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2020年1月6日月曜日

井上智洋『MMT 現代貨幣理論とは何か』講談社,2019年を読んで

 本書は,MMTの経済学的な主張をなるべくわかりやすい形で考察しようという本であり,日本経済の現状分析やMMT派の政策宣伝,またMMT派や否定派の双方にありがちな論敵への批判を重点に置いた本ではない。その点では,MMTを冷静に理論的に考えることに向いている。私もそういうものとしてMMTと本書の主張を経済学的に考えたい。
 著者はMMTに全面的に賛同しているわけではない。第1章でMMTの提起する論点を3つ挙げ,「(1)財政的な予算制約はない」に賛同し,「(2)金融政策は有効ではない(不安定である)」に保留し,「(3)雇用保障プログラム(JGP)を導入すべし」には反対で(25-28ページ),むしろベーシック・インカム(BI)を支持している。
 第1章から第3章までは,MMTの貨幣論の基礎的解説で,他の解説本と変わりはなく,大まかにはコメントすべきことはない。しかし,もちろん解説書としてこれらの章には意義がある。実は,通貨発行権を持つ国家は自国通貨建て債務についてデフォルトすることはないという基本論点は,専門家レベルでは主流派経済学者も財務省公式見解も含めて議論の余地がない(19-20ページ)。しかし,直感に反するため一般的にはなかなか理解されにくく,すべてのMMT解説本は繰り返し説明しなければならない。大儀なことであるがやむを得ないだろう。
 第4章では,著者は金利政策によってインフレ率をコントロールできるかという問題を立てて,あれこれ考察した末に保留している。著者は右下がりの貨幣需要曲線が存在するかどうかを「右下がりのグラフがおよそ安定的に成り立つと考えています。ただ,MMTの主張を頭ごなしに否定しているわけではなく,実証分析の結果をよく精査して判断すべき問題と思っています」という(91ページ)。しかし,私はこの姿勢に疑問である。著者は本章でミンスキーモデルを紹介し,またなぜかこの章ではないところでアニマル・スピリッツと流動性選好の作用に肯定的であり,さらにキーストロークによって通貨の創造が可能であることを認めている。つまり,投機的な需要は利子率の動きに左右されず,実質利子率は流動性選好に左右されて不安定になり,アニマル・スピリッツに左右されて投資の意思決定は不確実であり,利子率は貯蓄と投資を裁定するのではないことを認めている。なのに,金利が下がれば貨幣需要は増えるという関係の安定性を首肯するところは納得しがたい。
 第5章ではJGP,すなわち政府が「最後の雇用者」として希望者全員を一定の賃金で雇用することによって完全雇用を実現するというMMTの政策提言について論評している。著者は,「最大の問題点は,政府が雇用した労働者に何をさせるかということにあるでしょう」(115ページ)とし,それがプロフェッショナリティを必要としない仕事であるならばそのような仕事がそんなにあるのかと問いかけている。そして,無駄な仕事をさせることになりかねないので,それよりはBIを実現して,多くの人々が労働する必要がなくなる「脱労働社会」を実現することを推奨している。私は,著者のJGP批判は,政府が適切な職務を適材適所で割り振れるのかという,いわゆる「政府の能力」問題の指摘として一理あると思う。しかし逆に,BIを実行した場合に,購買力だけが肥大化して必要な財・サービスが不足するディマンド・プル・インフレ,あるいはボトルネック・インフレ(それはコスト・プッシュインフレの形をとる),さらに経常収支赤字の拡大を招かないかという疑問を持つ。またもう一つ,現代社会には医療や介護や教育や科学研究や技術開発や環境保全のように,実物やサービスの給付や市場メカニズムだけでは保証されない領域があり,それらはたとえ「政府の能力」問題があろうとも,公共セクターの雇用を拡大し,公共サービスを供給しなければ対処できないと思える。どうもこの章を読んでいると,著者は現代資本主義の問題を<仕事の機械化が進み,財もサービスも十分あふれていて,専門性の高い仕事以外は人間にはやりようがない>という風にとらえているように思えてくる(未読だが,あるいは著者の別の著作『純粋機械化経済』はそう言っているのだろうか)。しかし私は,<なすべき仕事がなされないままに,人は失業し,機械や物資は遊休している>という資本主義観に立つ方が有効ではないかと思う。私はJGPを肯定してBIを否定するわけではない。初歩的BIとしての負の所得税なら実行しやすいできるのではないかと思っているし,JGPにはミスマッチや専門家不足という問題もあると思う。しかし,だからといって著者のようにBIをJGPよりよしとする考えには強い疑問を持つ。
 第6章は,なぜか再び「政府が永遠に借金し続けることは可能だろうか」(126ページ)という問題に戻り,経済理論的な考察によってこれに回答している。著者は,たとえ主流派経済学を基礎にした「貨幣的成長モデル」にしたがっても,経済の実質成長率に対応して貨幣成長率を維持しないとデフレになることを確認する。ということは,中央銀行と政府を一括して統合政府とみなし,貨幣が政府債務であることを認める限り,経済成長とともに政府債務は増えざるを得ないのであって,これは主流派経済学でもMMTでもかわらないのだという。おそらく著者は,これが相当うまい理論的サーカスだと考え,財政赤字タカ派論はもとより赤字ハト派論,つまり「短期には赤字があってよいが長い目で見るとしても均衡財政は必要だ」論に対する反論,あるいはそれらへの説得として巻末に置いたのだろう。主流派経済学でもMMTに準じることを言っているのと同じではないか,というのである。しかし私は,著者はかなり急所を突いているが,赤字タカ派や赤字ハト派,つまりは短期・長期の均衡財政論を覆すには十分ではないと思う。なぜなら,財政均衡論は通貨の債務性を実質的に認めていない場合がほとんどだからだ。学問的なものであれ通俗的なものであれ,財政均衡論は国債は政府債務だと考えて重視するのだが,中央銀行当座預金や中央銀行券がいくら増えても債務の増大として問題にしない。そして,こうした態度の学問的裏付けとして,貨幣は実質的には信用貨幣(債務)ではなく価値シンボルだとし,政府は価値シンボルを何らかのヘリコプターマネーで供給し,強制通用力で通用させていると主張するのである。だから財政均衡論者は著者に説得されず,<通貨は債務ではないのだから,通貨を増大させる必要性と政府債務増大の必要性は関係ない>と言い張るだろう。
 しかし,私は,著者は問題の所在は突き止めたとも思う。財政均衡論は,通貨=債務という信用貨幣論を拒否することで,通貨の増大=政府債務の増大という現実を否認している。よってこの誤りをただすには,通貨=債務という信用貨幣論の承認がどうしても必要なのである。MMTは信用貨幣論という貨幣論をとるからこそ,政府債務増大が自然なことだと主張できるのである。本書末尾に置かれたこの章は,的の中心を射抜かなかったものの,MMTがどのような的を射抜くべきか,どうしてMMTは弓の引き手にふさわしいのかを示す思考の踏み台としては,よい位置に置かれていたと,私は思う。
 以上のように,本書は,私自身が賛成できる部分もできない部分も含め,MMTをめぐる論争に一石を投じるものと言える。読者が,著者や互いの政治的立場性や学問的正統性を性急に問うのではなく,本書を材料に経済学的な討論を深めることが望まれる。

井上智洋(2019)『MMT 現代貨幣理論とは何か』講談社。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000327823


3 件のコメント:

  1. チャンネルくららで「今こそヘリコプターマネー」とか言ってるみたいですね。
    https://www.youtube.com/watch?v=L4GvkzF-xvM

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  2. 「ヘリコプターマネー」という言葉は言う人によって意味が違うので,かみ合わない議論になる危険が高いと思っています。なので,私は使わないようにしております。

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  3. ただ,現在のCOVID-19の流行による経済停滞に対する緊急措置として,生活防衛,休業補償,中小企業救済のために現金給付を増やすことは必要だと私は考えております。

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