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2024年8月7日水曜日

物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策(その3・完)

  Ⅰ はじめに

Ⅱ 物価の一時的変動と実質的変動
Ⅲ 物価の名目的変動,そして厳密な意味でのインフレ,デフレ
(以上その1
IV 現代の貨幣的インフレは何によって引き起こされるか
(以上その2
V 遊休とバブル
VI 外国為替相場と物価
VII おわりに
(以上今回)

V 遊休とバブル

貨幣の遊休

 さて,民間経済活動に対する信用供与によって投入された預金貨幣であれ,政府が発行して流通に投じられた不換国家貨幣であれ,財政赤字によって投入された預金貨幣であれ,はたまた預金貨幣が預金引き出しによって形態転換された中央銀行券であれ,商品貨幣そのものでなく代用貨幣であることは変わりない。代用貨幣はそれ自体価値を持たないため,退蔵されえない。つまりいったん発行されると,商品流通を媒介し続けるか,民間経済活動に貸し出された預金貨幣に限っては,銀行に返済されて消滅するかである。

 しかし,本質規定としてはそうであっても,代用貨幣の実際の運動を詳細に見れば,一時的に持ち手の手元で停滞し,一定期間は商品流通を媒介しないこともある。これは,本質的には貨幣の流通速度の低下と言える事態であり,事実上の価格標準を変更しているわけではない。しかし,ことは人々の目には本質と違って見える。本質的には商品生産の拡大による資本蓄積が困難であることが代用貨幣を遊休させるのであるが,個々の経済主体の意識からみれば,他の商品に対する価値保蔵の相対的便宜や,種々の商品への来るべき転換の便宜確保が代用貨幣保有の動機となり,もっぱらそのことによって需要が停滞しているように映る。いわゆる流動性選好である。こうして家計がもつたんす預金や定期性預金,企業が持つ手元現預金,金融機関保有現金などが積み上がる 。これらの遊休貨幣は,物価に影響する。遊休貨幣が遊休貨幣のままとどまるということは,すなわち有効需要の減退によって不況への突入ないしは継続が生じ,物価が下落するということだからである。

 この物価下落は本質的には不況によって商品流通が停滞することによる物価下落であるから,一時的であり,また継続すれば実質的である。別の角度から言えば,一時的に貨幣の購買力が上昇し,後に商品生産費が切り下がればもとにもどるような状態である。価格標準が切り上がって貨幣的デフレが起こったわけではない。個々の経済主体の動機に即して見れば流動性選好によるものであるから貨幣的と見えるが,それは社会的視点と個々の個別経済主体視点の混同である。物価下落そのものは,商品の需要が弱いことから生じ,またそれが継続して生産コストの切り下げが生じることから生じるのであり,個々の経済主体による流動性選好は,この価格下落を媒介し,加速するに過ぎない。なので,社会的規定としては一時的・実質的下落と見なければならない。

 とはいえ,流動性選好は代表貨幣遊休を極端にしたり長引かせたりすることで,物価下落をも極端にしたり長引かせたりすることは否定できない。代用貨幣の遊休,不況,一時的・実質的物価下落の関係は,今日の経済の個々の局面を理解するうえで極めて重要である。

バブル

 代用貨幣は遊休するが蓄蔵されえない。遊休は,本質的には商品生産・流通の停滞から生じるが,こうして遊休した貨幣に単なる継続保有以外に,もうひとつ,擬制的な価値増殖機会が現代経済には与えられている。それが金融資産への投下である。

 金融資産への投下は,新規発行株式や新規発行社債の購入であれば,生産的投資と言いうる。購入資金が生産的用途に充てられ,商品流通媒介に復帰するからである。しかし,流通市場での金融資産購入は,擬制資本に価格を付け,持ち手を転換しているだけである。金融資産からの収益は,株式の配当や社債の利子,不動産証券の賃料配当であれば,利潤からの分配と言えるが,多くは売買差益(キャピタル・ゲイン)である。今日,資本市場の一大部分がこのキャピタル・ゲイン追求行動によって成り立っており,そもそも銀行貸し付けによる信用創造が,事実上キャピタル・ゲインの追求を目的として行われる場合も少なくない。

 こうなると,貨幣流通量の一部は,商品流通を媒介せずに金融的流通にとどまり,擬制資本の価格形成だけを媒介し続けるようになる。その規模が拡大し,ほんらいの物価から見かけ上独立して金融資産価格のみが高騰し,商品流通の要求から離れて金融的流通に一層の貨幣が投じられることがありうる。この現象が,バブルと呼ばれるのである。

 バブルは,現代において貨幣の蓄蔵が起こりえず,代用貨幣の遊休だけが生じることから派生する現象である。と同時に,単なる遊休とは異なる現象でもある。

遊休,バブルの攪乱作用

 不況は一次的・実質的物価下落を引き起こし,貨幣流通量を停滞させるとともに,流通内の貨幣を遊休させる。遊休貨幣はまた商品側にある程度反作用し,不況を悪化させ長引かせる。バブルは実物経済の景気から相対的に独立して金融資産価格のみを騰貴させ,貨幣流通量の一部を金融的流通に滞留させる。

 政府が財政赤字をもって投入した預金貨幣が遊休貨幣やバブルに帰結した場合は,より複雑である。本来,これら外部からの代用貨幣投入は貨幣的インフレーションを引き起こす可能性を持っている。しかし,貯蓄となって遊休する貨幣が大きくなれば,名目的物価上昇としての貨幣的インフレの発現は,一時的物価下落によって遅延させられるし,実質的物価下落によって相殺されるかもしれない。このとき生産的に支出すれば可能だったはずの景気回復と一時的・実質的物価上昇もまた遅延させられる。またバブルが生じた場合は,貨幣的インフレ,景気回復と一時的・実質的物価上昇の代わりにバブルが生じるということになる。遊休とバブルが関与した場合の物価変動の複雑性には十分な注意が必要である。

 本節の解説をまとめると表4のようになる。遊休は物価変動要因であるが,バブルは物価変動要因とは異なるため独自の欄を設けていない。





VI 外国為替相場と物価

 外国為替相場の騰落と物価との関係は,本来は二通りに分けて考える必要がある。本来,経済法則として生じるのは各国の物価変動率の差異が外国為替相場の変動を引き起こすことである。例えば,各国における貨幣的インフレ率の相違によって事実上の価格標準の切り下げ率の違いが生じるために,外国為替相場は変化する。また,各国の景況と生産性向上に伴う一時的・実質的物価変動が原因となって,外国為替相場は一時的,さらに恒久的に変化する。これらの場合は,物価変動は結果でなく原因である。これらは理論的には重要であるが,物価変動の種別を扱う本稿の主題ではない。

 ここでの問題は,外国為替相場が上記以外の何らかの理由で先行して変動し,それが物価変動を引き起こす場合である。この理由として貿易と金融取引の不均衡があげられるが,今日には金融的要因による変動が大きいと考えられる。これにより自国通貨の上昇が続けば,自国通貨建てでみた輸入品価格は下落するし,自国通貨の下落が続けば自国通貨建てで見た輸入品の価格は高騰する。この変動は,為替相場の騰落自体が一時的であれば一時的物価変動であり,持続して自国産業の生産費や産業組織に影響を与えるならば実質的変動である。

 この変動は通貨の交換比率の変動が転じて通貨と商品の交換比率の変動となったものであるから,貨幣的物価変動と言ってよい。しかし,貨幣商品の生産費という意味での価値変動ではないし,価格標準の変動でもない。交換手段としての貨幣の購買力の変動であり,貨幣と商品の交換比率の変動である。通貨安による輸入物価の上昇は,日常用語では「コストプッシュ・インフレ」などと呼ばれるが,その実体は自国通貨購買力の低下による一時的・実質的物価変動であり,貨幣的インフレではないのである。

 本節の解説をまとめると表5のようになる。



VII おわりに

 ここまで論じてきた種々の物価変動の違いをまとめると表6のようになる。

 日常用語でいうインフレ,デフレは,それぞれ持続的な物価上昇と,持続的な物価下落のことである。しかし,これは物価の一時的変動,実質的変動,名目的変動という重要な区別,また実物的変動と貨幣的変動という重要な区別を覆い隠したものである。

 経済が好況や不況に向かう際の,商品の需給関係に起因する物価の一時的変動と実質的変動は実物的変動である。その根拠は商品の需給関係や生産諸条件や産業組織にあるのであって,貨幣的要因によって起こるものではない。自立的好況による物価上昇は「ディマンド・プル・インフレーション」と呼ばれるが,厳密な意味でのインフレーションではない。なお,課税等により,商品流通の外部から流通する貨幣を強行に引き抜いた場合は,貨幣的要因が実物的要因に作用し,実質的物価下落を伴う不況となるが,この場合も貨幣的要因の作用は間接的であり,直接の要因は実物的要因である。

 物価の名目的変動は貨幣的変動である。商品の需給関係や生産諸条件や産業組織によらず,貨幣の側の要因のみによって生じるからである。とりわけ,価格標準に起因する名目的変動こそ,厳密な意味でのインフレーション,デフレーションであり,また貨幣的インフレ,デフレである。管理通貨制が採用されている現代においては,それは不換代用貨幣の商品流通に外在的な投入による名目的物価上昇,すなわち貨幣的インフレという形でのみ起こりうる。

 代用貨幣の遊休は,本質論としては商品の需給関係の需要不足・供給過剰方向への変動や,商品生産条件の変動を反映したものである。しかし,流動性選好は商品の側に反作用し,物価の一時的・実質的下落の程度や継続期間に影響する。つまり遊休は,この表では最上位の2項目に属するが,その在り方を変動させ,攪乱させる作用を持つ。またバブルはほんらいの物価変動ではないため,この表では独立した項目にならない。

 代用貨幣の遊休とバブルは,貨幣流通を攪乱する。価値保蔵の動機で代用貨幣の遊休が持続すると不況を加速し,一時的・実質的物価下落を加速する。遊休貨幣が金融資産購入,とくにキャピタル・ゲイン狙いのそれに投じられると,商品流通を媒介するはずの貨幣流通量の一部が,相対的に独自な金融的流通を形成する。この商品流通と乖離した金融的流通の拡大が,資産価格の高騰とともに生じるのがバブルである。遊休と金融的流通は,商品流通を媒介する貨幣流通や,金融・財政政策の波及をかく乱する。

 注意すべきは,金融・財政とインフレ,デフレの関係である。銀行信用の伸縮は,好況または不況に伴って起こる物価の一時的変動や実質的変動を加速するし,バブルの発生や崩壊を促進する。しかし,厳密な意味での,言葉を換えていえば貨幣的なインフレ,デフレを引き起こすことはない。他方,不換国家紙幣の発行や,財政赤字による預金貨幣の散布は,貨幣的インフレの原因となる。ただし,財政支出がどれほど商品の生産と流通を誘発するかによって,貨幣的インフレが現実化するかどうか,貨幣的インフレが一時的・実質的物価上昇とともに現れるかどうかが左右される。財政拡張による好況期の物価上昇が「ディマンド・プル・インフレ」と呼ばれる時,そこには貨幣的インフレと一時的・実質的物価上昇が混在しているのである。生産や雇用の拡大を意図した財政拡張は,遊休とバブルによってその効果を減殺されたり,遅延させられたりすることもある。貨幣的デフレは,管理通貨制が採用されている現代では生じ得ない。財政黒字によって商品流通に外在的に預金貨幣・中央銀行券を引き上げると商品流通量も縮小して不況となり,物価は名目的にではなく一時的・実質的に下落してしまうからである。

 外国為替相場の変動に起因する物価変動は,通貨と輸入商品との交換比率の変動によるものであり,一時的または実質的物価変動である。ただし,通貨の交換比率の変動が転じて通貨と商品の交換比率の変動となったものであるから,貨幣的物価変動と言える。自国通貨安に起因する物価上昇は「コストプッシュ・インフレーション」と呼ばれるが,その実体は自国通貨購買力の低下による一時的・実質的物価上昇であって貨幣的インフレではない。

 インフレ,デフレと好況,不況,バブル,金融政策と財政政策の効果をめぐる諸問題は,以上の区別と関連を踏まえて論じられるべきである。


(完)



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