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2020年1月24日金曜日

牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者』中央公論新社,2020年を読んで

牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者』(中央公論新社,2020年)読了。本書は「個々の経済学者が自身の経済学研究に基づいて主張した思想や行動が,現在の視点から見て当時の日本社会や経済学の動きのなかでどのような役割を果てしており,最終的にはどのような形で総力戦体制に取り込まれざるを得なかったか」(まえがき)を論じている。2010年に刊行された旧版を,著者のその後の研究の進展を踏まえて改訂したものである。

 登場するのは河上肇と有沢広巳を除くと非マルクス経済学者であり,柴田敬,山本勝市,大熊信行,難波田春夫,高田保馬,荒木光太郎,中山伊知郎,安井琢磨といった顔ぶれである。戦時下のマルクス・元マルクス経済学者を論じた本として長岡新吉『日本資本主義論争の群像』ミネルヴァ書房,1984年があるが,異なる問題意識から書かれたとは言え,同書と本書には重要な補完関係があるように私には思える。同一時代の経済学者の生き方を論じたマル経版,近経版として併読する価値があるようにも思えた。なお,「近代経済学」という言い方がなぜ日本に定着したかも本書の一つのテーマである。

 本書にはいくつかのストーリーがあり,どれに深い印象を受けるかは読者の問題関心による。私の場合,読んでいてまったく昔のことと思われなかったのは,戦時下での経済学のイデオロギー化である。具体的には,一般均衡理論の紹介者であり戦時下でも経済学は経済学として存立するとした中山伊知郎らの「純粋経済学」と,国家が政治的な力を以て財や労働の配分を行うという大熊信行らの「政治経済学」や,日本の後発的な経済発展は「国体」に包摂されて共同関係となることで支えられるという難波田春夫らの「日本経済学」の対立のところだ。後二者には具体的内容がないので,今となっては純学問的には中山らの方に分がある。ところが戦時体制下では,経済政策を学問的に論じようとしても,どちらが戦時体制に貢献しており,どちらが敵対していて怪しからんかという文脈から離れられなかった。だから瀧川事件や天皇機関説事件で知識人を攻撃していた右翼中の右翼のはずの蓑田胸喜が,中山を擁護して新体制運動を批判するということも起こった。「資本主義原理の変革を伴う経済統制を主張するにしろ,市場の重視を訴えるにしろ,何を言っても『マルクス主義者』『アカ』そうでなければ『自由主義者』『資本主義擁護者』として批判されるというダブルバインド状態が生じることになった」(158ページ)。何を言っても政治的レッテルの応酬になるというこの光景は,戦後も今に至るまでも,社会科学者におなじみのものである。「あとがき」で著者が述べるように,「研究をしていくなかで実感したことは,人間がその時代の制度や支配的な思想から逃れることがいかに難しいかということである。自身が普遍的な立場に立っているつもりで発言しても,また心の底から善意で行動していても,それが結局のところ特定の制度や思想を支える役割を果たすことになってしまう」のだ。

 本書は,この困難を投げかけて終わっている。では,どうしたらよいのだろうか。私自身にも正直,解らない。少なくとも経済学者は,学問は学問として政治的な都合を離れて追求することを任務としつつ,それでも自分たちが社会に埋め込まれ,何かを促進したり抑制したりしていることに自覚的でなければならないだろう。

著者のもう一つの著作『経済学者たちの日米開戦:幻の『秋丸機関報告書』の謎を解く』への感想はこちら。私はこちらを先に読んだが,本書新版の方が説得力が高いと思う。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/01/2018.html

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