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2022年12月29日木曜日

日経金融PLUSの「デジタル円」論と対話する:「預金先行説」でなく「貸付先行説」で考えよう

 日経金融PLUSの「デジタル円」論だが,多くの論者が陥るのと同じ誤解をしていると思う。一つ一つ対話してみたい。


記事:
「CBDCは銀行預金を駆逐してしまう可能性がある。マネーは大きく預金と現金にわけられる。CBDCは基本的に現金をデジタルに置き換えるものだ。預金は銀行が破綻してしまうと手元に戻ってこない可能性があるが、現金は基本的に手元に残る。CBDCはスマホの中にある現金のようなもので、預金と違って原則的に消失リスクはない。そうなると、生活者はマネーを銀行預金から安全性の高いCBDCに置き換えていくだろう。」

コメント:
 使い勝手の良いCBDC=デジタル円ができれば,銀行預金が減ってデジタル円をスマホ等の中で持つ人が増える。その見通しには私も賛成だが,理由が少しずれている。デジタル円ができたとしても,人はそうしょっちゅう銀行の破綻を心配するわけではない。しかし,銀行の破綻が心配ないとしてもデジタル円の方が便利になる理由がある。それは,口座振り込みよりも,デジタル現金取引の方が便利になった場合である。もし口座振り込みにイノベーションがなく,現金がデジタル円になれば,人はみなスマホ操作でデジタル円を送金して取引するだろう。当座性預金を保持し続ける理由がない。企業の当座預金は利子がつかないし,個人の普通預金の利子も雀の涙だからである。これが,預金が流出する主な理由である。
 銀行がこれを防止したければ,口座振り込みをデジタル円並みに便利にするしかない。つまり,いまのデビットカードとネットバンキングの使い勝手を良くし,銀行を超えて手数料なしで支払いできるようにすればよいのである。これが銀行の課題となる。


記事:
「みえてくるのは、デジタル円を使って決済・送金サービスに特化する「ナローバンク」の誕生だ。CBDCの最大の利点は、安全・安価にスピード決済できることにある。」

コメント:
 デジタル円=デジタル現金と預金通貨が混同されている。預金が流出した場合に起こることは,決済がデジタル円で,個人や企業によって,銀行を介在せずに,スマホとスマホの間で行われるようになるということである。札束の持ち運びが要らない,現金取引のデジタル版である。
 だから,銀行からは決済・送金サービスが真っ先に流出する。銀行が「デジタル円を使って決済・送金サービス」をする必要そのものが失われるのである。繰り返すが,銀行がこれを防ぎたければ,口座振替をデジタル円よりも便利にするしかない。


記事:
「一方で多くの商業銀行は預金を徐々に失い、経済成長を支えてきた預貸ビジネスも見直しが必要になる。商業銀行は預金を集めるのではなく、市場で資金を直接調達して、それを元手に融資するようなノンバンクに近い形態になっていく可能性もある。CBDCが銀行システムの劇薬になりうるのはそのためだ。」

コメント:

 預金を集めなければ貯貸ビジネスができないというところがおかしい。商業銀行が預金を集めるとか,市場で資金を直接調達するというが,それは現金が大量に流通しているか,あるいは自行以外が預金を持っているから可能なことである。では,そもそも流通している現金や預金通貨とはどこから来たものなのか。金本位制であれば結局金鉱から金貨が来るように,現金や預金もどこからか来たはずである。
 その答えは,預金はどこかの銀行がどこかの企業,まれには個人に貸し付けた時に生まれたのであり,現金は,誰かが預金をおろした時に発行されたのである。まず預金が預けられ,銀行がそれをもとに貸し付けるのではない。銀行が貸し付ける時に預金も生まれるのである。預金とは銀行の手形であり,銀行貸付とは,「うちの手形は通貨として使えるほど信用があるので,これで貸してあげる」という行為なのである。この時,預金は必要ないが,もちろん,預金の現金引き出しや,他行への送金による引き出しや,貸し倒れリスクに備えた準備金は必要である。それは,準備預金=中央銀行当座預金を持つことによって確保される。そして,中央銀行当座預金もどこで生まれるかと言えば,中央銀行が銀行に与信することによって生まれるのである。
 だから,社会全体としては預貸ビジネスは決してなくならない。なくなったら通貨が供給できず,経済は成り立たないし,おろすべき預金がなければデジタル円も存在できない。銀行が企業に貸し付けることによって預金通貨が供給されるのは,デジタル円ができても同じなのである。違うのは,デジタル円が便利であるために,いったん供給された預金が,早期に大量に引き出されてデジタル円に変わるということである。
 預金が引き出される時,銀行は中央銀行当座預金を引き出してデジタル円を確保しなければならない。だから,資産側で準備預金が減り,負債側で預金が減る。このことは,銀行の貸し出し能力を制約する。社会全体で多くの銀行にこれが生じるが,程度は銀行によってさまざまであろう。預金流出に耐えられるような規模の大きい銀行,あるいはデジタル円に対抗できる口座振替サービス,さらにそれ以外の金融サービスを提供できて預金を保持してもらえる銀行には競争力があるが,それ以外にはないというように銀行間格差が広がる。これが実際に起こり得ることである。
 このとき,市場性資金を集めざるを得ない銀行は確かに発生する。しかし,それは,集めた資金を元手に融資するためではない。貸付自体は信用創造でできるのであって,必要なのは準備金である。準備金について日銀からの与信が制約された場合に,市場からの資金取り込みに依存することになるのである。また預貸ビジネスで劣後した場合に,市場性資金を取り込んで自ら証券市場等で運用すると言ったハイリスク・ハイリターンの行為に走ることになるのである。


記事:
「商業銀行とナローバンクへの銀行ビジネスの二分化は、それでも検討に値する。利点は金融システムリスクを和らげる効果だろう。」「CBDCを本格導入すれば銀行機能の二分化は避けられない。」

コメント:
 結論として,起こるのは商業銀行とナローバンクへの二分化ではない。銀行間の収益力格差による淘汰である。


 以上のように,この記事は多くの点で誤っているのだが,それでも有意義なことがある。それは,理論的根拠があって誤っているために,理論的示唆が得られるということである。この記事は,「銀行は,預金を受け入れて,それを原資に貸し付ける」という,多くの経済学者が採用している「預金先行説」に基づいており,それ故に誤っている。そのため,「預金先行説」を逆転させ,「銀行は,貸し付ける際に預金という自己宛て手形を創造する」という「貸付先行説」にすれば,整合的な予想が成り立つのである。この記事は,誤っている記述を通して,「預金先行説」の問題と,「貸付先行説」による現実理解や将来予測の必要性を示してくれているのである。

「デジタル円」は良薬か劇薬か 銀行システム、二分化へ(金融PLUS 金融部長 河浪武史)日本経済新聞,2022年12月12日。


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