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2020年3月7日土曜日

「社会経済の機能を可能な限り維持しながら感染拡大を抑制する」というモードを崩してはならない

安倍政権による中国,韓国からの入国規制は,小中高の一斉休校と同じく専門家会議の意見を聞いたものではない。感染症対策で専門家の意見抜きに,もっぱら政治判断で大胆な措置をするのは適切でない。
 この措置の行く末について,押谷仁教授は非常に重要なことを言っている。
「危険な地域から人を受け入れないことは感染症対策としてはあり得る。ただ、危険な地域は東南アジアや米国などにも広がっており、全部やらなければならなくなる」(『東京新聞』2020年3月6日)。
 そうなったらどうなるのか。
 私が先日の専門家会議の会見を見て感銘を受けたのは,現在の感染症対策を「武漢というところは,社会機能を停止させることで感染の拡大の収束に向かおうとしたが,わが国の現時点では社会経済活動を可能な限り維持しつつ感染拡大抑制の対応策を取るという,そう言うバランスを持ってやることが求められている」と理解し,その線で進めようとしていることだ。的確なとらえ方だと思う。社会科学者がもっと早く言うべきだったと反省した。この方向性を守るべきだ。そうすることで,日本社会の強靭さを示すべきだ(買い占め騒動など,強靭でないところも確かにあるが)。
 海外からの入国規制を,イタリア,フランス,イギリス,アメリカと広げていったらどうなるのか。確かに,感染者は互いに行き来しなくなる。それはいい。しかし,人と物と金と情報も行き来しにくくなる。無人運転とネットですべてが動くわけではないからだ。その影響は大きい。わが日本は自給自足しているわけではないからだ。
 そうすれば,社会の機能を停止してウイルスを抑え込むというモードに移行する。感染症対策のモードだけでなく,社会のモードが移行する。
 それは危険だ。感染症で死ぬ人が減ったとしても,物不足,コストプッシュインフレ,所得低下,失業により,健康状態が悪化し,死ぬ人が増える恐れが大きくなる。それでは本末転倒だ。
「社会経済の機能を可能な限り維持しながら感染拡大を抑制する」というモードを崩してはならないと,私は思う。

「<新型コロナ>中韓からの入国規制 首相表明 ビザも停止 指定場所で2週間待機へ」『東京新聞』2020年3月6日。


【LIVE】新型コロナウイルス 専門家会議 会見,2020年3月2日。


2020年3月6日金曜日

「多数のPCR検査がなされていないから,感染者が本当は何人いるかわからない」ことについて

「多数のPCR検査がなされていないから,感染者が本当は何人いるかわからない」ことについて。実はここ数日,複数の学生からこのような話を聞いている。あまり専門外のことに立ち入りたくないが,一応,勤務先大学も専門家会議と政府の方針に沿って学生に色々お願いしている当事者なので,学生に不安や疑問があれば答えねばならない。まとめてみた。

1.PCR検査は感染者数を測定するために行っているのではない
 そもそもPCR検査は感染者数を測定するために行っているのではありません。重症者や,既往症のあるハイリスクの感染者を特定して,そのような人の生命を救い,重篤な状態に陥らせないためにあるのです。誰もかれもについて陽性か陰性かを決めるために行っているのではないのです。人数がわからないから検査がおかしいというものではありません。重症者やハイリスク感染者の命を救うことに役立っていれば有効です。

2.感染者数をPCR検査で把握するのは日本では不可能
 検査がたくさんなされないと,確かに感染者数は正確にはわかりません。北海道の感染者数は3月4日までで82人ですが,専門家会議は940人いるだろうと推定しています。しかし,正確に確かめようとしたら,住民を片端から検査しなければなりません。北海道の人口は528万人もいるので,不可能です。3月2日の政府答弁によれば,検査能力は1日4000人超ですから。つまり,感染者を片端から個別に見つけることはそもそも不可能です。

3.軽症の人に検査して陽性であっても,対処は変わらない
 次に,たとえ軽症の人に検査対象を広げた結果,陽性だとわかったとしても,医療機関や本人がやることは同じだということです。重症になりそうな人は今も検査して,陽性だったら入院させています。無症状の人については次に書きます。問題は風邪の症状があるような軽症の人です。
 軽症の人に検査して陽性であったとしたら,どうなるでしょうか。
 まず医療機関。検査数の少ない今は,軽症でもCOVID-19だとわかったら入院させることが多いようです。けれど,検査数を増やして感染者数が多数見つかった場合は病床が足りませんから,軽症者を入院させることは不可能です。そしてCOVID-19には特効薬がありません。ですから,風邪症状なら風邪の治療,肺炎ならば肺炎の治療をするしかありません。ここがインフルエンザと違います。
 次に本人と家族。ここは,日本政府の方針がポイントです。日本の方針は,「風邪の症状が出たら,自宅で療養し,自宅内で自己隔離してください」です。これを守っている限り,風邪の段階ですでに自宅隔離しています。もし軽症のCOVID-19だとわかっても,やはり自宅隔離なので,やることは同じです。
 だから,軽症の人を検査で見つけ出しても,やることは同じなので意味がないのです。
 それどころか,検査対象を広げて大勢の人が病院に押し寄せれば,それだけで感染が広がる恐れがあり,医療崩壊を引き起こします。良いことより悪いことの方が多いでしょう(ドライブスルー検査をすれば,少し改善するかもしれませんが)。
 この方針にも弱点はあります。日本のビジネスパースンが,風邪症状の段階で自宅療養できるかどうか怪しいということと,自宅隔離は家族にとって簡単でないということです。それは,3月1日の投稿に書いた通りであり,政府はこの弱点を補う措置を取らねばなりません。

4.無症状で人に感染させている人をどうやって見つけるか
 一番問題なのは,無症状の人です。検査をしないと無症状病原体保有者が感染を広げるのではないかという不安はもっともなことです。
 これには完全な解決法がありません。片端から検査して見つけることは,2で書いたように不可能ですし,無理にそこに挑戦しても3で書いたように医療崩壊のもとなのでかえって個人にも社会にも有害です。
 となると,方法は二つだと思います。専門家会議が考えているのもこの二つだと思います。
1)感染のクラスターが発覚した時に,そこから濃厚接触者をたどっていって,無症状なのに他人に感染させている人を見つける。この場合は,濃厚接触者なら無症状でも検査しますので,無症状で感染を広げている人を見つけられる可能性があります。
2)とにかく日本の住民全員に,多人数が肘とひじの触れ合う距離で集まるところに行かないでもらう。無症状感染者の人も感染していない人もそうすれば,感染は広がりません。
  政府がこの措置を有効にするためには,やはり補完措置が必要なように思います。さしあたり大規模時差通勤を全国の政府機関に命令して導入し,自治体と企業に要請します。また,交通各社の協力を得て混雑率を緊急調査し,なお一定以上である路線を使う人には,短時間勤務になってでも通勤時間をずらすことを認め,かつ短時間勤務でも給与を保証するよう,政府機関には命令し,地方自治体と企業には要請します。このくらいは必要だと思います。

 なお,これを書き終えてから,感染症専門家である高山義浩医師のFacebook投稿に接しました。照合してみましたが,上記の見解はたぶん間違っていないと思います。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2735521836501306&id=100001305489071

※3月24日修正。4.2)を10-30代の人を対象としていたのを,日本に住む人全員に修正。

2020年3月1日日曜日

PCR検査をしてもらえないと不安になる理由と自宅療養の難しさ:補足措置の必要性についての考察

日本の新型コロナウイルス感染症対策における,いわゆる「なかなかPCR検査してもらえない」問題。希望者全員を検査しろとテレビやSNSで主張する人と,それはすべきではないという専門家の見解を多数読んで,ようやくこの問題の構造が見えてきたように思う。社会的なことを含むので,一応発言する資格はあるだろうから書く。

 まず検査についての私の基本姿勢は,感染症専門家と同じく,二つに分けて考えるべきというものだ。
1.医師が「検査が必要だ」と判断した患者については,迅速に検査すべきだ。これが滞っているのはおかしい。医師会も調査に乗り出しているし,厚労省も問題があることは認めている。改善すべきだ。
2.希望者が全員検査を受けられるようにすることは,検査を受ける当人にとっても社会にとっても利益がないので,すべきではない。

 さて,ここで,専門家が正しいということ自体を書きたいのではない。それはリンク先Buzzfeedの記事をご覧いただきたい。私は,専門家の見解は,事実については医学的に正しく,また行動指針としては,それが実行できれば有効なのだけれど,それでも問題があることについて発言したい。つまり,専門家の見解は,個人の常識的直観に反するので受け入れられにくいところがあり,また,個人と社会にとって実行が難しいところがあるのだ。なお,検査の問題と自宅療養の問題が連動しているので合わせて書く。

 わかりやすくするために,韓国と対比しよう。韓国では,希望者はだれでもPCR検査を受けることができる。そのため,検査数は非常に多くなり,また宗教団体の集団感染もあって感染者数は激増している。また,感染した軽症者については,いまのところ入院させる措置になっている。専門家は軽症者の自宅療養を主張しているが,政府はまだ方針化していない。そして,病床不足が起こっている。

 日本の場合は,医師が必要と認めた場合にPCR検査をすることとし,また感染者が増えた場合には,無症状者・軽症者は自治体の判断で自宅療養にすると方針化されている。加えて,風邪程度の症状があったら,検査以前の問題として自宅療養すること,出勤・登校しないことが要請されている。日韓では大きな違いがある。

1)まず検査の問題。無症状,軽症なうちにどちらの不安が募るかと言えば,日本の方だろう。個人としては,なかなか検査もしてくれないし,新型コロナウイルスに対応した特別な治療もしてくれないように見えるからだ。また社会としては,検査不足のために感染者数が過小に表示されているという疑心暗鬼が募るからだ。実際に,そこのところで不安と不満が募っている。

 実は,ここで個人にとって,検査しないことによる不利益はない。「風邪の症状があったら自宅療養する」のが有効なのは、実際に風邪であっても軽症の新型コロナウイルス感染症であっても同じだ。そして,実は軽症である限り,検査してもしなくても医師がやってくれる治療法は同じなのだ。新しい薬がもらえるわけではないし,入院も,これまではほとんどさせてくれたが,もっと感染者が増えれば軽症では不可能になるだろう。なぜかというと,一方で,この新型コロナウイルス感染症について,軽症の場合は対処療法しかないからであり,他方で対応できる病床が限られている上に,ダイヤモンド・プリンセス号対応で首都圏のキャパシティを使ってしまったからだ。重症の人から順に入院させねばならない。なので,無症状や軽症の人にとって,仮に検査しても,しないのと結果は同じになる。だから無理に検査対象を広げない。日本の方針は理屈に合っている。

 にもかかわらず,無症状の住民,軽症の患者からすると,不安や不満は解消しない。そこには理由がある。日本では,多くの人が日常感覚として医療に対し「検査結果に応じて新しい対処をしてもらえる」,「感染しているとわかったら新しい対処をしてもらえる」,「そうあるべきだ」という期待を持っている。私も持っている。ところが今回は,もし希望者全員が検査を受けられるようにすると,「検査結果がどうあれ,対処は変わらない」,「感染しているとわかっても新しい対処は何もない」ということになるのだ,と専門家が言っている。これは多くの人にとって「皆さんの期待には応えられません」と告げられていることを意味するので,不満を覚えるし,健康にかかわるから不安も覚える。感覚的に受け入れがたいので,「全数検査すべきだ」という主張や「検査が少ないのは××の陰謀or利権だ」という議論に惹かれやすくなる。

 私は,ここで政府も専門家も,すじを曲げる必要はまったくないが,市民・住民の心理を踏まえた工法とコミュニケーションがもっと必要だと思う。このままでは疑心暗鬼が募るであろうし,募ることにはそれなりの社会心理的な理由はあるからだ。

 ちなみに韓国の場合,誰でも検査を受けられるから,その時点での不安・不満は日本より少ないだろう。もしこれで,実際に感染者が少なければそれでみな安心して話は終わりである。それならばよかった。しかし,実際には感染者が多数見つかったり,軽症者も含めて病院に殺到した。だから韓国では病床の不足,陰圧病棟を重症者に優先に割り当てられないという困難が生じている。現時点で,いわゆる「医療崩壊」の危険は日本より韓国に生じていると言ってよい。だから韓国のようにすればよいということにはならない。

2)自宅療養の問題。「PCR検査してようがしていまいが,風邪の症状が出た段階から自宅療養する」という日本政府・専門家の見解は,実行できれば正しいと思うが,実行が難しい。

 まず,日本の会社は,風邪くらいでは休ませてくれないおそれがある。ここが最初の壁となる。新型コロナウイルスに感染していれば,さすがに「出勤するな」と言う場合がほとんどだろうが,「陽性か否か」で会社の態度は大きく違うことが多い。インフルエンザもそうだが,日本のビジネスパースンには,「陽性か否か」で自宅待機のお墨付きの有無が決まってしまうのだ。なので,風邪症状の段階で自宅療養を徹底することが難しい。
 だから,日本政府は,「現下の情勢で,風邪の症状がある人を出勤させるのは労働契約法上の安全配慮義務違反であり,許されない。出勤を停止せよ」と企業に通知し,また有給休暇を与えることを要請し,さらに小中校の休校のこともあるので休業補償の制度を緊急に整えるべきだ。そうしないと「風邪で休め」の実行は難しい。

 次に,風邪であれ軽症の新型コロナウイルス感染症であれ,家族がいる場合には感染させないように防護措置を取らねばならない。家族への感染は大いにありうるのに,その防止策の宣伝と支援が弱すぎる。政府方針には,自宅療養のことは書かれていても,家族への感染防止については一言も書かれていない。これでは「病院で何とかしてもらいたい」「入院させてほしい」という心理は募るばかりだ。

 例えば,厚労省の一般向けQ&Aには以下のことが書かれているが,読む人は少ないだろう。(引用)「(1)部屋を分けましょう。(2)感染が疑われる家族のお世話はできるだけ限られた方で。(3)マスクをつけましょう。(4)こまめに手を洗いましょう。(5)換気をしましょう。(6)手で触れる共有部分を消毒しましょう。(7)汚れたリネン、衣服を洗濯しましょう。(8)ゴミは密閉して捨てましょう」。政府は,これをシェア先のBBCの動画のようにもっと大々的に,わかりやすく広報することに重点を置いて,自宅療養への不安を和らげる工夫をすべきではないか。

 日本政府と専門家は,人がどのようなところに不安を持ちやすいか,必要であっても社会においてやりにくいことは何かにもっと注意を払って,医学的見地を補強する措置を取ってほしいと思う。

「新型コロナウイルス、自主隔離でやるべきこと」BBC NEWS JAPAN,2020年2月28日。

https://www.youtube.com/watch?v=8Aiku0QH9S0

岩永直子「新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの?  感染管理の専門家に聞きました」Buzfeed,2020年2月26日。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto

新型コロナウイルスに関するQ&A(一般の方向け)Q13 「家族に新型コロナウイルスの感染が疑われる場合に、家庭でどんなことに注意すればよいでしょうか?」厚生労働省。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00001.html#Q13

2020年2月28日金曜日

トイレットペーパーが輸入できずに足りなくなるというのはデマ:調べたら国産化率97%

2018年のトイレットペーパー需給関係

生産:104万6310トン
輸出:889トン (統計品目4818.10)
輸入:3万2248トン (同上)

見掛消費(生産-輸出+輸入)=107万7669トン
国産化率(生産/見掛消費)=97%
輸入依存率(輸入/見掛消費)=3%

ほとんど国内生産,国内消費。中国から輸入できなくなって足りなくなるというのは悪質なデマ。ありえない。

出所:
生産,出荷,在庫は平成30年経済産業省生産動態統計年報
https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/seidou/result/ichiran/08_seidou.html#menu9
輸出,輸入は財務省貿易統計。コードは4818.10
https://www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm?M=29&P=0

2020年2月23日日曜日

日本災害医学会理事会の「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」によせて

 私たちは勝手だ。社会の中で生きているのに,自分の好き勝手に生きたいと思う。いずれは死ぬと決まっているのに,死にたくないと思う。できっこないことを一番大事だと決めつけて,一番大事なことだから何をさておいても主張していいのだと思考を停止する。そんな私たちだから,私たちを守ってくれる人のことを理解せずに,石を投げ,差別する。勝手な私たちを,それでも守ってくれる人なのだと気がつかずに。

 鏡を見よう。自分が何をしているのかを考えよう。

「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」日本災害医学会理事会,2020年2月22日。

2020年2月14日金曜日

日本製鉄の設備集約について

日本製鉄は厳しい設備集約に乗り出した(※1)。高炉を一度に4基も休止するのは1980年代の円高不況期以来のことではないか。対象となる製鉄所の製銑・製鋼設備を見ておくと以下の通り。*が休止する設備。確かに稼働率が悪いことがわかる。
 日鉄和歌山製鉄所について追加コメントすると,この製鉄所は製鋼工程以降は大きくはビレット連鋳→継目無鋼管造管と,スラブ連鋳→他の製鉄所へ供給,中鴻鋼鉄(台湾)に外販,というルートに分かれる。今回,第1高炉を休止すると生産量は半分になるわけだが,どちらの生産量を減らすかという問題がある。スラブ連続鋳造機を1ストランド休止するということなので,おそらくスラブを中国鋼鉄に外販する部分を減らすのではないか。
 2000年代前半にホット・ストリップ・ミルを閉鎖し,スラブは中国鋼鉄(台湾)グループの中鴻鋼鉄に外販する契約を結んでいた。あわせて,高炉を持株会社東アジア連合鋼鉄の下に移し,そこに中国鋼鉄が出資する形としていた(※2)。ところが2018年に高炉は新日鉄住金に統合され,中国鋼鉄は東アジア連合鋼鉄の持ち株比率を30%から20%に縮小するという報道がある(※3)。和歌山からスラブを台湾に送るスキームを縮小するのではないだろうか。
 呉製鉄所については,関連会社を含めて3300人の雇用が影響を受ける(※4)。日本の高炉メーカーは,ある時期までは各社単独での「終身雇用」維持を図ったが,1980年代は出向先,1994年代は転籍先を含む「継続雇用」は守るという姿勢に変わり,労働組合もそれに合意して来た(※5)。しかし,一貫製鉄所を丸ごと閉鎖するというのは,地域当たりで見ればこれまでにない大掛かりな設備縮小である。はたしてこれまでの雇用政策で臨むことができるのだろうか。そして,会社との協調姿勢を保ってきた労働組合はどうするのだろうか。

日鉄日新製鋼呉製鉄所
*第1高炉2650m3(1995年4月改修稼働)
*第2高炉2080m3(2003年11月改修稼働)

*転炉90t(1965年4月稼働)
*転炉90t(1966年11月稼働)
*転炉185t(1979年12月稼働)

生産能力推計:銑鉄345万トン(出銑比2,365日操業)。粗鋼383万トン(銑鉄比90%)

粗鋼生産実績()内は推定稼働率
2018年度279万トン(73%)
2017年度248万トン(65%)
2016年度360万トン(94%)

日本製鉄和歌山製鉄所
*第1高炉3700m3(2009年7月稼働)
第2高炉3700m3(2019年2月稼働)

転炉260t
転炉260t
転炉260t
電炉80t

生産能力推計:銑鉄540万トン,粗鋼652万トン(転炉の銑鉄比90%,電炉はスクラップ100%,1日25チャージ,261日操業とした)。

粗鋼生産実績
2018年度432万トン(66%)
2017年度456万トン(70%)
2016年度446万トン(68%)

日本製鉄八幡製鉄所(小倉地区)
*第2高炉2150m3(2002年4月改修稼働)

*転炉70t
*転炉70t
*転炉70t
*転炉70t

生産能力推計:銑鉄157万トン,粗鋼174万トン

粗鋼生産実績
2018年度118万トン(68%)
2017年度120万トン(69%)
2016年度121万トン(70%)

出所)設備規模は『日鉄ファクトブック』,『日鉄日新製鋼ガイドブック』。生産量は呉は『鉄鋼年鑑』の日新製鋼生産高を呉のものとみなした。日鉄は『日鉄ファクトブック』各年版より。能力と稼働率は川端推計。

※1「生産設備構造対策と経営ソフト刷新施策の実施について」日本製鐵プレスリリース,2020年2月7日。
https://www.nipponsteel.com/common/secure/news/20200207_700.pdf


※2 川端望(2005)『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』ミネルヴァ書房,pp. 126-127。

※3 中鋼出售日本東亞聯合鋼鐵公司股權,總交易金額為新台幣9.33億元,中時電子報,2019年11月11日
https://www.chinatimes.com/realtimenews/20191111002712-260410?chdtv

※4「呉製鉄所 全面閉鎖の衝撃~冬の時代に入った鉄鋼業界~」NHK NEWS WEB,2020年2月10日。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200210/k10012279851000.html

※5 川端望(2017)「日本鉄鋼業の過剰能力削減における政府の役割」TERG Discussion Paper, No. 371, pp.12-14。
http://hdl.handle.net/10097/00121018

2020年2月6日木曜日

クレイトン・クリステンセン教授の逝去によせて

 クレイトン・クリステンセン教授が亡くなられた。私は彼の破壊的イノベーション理論に気づくのが遅れ,2010年代になってから慌てて学部ゼミの教科書に採用して学んだ。記録によると2014年度第1学期に『イノベーションへの解』,2018年度第1学期に『イノベーションの最終解』と「日本は「イノベーションのジレンマ」を超えられるか」,それに「資本家のジレンマ」,第2学期にThe power of market creationを輪読している。おかげで自分の考えも随分と変わったと思う。とくに日本の産業政策における既存大企業優先策の問題点と,発展途上国における地場企業の台頭の可能性と意義については,クリステンセンを学ぶことなしに考えを深めることはできなかったろう。どうか安らかにお休みください。

 Harvard Business Reviewは同誌掲載の論稿を紹介しているが,私はこの他にBOPの市場開拓を破壊的イノベーション論で基礎づけたHart and Christensen (2002)と,低成長に陥った先進国資本主義の限界そのものに迫ったChristensen and Bever (2014)が,重要な社会的意義を持つと思う。

The Editors, The Essential Clayton Christensen Articles, Harvard Business Review Website, January 24, 2020.
https://hbr.org/2020/01/the-essential-clayton-christensen-articles

Hart, Stuart L. and Christensen, Clayton M. (2002). The great leap: Driving innovation from the base of the pyramid, MIT Sloan Management Review, 44(1), Fall.
https://sloanreview.mit.edu/article/the-great-leap-driving-innovation-from-the-base-of-the-pyramid/

Christensen, Clayton and Bever, Derek van (2014). The Capitalist’s Dilemma, Harvard Business Review, June.
https://hbr.org/2014/06/the-capitalists-dilemma


2020年1月24日金曜日

2019年の中国鉄鋼業の状況と,能力置換プロジェクト公告・登録の停止通知について

 1月22日,国家発展改革委員会は「鋼鉄行業2019年運行情況」を公表した。それによると,2019年の中国銑鉄生産は8億937万トン(前年比5.3%増),粗鋼生産は9億9634万トン(同8.3%増),鋼材生産は12億477万トン(同9.8%増)であった。鋼材は重複計算を含むので,実際は10億トン程度であろう。鋼材輸出は6429万3000トン(前年比7.3%減),輸入は1230万4000トン(同6.5%減)であった。
 粗鋼の方が銑鉄より前年比の増加率が高い。これは,製鋼工程での原料における銑鉄比率が低まり,鉄スクラップ比率が高まったことを意味する。鋼材生産の伸び,輸出の減少,輸入の減少から内需の増減を計算すると,単純計算で1億390万6000トンの内需拡大があったことになる。米中貿易摩擦やそれと関連した景気の減速にもかかわらず,鉄鋼生産は好調であり,貿易摩擦激化につながる輸出増は起こらなかったのだ。
 ただし,企業間競争が激しいことも読み取れる。鋼鉄工業協会会員企業の売り上げは10.1%伸びたが,利潤は30.9%も減少し,売上高利潤率は4.43%と,前年比で2.63パーセントポイント下降した。
 翌23日,国家発展改革委員会弁公庁と工業和信息化部弁公庁は,「関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知」(発改電〔2020〕19号)を公表した。この通知は,1)鉄鋼生産能力置換方策の公告とプロジェクト登録の暫定的停止,2)現在の鉄鋼生産能力置換プロジェクトの自主検査を指示している。産業発展司によるその解説では,a)粗鋼生産が記録的な水準に達し,需給不均衡を引き起こす可能性があること,b)一部の能力が集中的に投資されるために需給バランスが崩れるリスクが高くなること,c)能力移転の科学的論証が不十分であり,地域の産業構造や環境の許容量や省エネ・汚染物質排出削減の観点から見て,構造調整の所定の結果を達成するのが難しいことを指摘している。
 この通知は重要な意味を持つ。中国政府は鉄鋼業の過剰能力を抑制するために,2016-2018年の3年間に,旧式・小型設備を中心に粗鋼生産能力を閉鎖させた。そしてそれと同時に「能力置換」政策を実施した。これは,閉鎖する設備と新設する設備を共に明示し,後者の製銑・製鋼能力が前者と同等か下回る場合にのみ設備投資を認めるというものであった。政策が文字通りに運用されれば,製銑・製鋼能力は中国全体として増えることなく,現代化されるはずであった。しかし,これまでも政策運用上のエラーや例外的措置によって,減量置換の原則を潜り抜けてしまった能力が存在すると推定されていた。私は,2016-2018年の能力削減実績が,政府によれば1.55億トンであるのに,同じ政府の公式統計を時系列で見ると1億トンにしかならないことの原因の一部は,ここにあったと推定してきた。そして今,能力置換が想定通りの効果を上げないおそれがあることを,政府自身が認めるに至ったのである。

国家発展和改革委員会「鋼鉄行業2019年運行情況」2020年1月22日。
https://www.ndrc.gov.cn/fggz/cyfz/zcyfz/202001/t20200122_1219726.html
国家発展改革委員会弁公庁・工業和信息化部弁公庁「関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知」発改電〔2020〕19号,2020年1月23日。
https://www.ndrc.gov.cn/xxgk/zcfb/tz/202001/t20200123_1219768.html
国家発展改革委員会産業発展司「深化供给側結構性改革 促進鋼鉄行業高質量発展——《関于完善鋼鉄産能置換和項目備案工作的通知》解読」2020年1月23日。
https://www.ndrc.gov.cn/xxgk/jd/jd/202001/t20200123_1219770.html


※川端望(2019)「中国鉄鋼業の生産能力と能力削減実績の推計―公式発表の解釈と補正―」TERG Discussion Paper, 414, pp.1-8, November。
http://hdl.handle.net/10097/00126428


牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者』中央公論新社,2020年を読んで

牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者』(中央公論新社,2020年)読了。本書は「個々の経済学者が自身の経済学研究に基づいて主張した思想や行動が,現在の視点から見て当時の日本社会や経済学の動きのなかでどのような役割を果てしており,最終的にはどのような形で総力戦体制に取り込まれざるを得なかったか」(まえがき)を論じている。2010年に刊行された旧版を,著者のその後の研究の進展を踏まえて改訂したものである。

 登場するのは河上肇と有沢広巳を除くと非マルクス経済学者であり,柴田敬,山本勝市,大熊信行,難波田春夫,高田保馬,荒木光太郎,中山伊知郎,安井琢磨といった顔ぶれである。戦時下のマルクス・元マルクス経済学者を論じた本として長岡新吉『日本資本主義論争の群像』ミネルヴァ書房,1984年があるが,異なる問題意識から書かれたとは言え,同書と本書には重要な補完関係があるように私には思える。同一時代の経済学者の生き方を論じたマル経版,近経版として併読する価値があるようにも思えた。なお,「近代経済学」という言い方がなぜ日本に定着したかも本書の一つのテーマである。

 本書にはいくつかのストーリーがあり,どれに深い印象を受けるかは読者の問題関心による。私の場合,読んでいてまったく昔のことと思われなかったのは,戦時下での経済学のイデオロギー化である。具体的には,一般均衡理論の紹介者であり戦時下でも経済学は経済学として存立するとした中山伊知郎らの「純粋経済学」と,国家が政治的な力を以て財や労働の配分を行うという大熊信行らの「政治経済学」や,日本の後発的な経済発展は「国体」に包摂されて共同関係となることで支えられるという難波田春夫らの「日本経済学」の対立のところだ。後二者には具体的内容がないので,今となっては純学問的には中山らの方に分がある。ところが戦時体制下では,経済政策を学問的に論じようとしても,どちらが戦時体制に貢献しており,どちらが敵対していて怪しからんかという文脈から離れられなかった。だから瀧川事件や天皇機関説事件で知識人を攻撃していた右翼中の右翼のはずの蓑田胸喜が,中山を擁護して新体制運動を批判するということも起こった。「資本主義原理の変革を伴う経済統制を主張するにしろ,市場の重視を訴えるにしろ,何を言っても『マルクス主義者』『アカ』そうでなければ『自由主義者』『資本主義擁護者』として批判されるというダブルバインド状態が生じることになった」(158ページ)。何を言っても政治的レッテルの応酬になるというこの光景は,戦後も今に至るまでも,社会科学者におなじみのものである。「あとがき」で著者が述べるように,「研究をしていくなかで実感したことは,人間がその時代の制度や支配的な思想から逃れることがいかに難しいかということである。自身が普遍的な立場に立っているつもりで発言しても,また心の底から善意で行動していても,それが結局のところ特定の制度や思想を支える役割を果たすことになってしまう」のだ。

 本書は,この困難を投げかけて終わっている。では,どうしたらよいのだろうか。私自身にも正直,解らない。少なくとも経済学者は,学問は学問として政治的な都合を離れて追求することを任務としつつ,それでも自分たちが社会に埋め込まれ,何かを促進したり抑制したりしていることに自覚的でなければならないだろう。

著者のもう一つの著作『経済学者たちの日米開戦:幻の『秋丸機関報告書』の謎を解く』への感想はこちら。私はこちらを先に読んだが,本書新版の方が説得力が高いと思う。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/01/2018.html

牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』新潮社,2018年を読んで

 牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』新潮社,2018年。日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した「幻の報告書」が握りつぶされたのが問題だという,先行研究の捉え方を覆し,むしろ握りつぶされずに正確な情報が伝わったのに開戦阻止につながらなかった,いや開戦を後押しさえしたかもしれないという逆説を主張した本である。この逆説はたいへん面白かった。

 これは「経済学者の合理的判断をちゃんと聞けばよいのに,聞かないからおかしなことになる」という,現代の経済学者が大好きなストーリーでは,秋丸機関報告書の問題は解釈できないということである(そもそもこうしたストーリーは,<私は合理的で冷静だ。でも,政治家や軍人は違うんだよなあ>という暗黙の前提に立っており,あまり信用してよいものではない)。さらに,学者は,ハイ・コンテキストな状況に対して,どう発言するべきなのかという問題提起を含んでいる。中立的な発言が特定方向の決定を後押しする,はなはだしくは,ある行為に対する否定的見解が,むしろその行為を決意させる(自己破壊する予言)ような状況にどう立ち向かうべきなのかという問題だ。

 ただ,後半の,それでも開戦に踏み切ったという理由の説明のところで,個人の選択に関する抽象的なモデルで推論してしまっているところが残念だった。1)開戦が決定されるのは集団の力学の中でだと考えた方が妥当であり,個人の意思決定モデルから推論することは適当とは言えないのではないかという点と,2)歴史書として書くならば,開戦の意思決定も理論モデルではなく,それを歴史的な過程に即して実証すべきではないかという点に,疑問が残った。本書の結論自体が,ハイ・コンテキストな問題を経済学の理論で切り取れる範囲で評価することの問題を示しているように思えるのだ。

2019年7月2日 Facebook投稿。
2020年1月23日 一部改訂してBlogger掲載。



大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...