ロシアに対する経済制裁のうち,各国からロシアへの輸出(ロシアの輸入)に対する規制と,各国のロシアからの輸入(ロシアの輸出)に対する規制を同次元で論じる議論が多いが,経済学的にはこの二つは作用が異なる。適切に区分し,また両者の相互作用を考えるべきではないだろうか。
まず,経済制裁の最大の目的は,ロシアの戦争遂行能力をそぐことであり,もっとも直接的にはロシア政府・軍が,戦争のために必要とする物資を調達できないようにすることだと想定しよう。他の目的もあるにせよ,最大の目的はこうだと想定して無理はないはずである。
そうすると,平時の貿易の利益と異なり,問題にすべき効果はロシアの戦争遂行能力にとってのプラスマイナスである。その際,注意しなければならないのは,ロシアが必要とするのは物資であって外貨ではないということである。戦争遂行のためには,外貨は,ただ持っているだけでは何の役にも立たない。戦争に使える物資を輸入するための代金の支払いに使える限りで意味を持つのである。
以上のように想定した上で輸出規制と輸入規制の効力を考えよう。
*対ロシア輸出規制の実効性がある場合
ロシアへの輸出(ロシアの輸入)に対する規制に実効性がある場合,ロシアの政府・軍は,外国から戦争に使う物資を調達できなくなる。どんなに独裁政治を敷いたところで,ロシアの実効支配地域にあるモノしか使うことはできない。元来輸入品に依存している軍需品,例えば高性能の半導体や部材がなければ,ロシア軍は戦争遂行に支障をきたす。つまり,ロシアへの輸出規制に実効性があれば,ロシアの軍需品調達を失敗に追い込めるので,ロシアの戦争遂行能力を「マイナス」に持っていくことができる。これが一番分かりやすい制裁の効き目であろう。
*対ロシア輸出規制の実効性がない場合
逆にロシアへの輸出規制に実効性がない場合,ロシアは外貨準備を失うかわりに,戦争に必要な物資を輸入できる。もともと外貨は直接戦争に使えるものではないので,この場合,ロシアの戦争遂行能力は必要な物資を獲得出来るという点で「プラス」となる。
*対ロシア輸入規制の実効性がある場合
次に,ロシアからの輸入(ロシアの輸出)に対する規制を考える。輸入規制がうまく機能したとしても,それでロシアの物資が減るわけではない。ロシアにとっての輸出とは,物資を失うことと引き換えに外貨を稼ぐことであるから(※1),それができなくなるだけである。つまりロシアの物資は動かず,したがって戦争遂行能力も現状から動かないという意味で「プラマイゼロ」である。
*対ロシア輸入規制の実効性がない場合
逆に,ロシアからの輸入規制に実効性がない場合,ロシアは原燃料なり鉄鋼なりを輸出して外貨を獲得することができる。これは一見するとロシアにとって有利になっているように見えるが,そうではない。外貨は直接には戦争の役には立たないからである。むしろここでは,ロシアは物資を失っている。ただし,ロシア政府の経済統制が効いていれば,戦争遂行に必要な物資は輸出されにくいだろうから,それ以外の物資が輸出されている確率が高い。例えば天然ガスにせよ普通鋼鋼材にせよ,多少輸出したところでロシア軍は困らない。しかしロシアも資本主義経済ではあるから,企業が自己利益のために政府の意向と異なる輸出をすることもありえなくはない。よって,戦争遂行能力は「わずかにマイナス」とみておくのがよいだろう。
以上のように,ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制の作用はまったく異なっており,戦争遂行能力をそぐために重要なのは輸出規制の方であることがわかる。
次に,輸出規制と輸入規制を両方考慮すると,4通りの組み合わせができる。
*対ロシア輸出・輸入ともストップ(ロシアは輸入も輸出もできない)
ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制が両方機能すれば,ロシアの戦争遂行能力は「マイナス」と「プラスマイナスゼロ」を足し合わせたものになり,輸出規制の単独の効果と同じく「マイナス」である。ロシアは輸出も輸入もできず,時とともに「マイナス」がどんどん累積することに甘んじるしかない。
*対ロシア輸出ストップ,輸入継続(ロシアは輸入できないが輸出できる)
また輸出規制が機能して輸入規制が機能しなかった場合は,ロシアの戦争遂行能力は「マイナス」と「わずかにマイナス」を足し合わせたものになり,「やや大きなマイナス」となる。この場合,ロシアにとっては輸出を拡大することはできるが,輸出だけ伸びても輸入に使えない外貨が貯まるだけであり,物資を失う「ややマイナス」が積み重なるだけであり,政府・軍にとっては好ましいことではない。むしろロシアからの輸入を必要とする国に対して,天然ガスの輸出を絞るなどして圧力をかける選択肢を選ぶだろう。なので,早晩輸出を停止し,戦争遂行能力は「マイナス」の累積に甘んじることになる。
*対ロシア輸出継続,輸入ストップ(ロシアは輸入できるが輸出できない)
輸出規制が機能せず,輸入規制だけ機能した場合には,ロシアの戦争遂行能力は「プラス」と「プラマイゼロ」を加えたものになり,「プラス」となる。この場合,ロシアは軍需品の輸入を拡大するという選択肢が働くので,「プラス」は時とともに大きくなっていくが,支払のための外貨を輸出で獲得することができないため,外貨の枯渇とともに輸入が止まり,「プラス」の効果もなくなる。
*対ロシア輸出・輸入とも継続(ロシアは輸入も輸出もできる)
輸出規制も輸入規制も機能しなかった場合には,ロシアの戦争遂行能力は「プラス」と「わずかにマイナス」を加えたものになり,「ややプラス」となる。この場合,ロシアは時とともに輸出も輸入も拡大し,輸出で獲得した外貨で戦争に必要な物資を輸入することを繰り返すので,「ややプラス」は累積的に大きくなってしまう。
さて,4通りをロシアの戦争遂行能力を低下させる順に並べてみよう。
1位 対ロシア輸出ストップ,輸入継続(「やや大きいマイナス」→「マイナス」の累積)
2位 対ロシア輸出・輸入ともストップ(「マイナス」の累積)
3位(短期) 対ロシア輸出継続,輸入ストップ(「プラス」の累積→外貨が尽きた時点で停止)
3位(長期) 対ロシア輸出・輸入とも継続(「ややプラス」の累積がずっと継続)
ここから対ロシア輸出規制と輸入規制の性質の違いがはっきりと分かる。
まず,ロシアへの輸出規制の方が決定的に重要であることがはっきりした。少し考えれば当たり前のことであって,ロシアが戦争に必要とする物資をロシアに送らないことが,ロシアの戦争遂行能力をそぐのである。
次に,ロシアからの輸入規制は,輸出規制との組み合わせ次第で全く異なる結果になることが明らかになった。
対ロシア輸出規制が効力を持っていれば,輸入規制はさほど意味がない。それどころか,規制がない方がロシアの戦争遂行能力への打撃が大きくなる可能性がある。ロシアが輸出だけして輸入できないと,ロシアから物資が出ていく一方で,ロシアには戦争に必要な物資が与えられないからである。ロシアとしては,軍需品を輸入できない状態では,輸出して外貨を稼いでも使うことができず,カネの持ち腐れである。それよりは,ロシアの物資を必要とする国に対して,ロシア側から輸出を制限する方策を取るだろう。また,この時制裁を行う側は,むしろロシアが戦争に必要とする物資まで強力に買い付けてしまうことによって,戦争遂行を困難に陥れることができる可能性がある。
一方,輸出規制が効力を持っていない場合,そもそも制裁の効力は大いにそがれてしまうが,その程度については,輸入規制の影響を受ける。ロシアはどのみち輸入を拡大して戦争遂行能力を高めてしまうのであるが,各国の対ロシア輸入規制が有効であればロシアは輸出できず,輸入代金を支払うほど外貨は減っていく。いつかは枯渇し,輸入もできなくなる。逆にもし輸入規制が効力を持たないと,ロシアは平時と同様に次々と外貨を得て,次々と戦争に必要な物資を輸入できてしまい,制裁の効力はまったくなくなる。
まとめよう。経済制裁に効力を持たせるための必要条件は,ロシアへの輸出規制に効力をもたせることである。輸出規制が効けばロシアの戦争遂行能力をそぐことができるし,効かないとそぐことができなくなる。
ロシアへの輸出規制が十分に効いていれば,輸入規制は意味がなく,むしろしない方がよいこともありうる。各国がロシアの物資を買いあさり,輸入しまくることでロシアの戦争遂行能力をさらに下げられる可能性があるからである。制裁の実効性を上げる,具体的にはロシアの戦争遂行能力をそぐ上で最も望ましいシナリオは,ロシアと輸出も輸入もしないこととは限らない。ロシアに輸出はせず,逆にロシアから強力に買い付けて輸入してしまうことの方が実効性が高くなる可能性がある。
制裁の実効性を上げるためには,ロシアへの輸出規制を漏れなく行なうことが必要条件となる。輸出規制の強化は,輸入規制と独立に行うことができる。逆にロシアからの輸入規制は,輸出規制が効いている時には強化しても意味がなく,輸出規制が効かない場合にだけ有効となる。よって,輸入規制を強めるか,逆になくすかは,輸出規制の状態に従属させて行うことが必要となる。
このように,ロシアへの輸出規制とロシアからの輸入規制のは異なる作用をしているのであって,同一視してはならない。つい同一視したくなるのは,平時の取引と同じく「カネがあれば何でも買える」,「輸出した者は利益を得る」と思い込んでしまうからである。しかし,これは錯覚である。ロシア政府・軍が戦争に必要とするのはモノである。モノに替えることのできないカネ(外貨)は戦争の役に立たない。モノとカネは違う。ロシアの戦争遂行能力をそぐためには,カネを与えないことではなくモノを与えないこと,カネでモノを買えないようにすることが肝心なのである。
以上の単純な論理から,ただちに具体的な場面での具体的な方策をすべてみちびきだせるわけではない。しかし,制裁の現実を理解する上でも,この単純な論理はかなり有効である。また,単純にして厳正な論理は忘れてはならないのであり,常に念頭に置いておくべきであると思う。それに反する,錯覚に基づいた主張をしなくてすむからである。
※1 ロシア当局がルーブルでの支払いを要求している場合も,輸入する外国企業はまずロシア当局に外貨を売却してルーブルに替えてから支払っていると思われる。この場合,ロシア当局は外貨を獲得できることに変わりはない。
0 件のコメント:
コメントを投稿