牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』新潮社,2018年。日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した「幻の報告書」が握りつぶされたのが問題だという,先行研究の捉え方を覆し,むしろ握りつぶされずに正確な情報が伝わったのに開戦阻止につながらなかった,いや開戦を後押しさえしたかもしれないという逆説を主張した本である。この逆説はたいへん面白かった。
これは「経済学者の合理的判断をちゃんと聞けばよいのに,聞かないからおかしなことになる」という,現代の経済学者が大好きなストーリーでは,秋丸機関報告書の問題は解釈できないということである(そもそもこうしたストーリーは,<私は合理的で冷静だ。でも,政治家や軍人は違うんだよなあ>という暗黙の前提に立っており,あまり信用してよいものではない)。さらに,学者は,ハイ・コンテキストな状況に対して,どう発言するべきなのかという問題提起を含んでいる。中立的な発言が特定方向の決定を後押しする,はなはだしくは,ある行為に対する否定的見解が,むしろその行為を決意させる(自己破壊する予言)ような状況にどう立ち向かうべきなのかという問題だ。
ただ,後半の,それでも開戦に踏み切ったという理由の説明のところで,個人の選択に関する抽象的なモデルで推論してしまっているところが残念だった。1)開戦が決定されるのは集団の力学の中でだと考えた方が妥当であり,個人の意思決定モデルから推論することは適当とは言えないのではないかという点と,2)歴史書として書くならば,開戦の意思決定も理論モデルではなく,それを歴史的な過程に即して実証すべきではないかという点に,疑問が残った。本書の結論自体が,ハイ・コンテキストな問題を経済学の理論で切り取れる範囲で評価することの問題を示しているように思えるのだ。
2019年7月2日 Facebook投稿。
2020年1月23日 一部改訂してBlogger掲載。
川端望のブログです。経済,経営,社会全般についてのノートを発信します。専攻は産業発展論。研究対象はアジアの鉄鋼業を中心としています。学部向け講義は日本経済を担当。唐突に,特撮映画・ドラマやアニメについて書くこともあります。
フォロワー
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか
2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。 会田...
-
山本太郎氏の2年前のアベマプライムでの発言を支持者がシェアし,それを米山隆一氏が批判し,それを山本氏の支持者が批判し,米山氏が応答するという形で,Xで議論がなされている。しかし,米山氏への批判と米山氏の応答を読む限り,噛み合っているとは言えない。 この話は,財政を通貨供給シ...
-
文部科学省が公表した2022年度学校基本調査(速報値)によれば,2022年度に大学院博士課程に在籍する学生数は7万5267人で,2年連続で減少したとのこと。減少数は28人に過ぎないのだが,学部は6722人,修士課程は3696人増えたのと対比すると,やはり博士課程の不人気は目立...
-
「その昔(昭和30年代)、当時神戸で急成長していたスーパーのダイエーが、あまりに客が来すぎて会計時の釣銭(1円玉)が用意できない事態となり、やむなく私製の「1円金券」を作って釣銭の代わりにお客に渡したところ、その金券が神戸市内で大量に流通しすぎて」云々というわけで,貨幣とは信用...
0 件のコメント:
コメントを投稿