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2026年2月27日金曜日

高市首相の施政方針演説について:ナローパスに賭けるべきだろうか

  2026年2月20日,高市首相が施政方針演説を行った。以下,「圧倒的に足りないのは、資本投入量、すなわち国内投資です。その促進に徹底的なてこ入れをします」という言葉は,よく考えて分析的に(複数の側面や可能性を考慮して)見る必要があること,しかしそうしてみても,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくってまいります」というのは根拠のない煽りであることを書く。

 内閣府データで潜在成長率と,これに対する各項目(資本投入,労働時間,就業者数,全要素生産性)の寄与度をみると,以下のとおりである(内閣府資料,2025年12月23日更新)。

潜在成長率:0.5
全要素生産性:0.4
資本投入量:0.2
労働時間:-0.2
就業者数:0.2

 いまのままの生産関数(経済構造)では,カネとヒトを投入しても,これまで程度の生産性上昇があったとして,0.5パーセント/年の実質成長が限度である。資本投入量を増やそうと無理をすれば,単に超過需要で生産が増えず,インフレになるだけだ。インフレになれば過度な円安も続き,輸入物価も高止まりする。これではだめなのだが,高市政権は,内閣府のデータが示す,そうした基本的な因果関係をごまかしている。

 いや,経済構造そのものを変え,全要素生産性をさらに引き上げて,潜在成長率を引き上げる(供給の天井を引き上げる)のだというならば,それ自体はもっともだ。「量子、航空・宇宙、コンテンツ、創薬などの17の戦略分野」の育成というのはそういうことだろう。しかし,全要素生産性をどうやって引き上げるかに注意が必要だ。

 すでにフル稼働しているモノを,カネの力で投資に誘導するならば,消費を減らさねばならない(※1)。どうしてもそうするというのであれば,消費税減税などでなくむしろ増税するか,あるいは消費税減税を上回る富裕層増税や法人税増税をして財源を作り出すべきだろう。高市政権には,そのようにする気はなさそうに見える。

 そうではなく,モノの配分をさほど変えず,消費を抑圧せずに生産性を引き上げるというのであれば,それ自体ももっともだ。しかしそれならば,設備投資を必要としない方策,つまり規制改革,税制によるインセンティブ構造の改善,研究者・技術者のキャリアパス確保,起業や,女性と高齢者の正規雇用拡大といった方法をとるべきだろう。高市政権には,そうした工夫をする気配がなく,投資促進を煽っているように見える。

 結局,政権が事実上狙っているのは,以下のような狭い道筋(ナローパス)だろう。まず,0.5%の成長余地を活用してAI導入の全面化に投資し,潜在成長率の向上を図る。また,現に進んでいる非労働力(高齢者と主婦)の雇用を促進するとともに,労働時間規制を緩和して労働投入を増加させる。同時に,名目賃金の引き上げは支持して,収入増が消費増に結び付くように誘導する。これらを行えばインフレは継続するが,これを緩やかな,国民の不満が爆発しない程度に保つ。そうすると,実質賃金は上がらないために,企業利潤の増と消費増で景気は維持される。その上,政府債務残高は目減りし,財政赤字拡大を相殺できる。こんなところだろう(※2)。

 だが,これはナローパスである上に,転落すれば危ない橋である。インフレが加速し,円安が是正されずに輸入物価が高止まりして,実質賃金が停滞すれば,国民の不満が爆発する可能性は高まる。また,単純な雇用促進では非正規雇用が拡大して正規との格差は是正されない。また裁量労働制拡大は,専門職はとにかく一般ホワイトカラーでは,単にただ働きに終わる危険が高い。そして,AI導入は結局は進展するとしても,この先バブル化してクラッシュするリスクも高い。新興産業とは,エクイティ・ファイナンス,バブル,クラッシュを通して生産力を発展させるものだ。すでにマーケットでは,株式の比重を減らし,ドル国債に慎重な態度をとり,エネルギーと貴金属に投資しようという動きが出ているのである。稼働できないデータセンター,利益を生まないAI開発投資という時期も,すくなくとも一度は来ると見た方が現実的だ。

 長い目で見て,生産性向上に投資すべきなことはまちがいない。成長の天井を上げないと,所得の生まれようがないからだ。しかし,インフレ・円安の現状でこの「投資の危ない橋のナローパス」に賭けるべきだろうか。それよりも,インフレを加速しない方法で,国民生活を救う道を求めるべきではないか。それは,再分配の強化である。選挙で選択された以上,減税はもっともである。しかし減税だけすればインフレを加速して元も子もなくなる。中間層・低所得層に減税すると同時に,富裕層や大企業には増税することが必要だろう。国民生活が安定すれば,企業も国内に投資する動機を強めるだろう。

 インフレと円安・輸入物価高という現下での制約条件を無視し,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくって」も効果は期待できない。日本人の底力などといって因果関係をごまかしてはならない。タイヤが滑って空回りしつつあるときに,エンジンの底力を信じて吹かすべきだろうか。タイヤが地面をとらえて,着実に進めるようにすることが肝心だと,私は考える。

※1 カネは海外からも調達できるし,金融的流通から実物経済に引き戻すこともできるし,信用創造で生み出すこともできる。だからカネの投資を名目的に増やすことはできる。しかしモノがなければ工場・設備・施設は作れず生産能力は拡大できない。
※2 古い学説をご存じの方は,大内力の国家独占資本主義論を思い出されたい。



2026年2月18日水曜日

なぜ,「純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?」を書いたのか

 「純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?」一応,完結し,ブログに掲載しました。この連載は,直接には,最近になって「結局金が貨幣だ」という見解がアナリストの間に出現したことに触発されたものです。金価格高騰=インフレーション=ドル減価という等式です。しかし,これは正しくありません。管理通貨制と変動相場制,具体的には金兌換が停止され,価格標準が肯定されなくなった世界では,インフレーションとは別に,金価格は単独で高騰できるし,またしているからです。金価格高騰は,確かに一部はインフレーション=ドル減価によるものですが,多くは中央銀行の金購入と金ETFを通した投機によります。そして,その背景にあるのは,インフレーションよりも,むしろ世界秩序の帝国主義化により,ドル国債の流動性と,ドル預金での決済システムが不全になる危険です。

 またこの連載は,師・村岡俊三とそのまた師・岡橋保の貨幣論との対話でもありました。岡橋氏が,金価格は価格標準の変動(インフレ,デフレ)によっても変動するが,金に対する需給によっても変動すると指摘したことを私は支持します。岡橋氏は,金に対する通貨の購買力低下は不等価交換によっても起こり得るのであり,金価格高騰がすべてインフレーションではないことを,ニクソン・ショックの際に解き明かしました。また,村岡氏が,新産金が流通に入る交換過程に注目したことで,金兌換停止のもとでは金価格は単独で高騰しうることを明らかにしたことを,私は支持します。村岡氏はこうして,1970年代以降,金価格がインフレ率を超えて高騰したメカニズムを明らかにしました。

 しかしながら,村岡氏が,金がこうして流通に入る過程で価値尺度機能を果たし,蓄蔵貨幣になるとしたことには,保留をつけざるを得ません。消極的には金を価値尺度財と見なすことは可能ですが,金は積極的な価値尺度機能を停止しているし,流通に入れないために蓄蔵貨幣のプール機能を果たせないのです。村岡氏は,金価格が単独で高騰しうる理由を金生産性の低下=金価値の増大にのみ帰着させたために,金価格がそれ以外の要因によっても変動しうることを見ませんでした。これは,今日の中央銀行の金購入や金ETFによる投機的需要の発生を踏まえれば,不十分であったと言わざるを得ないのです。

 現時点において,金は,もっとも貨幣に近い資産として需要されながら,すでに貨幣の機能を果しえません。だからと言って,金は貨幣論上,どうでもよくなったのではありません。本来は金が貨幣であったが,資本主義発展が金の流通を排除し,その代わりに価値尺度の不在による通貨システムの不安定という矛盾を抱え込んだのです。この弁証法的関係を明らかにしてこそ,今日の金市場と,その背後にある世界の政治経済学は理解できます。そのためにマルクス経済学はなお有効なのだと私は考えています。多くの方にとっては呆れるほど突飛でしょうが,私は,イデオロギー的立場を固守するためではなく,現実に切り込んで,現実の経済における今後の見通しを示すツールとして,マルクス経済学が「使える」ことを示したかったのです。またそのために,はるかにさかのぼって,師や,師の師の見解の現代的意義を尊重するとともに,その限界を乗り越える道を示したかったのです。

<参考>

岡橋保『金の価格理論:価格標準の研究』日本評論新社,1956年。
岡橋保『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年。
村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年。

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?
(1)問題の所在
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post.html

(2):金価格高騰=インフレーション論について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_4.html

(3):金需要の動向について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_6.html

(4):中央銀行の金購入について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_11.html

(5):金ETFについて
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/etf.html

(6・完):必要とされながら不在の商品貨幣
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_16.html

2026年2月16日月曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(6・完):必要とされながら不在の商品貨幣

  (1)から(5)までで,現在の金価格の変動に関する考察を終えたが,ここで「結局金が貨幣なのか」という問題について,理論的に考察しておきたい。

 これまでの考察から明らかなように,現時点で金は流通手段としても支払い手段としても貨幣ではなく,貨幣として流通していない。しかし貨幣に最も近い商品であることからその価値保蔵機能は信頼されている。中央銀行の金購入や,金ETF購入の増加とその投機化はこの金の屈折した性格から説明できる。

 しかし,最後にもう一度,金が貨幣であるかどうかを理論的に問い直そう。問題は次のように設定される。管理通貨制と変動相場制の下で,金は流通手段としても支払い手段としても貨幣ではない。それでは,価値尺度,蓄蔵貨幣,世界貨幣としてもまったく貨幣ではないと言えるのか。これはスコラのようであるが,理論的には大事なことなので,考えてみよう。考察しやすくするために,金が今なお貨幣だという立場を想定し,これが正しいかどうかを考えるというスタイルを採ろう。

 金が今なお貨幣だとすれば,それは価値尺度,蓄蔵貨幣としてである。これらの片方でも打倒すれば,そのようなものとして世界のどこでも通用する世界貨幣だということになろう。これを貨幣の生成プロセスに即してみよう。金は鉱山で採掘され精錬され,金地金となる。金本位制であれば地金が直接商品と交換されるか,あるいは鋳造業者に持ち込まれて金貨となるだろう。しかし,今日では,何らかの通貨建て買い取られる,さらに具体的に言えば預金貨幣ないし中央銀行券と交換される。代金を払って地金を入手したものの手中で,金地金は蓄蔵貨幣となる。このように考えるしかないであろう(※1)。

 では,この時,価値尺度機能はどのように果たされているか。金本位制のもとで価格標準(1グラム=Xドル)が公定されていれば,金は価格標準を通して,自らの重量をもってあらゆる商品の価値を測る価値尺度となる。ところがいったん価格標準が設定されると,市場ではむしろ金にも価格があるとみなされるようになる。管理通貨制と変動相場制の下では,公定価格標準は存在しないため,いよいよもって金は一般商品と同様に価格を持つものとみなされる。具体的には,新産金が流通に入る際,供給側では金の生産費と産金業者の要求利潤率に規定され,需要側では金需要の在り方によって規定されて価格がつく。そして何らかの通貨建ての預金貨幣ないし中央銀行券と交換されるのである。交換されたのちは蓄蔵貨幣となり,貨幣としては流通しない。つまり一般商品との交換には入らない。だから,金がいまなお価値尺度であるとすれば,新産金として販売された際の価格設定を通して,間接的に一般商品との交換関係を結ぶことで,価値尺度機能を果たしていると考えるよりないのである(※2)。

 しかし,この二つの規定はいかにも危ういものである。まず,蓄蔵貨幣の属性を果たしているかどうか考えよう。価値保蔵機能については,確かに今日でも金が果たすことはできる。しかし,貨幣流通におけるプール機能は果たすことができない。蓄蔵貨幣プールの重要な役割は,商品流通界が追加貨幣を必要とする際にその供給源となり,逆に不要な貨幣が排出された際にこれを受け入れることである。今日,この機能を果たしているのは銀行が創造する預金貨幣である。企業が借り入れを行う際に預金貨幣は創造され,返済の際に消滅する。生成し,消滅する預金貨幣は,流通外で蓄蔵されない。しかし,プールの機能は果たしている。預金貨幣の流通を裏付けるのは中央銀行預金貨幣の支払い決済システムである。金は,中央銀行保有の金ですら,ここで何の役割もはたしていない(※3)。流通に入れない金は,蓄蔵貨幣のプール機能を果たしえない。

 価値尺度機能も危うい。というのは,市場で新産金に価格がついているからであり,この価格は金の投下労働価値,すなわちある金を生産するのに必要な社会的平均的投下労働量の対象化と言える水準に落ち着きそうにないからである。新産金価格は,商品としての金の特殊な需要に規定されてしまう。前回まで述べた通り,宝飾品需要,工業製品需要,中央銀行の準備金としての需要,そしてETFを含む資産としての需要である。そして,資産としての需要による投機化か今日の金価格を特徴づける。そして,こうした金価格変動は,物価全般とは全く独立に起こり得るのである。もちろんどんな時も,結果としては,金の一定重量が全商品と相対的価値関係に入っているということはできるし,そこでの交換が等価交換から乖離すれば,逆方向に戻る力が生み出されるとは言える。その意味で価値法則は作用している。しかし,金が様々な商品と交換関係に入り,商品間の相対的関係を,価値通りの交換や生産価格による交換となるように規制しているとは言えないのである。金は価値法則を規制する能動性を失ってしまっている。この原因は,価値尺度機能のカギである公定価格標準が停止しているからにほかならない。

 誤解がないように別の表現で言えば,「金が価値尺度か」という問いには,問題の設定の仕方によってはYesと言えるかもしれない。長い目で見て,金を基準として,諸商品の労働価値の相対関係を考えることはできる,という意味においてならばである。しかし,金重量が,一般商品との交換を通して能動的に,諸商品の労働価値の相対関係を規制している,という意味においてはNoである。これらの意味においては金の価値尺度機能は停止している。金価格の水準は一つの商品価格として決まるものになってしまっており,事実上の価格標準から乖離する。地政学的考慮を反映した中央銀行の需要や金ETFを通した投機に需要が左右されて乖離するのである。

 しかしこれは,資本主義経済において,価値を持つ商品貨幣が不要になったことを意味するわけではない。逆である。貨幣としての金は必要とされながら不在であり,市場参加者は代用貨幣を用いるしかない。だからドルの信認低下は,行き場のない逃避需要を生み出す。すでに貨幣として流通しえないが,貨幣に最も類似した資産として金が選好される。価格標準は必要とされながら不在であり,市場参加者の目の前には変動する金価格しかない。だから金によって価値保蔵を図っても,それは変転する金価格のもとで,不完全にしか達せられない。ありきたりな言葉で締めくくるのは気が引けるが,これらは資本主義発展に伴う矛盾なのである。

※1 村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年,松本朗「金価値と金価格の動向とその理論についての考察―最近のドイツにおける研究動向を参考にして―」『立命館経済学』61(6),2013年(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61617.pdf)。
※2 村岡,前掲書,119-127頁。
※3 金準備を裏付けとして中央銀行預金貨幣や中央銀行券が発券されるのだと主張する人がいるかもしれない。そうではない。金兌換停止のもとでは,中央銀行預金貨幣は最終支払い手段であって,物的資産の裏付けなしに発行され得る。世界には自己資本を持たない中央銀行が存在するが,その理由はここにある。対内的には自国通貨の通貨価値,対外的には基軸通貨の通貨価値が維持されていれば,そこに問題はない。ここで通貨価値とは,第一には信用貨幣の商品貨幣に対する代表価値であり,また第二には信用貨幣と商品の交換比率である。金兌換が停止されただけでこれらが維持不可能になるわけではない。川端望「通貨供給システムとしての金融システム:信用貨幣論の徹底による考察」研究年報『経済学』81,2025年(https://doi.org/10.50974/0002003359)。


2026年2月14日土曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(5):金ETFについて

 さて,中央銀行と並んで金価格を動かすもう一つの需要である金ETFについて見なければならない。

 ここで取り扱う金ETFとは,金を裏付けにした上場投資信託のことであり,上場されている株式と同じように取引ができる。だから,ETFを購入するというのは,厳密に言えば擬制資本である証券を購入しているのであって,金を直接購入しているわけではない。しかし,ETFは金地金を保有しているので,取引が公正である限り実物の金によって裏付けられていると言える。地金に比べれば,ETFの取引コストははるかに低い。とくに小口の個人投資家によっては,少額でも金に対する確実な持ち分を得られるETFは,購入しやすく魅力的な金融商品である。もちろん,ETFにも独自のコストがかかる。ETFの1口が代表する金重量は,信託報酬が差し引かれることによって少しずつ目減りしていく。しかし,地金取扱いのコストに比べればはるかに低い負担だ。

 金ETFが初めて上場されたのは2004年のことであった。以後,物量ベースで見た金ETFの金保有量は,長期的には大きく伸びて,2026年2月6日には4114.4トンに達した(※1)。その間に保有量の増減はあったが,特徴的なことは,2023年から2024年にかけての一時期を除き,金ETFの金保有量が伸びた時には金価格も上がり,逆なら逆であったことだ。金ETFの所在地は北米が約半分であり,残り半分のうち大半はヨーロッパが占めている。しかし近年はアジアが拡大しており,495トンを占めている。

 金は単なる金属であるから,収益のフローを生み出さない。金ETFには株式のような配当もないし,債券と異なって利子も得られない。したがい,静態的にとらえるならば,金ETFの価格は収益の資本還元ではなく,むしろ金の内在的価値を反映したものである。金ETFで資産運用するということは,価値保蔵を目的とするか,純然たる金の価格変動に賭けて利益を狙うということになる。

 ここで重要なことは,ETFによって大から小零細までの個人投資家による金需要が広範に現実化したことである。その背景には,まず株式とは別な理由での,金価格上昇の長期的見通しがある。それは2000年代の終わりには世界金融危機というリスクであり,それ以後に始まった各国中央銀行による金購入の底堅さであり,コロナ以後のインフレーションであり,2010年代後半以後の地政学的リスクであり,2020年代におけるその加速である。そして,中国やインドからの投資家の市場流入によって,投資家の数そのものも増大した。

 さて,投資家の金購入の動機は,それが小口になればなるほどインフレヘッジが中心になる。大投資家と異なって金価格の大規模変動に賭けることなどできないし,中央銀行のようにドルでの決済不能のリスクにおびえる立場ではないからだ。しかし,こうしたささやかな動機による購入は,いったん上がり始めた金価格をさらに押し上げることになる。なぜならば,インフレヘッジ程度の低い収益性しか期待していない小零細投資家群は,それ以外の大規模投資家に比べると,高い金価格でも購入できるからである。低収益しか期待しない投資家が増えるほど価格は上がるというのが,証券市場の逆説なのである(※2)。こうして金価格は,内在的価値からはるかに乖離して高騰した。内在的価値の指標は新産金生産コストであるが,2020年までは1000ドル/トロイオンス前後で安定していたが,2025年には1500ドル/トロイオンスを超えた(※3)。一方,金のスポット価格は2020年初には1500ドル/トロイオンス前後であったものが,2026年2月前半は5000ドル/トロイオンス前後で上下を繰り返している(※4)。この上昇率がアメリカのインフレ率をはるかに超えていることも言うまでもない。これは投機的な価格であり,何らかのきっかけがあれば下落することもある。現に上昇傾向の中でも,しばしば下落しているのだ。

 まとめよう。金ETFの取引には,内在的価値に関連した根拠があるにはある。中央銀行による価値保蔵のための継続的な準備資産積み上げを背景としており,また投資家によるインフレヘッジの動機に導かれているからだ。しかし,この背景と動機に基づくETF購入は,結果として金価格を内在的価値から乖離して高騰させる。だから,金ETF取引は,架空性の高い価格の変動を当てにした,金投機と化しているのである。内在的価値に根拠を持ちながら投機と化すことが,金ETF取引の逆説である。

 この項の最後で,何度も繰り返してきたことを再度強調しよう。金価格高騰をもっぱらインフレーションの反映であるとか,高騰した金価格がインフレーションを起こすなどと言ってはならない。それは客観的には,金投機の架空性を覆い隠す言説だからである。インフレヘッジを動機に金ETFを購入することはもっともである。しかし,投機に参与し,これに巻き込まれることなしに金ETFを購入することはできないのである。

※1 この段落の数値はGold ETFs, holdings and flows, World Gold Council, February 9, 2026による。
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-etfs-holdings-and-flows

※2 これは株式時価総額が企業の解散価値から乖離して上昇する理由でもある。伊藤光雄「擬制資本の形成と運動 -債券と株式-」研究年報『経済学』44(3),1982。
https://doi.org/10.50974/0002005133

※3 Production Costs, World Gold Council, January 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/aisc-gold

※4 Gold Spot Pries, World Gold Council, February 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-prices


2026年2月11日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(4):中央銀行の金購入について

  近年の金需要のうち,まず需要に継続性がある中央銀行の金購入から見ていこう。

 World Gold Councilの統計では,中央銀行の金購入は2010年からプラスになったが,そのボリュームは2022年に1000トンを突破し,3年間1000トン超えを維持した。2025年は多少減退したが,863トンである(※1)。Brooking Institutionの最新レポートによる中央銀行金保有残高も同様の傾向である(※2)。

 この金購入は,その時々の価格上昇とは連動していない。金価格が上記的な上昇に転じたのは2000年前後,急騰したのは2008年の世界金融危機から2012年まで,2019年から2020年まで,そして2024年初からである。とはいえ,長期的に見て中央銀行がネットで連続購入する時代になったことは,需要の底支えになっているとみるべきだ。

 中央銀行の金保有額の重みを世界GDP比で見ると,2000年以後上昇し,2024年末には2.5%に達している(※3)。金保有の多くは先進諸国中央銀行によるものであるが,重量で見たその保有量は横ばいで,過去15年ほどの増加はもっぱら新興国中央銀行によるものである。外貨準備に占める金の割合は金額で見るよりないが,ユーロ地域では62%,アメリカでは75%,ロシアでは32%,中国では6%,日本では6%である。暫定的な推計では世界全体では約4分の1と見られている。

 近年の金購入の動機と傾向については,シンクタンクOfficial Monetary and Financial Institutions Forum(OMFIF)のレポートが参考になる(※4)。OMFIFによると,中央銀行の80%は,いまなお安全性と流動性のためにドルに投資している。また調査回答者の92%は,米国債市場はなお十分な流動性を保っていると回答している。しかし,中央銀行の58%は,来る1-2年の間に多様化を計画している。ドルへの投資をくじく要因は,アメリカの政治環境,地政学,アメリカの財政政策である。一方,ほぼ全ての中央銀行が、準備資産の中核あるいは増加傾向にある構成要素として金を挙げている。このレポートを作成したワーキンググループの議論の中では,外貨準備運用担当者は,配分決定が主に地政学的考慮によって駆動されており,財務的リターンは補助的な役割しか果たしていないと報告している。なお,ETFを保有しようとする中央銀行は少数派である。

 つまり,新興国中央銀行が,地政学的な理由から準備資産としての金の保有を増やそうと地金の形態で毎年購入していることが,金価格の底支えになっているわけだ。

 これを裏返すと,相対的にドルの信認が下がっているということである。ドル建て準備資産は当座預金や紙幣のまま持たれることは少ないので,より具体的には,価値保蔵資産としてのアメリカ国債の信認が下がっているわけである。

 一部のアナリストは,ドル国債信認低下=金価格高騰=インフレーションと見ている。繰り返し述べてきたように,これは部分的に正しいが,部分的にしか正しくない。インフレは金価格を高騰させる。しかし,インフレ以外の要因も金価格を高騰させる。そして金価格高騰はインフレを起こさない。インフレとは別に,地政学上の理由によってドル国債信認低下=金価格高騰が起こっていると見なければならない。金が今では流通手段や支払い手段ではなく,しかし価値保蔵手段ではあるために,このようなことが起きるのである。

 では,中央銀行の金購入が増えた2022年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それはロシアのウクライナ侵略であり,これに対して各国が経済制裁を行ったことである。また,金価格の高騰が生じた2024年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それは国際政治が,複数の大国が,互いに武力の行使を辞さないものに変転しつつあることである。中国一国が台湾への武力侵攻を放棄しないだけではない。ロシア一国がウクライナを攻撃するだけでもない。アメリカ一国がベネズエラを攻撃し,デンマークを脅迫するだけでもない。複数の大国が武力行使をためらわないために,相互作用が破滅的な結果をもたらしかねないことである。これは新興国にとって,国際通商システムや決済システムへのアクセスに障壁が生じることを意味する。これら諸国の通貨当局は,平和裏にドル国債をドル建預金に転換できないリスクや,ドル建預金で国際決済ができなくなるリスクを考慮せざるを得ないのだ。インフレーションのリスクだけではなく,国際政治による通商・決済の途絶リスクが高まりつつある。中央銀行の購入による金価格底支えの意味はそこにある。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gian Maria Milesi-Ferretti, How important are central bank holdings of gold?, Brookings Institution.
https://www.brookings.edu/articles/how-important-are-central-bank-holdings-of-gold/

※3 この段落の終わりまで同上レポートによる。なお,アメリカの場合,金の現物は財務省が保有しており,FRBはそれに対するGold Stockを保有している。この経過は,重見吉徳「【マーケットを語らず Vol.211】米国政府の保有ゴールド含み益とBITCOIN法:その①」フィデリティ証券,2025年8月21日を参照。
https://www.fidelity.co.jp/page/strategist/vol211-the-fed-gold-revaluation-and-bitcoin-act

※4 この段落の記述は,OMFIF Global Public Investor Working Group, Redefining resilience  in reserve management How global public investors are navigating  uncertain time, 2025による
https://www.omfif.org/redefining-resilience-in-reserve-management/

※2026年2月13日。最終段落が2024年以後の地政学的リスクだけを論じていたところに,2022年以後に関する記述を追加。


2026年2月7日土曜日

政府債務のGDP比率は何を語っているのか:Allison Shrager氏の記事から考える

 ブルームバーグのコラムニストAllison Shrager氏による記事「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」2026年2月6日。私は,長期的にはかなり共感できるところがあるが少し違う視点を取りたい。また,短期的には別な評価も必要だと思う。論点整理の作業として投稿するために,話が行きつ戻りつすることをご勘弁いただきたい。

 短期の方から行こう。そのポイントは,政府債務/GDP比率を示したグラフにある。コロナ禍以後,日本の政府債務/GDP比は,依然として他国より高いが,他国より急速に低下していることに注意する必要がある。これはコロナ対策終了でいったん財政支出が縮小したことにもよるが,同時にインフレ・輸入物価高騰のためである。ストックで言うと,物価上昇によって日本に住む人が持つ貯蓄は実質的に目減りする。一方,政府の累積債務は実質的に軽減される。この現象は「インフレ税」と呼ばれる。また,物価上昇に対して,名目所得や名目消費額は追い付いていないが,見かけ上は所得や消費の額もそれなりに大きくなるので,税の支払額は増える。とくに所得税など累進性のあるものは,課税区分が上昇して税率が上がることがあり,実質的負担増となる。これらが,長年上昇傾向にあった日本の政府債務/GDP比が下がりだした理由である。

 だから短期でいうと,政府債務/GDP比率が下がれば良くて,上昇すると悪いというわけではない。いま述べたように,日本の比率が下がっているのは,住民から政府に所得移転を行っているようなものだからである。住民搾取の結果として政府債務が減るのは,よいこととは言えない。

 しかし,では積極財政が正しいかというと,いまは異なる。もし仮にに今が不況であり,失業率が世界金融危機の時のように5%に達し,遊休設備が存在するのであれば,しばらく積極財政,減税でもよい。雇用が生まれ所得が生まれるからである。しかし,2026年の現実はインフレ・輸入物価高と同時に景気は過熱気味で,失業率は昨年末2.5%であり,遊休設備はほとんど存在しない。だから,財政赤字を拡大してはだめなのである。なぜなら,実質所得が増えずにインフレが加速し,また円安が進んで輸入物価がさらに上昇するリスクを高めるからだ。これが目の前の問題である。債務が大きすぎるからではなく,すでに生産能力を使い切った状態だから,財政赤字が益少なく害多いことになるのである。

 次に長期である。コラムの言うことは間違っていないとは思うが,少し視点を変えた方がよい。政府債務/GDP比が長期にわたって上昇していることを,分子の政府債務の大きさだけに即して評価するのでなく,分子と分母の関係に即してみるべきである。つまり,「財政赤字が所得に寄与していないのに拡大し続けていること」が問題なのである。これは明らかな事実である。またもうひとつは,マーケットに対し,政府が課税能力を徐々に失っているという疑念を発生させることである。これは期待の問題である。この二つは,通貨価値の毀損=インフレのリスクを高め,日本国債に対する評価を下げ,主に円安と長期国債価格の下落,長期金利の上昇を引き起こす。また,短期金利を調節する日銀も板挟みに陥る。このコラムの以下の指摘は正しい。「インフレと闘うために金利を引き上げれば、債務コストが急増する。一方,金利を低く据え置いてインフレを高止まりさせれば,円は下落する」。

 日本政府にもジレンマが生じる。一つの道は,緊縮財政をとって国民をさらに苦しめつつも長期金利の上昇を防ぎ,国債市場と外為市場での信認をつなぎとめることである。もう一つは,国債をさらに増発して日銀に買い上げを求めることである。日銀は,たとえ独立性を持っていようとも,国債暴落を放置することはできない。黒田時代のように買い上げざるを得ないだろう。すると,しばらく国際市場での信認は維持されるだろうが,インフレ圧力がさらに強まる。

 最後に,このコラムが引き出した教訓と対話しよう。一番目の教訓は,「長期金利はマーケットが決める価格であり,下手にいじれば危ないということ」である。これは正しい。ただ,その意味はもっと深い。長期金利が上がるのは,財政支出に効果がなく,また課税能力が疑われているということである。借金の金利が高くなってたいへんだというイメージで考えるべきでなく,円という通貨の価値が疑われているというレベルでとらえるべきである。

 このコラムによる二番目の教訓は,「インフレはいずれ戻り,財政計画を揺るがすということ」である。これもほぼ正しい。「インフレリスクは決して消えない」というのはさらに正しい。たとえ財政赤字を容認する学派であろうとも,その限界を悪性インフレ=通貨価値の毀損を引き起こさない範囲に置く。例えば機能的財政論の元祖であるラーナー『雇用の経済学』を見よ。これを踏み外すべき根拠はどこにもない。

 ただし,インフレリスクを政府が逆用する可能性を見落としてはならない。仮にマーケットをパニックに陥れず,国民が反攻に転じないという前提が成り立つならば,インフレによって政府が債務者利得を得られるのである。現に,いまそうなっている。だから日本政府は,インフレを放置するという積極的な賭けに出るかもしれないし,あるいは無策のまま何とかなることを期待する結果として消極的な賭けに出ることもありうる。

 最後の教訓は,「第三に、政府が巨額の債務を抱えても何も起きないことは時にあるだろうが、それは長期戦略にはなり得ないということだ。卑近な例を用いれば、断層の上に家を建て、何十年も地震で倒壊せずに住めるかもしれないが、それが賢明だったことにはならない」というものだ。これは正しくない。脆弱地盤しかないとことろでは,地盤を徹底的に改良して家を建てることは賢明な選択である。資本主義社会に生きるとは,地盤の脆弱な土地に住むようなものである。自由放任では成し遂げられないことは多い。しかし,公的機関の努力によって失業を減らし,外部効果の高い科学研究や技術開発を支援し,環境破壊を食い止め,市場では供給されない公衆衛生のようなサービスを提供するならば,インフレなき完全雇用と,環境保全と社会の安定を確保できる可能性が高まる。それに寄与するならば,債務は創造しがいがあるし,長期金利は上昇しない。理論的にも,いまの日本の現実に沿っても,問題は債務の金額が大きいことそれ自体ではない。財政支出が有効に使われずに,供給能力を伸ばさず,インフレを起こし,格差を放置する結果をもたらすことなのである。

Allison Shrager「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」Bloomberg, 2026年2月6日。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-05/T9U3UHKGIFPZ00


2026年2月6日金曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(3):金需要の動向について

 金価格は1月末から2月初めにかけ,暴騰したかと思えば暴落している。このことは,前回までに論じたことの傍証となっている。つまり,金価格上昇がもっぱらインフレーションの表現だという見解は誤りなのである。数日以内でインフレとデフレが逆転するはずもないし,そもそも管理通貨制のもとでは不況による価格下落はあっても厳密な意味でのデフレは起きないのであり,したがい,金が暴落してもデフレのせいではないのである。

 さて,それでは,資産としての金需要をどう考えればよいか。ここからはある程度実証的に論じる必要がある。公開情報しか取れない立場では限界があるが,できるだけやってみよう。

 金について比較的信頼できる統計は,World Gold Council(WGC)のものである(※1)。1月30日に発表されたばかりのGold Demand Trends Full year and Q4 2025によると,2025年の金需要は5002トンに達し,前年比1%増加した。1年前の2024年の金需要は4962トンであった。

 需要の内訳は以下のようになる。1トン未満は四捨五入している。

2025年
・宝飾品製作需要1638トン,総需要に対するシェア32%,前年需要量比16%減
・技術需要323トン,シェア7%,前年比1%減
・投資需要2175トン,シェア44%,前年比73%増
・中央銀行その他の機関の需要863トン,シェア17%,前年比37%減
・店頭取引その他3トン,シェアほぼ0%,前年比で1%未満に
・合計5002トン

2024年
・宝飾品製作需要2026トン,シェア41%
・技術需要326トン,シェア7%
・投資需要1185トン,シェア24%
・中央銀行その他の機関の需要1092トン,シェア22%
・店頭取引その他331トン,シェア7%
・合計4961トン

 WGCのいう宝飾品製作と技術の需要が,前回まで述べた商品としての需要,投資需要と中央銀行の需要が資産としての需要に相当する。

 投資需要の内訳は,以下のようになる。

2025年
・地金(延べ棒と鋳貨)1374トン,シェア28%,前年比30%増
・上場投資信託(ETF)および類似商品801トン,シェア16% ,前年は3トン売り越し

2024年
・地金(延べ棒と鋳貨)1188トン,シェア24%
・上場投資信託(ETF)および類似商品マイナス2.9トン

 さて,ここで注目すべき点は二つである。

 第一に,中央銀行が買い手となっていることである。WGCによれば,2010年以来連続して買い手となっている(※2)。中央銀行は通常はETFを購入しないので,地金の購入である。

 第二に,投資需要が極めて大きく,まだ拡大していることである。そしてまだ地金の水準には及ばないものの,2025年にETFを通した金保有が急拡大していることである。

 以下,この2種類の需要について検討していこう。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gold Demand Trends Full year and Q4 2019, January 30, 2020.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2019


2026年2月4日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(2):金価格高騰=インフレーション論について

  さて,まず問題とすべきは,最近になってアナリストの一部が主張するように,金価格の高騰をもっぱらインフレーションによって説明できるかである。今回は,この点を主に理論的に考察する。

 前回述べた基本的観点をもう少しかみくだくと,金価格を規定する要因は四つあると思われる。

 第一に,管理通貨制と変動相場制の下では,金の生産費(金の投下労働価値)が変化すると,それによって産金業者の金売却価格も変動するといこうとである。これは金1グラム=Xドルと価格標準が固定されている金本位制とは異なる現象である。

 第二に,一般商品としての金に対する需要によって価格が変動する。主に工業用および宝飾用としての需要によるものである。

 第三に,財政赤字を通した外生的な代用貨幣(預金貨幣または中央銀行券)の供給によって事実上の価格標準が切り下がり,厳密な意味でのインフレーションとなることで金価格が上昇する(※1)。これについては上昇だけがあり得て,下落は起こりえない。なぜなら代用貨幣が不足すれば,単に物価が実質的に下落して不況となるのであり,価格標準切り上げとしてのデフレーションは起こらないからである(※2)。

 第四に,資産としての金の需要により,金の投下労働価値から乖離して金価格が上下する。

 コロナ禍での巨額の財政赤字を背景にして,ポストコロナ期には先進諸国でインフレーションが生じたことは確かである。上記の第3要因,つまり厳密な意味でのインフレーションによる金価格上昇も起こっているとみてよいだろう。しかし,それだけでは十分な説明要因とはなりえない。というのは,最近の金価格高騰はポストコロナのインフレーションがいくらかおさまってきた2024年以後に起こっているからである。また,それ以前の高騰も,リーマンショック後,物価が下落気味になっていた2009-11年頃に起こっている。加えて,傾向的には上昇している金価格であるが,この2月初めに見られたように,時に下落することもある。前述のように管理通貨制のもとでは厳密な意味でのデフレーションは起こりえないので,金価格がこれを反映することはない。

 金価格が上がったからインフレなのだと,逆の説明をするのも間違いである。これは金本位制と管理通貨制を混同するあやまりである。

 金本位制のもとでは,公定価格標準としての金価格を切り上げれば,物価全体も上昇する。例えば以下のようになる。=は投下労働価値に沿って等価交換されることを意味する。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

2)金本位制のもとでの公定価格標準の切り下げ
投下労働価値量X=金1g=200ドル=商品100個
商品1個=2ドル

 しかし金貨流通や兌換が停止され,公定価格標準が廃止された管理通貨制のもとでは,金価格は他の商品と同じように独立して上昇しうるし,下落しうる。金価格が上がれば,金で測った物価はむしろ下落する。しかし,金に対して通貨が下落しているから,通貨で測った物価は一定なのである(※3)。なお,ここで金価格の上昇が金生産費の高騰(金の労働価値の増加)によるのか,単に需要超過によるのかで本質的な意味は異なるが,現象としては同じである。例えば以下のようになる。×は,不等価交換が行われることを表す。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

3)管理通貨制のもとでの金生産費の2倍化
投下労働価値量2X=金1g=200ドル=商品200個
商品1個=1ドル

4)管理通貨制のもとでの需給関係による金価格2倍化
投下労働価値量X=金1g × 200ドル=商品200個=投下労働価値量2X
商品1個=1ドル

 3)でも4)でも,金価格のみが上昇するのであり,通貨ドルで測った物価が上がるわけではない。たしかに通貨の金に対する購買力は下がっているが,だからといって物価全般が上昇するわけではなく,インフレーションになるわけではない。金価格が上がっていることを,それに相応するインフレーションが起こっている証拠と見なすのは,まちがいなのである。

 確かにポストコロナでインフレーションは起こっている。しかし,金価格の2000年以来の傾向的上昇や2024年以来の急騰をすべてインフレで説明することは,情勢論としては行き過ぎであり,理論的にはむしろ間違いと言わねばならないのである。

 とすると,金価格の高騰の相当部分は第1,第2,第4要因に求めねばならない。第1要因の金生産費の上昇は,2000年代半ば以後,確かに生じている(※4)。しかし,短期間に急激に起こるものではない。第2要因の商品としての需要も,急騰しているとは考えにくい。銀の場合は工業需要が急増しているが,金についてはその証拠はない。すると,第4の,資産としての需要の増加が最も説明力のある要因であろう。

 この資産需要は何によるものか,それは商品に対する純然たる投機なのか,それとも貨幣に関わることがらなのか。これが,次の問題である。

※1 ここで厳密な意味でのインフレーションとは,価格標準の切り下げによる全般的・名目的物価上昇のことである。厳密な意味でのデフレーションは,その逆である。特定商品の需要超過により物価が上昇することは,日常用語ではインフレーションであるが厳密な意味では一時的または実質的物価上昇である。

※2 岡橋保『金の価格理論:価格標準の研究』日本評論新社,1956年,216-221頁。同『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,88-89頁。川端望「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492,2025年,6-7頁(https://doi.org/10.50974/0002002920)。 当たり前であるが,「不況だから物価が下がる」ことはある。物価の持続的下落をみな「デフレ」と呼ぶ日常用語にしたがうとしても「不況だからデフレになる」のである。逆に,不況と無関係に,通貨不足から物価下落期待が生じ,そして実際に物価下落が起こり,それゆえに不況になる「デフレだから不況になる」ということはあり得ない。あるとすれば,単に「不況で物価が下がっていて,いよいよそれがひどくなりそうだから不況になる」だけである。通貨と商品の量的関係を抜きに,「期待で物価は決まる」とする理論は誤りである。

※3 金本位制の場合と管理通貨制の場合の相違については,村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年,121-127頁を参照。金本位制の場合から出発して,管理通貨制度になるとそれがどう変わるのかを説明することが大事なのであって,金を理論から追放して事足れりとするのは誤りなのである。

※4 松本朗「金価値と金価格の動向とその理論についての考察―最近のドイツにおける研究動向を参考にして―」『立命館経済学』61(6),2013年,350-351頁(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61617.pdf)。



2026年2月3日火曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(1):問題の所在

 2024年以降,金価格の高騰が著しい。また,2026年1月末から2月初めにかけては暴騰と暴落を示すなど,値動きも激しい。この理由は,直接的なマーケット心理としては,安全資産を求めてのリスクヘッジまたは逃避行動とされている。それにしても,主要国の物価上昇率をはるかに超える値上がり率である。また株式についても,先進国の市場はコロナ突入直後のショックから立ち直った後は,おおむね好調に推移しており,むしろ株価と金価格の同時上昇が不思議がられるという状況である。ちなみに銀とプラチナも似たような傾向を示している。

 過去1年間の金価格高騰は何を意味するのか。リスクヘッジまたは安全資産への逃避とは何なのか。このことに対する見方は,大きく見て二つに分かれるようである。

 ひとつは,単に商品としての金が極度に選好されて投機が激しくなっているという見方である。この背後には,金は単なる商品の一つであり,その希少性,耐久性,分割・結合の容易性,あるいは過去に貨幣商品であったことの記憶から,極端に関心を集めているに過ぎないのであって,そこに貨幣論上の意味は何もないという見方がある。1970年代以来,常識として定着してきた金廃貨説の立場と言ってもよい。

 しかし,あまりに金が選好されることについて,別の見方も浮上している。それは,金価格の高騰は各国通貨の信用失墜の裏返しであり,結局のところ金が貨幣である,あるいは貨幣として復権しつつある。という見方である。このような見方は,1971年8月の金ドル交換停止,そして1973年の変動相場制移行後,衰退する一方であったが,ここにきて復活している。それも研究者の間にではなく,アナリストの間で広がっているのである。金価格高騰とは,ドルの金に対する購買力暴落の裏返し,通貨に対する信認の崩壊,インフレーションの表現またはその予兆だというのである。

 しかし,私は,いずれに対しても与することはできない。金の位置はアンビバレントだからである。金のような価値を持つ商品が貨幣であることは,資本主義にとって必要であるとともに制約である。だから資本主義は,ひとたびは金を貨幣としながら,金の実際の流通を回避できる代用貨幣のシステムを構築してきた(川端望「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』第81巻,東北大学大学院経済学研究科,2025年3月)。そのことによって資本主義は発展し,しかし,その代償としてインフレやバブルという,自己の基盤を掘り崩す問題をも発生させてきたのである。

 今この瞬間,金は貨幣として流通していない。しかし,あらゆる商品の中で相対的に貨幣に最も近いものとみなされている。この両面をともに重視する見地から,金価格高騰について考えていきたい。しかし,途中で行き詰まって止めるかもしれないことをご容赦いただきたい。何しろ,明日にはどんなショックがマーケットを襲うともしれず,言うべきこともどんどん変わっていくのかもしれないのである。

 ともあれ,金価格に対する基本的観点は,以下のようなものである。古いと馬鹿にするなかれ。時代が一回りしてみると,古い理論が実は正しかったということもあるのだ。

「金の市場価格には価格標準の逆数と,一定金量を代表する代用貨幣の支配金量の逆数を示す二つがある。前者の価格標準の切下げを反映する金の市場価格の騰貴は,兌換の停止された銀行券が流通必要金量をこえて濫発されて価格標準が事実上切り下げられても,あるいは平価の法律上の切下げや,金の買い上げ価格の引上げ,為替相場の引上げなど,価格標準を直接切り下げる方法によってもおこる。これにたいして,後者の金の市場価格の騰貴は,価格標準の切下げとはなんの関係もなしにおこる。金との自由な兌換が禁止されているときには,いろいろな事情から金選好がおこり,銀行券の代表金量にすこしの変更もないにもかかわらず,一定量の金がそれ以上の金量を代表する銀行券と交換されるという不等金量の交換があらわれる」(岡橋保『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,47頁)。



2026年1月11日日曜日

賃上げ,賃上げ,賃上げと労働運動は主張すべき:高市政権がインフレを止められない状況下で,日本経済を望ましい方向に向ける短期的方策

 高市首相が何と言おうと,いま政権がやっているのは拡張的財政政策であり,需要刺激政策である。したがって,供給能力がすぐに拡大しない現状ではインフレを加速するし,行き過ぎた円安を是正もできない。日銀がそろそろと金利を引き上げて,これまで長く続いた借り手企業優遇,預金者搾取を改めているのは合理的だが,それ以上のことができるわけではない。

 すぐに政権が変わらないという条件下で,ただちに望ましい方向に日本経済を持っていく方策はあるだろうか。このままでは,物価が下がらず,物価高対策の効果が相殺されてしまうことは避けようがない。それにしても,物価だけが上がるのは最悪である。また,円安の下で,輸入物価は上がり,輸出企業だけがもうけるのも二番目くらいに悪い。輸出企業がもうかっただけでは,そこで働く人の利益にはならないことは,過去20年の実績から明らかである。

 しかし,よりましな状況を作る短期的方策はある。春闘での大幅賃上げが実現することである。賃上げをすることによって日本の多数の人の生活が救われるし,企業に対してイノベーションを促すことができる。賃金コストが上昇することこそが,企業にとって待ったなしの生産性向上,製品革新を促す力である。これによって供給能力が向上すれば,物価高も緩和される。幸いにして,今は政府も,企業経営者も「賃上げは必要」と認めているので文句がつくこともない。いまこそ,イデオロギーに関係なく,労働運動が,ただ基本的な使命のために奮起し,ひたすらに賃上げ,賃上げ,賃上げと主張するときだ。

2026年1月4日日曜日

原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年を読んで

 本書は副題が示すように,日本のラジオ・テレビの100年史を概説したものである。まず一言で言えば,その使命を果たしている本であり,日本のラジオ史・テレビ史をまずざっと理解したい人にとってたいへん便利な本である。とくに今日では,若年層の動画視聴はテレビ放送からインターネットを基礎とした各種プラットフォームにシフトしており,高齢層は感覚的に知っているテレビ業界の構造や習慣が,若年層にとって常識ではなくなりつつある。例えば,広告モデルのビジネスゆえの番組枠の希少価値をめぐってのテレビ局,広告代理店,広告主,芸能プロダクション,制作陣の緊張関係である。これがすでに当世の常識ではなく,歴史的知識となっているのであり,改めて要領よく整理してくれている本書は貴重な存在と言っていい。新書,とくに昨今のそれという性質から個々の箇所での注記はあまりされていないが,参考文献の長大なリストは巻末に記されていて,さらなる読書や研究の手引きとなる。個人的にはラジオ産業と言えば平本厚『戦前日本のエレクトロニクス』,テレビ産業と言えば同『日本のテレビ産業』が欠かせない業績であると考えているので,前者が文献リスト,後者が本文内に注記されていたことに安堵した。

 さて,本書の書き口として明快なのは,放送メディアは権力と対峙しているし,対峙すべきという古典的視野である。このことの確認は重要である。昨今の風潮として,SNS上ではラジオやテレビが「オールドメディア」として嘲笑されることが多い。それにはそれなりの理由があるが,注意すべきは,この嘲笑においては,「オールドメディアの嘘と既得権益」が,その対極にある何らかの「真実と無私・独立性」と対置されているということである。この二分法は二つの意味で不適切である。一つは,「オールドメディア」の対極でネットメディアを「真実」,テレビで批判される人や団体を「無私」と決めつける根拠がなく,実際に事実から逸脱する主張も少なくないということである。「どうせオールドメディアは嘘ばかりの既得権益」と賢しらにいいたてられる際に,何を真実・無私とするかについてのすり替えが行われている。もう一つが本書との関連で重要であるが,この二分法の社会観には国家権力についての視点が全くないことである。国家権力と社会という観点は,いかに古い観点・理論に基づくものであろうと,ゆるがせにできないものである。国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし,首相やその他の国務大臣はその言動について,一国民とはまるで異なる重さの責任を負っているのである。

 誤った二分法が流される情勢下において,放送メディアを担う人々が権力による恣意的な放送介入に対峙してきた歴史,国家からの独立性を確保することの重要性を強調する本書の意義は大きい。繰り返し言うと,いかにこれが「古い」観点であり,ポストモダンではなくて「モダン」であろうとも,いまなお重要なことである。

 しかし,「権力との対峙」以外の点については,本書の切れ味はいささか鈍く,問題は描かれてはいるが投げ出されたままになっている。例えば,視聴者が直接に求めるものと,メディアの担い手が留意する放送内容の公共性や「よいもの」は相違する。本書は,この相克が戦前のラジオから続くことをよく描いているが,この相克をどう考えたらよいのかについては,さほど突っ込んでいるようには見えない。

 また,テレビという放送メディア自体が権力となり,個人に対して暴力的に対峙してきたことをどうとらえるかという問題もある。「おわりに」に語られる来歴からすると,著者はこの問題に強い関心を持っているはずである。しかし,メディアが持つ権利と個人の権利の衝突に関する考察は,本書では弱い。

 テレビ局に関する「組織」としての考察も物足りない。正確に言うと,権力に対して独立しているか否かという側面についてはよく描かれているが,フジテレビ問題にみられるような,会社組織として労働者を尊重しているか,ステークホルダーを含めたガバナンスはいかにあるべきか,という点についての視点が十分定まっているとは言えない。むろん事実関係についての記述はされているが,考察が弱いのである。

 いささかないものねだりをしているのかもしれないが,視聴者ニーズとの専門家によるコンテンツ供給の緊張関係,マスメディアの暴力性,組織としてのテレビ局の在り方は,今日の「オールドメディア嘲笑」の風潮の背景の一つであり,放送の将来を考えるうえで,考察をより深めねばならないはずである。なので,もう少し突っ込んで欲しかったという気持ちが残るのである。

 まとめると,本書は,事実関係のコンパクトな整理と,政治権力から独立することの重要性という観点において際立っている。しかし,それ以外の新たな論点については物足りなさが残る。むろん完璧な本などないし,書いてあることすべてをうのみにする読書もありえない。本書はラジオとテレビについて学ぶ際に,まず手元に置くとたいへん便利であり,考えながら読むことで,得られるものは多いだろう。

 原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721392-8

2026年2月9日。誤字をなおし、わかりにくい表現を修正
修正前:「「オールドメディア」の対局で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別個に監視されねばならないし」
修正後:「「オールドメディア」の対極で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし」




2025年12月23日火曜日

人文社会系の学会において修士課程院生が報告することをめぐって

  少し前に,修士課程院生が人文系の国内学会で報告することについて否定的な投稿がXにんされ,それをめぐっていろいろな議論がありました。修士課程院生と連名で社会科学(経営学)系の国内学会で報告したことのある教員なので,限られた知識に基づいてではありますがコメントします。長文でないと説明できないのでXに投稿せずブログとします。私の所属する部局では「前期課程」と言いますが,「修士課程」の方が一般的でしょうからそう呼びます。

1)前提として,日本の人社系学会報告は,1セッション25-45分程度あることが多く,裏返すと一回の大会での報告数が限られます。理工系の学会はもっと短いことが多いはずです(私も一つだけ加入しているので少しは分かります)。

2)そして人社系はポスターセッションが理工系ほど普及していませんから,参加者は会場に来たら最後,よい報告でもそうでなくても25-45分間拘束されることになります。

3)上記1)2)の事情により,「一つ一つの枠が貴重なので,よく練られた報告をしてほしい」という規範が働きます。

4)他方で,日本の人社系では、理工系ほど報告の事前審査制,プロシーディングスの査読制が厳しくないことが多く,エントリーすれば報告できることもあります。最近は海外に倣って厳しくする学会もあります。

5)上記の2)と3)から,混雑して会場も日にちも足りなくなるのではないかと思われるかもしれません。しかし、(遺憾ながら)一学会当たり会員数が少ないことが多いので,そうはなりにくいのです。私にとっての主要2学会は、いずれも300人くらいしか会員がいません。加入している社会科学系学会で一番会員数が多いもので2000人弱です。一つだけ入っている理工系の学会は約8000人です。

6)上記2)3)4)の事情により,大学院生の報告がよく練られたものになるための主要な方法は,「指導教員が事前に丁寧に指導する」と言うものになります。そして,そのことを教員の会員は知っています。

7)上記1)2)3)により「よく練られていない院生の報告」がなされた場合,会員が感情的に面白くない気持ちを抱くことがあります。それ自体は理解可能です。

8)しかし,ここまでの論理から言って,「よく練られていない院生の報告」がなされてしまう理由は,直接には修士課程院生の自己責任にあるものの,間接的には指導教員の指導にありますし,また一部は学会の制度・慣行にある空隙に由来します。すべて修士課程院生当人の問題とすることはできません。

9)また,よい報告がなされる可能性もある以上(私と院生はよい報告をしたと自負しているし,その後査読を通って学会誌に論文を載せました),修士課程院生の報告全般を否定することは適切ではありません。

10)なお,上記4)により,大学院生がある意味では積極性を発揮し,別な意味では自己認識が甘くて,自己判断でエントリーすることもあります。それが自己認識の甘さに由来する場合には,指導教員が止めるのが妥当です。しかし,ことの性質上,強制力はない抑止になりますから,指導教員の指導を院生が受け入れやすい関係になっていないと,そのままエントリーしてしまうことはあります。

11)以上のことから,人社系学会の現在のルールと慣行のもとでは,「前期課程院生が報告することは,明文化されたルールには違反していない」,「その内容が未熟すぎるということも後期課程院生や教員よりは高い確率で起こる」,「未熟すぎる報告が行われた場合,学会にとって貴重な報告枠が失われたという機会費用的受け止めがなされやすい」,「未熟すぎる報告が行われた場合,明文化されたルールの上では院生の自己責任である」,「しかし事実上,指導教員の指導の在り方にも,そもそも学会のルール・慣行にも問題があると考えられる」,「ルール・慣行に問題があるからと言ってその隙を突く行為に対して周囲はよい感情を持てない」といった問題が絡み合うのだと思います。

2025年12月5日金曜日

藤本隆宏編『工場史ー「ポスト冷戦期」の日本製造業ー』(有斐閣,2024年7月)の書評論文が『社会経済史学』91巻3号に掲載されました

  このたび『社会経済史学』編集委員会からの依頼にもとづき,藤本隆宏編『工場史ー「ポスト冷戦期」の日本製造業ー』(有斐閣,2024年7月,444頁,5000円+税)の書評論文を執筆いたしました。何とか意を尽くそうと約8000字書きました。

 私は,藤本先生らが工場(または事業所)を経済学・経営学の重要なカテゴリーとし,分析単位とすることに心より賛同します。本書にも工場経営と企業経営を区別して観察すべき根拠を多数見出しました。しかし,工場が一般的に,存続と雇用維持という目的を持つという見解には強いためらいを覚えざるを得ません。そう信じるべき根拠が本書には見出せませんでした。ポスト冷戦期における日本の工場という分析単位の,存続努力というアクティビティは貴重でした。しかし,それは一般理論の証明としてではなく,この時期の日本の歴史的文脈において貴重であったのだと理解いたします。


『工場史』出版社ページ
https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641166288








2025年11月22日土曜日

高市政権下での経済政策についての覚書:対案の方向性

 高市政権下での経済政策についての覚書。評価と対案の方向性


*総需要刺激はインフレ・円安を加速するので生活を救えない

 高市政権が,補正予算と減税で生活を支援しようということ自体は結構である。しかし,それだけやればインフレと円安を加速し,効果は台無しになってしまう。供給能力が限られている局面で需要だけ刺激してはだめなのである。


*生活救済と社会改革を再分配で

 いまは,生活救済は,総需要を過熱させないように再分配で行わねばならない。高収益の大企業や富裕層に課税する。また社会的な環境・安全コストを賄うための課税,たとえば地球温暖化対策,タバコの健康被害対策,インフラ劣化対策,山林保全,オーバーツーリズム対策などのための課税などを強めねばならない(だから出国税引き上げはよい)。所得税は単純減税でなく,累進性を強めて富裕層には増税しなければならない。中間層以下は減税し,課税最低限以下の個人には逆に給付すべきだ。消費税減税でもよいが,必ず富裕層増税とセットにするべきだ。同じようにNISAは拡大しても良いが大口のキャピタルゲイン課税は強める。
 こうして総需要はプラマイゼロに近づけてインフレと円安を抑えると同時に,再分配で物価高対策をするのである。


*賃上げを政策支援する

 人手不足なのにGDPは上がらず実質賃金が上がらず,物価だけが上がるのは異常である。労働組合が頼りにならないので対策が難しい。政策でできることとしては,賃金が物価高に追いつくように,最低賃金引上げ速度を上げるべきだろう。非正規へのボーナス支給や退職金支給を促す働き方改革法制の充実も必要だ(緊急には行政解釈の強化でもよい)。賃上げはもちろん「賃金・物価スパイラル」につながるが,賃上げ分の価格転嫁は,他の理由で起こっているインフレよりはましである。


*人の面から供給能力を高める

 供給能力の方も高めねばならない。画期的イノベーションも必要ではあるが,まずは足りないのが人であることに注意すべきだ。だからといって労働時間規制を緩和しては過労死社会への逆戻りである。そうではなく,女性全般と高齢者全般が自らの意志で正規雇用につけるように環境整備すべきだろう。非正規労働者はジョブ型正社員や短時間勤務正社員に転換して職務に見合ったボーナスや退職金を支給する(上記)。退職後再雇用で賃金が激減することを防ぐために,賃金の職務対応部分を明示する法制化をめざし,さしあたり現行法制内で行政解釈を強める。外国人労働者は,日本語能力要件の引き上げや労働市場テストによる総枠制限で数を調整する。そうして,一方では日本人と競合しないようにしながら,他方で外国人労働者自身が買いたたかれたり搾取されないようにし,全体としてスキルを高める。
 これらは,供給能力を高めると同時に,労働の時間単価は上げることになる。こうして企業経営者には,低賃金利用の誘惑をなくして生産性向上を促す。


*中小企業の活性化

 労働者を支援する政策により,コストアップで苦しくなる中小企業も確かにあるだろう(※)。そこですべきは救済のための融資や給付ではない。技術支援や経営活性化支援,事業継承支援を強化する。また下請け法を厳格に適用して,大企業による交渉力格差を乱用した搾取を止める。商業分野ではまちづくり提案に支援する。こうして,競争を公平化して真面目な中小企業に有利としつつ,全体の生産性を高めていく。


※ちなみに国立大学の管理職としても個人的には困るのだが,日本全体を考えた政策論としてはやむを得ない。この対策としては,運営費交付金を,せめて人事院勧告対応賃上げ分と水光熱費値上がり分だけ補填すべきである。これは,公的セクターの賃上げ実現という需要面と,科学・技術の水準の支えという供給面の双方にとって必要なことである。


 以上。しばらくはこの線で考えたい。なお,この議論に不足しているのは社会保障とその財政の在り方であって,これはもっと勉強しないと何とも言えない。

2025年10月30日木曜日

アベノミクスの金融・財政政策を継承すると,物価高対策にならない:高市政権下でのマクロ経済政策の方向性について

 高市政権は,金融緩和,財政出動という意味でアベノミクスを継承する気配を見せている。むしろ財政支出に関してはアベノミクスより積極的になるかもしれない。アベノミクスは,金融緩和は政府の日銀への圧力のもとで「超」がつくほど徹底して行ったが,財政赤字はそれまでの水準を維持したというレベルであり,さらに拡大したわけではなかった。むしろコロナ後の岸田政権以後の方が,財源の手当てなく大型支出を次々提案している。防衛費のGNP比2倍化,子育て支援,グリーントランスフォーメーション等々である。高市政権では,物価高対策を理由に何らかの形での家計向け減税が加わるであろう。これは歳出増というより,むしろ歳入減となる面が強いが,赤字財政による需要刺激という点では同じである。

 高市政権の政策の詳細がどうなるかが判明するのはこれからである。しかし現時点で重要なことは,金融緩和,財政出動をいま行うとどうなるかを考えておくことである。それが,今後の政策評価の出発点になるだろう。

 ここで大事なことは,2010年代に行われたアベノミクスと,2025年以後に行われそうな高市政権の金融緩和・財政出動では,経済環境も違うし,予想される結果も違うということである。

 まずアベノミクスは,物価がほとんど上がっていない状態と,円ドル相場が購買力平価より高い状態(世銀国際比較プログラム2011推計)から出発した。また,失業率も4%を超えている下で出発した。そこで,金融を引き締めるよりは緩和する方向に,財政を引き締めるよりは拡大する方向に舵を切るのはもっともなことであった。その限りでは普通であった。

 問題は,アベノミクスは,物価上昇率を年率2%にすることをめざし,とくに財政よりも金融政策に力を入れてこれを実行しようとしたことである。そして,結局,達成できなかった。いくら量的・質的金融緩和(日銀による国債買い上げとETF/J-REIT購入)を激しくおこなっても,またそれなりに財政赤字を出し続けても,通貨供給量(マネーストック)が増えなかったからである。そして,それはなぜかというと,金融緩和だけでは,企業においては日本市場で長期をにらんで設備投資しようという意欲を喚起できなかったからであり,家計においては消費意欲を喚起できなかったからである。企業は日本市場が活性化する見通しを持てず,個人は,すぐあとで述べる賃金抑圧と雇用の非正規化により,家計が好転するだろうという見通しを持てなかったからである(※1)。一方,株式市場と外国為替市場は,財政赤字は従来ベースだが金融は超緩和という組み合わせに対して敏感に反応した。株高・円安の実現である。これにより一部輸出向けの設備投資は喚起できたが弱弱しかった。大々的に喚起されたのは対外直接投資と金融資産購入,とくに外国投資家の株式市場への呼び込みであった。

 だから,アベノミクスは,高く評価できるようなものではない。できるだけよく言うならば,金融・財政引き締め策を取らず,日本経済を政策不況のどん底に陥れなかったという点だけは評価できる。しかし,しかし,自ら掲げた日本経済再興を達成したわけではまったくなかったのである。それは,金融緩和という一面的なツールでは,日本経済がよくなると経営者にも個人にも信じてもらえなかったからである。これは経済政策の責任者としても政治家としても失敗だろう。アベノミクスを継承するのをポジティブなことと見なす言説が,私には理解できない。

 さて,高市政権である。政権が2025年に直面している情勢は,安倍政権発足時とは大きく異なっている。まず,物価上昇率はG7諸国で最高になっている(熊野,2025)。そして,円ドル相場は購買力平価を超える極端な円安になっている。一方,失業率は2.5%にとどまっており,人手不足が起こっている。

 国民生活にとって最大の直接的問題が物価高であることは,高市総理も強く意識している。裏返して言うと,物価の停滞が企業行動を停滞させるという問題や,働こうとする人が仕事を見つけられずに困っているという,安倍政権発足時のような問題があるわけではない。アベノミクス開始時とまったく異なる条件に置かれ,国民生活の問題も異なっているのである。これで,どうしてアベノミクスと同じ金融緩和・財政拡大で対処できるのであろうか。いったい,どういう理屈になっているのか,私には理解できない。

 もう少し丁寧に言う。マクロ的に金融緩和・財政拡大をするというのは,国内総需要を刺激するということである。総需要刺激は,未稼働の労働力と設備,滞貨,その他未利用の物的資源が存在し,それらを使えば生産が拡大して所得が生み出せるような場合には有効である。しかし,現在の日本経済はこうなってはいない。未稼働の設備や失業している人は決めて少ないので,総需要を刺激しても生産と所得が伸びにくいのである。

 さらに詳しく言う。内閣府推計のGDPギャップでみるとプラス,つまり需要超過に転じている状態である(※2)。日銀推計のGDPギャップはまだマイナスであるが,それも資本には遊休があるものの労働は既に需要超過となっている(※3)。そして,いずれの潜在成長率推計をみても,労働者数はまだ伸びる余地があるものの,労働時間はマイナスであり伸びる余地がない。確かに完全雇用状態ではなく,いま雇われていない女性全般と男女高齢者が勤めに出る余地はあるが,労働時間は短縮傾向にある。そして前者の作用より後者の作用方が大きいから,労働投入を増やすのは困難なのである。つまり,総需要を刺激して実質総生産(GDP)を伸ばすことは難しい状態なのである。GDPが成長できるとすれば,イノベーションが盛んになって供給能力が伸びた場合,労働時間を延長した場合,労働力供給を過程からもっと引き出した場合であるが,いずれも容易ではない(※4)。しかも,イノベーション政策にせよ労働市場政策にせよ,金融・財政の拡張か引き締めかという次元では不可能である。よって,マクロ経済政策とは別の話が必要となる。

 こうした状況で高市政権が日銀の金利引き上げを牽制し,財政を拡大すれば,何が起こるだろうか。生産が拡大せず,名目所得の増加を物価上昇が打ち消すだろう。つまり,さらなるインフレである。これでは物価高対策という目的は達成できない。さらに日本の低金利が国際的に突出すれば,益々の円安が加速する。それは輸出産業には刺激となるが,エネルギー,食料,さらに各種製造品,海外から提供されるITサービスを含めて,輸入物価の高騰を一層加速する。これもまた物価高対策という目的に逆行する(※5)。ついでに言うと,工場を建設するような対内直接投資の刺激には役立つが,外資による不動産購入も加速する。またインバウンドも過度に促進することになり,オーバーツーリズム問題は悪化するだろう。さらに付け加えるならば,実物経済から実質的な利益が見込めないとなれば,金融資産購入を意図した資金調達が強まり,株式や不動産や商品市場でのバブルが強まることも十分あり得る。

 なお,財政赤字の拡大が国債引き受けの困難を増し,長期金利を高騰させるという問題も指摘されるかもしれない。しかし,ここは複雑であり,数年単位では何とも言い難い。長期金利に逆方向から影響を与える複数のベクトルが作用するからである。長期金利が急騰するのは,きっかけは金融的要因で起こるとしても,結局のところ景気の先行きと政府財政の持続性が危ぶまれるからである。高市政権が景気過熱状態でのインフレを起こした場合,悪性インフレが経済を混乱させていると見られるか,何はともあれ過熱状態程度の好景気が保たれていると見られるかは決め難い。長期的には前者だろうが短期的には全く状況依存的であって後者になるかもしれない。また,財政赤字を拡大した場合,一方では円の価値が毀損されるが,他方でインフレはあらゆる債務を目減りさせるので,政府の実質利払い負担や実質債務残高も軽減される。したがい,円の信認は長期的には低下するだろうが,短期的には維持される可能性もあり,やはり状況に依存する。二つの軸のいずれで見ても,金融・財政拡張策は長期的には長期金利を高騰させるリスクを高めながら,数年のスパンでは,どうなるともいえないのである。いわゆるマーケットとの対話や偶発的ショックに左右されながら状況依存的に推移するだろう。

 まとめよう。設備も人も余っていない状態,とくに労働面のGDPギャップが極小化されている現状では,金融緩和・財政拡張はインフレを起こすだけで実質的所得を生まない。したがい,物価高対策として有効ではない。高市政権の経済政策について現時点で言うべきは,まずもってこのことである。

 それでは,物価高による市民生活圧迫にどのような対策をとればよいのか。これが次の問題となる。マクロ的な緩和・拡張か引き締めかというだけでなく,労働市場政策,労使間の分配や社会的格差是正,イノベーション刺激など,よりブレークダウンされた次元で考えねばならない。

※1 公平のために言うと,当時の企業行動は,安倍政権や日銀の予想を超えていた。アベノミクス期のみならず,「失われた30年」と呼ばれる時期にも企業セクターは,実はそこそこの生産性向上は実現し,過去の実績に劣らぬ利益率を計上していた(河野,2025)。しかし,国内での正社員を拡大せず,増やすとすれば非正規労働者に限り,あわせて労働組合が極度に弱体であるのをいいことに賃金を決定的に抑圧し続けたのである。これはコロナ前に物価が頑として上昇しない要因であった。賃金が上がらないので消費が喚起されなかった。賃金を上げない経営者は,富裕層以外には消費を伸ばしそうにないと理解していたので,国内市場拡大に展望を持てず,設備投資に意欲的になれなかった(海外直接投資には意欲的だった)。したがい,企業は価格を引き上げる気になれなかった。むしろ人件費節約を選び続けた。これにはむしろ安倍政権の方が慌て,次第に賃上げを自ら奨励するようになったほどである。

※2 月例経済報告のGDPギャップデータ(2025年10月30日),内閣府ウェブサイト。( https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/getsurei-index.html#sonota )。

※3 需給ギャップと潜在成長率(2025年10月3日),日本銀行ウェブサイト( https://www.boj.or.jp/research/research_data/gap/index.htm )。

※4 もし日銀推計のように設備側にまだ遊休があるならば,生産を拡大する方法も三つくらいあるように思われる。第一に,残された非労働力である女性と男女の高齢者が,ワークライフバランスを尊重してなお,もっと働きたいと思えるように,労働条件を改善することである。これにより,従来の推計以上に労働力が生み出せるかもしれない。そのような政策が期待されるが,現時点ではその気配がない。第二に,この真逆であり,ワークライフバランスの放棄という首相の姿勢を国民に強制し,労働時間規制を全面緩和することである。高市政権は,労働時間規制緩和を提唱しているが,これは抵抗もあるし,実施できるとしても大規模なものになるかは疑問である。第三に,外国人労働力の急拡大である。一部の業界がこれを望んでいることは明らかだが,高市政権の政治的傾向から言ってこの選択は取らないであろう。

※5 正確に言うと,引き起こされる物価上昇は三種類ある。第一に,金融緩和が景気過熱を招き,需要超過で一時的に物価を上昇させる。これが定着してコスト構造が変わってしまうと,実質的物価上昇になる。第二に,財政赤字拡大により厳密な意味のインフレ,つまり通貨の外生的投入による名目的物価上昇が生じる。第三に,金利差が引き起こす過度な円安によって,輸入品の価格が高騰する。これは円の購買力が低下することであり,一時的な物価上昇,定着すれば実質的な物価上昇である(川端,2025)。

参考文献

熊野英生(2025)「気がつけば、日本の物価上昇率はG7最高~消費者物価は日本が3.6%上昇、各国2%台~」経済レポート,第一生命経済研究所,6月5日( https://www.dlri.co.jp/report/macro/465617.html )。

川端望(2025)「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492, 1-20.
https://doi.org/10.50974/0002002920

河野龍太郎(2025)『日本経済の死角:収奪的システムを解き明かす』筑摩書房。

※2025年11月22日:言葉を補った。「企業においては日本市場で長期をにらんで設備投資しようという意欲を喚起できなかったからであり,」の前に「金融緩和だけでは,」を追加。「日本経済がよくなると経営者にも個人にも信じてもらえなかったからである。」の前に「金融緩和という一面的なツールでは,」を追加。河野(2025)を参考文献に追加。



2025年10月27日月曜日

中峯照悦『労働の機械化史論』溪水社,1992年のオープンアクセス化を祝う

  広島大学が溪水社と協力して,同大学の研究者の著作62点を電子化し,オープンアクセスとした。

 私にとっての技術論のバイブルである中峯照悦『労働の機械化史論』が,誰にでも読めるものになったことはすばらしい。私は本書が出版された際に詳細なレジュメを作って生産システム研究会(坂本清氏主宰)で報告し,その縁で,自分が学位を持ってもいないのに大阪市立大学における本書による博士(商学)の学位審査に加わった。参考論文として「田辺振太郎「技術論」における労働手段論の検討」『社会文化研究』第12号,1986年 も提出された。主査は加藤邦興氏であった。1995年のことである。

 私の意見では,本書は旧ソ連に起源をもち,戦前は相川春喜氏が,戦後は中村静治氏が体系化した労働手段体系説と,石谷清幹氏が提起し,田辺振太郎氏がいささか偏った形で定式化した「動力と制御の矛盾」による技術の内的発展法則論の完成度を,飛躍的に引き上げた。その理論的飛躍は,1)学説史的にはマルクス機械論とそこで引用された機械学文献を詳細に検討した上で,2)労働の理論においては(アダム=スミスのように)分業ではなく協業の発達という視角を貫き,3)労働手段の理論においては(田辺氏を含む多くのマルクス派のように)単体の機械(マシーネ)でなく機械(マシネリ)の体系(動力機ー伝導機構ー作業機の体系のこと)の次元で「動力と制御の分化→それぞれの側面での発達→再結合」という把握を貫くことによって成し遂げられた。

 プラットフォームに基づく技術構造が注目される以前の,フロー生産プロセスに関する理論では,本書はマルクス派の一つの到達点であると,いまなお私は考えている。

 ところが本書は版元は品切れ,大学図書館でもわずか49館しか入っておらず,書評論文すら1本(『科学史研究』掲載。慈道裕治氏による)しか見つからず,学位論文審査報告書すら電子化公開されていない。オープンアクセス化を機会に,本書の価値が再発見されることを願ってやまない。


「溪水社書籍62冊を電子化・公開しました」広島大学図書館,2025年10月21日。
https://www.hiroshima-u.ac.jp/library/news/93521


中峯照悦『労働の機械化史論』溪水社,1992年。
まえがき
凡例
序説 人類史における生産力の画期
第1章 発達した機械(マシネリ)の構造
第2章 18-19世紀機械学史と『資本論』における機械の把握
第3章 田辺振太郎『技術論』における機械論の検討
第4章 協業論
第5章 “機械"以後の機械の発達一制御的労働の機械化の過程一
結 び 労働過程と自然法則導入の歴史性
挿絵出典一覧
索引

以下より全編ダウンロード可能
https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2041235


2025年10月14日火曜日

言語論的転回すらしなかったオールド・マルクス学徒が東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』(講談社現代新書,2025年)を読んで

 私には,カウンセリングのやや本格的な本を,哲学的認識論・実践論として読むという妙な癖がある。あまり人に言ったことはないが,学生時代からマルクス派であった私にとって,非マルクス学派で哲学的に最も印象に残り,自分の世界観を変えた本は河合隼雄『カウンセリングの実際問題』(誠信書房,1970年)であった。私は哲学の言語論的転回に出会う機会を持たなかったが,心理学的には転回していたのかもしれない。読んだのは心の問題が日本社会で課題化された1990年代であり,河合氏の軽めの本は大いに出回っていた。しかし,どれもこれも大変失礼ながらお説教としか思えなかった。お若いころにはもっと力の入ったものを書かれたはずではないかとこの本を手に取って,なるほど,これがご本尊か,さすがだと衝撃を受けた記憶がある。どんな軽めの本よりも頭にすんなり染み渡った。

 しかし,いま考えれば,河合(1970)は心の理論を論じたものであり,またそれだけに集中していたとも言える。私自身のせまい唯物論的思考方法に対する解毒剤ないし補完であったことは間違いないが,それで認識論の全体的な構図を得られたかというと,そうではなかったろう。

 さて,先月の終わりに,東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』(講談社現代新書,2025年)という本があると知り,直感で「これはいいかも」と思って購入したところ,大当たりであった。本来はカウンセリング原論であるが,やはり認識論・実践論として読めるもので,大変面白い。それは,著者の「自己―心―世界モデル」が,物質的所与と精神,さらに両者の境界,物質的身体と,精神が受け止めるものとしての「からだ」,社会に働きかける実践と心に働きかける実践を包括しているからである。それに対応して,著者のカウンセリングも「生存」を獲得するものと「実存」を獲得するものに二層化される。まずは生存を確保しなければどうにもならないが,実存も大事である。たいへん納得のいく話である。

 読み進むうちに,著者が日本の臨床心理学史における屈折を踏まえて自らの「自己―心―世界モデル」を構築していることに気が付いた。日本の臨床心理学は1970年前後に,カウンセリングは「個人を変化させることで,社会の悪しきところを温存することになる」という批判を受け,「学問全体が壊滅状態になったこともあります」(203ページ)というのである。

 そこでつい野次馬根性を出して,東畑開人「反臨床心理学はどこへ消えた?--社会論的転回序説2」『臨床心理学増刊』第14号,2022年8月のKindle版も購入して読んだところ,当時の事情と現在に至る経過が論じられていて,著者の「自己―心―世界モデル」の背景が納得できるような気がした。日本臨床心理学会は反臨床心理学からの批判によって1971年に分裂し,脱退した人々が形成した日本心理臨床学会が臨床心理学の再建を図り,「河合隼雄の時代」を作ったというのである。ちなみにその先は著者の時代区分では「多元性の時代」と「公認心理師の時代」である。

 以下,東畑(2022)の長めの引用だが,宣伝を兼ねることでお許しいただきたい。

ーー
Young (1976)(補注1)では,説明モデルには個人の外部に問題の原因を探し求める「外在化」型と,個人の内部に原因を見出す「内在化」型があると指摘されている。前者はたとえば,先祖の霊や社会構造に原因を見出す説明モデルを考えたらいいし,後者は身体医学を思い浮かべるといい。両者は背反しやすい。盆のせいにすると,身体の不調を見過ごしやすいし,体のケアだけしていると,労働環境の問題を看過することになりやすい。

 「河合隼雄の時代」の「心理学すること」が極端に内在化型であったのが重要である。「ロジャースの時代」の終わりに生じた専門性の危機を,心理臨床学は個人心理療法を範型とすることで乗り越えようとした。面接室の内側で,個人の内面を見る。心に問題を見出し,心の変化を狙う。徹底して内在化型の誂明モデルを彫琢することで, 専門家としてのアイデンティティを確立しようとしたのである。

 そのことによって排除されたのは反臨床心理学にあった外在化型の説明モデルである。問題を社会構造に見出すこと,環境に暴力を見ること,そして変わるべきは個人の内側ではなく,社会や環境といった外部であること。つまり「社会すること」。
ーー

 たいへん納得がいく。「心理学すること」と「社会すること」を包摂した東畑(2025)は,私にとって河合(1970)の後継書となってくれるように思った。

※補注1。Young A (1976). Some implications of medical beliefs and practices for social anthropology. American Anthropologist, 78(1), 5-24,  https://doi.org/10.1525/aa.1976.78.1.02a00020  のことである.

※補注2。臨床心理学はおそらく障害学に近い位置にあると思われる。そのため,障がいをめぐる種々の議論を知らないおまえが何を言うかとおっしゃる向きもあるかもしれない(学生時代もよく新左翼の諸君にそう詰め寄られたものである)。確かに,コンテキストを知らない無知な発言も問題である(なので,私は例えば沖縄とガザについては発言は控えている)。しかし,自分の方が事情に通じているからと言って,生半可な発言をする人を「そんなことも知らない奴が何を言う」と恫喝するのも問題であると思う。よって,ここではとにもかくにも考えたことを投稿した。また,私とて何のコンテキストも背負わない能天気と思ってもらいたくないとは言っておく。

東畑開人『カウンセリングとは何か 変化するということ』講談社現代新書,2025年。



2025年10月8日水曜日

東北大学大学院経済学研究科より,研究年報『経済学』第82巻第1号「増田聡教授退職記念号」が刊行されました

 東北大学大学院経済学研究科の紀要である『研究年報経済学』第82巻第1号「増田聡教授退職記念号」が刊行されました。本誌は今号より電子版のみの発行となります。以下のリンク82巻1号のところから全文ご覧いただけます。目次に載っていないのですが,「刊行のことば」は研究科長である私の文責です(ずいぶん編集委員会に校正してもらいましたが)。なお,増田先生は2024年4月より帝京大学経済学部教授に就任されましたが,当研究科でも引き続きクロスアポイントメント教授としてご活躍いただいています。

こちらからどうぞ↓
https://www.econ.tohoku.ac.jp/publications/report




2025年10月1日水曜日

溶融還元法らしき新技術を開発中の製鉄ベンチャーHertha Metals社

 アメリカにHertha Metalsという会社がある。MITで機械工学と材料科学の学位を取得したLaureen Meroueh氏が設立した鉄鋼ベンチャーである。同社が開発中の技術Flex-HERSは,溶融還元法の一種のようであり,現在は天然ガス,将来は水素で鉄鉱石を還元する製法のようだ。注目すべきは,同社が,DRIグレード(高品位鉄鉱石)のペレットを使わずとも,低品位鉱石からでも粉鉱石からでも,ワンステップで磁石用高純度銑鉄や低炭素合金鋼を製造できると主張していることだ。

 鉄鋼業は現代の社会生活に不可欠の産業であるが,炭素で鉄鉱石を還元する過程から二酸化炭素が排出されるために地球温暖化を促進するという問題を抱えている。水素による直接還元法はその解決策の中心を担うとされているが,現在開発中のプロセスでは,高品位鉄鉱石を使わないと,高コスト,低歩留まりになってしまうという弱点を持っている。産出されるのが固体の還元鉄であって不純物が混じったままであるためだ(伝統的な高炉では溶けた銑鉄が生産されるので,不純物=スラグは浮かせて除去することができる)。

 ところがFlex-HERSの場合,説明やテストプラントの映像を見る限り,産出するのは溶銑または溶鋼である。プロセスが溶融還元法なのでスラグは除去できるということだろう。わからないのは,Hertha Metalsはどのようにして天然ガスによる高温の溶融還元(溶融状態の直接還元)を実現しているかである。そこはまだ秘匿されているようだ。技術についての同社サイトの説明は具体的ではない。

 Hertha Metalsは,すでに1700万ドルの資金を調達し,現在はテキサス州で日産1トンのデモ生産を行っている。次の段階では年産50万トンの工場を設置するとのこと。果たして商業生産の域に到達できるのかどうか,注目する必要がある。

Hertha Metals社公式サイト
https://herthametals.com/


2025年9月22日月曜日

日銀による保有ETFの売却発表によせて

 日銀が,保有するETF(信託財産指数連動型上場投資信託)とJ-REIT(信託財産不動産投資信託)のゆるやかな売却を発表した(「日銀 ETF売却開始を発表 植田総裁「全売却に100年以上かかる」NHK NEWS WEB,2025年9月19日)。その保有残高は昨年度末(3月31日現在)でそれぞれ37兆1862億円と6657億円だ。これらは当初は信用緩和,後には質的金融緩和と称して白川総裁時代に始まって黒田総裁時代に加速,昨年3月までに買い付けられたものである。その目的はリスク・プレミアムの低下とされたが,私は不適切な政策であったと考えている。なぜならば,ETFやJ-REITに組み込まれる上場企業株式や大手不動産「のみ」を買い支える,特定企業,特定物件優遇策だったからであり,中立性が求められる日本銀行に許されない偏向であり,議会の決定を通さずに行う財政政策だったからである(※1)。もはや購入せず,むしろ売却するという植田日銀の決定は妥当であろう。

 ただし,ここで一言いいたいのは,いったん買ってしまったETFとJ-REITからは,日銀が最大の利益を追求すべきだということである。日銀が利益(剰余金)を出せば,それは国庫に納付され,日本全体のために使用されるからである。また,とくに金利がある時代に復帰したいま,日銀は財務リスク,正確には財務に関する評判リスクを抱えており,財務状態の悪化を避けた方がよいからである。少し詳しく言うと,日銀は銀行ではあるが,その主要収入は貸出利息ではなく,長期保有する国債の利息と,ETFの運用益である。現に昨年度決算では,それぞれ58億円,2兆774億円,1兆3826億円であった。他方,支出側には補完当座預金制度利息,つまりは銀行が預けている準備預金の一部に対する金利があり,これが1兆2517億円に上っている。国債の多くは固定金利であるため,金利が上がっても日銀が長期保有国債から受け取る利息は変わらない一方で,支払うべき預金利息は膨れ上がる。日銀は,原理的には準備資産を持たずとも運営できるが,日銀の財務状態の悪化は日本という国の信用悪化とみなされ,市場での円や国債の信用を揺るがしかねない(※2※3)。

 だから,ETFとJ-REITの売却に当たり,日銀は,市場にショックを与えないように配慮しつつも,日銀自身が(結局は国庫が)最大の利益を得られるように売却を行うのが妥当であろうと,私は考える。日銀は,ETFやJ-REITを買うべきではなかった。しかし,買ってしまったものからは利益を上げるべきである。倫理的にはねじれた話であるが,このように言うべきだと私は思う。

※1 川端「日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)」Ka-Bataブログ,2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html

※2,3  川端「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』pp. 39-40 ( https://doi.org/10.50974/0002003359 )。また日銀総裁その人による植田和男(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営 日本金融学会2023年度秋季大会における特別講演」。この講演の見地は,日本銀行企画局(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営」として日銀公式見解となった( https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2023/ron231212a.htm )。




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