法務省が,日本の大学を卒業した留学生が就職できる範囲を広げ,日本語能力がN1に達しているのであれば,接客業や小売業でも認めるという報道がありました。
以前に書きましたように(1,2),私はホワイトカラー業務や専門職への就職制限を緩和することには賛成ですが,ブルーカラー業務への就職制限を緩和することには反対です。今回も,接客業や小売業のホワイトカラー職(例:コンビニの購買担当業務やシステム開発業務)への就職ならばいいですが,コンビニの店員,居酒屋の店員への就職を含むならば反対です(私の言うブルーカラー職は現場での肉体労働による販売労働を含みます)。
留学生が卒業してブルーカラー業務に就く可能性を閉ざせと言っているのではありません。そのような場合は,「特定技能」の資格に応募しなおす仕組みとすべきです。そして,「特定技能」の対象に接客業や小売業を含めた上で,それらの語学能力要件をN1にすればよいのです(「特定技能」全般についてはN4でなくN3にすべきです)。そうして,「特定技能」の受け入れ総数を管理します。それだけのことです。今回の政策には,そういう適切な制度設計をせずに,手っ取り早く人手不足を解消したいという安直な姿勢が見えます。このようなことを,法改正なしに法務省の告示だけで行うなどとんでもないことです。
この政策ではなぜまずいかを説明します。何よりも,留学生に日本語能力だけを身に付けさせてブルーカラー業務に就職させるというルートを念頭に置いて,教育体制も整っていないのに留学生の大量獲得を目指すというモラル・ハザードが,一部の大学に発生するおそれがあるからです。東京福祉大学事件を念頭に置くならば,これは決して杞憂ではないでしょう。留学生を対象とする高等教育を形骸化させる危険があります。
もうひとつは,人数に制限がないからです。「特定技能」の人数管理もあまり適切に行われているとは言えませんが,一応,ぼんやりとした総枠はあります。しかし,「特定活動」には全く総枠はありません。日本の労働市場の状態と関係なく外国人労働者の参入を認めるのは,適切ではありません。景気の状態によって,日本の高卒の若者との競合を招きかねません。
外国人労働者を適切に受け入れることは必要です。同時に,留学生に対する高等教育の質を向上させるために,必要な工夫をすべきです。安易な政策は,日本の高等教育の効果をそぎ,質の低い職を外国人大卒者におしつけることになりかねません。
「専門外の接客業OKに 法務省、留学生の就職先を拡大」朝日新聞デジタル,2019年5月28日。
https://www.asahi.com/articles/ASM5X3TKYM5XUTIL026.html
出入国在留管理庁「留学生の就職支援のための法務省告示の改正について」2019年5月28日。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00210.htm
前稿
「留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年10月22日。
「続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年11月3日。
参考
「東京福祉大学問題から見える,歯止めなきトップダウンのダメさ加減」Ka-Bataブログ,2019年4月13日。
濱口桂一郎「留学生の就職も「入社型」に?」hamachanブログ(EU労働政策雑記帳),2018年10月25日。
濱口桂一郎「ジョブ型入管政策の敗北」hamachanブログ(EU労働政策雑記帳),2019年5月29日。
川端望のブログです。経済,経営,社会全般についてのノートを発信します。専攻は産業発展論。研究対象はアジアの鉄鋼業を中心としています。学部向け講義は日本経済を担当。唐突に,特撮映画・ドラマやアニメについて書くこともあります。
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2019年5月29日水曜日
2019年5月25日土曜日
リンク集:年俸制適用拡大をはじめとする国立大学法人等人事給与マネジメント改革について
久しぶりに組合サイドのセミナーをしなければならず,国立大学教員への年俸制適用拡大について調べる。意外と,金額的に直ちに響くのは最後の社会保険料のところだったりするので注意。
「統合イノベーション戦略」閣議決定,2018年6月15日。
https://www8.cao.go.jp/cstp/tougosenryaku/tougo_honbun.pdf
「人事給与マネジメント改革の動向及び今後の方向性」文部科学省 高等教育局 国立大学法人支援課,中央教育審議会大学分科会制度・教育改革ワーキンググループ(第17回) 配付資料,2018年7月31日。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/043/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/08/03/1407795_5.pdf
「人事給与マネジメント改革に関する Q&A(ver.2.1)」2018年9月12日。
https://ha4.seikyou.ne.jp/home/kumiai/18/QandA2-1.pdf
「国立大学の教育研究活性化を促進する人事給与マネジメント改革に関する基本的な考え方について―特に業績評価と新しい給与システムの在り方について―」一般社団法人国立大学協会,2018年11月2日。
https://www.janu.jp/news/files/20181102-wnew-HR-Payroll.pdf
「厳格な業績評価に基づく新たな年俸制」エルムの森だより:北海道大学教職員組合執行委員会ブログ,2018年11月8日。
http://elm-mori.hatenablog.com/entry/2018/11/08/143653
「国立大学法人等人事給与マネジメント改革に関するガイドライン~教育研究力の向上に資する魅力ある人事給与マネジメントの構築に向けて~」文部科学省大臣官房人事課・高等教育局国立大学法人支援課・研究振興局学術機関課,2019年2月25日。 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/11/1289344_001.pdf シニアガイド編集部「『年俸制は毎月均等の金額で受け取った方が得』は本当か!?」シニアガイド,株式会社インプレス,2016年2月23日。 https://seniorguide.jp/article/1001686.html 深田俊彦「相談室Q&A 年俸制を適用することによって,社会保険料の支払いに何か違いが生じるのか」『労政時報』第3912号,2016年7月8日。 https://www.ohno-jimusho.co.jp/news/pdf/news20160729_2.pdf
「国立大学法人等人事給与マネジメント改革に関するガイドライン~教育研究力の向上に資する魅力ある人事給与マネジメントの構築に向けて~」文部科学省大臣官房人事課・高等教育局国立大学法人支援課・研究振興局学術機関課,2019年2月25日。 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/11/1289344_001.pdf シニアガイド編集部「『年俸制は毎月均等の金額で受け取った方が得』は本当か!?」シニアガイド,株式会社インプレス,2016年2月23日。 https://seniorguide.jp/article/1001686.html 深田俊彦「相談室Q&A 年俸制を適用することによって,社会保険料の支払いに何か違いが生じるのか」『労政時報』第3912号,2016年7月8日。 https://www.ohno-jimusho.co.jp/news/pdf/news20160729_2.pdf
対中関税引き上げとは,アメリカ政府がアメリカ国内の企業と労働者と消費者を苦めることだ
米中の関税引き上げ合戦でどっちが勝つかなどと考えるのは非常識で,問題の立て方がおかしい。アメリカが関税を引き上げれば中国からの輸入品が高くなり,代わりに別の国から輸入することにしても,以前よりは輸入価格は上がってしまう。丸損するのはアメリカの消費者である。消費が落ち込めば,輸入品を使って製造や販売をする企業も困る。利益が増大するのは,関税引き上げのおかげで国内生産を増大させられる分野の企業だけである。また,そうした産業では雇用も維持される。しかし,その分だけ,本来アメリカに優位のある産業の拡大は妨げられ,雇用は増えなくなる。所得と雇用に与えるトータルの効果は,特別な条件がなければマイナスである。
つまり,自国政府が自国内の企業と労働者と消費者を苦めるだけのことだ。
私は,具体的な条件の下で様々な修正が必要であるとしても,自由貿易の効用と保護主義の弊害に関する,この基本ロジックは支持する。
「アングル:米国の対中追加関税、自国企業に与える影響」ロイター,2019年5月25日。
つまり,自国政府が自国内の企業と労働者と消費者を苦めるだけのことだ。
私は,具体的な条件の下で様々な修正が必要であるとしても,自由貿易の効用と保護主義の弊害に関する,この基本ロジックは支持する。
「アングル:米国の対中追加関税、自国企業に与える影響」ロイター,2019年5月25日。
2019年5月15日水曜日
「(仮称)仙台市将来にわたる責任ある財政運営の推進に関する条例」案に対する意見
2019年5月10日,以下の意見を仙台市議会事務局長に提出しました。
ーーー
市政の充実のために奮闘する市議会の皆様に敬意を表します。「(仮称)仙台市将来にわたる責任ある財政運営の推進に関する条例」案について,大変興味深く拝見いたしました。以下のように意見を提出いたします。
<二つの考え方>
1.政府・自治体の財政は家計や企業ではありません。財政は,その政府単位の住民の生活のために,営利事業での供給に向かない財・サービスを供給するために存在します。その費用は住民が一定の基準のもとに分かち合います。財政は営利事業ではありませんから,黒字を大きくすることが目的ではなく,住民の福祉向上が目的です。そこに必要な経済原理は「収入マイナス支出の黒字が大きくなるようにすること」ではなく,「住民のためにやるべき仕事を,なるべく少ないお金で効率的に行うこと」です。ここで大事なのは,「やるべき仕事」の方に重点があって,そのためにお金を集めて効率的に働くべきなのであって,「やるべき仕事」を放棄することでコスト削減と効率化を進めても意味がないということです。
2.地方財政は,国の財政に影響される存在です。国の制度・政策によって,地方に十分な財源が与えられていなければ,地方自治を発展させられません。例えば,地方交付税の制度と規模について,地方自治体は政府に対して適切な意見を述べ,要望をする必要があります。
以上の二つの観点から見て,この条例案の以下の点に改善の余地があると思い,各項目について修正案を提案するものです。
<提案>
*前文の最初の2段落が,今後の財政を引き締め方向で運用することを前提にしています。これは適切ではありません。人口減少・高齢社会に向かって市が提供すべき財・サービスのイメージを明らかにし,「社会の変化に対応した公共サービスを提供し,市民の生活に資すること,そのために必要な財政資金を確保するとともに,これを効率的に用いることこそ市財政の本旨である」であるとまず述べるべきです。
*前文の「時代の要請を踏まえた事業の選択と集中」のところ,何が「時代の要請」なのか明らかではありません。また「事業の選択と集中」はこれまで行政や企業経営においては,事業を縮小する際にのみ用いられている用語であり,また新規事業の開発を排除した意味になっていて,適当ではありません。「新たな時代の市民生活の必要に応じた事業の開発や組み換え,選択と集中」などとするのが均衡の取れた表現だと考えます。
*「公共サービスによる利益を享受している市民の理解が不可欠であり」では,市民が市という会社の顧客のようであり,またサービスを一方的に受けているかのように見えます。市民が市政の主体であること,また現にその費用を負担していることが踏まえられていません。「地方自治の主体であるとともに公共サービスの受益者であり,その費用の負担者でもある市民の理解が不可欠であり」などとするのが,地方自治,住民自治の本旨にふさわしいと思います。
*「財政運営の基本原則」の2「将来の世代に負担を過度に残すことがないよう、安定的で持続可能な財政運営を行うこと」は,まちがってはいませんが,市債の考え方を一面的にとらえています。会社がお金を借り入れて将来のために工場を建てることが必要な時があるように,市にもお金を借り入れて将来のために施設・設備をつくることが必要な時があります。そのために市債を発行し,その返済費用は,施設・設備を利用する将来世代にも負担してもらうというのが,市債の考え方であり,公式ページにもその趣旨が記されているところです。負担を残さないことだけを考えて,必要なことをしないというのでは本末転倒です。「将来の世代の受益を図りつつ,その負担を過度に残すことがないよう」が均衡の取れた表現と思われます。
*「財政運営の基本原則」の4「公共サービスに係る市民の受益と負担の均衡を図ること」が,市民全体と負担全体についてのことであればよいのですが,個々のサービスについての個々人の受益と均衡を図るという意味ならば,適当ではありません。それは公共サービスの原理ではなく,民間サービス業の原理です。公共サービスを受けるのは住民の権利であり,一定部分のサービスは負担能力に関係なく人権として保障されねばなりません。もちろん,そこにも費用が掛かりますが,その負担は負担能力などを勘案して配分すべきです。それが薄く広く,負担を分かち合う税制の考えです。4「公共サービスに係る市民の受益全体と負担全体の均衡を図るとともに,負担配分が適切・公正であるように努めること」とするのがよいと思います。
*「市民の参画」について。市民が主権者であること,住民自治の考えが全く踏まえられていません。「市民は市政の担い手であり,市の公共サービスのあり方について自ら発言し,市政を監視するとともに,その財政運営について理解することが求められる」などという項目を冒頭に加えるべきべき(ブログ収録時の注:もちろんタイプミス)。
*政府に対して働きかけるのも,財政の健全性を守るための市の責務です。「政府へのはたらきかけ」などと言う項目を立て,「市と市議会は,財政自主権の確立のため,政府と地方自治体の役割分担,地方財源のあり方について常に改善に努め,他の地方自治体と連携して,政府に適切な提案とはたらきかけを行う」などという文章を加えるべきです。
以上の主要な個所に加え,いくつかの付随的な修正点を追加し,文章の整合性を加味した修正案を添付いたします。ご検討賜れれば幸いに存じます。
(ブログでは修正案は略)
仙台市議会では「(仮称)仙台市将来にわたる責任ある財政運営の推進に関する条例」案に関する市民意見聴取を実施します
ーーー
市政の充実のために奮闘する市議会の皆様に敬意を表します。「(仮称)仙台市将来にわたる責任ある財政運営の推進に関する条例」案について,大変興味深く拝見いたしました。以下のように意見を提出いたします。
<二つの考え方>
1.政府・自治体の財政は家計や企業ではありません。財政は,その政府単位の住民の生活のために,営利事業での供給に向かない財・サービスを供給するために存在します。その費用は住民が一定の基準のもとに分かち合います。財政は営利事業ではありませんから,黒字を大きくすることが目的ではなく,住民の福祉向上が目的です。そこに必要な経済原理は「収入マイナス支出の黒字が大きくなるようにすること」ではなく,「住民のためにやるべき仕事を,なるべく少ないお金で効率的に行うこと」です。ここで大事なのは,「やるべき仕事」の方に重点があって,そのためにお金を集めて効率的に働くべきなのであって,「やるべき仕事」を放棄することでコスト削減と効率化を進めても意味がないということです。
2.地方財政は,国の財政に影響される存在です。国の制度・政策によって,地方に十分な財源が与えられていなければ,地方自治を発展させられません。例えば,地方交付税の制度と規模について,地方自治体は政府に対して適切な意見を述べ,要望をする必要があります。
以上の二つの観点から見て,この条例案の以下の点に改善の余地があると思い,各項目について修正案を提案するものです。
<提案>
*前文の最初の2段落が,今後の財政を引き締め方向で運用することを前提にしています。これは適切ではありません。人口減少・高齢社会に向かって市が提供すべき財・サービスのイメージを明らかにし,「社会の変化に対応した公共サービスを提供し,市民の生活に資すること,そのために必要な財政資金を確保するとともに,これを効率的に用いることこそ市財政の本旨である」であるとまず述べるべきです。
*前文の「時代の要請を踏まえた事業の選択と集中」のところ,何が「時代の要請」なのか明らかではありません。また「事業の選択と集中」はこれまで行政や企業経営においては,事業を縮小する際にのみ用いられている用語であり,また新規事業の開発を排除した意味になっていて,適当ではありません。「新たな時代の市民生活の必要に応じた事業の開発や組み換え,選択と集中」などとするのが均衡の取れた表現だと考えます。
*「公共サービスによる利益を享受している市民の理解が不可欠であり」では,市民が市という会社の顧客のようであり,またサービスを一方的に受けているかのように見えます。市民が市政の主体であること,また現にその費用を負担していることが踏まえられていません。「地方自治の主体であるとともに公共サービスの受益者であり,その費用の負担者でもある市民の理解が不可欠であり」などとするのが,地方自治,住民自治の本旨にふさわしいと思います。
*「財政運営の基本原則」の2「将来の世代に負担を過度に残すことがないよう、安定的で持続可能な財政運営を行うこと」は,まちがってはいませんが,市債の考え方を一面的にとらえています。会社がお金を借り入れて将来のために工場を建てることが必要な時があるように,市にもお金を借り入れて将来のために施設・設備をつくることが必要な時があります。そのために市債を発行し,その返済費用は,施設・設備を利用する将来世代にも負担してもらうというのが,市債の考え方であり,公式ページにもその趣旨が記されているところです。負担を残さないことだけを考えて,必要なことをしないというのでは本末転倒です。「将来の世代の受益を図りつつ,その負担を過度に残すことがないよう」が均衡の取れた表現と思われます。
*「財政運営の基本原則」の4「公共サービスに係る市民の受益と負担の均衡を図ること」が,市民全体と負担全体についてのことであればよいのですが,個々のサービスについての個々人の受益と均衡を図るという意味ならば,適当ではありません。それは公共サービスの原理ではなく,民間サービス業の原理です。公共サービスを受けるのは住民の権利であり,一定部分のサービスは負担能力に関係なく人権として保障されねばなりません。もちろん,そこにも費用が掛かりますが,その負担は負担能力などを勘案して配分すべきです。それが薄く広く,負担を分かち合う税制の考えです。4「公共サービスに係る市民の受益全体と負担全体の均衡を図るとともに,負担配分が適切・公正であるように努めること」とするのがよいと思います。
*「市民の参画」について。市民が主権者であること,住民自治の考えが全く踏まえられていません。「市民は市政の担い手であり,市の公共サービスのあり方について自ら発言し,市政を監視するとともに,その財政運営について理解することが求められる」などという項目を冒頭に加えるべきべき(ブログ収録時の注:もちろんタイプミス)。
*政府に対して働きかけるのも,財政の健全性を守るための市の責務です。「政府へのはたらきかけ」などと言う項目を立て,「市と市議会は,財政自主権の確立のため,政府と地方自治体の役割分担,地方財源のあり方について常に改善に努め,他の地方自治体と連携して,政府に適切な提案とはたらきかけを行う」などという文章を加えるべきです。
以上の主要な個所に加え,いくつかの付随的な修正点を追加し,文章の整合性を加味した修正案を添付いたします。ご検討賜れれば幸いに存じます。
(ブログでは修正案は略)
仙台市議会では「(仮称)仙台市将来にわたる責任ある財政運営の推進に関する条例」案に関する市民意見聴取を実施します
2019年5月11日土曜日
MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意
朴勝俊教授によるL. Randall Wray の Modern Money Theory の要点解説が公表されたおかげで,MMTへの理解をいくらか進められた。趣旨は読んでいただくとして,以下,私が留意点と思ったことをノートする。
*レイのMMTは信用貨幣論である。これは貨幣とは負債であるという意味である。使用者の信認で成り立つ貨幣という意味ではない。
*レイは,中央銀行による量的金融緩和によってはインフレーションは起こりえないと考えている。これは,私が理解するマルクス経済学ベースの信用貨幣論と一致し,リフレーション論と対立する。
*レイは,統合政府または政府と中央銀行の協調の下では,金融緩和よりもむしろ財政支出が通貨供給量を増やし,課税が通貨供給量を減らすと考えている。通貨供給量は財政政策によって調整されるという理論だと思われる(原典で要確認)。
*レイは,政府と中央銀行が統合されていてもいなくても,結果としてバランスシートは同じになると考えている。
・なぜそうなるかというと,たとえ政府が直接に政府貨幣を発行する場合でも,信用貨幣として,つまり政府が負債として発行するとしているからだ。いわば政府手形だ。ここが,政府の資産と想定される不換紙幣,政府紙幣とは異なる。というより,レイは貨幣はもともとすべて信用貨幣で負債であって,負債でない貨幣はあり得ないと言いたいように見える。金貨も銀貨もそうなのかと疑問に思ってしまうが(原典で要確認)。
*ただし,レイの信用貨幣論が一か所だけ独特な動きをするのは財政支出だ。私の学んだ限り,銀行券は金融取引においてのみ発行される。しかしレイの統合政府は,政府貨幣創出によって民間非銀行から直接に財を購入できるとされていることだ。ここがいちばんわかりにくく,朴教授の解説の文言でもすっきりと飲み込めない。
・そこでもう少し分かりやすように解釈すると,要は財を政府に売った企業に政府宛債権が発生する。企業は銀行に取り立てを依頼し,銀行は企業の預金口座に代金を振り込むとともに政府から無償で準備金を供与される,という論理になっているのだと思う。
・ここでは統合政府は自己宛債務証書で直接財を買っていることには間違いなく,政府貨幣は銀行券というより小切手のように機能していると思える(要検討)。
・レイの政府貨幣が流通する根拠は何か。手形一般がそうであるように債権債務相殺機能を持っている他に,法定納税手段であって,税債権と税債務を相殺する機能をもっているからのようである。これは私の解釈(要検討)。
*レイの政府貨幣は政府手形=政府債務証書なので,政府資産にはならない。政府に還流したら消滅すると解釈できる(原典で要確認)。だから政府は徴税した貨幣を使っているのではない。むしろ,財政支出によって貨幣を供給し,課税によってこれを回収している。
*レイは政府が,自ら定めた最低賃金率で,働きたいひとをすべて雇用することにより,失業をゼロにするとともに,失業ゼロによるインフレ圧力が生じないようにしようとしている。
*レイの理論では,政府が通貨発行権を持つ場合,財源問題には直面しない。ただし,通貨を発行して支出するとそれは財政赤字を増大させ,政府債務は増加する。
・なぜなら,政府貨幣は信用貨幣であって,バランスシートの負債側に記帳されるからだ。
・その場合,債権が増えるのは銀行である。というのは,政府に何かを売った非金融企業が銀行に持つ預金が増えるので,銀行が統合政府に持つ準備預金が増えるから。
*もちろん,政府が政府貨幣を発行できない場合は,政府支出を増やすことは財政赤字の増大を意味し,政府債務は増加する。
*レイの理論では,政府支出が膨張しても,統合政府であるか,中央銀行が政府と協調している限りはデフォルトには陥らない。ただし,不健全なインフレーションになる危険はある。
*レイによれば,歴史的に不健全なインフレーションになったのは,1)供給制約が厳しい場合と,2)政治的事情により課税が十分にできない場合だ。だから,その二つに陥らないようにしなければならないということになる。
*ということは,レイの政策論は,以下のようになると思われる。
A)大前提として,中央銀行は政府と協調しなければならない(とこの解説では書かれていないが,論理的にそうなると思う。原典で要確認)。
B)財政破綻の恐れがあるから財政支出を拡大できない,という考えは採るべきではない。
C)通貨供給量は主に財政政策で調整する。
D)失業問題の解決については,政府が最低賃金率を適切に定めた上で限度なく雇用する必要がある。
E)供給制約を超えて需要を刺激しようとするような財政赤字を出さないようにする必要がある。
F)(財政破綻の防止でなく)不健全なインフレ圧力をつくらないために課税が十分に行われるようにする必要がある。
*以上の理解が間違っていないとすれば,私の解釈では,レイの政策論を実現するためには,通貨価値安定と金融システム安定は中央銀行が,政府から相対的に独立して担う,というシステムを放棄し,これらの機能も政府が担わねばならない。
*レイの考えるシステムの下では,財政赤字が理由で非自発的失業をなくすのに十分な予算が組めなくなるという制約が外れる。そして,左派から見れば社会保障充実の予算が組めないという制約が外れ,経済的保守派から見れば企業支援策の予算が組めないという制約が外れ,タカ派から見れば軍事支出を拡大できないという制約が外れる。
*とすると,行政府と立法府の責任は極めて重くなる。
・D)E)F)について,立法府や行政府が近視眼的な政策をとると不況やインフレーションの危険がある。そのかわりデフレーションの危険はほぼなくなるが。
・また,時々の政治勢力のあり方によって,右であれ左であれ,優位な政治勢力が推進する財政支出の規模は,いままでよりもはるかに大規模になるだろう。
*政治的含意。朴教授が紹介するように,レイは「MMT自体は右でも左でもない」と述べている。もっとも,MMTは保守派が財政均衡派である社会では保守派ではありえず,リベラル寄りとなるだろう。しかし,財政拡張派の保守派が存在する日本のような社会では異なる。現に,リベラル派の中の反緊縮派とともに,自民党内の財政拡張派もMMTに注目している。MMTが政治的文脈の中でどのように主張されるかは,日本では単純でなくなるだろう。
朴勝俊「MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。
<関連投稿>
「MMTが『財政赤字は心配ない』という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」2019年5月7日。
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)」2019年5月2日。
「MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書」2019年3月21日。
*レイのMMTは信用貨幣論である。これは貨幣とは負債であるという意味である。使用者の信認で成り立つ貨幣という意味ではない。
*レイは,中央銀行による量的金融緩和によってはインフレーションは起こりえないと考えている。これは,私が理解するマルクス経済学ベースの信用貨幣論と一致し,リフレーション論と対立する。
*レイは,統合政府または政府と中央銀行の協調の下では,金融緩和よりもむしろ財政支出が通貨供給量を増やし,課税が通貨供給量を減らすと考えている。通貨供給量は財政政策によって調整されるという理論だと思われる(原典で要確認)。
*レイは,政府と中央銀行が統合されていてもいなくても,結果としてバランスシートは同じになると考えている。
・なぜそうなるかというと,たとえ政府が直接に政府貨幣を発行する場合でも,信用貨幣として,つまり政府が負債として発行するとしているからだ。いわば政府手形だ。ここが,政府の資産と想定される不換紙幣,政府紙幣とは異なる。というより,レイは貨幣はもともとすべて信用貨幣で負債であって,負債でない貨幣はあり得ないと言いたいように見える。金貨も銀貨もそうなのかと疑問に思ってしまうが(原典で要確認)。
*ただし,レイの信用貨幣論が一か所だけ独特な動きをするのは財政支出だ。私の学んだ限り,銀行券は金融取引においてのみ発行される。しかしレイの統合政府は,政府貨幣創出によって民間非銀行から直接に財を購入できるとされていることだ。ここがいちばんわかりにくく,朴教授の解説の文言でもすっきりと飲み込めない。
・そこでもう少し分かりやすように解釈すると,要は財を政府に売った企業に政府宛債権が発生する。企業は銀行に取り立てを依頼し,銀行は企業の預金口座に代金を振り込むとともに政府から無償で準備金を供与される,という論理になっているのだと思う。
・ここでは統合政府は自己宛債務証書で直接財を買っていることには間違いなく,政府貨幣は銀行券というより小切手のように機能していると思える(要検討)。
・レイの政府貨幣が流通する根拠は何か。手形一般がそうであるように債権債務相殺機能を持っている他に,法定納税手段であって,税債権と税債務を相殺する機能をもっているからのようである。これは私の解釈(要検討)。
*レイの政府貨幣は政府手形=政府債務証書なので,政府資産にはならない。政府に還流したら消滅すると解釈できる(原典で要確認)。だから政府は徴税した貨幣を使っているのではない。むしろ,財政支出によって貨幣を供給し,課税によってこれを回収している。
*レイは政府が,自ら定めた最低賃金率で,働きたいひとをすべて雇用することにより,失業をゼロにするとともに,失業ゼロによるインフレ圧力が生じないようにしようとしている。
*レイの理論では,政府が通貨発行権を持つ場合,財源問題には直面しない。ただし,通貨を発行して支出するとそれは財政赤字を増大させ,政府債務は増加する。
・なぜなら,政府貨幣は信用貨幣であって,バランスシートの負債側に記帳されるからだ。
・その場合,債権が増えるのは銀行である。というのは,政府に何かを売った非金融企業が銀行に持つ預金が増えるので,銀行が統合政府に持つ準備預金が増えるから。
*もちろん,政府が政府貨幣を発行できない場合は,政府支出を増やすことは財政赤字の増大を意味し,政府債務は増加する。
*レイの理論では,政府支出が膨張しても,統合政府であるか,中央銀行が政府と協調している限りはデフォルトには陥らない。ただし,不健全なインフレーションになる危険はある。
*レイによれば,歴史的に不健全なインフレーションになったのは,1)供給制約が厳しい場合と,2)政治的事情により課税が十分にできない場合だ。だから,その二つに陥らないようにしなければならないということになる。
*ということは,レイの政策論は,以下のようになると思われる。
A)大前提として,中央銀行は政府と協調しなければならない(とこの解説では書かれていないが,論理的にそうなると思う。原典で要確認)。
B)財政破綻の恐れがあるから財政支出を拡大できない,という考えは採るべきではない。
C)通貨供給量は主に財政政策で調整する。
D)失業問題の解決については,政府が最低賃金率を適切に定めた上で限度なく雇用する必要がある。
E)供給制約を超えて需要を刺激しようとするような財政赤字を出さないようにする必要がある。
F)(財政破綻の防止でなく)不健全なインフレ圧力をつくらないために課税が十分に行われるようにする必要がある。
*以上の理解が間違っていないとすれば,私の解釈では,レイの政策論を実現するためには,通貨価値安定と金融システム安定は中央銀行が,政府から相対的に独立して担う,というシステムを放棄し,これらの機能も政府が担わねばならない。
*レイの考えるシステムの下では,財政赤字が理由で非自発的失業をなくすのに十分な予算が組めなくなるという制約が外れる。そして,左派から見れば社会保障充実の予算が組めないという制約が外れ,経済的保守派から見れば企業支援策の予算が組めないという制約が外れ,タカ派から見れば軍事支出を拡大できないという制約が外れる。
*とすると,行政府と立法府の責任は極めて重くなる。
・D)E)F)について,立法府や行政府が近視眼的な政策をとると不況やインフレーションの危険がある。そのかわりデフレーションの危険はほぼなくなるが。
・また,時々の政治勢力のあり方によって,右であれ左であれ,優位な政治勢力が推進する財政支出の規模は,いままでよりもはるかに大規模になるだろう。
*政治的含意。朴教授が紹介するように,レイは「MMT自体は右でも左でもない」と述べている。もっとも,MMTは保守派が財政均衡派である社会では保守派ではありえず,リベラル寄りとなるだろう。しかし,財政拡張派の保守派が存在する日本のような社会では異なる。現に,リベラル派の中の反緊縮派とともに,自民党内の財政拡張派もMMTに注目している。MMTが政治的文脈の中でどのように主張されるかは,日本では単純でなくなるだろう。
朴勝俊「MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。
<関連投稿>
「MMTが『財政赤字は心配ない』という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」2019年5月7日。
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)」2019年5月2日。
「MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書」2019年3月21日。
2019年5月7日火曜日
MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと
ネット記事では「MMT(現代貨幣理論)は財政赤字を心配する必要がないと主張している」と報道されていて,これに多くの人が困惑している。あるいは,そんなことあるわけないだろうと一蹴している。私もずっと困惑していたが,これはMMTによる「財政」というもののとらえ方が,従来の常識と全く異なるからだと思う。朴勝俊教授によるランダル・レイの本の解説のおかげで,MMTが言いたいことがようやくわかってきた。正しいと言っているのではない。どういう話の組み立てなのかがわかってきたということだ。
まず,私はMMTの主張は,政府と中央銀行が一体の統合政府であるか,あるいは少なくとも中央銀行が政府と協調する場合にのみ,実施可能と思う。うまくいくかどうかは別として,実施可能という意味である。中央銀行が政府と対立すると実施できない。
そこで,ここでは通貨発行権を持つ統合政府を考える。理解のポイントは,統合政府を,通常理解される政府財政としてでなく,可能な限り中央銀行=発券銀行のイメージでとらえることにあると思う。だから統合政府を必要に応じて政府銀行と呼ぼう。統合政府の発行する政府貨幣は信用貨幣=発行元宛ての債務証書なので,これも必要に応じて政府銀行券と呼ぼう。
その運動を理解する入り口として,銀行券が発券銀行に戻ってきたらどうなるかを考えよう。銀行券は銀行の自己宛て債務証書である。自分宛ての債務証書をとりもどしたら,人はこれを廃棄する。中央銀行も還流してきた中央銀行券を資産とするのではなく帳簿から外す(正確には,ただのモノとして扱う)(※)。一般に十分知られていることとは言えないが,金融実務家ならご存じだろう。発券はそれと全く別の話である。中央銀行が貸し付けや買いオペなどの金融取引を銀行と行うと,銀行の準備預金が拡大する。銀行が現金を必要とするときにこの準備預金をおろすと,中央銀行券が発券される。
※例えば日本銀行に1万円札が還流して来ると,モノとしては汚損がなければ発券に再利用されるため保管される。ただし,資産としては1万円の現金にはならず,ただの紙でできたものになる。
次に,統合政府の徴税を考える。統合政府が政府銀行券で徴税する。すると,政府は政府宛ての債務証書を取り戻したのだから,これを現金資産とするのではなく帳簿から外す(ただの紙として扱う)。……ここがほとんどの人の直観に反するだろう。この統合政府は徴税したお金を現金として使えないのだ!しかし,それでは,いったいどうやって財政支出をするのだろうか?それは,まったく別の話として,通貨を発行して支出するのである。ここの説明は少しややこしく,銀行券というより小切手の原理が用いられる。つまり,民間銀行に,支出先が持つ預金に代金を振り込んでもらい,かわりに政府預金から銀行に支払う……といいたいところだが,政府自身が中央銀行なので政府預金はない。そのかわり,政府銀行が銀行に準備金を無償供与する。
MMTが言う統合政府は,中央銀行が発券し,回収するように,支出し,徴税していると理解すべきだ。そして,ここに,MMTが理解されにくい理由がある。ほとんどの人の政府財政の概念に反するからである。しかし,おそらくMMTはこのように構成されている。もちろん,発券と回収は信用の供与と回収という金融取引であるが,支出と徴税は異なる。異なるのだけれどバランスシートの動きから見ると同じだとMMTは述べているのだ。
中央銀行券の発券と回収(還流)を,「中央銀行は市中の銀行券を回収してきて,その金額の範囲内で金融取引をする」という人は誰もいないだろう。この回収と発券の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。中央銀行は民間経済の必要に答えて発券し,不必要な銀行券を回収するのであって,「回収の範囲で発券すべきだ」ということもない。それよりも,金融調節を行って悪性インフレを防ぐ方が大事だ。
同じように,MMTが想定する統合政府は,「政府が税金を集めて,その金額の範囲内で支出する」というものではなく,徴税と支出の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。統合政府は民間経済の必要に答えて支出し,不必要な政府貨幣を回収するのであって,「課税の範囲で支出すべきだ」ということもない。それよりも,財政調節を行って失業をなくしつつ悪性インフレを防ぐ方が大事だ。
中央銀行のバランスシートにおける負債は大きい。中央銀行券発行高と銀行の持つ準備預金が巨額だからであり,発券したり買いオペを行ったりするたびにこれらが増えるからだ。しかし,これは発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。
同じように,統合政府のバランスシートにおける負債は大きい。政府銀行券発行高と準備預金が巨額だからであり,支出するたびにこれらが増えるからだ。しかし,これも政府=発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。
MMTが正しいかどうかは別にして,MMTの論理はおそらくこうなっている。このように理解した上で議論するのがよいと,私は思う。
朴勝俊「<レポート 012> MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。
<関連投稿>
まず,私はMMTの主張は,政府と中央銀行が一体の統合政府であるか,あるいは少なくとも中央銀行が政府と協調する場合にのみ,実施可能と思う。うまくいくかどうかは別として,実施可能という意味である。中央銀行が政府と対立すると実施できない。
そこで,ここでは通貨発行権を持つ統合政府を考える。理解のポイントは,統合政府を,通常理解される政府財政としてでなく,可能な限り中央銀行=発券銀行のイメージでとらえることにあると思う。だから統合政府を必要に応じて政府銀行と呼ぼう。統合政府の発行する政府貨幣は信用貨幣=発行元宛ての債務証書なので,これも必要に応じて政府銀行券と呼ぼう。
その運動を理解する入り口として,銀行券が発券銀行に戻ってきたらどうなるかを考えよう。銀行券は銀行の自己宛て債務証書である。自分宛ての債務証書をとりもどしたら,人はこれを廃棄する。中央銀行も還流してきた中央銀行券を資産とするのではなく帳簿から外す(正確には,ただのモノとして扱う)(※)。一般に十分知られていることとは言えないが,金融実務家ならご存じだろう。発券はそれと全く別の話である。中央銀行が貸し付けや買いオペなどの金融取引を銀行と行うと,銀行の準備預金が拡大する。銀行が現金を必要とするときにこの準備預金をおろすと,中央銀行券が発券される。
※例えば日本銀行に1万円札が還流して来ると,モノとしては汚損がなければ発券に再利用されるため保管される。ただし,資産としては1万円の現金にはならず,ただの紙でできたものになる。
次に,統合政府の徴税を考える。統合政府が政府銀行券で徴税する。すると,政府は政府宛ての債務証書を取り戻したのだから,これを現金資産とするのではなく帳簿から外す(ただの紙として扱う)。……ここがほとんどの人の直観に反するだろう。この統合政府は徴税したお金を現金として使えないのだ!しかし,それでは,いったいどうやって財政支出をするのだろうか?それは,まったく別の話として,通貨を発行して支出するのである。ここの説明は少しややこしく,銀行券というより小切手の原理が用いられる。つまり,民間銀行に,支出先が持つ預金に代金を振り込んでもらい,かわりに政府預金から銀行に支払う……といいたいところだが,政府自身が中央銀行なので政府預金はない。そのかわり,政府銀行が銀行に準備金を無償供与する。
MMTが言う統合政府は,中央銀行が発券し,回収するように,支出し,徴税していると理解すべきだ。そして,ここに,MMTが理解されにくい理由がある。ほとんどの人の政府財政の概念に反するからである。しかし,おそらくMMTはこのように構成されている。もちろん,発券と回収は信用の供与と回収という金融取引であるが,支出と徴税は異なる。異なるのだけれどバランスシートの動きから見ると同じだとMMTは述べているのだ。
中央銀行券の発券と回収(還流)を,「中央銀行は市中の銀行券を回収してきて,その金額の範囲内で金融取引をする」という人は誰もいないだろう。この回収と発券の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。中央銀行は民間経済の必要に答えて発券し,不必要な銀行券を回収するのであって,「回収の範囲で発券すべきだ」ということもない。それよりも,金融調節を行って悪性インフレを防ぐ方が大事だ。
同じように,MMTが想定する統合政府は,「政府が税金を集めて,その金額の範囲内で支出する」というものではなく,徴税と支出の差から「赤字だ,黒字だ」ということもない。統合政府は民間経済の必要に答えて支出し,不必要な政府貨幣を回収するのであって,「課税の範囲で支出すべきだ」ということもない。それよりも,財政調節を行って失業をなくしつつ悪性インフレを防ぐ方が大事だ。
中央銀行のバランスシートにおける負債は大きい。中央銀行券発行高と銀行の持つ準備預金が巨額だからであり,発券したり買いオペを行ったりするたびにこれらが増えるからだ。しかし,これは発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。
同じように,統合政府のバランスシートにおける負債は大きい。政府銀行券発行高と準備預金が巨額だからであり,支出するたびにこれらが増えるからだ。しかし,これも政府=発券銀行だから当たり前であって,債務が大きいから破たんするということはない。
MMTが正しいかどうかは別にして,MMTの論理はおそらくこうなっている。このように理解した上で議論するのがよいと,私は思う。
朴勝俊「<レポート 012> MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」People's Economic Policy,2019年5月4日。
<関連投稿>
2019年5月4日土曜日
信用貨幣論ノートを書き終えての感慨
信用貨幣論のノートを書き終えてつくづく思ったことがある。私は,いくら考えても,信用貨幣論・貸付先行説のモデルの方が,不換紙幣論・預金先行説のそれより実務に即して,現実を無理なく解釈できると思う。イデオロギーの問題ではなく,現実に対する説明力の問題としてそう思う。ところが,これは主流派経済学の「常識」と大きくかけ離れていることだ。ということは,経済学者の多数は,自らのパラダイムの根幹に触れかねないので,信用貨幣論を受け入れてはくれないだろうと予想される。これはかなり深刻だ。
「デフレ」と「インフレターゲティング」をめぐる論争において,リフレーション派が,自分たちこそ科学的だ,反対する者は経済学を知らないのだと言い放ち,やたらに尊大な態度で日銀を非難した理由がわかった。パラダイムへの固着,別の言い方をすれば宗教的信心である。
以下,信用貨幣論と経済学の「常識」が大きく異なる点を述べる。
1.信用貨幣論によれば,管理通貨制下の貨幣(中央銀行券+預金通貨)は,あらかじめ存在する預金を貸し出しているのではなく,銀行が貸し付けることによって創造される。
→実務では意見が分かれるが,ある程度の賛同が得られる解釈だ。しかし,「あらかじめ貯蓄が存在していないのに貨幣が供給され,利子率は決定される」ということになるので,主流派経済学では認められないおそれが強い。
(銀行について,そんな基本的なことまで共通理解がないのかと絶句される方が多数いらっしゃると思うが,本当にそうなのだ)
2.信用貨幣論によれば,中央銀行は銀行である。中央銀行は基本的に貸し付けること(手形・債券購入という信用代位を含む)によって中央銀行券を発行するのであり,無償で交付したり,財・サービスを直接購入するために発行することはない。中央銀行券は中央銀行に戻ってきたら資産とならずに破棄される(自分宛ての借用証書が自分に戻ってきたのだから)。
→実務では疑う余地のない当たり前。しかし,主流派モデルは,中央銀行が発券する中央銀行券(タダでは配れない)と政府が発行する不換紙幣(タダで配ることもできる)とを混同して,ヘリコプターマネーとか,ありえないことをありうるかのように平然と議論する。
3.信用貨幣論によれば,銀行が中央銀行に持つ預金は,中央銀行がすでに供給済みであって民間の手にあるが,民間経済内部で流通しているわけではない。
→実務では疑う余地のない当たり前だが,主流派のモデルでは,このことを内部化されていない。だから,ひとたび中央銀行が供給した通貨は,もう民間で流通しているという勘違い,たとえば「日銀がお札をばんばん刷ればインフレになる」などと言う認識が横行する。
この先,財政政策論も考えねばならないが,そこではますます実務に即した現実的理解と主流派の「常識」が乖離し,議論がいっそうかみあわなくなることが心配だ。それでも自分なりに考えるしかなかろう。
※注:主流派経済学に比べると,マルクス経済学ではまだ信用貨幣論が受容されやすい。しかし,機会があれば論じるが,それでも少数派である。
信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)
「デフレ」と「インフレターゲティング」をめぐる論争において,リフレーション派が,自分たちこそ科学的だ,反対する者は経済学を知らないのだと言い放ち,やたらに尊大な態度で日銀を非難した理由がわかった。パラダイムへの固着,別の言い方をすれば宗教的信心である。
以下,信用貨幣論と経済学の「常識」が大きく異なる点を述べる。
1.信用貨幣論によれば,管理通貨制下の貨幣(中央銀行券+預金通貨)は,あらかじめ存在する預金を貸し出しているのではなく,銀行が貸し付けることによって創造される。
→実務では意見が分かれるが,ある程度の賛同が得られる解釈だ。しかし,「あらかじめ貯蓄が存在していないのに貨幣が供給され,利子率は決定される」ということになるので,主流派経済学では認められないおそれが強い。
(銀行について,そんな基本的なことまで共通理解がないのかと絶句される方が多数いらっしゃると思うが,本当にそうなのだ)
2.信用貨幣論によれば,中央銀行は銀行である。中央銀行は基本的に貸し付けること(手形・債券購入という信用代位を含む)によって中央銀行券を発行するのであり,無償で交付したり,財・サービスを直接購入するために発行することはない。中央銀行券は中央銀行に戻ってきたら資産とならずに破棄される(自分宛ての借用証書が自分に戻ってきたのだから)。
→実務では疑う余地のない当たり前。しかし,主流派モデルは,中央銀行が発券する中央銀行券(タダでは配れない)と政府が発行する不換紙幣(タダで配ることもできる)とを混同して,ヘリコプターマネーとか,ありえないことをありうるかのように平然と議論する。
3.信用貨幣論によれば,銀行が中央銀行に持つ預金は,中央銀行がすでに供給済みであって民間の手にあるが,民間経済内部で流通しているわけではない。
→実務では疑う余地のない当たり前だが,主流派のモデルでは,このことを内部化されていない。だから,ひとたび中央銀行が供給した通貨は,もう民間で流通しているという勘違い,たとえば「日銀がお札をばんばん刷ればインフレになる」などと言う認識が横行する。
この先,財政政策論も考えねばならないが,そこではますます実務に即した現実的理解と主流派の「常識」が乖離し,議論がいっそうかみあわなくなることが心配だ。それでも自分なりに考えるしかなかろう。
※注:主流派経済学に比べると,マルクス経済学ではまだ信用貨幣論が受容されやすい。しかし,機会があれば論じるが,それでも少数派である。
信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第1節)
2019年5月2日木曜日
信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第5,6節)(完)
5.「リフレーション」派と「期待に働きかける」派の誤り
以上の検討結果は,「非伝統的金融政策」が効かない理由を説明するとともに,この政策の正当性を主張したリフレーション派の主張が現実を説明できず,適切な金融政策を提言できていないことを示している。「マネタリーベースを増やせばマネーストックが増えてインフレ率が上がる」,「マネタリーベースを増やせば,貨幣乗数がプラスである以上,マネーストックが増えてインフレ率が上がる」,さらに「ゼロ金利の下であっても,マネタリーベースを増やせばマネーストックが増えてインフレ率が上がる」,といった主張は,いずれも誤っている。「中央銀行は,その行動一つで民間に対する通貨供給量を増やすことができる」というリフレーション派のモデルは,不換紙幣・預金先行モデルに依拠しており,それ故に,発券集中と管理通貨制の下での,中央銀行券の通貨としての流通を説明することができないのである。
また,期待の理論を加味して,「人々の期待に働きかけることで,まず予想インフレ率を上げ,それによって現実のインフレ率を上げることができる」という議論(白川前掲書に倣って「期待に働きかける」派,略して「期待派」と呼ぶ),そこから導き出された「中央銀行がインフレ目標を設定してコミットすることでインフレ期待を発生させ,実質利子率を下げて投資を盛んにし,デフレを克服する」という意味でのインフレ・ターゲティング論も,リフレーション論の応用であって,同一の問題がある。
もしこれが,「金融緩和によって現実の借り入れ需要を刺激し,インフレ率を上げる」という議論であれば,どちらのモデルに立っても合理的である。そこまでは何も問題はない。「期待派」の理論はそういうものではなく,現実の需要とは独立に,まず期待インフレ率を向上させ,それによって実質利子率を下げようというものであった。
しかし,現実のインフレと独立に将来のインフレ予想が発生するという主張は,中央銀行のコミットメント一つで通貨供給量を増やすことができる,という前提に立っているのであり,繰り返し指摘するようにそこが間違いなのである。ありもしない前提を市場関係者に信じ込ませることによってインフレ期待を発生させようというのは不可能である。このような主観的に過ぎる議論が,経済学の「常識」に立って生み出され,一時は日本銀行の正式方針に採用されたことは深刻と言わねばならない。経済学の「常識」である「中央銀行は,その意志によって民間に対する通貨供給量を増やすことができる」という不換紙幣論こそが,現実と極度に乖離しているのであり,効きもしない政策を正当化するために用いられてきたのである。
金融緩和によって通貨供給量が増えるのは,現実の需要が増えて通貨が必要になるときだけである。だから,輸入品価格の変動などの外生的要因を捨象し,他の条件を等しいものとみなすならば,予想インフレ率が上昇するためには,前提として,現実の需要が増え,現実のインフレ率が上昇しなければならないのである[15]。
もしどうしても期待の作用に注目すべきというのであれば,政府が適切な財政政策,産業政策,社会政策によって,企業利潤や,個人の所得や支出に関する期待を変え,企業の期待利潤率を高め個人の消費性向を高めるという方が,はるかに根拠がある。リフレーション派や期待派は,財政政策で行うべきことを,金融政策でできるのだと誤って強弁してきたのである。
6.結論と残された課題としての財政政策論
管理通貨制の下での通貨と銀行の仕組み,企業と民間銀行と中央銀行の関係を無理なく理解しようとすれば,信用貨幣・貸付先行モデルによる内生的貨幣供給論が妥当である。不換紙幣・預金先行モデルによる外生的貨幣供給論は,経済学的な「常識」であるにもかかわらず,不適当である。そのポイントは,中央銀行と民間銀行の関係を銀行と銀行の関係として把握できるかどうか,マネタリーベースとマネーストックの関係を説明できるかどうかである。
「非伝統的金融政策」が通貨供給量を増やすことに失敗する理由は,不換紙幣・預金先行モデルに依拠して,「中央銀行はその行動によって通貨供給量を増やすことができる」と想定しているからである。それが不可能であることは,信用貨幣・貸付先行モデルによって実務と整合的に説明できる。日本の金融政策論における「リフレーション派」と「期待派」は,いずれも不換紙幣・預金先行モデルの上に立っており,それ故に現実理解を誤り,実行不可能な政策を提言したのである。以上が,本稿の結論である。
本稿では金融政策のみを論じ,また,もっぱら金融緩和によって通貨供給量を増やし,インフレを発生させ,景気を浮揚させようとした政策論についてのみ論じた。しかし,金融緩和が,国債発行による赤字財政の拡大とともに用いられ,中央銀行による買いオペレーションが国債の発行を事実上支えている場合の通貨や信用の動きについては,独自の考察が必要である。この点は,今後の課題としたい。
また,ケインズ派やMMTによる信用貨幣論の内容を確認し,検討することも今後の課題である。さらにその先においては,MMTによる財政政策論を検討しなければならないだろう。
[15] 興味深いことに,リフレーション派であり期待派であった岩田規久男前日銀副総裁は,副総裁就任当初は予想インフレ率を高める「リフレレジーム」の構築を目指したが,それが困難に陥ると「まず現実のインフレ率を高めねばならない」と考えるようになったと回顧されている。岩田規久男『日銀日記』(筑摩書房,2018年)を参照。
(完)
第4節はこちら
書き終えての感慨
信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第4節)
4.「非伝統的金融政策」はなぜ効かないか
(1)問題の所在
中央銀行は,国債など金融資産の売買オペレーションや,民間銀行への貸付金利の操作によって短期金利を調整する。金利を調節することが,金融政策の基本線である。ここまでは,信用貨幣論と不換紙幣論に対立はない。
問題はこの先である。現在,日本をはじめ各国で行われている「非伝統的金融政策」においては,ゼロ金利のように金利引き下げが困難な時においても,中央銀行預金を積み上げることで金融を緩和しようとしている。これを一層促進する議論として,「金融政策により通貨供給量を増やして適度なインフレーションを誘発すべきだ」というリフレーション理論が唱えられている。
日本の場合,「非伝統的金融政策」を始めた日本銀行に対して,リフレーション派や,後述する「期待に働きかける」派(期待派)は激しい非難を浴びせかけた。しかしそれは本質的に,「非伝統的金融政策」が必要だという共通理解の上で,そのやり方が不十分だという批判であったというのが,ここでの解釈である。白川方明『日本銀行』東洋経済新報社,2018年が述べるように,日本銀行は,マネタリーベースを増やすとマネーサプライが増えるメカニズムや,インフレ率へのコミットメントが物価を引き上げるメカニズムに確信を持てないままに「非伝統的金融政策」を開始した。これに対してリフレーション派や期待派は,そうしたメカニズムは確固として存在するとして,日本銀行にこのことを認めよ,政策強度を高めよと要求したのである。ここでは根本的には「非伝統的金融政策」が効かない根拠を現実の解釈として示しつつ,この政策を理論的に正当化したリフレーション派と期待派を学説として批判することを試みる。
(2)借り入れ需要とも利子率とも独立に通貨供給量を増やそうとする誤り
「非伝統的金融政策」は事実上,リフレーション理論は明確に,中央銀行預金を積み上げれば通貨供給量を増やすことができると想定している。「マネタリーベースを増やせばマネーストックが増える」というのである。これは,「中央銀行が不換紙幣を流通に投じる」という不換紙幣論・外生的貨幣供給論の抽象モデルと軌を一にした主張であり,論者が意識していようといまいと,このモデルに立たない限り成り立たない主張である。
しかし,「マネタリーベースを増やせばマネーストックが増える」という見解は,中央銀行と民間銀行が,銀行と銀行の関係であることを踏まえないものである。中央銀行が買いオペレーションをいくら行い,民間金融機関への貸し付けをいくら行っても,それでは民間金融機関が中央銀行に持つ預金,日本の場合は日本銀行当座預金が増えるだけである。中央銀行預金は,マネーストックには含まれない。
「非伝統的金融政策」は,「マネタリーベースを増やせば,それに連動して信用創造が盛んになってマネーストックが増える」と想定しているし,リフレーション理論は明確にそのように主張している。しかし,銀行は,貸し出しを増やす際に中央銀行預金を下ろして貸しているのではないし,そのようにする必要もない。銀行は,自ら預金通貨を創造することによって企業に貸し付けるのである。
日銀預金の積み上げが貸し出しを促進する場合もあるにはある。企業の借り入れ需要がきわめて強いときである。この時,マネタリーベースが増えれば,銀行は流動性を確保しやすいので,貸し出しをしやすくなるかもしれない。しかし,そのような場合はそもそもゼロ金利ではありえないから,金利を調節する伝統的金融政策が行われるだろう。そして,借り入れ需要が強くなく,銀行が流動性確保に不自由していない時は,マネタリーベースが増えても貸し出しが増える理由はない。いくら銀行が流動性を持っていようと,企業が借りたくもないお金を無理に貸すことはできない[12]。
「貨幣乗数がプラスでありさえすれば,マネタリーベースを増やすことでマネーストックを増やせるはずだ」という主張があるかもしれない。しかし,マネタリーベースを増やした後にマネーストックが増えたとすれば,それは利子率が下がった場合か,あるいはまったく別の要因によって企業の投資意欲が喚起されて,企業の借り入れ需要が増えた場合である。貨幣乗数とは,単なる計算結果であり,マネタリーベースとマネーストックが連動している証拠ではない。通貨供給量(マネーストック)が増えるのは,民間の需要が伸びて流通に必要な貨幣量が増える場合である。利子率と独立に,借り入れ需要の刺激とも独立に,中央銀行の行動一つで通貨供給量を増やすことなどできないのである。
このように,中央銀行と銀行の関係を素直に観察すれば,あくまで民間経済の必要に応じて通貨が供給され,必要がなければ供給されないのであって,中央銀行の金融調節によって,この関係を変えることはできない。必要とされていない貨幣を一方的に供給することはできないのである。以上が「非伝統的金融政策」では通貨供給量を増大させられない理由である。
(3)ポートフォリオ・リバランシング論の一面性
それでもなお,「非伝統的金融政策」を支持する論者は,ポートフォリオ・リバランシング論によって自らを正当化しようとするかもしれない。低利,または無利子,場合によってはマイナス金利の中央銀行預金が積みあがれば[13],民間銀行はより高い収益性を追求するためにポートフォリオを組み替え,この預金をおろしてよりハイリスク,ハイリターンの運用先を探すはずだというのである。日本における日銀当座預金のマイナス金利も,これを狙った政策であった。
しかし,この政策に効果があるとすれば,サーチの効果だけに限られている。金利が一定の下で(例えばゼロ金利の下で),もともと潜在的な収益機会が株式や社債に対する投資があって,ただそれが市場の不完全性により銀行に発見されていなかった場合には,効果があるかもしれない。つまり,積みあがる中央銀行預金の収益性の低さに追い詰められ,銀行が懸命にサーチを行い,見失われていた収益機会を発見した場合だけである。しかしこれは,もとから存在したが,市場の不完全性のゆえに発見されていなかった需要が発見されただけのことであり,効果は限られている。
その上,副作用もある。金利一定で,銀行のポートフォリオの収益性を低めるのであるから,銀行はそれ以前よりも低収益な運用方法やハイリスクな運用方法を採用せざるを得ない。しかし,そのような運用方法で,銀行経営に必要な利益率が得られるという保証はどこにもない。低収益またはハイリスクな方法では経営を保てないと判断したら,銀行はいくらリバランシングを期待されようと,単に中央銀行預金を積んだままにするので,効果はないであろう。それでもリバランシングを促そうと中央銀行が中央銀行預金のマイナス金利を強めれば,銀行経営を危機に追いやるだけであろう[14]。
[12] このことにより,安倍政権,黒田総裁の下での「量的・質的金融緩和」の下で,マネタリーベースが急拡大したのに対して,マネーストックは一向に伸びなかったという事実を理解可能である。
[13] 日本の場合,日銀当座預金は,以前は無利子であったが,やがて付利されるようになり,その後,一定条件の下で積み増した分はマイナス金利になって,有利子,ゼロ金利,マイナス金利の部分が併存する状態へと変化した。
[14] 日本における日銀当座預金積み増し分へのマイナス金利が,長期金利の引き下げとあいまって,銀行経営を窮地に追い込んだこと,それ故に日銀がイールドカーブ・コントロールという形で政策の修正を余儀なくされたことは,この論理で説明できる。
(続く)
第3節はこちら
第5,6節はこちら
信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて(第3節)
3.管理通貨制の下での通貨供給量の伸縮の説明
本節では,二つの通貨・銀行モデルによって現実の中央銀行のオペレーションや銀行業務を理解することを試みる。とくに,通貨供給量の伸縮のメカニズムをどのようにとらえるかを比較分析することで,モデルの解像度,現実解釈への有効性を判定していく。
(1)信用貨幣・貸付先行モデルの説明
信用貨幣・貸付先行モデルは,貨幣供給の内生性・外生性については,内生的供給論になる。つまり,中央銀行券や預金通貨は流通に必要な量の伸縮に応じて拡大し,また収縮する。必要に応じて拡大することは前節とここまでの説明から明らかなので,収縮のルートを見ていこう。
預金形態での貸し付けが企業から返済されれば預金はその分だけ縮小する。中央銀行券は返済によって銀行に戻ってくる。また,企業活動や個人の経済活動を含めて,当面は必要のない現金も銀行に預金される。預金が増加するとともに,中央銀行券は銀行が保有する。こうして,流通に必要とされない通貨は銀行に還流するのである[8]。これは市場の自律的な作用として可能である。
ちなみに,民間銀行と中央銀行との間でも,中央銀行券や預金は収縮しうるが,そのあり方には民間銀行の方針や中央銀行の金融政策が反映される。銀行は手元の中央銀行券を禁輸し用品の購入に回すこともできるが,準備金として必要な分は現金のままで持ったり,中央銀行預金を積み増して保有したりする。中央銀行預金は,民間銀行から中央銀行券が預けられた場合は増加し,銀行が中央銀行に債務を返済したり,中央銀行が売りオペレーションをしたりすれば縮小する。現金としての中央銀行券は,このいずれの場合も中央銀行に戻って来て,そこで消滅する。中央銀行券は,民間銀行では資産となりうるが,発行主体である中央銀行券ではなりえない。自己宛の手形は,発行主体に回収されたら消滅するのである。
このように,信用貨幣・貸付先行モデルによれば,中央銀行券と預金通貨が,流通に必要とされない場合は,流通から出ることが理解できる。貸し付けによって拡大した民間銀行の預金通貨は返済によって縮小しうる。中央銀行券は民間銀行の手持ち現金となって蓄蔵されるか,中央銀行預金が増加するなどした際に中央銀行に還流することにより消滅する[9]。こうして通貨供給量(マネーストック)は民間経済の自律的作用により収縮する。信用貨幣は流通に必要とされるならば流通に入り,不要になれば出てくるのである。そして,マネタリーベースの動きはマネーストックはまた別である。
(2)不換紙幣・預金先行モデルによる説明の困難
不換紙幣・預金先行モデルは,内生的貨幣供給も外生的貨幣供給もありうるモデルである。このモデルでは,企業の必要に応じても信用創造はなされるが,その必要を超えて,政府・中央銀行が通貨供給量を拡大することができるからである。では,このモデルにおいては,民間経済が必要としない通貨は収縮しうるだろうか。
不換紙幣・預金先行モデルにおいても,貸し付けの返済によって預金通貨が縮小し,不換紙幣が民間銀行の手元に戻ること,企業や個人による貯蓄性預金の増加によって不換紙幣が民間銀行に預け入れられることは変わらない。その意味では,通貨供給量は,一見,自律的に縮小しうるようにも見える。
しかし,このモデルでは,政府または中央銀行と民間銀行の関係が理論化されていないため,民間銀行の手元準備金と,中央銀行預金の性格がモデルに含まれておらず,この二つが通貨供給量に含まれるのか含まれないのかが理論的に判然としない。ここが大きな問題である。
不換紙幣・預金先行モデルが,中央銀行を政府と本質的に同等とみなし,政府と民間の二分法でモデルを設定する限り,手元準備金と中央銀行預金は,根拠は不明ながらも漠然と民間の側に含ませられることが多い。なぜならば,手元準備金も中央銀行預金も,政府または中央銀行から見ればすでに供給済みなのであって,民間側にあると考えるのが,このモデル内部では自然だからである。だから,不換紙幣・預金先行モデルは,マネタリーベースとマネーストックの区別が本来的にあいまいであり,両者とも理論的には通貨供給量を表示するのだと認識される。マネタリーベースとマネーストックは貨幣乗数を介して連動するのだから,両者をひっくるめて通貨供給量とみなしてよいだろうというのである。
ところが,返済や貯蓄性預金の増加によって収縮するのはマネーストックだけであり,マネーストックが縮小してもマネタリーベースは自動的には縮小しない。この現実を前にすると,不換紙幣・預金先行モデルは,民間経済の自律的作用によって通貨供給量が収縮するのか,しないのかをはっきりと言い切ることができなくなる。その一方,前述の通り政府または中央銀行が不換紙幣を,その決定に従って投じることができると想定している。こうして,不換紙幣・預金先行モデルは理論的な空白の部分で動揺しながらも,管理通貨制をインフレーションになりやすいシステムとみなすことになる[10]。翻って,政府または中央銀行の行動次第でインフレーションを起こすことができるシステムとみなすことにもなるのである[11]。
もちろん,このモデルを採る経済学者であっても,実務を考慮する際はマネタリーベースとマネーストックに違いがあることを考慮する。しかし,両者の違いを概念化することが,そのモデルの制約故にできないのである。
(3)信用貨幣・貸付先行モデルの優位性
このように,管理通貨制の下での通貨供給量の伸縮,マネーストックとマネタリーベースの動きの相違は,信用貨幣・貸付先行モデルによる内生的貨幣供給論によれば整合的に説明可能である。しかし,不換紙幣・預金先行モデルによる外生的貨幣供給論では,マネーストックとマネタリーベースの関係について,理論的な空白が残るのである。理論的な空白は,大きな幅のある解釈と動揺をもたらす。
理論的に整合しており,実務を無理なく説明できるのは,経済学上の「常識」に反する信用貨幣・貸付先行モデルである。そのポイントは,中央銀行預金の理解,言い換えるとマネタリーベースとマネーストックの関係の理解である。信用貨幣・貸付先行モデルは,中央銀行と民間銀行との関係を銀行と銀行の関係ととらえるので,これらを無理なく説明できる。とくに,マネタリーベースにのみ含まれる中央銀行預金の増減と,マネーストックにのみ含まれる預金通貨の増減は直接に連動するものではないことも,モデル内に含まれている。しかし,不換紙幣・預金先行モデルは,政府または中央銀行と民間銀行の関係がモデル内において明瞭ではない。とくに,マネタリーベースとマネーストックの区別がモデル内において明瞭でない。そのため,両者が本質的に同一の通貨供給量であり,一方が拡大すれば他方も拡大すると強弁されるのである。
以上のことから,本稿は現実を説明するうえで,信用貨幣・貸付先行モデルによる内生的貨幣供給論に優位を認める。そして,このモデルによって現実を説明することで,「非伝統的金融政策」が効かない理由も明らかになると考える。
[8] ここで,銀行が準備金として自ら保有する現金は,流通に必要な通貨から除かれたものとみなしている。この考え方は日本の実務においても採用されており,現金通貨の流通量を計算する際には,民間金融機関が保有する現金が控除される。
[9] この時,民間銀行が持つ現金としての準備金と中央銀行に持つ預金が積みあがったとすると,これらは流通から退出させられたが消滅はしていない。つまり民間経済の自律的作用でマネーストックは収縮したが,マネタリーベースは収縮していない状態である。民間銀行が中央銀行に債務を返済したり,中央銀行が売りオペレーションを行ったりすると,マネタリーベースも縮小する。
[10] 例えば,日本のマルクス経済学における,金兌換が行われない管理通貨制の下での中央銀行券は不換紙幣であるという見解は,このように考えてきたのである。
[11] 後述するリフレーション派や期待派はこのように考えているのである。
(続く)
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