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2023年1月6日金曜日

黒木亮『兜町の男:清水一行と日本経済の80年』毎日新聞出版,2022年を読んで

  黒木亮『兜町の男:清水一行と日本経済の80年』毎日新聞出版,2022年。経済小説家・清水一行の生涯を描くノンフィクションである。清水氏は,今では2世代位前の経済小説家というところだろうか。学生時代に,指導教官の金田重喜教授が,世の中は欲望と怨念で成り立っていると知ることができると推奨していたことを覚えている。だが,結局私は日本の経済小説は今世紀になってから読むようになり,池井戸潤氏や,本書の著者黒木氏のものになじみがある一方,清水氏のものはほとんど読んでいない。酒と女と飲み屋とバーとホテルと総会屋と組織への忠誠心の世界は,松本清張氏で腹いっぱいであるからかもしれない。

 そうした事情もあり,本書は私には,清水氏の波乱に満ちた生涯がひととおりわかる,清水一行入門として面白く読めた。しかし,黒木氏のタッチはあまりにも淡々としており,作者の視点はほとんど記述に現れない。黒木氏が清水氏をどのようにとらえているのか,よくわからなかった。以前,川崎製鉄の西山弥太郎社長を描いた『鉄のあけぼの』を読んだ時も同じように思った。私に黒木氏の叙述を深く読む力ないのか,黒木氏が,ノンフィクションとは事実経過を淡々と描くものだと考えているかの,どちらかだろう。しかし,ノンフィクションも,対象となる事実をどう選び,どう書くかが問われるものではないだろうか。

 それでも,日本共産党との出会いと別れは比較的明瞭な筆致で描かれている。五十年問題総括の過程での日本共産党の側の自己批判書や,1990年代の松本善明氏の訪問をめぐる記述は、清水氏のこの党への思いの振幅を感じさせるものだ。他方,清水氏が経済小説に求めたものは何であったのか,清水氏は,労働運動では見つけられなかった何を,その対極とも言えるビジネスの世界に見つけたのかが,もう一つ伝わって来ない。また,甲山事件の捜査を題材にした小説をめぐって,同事件の原告の支援者たちから訴訟を起こされ,敗訴したことについても,清水氏が何を守ろうとしたのかが,もう一つ明らかにならない。

 繰り返すが,本書は「清水一行入門」として役に立つ。作者の乾いた描き方は,やはり清水氏の小説も読んで自分で確かめてみようと思わせてくれる分にはいい。しかし,本書には清水氏の姿はあっても,これを描く黒木氏の姿が見えなさすぎることが,いささか残念であった。

出版社サイト
https://mainichibooks.com/books/social/80-2.html



2023年1月3日火曜日

萩尾望都(原作:光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』完全版,河出書房新社,2022年を読む

 萩尾望都(原作:光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』完全版,河出書房新社,2022年。新装版だの豪華特典付き××版だのは基本的に買わないのだが,これは例外中の例外で購入した。エッセイやインタビューが付け加えられているからだ。

 私は,この作品について以前から知りたいことがあった。それは,原作になくマンガにのみある部分は,どういうルールの下で誰が創作したのかということだ。今回,「萩尾望都に聞く「SF100の質問」」で,エルカシアの巫女ユメは萩尾先生の創作であったことはわかった。また,これまで読んだものの中に,光瀬先生がマンガのストーリーに介入された形跡がないので,おそらくマンガにのみある部分は,萩尾先生の創作によるものなのだろう。

 大きな展開での違いを見ると,原作では都市ZEN-ZENはアスタータ50にあって,そこの首席はユダではないが,マンガではゼン・ゼン市は別の場所にあり,そこの首席は惑星開発委員会のマインド・コントロールを受けたユダだ。原作ではアスタータ50から最後の目的地に一気にジャンプするが,漫画ではゼン・ゼン市から一度トバツ・シティーへ移動し,弥勒像の口からアスタータ50へとジャンプ,それから最後の場所に向かう。

 私にとって気になるのは登場人物の方で,当然かもしれないが漫画の方が阿修羅王もオリオナエもシッタータも表情が多面的で豊かであり,また重要なセリフも付け加えられている。

 阿修羅王の「私は相手が何者であろうと戦ってやる。この 私の住む世界を滅ぼそうとするものがあるなら,それが神であろうと戦ってやる」というセリフ,オリオナエの「わしはアトランティスの生き残りだ」「神と信じあがめていたものが我々に与えた裁きを忘れないぞ」というセリフは,原作にないものだ。また,原作では阿修羅王の幻覚の中でしか活躍しない帝釈天が,漫画では阿修羅王に対峙するトバツ・シティの軍事指導者として現れる。破滅を運命として受け入れる者の代表として。しかし,戦い続ける阿修羅王に関心を寄せるものとして。「あの極光の下に阿修羅王がいる。阿修羅王……が……。美しいものであろう,太子。あれの心のように微妙に移り変わる……」。しかし,阿修羅王は決して戦いをあきらめない。首を振って言う。「あなたは老いた,帝釈天」。帝釈天は言う。「勝てるのか!神と戦って!シと戦って!あなたはおのれの死と戦って勝てるか!」。その表情は悲しげに変わる。「…もう戦うことをやめぬか,阿修羅。おまえは勝てない…勝つことはできないのだ。」。阿修羅王の右目を涙がつたう。これらも,みな原作にないものだ。

 しかし,こうした原作にない部分が私にとっては印象深く,原作よりも漫画の方を繰り返し読む理由になった。10-20代の頃には阿修羅王がこの上なく美しく見えたし,いまでは帝釈天の阿修羅へのまなざしも,わかりたくはないがわかるような気がする。

 今回も直接には謎は明かされなかったが,おそらくこれらの部分も萩尾先生が創作されたのだと思われる。複数のインタビューや今回のQ&Aからは,萩尾先生の興福寺阿修羅王像に対する思いがとても深いものであることがわかる。「あの像の中にすべてが収まっていますね。運命も。宇宙も。永遠も」。「あのお顔と身体がなかったら,あの阿修羅は生まれませんでした」。数々の追加シーンも,先生の阿修羅王への思いの産物であり,それが他の登場人物にも反射したものだったのであろう。

萩尾望都(原作:光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』完全版,河出書房新社,2022年。




2022年12月31日土曜日

タイパって,企業はむかしからやっていることですよね

 タイパ。学生に感想を求められたらこう答えよう。

 「タイパ?タイムパフォーマンスですか。個人が自由に行動を選択できる消費場面では,それぞれ好きにすればいいんじゃないですか。楽しそうですね。ただし,忘れてはいけないのは,企業は産業革命以来,企業にとってのタイムパフォーマンスを徹底追求してきたということです。手工的熟練に依存した作業であればそれを徹底的に科学的に研究して無駄のない動作を見つけ出して標準化し,それを実現した場合にだけよい待遇を与えるようにしました。科学的管理法について学びましょう。機械化された作業であれば,その標準化は機械の構造に従って行なうようになりましたし,機械の速度を操作することで労働者にぎりぎり精いっぱいの仕事をさせることも可能になりました。繊維工業については産業革命の工場制度,多数の部品を用いた耐久消費財についてはフォード・システムを学びましょう。わが日本でも,機械が止まっている時間のムダ,人が付加価値を生み出していない時間のムダ,モノが付加価値を与えられていない時間の無駄というものを徹底して削減するしくみとしてトヨタ生産方式があります。素晴らしい技術と管理の発展です。さあ,生産過程におけるこれらの現実をよく学びましょう。これがタイパです。みなさん,どうしてそんな嫌そうな顔をするんですか。え,聞いてて辛い?そうですか。でも知っておかねばならないことです。」

「「新語・流行語大賞」だけじゃない「今年の言葉」 「タイパ」「○○くない」「一生」…」読売新聞オンライン,2022年12月6日。


2022年12月30日金曜日

国家が所有し,党が支配するが,資本である「党国家資本」:中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読んで

 中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読了。他の仕事の合間,合間で読んだために時間はかかったが,読んでいる時はすらすらと読み進むことができた。これは,すらすら読み進めた理由を考えながらの感想である。やや個人的事情に基づくところがあることをお断わりしておく。

 私は中国鉄鋼業研究者であっても,中国経済・社会全体に向き合う地域研究者ではない。しかし,中屋氏が描き出した,政府ー国有有限会社ー株式会社という国有企業の所有構造と,その人事を背後から中国共産党が支配する構造には,すんなりと納得がいく。その理由は,もちろん,中屋氏が豊富な資料を動員して実証しているからであるが,他にも個人的事情がある。

 一つは,私は,もともと独占資本主義論から出発したアメリカ経済研究者だったので,市場経済化した中国の巨大国有企業も資本主義の類推で理解できるからである。発達した資本主義とは,形は様々であれ独占体や寡占体制が存在するものであるから,私は中屋氏が批判するような,中国が市場経済化されて「国有企業が民営化されて自由な資本主義になる」という期待を持ったことなど一度もない。「一部の株主や金融機関や機関投資家が大きなシェアと影響力を行使する巨大企業体制になるだろう」とはじめから思っていた。その通りとなった。そして,巨大企業の所有と支配に関する研究史を踏まえれば,所有構造の一番上にモルガンやらロックフェラーやらがいるのではなく政府がいるのだと考えると,なにも不思議なことではなく,中屋氏の主張をすんなり飲みこめる。

 もう一つは,私はマルクス主義から社会科学の学びを始めた者として,共産主義運動史にも多少は覚えがあったからである。共産党組織が政府や企業の組織を実効支配する際に,主として人事を通して行うことも,今初めて中国だけに起こった新現象ではなく,共産党のあるところ歴史的にあり得ることである。企業内には企業党委員会,国有資産監督管理委員会には国有資産監督管理委員会党委員会がある。まず党の会議が,企業の役職に就くべき党員を選出し,その後(例えば党の会議を午前に行った日の午後)に企業の会議が役員を正式に選出する。中屋氏によるこの構造と過程の分析などは,堅い叙述にもかかわらず政治的生々しさが感じられるが,共産主義運動の在り方としては典型的なので,これもまた私にはすんなり理解できる。

 とはいえ,私にとっても,国有企業が,国家資本のまま,かつその国家資本を党組織に実効支配されたたままで,これほどまでに営利企業としての内実を獲得できたことは予想外であった。逆に言えば,営利企業としての内実を獲得した企業を国家資本と党組織で支配し続けることができたというのは,やはり意外なことであった。しかし,それが現実であった。この独特な在り方が現存することを,古い言葉で言えば「所有・支配」論,現在の日常用語では「企業統治」論の視角から解明したことが,本書の最大の功績と思う。

 国有企業は,国家が所有し,党が間接支配する所有・支配構造をもっている。しかし,利潤追求のメカニズムは改革が進むにつれて,強く作動するようになっている。したがって,その性質は「党国家資本」だというのも,納得がいく。イデオロギーや思想として中国経済と中国共産党をどう評価するにせよ,党支配であり国家支配であるが,資本でもあるというのが,国有企業の現実を把握する適切な規定であろう。

 本書に残された課題があるとすれば,それは党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者の専門的能力とキャリアの形成に関する研究であろう。巨大株式会社の「所有・支配」,あるいは今風には企業統治を研究する際には,株式などの所有から出発して支配を検出する方法と,専門的職能としての経営・各級管理の生成から出発して支配を検出する方法とがあり,主としてアメリカ経済研究を通して形成された。前者は,A.A.バーリ&G.C.ミーンズの経営者支配論とこれに対する批判を含んだ諸研究(※1),後者は古くはJ.バーナム,やや新しくはA.D.チャンドラー,Jr.の研究(※2)を画期とする諸研究である。中屋氏の研究は,所有から出発する前者の研究潮流に属する。ちなみに,日本の古典的研究としては馬場克三(※3)が参照されている。残されるのは後者の視角からの研究であろう。党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者はどのようにキャリアを積み,企業経営と政治支配を含むどのような専門的能力を身に着けて,「党国家資本」の活動を成立させているのであろうか。ときに相反する複合的な能力が求められること故の矛盾はないのだろうか。これは,中屋氏に要求すべきことではなく,後学の課題となる。

※1 A. A. Berly & G. C. Means, The Modern Corporation and Private Property, The Macmillan Company, 1932(A. A. バーリ&G. C. ミーンズ著,森杲訳『現代株式会社と私有財産』北海道大学出版会,2014年)。その後の種々の研究を踏まえた総括として松井和夫『現代アメリカ金融資本研究序説:現代資本主義における所有と支配』文眞堂,1986年。

※2 J. Burnham, The Managerial Revolution: What is Happening in the World, John Day, 1941(J.バーナム著,武山泰雄訳『経営者革命』東洋経済新報社,1965年)。A. D. Chandler, Jr., The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, The Belknap Press of Harvard University Press, 1977(A. D. チャンドラーJr.著・鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代:アメリカ産業における近代企業の成立(上・下)』東洋経済新報社,1979年。

※3 馬場克三『株式会社金融論』森山書店,初版1968年,増補改訂版1978年。

出版社ページはこちら。









2022年12月29日木曜日

日経金融PLUSの「デジタル円」論と対話する:「預金先行説」でなく「貸付先行説」で考えよう

 日経金融PLUSの「デジタル円」論だが,多くの論者が陥るのと同じ誤解をしていると思う。一つ一つ対話してみたい。


記事:
「CBDCは銀行預金を駆逐してしまう可能性がある。マネーは大きく預金と現金にわけられる。CBDCは基本的に現金をデジタルに置き換えるものだ。預金は銀行が破綻してしまうと手元に戻ってこない可能性があるが、現金は基本的に手元に残る。CBDCはスマホの中にある現金のようなもので、預金と違って原則的に消失リスクはない。そうなると、生活者はマネーを銀行預金から安全性の高いCBDCに置き換えていくだろう。」

コメント:
 使い勝手の良いCBDC=デジタル円ができれば,銀行預金が減ってデジタル円をスマホ等の中で持つ人が増える。その見通しには私も賛成だが,理由が少しずれている。デジタル円ができたとしても,人はそうしょっちゅう銀行の破綻を心配するわけではない。しかし,銀行の破綻が心配ないとしてもデジタル円の方が便利になる理由がある。それは,口座振り込みよりも,デジタル現金取引の方が便利になった場合である。もし口座振り込みにイノベーションがなく,現金がデジタル円になれば,人はみなスマホ操作でデジタル円を送金して取引するだろう。当座性預金を保持し続ける理由がない。企業の当座預金は利子がつかないし,個人の普通預金の利子も雀の涙だからである。これが,預金が流出する主な理由である。
 銀行がこれを防止したければ,口座振り込みをデジタル円並みに便利にするしかない。つまり,いまのデビットカードとネットバンキングの使い勝手を良くし,銀行を超えて手数料なしで支払いできるようにすればよいのである。これが銀行の課題となる。


記事:
「みえてくるのは、デジタル円を使って決済・送金サービスに特化する「ナローバンク」の誕生だ。CBDCの最大の利点は、安全・安価にスピード決済できることにある。」

コメント:
 デジタル円=デジタル現金と預金通貨が混同されている。預金が流出した場合に起こることは,決済がデジタル円で,個人や企業によって,銀行を介在せずに,スマホとスマホの間で行われるようになるということである。札束の持ち運びが要らない,現金取引のデジタル版である。
 だから,銀行からは決済・送金サービスが真っ先に流出する。銀行が「デジタル円を使って決済・送金サービス」をする必要そのものが失われるのである。繰り返すが,銀行がこれを防ぎたければ,口座振替をデジタル円よりも便利にするしかない。


記事:
「一方で多くの商業銀行は預金を徐々に失い、経済成長を支えてきた預貸ビジネスも見直しが必要になる。商業銀行は預金を集めるのではなく、市場で資金を直接調達して、それを元手に融資するようなノンバンクに近い形態になっていく可能性もある。CBDCが銀行システムの劇薬になりうるのはそのためだ。」

コメント:

 預金を集めなければ貯貸ビジネスができないというところがおかしい。商業銀行が預金を集めるとか,市場で資金を直接調達するというが,それは現金が大量に流通しているか,あるいは自行以外が預金を持っているから可能なことである。では,そもそも流通している現金や預金通貨とはどこから来たものなのか。金本位制であれば結局金鉱から金貨が来るように,現金や預金もどこからか来たはずである。
 その答えは,預金はどこかの銀行がどこかの企業,まれには個人に貸し付けた時に生まれたのであり,現金は,誰かが預金をおろした時に発行されたのである。まず預金が預けられ,銀行がそれをもとに貸し付けるのではない。銀行が貸し付ける時に預金も生まれるのである。預金とは銀行の手形であり,銀行貸付とは,「うちの手形は通貨として使えるほど信用があるので,これで貸してあげる」という行為なのである。この時,預金は必要ないが,もちろん,預金の現金引き出しや,他行への送金による引き出しや,貸し倒れリスクに備えた準備金は必要である。それは,準備預金=中央銀行当座預金を持つことによって確保される。そして,中央銀行当座預金もどこで生まれるかと言えば,中央銀行が銀行に与信することによって生まれるのである。
 だから,社会全体としては預貸ビジネスは決してなくならない。なくなったら通貨が供給できず,経済は成り立たないし,おろすべき預金がなければデジタル円も存在できない。銀行が企業に貸し付けることによって預金通貨が供給されるのは,デジタル円ができても同じなのである。違うのは,デジタル円が便利であるために,いったん供給された預金が,早期に大量に引き出されてデジタル円に変わるということである。
 預金が引き出される時,銀行は中央銀行当座預金を引き出してデジタル円を確保しなければならない。だから,資産側で準備預金が減り,負債側で預金が減る。このことは,銀行の貸し出し能力を制約する。社会全体で多くの銀行にこれが生じるが,程度は銀行によってさまざまであろう。預金流出に耐えられるような規模の大きい銀行,あるいはデジタル円に対抗できる口座振替サービス,さらにそれ以外の金融サービスを提供できて預金を保持してもらえる銀行には競争力があるが,それ以外にはないというように銀行間格差が広がる。これが実際に起こり得ることである。
 このとき,市場性資金を集めざるを得ない銀行は確かに発生する。しかし,それは,集めた資金を元手に融資するためではない。貸付自体は信用創造でできるのであって,必要なのは準備金である。準備金について日銀からの与信が制約された場合に,市場からの資金取り込みに依存することになるのである。また預貸ビジネスで劣後した場合に,市場性資金を取り込んで自ら証券市場等で運用すると言ったハイリスク・ハイリターンの行為に走ることになるのである。


記事:
「商業銀行とナローバンクへの銀行ビジネスの二分化は、それでも検討に値する。利点は金融システムリスクを和らげる効果だろう。」「CBDCを本格導入すれば銀行機能の二分化は避けられない。」

コメント:
 結論として,起こるのは商業銀行とナローバンクへの二分化ではない。銀行間の収益力格差による淘汰である。


 以上のように,この記事は多くの点で誤っているのだが,それでも有意義なことがある。それは,理論的根拠があって誤っているために,理論的示唆が得られるということである。この記事は,「銀行は,預金を受け入れて,それを原資に貸し付ける」という,多くの経済学者が採用している「預金先行説」に基づいており,それ故に誤っている。そのため,「預金先行説」を逆転させ,「銀行は,貸し付ける際に預金という自己宛て手形を創造する」という「貸付先行説」にすれば,整合的な予想が成り立つのである。この記事は,誤っている記述を通して,「預金先行説」の問題と,「貸付先行説」による現実理解や将来予測の必要性を示してくれているのである。

「デジタル円」は良薬か劇薬か 銀行システム、二分化へ(金融PLUS 金融部長 河浪武史)日本経済新聞,2022年12月12日。


2022年12月25日日曜日

ドル高・金利引き上げがもたらす,新興国外貨建て対外債務の危機

 UNCTADの第13回債務管理会議のレポート。多くの国が,パンデミック,地政学的不安定性,気候変動による債務負担に苦しんでおり,そこにアメリカの金利引き上げが追い打ちをかけている。欧米諸国がインフレ退治に集中することが,世界の反対側で公共政策を困難に陥れていることに注意しなければならない。

「国際通貨基金(IMF)の推計によれば,新興国の債務の70%,低所得国の債務の85%が外貨建てである。
 途上国政府は現地通貨で支出し,外貨で借り入れを行うため,この構造では,公共予算が大規模かつ予期せぬ通貨安に大きくさらされることになる。
 2022年11月末までに,少なくとも88カ国が今年になって対米ドル安を経験した。このうち31カ国では,下落率が10%を超えている。
 アフリカのほとんどの国で,このような減価は,アフリカ大陸の公衆衛生支出に相当するほどに債務返済の必要性を増額させると,Grynspan氏は述べた。」

 資本主義は,金と言う世界通貨の現送をなくすことによって,国際金融の規模を拡大した。しかし,そのことにより,国際貿易や貸借や資産保全を特定国通貨建てで行わざるを得ないという矛盾を抱え込んだ。アメリカが自国のインフレを抑制するために金利を引き上げると,途上国の対外債務が増大するのは,この矛盾の表れだ。理想的な国際金融システムがすぐに実現するとも思えないが,現にあるシステムが円滑で平坦で公平なグローバリゼーションをもたらすものではないことは知っておく必要がある。

World leaders call for stronger multilateral solutions to debt crisis, UNCTAD, December 5, 2022.


2022年12月16日金曜日

NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」を視て:北朝鮮の核抑止力論

 NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」(2022年12月11日放映)を視た。金正恩と北朝鮮政府のメッセージは,「核兵器はおおむねできた。目標まで飛ばせるミサイルの完成もまもなくだぞ」と言うことだろう。

 北朝鮮の戦争挑発が危険なのは言うまでもないし,専守防衛の範囲である限り,これに日本政府が対応することも私は反対しない(ただし,敵基地攻撃能力保有や,根拠の説明がない防衛費急増には反対である)。

 しかし,もうひとつ,北朝鮮の論理は北朝鮮が特異な国家であることだけから来るのではなく,広く世界に普及している「核抑止力論」の論理でもあることに注意する必要がある。日本では,大国同士の衝突を抑える理論として核抑止力論が肯定的に扱われることが多い。しかし,北朝鮮がやっていることも,「核保有国と対立する非保有国が核抑止力論を採用した場合」そのものなのである。

 核抑止力論は,複数の国家が互いに核兵器を保有し,いざ核戦争となれば互いに甚大な被害が確実に出ることがわかっているという,破壊の相互確証ゆえに,各国は核戦争を回避することを前提に行動するだろう,というものである。しかし,この考えを,核保有国と対立する非保有国が採用した場合,自国の状況を,一方的に壊滅させられるリスクに直面していると捉えることになる。核保有国と外交交渉することなど不可能だと思えてくる。よって,まず核兵器を保有し,従来の核保有国と核戦争時の相互破壊を確証できるところまでもっていこうとする。それを妨げようとする一切の働きかけには耳を貸さない。これが,現在,北朝鮮が取っている行動のロジックである。

 したがい,平和裏に北朝鮮を思いとどまらせるためには,核兵器開発が実務的に不可能なほど実効ある経済制裁を行うか,核兵器など持たなくても体制転覆を強制されることはないよと言う確証を持たせて,核抑止力論を放棄させることが必要になる。前者は中国との通商ルートを遮断できないので困難である。後者は,ベトナム市場経済化の経験を見れば可能だろう(ベトナムは核兵器保有をめざしたことはないが、周囲との緊張緩和、対外開放を実現した過程は参考になる)。ただし,市場経済化によって一党独裁体制がどの程度緩和するかは保証の限りではないこと,その程度はさまざまであることも,中国やベトナムの経験が教えるところである。できることはあると思うが,容易な道はなさそうだ。


2022年12月14日水曜日

論文「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」の公表に寄せて:岡本博公先生に

 「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」所収の『社会科学』52巻3号が発行され,同志社大学学術リポジトリに掲載されました。

 本稿は昨年10月に亡くなられた岡本博公先生に捧げられます。私の鉄鋼業研究は,岡本先生の『現代鉄鋼企業の類型分析』を導きの糸としています。また,私のゼミ修了生の研究者のうち,Mohammed Ziaul Haider さん(Khulna University),章胤杰さん(上海外国語大学),Nguyen Kim Nganさん(東北大学)は先生の2冊目の著作『現代企業の生・販統合』に理論構成の一部を,銀迪さん(東北大学ポスドク)は『現代鉄鋼企業の類型分析』に多くを負っています。岡本先生は,いつも私の論稿に鋭いコメントをくださり,私を励ましてくださいました。本稿の草稿にも亡くなられる数日前にメールでコメントを寄せて,事業所論(活動単位論)を再興することを支持してくださいました。

 本稿はささやかなものですが,岡本先生が提起された事業所ー企業ー産業の三層分析を損なわず,理論的・実証的に豊かにすることに少しでも役立ていればと思います。


「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」『社会科学』52(3),同志社大学人文科学研究所,2022年11月,1-22

1 問題の所在
 1.1 目的と課題
 1.2 先行研究の検討
  1.2.1 原点:チャンドラーとウィリアムソン
  1.2.2 事業システム研究:事業所論の独自性
 1.3 分析枠組みの設定
 1.4 事例選択と方法

2 スパイラル鋼管の事例分析
 2.1 スパイラル鋼管の用途と製造方法
 2.2 AJ社のケース
 2.3 AV社のケース
 2.4 考察

3 結論と残された課題



2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年12月6日火曜日

博士論文 銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」の公表によせて

  当ゼミの修了生である銀迪さん(東北大学経済学研究科博士研究員)の博士論文「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」が東北大学機関リポジトリTOURで全文公開されました。

 この論文は,2001-2015年の高成長期における中国鉄鋼業の構造を,需要構造,技術選択と生産システム編成,企業構造,産業の構造,産業政策の諸側面から明らかにしたものです。

 中国は世界最大の製鉄国ですが,この時期の鋼材需要の中核は,小ロット指向の中低級品,典型的には鉄筋用棒鋼などの建設用鋼材でした。自動車用鋼板などの高級鋼材需要も増えましたが,そのシェアの拡大はゆるやかなものでした。

 鉄鋼企業は,この需要構造を背景にして技術・生産システムを編成しました。その結果,宝武集団に代表される,大型高炉一貫システムを基礎とした大型高炉一貫企業も多数形成されました。この15年間のうちに業界団体非加盟の小型企業から最大級の高炉一貫企業にまで駆け上った例もあります。しかし,民営の業界団体非会員の小型企業(高炉一貫企業,電炉企業,単純圧延企業)も多数成長しました。産業全体としては,国有・民営が混合する大型高炉一貫企業と,非会員小型企業が併存する構造となりました。そして,実は大型高炉一貫企業も,内部には大型高炉一貫システムと中小型高炉一貫システムの双方を保有していたのです。

 中国政府は鉄鋼業の高度化をめざし,設備巨大化・企業大型化・産業集中化を促進する産業政策を実施しましたが,その作用は功罪半ばするものとなりました。大型設備による沿海鋼鉄基地の形成や,旧式設備淘汰による環境改善には寄与しました。その一方,中低級品需要にこたえる民営小型企業の投資を排除しようとしたことは市場ニーズに逆行する行為でした。結果として,このニーズは,規制を逃れて投資を進めた民営企業によってカバーされたのです。

 中低級品の一部では,群生する小型民営企業に加えて,大型高炉企業までも,中小型高炉一貫システムを用いて競争しました。この激しい設備投資競争は過剰能力の形成に向かい,結果として中国鉄鋼業の高成長期を終わらせることになったのです。

 銀さんの論文は,この時期の中国鉄鋼業の技術や産業組織を理解するために,まず最初に読んでおくべきものになったと思います。

 また,この論文は徹底したケース・スタディですが,実は「生産システムー企業ー産業」という産業の三層構造分析と,「目的合理性ー執行強度ー結果」と言う産業政策の二軸三局面分析という理論的方法論に基づいています。

 前者の方法により,世界最大の製鉄国である中国が,生産システムの次元では中小型高炉一貫システムに依拠しており,また,そうでありながら企業レベルでは巨大企業の形成が進んでいるという複雑な構造を持っていることを明らかにしました。このことは,企業自身による市場適応という側面と,政府の企業巨大化・産業集中化政策の結果と言う二側面を持っていました。

 また後者の方法により,中国政府の産業政策について,政策目的通りの成果を上げたこと(沿海鋼鉄基地の形成,旧式小型設備淘汰による環境保全),政策目的を達成できなかったこと(合併・買収による産業集中度の向上),政策目的から外れた企業行動によって,かえって望ましい結果に至ったこと(民営企業の多数参入による建設用鋼材の供給)を区別して評価することを可能にしました。

 指導教員としては手前味噌ですが,本稿は,私自身の鉄鋼業研究ではこれまでなしえなかった,産業研究の理論的深化に踏み出していると思います。

銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」2022年10月6日学位授与。博士(経済学)

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