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2023年12月9日土曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その2) 実際にどんなものが現代の貨幣なのか/お金は誰が発行しているか

 3 実際にどんなものが現代の貨幣なのか

 次の問題は,実際にどんなものが現代の貨幣なのかということです。これを一言で言えば,現金と預金ということになります。

 ここで大事なことは,貨幣とは,中央銀行券,日本で言えば日本銀行券と,硬貨だけではないということです。日本における通貨流通量の定義を見てみましょう。M1とかM2,M3とかいくつかの指標があります。


M1=現金通貨+預金通貨

現金通貨=日本銀行券発行高+硬貨流通高-金融機関保有現金

預金通貨=要求払預金(当座,普通,貯蓄預金など)-金融機関保有小切手・手形 

要求払い預金:預金者の要求によりいつでも払い戻される預金

M2またはM3=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD

準通貨=定期預金,据置貯金,定期積金,外貨預金

預金通貨,準通貨,CDの発行者は,M2では国内銀行等,M3では全預金取扱金融機関

CD:譲与性預金(無記名で譲与可能な定期預金)


 まずいちばん簡単なM1を見ましょう。通貨とは現金通貨と預金通貨だと書いてあります。現金通貨とは,日本銀行券と硬貨です。預金通貨とは要求払い預金です。要求払い預とは,預金者の要求によりいつでも払い戻される預金のことです。次にM2とM3はだいたい同じで,M1に準通貨とCDが加わったものです。準通貨というのは,主に定期預金と外貨預金を含みます。いつでもすぐ引き出せる預金とは違いますが,預金の一種です。CDというのはコンパクトディスクではなく,無記名で譲与可能な定期預金で,やはり預金の一種です。M2やM3も,つまりは現金と預金が通貨だと言っているのです。

 では実際の通貨流通量を見てみましょう。2023年5月現在,現金通貨は115.5兆円,預金通貨は958.1兆円,準通貨は486.2兆円,CDが31.0兆円です。現金よりも預金の方がはるかに大きいのです。

 ここで知っておいてほしいのは,現代では預金も貨幣であるということです。預金は貨幣の機能のうち,支払手段機能を中心に果たします。銀行振り込みで代金を払うことや,クレジットカードで買い物をすると,月ごとに預金から代金が引き落とされることをイメージしてください。

 そしてもう一つ付け加えると,預金はデジタル通貨だということです。預金は現金とは別に存在する,数字の上だけでの存在です。だから,コンピュータ出現以前から存在したデジタル通貨なのです。最近になって初めてデジタル通貨が出現したかのようにマスメディアが報道しているのは間違いなのです。

お金は誰が発行しているか

 今度は,お金は誰が発行しているのかを考えてみましょう。一言で言うと,中央銀行と政府と一般の銀行となります。つまり,一般の民間の銀行もお金を発行しているのです。

 一つずつ確かめましょう。中央銀行券は中央銀行が発行していますね。日本ならば日本銀行が発行する日本銀行券,1万円札や千円札です。次に硬貨は,国により制度が違い,一律には言えません。しかし,政府が発行することが多いです。日本でも政府が発行します。ただし,日本銀行に交付して,日本銀行から流通させる仕組みになっています。そして預金通貨は,一般の銀行が発行します。準通貨も同様で,銀行などの預金金融機関が発行します。このように,民間の銀行もお金を発行しているのです 。

■補足
*ここは学問的には何も変わったことは行っていない。ただ,一般向け講演では,預金も通貨だということはよく説明しておく必要がある。実は,「デジタル通貨は,電子マネーや中央銀行デジタル通貨で初めて出現した」という誤った通念も,預金が通貨だということを忘れたところから来る。

2023年12月8日金曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その1) 貨幣とはどういうものか

一般向け講演原稿 

貨幣発行と流通のしくみ:お金はどこからきてどこへ消えるのか

1 はじめに

 この講義では,「貨幣発行と流通のしくみ」についてお話しします。それを通して,皆さんに考えていただきたいことは二つです。一つは,普段の生活の中で漠然とイメージしがちなことと,実際のお金の発行・流通のしくみにはかなりの違いがあることです。もう一つは,モノやサービスといった実物の世界が貨幣を動かす力と,貨幣が実物の世界を動かす力について知っていただくことです。そして,これらを通して,社会に向き合う力を少しだけ鍛えていただければと思います。

 なお,「貨幣」「通貨」「お金」という三つの言葉がしばしば出てきますが,ここでは大まかには同じ意味と考えていただいて構いません。

 さて,貨幣の話をすると言っておいて何ですが,経済の本体はモノやサービスです。モノを少し専門的に財とも言います。経済とは金儲けの話ではなく,むしろ人が働いて財やサービスを作り出し,それを享受するというしくみが経済の本体です。財やサービスを作り出す苦労と,それを享受して得られるうれしさや幸福感,専門的に言うと効用というものがバランスして,各人の生活が豊かになることが経済のテーマです。

 しかし社会は多数の人間からできていますから,そのためには社会の仕組みが必要です。それは時代によって異なり,奴隷制や封建制であったりもするわけですが,近代的な仕組みの代表は市場と交換です。そしてそれを円滑に回すためのツールが貨幣です。だから貨幣はツールに過ぎない。

 ところがツールは暴走します。「近代科学文明の暴走」というのは映画や,また現実でもよくある話ですが,貨幣も暴走します。貨幣は財やサービスを動かすツールに過ぎないのに,貨幣を獲得することやためること自体が目的になってしまうことがあります。それが資本主義社会です。こうなってしまう秘密について,ここではすべてお話しすることはできませんが,その一端として,貨幣の発行と流通の仕組みをお話ししようというわけです。

2 貨幣とはどういうものか

 さて,最初の問題は,貨幣とはそもそも何なのかという話です。一言で無理くり答えるならば,すべての商品と等価,つまりイコールなものだということです。しかし,具体的にはいろいろな機能があります。

 最も大事な機能は価値尺度機能です。これはモノやサービスが商品となっている世界で,商品の価値の大きさを図る機能です。たとえば商品1が貨幣1単位に等しく,商品2が貨幣10単位に等しいならば,商品2は商品1の10倍の価値があることになります。このように商品間の相対関係を図るのが価値尺度機能です。

 次に価格標準です。これはさらに二つに分かれます。一つは,貨幣に単位名をつけることです。「日本の通貨は円である」とか「アメリカの通貨はドルである」とかいう風に名前を付けることです。もう一つは,皆さんにはなじみがないと思いますが,貨幣と単位の数量関係をつけることです。たとえば,1933年に制定された日本の貨幣法は,もう無効になっていますが,「金750ミリグラムをもって1円とする」と決めていました。この二つは,いずれも国家が決めることです。

 三つめは流通手段機能です。これは簡単で,現金で物を買うことを想像してください。商品と交換されることで,商品を流通させる機能です。

 まだあります。四つ目は支払い手段機能です。これは,貨幣を使えば,商品を現に流通させることと分離して,支払いだけを行うこともできるという機能です。イメージしていただきたいのは,代金後払いや,借金の返済です。お金で支払うことだけを独立して行えますね。

 五つ目は蓄蔵手段です。お金で富を蓄えることができるという機能です。預金とか,タンス預金とかをイメージしてください。なお,モノやサービスでなく,金融資産,つまり株式とか社債とかポイントとかで富をためるのもこの機能の延長線上にあります。

 最後は世界貨幣です。さきほど,通貨単位は国家が定めると言いました。国家が違うと貨幣単位も違って互換性がありません。でも貿易をしますから,何とか貨幣を通用させねばなりません。その機能が世界貨幣です。これを完全に果たせるのは金などの貴金属だけでしょう。金が流通していない現在では,ドルやユーロなどがこの機能を一部代行しています。

 さて,これらの機能を全部一種類の貨幣が果たせれば,貨幣として万能だということになります。そのような貨幣であるためには,それ自体が価値を持った商品である貨幣ならばいいわけです。これを商品貨幣と言います。具体的には金や銀など,本位貨幣になれる貴金属がこれに該当します。金本位制というのが歴史的に存在したことはみなさんもご存じでしょう。

 しかし,万能な商品貨幣だからと言って,それだけを使っているわけにはいきません。貨幣流通量が貴金属の産出量に制限されるとお金が足りなくなります。また,現物のお金が常に手元にないといけないというのでは不便です。会社は黒字でも,今この瞬間に現金が手元にないから,払うべき代金を払えず倒産する,といったことになりかねません。

 本位貨幣が存在する世界では,一方で経済が順調な時に経済発展が制約され,他方で不況の時には経済の落ち込み方がひどくなります。非常に大雑把に言えば,これが歴史の一時期は実施された本位貨幣制が停止されていて,政府が通貨システムを管理する管理通貨制が実施されている根本的な理由です。

(続く)

■補足

*貨幣についての古典的な説明を踏襲しており,慣れている人には退屈だろう。しかし,漫然と踏襲しているのではなく,「いろいろ迷ったが,結局これでよい」と考えている。

*本当は深く論じなければいけない価値尺度機能をさらりと流している。もちろん,現在は代理貨幣しか使われていないので,価値尺度機能は間接的に,大きく誤差のある形でしか果たされていない。

*私は,古典的な「金などの商品貨幣=万能な典型的貨幣」説に立つ。この見解は,近年の貨幣史研究の進展により,旗色が悪くなっている。しかし,「前資本主義時代から現在に至る歴史的順序」と,「資本主義社会を説明するための論理的順序」は異なるというのが私の見解である。商品貨幣は「貨幣の歴史的起源」ではなく,資本主義社会における「論理的説明の起源」である。「昔は金貨が使われていて,いまはそうでなくなった」と貨幣史(歴史学)として説明するのでなく,「金貨ならば貨幣のすべての機能を果たせるのだが,それでは不都合が多すぎるので,実際には使われていない」というのが貨幣論(経済学)の説明である。

*なので,私はMMTやクナップのように,貨幣の生成そのものについての国定貨幣説をとらない。貨幣は商品経済から説明できると考えている。ただし,価格標準(貨幣の単位名付与,貨幣重量と単位名の関連付け)は国定であり,国家抜きに説明できない。この点を明確にしたことはクナップの功績だと認める。

2023年11月25日土曜日

UAEにおける水素直接還元法のパイロット・プロジェクト:日本への示唆

 UAEのエミレーツ・スチールは,アブダビ・フューチャー・エナジー・カンパニーPJSC(マスダール社)とともに,水素直接還元鉄のパイロット・プロジェクトを推進している。

 エミレーツ・スチールは中東最大規模の鉄鋼メーカーであり,製鉄は直接還元法,製鋼は電炉法で行い,多様な建設用条鋼・鋼管類を製造している。生産能力は直接還元鉄が420万トン,鋼材が350万トンである。

 今回のプロジェクトは,水素直接還元の実証を行うもので,水素製造のための電解層はすでに設置中とのこと。

 エミレーツ・スチールのプロジェクトは,2031年までに世界最大の水素製造国になろうとするUAEの方針と軌を一にするものだ。

 またエミレーツ・スチールは,年間80万トンのCO2を回収し,油田に圧入するCCSプロジェクトも推進している。

 ちなみに,JFEスチールはエミレーツ・スチール,伊藤忠商事,アブダビ・ポーツ・グループとともに,直接還元鉄サプライチェーンの構築を進めている。つまりは,エミレーツ・スチールが生産した還元鉄を日本に輸入し,低炭素鉄源として利用しようというものである。おそらく電気炉に投入するのであろう。

 これは確かにwin-winの関係をもたらす取引である。そして,日本でも脱炭素に向けて高級鋼製造の電炉化が推進されていることも示されている。だが,次世代製鉄技術,とくに水素直接還元法の開発と実用化において,日本が後れを取っていることもまた明らかである。

Theodore Reed Martin, Masdar and Emirates Steel Arkan to develop green hydrogen project, Energy Global, 23 November, 2023.

Emirates Steel to use green hydrogen in steelmaking, South East Asia Iron and Steel Institute News Room, 23 November, 2023.

「低炭素還元鉄のサプライチェーン確立に向けた協業体制の構築について」JFEスチール株式会社,2023年7月18日。


2023年11月11日土曜日

ライドシェアリングは地域の交通手段確保の観点からこそ検討されるべき

 共同通信の報道によれば,「一般ドライバーが自家用車を使い乗客を有償で運ぶ「ライドシェア」を巡り,都道府県で独自に導入を検討しているのは神奈川、大阪の2府県にとどまる」そうだ。これでよいのだろうか。ライドシェアリングは,地域と地方という観点からこそ検討されるべきだと思うのだが。

 この3月に経済学部産業発展論ゼミを卒業した庄司健人氏の卒業論文「ライドシェアリングの実態と日本への導入の検討」は,ライドシェアリングの新規性を二つに分けて整理した。①タクシー事業に必要な特別な資格を持たないドライバーが自家用車で乗客を輸送することと,②アプリ内ですべてのサービスを完結し,さらに乗客とドライバーの情報の非対称性を解消したこと,である。この二つを区別しなければならない。

 ②は,まだスマホを使えない人がいるという点を除けばよいことずくめであり,①の副作用(公正な取引,安全,言語障壁等)を緩和する作用も持つ。そして,②はタクシー事業でも導入できることであり,現にアプリによる配車サービスとして実現しつつある。

 しかし①は,公共交通機関が豊富な大都市圏とそうでない地方部では異なる作用を引き起こすことに注意しなければならない。日本において,ライドシェアリングの大都市圏への導入は移動需要に対する供給過剰を引き起こす一方,「人口の減少などの影響で既に公共交通機関が廃止され,さらにタクシー事業者も撤退したような地域では,自家用車を用いたライドシェアリングが住民の新しい移動手段として受け入れられる可能性が高い」。これが著者の結論であった。

 私も同意する。ワイドショーやニュースインタビューに都会の人間ばかりを登場させて「安くなったらいいなーなんて思いますけど」「交通混雑がひどくなるんじゃないかなー」とかのんきな寝言をしゃべらせ,議論を見当違いの方向にそらすのをやめるべきだ。導入を検討すべきは大都市ではない。バスもタクシーも鉄道も失われつつある地域の交通手段としての有効さを,真剣に検討すべきだろう。

「ライドシェア9割が未検討 都道府県、安全確保に懸念」『共同通信』2023年11月4日。

2023年11月3日金曜日

岡橋保の信用貨幣発生論を継承し,批判的に徹底する

  これまで,信用貨幣論を論じるに当たり,先駆者として岡橋保にたびたび言及してきた。岡橋は私にとっては,師匠の師匠にあたる。その岡橋学説に対して,ようやく一定の位置と距離を持って向かい合えるようになってきた。それは,自分のゼミ生にこの学説を伝えるにあたり,無理解なままや,ただ追随するままではいられないからである。以下は,大学院ゼミでの解説用に作成したノートである。

ーー

1.徹底した信用貨幣論としての岡橋説

 岡橋保の学説は,信用貨幣理論において一つの極をなす。それは,現代の貨幣が信用貨幣であるという見地を徹底したからである。

 すなわち,岡橋は,預金貨幣と銀行券を信用貨幣であるとし,また金兌換が停止されて以降も信用貨幣であるとした。また,貸付・返済によって発行・回収される預金貨幣・銀行券は伸縮性を持っており貨幣流通法則にしたがうとした。これらは,預金貨幣や銀行券が,国家の強制通用力や漠然とした人々の信認によって流通する価値シンボルであるという,マルクス経済学,近代経済学を問わず多数の研究者に保持されている常識と決定的に対立するものであった。また岡橋は,同じ預金貨幣・銀行券であっても,発行ルートの違いによって性質が異なることを指摘し,貸付によって発行された預金貨幣・銀行券発行は貨幣流通法則にしたがうが,中央銀行引き受けによる国債発行を通して発行された預金貨幣・銀行券は紙幣流通法則にしたがうことを明示した。

 そのことにより,岡橋は,厳密な意味での貨幣的インフレーション=物価の全般的名目的上昇と,日常用語でいうところのディマンドプルインフレーション=需給ひっ迫から来る物価の実質的上昇をはっきり区別した。そして,貨幣的インフレーションは,いかに中央銀行が金融を緩和しようとも,手形割引や貸付による預金貨幣・銀行券の発行を通しては決して起こらず,政府の赤字財政こそ貨幣的インフレーションの発生源であることを,理論的根拠を持って明らかにした。

 岡橋説は,それに賛同する者から見ても反対する者から見ても,徹頭徹尾の信用貨幣論なのである。また,それは期せずして,今日再興隆しつつある国定貨幣説的な信用貨幣論と,一部親和し,一部対立していて,興味深い対比をなしている。岡橋説を出発点とする徹底した信用貨幣論を用いると,今日の金融問題の見え方,例えば「日銀の超金融緩和はインフレーションを引き起こしうるか」といった問題への回答が,常識的な貨幣論とは異なってくる。そうしたアクチュアリティを持った学説なのである。

2.信用貨幣発生論の検討

(1)課題設定

 とはいえ,当たり前のことであるが,岡橋説が何から何まで正しいというわけではない。ここでは『貨幣論 増補新版』(春秋社,1957年)に見られる,その信用貨幣発生論を検討する。ここまで岡橋の信用貨幣発生論の徹底性,独自性を強調したが,信用貨幣の発生については,意外なほどに,マルクス派の多数説と共通のところがある。それは,「銀行券は手形割引から生まれる」というテーゼを持っているところである。したがい,その批判も岡橋説の検討を超えた射程を有するだろう。以下,解説する。目指すべき方向は,岡橋説を部分修正することで,むしろその信用貨幣論をさらに徹底することである。

(2)「ほんらいの信用貨幣=手形割引によって発行された銀行券」説の批判

 信用貨幣の発生を,国定貨幣説でなく手形流通説から理解するところと,貸付によって流通に入った銀行券が貨幣流通法則にしたがうとするところは,岡橋説の核心である。しかし,岡橋が,手形割引によって発行される銀行券だけが「ほんらいの信用貨幣」であり,貸付によって発行される場合は「ほんらい的でない」というのは,おかしい,というより不徹底に思える。岡橋がこのように言う理由は,貸付による銀行券発行は貨幣流通法則には基づいていても,手形流通法則に基づいていないというものである。貸付けられた銀行券は,一般的流通にも入るものであって,手形とは異なるというのである。

 岡橋説がこのような主張を取るのは,信用貨幣の基本形態を銀行券に置くことと結びついている。しかし,それは逆ではないか。信用貨幣の基本形態は預金貨幣であり,預金を引き出した場合に生じる二次的形態が銀行券だと考えるべきではないか。銀行と企業が取引をするとは,企業が銀行に口座を持つということである。銀行が企業に貸付を行うというのは,銀行が信用創造によって,自己の負債として企業の持つ預金口座の残高を増額させるとともに,自らの資産として貸付金を計上することである。借り手企業が銀行券を手にするのは,預金口座からお金を引き出すときである。だから,銀行券が預けられて預金になるのではない。まず預金があって,それが引き出されるときに銀行券が発券されるのである。岡橋は,預金貨幣を重視する研究者であるが,それでも,最初からいきなり銀行券で貸し付けが行われると想定することによって,預金の意義を軽んじてしまっている。

 企業が預金貨幣によって銀行から借り入れるというモデルで考えてみよう。企業は借り入れたお金を預金口座に持っている,この時,1)同一銀行に口座を持つ他社から原材料や設備を購入することは,銀行手形の流通として理解できる。預金貨幣とは,銀行の自己宛て一覧払債務だからである。2)また,同一銀行内に口座を持つ他社との預金振替によって,債権債務の相殺による決済が可能となる。3)もちろん,返済も一種の相殺として理解できる(これは岡橋も銀行券について指摘している)。返済直前の状態を見ると,銀行は企業に貸付けているが,企業は銀行債務である預金を同額だけ持っている。ここで互いの債権=債務を相殺することが返済なのである。利子生み資本を貸付けているのは銀行の側なのであるが,それが現金による貸付でなく銀行手形による貸付であるために,このようなことが起こるのである。

 以上の1),2),3)から見て,貸付による預金貨幣発行も手形原理,すなわち手形による商品の流通,二者または多者の相殺による決済という原理に立脚しているのであり,ほんらいの信用貨幣の在り方を代表しているというべきなのである。岡橋説は,このように部分修正され,かつ信用貨幣論として徹底される必要がある。

(3)手形割引と貸付の違い:購買力は創造するが貨幣流通法則にしたがう

 では,手形割引と貸付の違いはどこにあるのか。前者ではすでに流通した商品価値に対応した信用貨幣が事後的に発行されるのに対して,後者では産業資本や商業資本の運動の起点となる貨幣が事前に供給され,その後で生産手段や労働力が購入されることにある。貸付では,貨幣がまず前貸しされ,それから商品を流通させるのである。その意味では購買力は創造される。

 ただし,貸付が購買力を創造すると言っても,流通貨幣量が一方的に膨張してインフレが生じるわけではない。そもそも,貸付金は満期になったときに返済されて流通から消えることが,はじめから予定されているのである。その意味では,購買力の創造は一時的である。また,産業資本・商業資本の運動が正常に行われれば,前貸しされた信用貨幣の価値は,購入される生産手段や,雇われた労働者が消費する消費手段の価値に対応する。つまり,貸しつけられた信用貨幣は,それに見合う商品を流通させることに用いられる。

 岡橋は商品価値との対応を強調するのだが,そのことをもって貸付が購買力を創造すること自体を否定している。それは行き過ぎであろう。信用貨幣の前貸しによって創造された購買力は,事後的に商品流通と対応すると見るべきであり,むしろそのことが貸し付けの特徴なのである。

 個々の企業経営は成功することもあれば失敗することもある。成功すれば,資本の価値増殖により,流通する商品価値は拡大し,いっそうの貨幣が必要になるかもしれない。また失敗すれば,銀行には貸し倒れが生じ,流通に投じられた貨幣がそのままとなるかもしれない。しかし,社会全体としては,貨幣流通速度を所与とすれば,経済が拡大して商品流通が拡大すれば貨幣の前貸しが返済を上回り続け,縮小すれば返済が前貸しを上回り続ける。こうして,流通貨幣量は,商品流通を媒介するために必要な水準に収まるのである。だから,信用の拡大による購買力の一時的拡大は,貨幣的インフレーションを起こさない。景気が良くなって貸付が増え,企業が投資を拡大した場合には,生産手段に対する需要が拡大して物価が上昇することはもちろんある。しかし,これは生産が拡大している産業部門での実質的物価上昇であって,貨幣的インフレ=全般的名目的物価上昇ではないのである。

 預金貨幣や銀行券の前貸しは一次的な購買力増大を引き起こすが,社会全体としては商品流通の必要によって貨幣流通量が規制される。つまり,貸付によって発行される信用貨幣は,根本的には貨幣流通法則にしたがうのである。これは岡橋説の核心のひとつであり,継承すべき点である(ただし,前節で述べたように手形流通法則にも従うというのが私の主張である)。信用貨幣である預金貨幣や銀行券のこの性質こそ,いったん流通に入ると国家の課税強化によらなければ出られなくなる,価値シンボルである国家紙幣との違いなのである。

ーー

 今回,岡橋説をようやくある程度整理できたが,この後には,師匠の一人村岡俊三の学説が控えている。村岡俊三の専門は世界経済の理論であったが,その一環として世界的スケールにおける貨幣・信用関係にも重大な関心を寄せ,岡橋説をモディフィケーションした主張を持っていた。例えば,村岡説は,銀行が自己の手形によって貸し付けるとする点では岡橋説を継承しており,銀行信用の本来の在り方を貸付に置くという点では,岡橋説を修正している。この二つの論点は,私にとって受け入れやすい。しかし,その貸付を「後日の預金を引き当てにして目下の貸付を行う」とするところに検討すべき点がある。他日を期したい。



2023年10月27日金曜日

「同一価値労働同一賃金」を実現するための法改正について:共産党と立憲民主党の提案を手掛かりに

  2023年10月,共産党が「非正規ワーカー待遇改善法案」(骨子)を発表した。論点ごとにどの法律を改正しなければならないかを列挙しているので具体的である。また,立憲民主党は2020年11月に「同一価値労働同一賃金」法案を衆議院に提出している。野党から均等待遇に向けた具体案が出ていることは望ましい。

 ここでは,処遇の根幹である賃金において,正規・非正規の格差をどう是正するか,とくに法的措置としては何ができるかについて,両党の提案を手掛かりに検討したい。

 共産党の法案骨子は「『同一価値労働同一賃金』『均等待遇』の具体化を法律に明記します」「企業の恣意的な判断ではなく,客観的基準に基づいて評価し,非正規雇用を理由とする賃金・労働条件の差別を禁止します」と宣言している。もっともなことであるが,問題は,どのような「客観的基準」を設定するかである。他の論点に比べると,共産党の提案はここのところで具体性を欠いている。

 他方,2020年の立憲民主党法案は正規と非正規の待遇格差の合理性に関する挙証責任を使用者側に求めること,すでに起こった訴訟を踏まえて賞与・退職金の格差是正の規定を盛り込むこと,また複数個所(正規・非正規の待遇差の説明義務と,派遣労働者と通常労働者の処遇に不合理な差を付けないために考慮すべき要因)で「職務の価値の評価等を踏まえた」場合に言及していること,基本給・賞与・退職金が賃金の後払いまたは継続的な勤務に対する功労報償の性質を持つ場合については,他の性質を持つ部分とわけて扱うことを求めている。これは具体的な格差是正基準に迫ったものである。

 立憲民主党法案が,この間に起こった様々な正規・非正規格差に関する訴訟を踏まえ,「継続的な勤務に対する功労報償」を他の部分と区分せよという着眼点を入れたことは,理論的には鋭い。しかし,この区分を実務的に行うこと,つまり基本給や賞与や退職金について年功的部分と他の部分を分離することはかなり難しいだろう。実施するなら手法開発が必要である。また,職務の価値の評価という,格差を是正するためのまぎれのない視点に注目しながら,それを考慮すべき要因にとどめてしまっており,これも実務的に具体化することは難しい。既に法にある「職務の内容」規定に溶け込んで独自の意味を持たなくなってしまう恐れがある。

 日本において,正規雇用労働者の賃金は,何に基づくか不明だが勤続とともに昇給する漠然とした「基本給」と,職務遂行能力に基づく「職能給」を中心に置いていることが多い。これは,年功的基本給と職能給は,人の特性を基礎にしたメンバーシップ型雇用の賃金である。ところが非正規雇用労働者はおおざっぱな職務給であり,適切に職務を評価されていない。差別的に切り下げられたジョブ型雇用の賃金である。このままでは両者のものさしがまったく異なっていて,客観的基準に基づいた格差是正ができようもない。「働き方改革」の目玉であった正規・非正規の不合理な格差是正がなかなか進まないのも,ここに原因がある。

 是正のために,理論的妥当性を実務的実行可能性を両立させる措置を考えた。

*案1)企業には就業規則の一部として賃金表作成を義務付けるとともに(ない会社もあるのだ。驚くべきことだが),正規・非正規間で賃金の主要部分について賃金形態と賃金表を統一する。つまり,非正規労働者も正規労働者の給与表を用いて,そのどのランクに該当するかに基づいて賃金を支給する。これで少しは客観的な基準が生まれる。ただし,これは公務員や独立行政法人の少なくとも一部ではすでに実施されていて,それで問題が解決した様子もないので,部分的な効果しかない。

*案2)案1に加えて,賃金のうちとくに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」については,職務評価を義務付ける。職務評価に関する規程を就業規則の一部分として作成必須とすればよいので,法的にはそれほど複雑ではない。

 職務評価とは,簡単に言えば,職務を分析し,諸要因(技術難易度,資格必要度,肉体負荷度,精神負荷度,責任度,安全衛生リスク,業績への貢献度等々)に基づいてランク付けし,ランクごとの賃率を決める,というものである。職務の価値をもとに,それについて成果を達成した場合の賃率も決められる。まちがってはならないのは,人ではなく,職務(job)の方をランク付けするのである。本来,産業別の統一基準が欲しいところだが,すぐにはできないし,法的義務になじまない。よって法的には各社ごとの職務評価でよいこととし,その適切性について要件を定める。

 やや専門的な論点が二つある。一つは,職務給は成果を評価できないのではないかという疑問がみられることである。これは単なる誤解である。職務価値に基づいて職務の成果についても賃率が付けられる。成果給とは職務の成果給なのであり,むしろそうしてこそ成果の評価にそれなりのものさしがうまれる。

 もう一つの論点は,厳密な意味での職務評価,すなわち個々の職務の価値・その成果を評価するものでなければならないか,すでに大企業が正社員にある程度取り入れている「役割」評価でもよいかということである。「役割」「行動特性」評価は職務の評価と人の能力評価の中間になるので,客観性担保のためには職務評価としたいところだが,実行可能性を踏まえ,また職務内容が流動的な場合も踏まえると,「役割」評価的なものは許容せざるを得ないだろう。ただし,ぼんやりとした行動特性ではなく,職務に即し,職務を果たすために必要な役割に限定する必要がある。

 なお,職務評価の導入は企業にはそれなりの負担となるので,中小企業に何らかの公的支援をつけるのがよいだろう。

 これにより,賃金体系の一部または全部について,端的に職務ランクと賃率が「A:時給○○円」「B:時給△△円」などと,同一基準で正規についても非正規についても定まっている状態を生み出すことができる。就いている職務がAランクならば,正規だろうと非正規だろうと,まだ性別が何であろうと,年齢が何才だろうと,職務給は○○円×労働時間だけ支給されるのであり,この部分については差別はなくなる。「同じ仕事をしているのに非正規の方が給料が安い」という問題を大幅に改善できる。

 もちろん,これでも問題は残る。そもそも就いている仕事そのものの格差による賃金格差はなくせず,これは職務給が一般的なアメリカの現実である。ただし,その差の根拠は客観化されるので,身分的な説明のない差別的格差は緩和できる。また,会社は正規労働者だけに勤続に基づく給与部分を残すであろうから,その部分では非正規との格差が生じる。これは,立憲民主党法案の考え方を,より具体化する手法を開発して変えていく必要がある。

 これによって,正規・非正規ともに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」についてはまったく同一の基準によって賃金が支給されることになり,差別は法的に禁止される。この方策が「同一価値労働同一賃金」原則の直接的な具体化策であることは言うまでもない。

 いったんこの制度ができれば,職務評価を公正にするために,労働団体,コンサル,使用者団体がそれぞれに工夫し,ナショナルな,まだ産業別の基準が形成されていくことが期待できる。それによって,会社の枠を超えて,賃金の在り方を社会的なこととして議論し,改善していく動きが強まるだろう。

 以上が,「同一価値労働同一賃金」を,実行可能な形態で具体化するための私の提案である。

「『非正規ワーカー待遇改善法』の提案」『しんぶん赤旗』2023年10月21日。

「賞与・退職金等に係る正規・非正規労働者の待遇格差を是正、 同一価値労働同一賃金法案を衆院に提出」立憲民主党,2020年11月13日。


2023年10月25日水曜日

ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年を読んで

 スティーブ・ジョブズの伝記と言い,今回のイーロン・マスクの伝記と言い,著者のウォルター・アイザックソンが考えていることは,次の箇所に集約されていると思う。

「自信満々,大胆不敵に歴史的な偉業に向けて突きすすむなら,ひどい言動や冷酷な処遇,傍若無人なふるまいも許されるのだろうか。くそ野郎であってもいいのだろうか。答えはノーだ。もちろんノーだ。同じ人でもそのいい面は尊敬し,悪い面はけなす。それはそんなものだろう。ただ,ひとりの人を形作る糸はより合わさっている。それこそ,きっちりとより合わさっている場合もある。布全体を全部ほどくことなく闇の糸を抜くことは難しかったりするのだ。」(邦訳,下,p. 435)

 ジョブズとマスクには具体的なところでは共通点も違いもある。マスクはエンド・ツー・エンドに仕上げようとするところはジョブズと同じだが,工学系の人間であり,エンジニアリングでも製造でも自ら現場指揮を執るところは違う。物理的なところも自ら見られるので,現場に行かないエンジニア,製造を知らない設計者を許さないという特徴もある。限界まで激しく,現場に詰めて寝ずに働くシュラバそれ自体を価値あるものとする点はジョブズより極端である。製品に対する美意識の強さは同じだが,マスクはコスト意識が極めて強く,無茶なほど設計簡素化と省略を強要するところが違う。家族に対する態度は,形は違うようでところどころ無茶苦茶なのは同じとも言えて,これは何とも言い難い。

 経営学の研究者からすると,マスクがエンジニアリングと製造のシームレス化や改善や激しい働き方についてやっていることは,ある意味ではかつての日本の企業人と似ていると考えることもできる。ただ,自分と優れたエンジニア数名が主役となり,現場を駆け回って命令しながら成し遂げようとするところは違う。上から下まで誰にでも合理的説明と工夫をさせようとする点はかつての日本企業と似ているが,それを自らの一方的命令で行い,うまくいかなければ速攻で解雇して人を入れ替えるところは違う。

 実は私は,何だかんだ言っても少量生産であるスペースXはとにかく,一般顧客向け大量生産のテスラをどうやって成り立たせたのかが不思議でならず,本書を買った。答えは,「自分と何人かの専門家が総出で現場で徹夜で監督する+説明と改善をすみずみまで強要する+能力不十分なら速攻で解雇して速攻で補充採用する」のように見える。それで何とかなるはずはないだろうと思う一方で,本書を読むと何とかなりそうにも思えてくるから不思議である。まだ半信半疑だが,確かにすごいと思う。

 スペースXやテスラに関する章に比べると,ツイッターに関する章は読んでいて気持ちが悪い。著者がカンパしたように,マスクはスペースXやテスラと同じようにツイッターもテック企業だと思い込んでいたが,実はコミュニケーション企業だったのだ。スペースXやテスラでは,マスクがダメだと思い込んだ人間をクビにして設計や製造の仕方を変えれば済むが(それでもどうかとは思うが),ツイッターの場合,マスクの不用意な言動で,轟轟たる中傷を浴びねばならなくなる人が発生するところは,本書で最も嫌な気持ちになった部分である。

 結局は冒頭に引用したアイザックソンの言葉に尽きるのだが,私の関心は上記のようなところにあった。それぞれの関心から読めば,きっと面白く,また考えさせられる本だと思う。


ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917306




2023年10月20日金曜日

Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigationを読む:日本鉄鋼業に難問を突き付けるシミュレーション

 Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigation. Energy Conversion and Management, 254, 115268.
https://doi.org/10.1016/j.enconman.2022.115268


 これは日本鉄鋼業に難問を突き付ける論文である。オープンアクセスなので,誰でも読める。

 本研究は,西オーストラリアのピルバラ地域において製造されるグリーン水素を,日本とオーストラリアのパートナーシップの下,両国のどちらかで水素直接還元製鉄・電炉製鋼(H2DRI-EAF法)に利用するとして,どの工程をどちらに立地した場合に,エネルギー消費と鉄鋼製造コストがどうなるかをシミュレーションしたものである。輸送やエネルギー転換の際に,水素を液化水素にするか,アンモニアにするかについても比較している。時点は2030年と2050年である。使用する鉄鉱石についてはどれも同じ条件である。

 研究結果を立地についてだけ紹介する。パターンは以下の3つである。

SC1:太陽光発電,水の電気分解による水素製造をピルバラで行ない,液化水素またはアンモニアとして日本に輸出。日本で水素製鉄と電炉製鋼を行う。

SC2:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄までピルバラで行い,海綿鉄(HBI),液化水素またはアンモニアを日本に輸出。日本で電炉製鋼を行う。

SC3:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄,電炉製鋼をピルバラで行い,鉄鋼半製品を日本に輸出する。

図解はFig.1にある

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr1_lrg.jpg

注1:日本で製鉄・製鋼を行う場合も,ピルバラで製造された水素や,そこから燃料電池で製造された電力を用いると想定。

注2:海上輸送においても,燃料電池を船用動力とし,動力源としてピルバラで製造された水素をもちいる。

 その結果は以下のFig. 3のとおりである。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr3_lrg.jpg

 2030年でも2050年でも,また液化水素を用いてもアンモニアを用いてもSC1よりSC2,SC2よりSC3の方がエネルギー消費が小さく,鉄鋼製造コストも低い。つまり,ピルバラにグリーン水素製造から製鉄,製鋼まで集中立地した方が効果的だというのである。ただし,従来の化石燃料ベース,つまり石炭・コークスで鉄鉱石を還元する高炉・転炉法と比較すると,省エネにはなっているが,コストは高い。ピルバラでのグリーン水素製造を起点としたグリーンスチール生産のためには,一定のカーボンプライシングが必要である。ただし,2050年のSC3では,カーボンプライシングがなくとも高炉・転炉法と競争できるようになると予測されている。

 ここから私見である。本論文の通りであれば,このシミュレーションの前提に立つ限りにおいて,適度にカーボンプライシングがかけられた場合,オーストラリアから鉄鉱石と原料炭を輸入し,日本の製鉄所で製鉄,製鋼を行うという従来の日本鉄鋼業の方式は成り立ちがたいということになってくる。これは日本に立地するという意味での日本鉄鋼業にとっては,深刻な将来像と言わねばならない。もちろん,日本でピルバラよりも安価にグリーン水素が製造されれば,このシミュレーションと異なる将来像も描けるが,これまでのところ,その見通しはたっていない。

 このシミュレーションが妥当であるとした場合に,日本の鉄鋼企業や,水素製鉄のサプライチェーンに関わる諸企業(エネルギー企業,商社,海運業,そして,鉄鋼業の新規参入候補)の選択肢はどのようになるかを考える必要がある。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0196890422000644?via%3Dihub

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...