴にあたるのは,2021年には経済の回復が始まり,先進諸国のGDPはIMFによれば5.2%成長したことである。bのコスト・プッシュにあたるのは,2021年から原燃料・食糧価格の上昇が始まり,ウクライナ戦争と,ロシアに対する経済制裁によって加速したことである。cの貨幣的インフレにあたるのは,コロナ禍に直面して諸国政府がそろって赤字財政を拡張し,多額の給付金や補助金を交付し,また経済回復のための公共投資を行ったことである。
3.3種の物価上昇に対する金融引き締めの作用
では,この三つが混合した物価上昇に対して,中央銀行の金融引き締め,つまりインターバンク貸付の短期利子率を高め誘導することを通して銀行による信用創造を抑制することは,どのように作用するだろうか。
a,すなわち好況による物価騰貴に対しては,政策が物価上昇の原因に対して素直に反作用しており,効果が期待できる。好況騰貴は需要超過を信用創造の拡大が後押しすることで生じる。金融引き締めは,この信用創造を抑制して需要を抑制することで物価上昇を抑えるのである。
超過需要が仮需を作り出すに至り,放置すれば反動で激しい不況が起こりそうな場合には,引き締め政策は望ましい効果を持つ。多くの人々にとって望ましくない仮需による投機と,反動不況の激烈さを抑えるからである。ただし,引き締めが行き過ぎれば需要は冷え込み,失業率が上昇するおそれがある。物価上昇の抑制すなわち需要の抑制である。インフレ抑制の代償が失業であり就業の不安定化である。
b,すなわちコストプッシュに対しても金融引き締めは効くには効くが,好況騰貴に対してよりもトリッキーな効き方をする。コスト・プッシュによる価格上昇が起こっている場合,元々需要超過が生じているわけではない。これに対する金融引き締めとは,つまり,景気が過熱もしていないのに引き締めるわけである。よって,好況騰貴に対してよりも,激しく景気を落ち込ませる。物価上昇の抑制を優先して,敢えて不況への突入もいとわないという政策になる。物価抑制の代償としての失業や就業不安定化は一層激しくなる。
c,すなわち貨幣的インフレに対しては,物価上昇の途上では有効である。上昇の途上とは,財政赤字で撒布された通貨が瞬間的に物価を騰貴させるのではなく,いったんは貯蓄として遊休し,徐々に実物経済に回って物価が上昇しつつある過程のことである。この時に金融引き締めを行えば,物価を上昇させるだけの超過需要を抑え,通貨を貯蓄として眠り込んだままにさせることはできるかもしれない。ただし,貯蓄は課税によって回収されない限りなくなりはしない。財政赤字によって投入された通貨は,金融引き締めでは回収できないからである(※2)。貯蓄は,再び実物経済に買い向かう機をうかがいつつ,預金として滞留することもあれば,金融資産に買い向かってバブルを起こすこともあることに注意が必要である。
そして問題は,貯蓄として眠りこませることが,程よく仮需の抑制につながるのか,ここでも失業をもたらすかということである。これは,元々の財政赤字が,物価上昇を起こすことなく完全雇用を達成できていたかどうかに依存する。完全雇用に近い状態を達成できていたのであれば,さらなる通貨投入によって引き起こされた貨幣的インフレの発生のみを抑制するファイン・チューニングが政策的課題となる。うまくいけば物価を程よく抑えながら完全雇用を維持できる。しかし,元の財政支出の仕方に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレが起こってしまっているかもしれない。この場合,金融引き締めは,ここでもインフレ抑制の代償として失業や就業不安定化を生じさせることになる。
以上が3種類の物価上昇に対する金融引き締めの効果であり,その代償である。
4.まとめ
以上のように,物価の持続的上昇,日常用語でいう「インフレ」に金融引き締めで立ち向かうことの作用はさまざまである。まとめるならば,金融引き締めが,その公式の目標通りに物価上昇を抑制して経済の混乱を鎮め,景気循環の振幅を和らげることに寄与するのは,貨幣的インフレや好況騰貴で超過需要が,生産や販売の実質拡大に寄与しない仮需の発生に至っており,これを適度に抑制する場合である。
ただし,金融引き締めは,多くの場合,物価上昇抑制の代償として失業増大や就業不安定化をもたらす。好況騰貴に対して引き締めが仮需の抑制を通り越して作用した場合,貨幣的インフレにおいて,もともとの財政支出に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレを招いており,これを引き締めで抑制しようとした場合,コストプッシュの物価上昇に対して,景気が過熱してもいないのに引き締めを行った場合である。
つまり,金融引き締めの犠牲は労働者や,中小零細企業に集中する。しかし,物価上昇の負担は場合による。物価上昇は確かに経済活動全般を混乱させるが,多くの場合,賃金上昇が遅れることにより労働者が損失を蒙る。ただし状況によっては,コスト・プッシュにより体力の弱い企業が損失を被ることもあり,労働市場のひっ迫が激しい場合は賃上げ率の高いセクターの企業が損失を蒙る。物価上昇と金融引き締めの得失は不均等に分布しているのであり,社会全体として望ましいかどうかと,そのために利益と損失が一部に集中していることには共に注意が払われねばならない。
そもそも論で言えば,好況騰貴やコストプッシュの場合は金融引き締めで通貨供給量を制限することができるが,財政赤字による貨幣的インフレに対しては,通貨量を縮小させることはできない。できるのは,撒布された通貨を貯蓄として眠り込ませることだけである。この因果関係が誤認されていると,政策論議には歪みが生じるであろう。
5.実践的指針
中央銀行を監視する実践的な指針としては,「インフレを鎮静化させるための金融引き締め」を行うことに対しては,以下の点のチェックが必要であろう。
*仮需の抑制を通り越して不況を誘導していないか。
*雇用を過剰に犠牲にし,労働者や社会的弱者に負担を偏らせていないか。
*そもそも財政拡張を行う際に,完全雇用達成以前にインフレをもたらすような無駄や偏りがないか。
*コストプッシュに対して,引き締めによる需要抑制よりも供給制約の緩和(食糧・エネルギー自給率の向上など)で対処する可能性を提起すべきではないか。
そして,より根本的には,「インフレ抑制の代償は失業・就業不安定化である」ようなマクロ経済政策の在り方が,本当に唯一可能なものであるのかを問い,代替的政策の可能性を検討する必要があるだろう。
※1 国債が中央銀行引き受けで発行された場合のみならず,民間銀行によって購入された場合にも生じる。この点は以下を参照。「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」Ka-Bataブログ,2020年11月19日(2022年9月5日一部改訂)。
※2 派生的な論点として注意すべきことがある。好況騰貴やコストプッシュの場合は,極論すれば不況によって物価を下落させることも可能だが,貨幣的インフレに対しては,物価上昇を抑制することはできても,いったん上昇した物価を下落させることはできない。貨幣的インフレによって名目的に物価水準が上昇してしまうと,流通する財・サービスの総額自体が膨れ上がってしまう。ここで,仮に課税するなどして,いったん撒布した通貨を流通から引き上げたとしても,物価水準が下落するのではなく,財・サービスを流通させる通貨が不足し,その分だけ銀行からの借り入れ需要が増え,信用創造で通貨が供給されることで補われる。貨幣的インフレでいったん上昇した物価は元に戻らないのである。