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2024年9月16日月曜日

「メンバーシップ型雇用」正社員の世界で「解雇規制緩和」をすると何が起こるか

  自民党総裁選で解雇規制見直しが争点となっている。解雇規制というのは判例で確立している整理解雇の4要件であり,この4要件が労働契約法第16条「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」の内容とされていることだろう。規制の具体的内容が判例で確立しているので,首相が「解雇規制を緩和したい」と言ったとして,具体的に何をするのかが,そもそも定かではない。労働契約法を改正するのか,法の行政解釈を変えるのか。そこは注視する必要があるだろう。

 しかし,それよりも深刻なのは,岸田内閣の下では一応「ジョブ型雇用」の推進がうたわれていたはずなのに,そのことは無視されて「解雇規制」だけが取り上げられていることである。この二つは別なことのようでいて,実は強い関係を持っている。ここでは,「ジョブ型雇用」の拡大抜きに「解雇」を促進するとどうなるかを論じる。

 雇用類型が日本の正社員のように「メンバーシップ型雇用」,すなわち「組織の一員として雇用する」場合と,世界の多くの労働者や日本の非正規労働者のように「ジョブ型雇用」,すなわち「一定の仕事をしてもらうために雇用する」場合とでは,解雇の意味は全く異なる。もはや言うまでもないかもしれないが,この二つの雇用類型の区分は濱口桂一郎氏の定式化によって普及したものである。

 「人が余剰だから解雇するか,仕事ができないから解雇するのだから,どこでも同じではないか」と人は言うかもしれない。とくに経済学者がそういうかもしれない。しかし,そうではないのである。「メンバーシップ型雇用」では,人が先にいて後から仕事を割り当てる。「大切なメンバー」がもういるのだから,メンバーが遂行できる適切な仕事を持ってくるのは経営者の方の責任になる。だから,多少会社の業績が悪化しているとしても,解雇を避けることが経営者の義務となる。

 それでも解雇を強行しようとすれば,解雇しないと会社が倒産するという事態であるところまで論証するか,そうでなければ当該正社員が「組織の大切な一員」であることを否定しなければならない。そのため会社は正社員を解雇する場合は,当該正社員が「会社の一員」にふさわしくない人間であることを証明しようとする。当該正社員がいかに無能で何の仕事もできないか,会社の秩序に反抗的か,あるいは素行が悪く無規律で堕落しているか,ということを主張する。つまり,「メンバーシップ型雇用」における解雇とは,「組織の一員としてふさわしくない,なにもできない,人格的に問題ある人物」という烙印を押すことに近いのである。ここで問題なのは,実際にはそのようなことを言われる筋合いのない高潔な人物であっても,そう扱われることである。本当は会社にとっても仕事上の余剰人員が存在するから解雇するのであっても,何しろ雇用の論理が「組織の大切な一員だから雇う」になっているので,会社としては「組織の一員としてふさわしくないから解雇する」と言わねば解雇できないのである。だから無理くりに言う。

 「実際にいまの仕事ができていない人をどうして解雇できないのか」と思う人がいるかもしれない。それは,特定の仕事を遂行するために雇っているのではないからである。「組織の大切な一員」とみなして採用した以上,特定の仕事ができないからと言って解雇するのはすじに合わない。なぜなら別の仕事ならできるかもしれないからである。配置転換を含めて別な仕事を社内で割り振るのが経営者の責任である。解雇したければ,当人が「社内のどの仕事もできないので解雇するよりない」と証明しなければならないのである。

 「メンバーシップ型雇用」の正社員を解雇するのはたいへんな摩擦を伴う。だから通常,日本の企業は退職金上乗せや再就職支援付きの希望退職募集や退職勧奨,あるいはインフォーマルな「肩たたき」によって,少なくとも表面上は円滑に,正社員の能力全般や人格を否定することなく辞めてもらおうとするのである。「もう社内にはあなたにやってもらう仕事がない」「次を考えませんか」という風にである。

 裏返すと,「メンバーシップ型雇用」における人事管理とは「あなたは会社の大切な一員ですから,よほどのことでもなければ雇い続けますよ」というメッセージを中心に組み立てられており,それが正社員の組織へのコミットメント,もっとはっきり言えば忠誠心の土台となっているわけである。

 さて,このような雇用方式をそのままにして解雇規制を緩和するとどのような事態が生じるだろうか。これまでの説明からおわかりだろう。多くの会社が大勢の正社員に「何もできない,会社にふさわしくない,人格的に問題ある人物」という烙印を押す。解雇された側の心は深く傷つけられることになる。また,「メンバーシップ型雇用」では,キャリア採用の際も,正社員として解雇されたことのある人物を「何か人として問題があるのではないか」と疑う。繰り返すが,実際にそうではない人も,「メンバーシップ型雇用」が中心の社会ではそのように疑われやすいのである。再就職も至難の業になり,ますます心が折れそうになる。

 一方,企業内の労働関係は「いつ能力全般と人格を否定されるかわからない」ものになる。むしろ経営側は,これまでにもある程度あったことだが,「お前の能力と人格などいつでも否定できるのだからな」という脅しで人事管理する度合いを強めるだろう。日本企業のメインストリームがブラック企業化する。

 確かに解雇規制を緩和すれば労働市場が流動化し,解雇も増え,採用も増えるかもしれない。しかし,それでめでたしめでたし,とはなりそうにない。解雇のたびに人の心を折るからである。それはカウンセリングや自己啓発や「物事を悲観的にとらえない」「前向き」な「気持ちの切り替え」で何とかなるものではない。また「とにかく市場の力を強めたから,これまでより良くなるに決まっている」と言ってよいものでもない。市場取引は効率性と動機付けを促進しているかどうかが大事である。また,市場経済で取引する際には,権利義務を設定し,その境目を明らかにすることが必要である。日本の雇用の「組織の一員として雇用する」「組織の一員としてふさわしくないから解雇する」という線引きの仕方が,解雇のたびに労働者のモチベーションにいちいち打撃を与えるようになっているのである。

 このように「メンバーシップ型雇用」と「解雇規制緩和」は相性が悪く,社会的に破滅的な結果を招きかねないのである。

 それでは,労働市場を,もっと望ましい形で作動させる道はないのか。「メンバーシップ型」がだめなら「ジョブ型雇用」であれば「解雇規制緩和」をしてもよいのだろうか。これが次の問題である。

2024年9月13日金曜日

「貨幣分類論」を東北大学経済学研究科のディスカッション・ペーパーとして公開しました

 先にこのブログに分割投稿した「貨幣分類論」を修正し,東北大学経済学研究科のTERG Discussion Paper, 490として公開しました。思考の整理のためにDPにしましたが,先行研究をサーベイせずに教科書風の解説だけ述べているので,雑誌論文として投稿するには苦しいかもしれません。しかし,それだけに読みやすいはずです。貨幣論にありがちな衒学的表現を全く使わずに,用語を定義し,対象を分類して,何を言いたいのか明確にすることに努めました。先に公開した「通貨供給システムとしての金融システム」ともども,ご批判をお待ちしています。

目次
Ⅰ はじめに
Ⅱ 外形的分類
Ⅲ 本質分類
Ⅳ 形態分類と物的定在分類
Ⅴ 通用根拠分類
Ⅵ 機能分類
Ⅶ 支払い方法分類
Ⅷ 供給領域による分類
Ⅸ 供給の内生性,外生性による分類,そして兌換と不換
Ⅹ 中央銀行デジタル通貨(CBDC)の場合
Ⅺ おわりに

以下の2か所からダウンロードいただけます。
researchmap
https://researchmap.jp/read0020587/misc/47763170/attachment_file.pdf

東北大学機関リポジトリTOUR
https://doi.org/10.50974/0002002578






2024年9月8日日曜日

カネゴンがお金を食べるのと人間がお金を貯めるのはどう違うのか:代用貨幣の蓄蔵可能性をめぐって

 『ウルトラマンアーク』第8話「インターネット・カネゴン」。AIのバーチャル配信者カネゴンが人気がありすぎて,地域電子マネーのほとんどがカネゴンへの投げ銭に費やされてしまう。カネゴンはお金を貯めることだけが目的なので,地域電子マネーが流通しなくなり,地域経済が不況に陥るという話である。

 今度のカネゴンは,『ウルトラQ』で初登場した時とはいろいろ違いがある。リアルではなくバーチャルな存在であるし,食べるものは硬貨でなく地域電子マネーである。しかし,もう一つ重要な違いは,食べたお金を消化するのではなく,貯めこんでいることである。ここから,今度のカネゴンは経済学上の理論問題にかかわって来る。

 地域通貨は,国家貨幣や補助硬貨と同じく,それ自体は価値を持たない代用貨幣であり価値章標(シンボル)である。地域経済が必要とする最小限,つまりはどのみち受け取ったらすぐ使わざるを得ない量の範囲では,住民の信認があれば流通する。しかし,商品流通界では役に立っても,その外に出れば無価値である。したがい,金貨のように蓄蔵されることはない。これが貨幣論の古典的命題である。

 しかし,人々がカネゴンのように行動すればどうだろう。今回のカネゴンは「星元ペイ」という地域電子マネーをため込み,決して使おうとしない。これは代用貨幣を蓄蔵していることにならないのだろうか。代用貨幣も,お金を貯めたいという気持ちが人々に強ければ蓄蔵されるのではないだろうか。これが問題である。

 さて,カネゴンの行動原理は独特である。価値のない代用貨幣に絶対的価値を見出しているか,あるいは代用貨幣に「美味しい」という独特の使用価値を見出しているために,お金をひたすらため込むのである。カネゴンはため込んだお金を使わない。だから,もしインフレが起こってもカネゴンにとっては1万円は1万円であり,価値が目減りしたとは感じないだろう。商品と交換することがないからである。

 これに対して人間が代用貨幣をため込むのは,ため込むこと自体に意義を見出しているのでもないし,美味しいからでもない。まず背景として,お金が流通しにくくなり,個々人や企業の手元で遊休するのは不況だからであり,企業が生産的に資本を投下しても利潤を得られないからである。実物資産に投資して事業を行っても利潤を得られそうに社会状況であるからこそ,個人や企業は,他の形態でなく,いざとなればなんにでも転換できる貨幣のままで財産を保持しておこうとする。これを経済学では「流動性選好」と呼ぶ。しかし,これは結局何かに転換しようとしているから持っているのであって,経済が本格的に回復しなくてもわずかなきっかけがあれば,個人は貨幣を他の形態の財産に移し替えたり消費したりしてしまうだろう。その際に,インフレで目減りするリスクにもおびえざるを得ない。流動性選好とは結局は使うために貨幣を持つことであり,このとき代用貨幣は商品流通界内で一時的に休息しているだけと言ってよい。

 ただ,事態はもう少し複雑だ。流動性選好によって代用貨幣を保有するとしても,代用貨幣はそれ自体価値を持たないため,その通貨価値は常に変動リスクにさらされている。一方,資本主義経済では,実体経済に投資しなくとも金融資産で稼ぐことが可能である。そのため個人や企業は,金融資産の保有と売買による価値増殖を図る。これが「金融資産選好」である。金融資産価格が上昇し続けている間は,代用貨幣は金融資産の買い手と売り手の間だけを行き来し,いわゆる金融的流通に閉じ込められる。しかし,金融資産価値の価値は擬制的なものである。正確に言えば,もともと実体的な価値の裏付けを持つが,膨張するにつれてその基礎から離れていくものである。実体経済の収入が資本還元されて擬制的価値を持つ証券となり,さらに証券市場での売買によって擬制的価値は増殖する。証券が担保となってされに別種の証券が発行されるといった具合である。擬制資本価値は投機によって増殖するが,行き過ぎればどこかで崩壊せざるを得ない。崩壊とともに代用貨幣は金融的流通からはじき出され,やはり商品流通界に戻らざるを得ない。

 だから,人間は金貨は蓄蔵できても,カネゴンのように代用貨幣を蓄蔵することはできない。その理由は,カネゴンは代用貨幣にも絶対的な価値を見出せるが,人間は代用貨幣それ自体には価値がないという事実に振り回されるからである。流動性選好によってお金をため込むことはできても,それはやがて使うためであるし,インフレにも警戒しなければならない。金融資産選好によってお金をため込むことはできても,擬制資本価値はいつ崩壊するかわからない。代用貨幣は蓄蔵されるのではなく,商品経済界に戻る機会をうかがいながら,一時的に遊休するか,金融的に流通しているのである。





2024年9月6日金曜日

日本製鉄のUSスチール買収によってアメリカの安全保障が脅かされるのか?:ミッタル・スチールという前例から

 アメリカ政府の対米外国投資委員会は,日本製鉄のUSスチール買収が,国家安全保障上のリスクを生じさせるとする書簡を両社に送っていたという。日米同盟の絆と言われるものは,経済ナショナリズムとそれを利用した大統領選挙の都合によって簡単に覆されてしまうのだと,言わざるを得ない。

 いや,鉄鋼供給を外国企業に握られることに脅威を感じるのはもっともだという人がいるかもしれない。しかし,21世紀初頭にミッタル・スチール(現アルセロール・ミッタル)がアメリカで大規模買収を行った際,インド人オーナー一族がルクセンブルクに本社を置く企業であることによって,アメリカの安全保障は脅かされただろうか。当時買収されたのは,インランド・スチールとインターナショナル・スチール・グループ(ISG)であった。ISGの傘下にはベスレヘム・スチール,LTVスチール,ウェアトン・スチール,アクメ・スチールがあった。ちなみに売り払ったISGのオーナーはウィルバー・ロス氏であり,彼は後にトランプ政権の商務長官となって海外鉄鋼メーカーを非難する側に回った。

 大規模な前例から明らかだ。21世紀の今日,自動車用鋼板やブリキ鋼板や建設用鉄骨を製造する鉄鋼メーカーが友好国企業に買収されたところで,アメリカの安全保障に問題が生じるわけではない。あくまで問題だと言い張るならば,それは政治的都合にすぎない。

 日米同盟が,アメリカから見てどの程度のものであるのかを,私たちは冷静に見極める必要がある。

2024年9月5日木曜日

日本製鉄がUSスチール買収完了後のガバナンス方針を発表:買収が成立しても種々の問題は続く

 日本製鉄が,USスチール買収完了後のガバナンス方針を発表した。USスチールを買収しようとする場合,雇用維持,米国内での設備投資,地域社会との共存等々を求められることは最初から見えていたが,トランプ,ハリス両大統領候補やバイデン政権の反対方針が伝えられるに及び,一層強いコミットメントを発せざるを得なくなったようだ。以下,発表とは順序を変えながらコメントする。

 「日本製鉄はUSスチールに高度な生産および技術能力を供与します。これには、高炉におけるCO₂排出削減技術も含まれます」。これは約束するまでもなく当然そうするつもりであったろう。とくにハリスが大統領になった場合,アメリカはパリ協定にとどまり続け,高炉のCO2排出削減は強く求められるであろうからだ。

 「日本製鉄は、米国の鉄鋼市場において、USスチールの米国国内生産を優先します」というのは,日本から輸出ドライブはかけないという意味であろう。そのためにはUSスチールの生産拠点を強化しなければならない。

 「USスチールの既存の生産拠点への大規模な投資の実行」のうち,老朽化したモンバレー製鉄所への投資は負担になる。ただ,圧延・加工工程への投資に見えるので,とくに老朽化の激しいコークス工場や高炉・転炉のリフレッシュを約束させられるよりは経営合理性があるだろう。ゲイリー製鉄所の第14高炉改修は,もっとも健全な高炉一貫製鉄所をリフレッシュするわけだから,まず問題ない。なお,ここに書いていない大規模製鉄所だが,ビッグ・リバー・スチールはもとより最新鋭の高級鋼材も作れる大型電炉ミルであるから言及するまでもないのであろう。あと二つ,ナショナル・スチールから買収したグレートレークス製鉄所とグラニットシティ製鉄所があるのだが,前者はコロナ禍以来,高炉・転炉が休止されている。後者は高炉・転炉も動いているが年産200万トン以下である。言及してないということは,これらの扱いは争点になっていないのだろう。

 「USスチールの生産や雇用の海外移転は行いません」「本買収に伴うレイオフ、工場休止・閉鎖は行いません」というのは,日本製鉄にとって負担となる。モンバレーの老朽製鉄所を閉鎖することが困難になるからだ。逆に言えば,中西部の鉄鋼関係者や製鉄所地域の人々にとっての勝利である。

 このことは,むしろ日本の関係者に問題を突き付けているだろう。日本製鉄は日本でレイオフこそ行わないものの,「生産や雇用の海外移転」「工場休止・閉鎖」を進めているからだ。現に瀬戸内製鐵所呉地区では,高炉一貫生産システムを丸ごと閉鎖した。日本製鉄は日本でよりも,アメリカでの方が,強く生産維持のコミットメントを発している。また,「工場を閉鎖せずリフレッシュし続けよ」という社会的圧力は,本国である日本よりアメリカで強くかかっている。むしろ,日本の鉄鋼関係者や製鉄所地域はそれでいいのかということが問われている。

 しかし,モンバレーを維持し,圧延・加工工程だけリフレッシュして,それでどうなるかという問題がある。コークス工場や高炉・転炉に競争力がないまま動かし続ければ,輸入品やミニミル品との競争に敗れることは必至である。そうすると次のコミットが意味を持ってくるかもしれない。

 「USスチールの取締役の過半数は、米国籍とします」と「USスチールの通商措置に関する意思決定に対して、日本製鉄およびNSNAによる干渉がなされないことを確実にするため、通商措置に関する決定は独立取締役の過半数の承認を必要とすることとします」の組み合わせは,日本製鉄の足かせとなる可能性がある。端的に,USスチールが日本製鉄に対してアンチ・ダンピング訴訟を起こすかもしれないからだ。そんな馬鹿なと思う人がいるかもしれないが,前例がある。かつてNKKはナショナル・スチール(現在はUSスチールの一部)を子会社としていたが,ナショナル・スチールは通商訴訟においてNKKを訴えていた。子会社は親会社を訴え,親会社は子会社の主張が間違っていると抗弁していたのだ。NKKは結局,ナショナル・スチールをコントロールしきれずに手放した。

 日本製鉄は当然このことを知っているので,同様の事態を避けたいはずである。しかし,仮に反対の政治的圧力を乗り越えて買収を実現したとしても,このコミットメントが摩擦の発火点になる恐れがある。

「日本製鉄によるUSスチール買収完了後のガバナンス方針について」日本製鉄株式会社,2024年9月4日。
https://www.nipponsteel.com/news/20240904_050.html



2024年8月25日日曜日

上野貴弘『グリーン戦争ーー気候変動の国際政治』中公新書,2024年を読んで

 上野貴弘『グリーン戦争ーー気候変動の国際政治』中公新書,2024年。政治学の観点から気候変動対策をめぐる国際関係を論じた著作である。以下で述べるように,内容には勉強になった点も疑問点もあるが,何よりも地球温暖化問題が国際政治の容赦ない利害関係と駆け引きの中にあることを知るという点で,有益な一冊であった。

 一応経済学者である私にとっては,「政治」という視点からはこう見えるのかというところが勉強になった。とくに印象的だったのは2点だ。ひとつは,アメリカの気候変動対策がオバマ政権の「クリーン電力計画」からトランプ政権を経てバイデン政権の「インフレ抑制法(IRA)」に着地するまでの政治力学の作用である。なぜ気候変動対策が「インフレ抑制」という看板に含まれているのかが理解できた。もうひとつは,温室効果ガス(GHG)排出削減政策が,対策がほどこされていないがゆえに価格が安い輸入品の増加を招いてしまう,いわゆる「カーボンリーケージ」についてである。具体的にはカーボンリーケージ対策としての国境炭素調整(BCA)と自由貿易との関係がまだついていないこと,さらにBCAの方式が国によって異なることから対立が生じやすいことが理解できた。

 惜しいのは,温暖化対策がもっぱら「コスト」として把握されていることだ。たとえば住宅断熱や再エネの拡大,次世代製鉄や次世代モビリティへの置き換えは「投資」でもあって需要を作り出すのだが,本書にはその観点がない。政治に即して言えば,温暖化をめぐる政治主体の行動が,主張の説得力で正当性を得て支持者を増やしつつ,コストは最小化したい,というものとしてとらえられている。しかし,各国の政治家は,温暖化防止スキームのもとでGHG排出削減のために生活切りつめを国民に求めるのではなく,グリーンな経済・社会開発を実現し,雇用と所得を確保することで支持を得ようとする。この動きを把握しなければならないのではないか。温暖化対策をコスト負担をめぐる政治とみてしまっているところが,本書の叙述をせまっ苦しいものにしていると,私には思われた。


出版社ページ

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/06/102807.html



2024年8月23日金曜日

「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」,それが鉄鋼業

 「中国の鉄鋼過剰、世界揺るがす-業界全体が窮地に陥る恐れ」という記事がブルームバーグから配信されている。なぜ中国という一国の過剰生産が世界を揺るがすからというと,規模がバカでかいからである。

 中国は世界の鉄鋼生産の半分を占める超製鉄大国だ。2024年の生産量は不況が続くとしても10-11億トンになると予想できる。

 そして,2024年の中国からの鉄鋼輸出は1億トンを超える可能性がある。これは,前回,貿易摩擦を激しくした2015年の1億1200万トンと同水準だ。

 ただ,10億トン生産して1億トン輸出するというのは,10%の輸出比率にすぎない。過剰能力を抱えて輸出ドライブをかけると言っても,内需9億トンの方が需要の中心だ。日本鉄鋼業の輸出比率が40.6%に達することを考えれば,その低さは明らかである。おそらく中国の鉄鋼企業からしてみれば,輸出が主力市場にしているという感覚はないだろう。

 しかし,絶対量で1億トンの輸出というのは,大きい。日本の昨年の鉄鋼輸出3242万トンと比べても3倍以上である。輸出品が向かってくる輸入国の鉄鋼業からすれば脅威だ。もっとも,鉄鋼を消費する建設産業や機械工業からすれば大助かりであろう。

 このように,中国鉄鋼業は全体が途方もなく巨大であるために,さほど輸出ドライブをかけず,低い輸出比率であっても,巨大な輸出量となって世界に影響を与える。昔,「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という言葉があったが,鉄鋼業においては「中国がくしゃみをすると,世界に嵐が起こる」のだ。

2024年8月19日月曜日

何年かに一度読みたくなる長谷正人『悪循環の現象学:「行為の意図せざる結果」をめぐって』

 長谷正人『悪循環の現象学:「行為の意図せざる結果」をめぐって』ハーベスト社,1991年。本書は妙に私の心に刺さり,何年かに1度読み返したくなる。今日,たぶん4度目くらいの読了をした。社会科学に対する割り切れなさと,結局は「透明人間」の視点での研究者になってしまったことへの後ろめたさ,そして「うまくやらねばならないと考えるほどおかしくなる」日々からの憂鬱に押されてのことなのかもしれない。 

 「行為の意図せざる結果」に関する理論は,経済学と経営学にもないわけではない。経済政策論では中西洋『日本における社会政策・労働問題研究:資本主義国家と労資関係 増補版』東京大学出版会,1982年であり,経営学では沼上幹『行為の経営学:経営学における意図せざる結果の探究』白桃書房,2000年である。これらも読んではいるのだが,その理解度には全く自信がない。長谷著は読者にやさしい本で,一応何が書いてあるかはわかるので,何度もそればかり読んでいるともいえる。

 「行為の意図せざる結果」を,長谷著のように問題行為→偽解決→問題行為という自己言及性のパラドックスとして強く把握するか,そこまで強い意味を込めずに集合行為の結果として生まれる行為者の目的とは異なる有意な結果とみるかで,事態の重みはだいぶ変わってくる。私は見様見真似で,鎌倉のオーバーツーリズム解決法を扱った学生の卒論指導で前者の観点を(精緻な混雑予報によって観光客が出向くのを控えると混雑しなくなる「自己破壊的予言」),中国の鉄鋼産業政策を扱った院生の投稿論文指導で後者の観点を(設備投資規制を民営企業がかいくぐって新規参入した結果,需要が満たされたという「結果オーライ(だが政策が優れていたわけではない)」)用いたことがある。いや本来,「行為の意図せざる結果」とはその程度の話ではなく,近代社会において社会科学者は何をどう語り得るかに関わる問題なのだが,なかなか歯の立たないことでもある。

Amazonの本書ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4938551144/



2024年8月7日水曜日

物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策(その3・完)

  Ⅰ はじめに

Ⅱ 物価の一時的変動と実質的変動
Ⅲ 物価の名目的変動,そして厳密な意味でのインフレ,デフレ
(以上その1
IV 現代の貨幣的インフレは何によって引き起こされるか
(以上その2
V 遊休とバブル
VI 外国為替相場と物価
VII おわりに
(以上今回)

V 遊休とバブル

貨幣の遊休

 さて,民間経済活動に対する信用供与によって投入された預金貨幣であれ,政府が発行して流通に投じられた不換国家貨幣であれ,財政赤字によって投入された預金貨幣であれ,はたまた預金貨幣が預金引き出しによって形態転換された中央銀行券であれ,商品貨幣そのものでなく代用貨幣であることは変わりない。代用貨幣はそれ自体価値を持たないため,退蔵されえない。つまりいったん発行されると,商品流通を媒介し続けるか,民間経済活動に貸し出された預金貨幣に限っては,銀行に返済されて消滅するかである。

 しかし,本質規定としてはそうであっても,代用貨幣の実際の運動を詳細に見れば,一時的に持ち手の手元で停滞し,一定期間は商品流通を媒介しないこともある。これは,本質的には貨幣の流通速度の低下と言える事態であり,事実上の価格標準を変更しているわけではない。しかし,ことは人々の目には本質と違って見える。本質的には商品生産の拡大による資本蓄積が困難であることが代用貨幣を遊休させるのであるが,個々の経済主体の意識からみれば,他の商品に対する価値保蔵の相対的便宜や,種々の商品への来るべき転換の便宜確保が代用貨幣保有の動機となり,もっぱらそのことによって需要が停滞しているように映る。いわゆる流動性選好である。こうして家計がもつたんす預金や定期性預金,企業が持つ手元現預金,金融機関保有現金などが積み上がる 。これらの遊休貨幣は,物価に影響する。遊休貨幣が遊休貨幣のままとどまるということは,すなわち有効需要の減退によって不況への突入ないしは継続が生じ,物価が下落するということだからである。

 この物価下落は本質的には不況によって商品流通が停滞することによる物価下落であるから,一時的であり,また継続すれば実質的である。別の角度から言えば,一時的に貨幣の購買力が上昇し,後に商品生産費が切り下がればもとにもどるような状態である。価格標準が切り上がって貨幣的デフレが起こったわけではない。個々の経済主体の動機に即して見れば流動性選好によるものであるから貨幣的と見えるが,それは社会的視点と個々の個別経済主体視点の混同である。物価下落そのものは,商品の需要が弱いことから生じ,またそれが継続して生産コストの切り下げが生じることから生じるのであり,個々の経済主体による流動性選好は,この価格下落を媒介し,加速するに過ぎない。なので,社会的規定としては一時的・実質的下落と見なければならない。

 とはいえ,流動性選好は代表貨幣遊休を極端にしたり長引かせたりすることで,物価下落をも極端にしたり長引かせたりすることは否定できない。代用貨幣の遊休,不況,一時的・実質的物価下落の関係は,今日の経済の個々の局面を理解するうえで極めて重要である。

バブル

 代用貨幣は遊休するが蓄蔵されえない。遊休は,本質的には商品生産・流通の停滞から生じるが,こうして遊休した貨幣に単なる継続保有以外に,もうひとつ,擬制的な価値増殖機会が現代経済には与えられている。それが金融資産への投下である。

 金融資産への投下は,新規発行株式や新規発行社債の購入であれば,生産的投資と言いうる。購入資金が生産的用途に充てられ,商品流通媒介に復帰するからである。しかし,流通市場での金融資産購入は,擬制資本に価格を付け,持ち手を転換しているだけである。金融資産からの収益は,株式の配当や社債の利子,不動産証券の賃料配当であれば,利潤からの分配と言えるが,多くは売買差益(キャピタル・ゲイン)である。今日,資本市場の一大部分がこのキャピタル・ゲイン追求行動によって成り立っており,そもそも銀行貸し付けによる信用創造が,事実上キャピタル・ゲインの追求を目的として行われる場合も少なくない。

 こうなると,貨幣流通量の一部は,商品流通を媒介せずに金融的流通にとどまり,擬制資本の価格形成だけを媒介し続けるようになる。その規模が拡大し,ほんらいの物価から見かけ上独立して金融資産価格のみが高騰し,商品流通の要求から離れて金融的流通に一層の貨幣が投じられることがありうる。この現象が,バブルと呼ばれるのである。

 バブルは,現代において貨幣の蓄蔵が起こりえず,代用貨幣の遊休だけが生じることから派生する現象である。と同時に,単なる遊休とは異なる現象でもある。

遊休,バブルの攪乱作用

 不況は一次的・実質的物価下落を引き起こし,貨幣流通量を停滞させるとともに,流通内の貨幣を遊休させる。遊休貨幣はまた商品側にある程度反作用し,不況を悪化させ長引かせる。バブルは実物経済の景気から相対的に独立して金融資産価格のみを騰貴させ,貨幣流通量の一部を金融的流通に滞留させる。

 政府が財政赤字をもって投入した預金貨幣が遊休貨幣やバブルに帰結した場合は,より複雑である。本来,これら外部からの代用貨幣投入は貨幣的インフレーションを引き起こす可能性を持っている。しかし,貯蓄となって遊休する貨幣が大きくなれば,名目的物価上昇としての貨幣的インフレの発現は,一時的物価下落によって遅延させられるし,実質的物価下落によって相殺されるかもしれない。このとき生産的に支出すれば可能だったはずの景気回復と一時的・実質的物価上昇もまた遅延させられる。またバブルが生じた場合は,貨幣的インフレ,景気回復と一時的・実質的物価上昇の代わりにバブルが生じるということになる。遊休とバブルが関与した場合の物価変動の複雑性には十分な注意が必要である。

 本節の解説をまとめると表4のようになる。遊休は物価変動要因であるが,バブルは物価変動要因とは異なるため独自の欄を設けていない。





VI 外国為替相場と物価

 外国為替相場の騰落と物価との関係は,本来は二通りに分けて考える必要がある。本来,経済法則として生じるのは各国の物価変動率の差異が外国為替相場の変動を引き起こすことである。例えば,各国における貨幣的インフレ率の相違によって事実上の価格標準の切り下げ率の違いが生じるために,外国為替相場は変化する。また,各国の景況と生産性向上に伴う一時的・実質的物価変動が原因となって,外国為替相場は一時的,さらに恒久的に変化する。これらの場合は,物価変動は結果でなく原因である。これらは理論的には重要であるが,物価変動の種別を扱う本稿の主題ではない。

 ここでの問題は,外国為替相場が上記以外の何らかの理由で先行して変動し,それが物価変動を引き起こす場合である。この理由として貿易と金融取引の不均衡があげられるが,今日には金融的要因による変動が大きいと考えられる。これにより自国通貨の上昇が続けば,自国通貨建てでみた輸入品価格は下落するし,自国通貨の下落が続けば自国通貨建てで見た輸入品の価格は高騰する。この変動は,為替相場の騰落自体が一時的であれば一時的物価変動であり,持続して自国産業の生産費や産業組織に影響を与えるならば実質的変動である。

 この変動は通貨の交換比率の変動が転じて通貨と商品の交換比率の変動となったものであるから,貨幣的物価変動と言ってよい。しかし,貨幣商品の生産費という意味での価値変動ではないし,価格標準の変動でもない。交換手段としての貨幣の購買力の変動であり,貨幣と商品の交換比率の変動である。通貨安による輸入物価の上昇は,日常用語では「コストプッシュ・インフレ」などと呼ばれるが,その実体は自国通貨購買力の低下による一時的・実質的物価変動であり,貨幣的インフレではないのである。

 本節の解説をまとめると表5のようになる。



VII おわりに

 ここまで論じてきた種々の物価変動の違いをまとめると表6のようになる。

 日常用語でいうインフレ,デフレは,それぞれ持続的な物価上昇と,持続的な物価下落のことである。しかし,これは物価の一時的変動,実質的変動,名目的変動という重要な区別,また実物的変動と貨幣的変動という重要な区別を覆い隠したものである。

 経済が好況や不況に向かう際の,商品の需給関係に起因する物価の一時的変動と実質的変動は実物的変動である。その根拠は商品の需給関係や生産諸条件や産業組織にあるのであって,貨幣的要因によって起こるものではない。自立的好況による物価上昇は「ディマンド・プル・インフレーション」と呼ばれるが,厳密な意味でのインフレーションではない。なお,課税等により,商品流通の外部から流通する貨幣を強行に引き抜いた場合は,貨幣的要因が実物的要因に作用し,実質的物価下落を伴う不況となるが,この場合も貨幣的要因の作用は間接的であり,直接の要因は実物的要因である。

 物価の名目的変動は貨幣的変動である。商品の需給関係や生産諸条件や産業組織によらず,貨幣の側の要因のみによって生じるからである。とりわけ,価格標準に起因する名目的変動こそ,厳密な意味でのインフレーション,デフレーションであり,また貨幣的インフレ,デフレである。管理通貨制が採用されている現代においては,それは不換代用貨幣の商品流通に外在的な投入による名目的物価上昇,すなわち貨幣的インフレという形でのみ起こりうる。

 代用貨幣の遊休は,本質論としては商品の需給関係の需要不足・供給過剰方向への変動や,商品生産条件の変動を反映したものである。しかし,流動性選好は商品の側に反作用し,物価の一時的・実質的下落の程度や継続期間に影響する。つまり遊休は,この表では最上位の2項目に属するが,その在り方を変動させ,攪乱させる作用を持つ。またバブルはほんらいの物価変動ではないため,この表では独立した項目にならない。

 代用貨幣の遊休とバブルは,貨幣流通を攪乱する。価値保蔵の動機で代用貨幣の遊休が持続すると不況を加速し,一時的・実質的物価下落を加速する。遊休貨幣が金融資産購入,とくにキャピタル・ゲイン狙いのそれに投じられると,商品流通を媒介するはずの貨幣流通量の一部が,相対的に独自な金融的流通を形成する。この商品流通と乖離した金融的流通の拡大が,資産価格の高騰とともに生じるのがバブルである。遊休と金融的流通は,商品流通を媒介する貨幣流通や,金融・財政政策の波及をかく乱する。

 注意すべきは,金融・財政とインフレ,デフレの関係である。銀行信用の伸縮は,好況または不況に伴って起こる物価の一時的変動や実質的変動を加速するし,バブルの発生や崩壊を促進する。しかし,厳密な意味での,言葉を換えていえば貨幣的なインフレ,デフレを引き起こすことはない。他方,不換国家紙幣の発行や,財政赤字による預金貨幣の散布は,貨幣的インフレの原因となる。ただし,財政支出がどれほど商品の生産と流通を誘発するかによって,貨幣的インフレが現実化するかどうか,貨幣的インフレが一時的・実質的物価上昇とともに現れるかどうかが左右される。財政拡張による好況期の物価上昇が「ディマンド・プル・インフレ」と呼ばれる時,そこには貨幣的インフレと一時的・実質的物価上昇が混在しているのである。生産や雇用の拡大を意図した財政拡張は,遊休とバブルによってその効果を減殺されたり,遅延させられたりすることもある。貨幣的デフレは,管理通貨制が採用されている現代では生じ得ない。財政黒字によって商品流通に外在的に預金貨幣・中央銀行券を引き上げると商品流通量も縮小して不況となり,物価は名目的にではなく一時的・実質的に下落してしまうからである。

 外国為替相場の変動に起因する物価変動は,通貨と輸入商品との交換比率の変動によるものであり,一時的または実質的物価変動である。ただし,通貨の交換比率の変動が転じて通貨と商品の交換比率の変動となったものであるから,貨幣的物価変動と言える。自国通貨安に起因する物価上昇は「コストプッシュ・インフレーション」と呼ばれるが,その実体は自国通貨購買力の低下による一時的・実質的物価上昇であって貨幣的インフレではない。

 インフレ,デフレと好況,不況,バブル,金融政策と財政政策の効果をめぐる諸問題は,以上の区別と関連を踏まえて論じられるべきである。


(完)



2024年8月6日火曜日

物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策(その2)

 Ⅰ はじめに

Ⅱ 物価の一時的変動と実質的変動
Ⅲ 物価の名目的変動,そして厳密な意味でのインフレ,デフレ
(以上その1
IV 現代の貨幣的インフレは何によって引き起こされるか
(以上今回)
V 遊休とバブル
VI 外国為替相場と物価
VII おわりに


IV 現代の貨幣的インフレは何によって引き起こされるか

要因分類

 一時的,実質的物価変動が,景気の拡大や停滞による商品の需給変動によって引き起こされることは明らかでる。では,現代の貨幣的インフレは何によって引き起こされるかというと,すでに述べたように不換代用貨幣の商品流通外からの投入によってである。しかし,そうした代用貨幣の一方的投入はどのように引き起こされるか。

 不換代用貨幣が商品流通内に一方的に投入され,結果として純投入となる経路は,いくとおりか考えられる。
(1)銀行の信用創造による預金貨幣の創出,あるいは預金貨幣から転換された中央銀行券の流通
(2)政府による不換国家貨幣の発行
(3)財政赤字を通した,政府による預金貨幣での支出超過

 それぞれの場合について,貨幣的インフレが生じるかどうかを考えよう。

銀行の信用創造

 ここでは,民間の経済主体,主には企業,また時には家計の求めに応じて銀行が貸付や割引を行う際のことを指す。国債入札による政府への貸し付けによって政府の支出超過を支える場合は,次項で考察するので,除くものとする。

 さて,銀行が民間の経済主体に貸付や割引を行うのは,それらの主体が生産活動や消費活動のための貨幣を必要としているからである。企業は利潤追求を目的に機械設備や原材料を仕入れ,労働者に賃金を払い,必要と思われる製品を保管し,流通させるために貨幣を必要とし,銀行から借り入れる。家計は,のちの収入を引き当てにして,これを先取りする形で銀行から住宅ローン等を借り入れる。その際に,銀行は自らの手形である預金を発行して貸し付ける。別の言い方をすれば,借り手の預金口座に残高を設定する形で貸し付ける。銀行のバランスシート上では,資産側に貸付金,負債側に預金が増加する。これが預金貨幣の創造であり,新規発行である。借り手は必要な支払いを預金振替で行うこともできるし,預金を引き出して中央銀行券に形態転換し,これを現金として購買することも可能である。

 企業の利潤追求活動が成功するか,少なくとも企業が倒産しない程度に継続し,家計が事後の収入をそれなりに得られた場合は,金利とともに元本が返済される。返済に際しては,企業や家計は自己の口座に返済元本を預け入れる。銀行は,バランスシート上で,資産側から貸付金,負債側から預金を同時に除去することで,返済を完了する。これは預金貨幣の還流・消却でもある。

 この全過程を見ると,預金貨幣は,商品流通のために新規発行され,持ち手を変え,時に一時的に中央銀行券に姿を変えながら,実際に商品流通を媒介する。そして,返済の際に発行銀行に還流して消滅する。

 つまり,民間経済主体に貸し付けられる預金貨幣は,商品流通の側の要求に応じて流通に投じられる。そして,流通から出ることもできる。ただし,退蔵されることはなく,流通から出れば消滅するのである。不換代用貨幣である預金貨幣が,このように商品流通側の要求に応じて伸縮できるのは,預金貨幣が信用貨幣,具体的には銀行の債務だからであり,銀行が貸す時に生まれ,銀行に返済される時に消えるからである。

 さて,個々の貸付・返済の元本についてみれば,貨幣流通量の増大と縮小はゼロサムである。しかし,社会全体としてみれば,商品流通量が拡大する好況期には,銀行の新規貸付額が増加し,過去の貸付の返済額を上回るだろう。逆に商品流通量が縮小するほどの不況になれば,新規貸付が停滞して過去の貸付の返済額を下回るだろう。こうして,経済成長や経済収縮に対応した貨幣量が確保される。

 このように,銀行の民間経済活動への貸し付けや割引に起因する預金貨幣の流通量は,商品流通に対応して伸縮するものであり,この意味で預金貨幣の供給は内生的である。預金貨幣は不換代用貨幣であるにもかかわらず,民間経済活動への信用供与である限り,流通外から一方的に投入されることはないのである。したがって,銀行が企業の求めに応じて活発に信用供与を行っても,貨幣的インフレーションは生じない。起こるとすれば,好況を信用拡大が支えることによる一時的・実質的物価上昇である。

 銀行の過大融資が「信用インフレーション」を起こすという説があるが,これは厳密な意味でのインフレーションではなく,好況を信用拡大が支えることによる一時的・実質的物価上昇である。逆に,金融引き締めが「デフレ」を起こすという説があるが,これもまた厳密な意味でのデフレーションではなく,不況の際の信用収縮による一時的・実質的物価下落である。だから,中央銀行の金融政策によって銀行の信用供与を促進・抑制することを通してでは,景気を刺激することや過熱を抑制することはできても,貨幣的インフレも貨幣的デフレも起こすことはできないのである。1990年代以降の日本における「貨幣的現象としてのデフレが生じた」「日銀の金融緩和不足がデフレを起こした」「日銀は超金融緩和によってインフレを起こそうとした」という議論は,いずれも本来の貨幣的インフレ,デフレとは異なるものをそのように呼び,また実物的な不況を貨幣的現象と取り違え,日銀の権限と責任を過大視した議論である。

政府による不換国家貨幣の発行

 銀行による信用創造とある意味で対極にあるのが政府による不換国家貨幣の発行である。不換国家貨幣は紙幣のばあいと補助硬貨の場合がある。一般的に補助硬貨は小口流通円滑化のために発行されるので,通貨供給量の増加を引き起こすのは不換国家紙幣の場合であろう。政府は,自らの資産として不換国家貨幣を発行し,これを支出する。その支出は,民間経済活動の要求とは全く独立に行われるので,商品流通量とは独立に貨幣流通量だけが一方的に増える。

 ただし,この政府支出が製品在庫の直接買い取り,困窮する消費者の購買力増大による製品在庫の間接買い取り,遊休設備や失業者を稼働させ原材料在庫を流通させての生産活動の増大などにつながる限りは,商品流通量も増大するのであって,それが貨幣量通量の増大と釣り合っている限りでは,物価は名目的には上昇しない。むしろ,好況が惹起されることで一部商品の需要が超過となって一時的上昇が引き起こされるだろう。

 問題は,政府支出の増加が,すでに生産資源のフル稼働のもとで行われたり,戦争時の軍需のように生産した商品を流通外で消耗してしまったり,独占・寡占などの産業組織上の問題に突き当たったりすることにより,商品生産増加を十分に伴わず,製品価格の上昇を引き起こす場合である。この価格上昇は一部の製品価格の上昇に始まるが,産業連関を通して経済全体に浸透し,ついには全般的名目的物価上昇を引き起こすだろう。すなわち貨幣的インフレーションである。不換国家貨幣の発行は,商品流通量の増大に相殺されない限り,貨幣的インフレを引き起こすのである。

 では,銀行融資が回収されることで信用貨幣の流通量が収縮するように,課税によって不換国家貨幣が回収されるとどうなるのか。

 民間活動向け信用創造と異なるのは,不換国家貨幣は流通に投じられる時点で外部投入であり,投入されれば貨幣的インフレを誘発する効果を持っていることである。いったん貨幣的インフレが生じてしまうと,価格標準が事実上切り下がっているために,増加した代用貨幣量がそのまま流通に必要な貨幣量となってしまう。この後に,課税によって不換国家貨幣が回収されると,それは商品流通を媒介している貨幣量を外部から引き抜くことになり,商品流通量そのものを縮小させ,不況を誘発する。その際物価は下落するであろうが,それは一時的下落であり,持続すれば生産コストの高い生産者の退出による生産コストの低下をもたらし,実質的な物価下落となるだろう。不換国家貨幣の投入による貨幣的インフレがいったん起こると,不換国家貨幣の回収によっても貨幣的デフレを起こして相殺することはできないのである。これが「インフレ・デフレの非対称性」の具体的表現である。

財政赤字を通した,政府による預金貨幣での支出超過

 いささか複雑なのは,財政赤字が政府による預金貨幣創出によってなされる場合である。これは政府が国家貨幣を発行できない状況の下で,財政赤字を出す際に起こることであるが,今日のほとんどの諸国での財政赤字とはこのようなものである。あえて言うならば中央銀行券インフレーションではなく預金貨幣インフレーションである(岡橋,1948)。

 この支出は,政府が支出先の民間経済主体に対して,預金貨幣を振り込むことによって行われる。具体的には,政府は政府預金を中央銀行に振り込み,中央銀行が一般銀行に中央銀行当座預金を振り込み,一般銀行が民間経済主体,例えば公共事業を受注した企業に銀行預金を振り込むのである。もちろん,政府預金が不足すれば,国債を発行して借り入れを行わねばならない。

 この時,商品流通の外部から預金貨幣が流通に投じられる。預金が引き出されれば,預金貨幣に代わって中央銀行券が投じられる。ここでは,不換国家貨幣を投入した場合と同様の効果が生じる。商品生産を誘発できれば名目的物価上昇は起こらず,十分に誘発できなければ名目的物価上昇,すなわち貨幣的インフレが生じる。

 ただし,不換国家貨幣の発行と異なるのは,政府が国債を発行して借り入れを行っていることである。そこで,政府の借り入れによって流通している貨幣が吸収されてしまい,それが投入される貨幣量を相殺しないのかという問題を検討しておく必要がある。

 まず,中央銀行が国債を引き受ける場合を考えよう。この場合,国債による借り入れ分だけ,中央銀行預金貨幣が政府預金として新規発行される。この政府預金が支出されると商品流通に対して外的に一般銀行預金貨幣が投じられる。民間経済主体から貨幣が吸い上げられることはないので,貨幣流通量が純増していることは明らかである。

 では,民間銀行が国債を購入した場合はどうなるか。この場合,国債購入代金は民間銀行が持つ中央銀行当座預金から政府預金へと払い込まれる。つまり,この時も民間経済主体から貨幣が吸い上げられることはない。もっとも,銀行準備預金が社会全体として減少するため,これによって銀行の信用創造が制約されることはありうる。しかしながら,政府支出によって預金貨幣が増大すると,その分だけ中央銀行当座預金も増大するため,結局銀行準備預金はプラスマイナスゼロとなり,結果として信用創造は制約されない。つまり,民間銀行が国債を購入した場合も,やはり預金貨幣流通量は純増するのである。これは,国債の購入が,商品流通を媒介している預金貨幣によってではなく,商品流通を媒介していない中央銀行当座預金によってなされるためである。

 こうして,財政赤字を通した預金貨幣による支出も,国債を中央銀行が引き受けるか民間銀行が購入するかにかかわらず,貨幣的インフレを引き起こす要因となるのである。中央銀行が引き受けた場合にだけ貨幣的インフレ圧力が生じるという通念は誤りである。

 さて,不換国家貨幣による場合と同じく,いったん貨幣的インフレが生じてしまうと,価格標準が事実上切り下がっているために,増加した代用貨幣量,つまり預金貨幣と,預金が引き出された結果としての中央銀行券を合わせた総量が,そのまま流通に必要な貨幣量となってしまう。では,この後で政府が財政黒字を計上すれば貨幣的デフレが起こるだろうか。財政黒字というのは,単純化すれば支出を上回る課税を行った結果である。課税は,一部は中央銀行券で納付されるものもあるが,多くは納税者の預金口座から引き落とされ,銀行を通して政府預金へと振り込まれる。だから課税が政府支出を上回ると,預金貨幣の流通量が縮小する。すると,不換国家貨幣の回収と同じように,商品流通量そのものを縮小させ,不況を誘発する。その際の物価下落は一時的下落であり,持続すれば実質的下落となる。財政赤字は貨幣的インフレ圧力を生じさせるが,財政黒字は貨幣的デフレ圧力を生じさせない。生じるのは不況と一時的・実質的物価下落への圧力なのである。これもまた「インフレ・デフレの非対称性」の具体的表現である。
 本節の解説をまとめると表3のようになる。


その3に続く)

<参考文献>
岡橋保(1948)『インフレーションの経済理論:預金貨幣インフレーションの研究』世界文化社。








大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...