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2022年12月31日土曜日

タイパって,企業はむかしからやっていることですよね

 タイパ。学生に感想を求められたらこう答えよう。

 「タイパ?タイムパフォーマンスですか。個人が自由に行動を選択できる消費場面では,それぞれ好きにすればいいんじゃないですか。楽しそうですね。ただし,忘れてはいけないのは,企業は産業革命以来,企業にとってのタイムパフォーマンスを徹底追求してきたということです。手工的熟練に依存した作業であればそれを徹底的に科学的に研究して無駄のない動作を見つけ出して標準化し,それを実現した場合にだけよい待遇を与えるようにしました。科学的管理法について学びましょう。機械化された作業であれば,その標準化は機械の構造に従って行なうようになりましたし,機械の速度を操作することで労働者にぎりぎり精いっぱいの仕事をさせることも可能になりました。繊維工業については産業革命の工場制度,多数の部品を用いた耐久消費財についてはフォード・システムを学びましょう。わが日本でも,機械が止まっている時間のムダ,人が付加価値を生み出していない時間のムダ,モノが付加価値を与えられていない時間の無駄というものを徹底して削減するしくみとしてトヨタ生産方式があります。素晴らしい技術と管理の発展です。さあ,生産過程におけるこれらの現実をよく学びましょう。これがタイパです。みなさん,どうしてそんな嫌そうな顔をするんですか。え,聞いてて辛い?そうですか。でも知っておかねばならないことです。」

「「新語・流行語大賞」だけじゃない「今年の言葉」 「タイパ」「○○くない」「一生」…」読売新聞オンライン,2022年12月6日。


2022年12月30日金曜日

国家が所有し,党が支配するが,資本である「党国家資本」:中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読んで

 中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読了。他の仕事の合間,合間で読んだために時間はかかったが,読んでいる時はすらすらと読み進むことができた。これは,すらすら読み進めた理由を考えながらの感想である。やや個人的事情に基づくところがあることをお断わりしておく。

 私は中国鉄鋼業研究者であっても,中国経済・社会全体に向き合う地域研究者ではない。しかし,中屋氏が描き出した,政府ー国有有限会社ー株式会社という国有企業の所有構造と,その人事を背後から中国共産党が支配する構造には,すんなりと納得がいく。その理由は,もちろん,中屋氏が豊富な資料を動員して実証しているからであるが,他にも個人的事情がある。

 一つは,私は,もともと独占資本主義論から出発したアメリカ経済研究者だったので,市場経済化した中国の巨大国有企業も資本主義の類推で理解できるからである。発達した資本主義とは,形は様々であれ独占体や寡占体制が存在するものであるから,私は中屋氏が批判するような,中国が市場経済化されて「国有企業が民営化されて自由な資本主義になる」という期待を持ったことなど一度もない。「一部の株主や金融機関や機関投資家が大きなシェアと影響力を行使する巨大企業体制になるだろう」とはじめから思っていた。その通りとなった。そして,巨大企業の所有と支配に関する研究史を踏まえれば,所有構造の一番上にモルガンやらロックフェラーやらがいるのではなく政府がいるのだと考えると,なにも不思議なことではなく,中屋氏の主張をすんなり飲みこめる。

 もう一つは,私はマルクス主義から社会科学の学びを始めた者として,共産主義運動史にも多少は覚えがあったからである。共産党組織が政府や企業の組織を実効支配する際に,主として人事を通して行うことも,今初めて中国だけに起こった新現象ではなく,共産党のあるところ歴史的にあり得ることである。企業内には企業党委員会,国有資産監督管理委員会には国有資産監督管理委員会党委員会がある。まず党の会議が,企業の役職に就くべき党員を選出し,その後(例えば党の会議を午前に行った日の午後)に企業の会議が役員を正式に選出する。中屋氏によるこの構造と過程の分析などは,堅い叙述にもかかわらず政治的生々しさが感じられるが,共産主義運動の在り方としては典型的なので,これもまた私にはすんなり理解できる。

 とはいえ,私にとっても,国有企業が,国家資本のまま,かつその国家資本を党組織に実効支配されたたままで,これほどまでに営利企業としての内実を獲得できたことは予想外であった。逆に言えば,営利企業としての内実を獲得した企業を国家資本と党組織で支配し続けることができたというのは,やはり意外なことであった。しかし,それが現実であった。この独特な在り方が現存することを,古い言葉で言えば「所有・支配」論,現在の日常用語では「企業統治」論の視角から解明したことが,本書の最大の功績と思う。

 国有企業は,国家が所有し,党が間接支配する所有・支配構造をもっている。しかし,利潤追求のメカニズムは改革が進むにつれて,強く作動するようになっている。したがって,その性質は「党国家資本」だというのも,納得がいく。イデオロギーや思想として中国経済と中国共産党をどう評価するにせよ,党支配であり国家支配であるが,資本でもあるというのが,国有企業の現実を把握する適切な規定であろう。

 本書に残された課題があるとすれば,それは党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者の専門的能力とキャリアの形成に関する研究であろう。巨大株式会社の「所有・支配」,あるいは今風には企業統治を研究する際には,株式などの所有から出発して支配を検出する方法と,専門的職能としての経営・各級管理の生成から出発して支配を検出する方法とがあり,主としてアメリカ経済研究を通して形成された。前者は,A.A.バーリ&G.C.ミーンズの経営者支配論とこれに対する批判を含んだ諸研究(※1),後者は古くはJ.バーナム,やや新しくはA.D.チャンドラー,Jr.の研究(※2)を画期とする諸研究である。中屋氏の研究は,所有から出発する前者の研究潮流に属する。ちなみに,日本の古典的研究としては馬場克三(※3)が参照されている。残されるのは後者の視角からの研究であろう。党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者はどのようにキャリアを積み,企業経営と政治支配を含むどのような専門的能力を身に着けて,「党国家資本」の活動を成立させているのであろうか。ときに相反する複合的な能力が求められること故の矛盾はないのだろうか。これは,中屋氏に要求すべきことではなく,後学の課題となる。

※1 A. A. Berly & G. C. Means, The Modern Corporation and Private Property, The Macmillan Company, 1932(A. A. バーリ&G. C. ミーンズ著,森杲訳『現代株式会社と私有財産』北海道大学出版会,2014年)。その後の種々の研究を踏まえた総括として松井和夫『現代アメリカ金融資本研究序説:現代資本主義における所有と支配』文眞堂,1986年。

※2 J. Burnham, The Managerial Revolution: What is Happening in the World, John Day, 1941(J.バーナム著,武山泰雄訳『経営者革命』東洋経済新報社,1965年)。A. D. Chandler, Jr., The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, The Belknap Press of Harvard University Press, 1977(A. D. チャンドラーJr.著・鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代:アメリカ産業における近代企業の成立(上・下)』東洋経済新報社,1979年。

※3 馬場克三『株式会社金融論』森山書店,初版1968年,増補改訂版1978年。

出版社ページはこちら。









2022年12月29日木曜日

日経金融PLUSの「デジタル円」論と対話する:「預金先行説」でなく「貸付先行説」で考えよう

 日経金融PLUSの「デジタル円」論だが,多くの論者が陥るのと同じ誤解をしていると思う。一つ一つ対話してみたい。


記事:
「CBDCは銀行預金を駆逐してしまう可能性がある。マネーは大きく預金と現金にわけられる。CBDCは基本的に現金をデジタルに置き換えるものだ。預金は銀行が破綻してしまうと手元に戻ってこない可能性があるが、現金は基本的に手元に残る。CBDCはスマホの中にある現金のようなもので、預金と違って原則的に消失リスクはない。そうなると、生活者はマネーを銀行預金から安全性の高いCBDCに置き換えていくだろう。」

コメント:
 使い勝手の良いCBDC=デジタル円ができれば,銀行預金が減ってデジタル円をスマホ等の中で持つ人が増える。その見通しには私も賛成だが,理由が少しずれている。デジタル円ができたとしても,人はそうしょっちゅう銀行の破綻を心配するわけではない。しかし,銀行の破綻が心配ないとしてもデジタル円の方が便利になる理由がある。それは,口座振り込みよりも,デジタル現金取引の方が便利になった場合である。もし口座振り込みにイノベーションがなく,現金がデジタル円になれば,人はみなスマホ操作でデジタル円を送金して取引するだろう。当座性預金を保持し続ける理由がない。企業の当座預金は利子がつかないし,個人の普通預金の利子も雀の涙だからである。これが,預金が流出する主な理由である。
 銀行がこれを防止したければ,口座振り込みをデジタル円並みに便利にするしかない。つまり,いまのデビットカードとネットバンキングの使い勝手を良くし,銀行を超えて手数料なしで支払いできるようにすればよいのである。これが銀行の課題となる。


記事:
「みえてくるのは、デジタル円を使って決済・送金サービスに特化する「ナローバンク」の誕生だ。CBDCの最大の利点は、安全・安価にスピード決済できることにある。」

コメント:
 デジタル円=デジタル現金と預金通貨が混同されている。預金が流出した場合に起こることは,決済がデジタル円で,個人や企業によって,銀行を介在せずに,スマホとスマホの間で行われるようになるということである。札束の持ち運びが要らない,現金取引のデジタル版である。
 だから,銀行からは決済・送金サービスが真っ先に流出する。銀行が「デジタル円を使って決済・送金サービス」をする必要そのものが失われるのである。繰り返すが,銀行がこれを防ぎたければ,口座振替をデジタル円よりも便利にするしかない。


記事:
「一方で多くの商業銀行は預金を徐々に失い、経済成長を支えてきた預貸ビジネスも見直しが必要になる。商業銀行は預金を集めるのではなく、市場で資金を直接調達して、それを元手に融資するようなノンバンクに近い形態になっていく可能性もある。CBDCが銀行システムの劇薬になりうるのはそのためだ。」

コメント:

 預金を集めなければ貯貸ビジネスができないというところがおかしい。商業銀行が預金を集めるとか,市場で資金を直接調達するというが,それは現金が大量に流通しているか,あるいは自行以外が預金を持っているから可能なことである。では,そもそも流通している現金や預金通貨とはどこから来たものなのか。金本位制であれば結局金鉱から金貨が来るように,現金や預金もどこからか来たはずである。
 その答えは,預金はどこかの銀行がどこかの企業,まれには個人に貸し付けた時に生まれたのであり,現金は,誰かが預金をおろした時に発行されたのである。まず預金が預けられ,銀行がそれをもとに貸し付けるのではない。銀行が貸し付ける時に預金も生まれるのである。預金とは銀行の手形であり,銀行貸付とは,「うちの手形は通貨として使えるほど信用があるので,これで貸してあげる」という行為なのである。この時,預金は必要ないが,もちろん,預金の現金引き出しや,他行への送金による引き出しや,貸し倒れリスクに備えた準備金は必要である。それは,準備預金=中央銀行当座預金を持つことによって確保される。そして,中央銀行当座預金もどこで生まれるかと言えば,中央銀行が銀行に与信することによって生まれるのである。
 だから,社会全体としては預貸ビジネスは決してなくならない。なくなったら通貨が供給できず,経済は成り立たないし,おろすべき預金がなければデジタル円も存在できない。銀行が企業に貸し付けることによって預金通貨が供給されるのは,デジタル円ができても同じなのである。違うのは,デジタル円が便利であるために,いったん供給された預金が,早期に大量に引き出されてデジタル円に変わるということである。
 預金が引き出される時,銀行は中央銀行当座預金を引き出してデジタル円を確保しなければならない。だから,資産側で準備預金が減り,負債側で預金が減る。このことは,銀行の貸し出し能力を制約する。社会全体で多くの銀行にこれが生じるが,程度は銀行によってさまざまであろう。預金流出に耐えられるような規模の大きい銀行,あるいはデジタル円に対抗できる口座振替サービス,さらにそれ以外の金融サービスを提供できて預金を保持してもらえる銀行には競争力があるが,それ以外にはないというように銀行間格差が広がる。これが実際に起こり得ることである。
 このとき,市場性資金を集めざるを得ない銀行は確かに発生する。しかし,それは,集めた資金を元手に融資するためではない。貸付自体は信用創造でできるのであって,必要なのは準備金である。準備金について日銀からの与信が制約された場合に,市場からの資金取り込みに依存することになるのである。また預貸ビジネスで劣後した場合に,市場性資金を取り込んで自ら証券市場等で運用すると言ったハイリスク・ハイリターンの行為に走ることになるのである。


記事:
「商業銀行とナローバンクへの銀行ビジネスの二分化は、それでも検討に値する。利点は金融システムリスクを和らげる効果だろう。」「CBDCを本格導入すれば銀行機能の二分化は避けられない。」

コメント:
 結論として,起こるのは商業銀行とナローバンクへの二分化ではない。銀行間の収益力格差による淘汰である。


 以上のように,この記事は多くの点で誤っているのだが,それでも有意義なことがある。それは,理論的根拠があって誤っているために,理論的示唆が得られるということである。この記事は,「銀行は,預金を受け入れて,それを原資に貸し付ける」という,多くの経済学者が採用している「預金先行説」に基づいており,それ故に誤っている。そのため,「預金先行説」を逆転させ,「銀行は,貸し付ける際に預金という自己宛て手形を創造する」という「貸付先行説」にすれば,整合的な予想が成り立つのである。この記事は,誤っている記述を通して,「預金先行説」の問題と,「貸付先行説」による現実理解や将来予測の必要性を示してくれているのである。

「デジタル円」は良薬か劇薬か 銀行システム、二分化へ(金融PLUS 金融部長 河浪武史)日本経済新聞,2022年12月12日。


2022年12月25日日曜日

ドル高・金利引き上げがもたらす,新興国外貨建て対外債務の危機

 UNCTADの第13回債務管理会議のレポート。多くの国が,パンデミック,地政学的不安定性,気候変動による債務負担に苦しんでおり,そこにアメリカの金利引き上げが追い打ちをかけている。欧米諸国がインフレ退治に集中することが,世界の反対側で公共政策を困難に陥れていることに注意しなければならない。

「国際通貨基金(IMF)の推計によれば,新興国の債務の70%,低所得国の債務の85%が外貨建てである。
 途上国政府は現地通貨で支出し,外貨で借り入れを行うため,この構造では,公共予算が大規模かつ予期せぬ通貨安に大きくさらされることになる。
 2022年11月末までに,少なくとも88カ国が今年になって対米ドル安を経験した。このうち31カ国では,下落率が10%を超えている。
 アフリカのほとんどの国で,このような減価は,アフリカ大陸の公衆衛生支出に相当するほどに債務返済の必要性を増額させると,Grynspan氏は述べた。」

 資本主義は,金と言う世界通貨の現送をなくすことによって,国際金融の規模を拡大した。しかし,そのことにより,国際貿易や貸借や資産保全を特定国通貨建てで行わざるを得ないという矛盾を抱え込んだ。アメリカが自国のインフレを抑制するために金利を引き上げると,途上国の対外債務が増大するのは,この矛盾の表れだ。理想的な国際金融システムがすぐに実現するとも思えないが,現にあるシステムが円滑で平坦で公平なグローバリゼーションをもたらすものではないことは知っておく必要がある。

World leaders call for stronger multilateral solutions to debt crisis, UNCTAD, December 5, 2022.


2022年12月16日金曜日

NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」を視て:北朝鮮の核抑止力論

 NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」(2022年12月11日放映)を視た。金正恩と北朝鮮政府のメッセージは,「核兵器はおおむねできた。目標まで飛ばせるミサイルの完成もまもなくだぞ」と言うことだろう。

 北朝鮮の戦争挑発が危険なのは言うまでもないし,専守防衛の範囲である限り,これに日本政府が対応することも私は反対しない(ただし,敵基地攻撃能力保有や,根拠の説明がない防衛費急増には反対である)。

 しかし,もうひとつ,北朝鮮の論理は北朝鮮が特異な国家であることだけから来るのではなく,広く世界に普及している「核抑止力論」の論理でもあることに注意する必要がある。日本では,大国同士の衝突を抑える理論として核抑止力論が肯定的に扱われることが多い。しかし,北朝鮮がやっていることも,「核保有国と対立する非保有国が核抑止力論を採用した場合」そのものなのである。

 核抑止力論は,複数の国家が互いに核兵器を保有し,いざ核戦争となれば互いに甚大な被害が確実に出ることがわかっているという,破壊の相互確証ゆえに,各国は核戦争を回避することを前提に行動するだろう,というものである。しかし,この考えを,核保有国と対立する非保有国が採用した場合,自国の状況を,一方的に壊滅させられるリスクに直面していると捉えることになる。核保有国と外交交渉することなど不可能だと思えてくる。よって,まず核兵器を保有し,従来の核保有国と核戦争時の相互破壊を確証できるところまでもっていこうとする。それを妨げようとする一切の働きかけには耳を貸さない。これが,現在,北朝鮮が取っている行動のロジックである。

 したがい,平和裏に北朝鮮を思いとどまらせるためには,核兵器開発が実務的に不可能なほど実効ある経済制裁を行うか,核兵器など持たなくても体制転覆を強制されることはないよと言う確証を持たせて,核抑止力論を放棄させることが必要になる。前者は中国との通商ルートを遮断できないので困難である。後者は,ベトナム市場経済化の経験を見れば可能だろう(ベトナムは核兵器保有をめざしたことはないが、周囲との緊張緩和、対外開放を実現した過程は参考になる)。ただし,市場経済化によって一党独裁体制がどの程度緩和するかは保証の限りではないこと,その程度はさまざまであることも,中国やベトナムの経験が教えるところである。できることはあると思うが,容易な道はなさそうだ。


2022年12月14日水曜日

論文「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」の公表に寄せて:岡本博公先生に

 「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」所収の『社会科学』52巻3号が発行され,同志社大学学術リポジトリに掲載されました。

 本稿は昨年10月に亡くなられた岡本博公先生に捧げられます。私の鉄鋼業研究は,岡本先生の『現代鉄鋼企業の類型分析』を導きの糸としています。また,私のゼミ修了生の研究者のうち,Mohammed Ziaul Haider さん(Khulna University),章胤杰さん(上海外国語大学),Nguyen Kim Nganさん(東北大学)は先生の2冊目の著作『現代企業の生・販統合』に理論構成の一部を,銀迪さん(東北大学ポスドク)は『現代鉄鋼企業の類型分析』に多くを負っています。岡本先生は,いつも私の論稿に鋭いコメントをくださり,私を励ましてくださいました。本稿の草稿にも亡くなられる数日前にメールでコメントを寄せて,事業所論(活動単位論)を再興することを支持してくださいました。

 本稿はささやかなものですが,岡本先生が提起された事業所ー企業ー産業の三層分析を損なわず,理論的・実証的に豊かにすることに少しでも役立ていればと思います。


「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」『社会科学』52(3),同志社大学人文科学研究所,2022年11月,1-22

1 問題の所在
 1.1 目的と課題
 1.2 先行研究の検討
  1.2.1 原点:チャンドラーとウィリアムソン
  1.2.2 事業システム研究:事業所論の独自性
 1.3 分析枠組みの設定
 1.4 事例選択と方法

2 スパイラル鋼管の事例分析
 2.1 スパイラル鋼管の用途と製造方法
 2.2 AJ社のケース
 2.3 AV社のケース
 2.4 考察

3 結論と残された課題



2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年12月6日火曜日

博士論文 銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」の公表によせて

  当ゼミの修了生である銀迪さん(東北大学経済学研究科博士研究員)の博士論文「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」が東北大学機関リポジトリTOURで全文公開されました。

 この論文は,2001-2015年の高成長期における中国鉄鋼業の構造を,需要構造,技術選択と生産システム編成,企業構造,産業の構造,産業政策の諸側面から明らかにしたものです。

 中国は世界最大の製鉄国ですが,この時期の鋼材需要の中核は,小ロット指向の中低級品,典型的には鉄筋用棒鋼などの建設用鋼材でした。自動車用鋼板などの高級鋼材需要も増えましたが,そのシェアの拡大はゆるやかなものでした。

 鉄鋼企業は,この需要構造を背景にして技術・生産システムを編成しました。その結果,宝武集団に代表される,大型高炉一貫システムを基礎とした大型高炉一貫企業も多数形成されました。この15年間のうちに業界団体非加盟の小型企業から最大級の高炉一貫企業にまで駆け上った例もあります。しかし,民営の業界団体非会員の小型企業(高炉一貫企業,電炉企業,単純圧延企業)も多数成長しました。産業全体としては,国有・民営が混合する大型高炉一貫企業と,非会員小型企業が併存する構造となりました。そして,実は大型高炉一貫企業も,内部には大型高炉一貫システムと中小型高炉一貫システムの双方を保有していたのです。

 中国政府は鉄鋼業の高度化をめざし,設備巨大化・企業大型化・産業集中化を促進する産業政策を実施しましたが,その作用は功罪半ばするものとなりました。大型設備による沿海鋼鉄基地の形成や,旧式設備淘汰による環境改善には寄与しました。その一方,中低級品需要にこたえる民営小型企業の投資を排除しようとしたことは市場ニーズに逆行する行為でした。結果として,このニーズは,規制を逃れて投資を進めた民営企業によってカバーされたのです。

 中低級品の一部では,群生する小型民営企業に加えて,大型高炉企業までも,中小型高炉一貫システムを用いて競争しました。この激しい設備投資競争は過剰能力の形成に向かい,結果として中国鉄鋼業の高成長期を終わらせることになったのです。

 銀さんの論文は,この時期の中国鉄鋼業の技術や産業組織を理解するために,まず最初に読んでおくべきものになったと思います。

 また,この論文は徹底したケース・スタディですが,実は「生産システムー企業ー産業」という産業の三層構造分析と,「目的合理性ー執行強度ー結果」と言う産業政策の二軸三局面分析という理論的方法論に基づいています。

 前者の方法により,世界最大の製鉄国である中国が,生産システムの次元では中小型高炉一貫システムに依拠しており,また,そうでありながら企業レベルでは巨大企業の形成が進んでいるという複雑な構造を持っていることを明らかにしました。このことは,企業自身による市場適応という側面と,政府の企業巨大化・産業集中化政策の結果と言う二側面を持っていました。

 また後者の方法により,中国政府の産業政策について,政策目的通りの成果を上げたこと(沿海鋼鉄基地の形成,旧式小型設備淘汰による環境保全),政策目的を達成できなかったこと(合併・買収による産業集中度の向上),政策目的から外れた企業行動によって,かえって望ましい結果に至ったこと(民営企業の多数参入による建設用鋼材の供給)を区別して評価することを可能にしました。

 指導教員としては手前味噌ですが,本稿は,私自身の鉄鋼業研究ではこれまでなしえなかった,産業研究の理論的深化に踏み出していると思います。

銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」2022年10月6日学位授与。博士(経済学)

2022年12月5日月曜日

川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」DP版の公表にあたって

 川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」 をTERG Discussion Paper, No. 469として公開しました。野口先生の一般向け書籍をなぜ取り上げたかというと,以下の点で重要だと考えたからです。

1.CBDCはデジタル化された現金であり,現金通貨と同じ法則性を持つことを指摘したこと。これは本書の重要な貢献です。ただ,せっかくの一般向け書物なので,「CBDCはキャッシュレスでなくデジタルキャッシュである」と「CBDCは取引をキャッシュレスにするのではなく,口座振替をデジタルキャッシュ取引に変える」とはっきり断言して欲しかったです。

2.CBDCは銀行を貸し出し不能またはナローバンクにすると主張したこと。これは本書の問題点であり,批判したところです。そしてこの批判は,野口先生が依拠されている主流の銀行論,つまり預金先行説に対する批判でもあります。CBDCの姿は,貸付先行説で銀行を理解することによって把握可能となります。

 貨幣論の研究の発表の場を,ようやくブログからDPに広げられました。論文まで行けるように頑張ります。

 なお,本稿は2021年12月3日の記事を,原形をとどめないほど大幅に改定したものです。


川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」TERG Discussion Paper, No. 469,1-12。

2022年11月27日日曜日

21世紀日本における軍事費の紆余曲折:山田朗氏作成の表を読む

  山田朗「自衛隊はどう変わりつつあるのか」『経済』2022年12月号が45ページに「日本の軍事費(1995-2022年)」と言う表を掲げている。これを見て、21世紀日本の軍事費が意外な動きをしていることに気が付いた。そして、現在の「GDP2%」という自民党の軍事費拡張路線が、財政構造を一気に変えようとするものであることが明らかになった。以下、数字をただ読んだだけであるが、「Kaコメ」は私なりの解釈であり。素晴らしい表を作成してくださった山田氏に感謝する。なお、本ブログの趣旨は山田氏自身の解釈と同一ではないかもしれないが,さほど違いもしないだろうと予想する。

 なお、ここで言う軍事費の定義は、防衛本庁・防衛施設庁・安全保障会議の当初予算合計額である(2を除く)。

 用いる指標は軍事費の絶対額、対歳出比率、対前年度比伸び率、対GDP比率である。

1.「GDP比1%枠」は維持されていた

*「1%枠」は1976年に三木内閣によって設定され、1987年に中曽根内閣によって廃止された。しかし、結局1%枠は生き続け、21世紀になってからも1%を超えたのは2002年度だけであった。

*Kaコメ:世論や対アジア諸国外交、他用途の圧迫を考慮すると、自民党政権と言えど安倍政権と言えど、これまで1%を守らざるを得なかったのだ。

2.世界の軍事費ランキングで日本は大きく下がった

*この統計だけは、垣内亮ほか「『軍事費2倍化』は何をもたらすか」『経済』2022年12月号、17ページを参照した。したがって軍事費の定義もストックホルム国際平和研究所のものであり、他の項目と異なっている。

*同研究所の基準で見た軍事費の世界ランキングにおいて、1995年に日本は2位だった(1位はアメリカ)。それが2021年には9位に下がった。2-8位は中国、インド、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、サウジアラビアだった。

*Kaコメ:なぜこんなに順位が下がったのかと言うと、「GDP比1%」枠を守ったからである。「1%枠」を守ると、日本のGDPは1990年代後半以降ほとんど成長しなかったので、軍事費も増加しようがなかった。他の上位国はそれぞれの事情で軍事費を増やしたために追い抜かれたのである。身もフタもない話である。

3.小泉内閣から安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田内閣まで軍事費は減り続けていた。

*2003年度から2012年度まで10年間連続で軍事費の絶対額は減り続けていた。

*対歳出比率も多少上下しながら小泉内閣前年度の2000年度:5.79%→2012年度5.14%と低下した。

*対GDP比率も2000年度:0.99%→2012年度:0.97%と低下した。

*Kaコメ:率直に驚いた。これほど連続して減額されているとは思っていなかったからだ。この時期の前半は、小泉構造改革期であり、小泉内閣がバカ正直にマイナスシーリングを軍事費にも適用したことが大きいと思われる。その後も歳出抑制傾向は続き、拡張される場合もリーマン・ショック対応など軍事以外を優先したのだと思われる。

4.安倍内閣期に軍事費は増えたが、対歳出比率や対GDP比は低下した

*2013年度から2020年度まで軍事費は毎年増え続け、とくに2014年度は2.21%と1996年度以来の増加率となった。

*しかし、対歳出比率は安倍内閣直前の2012年度:5.14%→2020年度:5.02%と低下した。

*対GDP比率も2012年度:0.97%→2020年度:0.89%まで低下した。

*Kaコメ:これも意外なことであった。安倍内閣は安全保障関連法制の整備など、制度的に日本が戦争に関与できる範囲を広げ、軍事費の絶対額も増額に転じさせたが、実は軍事費が予算や日本経済に占める地位を引き上げることはできなかったのだ。

5.菅内閣・これまでの岸田内閣は短期なので何とも言いにくいが、安倍政権を継承したものの、もっぱらコロナの影響で多少の変化があった。

*軍事費絶対額は引き続き、2021年度、2022年度とも1.08%増えた。

*対歳出比率は、安倍政権最後の年の2020年度:5.02%→2022年度:4.81%と低下した。

*一方、対GDP比率は2022年度:0.89%→2022年度:0.92%と上昇した。

*Kaコメ:コロナ禍でGDP自体が縮小したために対GDP比率が引き上がる一方で、コロナ対策のために歳出を拡大したために、軍事費の対歳出比率が下がったのだと考えられる。

6.まとめのKaコメ

 以上のように、21世紀の軍事費は、紆余曲折をたどってきた。これまでの20年間は、自民党政権も民主党政権も、軍事費を優先的に扱って来たとは言えない。何よりも「GDP比1%枠」が軍事費の頭を押さえつけていたことがわかる。だからこそ、自民党はここを突破点とし、一気に「5年以内に対GDP比2%」に持っていこうとしているのだろう。5年で対GDPを2倍にするというのは、GDP成長率を毎年1%として,これから毎年度約18 %軍事費を増やすことを意味する(※)。過去のトレンドに照らしてみると、いかに突拍子もない質的転換を目指すものであるかがわかる。

※GDPが5年間毎年1%だけ成長するものとする。すると5年後にはGDPは現在の1.05倍になっている。2022年度の軍事費はGDP比0.92%なので,現在の0.92%から5年後の2%への増額には軍事費が2.28倍になる必要がある。そうすると,毎年度17.9-18.0%の伸びが必要である。

『経済』2022年12月号。

*2022年11月29日。今後の毎年度の軍事費増加率計算の仮定と結果を修正し,計算履歴を付記。

2022年11月19日土曜日

超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)

1.問題の所在

 前稿では,金利を引き上げると,日銀から日銀当座預金への利払いが増え,場合によっては赤字や債務超過もありうること,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなく営業を継続できるが,信用秩序維持能力の喪失を疑われることはありうること,債務超過を放置できずに政府が補填した場合に,政府・議会からの介入圧力が生じることを述べた。

 本稿は,一歩考察を勧めて,中央銀行当座預金への付利という手法の本質を考察したい。そもそもなぜ,日銀当座預金への利息が問題となりうるのだろうか。日銀当座預金への付利とは,金融システムの抱えるどのような特徴や問題点の表れであり,どのような機能を果たすものなのだろうか。

2.準備預金への利息付与の経過

 準備預金でもある中銀当座預金は,もともと利息が付されてないものであり,またそれが望ましいとされていた(小栗,2017,p. 104)。準備預金は,支払準備のために銀行が積むべきものだったからである。しかし,アメリカと日本では,超過準備への付利がリーマン・ショックの時に始まった(ただし欧州中央銀行❲ECB❳では1999年から準備預金全体に利息が付いていた)。その直接の動機は,金融危機の下で銀行の手元に十分な支払準備を確保すると同時に,中央銀行が短期金利に対するコントロールを失わないようにするためであった。

 リーマン・ショックに際して,各国中銀は緊急融資や債券買い上げによって銀行に豊富な準備を供給した。経済全体にも豊富な流動性が供給されるようにするためである。すると,銀行は超過準備を持つことになり,貸し出し余力をつける。資金ショートの心配はなくなる一方,超過準備に利子がつかないために,そのままでは収益性が低下する。この時,銀行行動は不確定になり,その影響でインターバンク市場が不安定になる。銀行からの資金放出がまったく不活発になって,いざ資金を必要とする銀行が調達不可能になるかもしれない。逆に,資金が大量に放出されて過剰な緩和が生じるかもしれない。各国中銀が超過準備または中銀当座預金に利息を付したのは,直接には,この状況をコントロールするためであった。これらは,ベン・バーナンキや白川方明によって証言されている(白川,2018;バーナンキ,2015,pp. 76-77)。

3.準備預金付利継続の論理(1)長期停滞の下での緩和基調の維持

 しかし,制度の導入時の動機と,その制度が存続して果たしている役割は異なるものである。その後,金融危機が去ってからも超過準備預金への付利は継続されてきた。危機から脱出した後は,中央銀行は超過準備を売りオペレーションによって吸収してもよかったはずである。しかし,結局これが徹底されることはなかった。アメリカで「QEの終了」が言われても,超過準備の徹底吸収がめざされた気配はないし,議論だけで「金融緩和の出口」が目指されてもいない日本ではなおさらである。それはなぜか。

 第一に,リーマン・ショック後も,金融緩和を継続せざるをえないほど,先進諸国において経済の長期停滞が明確だったからである。黒田総裁就任以後に意図的に緩和を行った日本だけでなく,アメリカもヨーロッパも,とても超過準備を吸収しきるほどの金融引き締めを行えなかった。先進資本主義諸国の経済停滞により,各国中銀が金融緩和基調を維持せざるを得なかったこと。これが超過準備の存続の根本理由と思われる。

 金融緩和,もっと言えばゼロ金利と超過準備の維持は両輪の関係にある。もし短期金融市場に十分なプラス金利があって,中銀当座預金に利息が付かないのであれば,銀行は超過準備を保有する動機を持たない(横山,2015,pp.126-131)。資金運用の機会を失うだけだからである。しかし,金利がゼロになれば別である。銀行にとって,超過準備を保有することと,インターバンク市場に放出することが無差別になるからである。しかし,それでは先に述べたように,インターバンク市場が不安定になる。そこで中央銀行は,超過準備,または中銀当座預金全体にかすかに付利することによって,超過準備保有のインセンティブを銀行に与え続けているのである。金融危機ではないときにも,程度はとにかく質的には危機と同様にゼロ近傍の金利を保ち,超過準備保有を銀行に促さざるを得ないほどの長期停滞が生じていたこと。これが,中銀当座預金への付利が継続した経済的背景である。

4.準備預金付利継続の論理(2)国債消化の円滑化

 第二に,国債消化を支え,財政の赤字運営を円滑化するためである。これは,政策当局が目的意識的に行っているかどうかは明確ではないが,事実上そのような経済的機能を果たしているということである。

 ヨーロッパでは国毎にある程度事情が異なるとはいえ,先進諸国政府は21世紀に入ってから財政を赤字基調として,国債による資金調達を行ってきた。これもつまるところは,経済の長期停滞に対処せざるを得なかったからである。

 国債発行による資金調達は,中銀に口座を持つ預金取扱金融機関によって購入される限り,マネーストックを吸収しない(最終的に個人や生命保険会社などが購入する場合は吸収する)。というのは,国債は超過準備によって購入されるからである。一方,政府が赤字支出を行うとマネーストックは増大し,それは銀行預金の純増と,それを反映した中銀当座預金の増加に反映される。なので,国債発行による財政支出では,マネーストックは増大し,銀行全体を通しては超過準備はプラスマイナスゼロとなる(※1)。

 ここで,超過準備はもともと中央銀行によって供給されるものである。そして,国債購入と政府支出の過程で一時的な短期金融市場の引き締まりが起これば,やはり中央銀行が買いオペを行って対抗するだろう。また,中央銀行がさらなる金融緩和を意図する場合や,銀行にとって国債購入が魅力的でない場合には,事後に中銀が買いオペレーションを行うことになるだろう。この場合は,金融緩和と事実上の財政ファイナンスが同時に行われる。超過準備はさらに積みあがるが,ここに利息が付されていれば,銀行はこれを保持し続ける。そして,超過準備の金利を上回る貸し出しを求めて行動することになる。

 このように,国債消化を円滑化すること,具体的には金融を引き締めず,場合によっては一層緩和し,事実上の財政ファイナンスを行いながら赤字財政を実行させることに,超過準備が大いに貢献している。超過準備は,いわば国債を引き受けるためのクッションである。その厚みは,国債を引き受けたことで減少するが,財政支出によって回復する。一層の金融緩和が意図される場合や,国債の魅力に疑念がある場合には,中央銀行が買いオペを行うことで,クッションには一層厚みが出るのである。

5.結論と残された課題

 以上,中銀当座預金への付利とは,直接にはゼロ近傍の金利の下で銀行に過剰準備の保有を促すためものであった。中央銀行がそのような政策に出ることを後押ししたのは,先進資本主義諸国の長期停滞という事態であった。長期停滞のもとで伝統的な金利操作は通用しなくなり,また財政は赤字基調とならざるを得なくなった。この二つの条件の下で,金融緩和を有効に行うための手段として,また国債の円滑な消化の手段として用いられたのが過剰準備だったのである。

 したがって,中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである。これが,付利された中銀当座預金の累積の背後にある経済の実態であり,またこの利払いというコストの本質である。

 次に検討すべきは,このコストが,中央銀行と金融・財政システムの運営にとって支払に値するものであったのか,すなわち中銀当座預金への付利は,金融政策と財政政策を有効に作動させたのか,金融・財政政策を作動させるという便益に見合うコストであったのか,ということである。稿を改めたい。


※1 この理解は通説と異なり,国債発行がカネのクラウディング・アウトを起こさないとするものである。川端(2019.9.5)を参照。

<前稿>

川端望(2022.11.16)「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)。

<続稿>

川端望(2023.7.6)「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html)。


<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf)。
川端望(2019.9.5)「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ( https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html )。
白川方明(2018)『中央銀行:セントラル・バンカーの経験した39年』東洋経済新報社。
横山昭雄(2015)『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社。
バーナンキ,ベン(小此木潔訳)(2015)『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録(下)』角川書店。


2022年11月16日水曜日

日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)

 1.「金融緩和の出口」における日銀の業績悪化とはどういうことか

 2022年現在,日本以外の先進諸国はインフレ抑制を掲げて金利を引き上げつつある。金融緩和を継続する日本銀行についても,出口戦略の在り方が問われている。かねてより日本銀行については,利上げを行うと日銀の業績が悪化し,債務超過もありうるのではないかという問いが提出され,そうした事態が生じる可能性や,それが金融秩序に深刻な脅威となるか否かについて,いわゆる「出口戦略」として議論が行われてきた。

 この問い自体については,すでにいくつかの意見が提出されている。野口(2022.6.23)中里(2022.10.11)木内(2022.11.2)などである。また学術的な検討しては,小栗(2017)等によってなされている。これらをまとめると,以下のような共通の理解が得られる。結局のところ日銀の業績悪化が債務超過に至るかどうかは,利上げの幅次第である。業績悪化をもたらす要因として国債等の資産価格の下落と,超過準備への利払いの拡大が挙げられる。どちらかというと,業績悪化の直接要因となりうるのは後者の方である。国債については,日銀が長期保有するために,直接の損失減となる可能性は低いが,超過準備への付利は,金利引き上げとともに確実に日銀の支払いを増やすからである。ただし,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなくオペレーションを継続できることは,論者の間で見解が一致している。問題は,その時に信用秩序維持能力の喪失を疑われて,円や国債への売り攻撃を招くことがあるかどうかであろう。

2.信用秩序への疑念は,中央銀行の在り方への疑念をも呼び起こす

 ここからは私見であるが,私は日銀が信用秩序維持能力を疑われることはありうるし,それは単に市場心理の問題ではなく,根拠のあることだと考える。それは半官半民の存在であり,また通貨価値維持のために中央政府からの一定の独立性を持つべきとされているという,中央銀行の独特な性質に関係する。

 いま,日銀が債務超過になるほど準備預金へ利払いを迫られるとしよう。日銀は円については支払い不能にならないので,日銀当座預金口座にお金を振り込んで利子を支払うだろう。さらに,銀行が超過準備に対する利子を得たとして,それをさらに超過準備に積み増した場合,利子が利子を生む結果となり,さらに日銀は当座預金を積み増さねばならないかもしれない。債務超過になっても利払いを続ける日銀は,株式会社という観点から言えば不健全であり,経営規律を失っているとみなされる恐れがある。また公的機関としてみれば,日銀の財務的都合だけのためにマネタリーベースを追加供給して銀行の利益に奉仕する状態となっており,有効な金融引き締めを行っているのかどうかを疑われかねない。

 債務超過の日銀をそのまま放置してオペレーションを継続させることは,理論上は可能だし,おそらく日本では法律上も可能である。決算を財務省が承認することも妨げられていない(衆議院議員藤岡隆雄君提出日本銀行が債務超過になった場合の日本銀行法第八条の出資の扱い等に関する質問に対する答弁書,2022年6月24日)。その上,現行の日銀法は政府による日銀の損失補填を禁じてしまっている(旧法では逆で,補填義務があった)。しかし,放置すれば上記の要因により金融不安が高まるかもしれない。さりとて,例外的に交付国債などによる補填を行えば,財政負担が生じるとともに,国会が日銀の在り方について発言する資格があるとみなされるだろう。すると,日銀の独立性は縮減される恐れがあり,その是非が問われてくる。

 つまり,日銀の信用秩序能力が疑われるということは,金融不安を引き起こす可能性を持つとともに,半官半民の日銀の在り方,日銀の独立性の在り方について,疑問を惹起するきっかけとなってしまうのである。

 また,こうした疑念は,実態的な根拠以上に拡大することも十分考えられる。投機家は,自分自身が「日銀に不安がある」と思うからではなく,「多くの投機家が日銀に不安があると思っているだろう」という予想に基づいて行動するものだからである。したがい,円に対する売り浴びせによる為替レートの下落,あるいは日銀の保有資産の主力を占める国債に対する売り攻撃による国債価格の下落,その裏返しとしての長期金利の高騰が生じる危険性はあると言わねばならない。また,続稿で説明するが,こうした事態は,大量の国債発行による財政赤字の累積と同時並行で生じると考えられるので,実体経済におけるインフレーションの発生と同時に進行するかもしれない。その場合は,日銀への不安は引き締め能力への不安という方向で発生し,インフレを加速させるだろう。

 繰り返すが,信用貨幣論を持ち出すまでもなく(※),すべての論者が一致しているように,日銀は債務超過となっても円について支払い不能になることはあり得ない。しかし,日銀の信用秩序維持能力に疑念が持たれることはあり得る。その疑念は実態的根拠を持つし,また実態的根拠以上に拡大し得るものである。また,日銀の,半官半民という性格と政府からの独立という正確にたいする疑問を惹起しかねないものなのである。したがって,「出口」において,日銀の支払い不能を懸念する必要はないが,信用秩序維持能力に対する疑念が発生した場合について考えておくことは必要であろう。

3.そもそもなぜ付利を続けているのか

 以上が,日銀の業績悪化に伴って生じる事態への,いわば予想である。しかし,真に考えるべき問題は,この先にある。そもそもなぜこのような問題が生じるかである。2008年までは日銀当座預金には利息が付されていなかった。超過準備に付利し,その超過準備が膨れ上がっているからこそ,こうした問題が生じるのである。それでは,日銀を含む先進諸国の中央銀行は,なぜ超過準備(または中銀当座預金全体)に利息を付与するようになり,今も付与し続けているのであろうか。これを,より深く掘り下げて考えることが本題である。続稿にて論じる。


※信用貨幣論によって,日銀が円について支払い不能に陥らない理由を述べると,「管理通貨制度のもとでは,日銀当座預金と日銀券(ベースマネー)よりも高度なお金が,国内にはないから」となる。資本主義経済における貨幣の主力は,正貨と信用貨幣である。貸したお金の回収が危なくなるときの人の行動原理は,「もっと信用の高い債務証書(手形)をよこせ。それもないなら正貨をよこせ」である。会社の手形が不渡りになりそうだったら,いますぐ銀行預金に振り込んで返せとか日銀券で返せなどという。企業の手形より銀行預金(銀行の手形)や日銀券(日銀の手形)の方が信用があるからだ。銀行の経営が危なくなったら,預金をおろして日銀券に換えようとする。その銀行の預金(銀行の手形)が信用できなくなって,日銀券(日銀の手形)を求めるのである。もし金本位制であって金兌換が可能ならば,銀行券や日銀券が信用できないと思ったら金に換えろと要求するだろう。

 管理通貨制度では,このうち金兌換が停止される。日銀の信用に不安があっても,日銀当座預金と日銀券しかとりたてようがない。そして,日銀は日銀当座預金と日銀券はいくらでも作り出して支払うことができる。なので,たとえ債務超過になっても日銀は倒産せず,営業を継続できるのである。

<続稿>

川端望(2022.11.19)「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post_19.html

<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113( https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf )。
木内登英(2022.11.2)「FRBの損失発生は利上げを制約するか:損失は日銀の正常化実施の障害となるか」NRIコラム( https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2022/fis/kiuchi/1102_2
中里透(2022.10.11)「日銀はなぜ利上げをしないのか――マイナス金利について考える」SYNODOS( https://synodos.jp/opinion/economy/28365/ )。
野口悠紀雄(2022.6.23)「日本銀行が利上げで数十兆円の「債務超過」に陥ると何が起きるのか」DIAMOND online( https://diamond.jp/articles/-/305209 )。

2022年11月3日木曜日

手形交換所や紙の手形がなくなっても,現代の金融システムは手形原理に依拠している:MMTとの見解の相違にも触れて

1.手形交換所の交換業務終了と決済の今後

 11月2日,全国の手形交換所が交換業務を終了した。4日以降は電子交換所が稼働するとのことだが,これはいわば「つなぎ」的存在だ。というのは,紙の手形をスキャンして,スキャンデータで交換業務を行うだけのものだからだ。経産省は,約束手形を2026年までに廃止する方針とのことである。今後の企業間債権決済業務の本命は「電子記録債権」,略称「でんさい」とこれを決済する「でんさいネット」で,要は初めから紙をつかわない電子手形である。

 紙の手形は姿を消すし,「でんさい」もかつての紙の手形ほどはつかわれないだろう。いわゆる「現金決済」が増えたからであるが,これは正確ではない。札束としての現ナマで支払うことが増えたのではなく,ただちに預金口座振り込みで決済することが増えたのである。預金口座振り込みとは,つまり「預金=銀行の一覧払手形」を用いた決済である。手形の債権債務の差額が手形交換所で相殺されるように,銀行間の債権債務の差額は,日銀当座預金内で相殺される。もちろん銀行業務はオンライン化されていて,銀行手形もいわば電子化されている。

2.金融システムを成り立たせている手形原理

 紙の手形や電子手形だけでなく,銀行振り込みも手形原理によって成り立っている。それどころか,そもそも銀行による貸し付けも手形原理によって成り立っている。貸付とは銀行が預金という名の自らの手形を振り出して,その手形で貸し付けることである。そして銀行への利払いや返済には,預金という,その銀行自身の手形をもちいることができるのである。

 ここでいう手形原理とは,1)手形を切ることによって発生した債務証書が流通し得ることであり,2)債権債務は,多角的相殺により決済されること(その一環として,手形は,手形の振出人に対する支払いに用いることができること)であり,3)相殺し切れない差額は,通貨によって決済されることである。銀行はこの手形原理に,資本の貸し付けの原理,すなわち,利潤を生む商品としての資本を貸し付け,利子を得るという原理を上乗せして成り立つ。約束手形などの商業手形を振り出すのは商品を購入する際であるが,銀行手形=預金は貸し付ける際に振り出される。

 このうち3)の「通貨」は本位貨幣制度と管理通貨制度では性質がいくらか異なる。通貨には,金貨や銀貨などの正貨,銀行預金,銀行券,補助貨幣がある。銀行券は現代では中央銀行のみが発券する国が多い。また,民間企業では流通せずに金融機関内取引のみで流通する独自な預金として中央銀行当座預金がある。そして,このうち銀行預金,(中央)銀行券は,銀行手形がその信用度の高さと流通性の良さによって通貨となった信用貨幣である。

 正貨は,本位貨幣制が停止されて管理通貨制度に移行すると流通しなくなる。正貨流通が停止された通貨制度の下では,補助貨幣以外の通貨は信用貨幣になってしまう。そうすると,上記3)の規定はより具体的に,3)相殺し切れない差額は,より信用度の高い債務と交換されることで決済される,となる。中央銀行券の現ナマでの支払いであれ銀行振り込みであれ中央銀行による決済であれ,正貨流通が停止されても成り立っているのは,1)2)3)の手形原理は,金兌換があろうがあるまいが成り立つからである。

 このように,管理通貨制度の下での信用貨幣のシステムは,手形原理に立脚して,その上に資本の貸し付けの原理を重ねて成り立っている。紙の手形が消え,電子手形がそれほど使われなくても,手形原理は金融システム内部に綿々と生き続けているのである。

3.学説上の論点:マルクス派信用貨幣論とMMT

 私の依拠するマルクス派信用貨幣論は,以上のように手形原理から現代の通貨と金融システムを説明する。より大きく見れば,商品流通と資本主義経済の発展が信用貨幣システムの発展を支えているととらえる。

 近年,同じく現代の金融システムを信用貨幣論で説明する学説としてMMT(現代貨幣理論)がある。金融システムの説明としては,私もMMTと意見を共有するところが多くあるし,中央銀行当座預金の機能や,より信用度の高い債務との交換という理解の仕方など,MMTに学んだところもある。しかし,金融システムを成り立たせる根拠については,MMTと理解が異なるので,説明しておきたい。

 MMT(現代貨幣理論)は,現代の金融の運動様式を説明する際には信用貨幣論を取るものの,貨幣が流通する根拠は国家による課税に置く。納税に用いることができるから,人々は貨幣を受け取るというのである。それはそれで法定通貨論としてはわかる。しかし,国家のみから貨幣を説明するのは一面的であり,また信用貨幣という形態を説明するには不十分ではないか。MMTは,商品経済と資本主義経済の発展の中から信用貨幣システムが確立する論理を把握していない。商品経済自体から手形原理が生じることや,手形原理に資本貸し付けの原理を重ねて銀行が発達したことへの考慮がない。ここで,マルクス派信用貨幣論とMMTは意見が分かれるのである。

「「手形交換所」最後の業務 仙台も103年の歴史に幕 全国179カ所、電子化移行」河北新報ONLINE,2022年11月3日。

でんさいネット

「「取引適正化に向けた5つの取組」を公表しました。」経済産業省,2022年2月10日。

<関連投稿>

「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。

「マルクス派信用貨幣論とMMT:その一致点と相違点について」Ka-Bataブログ,2022年8月17日。

「続・マルクス派信用貨幣論とMMTの対比:信用貨幣の流通根拠は手形が債権債務の相殺機能を持つことか,それとも納税に使える国定貨幣であることか」Ka-Bataブログ,2022年9月8日。


2022年11月1日火曜日

2つのブロックへの世界の分裂は,経済をどれほど落ち込ませるか:IMFの警告

 IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022(アジア太平洋地域経済見通し,2022年10月), Chapter 3 Asia and the Growing Risk of Geoeconomic Fragmentation(アジアと,地経学的分断のリスク)を読んだ。

  IMFは国際貿易の分断に関するシナリオ分析を行っている。各国は2022年3月2日の国連総会におけるロシアのウクライナ侵略非難決議への態度をもとにロシア,反対国(ベラルーシ,北朝鮮など5か国),賛成国(141か国),棄権国(バングラデシュ,中国,カザフスタン,南アフリカ,ベトナムなど35か国)に分類される。分断ラインは2種類で,一つは「ロシア・デカップリング」,つまりロシアだけが賛成国との貿易を制限される場合,もう一つは「2つのブロックへの分裂」つまり賛成国と,ロシア・反対国・棄権国との貿易が制限される場合である。貿易制限の対象は,「ハイテク・エネルギー」の場合と,他のセクターでの非関税障壁が冷戦時代並みになったばあいに場合の2種類が想定される。

 結果は下記の図の通りであり,「ロシア・デカップリング」だけならば世界とアジアへの影響はほとんどない。しかし「2つのブロックへの分裂」では,対象が「ハイテク・エネルギー」だけであっても世界のGDPは1.2%,アジア・太平洋諸国のGDPは1.5%落ち込む。さらに他セクターの「冷戦時代並みの非関税障壁」が加わると,GDPの落ち込みは世界全体で1.5%,アジア・太平洋諸国では3.3%に達する。


出所:IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022, p. 50.


 以下は3章の結論部の最初の部分の訳である。

「近年,貿易政策の不確実性が高まり,各国がこれまで以上に貿易制限を強化し(特にハイテクやエネルギー分野),国家安全保障上の懸念から対内直接投資に新たな制限が設けられるなど,断片化の兆しは以前から見られていた。ロシアのウクライナ戦争は地政学的緊張をさらに高め,貿易や金融の流れが経済的というよりむしろ地政学的な要因でますます左右されるようになるリスクを前面に押し出している。本章の分析は,このような分断化の傾向が続けば,特に世界がはっきりとしたブロックに分断されるという最も激しい分断化のシナリオの場合,大きな経済的損失が-世界に,そしてとりわけアジアに-生じる可能性を強調している。さらなる分断化による悪影響を回避し,貿易が成長の原動力として機能し続けることを保証するためには,共同による解決策が必要である。」

 残念ながら,現在,この解決のための共同にとっての政治的障壁は上がる一方である。事態の改善は容易ではない。しかし,まず世界経済の分裂がもたらすであろう被害を直視することが重要だ。このIMF報告書は貴重な貢献をなしたと思う。


Overviewと全文ダウンロードページ

IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022.


IMFスタッフによる日本語ブログのページ

ディエゴ・セルデイロ,シッダート・コタリ「アジア、そして世界は、経済の分断によるリスクの高まりに直面している」IMFブログ,2022年10月27日。


2022年10月30日日曜日

雇用慣行の改革なしには,リスキリング推奨も不発に終わる:エンプロイヤビリティの二の舞にならないために

 リスキリングと言われている問題は,以前,具体的には90年代末から2000年代初頭にはエンプロイヤビリティと言われていた。スキルを学んで再就職できるようにしろというのは同じである。装いを変えて,せいぜい「副業促進」を付け加えているだけである。もちろん,職業能力開発の取り組みを広げるのはいい。私は,教育機関でも広げざるを得ないだろうと考えているくらいだ。しかし,それで雇用の質の問題が解決するとは思わない。

 ここでは若年の問題を脇に置いて中高年のことを考える。いったん離職した中高年に良質な雇用が提供されないのは,正社員のほとんどをメンバーシップ型で雇う慣行が原因である。メンバーシップ型とは「会社の一員として雇い,どんな仕事をどこで行なうかは会社が指示する」ものである。したがって賃金は「会社の一員としての重要性」で評価され,具体的な「仕事」には基づかない。「人」の能力が評価され,その能力基準に「年功」が強く加味される。

 このことが,中高年の「正社員」としての採用を著しく阻害する。中高年を雇うのは,高度専門家の場合であれ一般業務であれ,どんな仕事をしてもらうかがだいたいわかっているときである。そのため,会社としては,将来性を見込んで新卒を採用する場合と異なり,割り当てる仕事と賃金の釣り合いを考える。しかし,それを考えると,高度専門家はとにかく,一般社員では「年功」を加味した賃金になっていると高賃金を払わねばならないことが,割に合わないと受け取られる。だから,高度専門家は中途採用されるとしても,一般業務では,中高年は正社員に採用されないのである。そして,非正規とされてしまう。非正規の単価は具体的な「仕事」に基づく造りになっているが,もともと多数の正社員の「仕事」と賃金の関係を評価していないのだから,非正規にだけきちんとした評価が行われるわけもなく,その単価は,もっぱら会社のコスト上の都合で低い水準に抑えられている。

 ここに手を付けない限り,リスキリングだけでは解決しない。スキルとはテクニカルなものではあるが,値段がつくのは社会的な基準で資産として評価されるときである。テクニカルにはスキルがあっても,今の雇用慣行の中では,高度専門家の域(例:M&Aの案件発掘やアドバイザーができる金融パースン)に達するのでない限り,正社員としての転職の役に立たないだろう。エンプロイヤビリティの二の舞である。

 雇用慣行は労使の契約による部分が大きく,法律だけでは変えられない。しかし,法律と規制によって,改革をある程度促すことは可能だし必要だ。次年度の講義に向けて,この改革促進につながる政策提案を具体化したい。

 なお,先回りして行っておくが,「全員メンバーシップ型正社員で雇え」と法で命じろなどというわけでもないし(できっこない),また「全員ジョブ型雇用にしろ」と言いたいのでもない(そんなことを言っている人は,まともな学者にも実務家にもいない)。実行可能なことを考えねばならない。

2022年10月28日金曜日

預金をすることは貨幣流通にどのような作用を及ぼすか:覚書

1.現金が預金されると,貨幣が流通から外に出たことになるだろうか。

 1.1 まず本位貨幣,例えば金貨が流通している場合。

  1.1.1 ならない。なぜならマネーストックは減少していないから。1万円の金貨が銀行に預金された場合,マネーストックから現金1万円が減り,預金通貨1万円が増えるだけである。逆に,預金1万円がおろされても,預金通貨1万円が減り,現金1万円が増えるだけなので,マネーストックは増減しない。

  1.1.2 いや,なるとも言える。なぜなら金貨は流通から消えるから。1万円の金貨が銀行に預金された場合,1万円の金貨という通貨は,銀行の手持ち現金となる。場合によっては日銀に預けられる。すると,金貨は日銀の資産となる。


 1.2 次に管理通貨制度下の中央銀行券,たとえば日銀券の場合。

  1.2.1 ならない。なぜならマネーストックは減少していないから。1万円の日銀券が銀行に預金された場合,マネーストックから日銀券1万円が減り,預金通貨1万円が増えるだけである。逆に,預金1万円がおろされても,預金通貨1万円が減り,日銀券1万円が増えるだけなので,マネーストックは増減しない。

  1.2.2 いや,なるとも言える。なぜなら日銀券は流通から消えるから。1万円の日銀券が銀行に預金された場合,1万円の日銀券という通貨は,銀行の手持ち現金となり,一時的に流通から消える。さらに多くの場合日銀に預けられる。すると,日銀券発行高が1万円減少し,日銀券は消滅するか,日銀が保管するただの紙切れになる。


2.なぜ,このように現金が預金されると,貨幣が流通から外に出たことに「ならない」とも「なる」とも言えるのか。

 2.1 預金者から見れば,手持ちの現金を銀行の債務証書=預金と交換するに過ぎない。そして,預金は支払い手段としての貨幣の機能を果たすので,流通内にある。流通する貨幣量が変動しない以上,貨幣は流通の外に出ていない。

 2.1 ところが,預金というのは預金者が銀行に貸し付ける行為である。貸し付けを行えば,貸し主は借主の債務証書を入手し,借り主は借りた現金を入手する。債務証書の信用度が,貨幣として用いることが出来るほど高いのであれば,この時貨幣は,現金だけ存在する状態から,現金と債務証書が存在する状態になり,量は2倍に増えているのである。そして,貸し主が入手した債務証書=預金通貨は流通内にとどまり,借り主すなわち銀行が借りた現金の方は流通の外に出る。


3.流通から出た現金は蓄蔵貨幣となるだろうか。

 3.1 金貨が流通している場合は,なる。金貨は銀行の手元か日本銀行の手元で,流通の外の価値を持った資産となる。ただし,このとき貨幣流通量は減っていない。

 3.2 管理通貨制度で日銀券が流通している場合は,ならない。銀行の手元に置かれた日銀券は,預金の引き出しに備えて一時的に保有されるに過ぎない。つまり,ごく一時的に流通の外に出て,また流通内に戻る準備をしているに過ぎない。また日銀に預けられれば,日銀券は貨幣の資格を失う(ただの物理的な紙になる)。流通の外には出るが,価値を維持して蓄蔵されることはなく消滅する。


4.以上のことと,貨幣・信用理論の命題との関係。

 4.1 預金することが「貨幣が流通から出ること」を意味すると理解するのは,「現金そのものが流通から出る」という意味で言っているならば正しいが,「貨幣流通量が減少する」という意味で言っているならば正しくない。両者が混同されている場合があるように見受けられる。

 4.2 預金することが「蓄蔵貨幣を形成する」と主張するのは,本位貨幣については正しいが,中央銀行券については正しくない。この点では,古典的貨幣観がそのまま正しい。預金された中央銀行券を蓄蔵貨幣と見なす説もあるが,無理がある。

 4.3 不換の中央銀行券が「預金によって流通から出ることができない」と主張するのは,「蓄蔵貨幣にはなれない」という意味では正しいが,「中央銀行券が流通から出られない」という意味では正しくない。出て,まもなく流通に戻る場合もあれば,出て,そのまま消滅する場合もある。

2022年10月27日木曜日

博士論文Naoki Sekiguchi, Catch-Up of the Steel Industry in Non-OECD Countries in the 21st Century: Developments in Steel Trade and the Role of Technology(21世紀における非OECD諸国鉄鋼業のキャッチアップ:鉄鋼貿易の発展と技術の役割)の公開によせて

  3月に博士(経済学)の学位を取得して後期課程を修了したゼミ生,関口直樹さんの博士論文が東北大学機関リポジトリTOURで公表されました。この博士論文は,関口さんがこれまでMineral Economics誌で発表された3本の論文をもとにしていますが,一つの博士論文としてまとめるにあたり,大幅に改稿したものです。

<博士論文>
Naoki Sekiguchi, Catch-Up of the Steel Industry in Non-OECD Countries in the 21st Century: Developments in Steel Trade and the Role of Technology.(21世紀における非OECD諸国鉄鋼業のキャッチアップ:鉄鋼貿易の発展と技術の役割)(審査委員:川端望,黒瀬一弘,佐藤創)

全文
http://hdl.handle.net/10097/00134995

審査結果の要旨
http://hdl.handle.net/10097/00135266

 本論文は,1)研究者や実務家によって直観的には予想されていながら十分証明されていなかった,キャッチアップにおける高炉・転炉法の役割について,非OECD諸国を包括するデータによって裏付けました。また2)21世紀前半の非OECD主要製鉄国を対象として分析することにより,発展途上国・新興国鉄鋼業のキャッチアップが,長い紆余曲折を経て進むものであり,また不均等に進むものであることを明らかにしました。従来,新興国鉄鋼業の発展モデルとしては,韓国や台湾のように,最新技術の導入によって急速に発展するパターンが中心に据えられがちでした。しかし本論文は,21世紀前半の非OECD主要製鉄国からは別の経路が見えてくることを示したのです。

<主要業績>
Sekiguchi, N. (2017). Trade specialisation patterns in major steelmaking economies: the role of advanced economies and the implications for rapid growth in emerging market and developing economies in the global steel market. Mineral Economics, 30(3), 207-227.
https://doi.org/10.1007/s13563-017-0110-2

Sekiguchi, N. (2019). Steel trade structure and the balance of steelmaking technologies in non-OECD countries: the implications for catch-up path. Mineral Economics, 32(3), 257-285.
https://doi.org/10.1007/s13563-018-0163-x

Sekiguchi, N. (2022). The evolution of non-OECD countries in the twenty-first century: developments in steel trade and the role of technology. Mineral Economics, 35(1), 103-132.
https://doi.org/10.1007/s13563-021-00276-1


2022年10月24日月曜日

アメリカの金利引き上げが度を過ぎれば世界の脅威に:ドル高円安の背後で進行している本当の危機

日本では円安を嘆く声が広がっている。目の前の苦痛を嘆くのは当然だが,その背後でより深刻な事態が進行していることを看過してはならない。ここでは,以下のことを述べたい。

1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない
2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある
3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である


1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない

 日米の金利差がドル高円安の要因だとよく言われるが,これは不正確である。なぜならば,海外事業への投資と異なり,金融商品への投資は極めて高速にポートフォリオが入れ換えられて,調整されるからである。金利差への適応は短期間で終了し,何か月も続くことはあり得ない。そして,通貨の間には為替リスクがあり,各国金融市場への評価の違いがある以上,金利裁定が終わり,ポートフォリオが入れ換えられた後も金利差は残るのである。入れ換えが終われば,そこから先は金利差があっても為替相場は動かない。

 だから,現にドル高円安が起こっているのは,金利差それ自体ではなく,今後の金利差に関する持続的予想のためである。つまり,投資家たちの「今後も日米の金利差は開くだろう」との予想が続いているために,ドル高円安が継続しているのである。


2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある

 上記の予想は,日本側の要因とアメリカ側の要因が総合されて成り立っている。日本側については,「日銀は今後も金利を引き上げずに,低位に維持しようとするだろう」という予想が成立している。他方,アメリカ側については「FRBはインフレ対策のために今後も金利を引き上げ続けるだろう」という予想が成立している。ドル高円安を招く要因は,日本側とアメリカ側,それぞれにある。


3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である

 このうち日本側の要因の背後にある問題は,低成長の持続であり,コロナ後の経済回復が弱く,賃金が上がらず,金融引き締めが適さない状況であることである。そのため,その解決は日銀の金融政策ではなく,政府による国民生活救済策,それに必要な所得再分配,そして供給サイド強化策である。このことは,すでに述べた(※1)。

 ここで問題にしたいのはアメリカ側の要因である。アメリカのFRBが自国のインフレ対策を行うこと自体はもっともである。しかし,FRBは,明らかに不況という代償を省みずに金利を引き上げ続けている。これは身勝手と言わざるを得ない。アメリカは世界の金融センターであって,ドルは基軸通貨だからである。アメリカが,不況という代償を払うほどの金利引き上げを行なってインフレ鎮静化を実現する時,ドルで国際取引を行っている他国はどうなるのか?とくに途上国の対外債務はどうなるのか?ここにこそ真の問題がある。

 幸か不幸か,これまでのところドルは途上国よりも先進国通貨に対して切り上がっている。これは上述した日本独自の低血圧的状況と,ウクライナ戦争をきっかけとしたヨーロッパ経済の急減速によるものだ。しかし途上国通貨に対しても切り上がっていることには変わりはない。「あまりにも多くの低所得国が過剰債務に陥っているか、陥りかけている。ソブリン債危機が相次ぐことを回避するためには、最も影響を受けている者を守るために主要20か国・地域(G20)共通枠組みを通じた秩序ある債務再編における進展が急務だ。直に時間がなくなるかもしれない」(IMF経済顧問兼調査局長ピエール・オリヴィエ・グランシャ)(※2)。

 危機はどこから発火するかわからない。イギリスの国債市場不安に見られるように,先進諸国が発火点になることもあり得る。問題は,どこから発火しようと金融グローバリゼーションのために燃え広がることである。念のため,その際に予想される最悪の行為を想定しておかねばならない。それは,危機がアメリカ以外のどこかで生じたときに,FRBが,アメリカとは関係ない話だとして金利引き上げを続行し,政府も事態を見過ごすことである。これこそ,世界を金融危機に陥れる行為である。国際機関と各国は,FRBとアメリカ政府が,「アメリカのインフレのこと以外は考えなくてよい」という,自己中心的見解で行動しないように,監視,助言,批判を行うべきだろう。アメリカに警戒の目を向けるべき時である。

※1 「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。

※2 ピエール・オリヴィエ・グランシャ「世界経済の雲行きが悪化し始めた今、政策当局者にはしっかりした舵取りが求められる」IMFブログ,2022年10月11日。


2022年10月20日木曜日

金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済

 IMF「国際金融安定性報告書」(2022年10月版)要旨より(日本語公式テキスト。明らかな誤字のみ修正)。

「国際金融環境は今年,著しく引き締まり,これを受けマクロ経済のファンダメンタルズが弱い新興市場国やフロンティア市場国の多くで資本流出が見られる。経済・地政学的な不確実性が高まる中,投資家のリスク選好度は9月に大幅に低下した。状況はここ数週間で悪化しており,システミックリスクの主要な指標となるドルの調達コストやカウンターパーティの信用スプレッドなどが上昇した。金融環境が無秩序に引き締まるリスクがあり,長年にわたり積み重なった脆弱性により変動がさらに高まる恐れがある。」

IMF「世界経済見通し」(2022年10月版)第1章より(DeepL翻訳を推敲した拙訳)。

「ウクライナ戦争は,いくつかの新興市場や途上国のソブリン・スプレッドの拡大を促した。この拡大は,パンデミックによる記録的な債務に起因する。インフレが高止まりすれば,先進国のさらなる政策引き締めが,新興国や途上国の借入コストに圧力をかける可能性がある。一部の大規模な新興国経済は,良好なポジションにある。しかし,ソブリン・スプレッドがさらに拡大した場合,あるいは現在の水準が長期にわたって続く場合,多くの脆弱な新興国や途上国,特にエネルギーや食料価格のショックで最も大きな打撃を受けた国にとって,債務の持続可能性が危険にさらされる可能性がある。(中略)資本流出の急増は,多額の対外資金需要を抱える新興市場経済や途上国経済にも苦境をもたらすかもしれない。これらの経済圏で債務危機が拡大すれば,世界の成長に大きな打撃を与え,世界的な景気後退を引き起こす可能性がある。さらにドル高が進めば,債務危機の可能性はさらに高まる。新興国や途上国の通貨安は,多額のドル建て純債務を抱える国々のバランスシートの脆弱性を誘発し,金融の安定に直接的なリスクをもたらすかもしれない。」

 コメントする。

 2020-2021年のコロナ・パンデミックにおいて,突如として経済活動の停止に直面した各国は,そろって金融を緩和し,国債を発行して財政を拡大した。アジア経済危機や世界金融危機にそれなりに学んだ国際機関と諸国の中央銀行・政府が,経済危機下において流動性を供給し,弱者を保護しなければならないという政策規範を持つようになっていたからだ。そして,不幸中の幸いというべきか,世界信用恐慌を防ぐことには成功した。

 しかし,金融緩和と財政拡張は,実体経済が停滞した分だけ,株式や国債への資金集中をもたらした。金融商品は,停滞した実体経済の実力以上に買われたと言わざるを得ない。各国政府は,足並みをそろえて株式バブルと国債バブルを起こし,それによってなんとか世界経済の崩壊を防いだのだとも言える。

 その代償は,経済回復とともに進行するインフレーションだった。そこに終わらないパンデミック,熱波や干ばつ,そしてロシアのウクライナ侵略を起点とした通商分断が追い打ちをかけている。世界の金融センターであるアメリカとEUは,自国・地域のインフレ沈静化を何より優先し,金利を継続的に引き上げている。またイギリスのような混乱はあるものの,財政を全体として引き締めている。しかし,自国・地域のことだけを考えた引き締め政策が,途上国経済や,先進諸国を含めて世界に存在している金融的に脆弱な分野・人々を直撃することになる。問題は各国のインフレだけではない。ディマンド・プルインフレより不況が問題な中国や日本にしても,自国の不況だけが問題なのではない。リスクは世界規模で存在する。

 2022年現在,パンデミックの最悪期と異なり,需要は回復し,経済活動は再開されている。他方,パンデミック期に撒布されたマネーは,行き先を求めている。多少なりとも盛り上がった活動にマネーが集中してブームを引き起こせば,それが引き締めによって崩壊したときの衝撃もまた大きい。どこかでの局地的なショックが,世界的な株式・国債バブルの崩壊と金融危機を引き起こしかねない。

 危険は広く存在している。しかし,どの地域のどの分野にもっとも脆弱なポイントがあるのか。どこの小さな崩壊が大きな崩壊につながる恐れがあるのか。イギリスの見当はずれの財政政策に対する債券市場の反応か。中国の不動産不況が予想以上に深いものであることか,またもアメリカの住宅市場の停滞か,どこかの株式市場の暴落か,どこかの途上国で生じる民間もしくは政府の外貨建て債務のデフォルトか,それはあまりに予想しがたい。燃料はばらまかれているのだが,どこに偏っており,加熱したときにどこに火が点くかはわからないのである。

 そして問題なのは,金融危機に火が付きかけた時に,マクロ経済政策がどう対処すべきかだ。繰り返すが,アジア経済危機以来の教訓は,金融危機時に引き締めを行ってはならないということであり,それはもっともなことだ。しかし,現在,日本を除く先進諸国はディマンド・プルの貨幣的インフレに直面しており,中国を除く途上国も同じである。金融危機が生じれば流動性を無制限に供給し,弱者を救済する以外にまともな道はないが,それではインフレに火をくべることになる。さりとて,現在のようにインフレ抑制優先の引き締めを危機が発生した際にも続ければ,危機は加速する。これは,アジア金融危機やリーマンショックの時にはなかったジレンマである。世界経済はリスクの高まりと政策的ジレンマに直面しつつある。


IMF「国際金融安定性報告書 高インフレ環境の舵取り」2022年10月。

IMF「世界経済見通し 生活費危機への対処」2022年10月。


2022年10月13日木曜日

IMF, World Economic Outlook2022年10月:インフレ,戦争,パンデミックに苦しむ世界経済。低体温の日本経済

 IMF「世界経済見通し」(World Economic Outlook)最新版が公表された。副題は「生活費危機への対処」(COUNTERING THE COST-OF-LIVING CRISIS)。

 GDP成長率見通しはウクライナ戦争前と比べて大きく下方修正されており,見通しは暗い。「物価は数年ぶりの高水準を上回っている。生活費の危機や、大半の地域で見られる金融環境の引き締まり、ロシアのウクライナ侵攻、長引く新型コロナウイルスのパンデミックがすべて、経済見通しに重くのしかかっている」(日本語版要約ページ)。おおむね2022年よりも2023年の方が成長率が低くなると予想され,また予想の下方修正度も高い。特異欧米先進国への打撃が大きい。新興国は成長率で見ると相対的に打撃は小さいが,高い物価上昇率が低所得層にダメージを与えている。

 この中で日本は低位安定状態を保つと予想されており,意外にも2023年の成長率は先進国で最高となっている。物価上昇率も,日本で暮らす当人には深刻だが,他国ははるかに高い上昇率を示している。私の理解では、日本はコロナ後の回復が弱々しいのだが、それ故に今のところ需要超過インフレや貨幣的インフレに火が点いておらず、コストプッシュインフレだけが起こっている低体温な状態だ。

国際通貨基金(IMF)日本語ページ

※欧米と日本のインフレの性質およびインフレ対策の違いについての拙論は以下をご覧ください

「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。



2022年10月8日土曜日

T. Fujimoto, A Design-Information-Flow View of Industries, Firms, and Sites(藤本隆宏「設計情報の流れから見た産業,企業,サイト(現場)」を読む

 学部ゼミで訳しながら読むために,T. Fujimoto, A Design-Information-Flow View of Industries, Firms, and Sites(藤本隆宏「設計情報の流れから見た産業,企業,サイト(現場)」を全訳作業中。この論文はSpringerから出版されている単行書の1章だが,オープンアクセスになっており,無料でダウンロードできる。

 実は,私にはこの論文はすんなりと吸収できる。というのは,というのは,マルクス的に読めるからである。いや,階級闘争や社会主義を論じているとかいう意味ではない。以下のような経済理論的読み方ができてしまうのである。

・「ものづくりの組織能力」はマルクスの「協業による生産力」の応用と考えればいい。
・「設計情報の創造と転写」はマルクスの「労働による価値の生成」の拡張とみなせばよい。
・分析単位としての「現場ー企業ー産業」の三層構造は,私が鉄鋼業研究で採用してきた岡本博公氏の「事業所ー企業ー産業」の三層構造とほぼ同じである。岡本説の源流は,堀江英一氏や坂本和一氏によるマルクスの生産力概念の独自解釈である。
・「設計を基礎とする比較優位」も,村岡俊三氏に習った国際価値論の応用とみなせばよい。村岡氏の国際価値論は,マルクス班の比較生産費説を含んでいた。

 藤本氏ご本人はマルクスではなくリカードを現代的に継承されて本論文を書かれている。例えば本論文では利潤の存在根拠は搾取ではなく,設計情報の創造性による希少性のようである。しかし,リカードとマルクスは相当に強い継承性があるので,マルクスに慣れているとやはり本論文はすらすら読めるのである。

 しかし,言いたいのは,私が個人的事情からこういう読み方をするというだけのことではない。藤本説が古典経済学から現代の経営学に至るまでの広大な射程を持った学説だということである。

 藤本説はそのように理解されているだろうか。Google Scholarで見るとまだ7回しか引用されておらず(2022/10/2現在),藤本氏の他の論文よりも引用頻度が低いのは不満である。しかし,その理由は,なんとなく想像がつく。

 まず主流派の経済学者の場合,藤本氏の学説は経営学だということで,あまりご存じないおそれがあり,問題関心も向かないかもしれない。藤本氏のモデルは塩沢由典氏との共同研究により,多国多数財モデルの貿易論として数理マルクス経済学の場で発展させられているが,経済学の学会では少数派であろう。また,主流派の経済学者は「工場や小売店など現場のオペレーションの観察が大事である」と主張する理論を提示されても自分事と思えないのかもしれない。だから,藤本氏の学説をもっと読むべきは,数理マルクス派を除けば,マルクス経済学から出発した産業経済学者や経営学者であろう。私を含めて,どれほど生き残っているのかは別として。

 また,多くの経営学者にとっては,なぜ古典経済学や比較生産費説に寄せたモデルを論じなければならないのか,受け入れがたいのかもしれない。例えば,「第三に,A国とB国の間での,X,Y,Z 各産業の相対生産性比率のプロファイルが,両国の相対賃金率に影響を与える(藤本・塩沢 2011-2012)。つまり,競争相手国に対する全産業の相対的な生産性比率のプロファイルが相対的賃金率に影響を与えるのである。第四に,上記の相対的な生産性と賃金の結果,競争する諸国の産業X,Y,Zの相対的なコストと価格が明らかになる。長期的には,リカード的比較優位の論理により,他の国内産業よりもライバル国に対する相対的生産性比率が高い「比較優位産業」がグローバル市場で選択され,A,B,C国の産業ポートフォリオが形成される」(p. 35)などと書かれると,私には空気のような普通の話であり,経済学者にも了解可能ではあろうが,多くの経営学者にとっては自分事と思えないのかもしれない。

 藤本氏もその学説も著名である。しかし,その学説の根幹は,あまり学界に浸透していないのではないかというのが,私の余計な心配である。上記のように多くの経済学者,経営学者双方の視野の外にある領域をカバーしているからである。また,より身近な次元では,経営論壇において氏の説は単純化されて「インテグラルかモジュラーか」「組織能力に基づくインテグラルな日本のもの造りがすばらしい」「いや,そんなのはもう古い」という次元の応酬に還元されがちである。

 藤本説は,経済学と経営学を統合し,古典的学説と現代的学説を連続させる,深く広大な領域を持つものとして,もっと多くの人によってさまざまな角度から検討されるべきではないかと,私は思っている。

T. Fujimoto. A Design-Information-Flow View of Industries, Firms, and Sites.  T. Fujimoto & F. Ikuine (Eds.). Industrial Competitiveness and Design Evolution (pp. 5-41). Springer, 2018.

<関連>

藤本隆宏『現場主義の競争戦略 次世代への日本産業論』新潮新書,2013年の「情報価値説」 (2014/2/24),Ka-Bataアーカイブ,2018年10月12日。


2022年9月28日水曜日

欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か

 2022年9月現在,西欧諸国・アメリカと日本は,いずれもインフレーション対策に追われている。しかし,インフレの性質は異なっており,したがって必要な対策も,その難易度も異なっているように見える。欧米と日本では,どちらのインフレ対策の方が難しいだろうか。私には,おおむね欧米の方が難しいが,ある一点だけ日本の方が苦しいように思える。この投稿の目的は,インフレ対策というレンズを通して,当面のマクロ経済政策の望ましい方向を探り,とくに日本に独自の課題を考えることである。

1.欧米のインフレ対策:アメリカの事例を中心に

 欧米のインフレは,以前に書いたように(※1)1)自立的好況による物価上昇,2)コストプッシュによる物価上昇,3)財政赤字による通貨投入が引き起こすインフレ(ほんらいの意味の貨幣的インフレ)の3種混合である。1)と3)について別の言い方をすると,両者結合してディマンド・プル・インフレ,価格・賃金スパイラルを昂進させている。

 これにマクロ経済政策で立ち向かうことは,種々のジレンマを伴う。

 1)金融引き締め。好況の行き過ぎによる投機的需要を冷やすのには効くが,FRBも認めているように,景気自体を落ち込ませる危険性が高い。その場合,コロナ禍で広がった資産・所得格差をさらに大きくして低所得層を直撃する。もともと,貨幣的インフレで投入された通貨は金融引き締めでは回収できないので効果がない。無理に効果をあげようと金融を過度に引き締めれば,一層の不況をもたらす(この場合も,財政で投入された資金は貯蓄として眠るだけで回収はされない)。

 2)引き締めと拡張を混合させた財政政策。意図的にネジレを持たせた複雑な対応が必要になる。すでにバイデン政権がインフレ抑制法(8月16日成立)で行なっている方策がその例である(※2)。まず全体としては貨幣的インフレを抑制するために,財政を引き締め気味にして,コロナ禍で散布された通貨を回収する必要がある。ただし,コロナ禍で格差が拡大しているので,再分配を同時に強めねばならない。そのため,バイデン政権は富裕層増税,法人税の最低基準設定,自社株買い戻し課税などを行っている。

 一方,コスト・プッシュ・インフレ対策としては,生活コストを抑えるとともに,国内の供給能力を量質ともに上げねばならない。それによって輸入に依存する食糧やエネルギーの価格を抑制するのである。バイデン政権の場合,クリーンエネルギーや電気自動車(EV),省エネ機器を購入する家計にリベート支給や税額控除を行ない,医療保険やメディケアの国民負担を引き下げるとしている。ただしこれらは財政支出を増やすことになるので,全体としての引き締め傾向を損なわないように行わねばならない。バイデン政権は,全体として財政赤字は3000億ドル以上削減する意図である。

3)欧米のインフレ対策の複雑さ

 以上のように,金融政策に依存すればインフレ抑制の代償としてただちに不況をもたらす。財政政策でインフレ抑制と国民生活支援を両立させるためには,課税強化部面と支出強化部面を適切に使い分けねばならず,その調整が容易ではないのである。ジョセフ・スティグリッツ教授はインフレ抑制法を「インフレだけでなく,経済や社会が長年直面しているいくつかの重要な課題に対応する内容」と高く評価しているが(※3),共和党はインフレ抑制に効果がないと攻撃しており,その行方が注目される。

2.日本のインフレ対策

 対して日本のインフレは,もっぱら2)コスト・プッシュ・インフレである。長年の超金融緩和に加え,コロナ禍で相当な財政支出を行ったにもかかわらず,1)3)によるディマンド・プル・インフレが一向に起こらないところが独特である。

 ということは,インフレ対策もコスト・プッシュ対策に絞ればよいということになり,実は欧米よりも取るべき政策は単純になる。

 1)まず金融政策である。「超」金融緩和政策は見直されるべきであるが,金融を「引き締め」てはならない。

 超金融緩和政策は,もともと景気対策としては誤っていて需要拡大に結び付かないし(※4),最近の投稿で述べたように長期的に日本経済の供給側も弱めるという弊害があった(※5)。ただし,コロナ禍では期せずして無制限流動性供給策となり,短期的に役に立ったことは公平のため述べておくべきだろう。それも,コロナ対策がウィズコロナに切り替わるために意義を持たなくなりつつある。

 よって,「超」金融緩和策は見直されるべきである。ただし,欧米のように金融「引き締め」を行ってはならない。なぜならば,日本の景気は過熱してもいないし,財政赤字で撒布された資金が企業・店舗の設備投資や個人消費に回って物価を押し上げているわけでもないからである(この夏にリベンジ消費ブームが起こる可能性はあったが,第7波で吹き飛んだ)。

 したがい,「超」金融緩和を,超のつかない金融緩和にするくらいが妥当であろう。具体策には,コロナ禍対策の無利子・無担保融資支援の終了(これは日銀もすでに表明したが,賛成である),短期金利のマイナス誘導と長期金利のゼロ誘導中止,ETF購入の中止と債券購入に移行しての購入規模縮小,0.25%での指値オペの縮小を,金融市場へのショックに注意しながら行うことである。そして短期金利をゼロ水準まで戻し,それ以上は引き締めない程度が適当であろう。

 2)次に財政政策である。日本ではコロナ禍のような財政拡張は中止すべきだとしても,欧米と異なり財政全体を引き締めるべきではない。貨幣的インフレが起こっていないからである。それどころか,長年政府・日銀が熱望していたように,需要増大によるゆるやかな貨幣的インフレを起こす方が望ましい状態は何も変わっていないのである。

 これまで繰り返し主張してきたように,政府・日銀の誤りは,リフレーション理論,すなわちゼロ金利下でも,貨幣的インフレと好況を金融政策単独で起こせるという考えにある。この誤った金融政策への依存を止めねばならない。かわって必要なのが財政政策である。この構図はアベノミクス期以来何も変わっていない(※6)。

 ただし,コロナ禍で撒布された財政資金は,企業・家計の手元に眠ったままであることには注意が必要である。これが一気に財・サービスに買い向かえば行き過ぎたディマンド・プル・インフレへと逆転する。したがい,財政全体としては,プライマリーバランス均衡目標を放棄し,コロナ以前程度の財政赤字水準で管理するくらいがよいだろう。

 そして,生活支援と再分配の強化が必要である。コロナ禍と異なるのは,支援対象を「企業・営業」ではなく,「国民生活」にし,需要を維持することによって営業も支援するという姿勢に変えることである。岸田内閣による低所得層への一時金は悪くはないが,より体系的に税制を改正すべきだろう。具体的には,所得税の累進性を1980-90年代に実施されていた程度に戻し,非課税の低所得者には逆に現金を給付するマイナスの所得税を設定すべきだろう。またバイデン政権の政策を参考にし,自社株買い戻しやキャピタル・ゲインへの課税を強めることも,実行可能な範囲だろう。これ以上のインフレとなれば,消費税減税も視野に入れるべきだ。

 供給力強化も必要である。2021年以来の国際価格高騰とウクライナ危機を踏まえれば,エネルギーの効率的国産化は急務である。建物の省エネ化補助は,費用対効果の高い温暖化対策であり景気対策になる。再生可能エネルギーに対する補助を,場当たり的なものではなく地域環境と両立するものにし,洋上風力と,建物屋上の太陽光発電設置を支援することも現実性は高い。

3)日本のインフレ対策の単純さ

 このように,日本のインフレ対策は,1)金融政策は「超」金融緩和から「超」を取るだけでよく,景気を犠牲にして物価を抑える理不尽を必要としない。2)財政も緊急の引き締めを必要としない。この2点において,ほんらい欧米よりも単純であり,犠牲の少ない形で実行可能なのである。

 インフレ時に金融・財政を引き締めないのはおかしいとの意見があるかもしれないが,それはインフレの性質を見誤っているからである。日本の景気は過熱しておらず,ディマンド・プル・インフレの指標である賃金上昇はかすかにしか起こっていない。そのため,引き締める必要がないのである。緩めの金融によって景気が上向き,緩めの財政によって家計の実質購買力が上昇するならば,たとえ物価上昇率がさらに上がっても,その方が望ましいと考えるべきである。

4)日本独自の困難:賃金の上がりにくさ

 しかし,日本のインフレ対策には,唯一,欧米と真逆の困難が存在する。それは,賃金の上方硬直性,すなわち上がりにくさである。2022年春闘の主要企業賃上げ率は2.0%に過ぎなかった(※7)。2022年7月確報の所定内給与上昇率は一般労働者1.1%,パートタイム労働者2.5%に過ぎない。所定外給与がそれぞれ4.7%,14.0%上昇して人手不足は起こりつつあるが,所定内給与への反映が十分ではない(※8)。最低賃金は引き上げられているものの,時給1000円を超えているのは3都府県のみである(※9)。

 日本の賃金は労働市場の需給関係にはさすがに反応するが,労働運動が極度に弱体化しており,また民間大企業の企業内労組が正社員しか組織していないうえに,経営業績に過度に忖度するため,相場づくりができていない。

 このため,金融・財政政策を適切に行っても,なお物価の先行上昇が賃金に波及しにくく賃金圧力が先行しての賃金・価格スパイラルは到底生じないのである。1970-80年代には,日本的労働慣行は,賃金・価格スパイラルが悪性インフレを後押ししてしまう欧米と異なる日本経済の評価すべき点とされていたが,ここに来てまったくのマイナス要素となっている。

 この賃金の上方硬直性については,インフレ対策のような短期のタイムスパンで対処できることは少なく,最低賃金の継続的引上げと地域間均衡の促進,労働行政強化によるコンプライアンス強化くらいかもしれない。それ以上は,どうしても労働市場と雇用慣行の改革が必要であろう。


※1 「『金融引き締めによるインフレ抑制』で何が起こっており,何が犠牲にされているのか」Ka-Bataブログ,2022年9月5日。

※2 「バイデン米大統領、インフレ削減法案に署名、中間層に成果アピール(米国)」JETROビジネス短信,2022年8月17日。

※3 「スティグリッツ氏 米インフレ抑制法が大きな意味を持つ理由」日経ビジネス,2022年8月24日。

※4 「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。

※5 「超金融緩和が日本経済に引き起こした矛盾」Ka-Bataブログ,2022年9月27日。

※6 この点に関する限り,常識的な経済理論よりMMTの方が正しいと私は考える。以下の対比を参照。「MMTと常識的な経済学とでは,ゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。

※7 厚生労働省「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」を労働政策研究・研修機構サイトで確認。

※8 厚生労働省「毎月勤労統計調査 令和4年7月分結果確報」。

※9 厚生労働省「令和4年度地域別最低賃金改定状況」。


2022年9月27日火曜日

超金融緩和が日本経済に引き起こした矛盾

  円安下のコスト・プッシュ・インフレのもとで,日本銀行は超金融緩和の継続を宣言している(※1)。ここでは,超金融緩和が継続されたことによって日本経済がどのような影響を蒙っているかを,やや長期的な視点から考えたい。とくに「矛盾」という切り口を重視したい。超金融緩和からの出口について,竹を割ったようなすっきりした主張が出てきにくいのは,それが「あちら立てればこちら立たず」という矛盾を引き起こしているからである。それ故,解決にはひと工夫もふた工夫も必要であるが,まずこの矛盾の所在を明らかにしなければならない。以下は,まだ裏付けが十分でないところもある試論である(※2)。

1.超金融緩和がなければ成り立たない低収益・ローリスクの事業によって雇用が底支えされるという矛盾

 日銀の超金融緩和は,金利水準の面から言えば短期金利をマイナス,長期金利をゼロに誘導しようというものである。しかし,これが,本来望んだ効果,すなわち実質利子率を下げることにより企業の実体経済への投資を促進して生産と雇用を拡大し,物価上昇と賃金上昇の好循環としての緩やかなディマンド・プル・インフレを起こす,という結果に結びついていない。それどころか,黒田総裁の「異次元緩和」から起算すれば約10年,事実上のゼロ金利から起算すれば実に四半世紀に及ぶこの超緩和策は,元々想定していなかったような企業行動の歪みを発生させている。

 主要な歪みの一つは,超金融緩和の下でしか存続できないような,収益性もしくは成長性の低い事業投資の保護である。いくら金利を引き下げてもディマンド・プル・インフレが起きないことで,いわゆる「自然利子率」の低迷と指摘されている。これは,低金利の下でも,事業投資が拡大して,モノや人の奪い合いとなり,インフレとなるようなことが起きていないという現象を解釈する用語である。著しく引き下げられた現行利子率でも純投資が拡大しないのは,国内市場での販売見込みと期待収益率に企業経営者が確証を持てないからである。投資決定は不確実性があるため,金利の上昇・下降に対して投資決定の拡大・縮小が素直に対応するかは断定できないが,金利がより引き上げられれば,さらに投資が減退する恐れはある。裏返すと,現に行われてきた純投資プロジェクトが,金利が過度に低く抑えられている環境の下では成り立つが,そうでなければ利益を生まない,あるいは当初の利益は小さくてもその後成長するという見通しを持てないようなものへと,つまりは低収益またはローリスクなものに偏っている恐れがある。これを直接観察できる指標は少ないが,間接的には生産性向上率の低下と潜在成長率の継続的低下から読み取ることができる。

 この問題の解決は一筋縄ではいかない。それによって,多くの雇用と所得が支えられているからである。その規模は実証的研究にて確かめねばならないが,一定規模に達することは十分予想できる(※3)。

2.まともにくらすためには時給1500円が必要だが,より低賃金で成り立っている企業が多いという矛盾

 収益性や成長性の低さは,別の面からも察知できる。今日,全労連等の労働組合が指摘するように(※4),20代の単身者が憲法の求める健康で文化的な最低限度の生活を送るためには,時給計算で1500円の賃金が必要である。したがって,全国一律最低賃金1500円を支給せよという要求はもっともである。ところが,これは東京都の最低賃金1072円(2022年10月1日改訂)の1.4倍であり,最低水準の都道府県の853円の1.8倍なのである(※5)。

 直ちに時給1500円を支給すれば経営困難に陥るか,事業を縮小して雇用を削減するような企業が,中小零細企業を中心に多いことも,その詳細は実証研究にて確かめねばならないとしても,まずまちがいない。この中には,通常の意味で生産性が低い企業の他に,下請けシステムの下で低収益を強いられている企業や,自営的経営のために低賃金・低生産性でも存続能力が高い企業があることも問題を複雑にしている。しかし,非正規雇用を含む低賃金によって事業を成り立たせ,低賃金と引き換えに雇用を維持している低収益の企業が広範に存在していることは疑いえない。

 そして,問題は,これらの企業の事業投資のうちいくらかが,超金融緩和措置ゆえに成り立っていると考えられることである。金利が引き上げられればさらに収益性が悪化することはすぐにわかる。この意味で,超金融緩和策は,低収益の事業投資を保護することで,低賃金の企業ーー経営と雇用を維持を目的にやむを得ずそうしている経営者もいれば,人権無視のブラック労働を平然と課す経営者もいるだろうーーを成り立たせており,つまり低賃金と引き換えに雇用を維持している可能性がある。

3.暫定的評価

 超金融緩和策は,投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環という,所期の目的をまったく達成していない。むしろその作用によって,以下のような矛盾を引き起こしている可能性がある。

 超金融緩和策は,その下でしか成り立たない,あるいは賃金を抑えることによってしか成り立たないような事業,したがってその事業を行う企業を保護している。超金融緩和は,これによって日本経済の供給側のパフォーマンス,つまり高い生産性で財・サービスを供給し,高い賃金を支払い可能にする能力を長期的に悪化させている。また需要側のパフォーマンス,すなわち投資と消費の水準を双方とも弱々しいままに停滞させている。しかし,複雑なのは供給の上限と需要との関係である(図。著者作成)。供給パフォーマンスの悪化は,潜在GDPに一応表される供給の天井が伸び悩むことを意味する。他方,現実のGDPは需要不足によりこれに及ばない。両者のギャップが,すなわちGDPギャップが存在する時,失業や不安定就業や設備遊休が生じる。


 超金融緩和下の日本では,供給の上限を引き上げていないからこそ,需要が弱くとも不況が激烈にならずにすんでおり,需要を弱々しいなりに一定水準から底割れさせないようにしていると考えられるのである(※6)。

 目的を達成していない以上,超金融緩和策は見直されねばならない。タイミングとしては,円安よりもコロナ禍のウィズコロナへの移行が重要である。コロナ禍では,企業・店舗の大量倒産・廃業を避けるために,流動性供給が重要であった。そのため,超金融緩和が一時的に功を奏した面があったことは否定できない。よって,コロナ禍のウィズコロナへの移行こそが,超金融緩和の見直し時期としてふさわしいのである。

 しかし,超金融緩和を単に中止すれば,少なくとも一時的に多くの事業,したがって企業を不採算に陥らせ,雇用を縮小させる恐れがある(※7)。これまでと逆に,金融を引き締めればよいという単純な話にはならない。そもそも景気に対する調整の役割を金融政策だけでは果たすことができないのに,無理に過大な役割を持たせようとしたから問題が起こったのである。超金融緩和策の見直しに際しては,一時的な激変緩和措置を講じるとともに,実際に投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環をもたらすような別の政策を開発し,ただちに実施していかねばならない。インフレの問題を考慮したうえで,別途論じたい。


※1 日本銀行「当面の金融政策運営について」2022年9月22日。

※2 河野龍太郎『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』慶應義塾大学出版会,2022年は,論旨が錯綜している印象を受けるものの,ここでとりあげた論点については,共有できる主張を含んでいる。

※3 なお,もう一つの歪みは,企業の実物資産への純投資の停滞と金融資産へのシフトである。日本企業は,全体として有形固定資産への投資に積極的でなく,国内では実物資産の組み替え,すなわちM&Aによる企業や企業集団の再編成と金融資産への投下を増やし,実物資産への投資は海外で増やしている。これは資産構成の推移から読み取れる。なお,この他にIT投資への消極性がみられることはしばしば指摘されるとおりである。

※4 「最低賃金」と「生計費」が5分でわかる!全国一律の最低賃金1,500円を勝ち取って格差解消&「普通の暮らし」の実現へ!」全労連ウェブサイト。

※5 厚生労働省「令和4年度地域別最低賃金改定状況」。

※6 なお,ここで述べたことと矛盾するように見えることがある。それは,日本企業全体の収益性は,指標によっては高成長期より低下しているものもあれば,低下していないものもあるということである。例えば,総資本営業利益率は低下しているが,総資本経常利益率は低下していない。自己資本当期利益率は低下している。売上高営業利益率は製造業で低下し非製造業はむしろ向上しているが,売上高経常利益率は圧倒的に向上している(「法人企業統計調査からみる日本企業の特徴」財務省財務総合政策研究所,2020年5月)。
 低収益・ローリスクの事業に投資が偏っているのに,収益性指標は見方によっては悪くないというこの事態は,以下によって説明できる可能性がある。1)日本企業全体の収益率が金利低下や金融資産肥大化でバブル的に底上げされていて,実物資産の収益性は全体として低い。2)事業投資の間の収益格差が広がっていて,超金融緩和で超過利益を上げる事業もあれば辛うじて救済される事業もある。3)労働分配率の抑制によって利益率が引き上げられている。
 私はいずれも作用していると考えているが,それについて十分なデータと解釈をまだ提示できない。今後検討したい。

※7 ここで私は収益性の低い事業を営む企業を「ゾンビ企業」とは呼んでいないことに注意してほしい。「ゾンビ企業」とは,「淘汰されるべきなのに生き残っている」というニュアンスを含む用語であるが,私はここでとりあげた企業を直ちに淘汰しろと主張したいのではない。むしろ,直ちに淘汰しようとしたら雇用が失われて需要がさらに停滞するという矛盾を直視すべきと言っているのである。

2022年9月19日月曜日

ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制の違いについて

  ロシアに対する経済制裁のうち,各国からロシアへの輸出(ロシアの輸入)に対する規制と,各国のロシアからの輸入(ロシアの輸出)に対する規制を同次元で論じる議論が多いが,経済学的にはこの二つは作用が異なる。適切に区分し,また両者の相互作用を考えるべきではないだろうか。

 まず,経済制裁の最大の目的は,ロシアの戦争遂行能力をそぐことであり,もっとも直接的にはロシア政府・軍が,戦争のために必要とする物資を調達できないようにすることだと想定しよう。他の目的もあるにせよ,最大の目的はこうだと想定して無理はないはずである。

 そうすると,平時の貿易の利益と異なり,問題にすべき効果はロシアの戦争遂行能力にとってのプラスマイナスである。その際,注意しなければならないのは,ロシアが必要とするのは物資であって外貨ではないということである。戦争遂行のためには,外貨は,ただ持っているだけでは何の役にも立たない。戦争に使える物資を輸入するための代金の支払いに使える限りで意味を持つのである。

 以上のように想定した上で輸出規制と輸入規制の効力を考えよう。

*対ロシア輸出規制の実効性がある場合
 ロシアへの輸出(ロシアの輸入)に対する規制に実効性がある場合,ロシアの政府・軍は,外国から戦争に使う物資を調達できなくなる。どんなに独裁政治を敷いたところで,ロシアの実効支配地域にあるモノしか使うことはできない。元来輸入品に依存している軍需品,例えば高性能の半導体や部材がなければ,ロシア軍は戦争遂行に支障をきたす。つまり,ロシアへの輸出規制に実効性があれば,ロシアの軍需品調達を失敗に追い込めるので,ロシアの戦争遂行能力を「マイナス」に持っていくことができる。これが一番分かりやすい制裁の効き目であろう。

*対ロシア輸出規制の実効性がない場合
 逆にロシアへの輸出規制に実効性がない場合,ロシアは外貨準備を失うかわりに,戦争に必要な物資を輸入できる。もともと外貨は直接戦争に使えるものではないので,この場合,ロシアの戦争遂行能力は必要な物資を獲得出来るという点で「プラス」となる。

*対ロシア輸入規制の実効性がある場合
 次に,ロシアからの輸入(ロシアの輸出)に対する規制を考える。輸入規制がうまく機能したとしても,それでロシアの物資が減るわけではない。ロシアにとっての輸出とは,物資を失うことと引き換えに外貨を稼ぐことであるから(※1),それができなくなるだけである。つまりロシアの物資は動かず,したがって戦争遂行能力も現状から動かないという意味で「プラマイゼロ」である。

*対ロシア輸入規制の実効性がない場合
 逆に,ロシアからの輸入規制に実効性がない場合,ロシアは原燃料なり鉄鋼なりを輸出して外貨を獲得することができる。これは一見するとロシアにとって有利になっているように見えるが,そうではない。外貨は直接には戦争の役には立たないからである。むしろここでは,ロシアは物資を失っている。ただし,ロシア政府の経済統制が効いていれば,戦争遂行に必要な物資は輸出されにくいだろうから,それ以外の物資が輸出されている確率が高い。例えば天然ガスにせよ普通鋼鋼材にせよ,多少輸出したところでロシア軍は困らない。しかしロシアも資本主義経済ではあるから,企業が自己利益のために政府の意向と異なる輸出をすることもありえなくはない。よって,戦争遂行能力は「わずかにマイナス」とみておくのがよいだろう。

 以上のように,ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制の作用はまったく異なっており,戦争遂行能力をそぐために重要なのは輸出規制の方であることがわかる。

 次に,輸出規制と輸入規制を両方考慮すると,4通りの組み合わせができる。

*対ロシア輸出・輸入ともストップ(ロシアは輸入も輸出もできない)
 ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制が両方機能すれば,ロシアの戦争遂行能力は「マイナス」と「プラスマイナスゼロ」を足し合わせたものになり,輸出規制の単独の効果と同じく「マイナス」である。ロシアは輸出も輸入もできず,時とともに「マイナス」がどんどん累積することに甘んじるしかない。

*対ロシア輸出ストップ,輸入継続(ロシアは輸入できないが輸出できる)
 また輸出規制が機能して輸入規制が機能しなかった場合は,ロシアの戦争遂行能力は「マイナス」と「わずかにマイナス」を足し合わせたものになり,「やや大きなマイナス」となる。この場合,ロシアにとっては輸出を拡大することはできるが,輸出だけ伸びても輸入に使えない外貨が貯まるだけであり,物資を失う「ややマイナス」が積み重なるだけであり,政府・軍にとっては好ましいことではない。むしろロシアからの輸入を必要とする国に対して,天然ガスの輸出を絞るなどして圧力をかける選択肢を選ぶだろう。なので,早晩輸出を停止し,戦争遂行能力は「マイナス」の累積に甘んじることになる。

*対ロシア輸出継続,輸入ストップ(ロシアは輸入できるが輸出できない)
 輸出規制が機能せず,輸入規制だけ機能した場合には,ロシアの戦争遂行能力は「プラス」と「プラマイゼロ」を加えたものになり,「プラス」となる。この場合,ロシアは軍需品の輸入を拡大するという選択肢が働くので,「プラス」は時とともに大きくなっていくが,支払のための外貨を輸出で獲得することができないため,外貨の枯渇とともに輸入が止まり,「プラス」の効果もなくなる。

*対ロシア輸出・輸入とも継続(ロシアは輸入も輸出もできる)
 輸出規制も輸入規制も機能しなかった場合には,ロシアの戦争遂行能力は「プラス」と「わずかにマイナス」を加えたものになり,「ややプラス」となる。この場合,ロシアは時とともに輸出も輸入も拡大し,輸出で獲得した外貨で戦争に必要な物資を輸入することを繰り返すので,「ややプラス」は累積的に大きくなってしまう。

 さて,4通りをロシアの戦争遂行能力を低下させる順に並べてみよう。

1位 対ロシア輸出ストップ,輸入継続(「やや大きいマイナス」→「マイナス」の累積)
2位 対ロシア輸出・輸入ともストップ(「マイナス」の累積)
3位(短期) 対ロシア輸出継続,輸入ストップ(「プラス」の累積→外貨が尽きた時点で停止)
3位(長期) 対ロシア輸出・輸入とも継続(「ややプラス」の累積がずっと継続)

 ここから対ロシア輸出規制と輸入規制の性質の違いがはっきりと分かる。

 まず,ロシアへの輸出規制の方が決定的に重要であることがはっきりした。少し考えれば当たり前のことであって,ロシアが戦争に必要とする物資をロシアに送らないことが,ロシアの戦争遂行能力をそぐのである。

 次に,ロシアからの輸入規制は,輸出規制との組み合わせ次第で全く異なる結果になることが明らかになった。

 対ロシア輸出規制が効力を持っていれば,輸入規制はさほど意味がない。それどころか,規制がない方がロシアの戦争遂行能力への打撃が大きくなる可能性がある。ロシアが輸出だけして輸入できないと,ロシアから物資が出ていく一方で,ロシアには戦争に必要な物資が与えられないからである。ロシアとしては,軍需品を輸入できない状態では,輸出して外貨を稼いでも使うことができず,カネの持ち腐れである。それよりは,ロシアの物資を必要とする国に対して,ロシア側から輸出を制限する方策を取るだろう。また,この時制裁を行う側は,むしろロシアが戦争に必要とする物資まで強力に買い付けてしまうことによって,戦争遂行を困難に陥れることができる可能性がある。

 一方,輸出規制が効力を持っていない場合,そもそも制裁の効力は大いにそがれてしまうが,その程度については,輸入規制の影響を受ける。ロシアはどのみち輸入を拡大して戦争遂行能力を高めてしまうのであるが,各国の対ロシア輸入規制が有効であればロシアは輸出できず,輸入代金を支払うほど外貨は減っていく。いつかは枯渇し,輸入もできなくなる。逆にもし輸入規制が効力を持たないと,ロシアは平時と同様に次々と外貨を得て,次々と戦争に必要な物資を輸入できてしまい,制裁の効力はまったくなくなる。

 まとめよう。経済制裁に効力を持たせるための必要条件は,ロシアへの輸出規制に効力をもたせることである。輸出規制が効けばロシアの戦争遂行能力をそぐことができるし,効かないとそぐことができなくなる。

 ロシアへの輸出規制が十分に効いていれば,輸入規制は意味がなく,むしろしない方がよいこともありうる。各国がロシアの物資を買いあさり,輸入しまくることでロシアの戦争遂行能力をさらに下げられる可能性があるからである。制裁の実効性を上げる,具体的にはロシアの戦争遂行能力をそぐ上で最も望ましいシナリオは,ロシアと輸出も輸入もしないこととは限らない。ロシアに輸出はせず,逆にロシアから強力に買い付けて輸入してしまうことの方が実効性が高くなる可能性がある。

 制裁の実効性を上げるためには,ロシアへの輸出規制を漏れなく行なうことが必要条件となる。輸出規制の強化は,輸入規制と独立に行うことができる。逆にロシアからの輸入規制は,輸出規制が効いている時には強化しても意味がなく,輸出規制が効かない場合にだけ有効となる。よって,輸入規制を強めるか,逆になくすかは,輸出規制の状態に従属させて行うことが必要となる。

 このように,ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制のは異なる作用をしているのであって,同一視してはならない。つい同一視したくなるのは,平時の取引と同じく「カネがあれば何でも買える」,「輸出した者は利益を得る」と思い込んでしまうからである。しかし,これは錯覚である。ロシア政府・軍が戦争に必要とするのはモノである。モノに替えることのできないカネ(外貨)は戦争の役に立たない。モノとカネは違う。ロシアの戦争遂行能力をそぐためには,カネを与えないことではなくモノを与えないこと,カネでモノを買えないようにすることが肝心なのである。

 以上の単純な論理から,ただちに具体的な場面での具体的な方策をすべてみちびきだせるわけではない。しかし,制裁の現実を理解する上でも,この単純な論理はかなり有効である。また,単純にして厳正な論理は忘れてはならないのであり,常に念頭に置いておくべきであると思う。それに反する,錯覚に基づいた主張をしなくてすむからである。

※1 ロシア当局がルーブルでの支払いを要求している場合も,輸入する外国企業はまずロシア当局に外貨を売却してルーブルに替えてから支払っていると思われる。この場合,ロシア当局は外貨を獲得できることに変わりはない。

2022年9月8日木曜日

続・マルクス派信用貨幣論とMMTの対比:信用貨幣の流通根拠は手形が債権債務の相殺機能を持つことか,それとも納税に使える国定貨幣であることか

 先日「マルクス派信用貨幣論とMMT:その一致点と相違点について」というノートを書き,MMT(現代貨幣理論)が貨幣流通の根拠は国定貨幣説(表券主義)で,現代の金融システムの説明は信用貨幣説で説明する二元論を取っていることを記した。その時は,どうしてそのような二元論を取るのかが理解できなかったのだが,ランダル・レイの論文「現代貨幣理論への“カンザス・シティ”アプローチ:成立史から辿るMMT入門」の邦訳を読んで,どうにか理解できそうに思えてきた。レイが「ミンスキーの『誰でも貨幣を創造できる。問題はそれを受け取ってもらうことだ』という見解に従うことになった」というところに関係しているようだ。

 ハイマン・ミンスキーは債務のピラミッド論の創始者である。「このピラミッドでは、最も受けとられやすい政府の負債が頂点にあり、次に商業銀行の負債、そして『ノンバンク金融機関』の負債、非金融法人企業の負債、最後に中小企業や家計の負債が最下層に位置している。このピラミッドは、負債の受容性と流動性を反映したものであり、ピラミッドの下位に位置する主体は、支払いにおいてピラミッドのより上位にある負債を用いる」。レイはこれを受け継いでおり,ここまでは信用貨幣説である。

 では,頂点にある政府の負債はなぜ受け取ってもらえるのか。レイやそのほかのMMT論者は,ここを国定通貨説で説明しているのである。「納税者が税金の支払いのために自国の通貨を政府に返還すると、納税者と政府の両方が償還される。納税者にはもはや税金という負債はなくなり、政府の自国の通貨を受け入れる義務は果たされる」というわけである。つまり,「納税に使える」ということが,政府の負債が貨幣として流通する根拠なのである。以上がMMTにおける信用貨幣説と国定貨幣説の結びつき方である。

 とすれば,私の理解する日本の伝統的なマルクス派信用貨幣論との違いは,以下のようになる。もっとも,日本のマルクス派信用貨幣論にもヴァラエティがあるので,これは私が,できる限り首尾一貫して理論を組み立てればこうなるだろうとした理解の仕方に過ぎないことをお断りしておく。なお,欧米ではこれに近い考え方はホリゾンタリストと呼ばれるようである。

 マルクス派の信用貨幣論は,伝統的に政府を捨象し,民間の商品経済と資本主義経済の発展の中に,信用貨幣が流通する根拠を求めてきた。中央銀行も,まず「銀行」として理解し,それが発展して国家から決済システムと最後の貸し手機能を付与されるという風に理解してきた。不換制の下で預金貨幣や中央銀行券が流通する根拠も,手形流通の原理を根拠に,手形の債権債務相殺機能によって理解してきた。商品経済が発達し,手形流通が発達しているからこそ,資本主義的な銀行業は銀行手形として預金貨幣や銀行券を発券できるのである。手形の債権債務相殺機能は金兌換と不換とにかかわらず機能する。そして,銀行間の決済システムと信用維持に必要だからこそ中央銀行が選定されるのである。民間経済の発展こそが根拠である。信用貨幣の流通性に相違を認めることは,MMTのピラミッド論と同じである。しかし,頂点に立つ信用貨幣である中央銀行の債務が流通する決定的根拠は,MMTのように「納税に使える」ことではない。「中央銀行への支払いに使える」ことである。

 もう少し対比を続けよう。

 MMTでは頂点に立つのは政府債務である。これはMMTが非常に強い意味で統合政府論を理解し,中央銀行を「政府」の一部と理解するからである。マルクス派信用貨幣論では頂点に立つのは中央銀行債務である。これは中央銀行をまずは「銀行」として理解したうえでその政府との結合を考えるからである。

 MMTは頂点に立つ政府債務が有効性を証明する場面として,納税に注目する。そこでは納税者の債務と政府の債務が相殺される。納税者は納税義務を果たすし,政府は自分の債務である貨幣を受け取るからである。マルクス派信用貨幣論は,頂点に立つ中央銀行債務が有効性を証明する場面として,中央銀行への返済に注目する。そこでは銀行の債務と中央銀行の債務が相殺される。銀行は中央銀行からの借り入れを返済するし,中央銀行は自分の債務である中央銀行当座預金を受け取るからである。

 MMTは国定通貨の根拠を貨幣史に求める。通時的理解である。前近代社会から国定貨幣が用いられてきたから資本主義社会でも国定貨幣が用いられるというのである。日本のマルクス経済学では(論者によって意見が異なるものの※1),私の理解では,資本主義経済そのものの構造に求める。共時的理解である。現時点で,資本主義経済が機能するためには,ほんらいは価値尺度として金を貨幣とすることが要請される一方で,そのようなプリミティブなしくみでは経済発展が制約されるために,貨幣代替物として預金貨幣や中央銀行券が用いられるとみるのである。

 おそらく以上のように対比してまちがいないものと思う。賛否はともあれ,こうした突き合わせをきちんとしておくことは,理論的対話のために必要であると思う。

※1 これは,かつてマルクス派の世界で「論理=歴史」説と「論理」説の論争と呼ばれていた話のことである。論理的前後関係と時間的前後関係は照応すべきであり,例えば『資本論』の商品論よりも剰余価値論の方が時間的に後の話だと考えると,「論理=歴史」説となる。論理的前後関係と時間的前後関係は別だと考え,商品論から剰余価値論への流れは,同時点で論理が抽象的なところから具体的なところに進んでいるのだと考えると「論理」説になる。ここで私は「論理」説に立って説明しており,MMTをいわば「論理=歴史」説とみなしているのである。

ランダル・レイ(WARE_BLUEFIELD,ゲーテちゃん,kenta460,sorata31,望月慎訳)「現代貨幣理論への“カンザス・シティ”アプローチ:成立史から辿るMMT入門」(2020年7月)経済学101。


2022年9月5日月曜日

「金融引き締めによるインフレ抑制」で何が起こっており,何が犠牲にされているのか

 1.はじめに

 2022年現在,アメリカのFRBを先頭に,欧米の中央銀行は「インフレを鎮静化させるために金融を引き締めて」いる。日本銀行がその例外とされる。本稿の目的は,この金融引き締めがもたらす効果について理論的可能性を考察し,そこからこの政策を論じる上で必要な観点を見出すことである。

 その際,注意しなければならないことが二つある。ひとつは,2022年現在,先進国で「インフレ」と言われていることの中には,性質の異なる複数種類の物価上昇が含まれているのではないかということである。そのいずれに対しても,金融引き締めは効果を持つのだろうか。もう一つは,金融引き締めは,本当に「インフレを鎮静化させる」効果を持ち,またそれ以外の効果は持たないのかということである。「インフレを鎮静化させるために金融を引き締め」ることは金融政策上の「常識」であるが故に,ほとんど疑われることはない。しかし,落ち着いて理論的に考えてみれば,そこには十分疑いの余地があるのではないかということである。


2.「インフレーション」の種別と2022年における物価上昇の複合性

 日常用語では,持続的な物価上昇はすべて「インフレーション」と呼ばれる。しかし,その中には,異なった作用が含まれている。

a.自律的好況による物価上昇

 端的に,民間経済内で好況期に需要が供給を上回ることによる物価上昇である。銀行による信用創造の拡大を伴う。銀行貸出が返済を上回る状態が一定期間持続することで通貨供給量が拡大する。加熱すれば投機的な見込み需要による物価上昇に至る。需要が強い分野で物価が上昇し,そうでない分野では上昇しないので,本質的に不均等であり,商品間の相対関係も変わる。

b.コストプッシュによる物価上昇

 財・サービスの生産費が上昇し,それが価格に転嫁されることによる物価上昇であり,供給制約による物価上昇である。景気循環の局面に関係なく生じうるので,銀行による信用創造への影響も場合による。やはり抽象モデルであり,現実には相当に異なる経済状況のいずれにも当てはまる。需要超過から始まって,それが原燃料・中間財の生産条件を悪化させるために生じることもあるが,海外から供給される原燃料や食料の生産費高騰が輸入価格上昇を通して国内に浸透することの方が目立つ。後者の場合は,国内の実質的購買力が低下する。商品間の相対関係はもちろん変わる。

c.通貨の過剰投入によるインフレ

 流通に必要な貨幣量に対して,通貨が過剰投入されることによる名目的価格上昇である。いわば貨幣的インフレと言える。金兌換がなされていて公定の価格標準が明確であった時代には,このような物価上昇だけがインフレと呼ばれていた。

 貨幣的インフレは,以前より述べている通り財政赤字によって通貨供給量が外生的に拡大することによって生じる(※1)。ただし,財政赤字なら必ず貨幣的インフレを生じるとは限らない。1)財政刺激によって財・サービスの流通量を拡大すれば生じない。2)財政刺激がさしあたり財・サービスの需要拡大に結び付かずに,貯蓄形成(金融資産形成を含む)に帰結してしまえば生じない。3)財政刺激によって財・サービスに買い向かう購買力が発生し,しかし財・サービスの流通量が拡大しない場合に生じるのである。

 3)は抽象モデルなので,現象的にはまったく両極の経済状況のいずれにもあてはまる。一つの極は好況が完全雇用にまで達してなお財政刺激が行われている場合であり,他方の極は,財政赤字による補助金で企業や家計をいくら支援しても,生産能力がまったく停滞しているような場合である。

 貨幣的インフレは名目的価格上昇なので,本来は商品間の相対関係は変化しない。しかし,政府需要や補助金や給付金などが特定の箇所を起点として社会に浸透していくものであり,また投入された通貨が貯蓄として遊休したり流通に復帰したりすることもあるので,実際には時間をかけて不均等に物価上昇が浸透していく。

 この区別と関連に注目しなければならないのは,2022年現在の先進諸国の物価上昇は,a,b,cのすべてが作用していると考えられるからである。aの好況による物価騰貴にあたるのは,2021年には経済の回復が始まり,先進諸国のGDPはIMFによれば5.2%成長したことである。bのコスト・プッシュにあたるのは,2021年から原燃料・食糧価格の上昇が始まり,ウクライナ戦争と,ロシアに対する経済制裁によって加速したことである。cの貨幣的インフレにあたるのは,コロナ禍に直面して諸国政府がそろって赤字財政を拡張し,多額の給付金や補助金を交付し,また経済回復のための公共投資を行ったことである。


3.3種の物価上昇に対する金融引き締めの作用

 では,この三つが混合した物価上昇に対して,中央銀行の金融引き締め,つまりインターバンク貸付の短期利子率を高め誘導することを通して銀行による信用創造を抑制することは,どのように作用するだろうか。

 a,すなわち好況による物価騰貴に対しては,政策が物価上昇の原因に対して素直に反作用しており,効果が期待できる。好況騰貴は需要超過を信用創造の拡大が後押しすることで生じる。金融引き締めは,この信用創造を抑制して需要を抑制することで物価上昇を抑えるのである。

 超過需要が仮需を作り出すに至り,放置すれば反動で激しい不況が起こりそうな場合には,引き締め政策は望ましい効果を持つ。多くの人々にとって望ましくない仮需による投機と,反動不況の激烈さを抑えるからである。ただし,引き締めが行き過ぎれば需要は冷え込み,失業率が上昇するおそれがある。物価上昇の抑制すなわち需要の抑制である。インフレ抑制の代償が失業であり就業の不安定化である。

 b,すなわちコストプッシュに対しても金融引き締めは効くには効くが,好況騰貴に対してよりもトリッキーな効き方をする。コスト・プッシュによる価格上昇が起こっている場合,元々需要超過が生じているわけではない。これに対する金融引き締めとは,つまり,景気が過熱もしていないのに引き締めるわけである。よって,好況騰貴に対してよりも,激しく景気を落ち込ませる。物価上昇の抑制を優先して,敢えて不況への突入もいとわないという政策になる。物価抑制の代償としての失業や就業不安定化は一層激しくなる。

 c,すなわち貨幣的インフレに対しては,物価上昇の途上では有効である。上昇の途上とは,財政赤字で撒布された通貨が瞬間的に物価を騰貴させるのではなく,いったんは貯蓄として遊休し,徐々に実物経済に回って物価が上昇しつつある過程のことである。この時に金融引き締めを行えば,物価を上昇させるだけの超過需要を抑え,通貨を貯蓄として眠り込んだままにさせることはできるかもしれない。ただし,貯蓄は課税によって回収されない限りなくなりはしない。財政赤字によって投入された通貨は,金融引き締めでは回収できないからである(※2)。貯蓄は,再び実物経済に買い向かう機をうかがいつつ,預金として滞留することもあれば,金融資産に買い向かってバブルを起こすこともあることに注意が必要である。

 そして問題は,貯蓄として眠りこませることが,程よく仮需の抑制につながるのか,ここでも失業をもたらすかということである。これは,元々の財政赤字が,物価上昇を起こすことなく完全雇用を達成できていたかどうかに依存する。完全雇用に近い状態を達成できていたのであれば,さらなる通貨投入によって引き起こされた貨幣的インフレの発生のみを抑制するファイン・チューニングが政策的課題となる。うまくいけば物価を程よく抑えながら完全雇用を維持できる。しかし,元の財政支出の仕方に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレが起こってしまっているかもしれない。この場合,金融引き締めは,ここでもインフレ抑制の代償として失業や就業不安定化を生じさせることになる。

 以上が3種類の物価上昇に対する金融引き締めの効果であり,その代償である。


4.まとめ

 以上のように,物価の持続的上昇,日常用語でいう「インフレ」に金融引き締めで立ち向かうことの作用はさまざまである。まとめるならば,金融引き締めが,その公式の目標通りに物価上昇を抑制して経済の混乱を鎮め,景気循環の振幅を和らげることに寄与するのは,貨幣的インフレや好況騰貴で超過需要が,生産や販売の実質拡大に寄与しない仮需の発生に至っており,これを適度に抑制する場合である。

 ただし,金融引き締めは,多くの場合,物価上昇抑制の代償として失業増大や就業不安定化をもたらす。好況騰貴に対して引き締めが仮需の抑制を通り越して作用した場合,貨幣的インフレにおいて,もともとの財政支出に問題があって,完全雇用達成以前に貨幣的インフレを招いており,これを引き締めで抑制しようとした場合,コストプッシュの物価上昇に対して,景気が過熱してもいないのに引き締めを行った場合である。

 つまり,金融引き締めの犠牲は労働者や,中小零細企業に集中する。しかし,物価上昇の負担は場合による。物価上昇は確かに経済活動全般を混乱させるが,多くの場合,賃金上昇が遅れることにより労働者が損失を蒙る。ただし状況によっては,コスト・プッシュにより体力の弱い企業が損失を被ることもあり,労働市場のひっ迫が激しい場合は賃上げ率の高いセクターの企業が損失を蒙る。物価上昇と金融引き締めの得失は不均等に分布しているのであり,社会全体として望ましいかどうかと,そのために利益と損失が一部に集中していることには共に注意が払われねばならない。

 そもそも論で言えば,好況騰貴やコストプッシュの場合は金融引き締めで通貨供給量を制限することができるが,財政赤字による貨幣的インフレに対しては,通貨量を縮小させることはできない。できるのは,撒布された通貨を貯蓄として眠り込ませることだけである。この因果関係が誤認されていると,政策論議には歪みが生じるであろう。


5.実践的指針

 中央銀行を監視する実践的な指針としては,「インフレを鎮静化させるための金融引き締め」を行うことに対しては,以下の点のチェックが必要であろう。

*仮需の抑制を通り越して不況を誘導していないか。

*雇用を過剰に犠牲にし,労働者や社会的弱者に負担を偏らせていないか。

*そもそも財政拡張を行う際に,完全雇用達成以前にインフレをもたらすような無駄や偏りがないか。

*コストプッシュに対して,引き締めによる需要抑制よりも供給制約の緩和(食糧・エネルギー自給率の向上など)で対処する可能性を提起すべきではないか。

 そして,より根本的には,「インフレ抑制の代償は失業・就業不安定化である」ようなマクロ経済政策の在り方が,本当に唯一可能なものであるのかを問い,代替的政策の可能性を検討する必要があるだろう。


※1 国債が中央銀行引き受けで発行された場合のみならず,民間銀行によって購入された場合にも生じる。この点は以下を参照。「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」Ka-Bataブログ,2020年11月19日(2022年9月5日一部改訂)。

※2 派生的な論点として注意すべきことがある。好況騰貴やコストプッシュの場合は,極論すれば不況によって物価を下落させることも可能だが,貨幣的インフレに対しては,物価上昇を抑制することはできても,いったん上昇した物価を下落させることはできない。貨幣的インフレによって名目的に物価水準が上昇してしまうと,流通する財・サービスの総額自体が膨れ上がってしまう。ここで,仮に課税するなどして,いったん撒布した通貨を流通から引き上げたとしても,物価水準が下落するのではなく,財・サービスを流通させる通貨が不足し,その分だけ銀行からの借り入れ需要が増え,信用創造で通貨が供給されることで補われる。貨幣的インフレでいったん上昇した物価は元に戻らないのである。

2022年9月3日土曜日

大学教員になろうとする文系博士課程院生の苦悩:訓練には5年必要だが資金援助は3年という問題

  文部科学省が公表した2022年度学校基本調査(速報値)によれば,2022年度に大学院博士課程に在籍する学生数は7万5267人で,2年連続で減少したとのこと。減少数は28人に過ぎないのだが,学部は6722人,修士課程は3696人増えたのと対比すると,やはり博士課程の不人気は目立つ。その理由は,キャリア形成の展望が見えにくいからである。

 問題は理工系と文系,また企業就職希望と研究者志望で異なってくる。ここでは文系の大学教員志願者を念頭において,博士課程の院生がキャリア形成上直面する困難をとりあげたい。文系の場合,企業への就職も徐々に増えてきているとはいえ,依然として大学教員になることが博士課程院生の主要なキャリア・パスだからである。


1.訓練は3年で足りないが,資金援助は3年しかない

 文系の博士課程修了者が大学教員になろうとする場合に直面する問題を端的に言うと,「教員として採用される水準に達するまでの訓練は3年では足りない」が,「資金援助は3年分しかない」という矛盾に突き当たることである。この矛盾を解決するには,留年者にでもポスドクにでもいいから,あと2年分の資金援助が必要だというのが私の意見である。

 以下,説明が長いので関心ある方のみご覧いただけると幸いだ。なお,文系でも分野により,大学により事情はいくらか異なるかもしれないので,「経済・経営系ではかなり見られる話」というくらいに受け取っていただきたい。


2.文系の博士課程院生は何を求めらるか:「3本」から「博士論文+査読付き3本」へ

 現在,文系で,任期付きであれ何であれ,授業を行う大学教員として採用されるには,1)博士の学位を取得していることと,2)査読付き雑誌に一定数の論文を単著で3本程度書いていることが必要である。ちなみに,2)の理系との違いは,日本語で書かれた国内誌でも認められる一方で,単著でないと実力を認められないことである。文系では,理系に近いとみなされる分野以外では「最終著者」,すなわち指導教員が連名の最後に名を連ねる習慣がなく,指導教員は,相当手をかけて院生を指導した結果の論文にも,名前を連ねない。

 資金の話はいったん脇に置くとして,文系の場合,業績としてはこの1)と2)を博士課程の所定年限である3年で満たすことを要求される。博士論文を書くのは博士課程なので今では当然として(かつては違ったことをすぐ後で書く),同時に3年の間に査読付き雑誌に単著で,かつ数理化されていない分野では10-30ページに及ぶ論文を3本程度出さねばならないのである。正直,これはあまりに過酷であり,相当の割合で達成することはできず,4年か5年かけることになる。

 当ゼミの例でも,博士課程修了者(見込み含む)11名が要した在学期間の平均は4.2年である(このほかに休学期間がある)。そして在学中に3本の論文を掲載可までもっていった院生は,記憶の限り1人だけ,2本掲載可に至ったのも5人である。3本書けない院生は,せめて博士論文と査読付き1本と国際会議1本などという風に妥協することになるのである。

 もちろん,建前としては博士課程は3年で修了すべきであるし,大学はそのように指導すべきだということになっている。だが,無理なのである。その理由を,過去との対比で説明しよう。

 かつて日本の文系では,博士とはライフワークとなる分厚い書物により,論文博士として取得するものであった。課程博士はめったにとれなかったのである。逆に言えば,博士でなくても大学教員になれた。ただ,もちろん研究能力を証明しないとなれないのであり,博士課程では博士論文は書かずに,学術論文を3本程度書くことに集中したのである。私の恩師である金田重喜教授は,院生の顔を見るたびに「30歳まで3本書かんといかん」というのが常であった。1人当たり年に30回ほど言われるのでげんなりしたものだが,結局のところ3本書いた院生の就職率はそうでない院生より圧倒的に高かったので,「金田の法則」と名がついたほどであった。私も博士論文など夢にも思わず,「30歳まで3本」の強迫観念にとりつかれ,内容はとにかく無理くり執筆した。

 1990年代に大学院重点大学が登場し,予算が増える代わりに,それまでごく少数しか入学させていなかった院生を定員通りにとることとなった。また,制度に即して3年できちんと修了させねばならないということにもなった。そのため,博士論文の基準は,さすがにライフワークではまずかろうと,論文3本分くらいの,公表に耐えるものくらいに調整された(大学により異なる)。わかりやすく長さで言うと,A4×100ページ前後の博士論文も増えた。

 しかし,問題は,「30歳まで」かどうかは別として(いろいろな年齢の院生が増えたので),院生が博士課程在学時に査読付き論文を書かねばならないという制約はまったく変わらなかったことだった。むしろ,大学紀要でなく査読付き雑誌に載せるべきだとされた点ではハードルは上がった。

 なぜ変わらなかったかと言うと,論文がないと就職活動に参戦もできないからである。私の感触では,教員に公募して門前払いされないためには,最小限3本の書き物(すべて論文でなくても,せめて国際会議ペーパーや査読付きプロシーディングなどあわせて3本)が必要だった。院生は,3年間の間に,多少は簡単になった博士論文を書くと同時に,学会や国際会議で報告をし,ディスカッションペーパーを書き,改訂して査読付き論文を雑誌に,できる限り3本掲載しなければならなくなった。

 ハードルは上がったが,挑戦する院生の側の条件も変わった。以前に比べ「3度の飯より研究優先」のような人々ばかりではなくなったのである。パートナーや子どものいる者,親を介護する者,社会人からの鞍替え組,ビジネスパースンの道も残しておきたい留学生など,研究以外のことも考えて,よりまっとうに毎日を送らねばならない人が増えた。

 新世代の院生に「3本」の代わりに「博士論文プラス査読付き3本」を3年間で要求することは,到底無理であった。したがって現実的には妥協するしかなく,5年かけてこれを達成するか,あるいは博士論文と査読付き1本程度を3年で書き,あとはポスドクになってから論文執筆をするとか,そういうやり方になることが多かった。


3.資金問題:支援年限の3年期限と有給ポスドク職の少なさ

 さてここで資金問題が入る。院生に対する政府・留学生の母国政府・大学・民間の各種奨学金は,ここ数年で急速に充実してきてありがたい限りである。しかし,これらはほとんど所定年限,つまり3年しか支給されない。院生は留年するとたちまち経済的に困窮するのである。

 そして理工系に比べて致命的なのは,文系では有給ポスドク職が極端に少なく,大学院を修了しても,やはり困窮するということである。有給ポスドク職にはいろいろあるが,多くの場合,組織やプロジェクトの「研究員」となって研究に専念するものである。もっとも待遇がよいのは給料と研究費が両方もらえる学術振興会の特別研究員PDであろう。しかし,これらのポストは数が少ない。1996-2000年に「ポストドクター等1万人支援計画」なるものが実施されたはずであるが,その効果は文系に限ってはほとんどなかったと言ってよい。いや,もちろん少しはポストが増えただろうが,大学院重点化により,博士の方がそれより増えたのである。当研究科では,やむを得ず無給の「博士研究員」という資格をつくって,仕事のない博士が大学に籍を置けるようにしている(博士を取得した留学生の場合,このような何らかのポスドク資格がないと,日本にいることもできなくなる)。

 こうなると,いよいよもって教員は「3年の間に博士論文と査読付き雑誌3本掲載を目指せ。そうしないと経済的にたいへんなことになるぞ」という過酷な要求を院生につきつけねばならない。しかし,「3度の飯より研究優先」の院生でもそれは難しいし,そうでなく子育てや介護をしている院生にはいよいよ無理である。やらねばたいへんだが,できるはずがないという悪循環である。


4.「任期付き大学教員」以前の問題

 これが,「期限付き助教」になる以前の話であることに注意してほしい。大学教員職が期限付きの職に偏り,雇用が安定しないという話は既に広く知られている。それはそのとおりであり,いまさら私が言うまでもない。ここで言いたかったのは,期限付き助教になる以前に,これほどの困難が,研究者志望の博士課程院生の前に立ちふさがっているということなのである。

 確かに,ポスドクを乗り切れば,期限付き助教の職や,テニュア・トラック助教の教員職はそれなりにある。しかし,大学全体が人手不足になっているため,助教にも授業をしてもらうことが多い。そして授業をしてもらうとなると,1)博士の学位と2)査読付き雑誌3本程度は必須なのである。このハードルを,資金援助を得られる期間内にクリアすることが難儀なのである。ハードルを回避する方法もないではないが,3)非常勤講師歴が豊富であることや,4)一度,民間のリサーチ職に就いていること,などになるので,大学でずっと研究に専念してきた若者にはなかなか満たせない。


5.まとめ

 長々書いてきたが,要するに教員になるために必要な訓練期間は3年を超えるのに,資金援助が得られるのは3年だという矛盾が,文系の博士課程院生を苦しめているのである。正直に言って,あと2年分,つまり1人につき3年でなく5年の研究生活について資金援助がなければ,文系の研究者を育て続けることは難しいだろう。留年者への支援でも有給ポスドク職でもどちらでもよいからこれが必要だというのが私の意見である。

「『博士離れ』浮き彫り、学生2年連続減 就職状況厳しく」日本経済新聞電子版,2022年8月24日。

「学校基本調査-令和4年度(速報) 結果の概要-」文部科学省ウェブサイト,2022年8月24日。

<続編>
「研究活動と就職活動が競合する前期課程院生の現実:当人の苦悩と教員の苦悩」Ka-Bataブログ,2023年8月24日。


2022年8月31日水曜日

『アジア経営研究』第28号と『ベトナムの味』

 『アジア経営研究』第28号が届きました。当ゼミの修了生Nguyen Kim Ngan グエン・キム・ガンさんの論文”Issues in international manufacturer-supplier relationship: A multi-case study of Vietnam's motorcycle industry”も掲載されました。ちょうどガンさんから,彼女も編集に参加した一般社団法人BETOAJI発行の『ベトナムの味』をいただいたところでした。おめでとう。そして,ありがとう。







2022年8月28日日曜日

JFEスチールが西日本製鉄所倉敷地区で高炉1基を停止し大型電炉を増設するという報道に接して

 JFEスチールが西日本製鉄所倉敷地区の高炉1基を2028年前後に停止し,あわせて大型電炉を建設するという報道。日本製鉄に3年遅れを取ったが,ついに決断したか。事実だとよいが(9/1 JFEスチールはカーボンニュートラル戦略説明会を開催し,この報道が事実であることを裏付けた。)

 NHKは正確に報じているが,時事通信社の配信に依拠したメディアは「高炉を電炉に転換」と書いている。これはやや筆が滑ったところがあり,正確には電炉と同次元で対応するのは転炉である。高炉は鉄鉱石から銑鉄(溶銑)をつくり,その溶銑をつかって転炉で粗鋼をつくる。電炉はスクラップや銑鉄・還元鉄などから粗鋼をつくる。転炉は溶銑の持つ熱を利用するので,高炉が隣接していないと効率的に操業できない。

 だから,この報道が正しいとすれば,その意味するところは,高炉を1基減らし,対応する転炉の能力も縮小し,それで減る分の粗鋼生産を電炉でカバーするということだろう。

 鉄鋼業は製造業最大のCO2排出源であり,その原因は酸化鉄である鉄鉱石をコークスと微粉炭,つまりは炭素を用いて還元するからである。この問題を根本的に解決するのは,炭素でなく水素で還元する次世代製鉄法である。それにはやや劣るが有効な方法として,排出されるCO2をCCUS(二酸化炭素回収・利用・貯留)で貯蔵または再利用することも構想されている。しかし,いずれにせよ実用化にはまだ時間が必要だ。さしあたり,既存技術である電炉法の適用範囲を拡大すればCO2排出は抑制できる。電炉法では主原料として鉄スクラップを使うので,高炉が不要になるからだ。当面,これでしのぐしかない。

 電炉法で高級品を製造するのは,多品種・少量生産で,二次精錬などの多数の工程をかけてやれば可能である。あとは価格とコストの見合いである。特殊鋼電炉メーカーはそのような生産方式で成り立っている。しかし問題は,現代社会は,大量生産品の鋼材にも高級化を求めているということだ。その最たるものは自動車のボディである。

 高級化は仕様の多様化でもあり,鉄鋼メーカーに入る受注は小ロット化する。高炉メーカーはこれを何とか大ロットにまとめ上げて効率性を維持しつつ,高級品を製造する技術開発を進めてきた。そのため,高級化した大量生産品の知識・ノウハウは,高炉・転炉法での製造技術として高炉メーカーに蓄積され,また学界での研究もおこなわれている。

 高級化した大量生産品の製造を電炉法に切り替えようとすると,以下のことが課題となる。

1.電炉自体の大型化。これは世界ではすでに実績があり,さほど困難ではない。
2.高品質なスクラップまたは直接還元鉄の調達。少量なら問題なくとも,大量にとなると容易ではない。
3.高級品の知識・ノウハウの高炉・転炉法から電炉法への置き換え。これも長年高炉・転炉法に固着していたため容易ではない。メーカーのR&Dだけでなく,学界や大学での研究の重点を含めて転換が必要だ。
4.電力業の脱炭素化。電炉とは電気炉の略称で,その名の通り電力を大量消費する。なのでEVと同じで,温暖化防止には発電でのCO2排出を抑えねばならない。鉄鋼メーカーがCO2排出の少ない電力を選択して購入したり,電力業に直接・間接に関与したりする動きも広がるだろう。例えば,太陽光発電の普及により,昼間電力が余り気味になるという現象が生じているので,長年,夜間操業を強いられてきた電炉メーカーは,今後昼間操業に転換し,太陽光発電業者から集中的に電気を買うことが考えられる。

 今回の決断はJFEスチールのものだが,これらの転換を担うのは,何も既存高炉メーカーや既存電炉メーカーに限られない。次世代技術や業際的ビジネスモデルをひっさげたスタートアップやアライアンスを含めて,様々な担い手に機会を開くことが必要だ。

「JFEスチール 高炉1基を休止し「電炉」建設を検討 脱炭素加速へ」NHK NEWS WEB,2022年8月27日。

「JFE、高炉1基を電炉に転換 岡山の製鉄所、27年にも」時事通信社,2022年8月26日。

JFEスチール カーボンニュートラル戦略説明会 [2022年9月1日],JFEスチール株式会社。


<参考>

「日本製鉄広畑製鉄所の製鋼工程が電炉法に切り替わることについて」Ka-Bataブログ,2019年11月19日。

川端望「日本鉄鋼業の現状と課題~高炉メーカー・電炉メーカーの競争戦略と産業のサステナビリティ~」『粉体技術』第12巻第10号,日本粉体技術工業協会,2020年10月,15-19頁。

「脱炭素時代に日本鉄鋼業はどう変わるか(『Value One』No.73,株式会社メタルワン,20201年7月15日掲載原稿)」Ka-Bataブログ,2021年7月16日。


2022年8月23日火曜日

預金貨幣の内生的供給と外生的供給:岡橋保『インフレーションの経済理論ーー預金貨幣インフレーションの研究』世界文化社,1948年の先駆的意義

  岡橋保『インフレーションの経済理論ーー預金貨幣インフレーションの研究』は,戦後直後の日本におけるインフレーションを,貨幣理論によって把握しようとした労作である。本書は1948年発行であり,紙質も印刷状態もよくないものであって,今日どれほど残存しているのかが懸念される。しかし,実は本書は,今日の貨幣をめぐる論議に見通しを与えてくれる先駆的なものだと,私は考えている。

 本書で重要なのは副題である。岡橋氏は,戦後直後のインフレーションを念頭に置いて,「こんにち,銀行券にかはって預金貨幣が支払流通手段の中心的形態」(序言3頁)であると述べている。インフレーションは,商品流通に必要な貨幣量を超えて,貨幣代替物が流通界に投じられた際に生じるものである。この貨幣代替物の主役が預金貨幣だと岡橋氏は主張しているのである。

 これは,金融実務に携わる人にとっては当たり前のことである。実務家は,戦後直後であれ21世紀であれ,預金が通貨として大きな役割を果たすことを知っている。マネーストック指標のM1,M2,M3は預金通貨を含んでいることは少し調べればわかることである。

 ところが,多くの一般市民,経済評論家,経済学者は,実はそのように考えていない。今日では多くの人が,しばしば銀行振り込みを利用し,公共料金やクレジットカードの利用高を口座引き落としで決済している。しかし,同時に国や中央銀行が定めたものだけが貨幣であり,現代の通貨制度とは「中央銀行がお札を刷って通貨にする」ものだと思いこんでいる。そして,財政赤字やインフレを論じる時も「日銀がお札を刷ってばらまく」云々という風に考えている。そして深刻なのは,一般市民だけでなく,経済評論家や経済学者も真顔でそのように論じることである。場合によって,経済学の教科書にその趣旨が記されていることすらある。この考えに立てば,通貨供給とは日銀券の発行であり,インフレーションとは日銀券の刷りすぎから起こるということになる。

 これは間違いであって,経済学の理論でも預金貨幣を正面からとらえねばならないと,岡橋氏は1948年に述べているのである。

 ここで説かねばならない問題がある。預金貨幣といっても,中央銀行当座預金は直接商品流通を媒介しない。民間の取引で用いられているのは市中銀行の預金である。では,銀行の企業に対する貸し付けによってインフレーションが起こるのだろうか(※1)。そうではないと岡橋氏は言う。「インフレーションとは国家の強権的な貨幣的手段の創造によるところの一般物価の騰貴である」(序言2-3頁)。つまりは政府が税収以上に支出する財政赤字,そのための国債の発行から生じるものである。では,どうして政府の財政赤字が,中央銀行券の過大な発行でなく市中銀行による預金貨幣の過大な発行となるのか。岡橋氏は,戦時統制期の軍需に即して以下のように言う。

 「赤字公債のうえに形成された日本銀行における政府当座預金は,政府支払小切手によっていろいろな軍需会社に撒布された。これらの政府小切手は,それぞれ軍需会社の取引銀行をつうじ,手形交換所をへて日本銀行に提示され,ここに政府当座当座預金は一般預金にふりかえられたのであって,前者の減少が後者の一般預金の増大となってあらはれたのである」(104-106頁)。

 これは,軍需会社を政府の支出先企業とし,手形交換所を電子交換所とすれば,21世紀の今日も同じである(※2)。

 つまり,財政赤字による通貨供給量の増大の多くは,預金貨幣の増大となって表れる。この増大分が,商品流通量の増大を超えている時にインフレーション作用が生じるわけである。念のためいえば,岡橋氏は財政赤字が直ちにインフレを起こすと述べているのではない。失業を減らし,遊休設備を稼働させ,滞貨を動かして,通貨供給に見合った商品流通量の増大を引き起こすのであれば,インフレーションは起こらないのである。

 さて,こうした財政赤字による預金貨幣の発行を,岡橋氏は「信用貨幣の変質」と呼んでいる。預金は銀行の債務であって,預金貨幣は信用貨幣である。しかし,同じ預金貨幣であっても,ほんらいの信用貨幣の場合と変質した場合があるというのである(※3)。

 銀行が企業に貸し出す際に生み出される預金貨幣は,商品流通に対応したものである。そして,貸付金が回収されれば消滅する。よって,商品流通の内在的な動きに応じて伸縮性を持っている。商品流通が拡大するから貨幣流通量も増えるし,逆なら逆である。現代の用語で言えば,貨幣は内生的に供給される。

 しかし,財政赤字を通して生み出される預金貨幣は,流通外から政府が権力的に投じたものである。そして,上記のような伸縮性を持たない。縮小させようとすれば,政府が課税を強化するなどして,やはり権力的に回収するしかない。つまり,ここでの貨幣供給は外生的である。

 銀行貸出を通した預金貨幣の供給は内生的であり,財政赤字を通した預金貨幣の供給は外生的である。同じ預金貨幣でも供給ルートによって性質が異なる。このことを,岡橋氏は1948年に見抜いていたのである。

 この見地からは,今日の貨幣をめぐる議論に二つの示唆が得られる。

 まず一つ目は多くの研究者や市民への警告である。多くの研究者が,金兌換が停止された預金通貨は信用貨幣ではなく不換国家紙幣だとみなしており,その日常感覚バージョンとして,多くの人が日銀が自らの意思でお札を刷って紙幣を供給できると考えている。これらは日銀・銀行ルートの貨幣供給を外生的とみているのである。しかし,これでは,預金通貨が市中銀行の貸し出しと回収を通して伸縮することを説明できない。この見地をとってはならないのである。

 もう一つは,内生的貨幣供給論者への注意である。内生的貨幣供給論者は,銀行の貸し出し・回収による貨幣供給量の伸縮を正しく説明する。その点で外生的貨幣供給論よりはるかに妥当である。しかし,そこから,信用貨幣であるから,いつでもどこでも内生的に供給されるのだと硬直した規定を与えてはならない。うかつにそうすると,財政赤字を通した預金貨幣供給が外生的であることを位置づけられなくなる。信用貨幣論は,信用貨幣が供給ルートによって性質を変えることまで射程を伸ばす必要がある。

 以上が,1948年発行の本書から得られる認識である。岡橋保氏の学説は,今日の貨幣をめぐる論議を深めるために,なお深く検討する価値を持つものだと,私は考える。


余談:本書は世界文化社から発行されている。この出版社は,戦前に存在した雑誌『世界文化』とは関係がない。しかし,現在存在している「世界文化社グループ」とも異なる。その実態は「電通」である。住所が「電通ビル」となっているが,これは現在の電通銀座ビルである。電通は1946年に総合雑誌『世界文化』を発行したが,GHQによって「活動制限会社」に指定されたために出版事業を縮小し『世界文化』の発行も,大地書房,そして世界文化社に移されたのである。
 また,同社の代表は廣西元信氏である。マルクス経済学の世界では著書『資本論の誤訳』で有名であり,また空手家として有名な人物である。廣西氏が『世界文化』の編集に携わっていたことは知られているが,同社の代表も務めていたのである。
 世界文化社の本は1953年くらいまで出ていたようであるが,それと入れ替わるように1954年には,子供マンガ新聞社と世界文化画報社が改組されて世界文化社となり,現在の世界文化社グループに至る。両社に何らかの関係があったのかはわからない。


※1 そうだという研究者もいる。この見解については以下で論評した。
「インフレもバブルも「過剰な貸出」によって生じるのか?:建部正義「世界的な物価高とマルクス貨幣・信用理論」との対話」Ka-Bataブログ,2022年1月25日。

※2 こうした預金をめぐるオペレーションを貨幣理論のモデルに組み込まねばならないことは,今日,MMT(現代貨幣理論)が主張しているところである。その点ではMMTが妥当である。岡橋氏を含むマルクス派信用貨幣論とMMTは信用貨幣論において共通するところが多いが,商品貨幣論から出発して信用貨幣論に至るか,表券主義と信用貨幣論を使い分けるかというところが異なる。この点は以下で対比した。
「マルクス派信用貨幣論とMMT:その一致点と相違点について」Ka-Bataブログ,2022年8月17日。

※3 これを岡橋氏が「変質」と呼ぶ理由は,政府の財政赤字による通貨投入は,商品流通の必要性に応じたものではないからである。なお,ここでは,国債を民間に向けて売り出した場合と日銀引き受けとした場合とでどのような相違があるかについては触れなかった。この点では岡橋説と拙論は異なってくるが,それはまた別の論点となる。







2022年8月17日水曜日

マルクス派信用貨幣論とMMT:その一致点と相違点について

1 問題の所在:マルクス派信用貨幣論とMMTが対話する必要性

 私は,現代の貨幣のほとんどを信用貨幣,すなわち流通する債務証書として説明する立場である。この立場は,近年台頭している現代貨幣理論(MMT)も唱えるところである。ただし,私の立脚点は,貨幣と金融システムについては,日本のマルクス経済学で発達した信用貨幣論である(※)。マルクスは信用貨幣論とMMTには重なるところもあるが異なるところもある。以下のノートは,私が理解するマルクス派信用貨幣論の論理を説明し,それがMMTとどこが一致し,どこが異なるかを明らかにしようとする試みである。その目的はMMTを論破して否定することではない。私はMMTが,主流派経済学の問題点を衝き,ケインズ派の財政政策を創造的に発展させようとしていることに肯定的な立場である。そして,MMTの理論的な創造性は信用貨幣論にあると考えている。理論的対話を通して信用貨幣論という共通の財産を育てることが,このノートの目的である。
 あらかじめ要約しておくと,マルクス派信用貨幣論とMMTの,理論の深いところでの相違点は以下の2点である
 1)マルクス派信用貨幣論は,資本主義経済を説明する際に,価値を持った特殊な商品が貨幣になるという商品貨幣論から出発したうえで,貨幣の発達の結果として信用貨幣がもっぱら流通するようになると考える。対してMMTは,商品貨幣論を誤りとして否定したうえで,理論の出発点から信用貨幣論に依拠しようとする。
 2)マルクス派信用貨幣論は,通貨が流通する根拠をまずは民間経済に求め,これを補完するものとして政府を位置づける。対してMMTは,現代の金融の動きは信用貨幣論で説明するが,通貨が流通する根拠は「租税が通貨を起動する」という表券主義によって説明する。
 以下,詳しく見よう。

2 マルクス派信用貨幣論の論理構成

 まず,あまり一般には知られていない,マルクス派信用貨幣論の基本論理を,私の理解によって説明しよう。

(1)商品貨幣から出発し,信用貨幣を説明する
 マルクス派は,価値を持った特殊な商品=金などが貨幣として用いられることを基本モデルに置く。つまりマルクス派の基本モデルは商品貨幣論である。しかし,この商品貨幣が,発達した資本主義では流通せずともよくなり,通貨の大半が信用貨幣になるという重層的理論構成をとる。発達した資本主義を説明するには,まず商品貨幣からはじめ,手形を説明し,貸し付けを説明し,産業資本のみならず銀行資本の存在を踏まえた説明することが必要である。そうして,発達した信用機構が,プリミティブなモデルでは必要とされる商品貨幣の流通を,もはや必要としなくなる理由をも説明するのである。
 なお,ここでいう基本モデルとは,「かつてはそうだった」という時間的先行性を表すのではなく,あくまでも現在の資本主義経済を説明する際の,論理的に出発点となるモデルのことであることに注意して欲しい。これはMMTの説明との対比で重要な意味を持つ。
 さて,商品流通の発達とともに,貨幣の代用物が様々に用いられるようになるが,とくに注目すべきは,商業手形が貨幣の支払い手段機能を果たすようになることである。商業手形は商品の購入にあたって債務者が振り出すもので,債権者を起点として一定範囲で流通する。そして,通貨による返済や債権債務の相殺によって決済される。手形が普及した経済では,債務証書で支払うことや,財・サービス購入をしてから,事後に決済することが可能になる。さらに,信用機構が発達し,利子を取ることを追求する銀行資本が登場すると,銀行が手形を発行する。すなわち,当座性預金と銀行券である。当座性預金は,銀行が企業に対して貸し付けを行う際と,商業手形の割引を行う際に設定される。当座性預金を企業が引き出すと預金が減額され,その分だけ銀行券が発券される。貸し付けが返済されれば銀行券も当座性預金も消滅する。預金や銀行券も手形原理に依拠しているが,購買の際ではなく,信用供与の際に発行されるところ,一覧払であるところが独自の特徴である。当座性預金や銀行券は正貨を代用する購買手段や支払い手段となり,また,インフレーションというリスクを抱えるので不完全ではあるが,価値保蔵手段ともなる。
 さらに,一社会全体の支払い決済と信用供与システムを維持するために中央銀行が成立すると,中央銀行当座預金と中央銀行券が成立する。多くの場合,銀行券の発券は中央銀行に集中される。商業手形は流通範囲が狭く,信用供与期間が短く,企業間流通にしか用いられないため通常は通貨と認められないが,より信用度が高く一般的流通に投じられる当座性預金や中央銀行券は通貨と認められる。中央銀行当座預金は一般には流通しないが,銀行間の決済と銀行への信用供与を通して一社会の金融システムを統一し,支える。

(2)管理通貨制度においても,信用貨幣は決済可能である
 それでは,管理通貨制度の下で,金貨などの正貨流通が停止されると,信用貨幣は流通できなくなるのであろうか。マルクス派の中にも,そのように考える研究者はいる。金本位制の下では銀行券は信用貨幣だが,金兌換が停止されれば信用貨幣ではなくなるというのである。この見解では,現在流通している預金通貨や中央銀行券は国家が強制通用力を付与した価値シンボルだとされる。しかし,正貨流通が停止されても,信用貨幣は信用貨幣のままだというのがマルクス派の信用貨幣論である。
 正貨流通が停止されるというのは,具体的には預金や銀行券が金兌換されないということである。では,金兌換されない預金や中央銀行券が,どうして信用貨幣なのだろうか。それは,信用貨幣に表されている債務の決済方法が元々複数あり,正貨での決済はそのうちの一つに過ぎないからである。
 債務としての信用貨幣を決済する方法は,3通りある。第一に,正貨との交換(正貨による債務の返済)である。兌換紙幣の金兌換はこれに該当する。第二に,債権・債務の相殺である。中央銀行や民間銀行の口座内で債務と債権が相殺されれば一方的返済は必要なくなる。また,信用貨幣を用いた貸し付けを信用貨幣で返済することも一種の相殺である。例えば銀行から預金通貨で借り入れを行った企業は,借り入れを行ったという点で債務者である。と同時に,当該銀行の預金を所持しているという点で銀行に対する債権を保持している。この借入を預金通貨を用いて返済するのは,債権と債務を帳消しにする行為と理解できる。第三に,債務を,債務者の債務よりもより信用度の高い債務証書で返済することである。債務には,債務の流通する範囲による階層性が存在する。個人の債務よりは企業の債務(手形など),企業の債務よりは銀行の債務(当座性預金や銀行券),銀行の債務よりは中央銀行の債務(中央銀行当座預金や中央銀行券)の方が流通する範囲が広い。この関係を利用し,個人や企業の債務は,債権者に対してより上位の債務,例えば銀行預金や中央銀行券を引き渡すことで決済できるのであり,銀行が他行や中央銀行に負う債務は,中央銀行当座預金や中央銀行券で決済できるのである。
 管理通貨制度の下では正貨流通が停止しており,兌換は行われない。しかし,債権債務の相殺や,より信用度の高い債務証書への置き換えは可能である。なので,預金通貨や中央銀行券は,管理通貨制度でも依然として信用貨幣としての機能を果たすのである。この機能を安定させるために必要なことは,悪性インフレーションの防止であり,債務の階層構造の安定である。

3 マルクス信用貨幣論とMMTの違い

(1)MMTの特徴:表券主義
 さて,上記のマルクス派信用貨幣論とMMTは,現に流通している預金通貨や銀行券が信用貨幣だとするところ,債務の階層(ピラミッド)構造による決済を認めることでは一致している。大きく異なるのは,マルクス派は信用貨幣の流通根拠を債務の決済可能性に求めていることであり,それは民間経済内部で可能になっているとすることである。対して,MMTは通貨の流通根拠を表券主義で説明する。政府が国民なり住民なりの人々に対して租税債務を課し,その租税債務の支払いに使えるものとして通貨を発行し,流通させるのだというのである。租税債務の支払いに用いることができること,その可能性を政府が保証することが,通貨の流通根拠なのである。
 私は,租税債務の支払いに用いられることが,法定通貨の流通根拠の一つでありうることは否定しない。マルクス派の理論構造になかには,これを否定するものはない。しかしマルクス派の信用貨幣論では,信用貨幣生成の論理の中に流通根拠が含まれているので,表券主義を必要としないのである。
 この両説の違いには,どのような理論的背景があるのか。

(2)共時的・論理的説明と通時的・歴史的説明
 まず,マルクス派は,現代の通貨の流通根拠を,共時的に,現在のシステムが成り立っている論理的説明として行うのに対して,MMTは,過去から現在に向かっての通時的・歴史的説明として行うという違いがある。
 マルクス派の内部でもこの二つの説明方法については長年の論争があるが,信用貨幣論が依拠するのは共時的・論理的説明である。説明すべきは現代の通貨であり,現代とはつまり資本主義社会であり,管理通貨制度である。管理通貨制度を,より抽象的なモデルから具体的なモデルへという順序で,商品通貨から出発し,商品経済における手形の論理を加え,さらに資本主義経済における貸し付けの論理を加えて,実際の複雑な金融システムを説明しようとするのである。
 対してMMTは,前資本主義社会や資本主義社会の初期に商品通貨が用いられていたことを否定し,過去から現在まで政府が租税支払いに使えるものとして発行した政府通貨が用いられてきたことを,現代の資本主義経済における通貨の流通根拠の説明に用いようとする。歴史的に,政府通貨が租税支払いにもちいられてきたことが現在の通貨の表券主義的説明の根拠なのである。
 ここに両説の違いがある。私は,説明の仕方として,現在のシステムが成り立っている根拠は,あくまでも現在のシステムの論理的説明によるべきであり,システム成立の歴史的経過の説明によるべきではないと考える。

(3)信用貨幣論による説明と表券主義による説明
 次に,マルクス派は信用貨幣論から出発し,信用すなわち債権債務の決済の論理で通貨の流通根拠を論じる。対して,MMTは貨幣本質論措定は信用貨幣論なのだが,通貨流通根拠論になると表券主義を強調する。MMT派はそうは考えていないであろうが,私には信用貨幣論と表券主義は異なるものであり,MMTは二元論的説明を行っていると思える。
 信用貨幣とは,流通する債務証書が貨幣の役割を果たすものである。それが流通するのは,債務証書が債務証書として健全だからであり,端的にいって決済が可能だからである。したがって信用貨幣の流通根拠は,債務証書としての決済可能性に求めなければならない。私の意見では,それが上記の三つの方法であり,管理通貨制度の下ではそのうち二つが機能しているということである。
 MMTの表券主義は,租税債務の支払いに使えることを通貨流通の根拠としている。しかし,それならば,信用貨幣でなくとも,国家が強制通用力を付与した価値シンボルでよいはずである。政府の債務としてでなく資産として発行する通貨でもよい。中央銀行券でなく国家紙幣やコインでもよいはずである。いずれでも租税債務の支払い手段として認めることは可能である。
 つまり,MMTの主張する表券主義の政府通貨は,必ずしも信用貨幣でなくともよい。表券主義の基本論理は,信用貨幣論を必要としていないのである。MMTは,租税債務の論理を信用貨幣論と接続させているようであるが,私の見るところ,その接続は十分ではない。信用貨幣とは,債務を負う側が発行する債務証書である。しかし租税の場合,債務を負うのは人々であり,通貨を発行するのは国家の方である。これでは,政府の債務としての信用貨幣の成立を説明することにはならない。政府通貨は信用貨幣でなくても成り立つのである。
 マルクス派信用貨幣論は,現代の通貨の流通根拠自体を信用貨幣論によって説明する。信用貨幣が生成する論理の中で信用貨幣の流通根拠も説明するのである。対してMMTは,現代の金融システムの説明には信用貨幣論を駆使するが,通貨の流通根拠自体はそれとは別に表券主義で説明する。以上が両説の違いである。私は,表券主義による説明自体について否定するものではないが,信用貨幣論を駆使するのであれば,信用貨幣の流通根拠は,信用貨幣生成の論理の中で明らかにすべきだと考えている。

※マルクス派信用貨幣論の中にもまたヴァラエティがあるが,ここでとくに念頭に置いているのは,岡橋保,村岡俊三,吉田暁,松本朗の学説である。本ノートで記したことはこれらの先学に多くを負っている。ただし,いずれとも完全に一致するわけではない。

※このノートを書いた後,類似の問題意識による飯田和人「MMTおよび内生的貨幣供給論における貨幣把握について-現代貨幣の流通根拠を巡って-」『政経論叢』90(1/2),2022年(飯田和人『現代貨幣論と金融経済:現代資本主義における価値・価格および利潤』日本経済評論社,2022年に収録)が発表されていることを知った。拙論とは見解が異なるが,参考になる。

続編:「続・マルクス派信用貨幣論とMMTの対比:信用貨幣の流通根拠は手形が債権債務の相殺機能を持つことか,それとも納税に使える国定貨幣であることか」Ka-Bataブログ,2022年9月8日。

2022年8月15日月曜日

安達宏昭『大東亜共栄圏 帝国日本のアジア支配構想』中央公論新社,2022年を読んで

  著者にいただいた安達宏昭『大東亜共栄圏 帝国日本のアジア支配構想』を読了した。以下,今回気づかされた点を列挙する。

*泥縄。「大東亜共栄圏」の語が初めて登場したのは,日独伊三国同盟の交渉の過程で,日本の勢力圏を認めさせるためであった。ところがこの勢力圏としての大東亜共栄圏は対米開戦のために実行不可能となった。逆に,より切実でそれなりに具体的な排他的自給圏としての大東亜共栄圏が浮上したのは,対米開戦後,実際に東南アジアを占領してからであった。そんなことで間に合うわけがない。

 大東亜共栄圏が,結果として東南アジアからの資源収奪に終わったことは,原朗「『大東亜共栄圏』の経済的実態」『土地制度史学』第71号,1976年(現在は原朗『日本戦時経済研究』東京大学出版会,2013年)などから理解はしていた。今回,本書からは,大東亜共栄圏が,そもそも経済的に可能だという見通しをもって計画的に試みられたものではなかったことを知ることができた。

*食糧不足という要因。フィリピンでの綿花増産や鉱山復旧については,治安の悪化,ゲリラの抵抗によって困難となったのに対して,北支での銑鉄,アルミナ増産などの経済開発挫折の最大要因は,食糧不足による労働力確保難であった。私は,大陸での小型高炉による銑鉄増産がなぜ挫折したのかについて知りたいと思っていたのだが,食糧不足が基本要因であることを初めて認識した。

*重光葵の外交路線が意味するもの。重光は,大東亜共栄圏から,日本を頂点とする階層秩序である排他的自給圏であるという外観を,なんとか薄めようと努力した。それは,国際経済秩序についての戦後構想を示し,日本の戦争と外交に国際的な正統性を獲得するためであった。重光は大東亜共同宣言を大西洋憲章に対置できるように努力したが,果たせなかった。

 著者からいただいたメールには,重光についての記述に力を入れたとのことなので,その点について,やや話を広げた感慨を述べる。

 本書に先立って,先日加藤陽子『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』朝日出版社,2016年をようやく読んだ。そこで認識を新たにしたのは,大日本帝国がリットン調査団報告以後,対米交渉に至るまで,諸外国から繰り返し「より開放的な国際秩序への復帰」を呼びかけられていながら,これを拒絶してしまったということだった。

 私も経済学者の端くれなので,自由な通商体制によって排他的行動を抑制するという経済思想を,その経済的望ましさによって評価しがちである。しかし,むしろ国際政治の面から,この思想の正統性,他者に対する包容力,説得性を含めて理解することが,デカップリングの可能性が話題となる今日,重要ではないだろうか。つまり,開かれた,多くの諸国を包括する通商体制は,国際秩序から離れて自国中心の秩序をつくろうとする国家に対する批判と説得の論理として,歴史的に重要な局面で用いられてきたということだ。

 当時,日本は開かれた通商に戻れという呼びかけをついに振り切って,国際連盟を脱退し,日独伊三国同盟を結び,対米開戦に踏み出してしまった。しかし,開戦してから泥縄で構築しようとした大東亜共栄圏について,本書が注目した重光は,何とかその閉鎖性を緩和し,国際的な正統性をもたせようとした。それは英米が,領土不拡大・民族自決・自由な貿易をうたった大西洋憲章を提示していたからである。手遅れで,到底無理な試みではあったが,重光はこれに対抗する構想を提示せざるを得なかった。開戦してから慌てて言い訳をするくらいならば,リットン調査団と国際連盟脱退の時点,あるいは三国同盟締結交渉の時点,せめて日米交渉の時点で,もっと国際的に正当性を確保する道を選ぶべきだったのに,と思わざるを得ない。

 当時も,そして遺憾ながら21世紀の今も戦争は政治の延長であり,政治はあからさまな軍事力を含む力関係に規定されている。パワーのない正統性は無力であり,戦争で敗北した国家は,基本秩序(憲法)を転換させられるかもしれない。しかし,正統性を伴わない力は支持を得ることができず,国家はその行使によって国際秩序の中で安定した地位を獲得することができない。その意味では,長い目で見てやはり弱体である。

 開かれた通商体制は,戦争によって踏みにじられるかもしれない。しかし,どの国家も,開かれた通商体制の中で生きるという建前をかなぐり捨てることは難しい。戦争とは軍事力の衝突であると同時に,戦後の開かれた秩序を提示し,それへの支持を獲得する政治的競争でもある。このダイナミズムがかつてどのように作用したかを知ることは,21世紀の目前の問題にとって重要な示唆を与える可能性があるように思われる。


2022年8月28日:9段落目に一文追加。

安達宏昭『大東亜共栄圏 帝国日本のアジア支配構想』中央公論新社,2022年。




大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...