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2022年4月4日月曜日

日本の賃金が上がらず消費が低迷する原因は,企業がもうかっていないからではない:加谷珪一氏の記事について

 加谷珪一氏は,Newsweek4月1日付に寄稿された「日本だけ給料が上がらない謎...『内部留保』でも『デフレ』でもない本当の元凶」において,「日本企業は何らかの原因で十分に利益を上げられない状況が続いており、これが低賃金と消費低迷の原因になっていると推察される」と指摘されている。私は,これは的を射ていないように思う。以下,その理由を述べる。

 まず,日本企業の営業利益率や経常利益率は,歴史的にはむしろ高成長(高度成長期+安定成長期)の方が長期低落傾向にあったという事実がある。言うまでもなく,当時賃金は今よりずっと上がっていた。

 バブル崩壊以後の低成長期では,1993年を底にして,むしろ上昇傾向にある。とくに営業利益率はそうでもないのだが,経常利益率は上下の振幅も大きいものの上昇幅も大きく,高度成長期の水準に達している(※1)。

 問題は企業が儲からなかったことではない。加谷氏は日本企業の付加価値生産性の低さを指摘しており,それは事実である。日本のいくつかの産業において国際競争力が低迷しているのも,視点によって詳細は変わるが,おおむね事実といってよい。しかし,それでも日本企業は全体として利益率を引き上げて来たのである。むしろその理由を問うべきだが,今は脇に置く。もうかりはしたのだが,その利益がどこに行ったかが問題である。

 A)一つ目は,配当性向と配当の絶対額の上昇である(※2)。この配当が,おそらくは高所得者に向けられた。高所得者の限界消費性向は低いので消費に回らない(※3)。

 ただし,企業は配当を増やしてなお内部留保を狭義(利益剰余金)でも広義(利益剰余金+資本剰余金+各種引当金・準備金)でも積み上げた(※4)。

 B)二つ目が,この内部留保が資産としては何に投下されたかである。有形固定資産に投下されず,M&Aを含む子会社支配,自社株買い戻し,海外直接投資に向けられた部分が大きかった。にわかには信じがたいことだが,大企業の有形固定資産保有額は,21世紀最初の15年の間に低下したのである(※5)。

 日本の企業は利益を上げていた。しかし,その利益は,国内において,消費や実物資産への投資を拡大するように再投下されてこなかった。これが景気の長期低迷の最大の要因だと私は考える(※6)。賃金が上がらないことは,別の要因で説明すべきだ。

※1 以下のグラフをご覧いただきたい。法人企業統計調査から本川裕氏が作成したもの。
「企業の利益率の長期推移」社会実情データ図録。

※2 以下のグラフをご覧いただきたい。出所は※1と同じ。
「企業の当期純利益の推移」社会実情データ図録。

※3 以下のデータをご覧いただきたい。
「BOX3 所得階層別にみた限界消費性向」『経済・物価情勢の展望(2016年10月)』日本銀行,2016年11月。

※4 ※2と同じ以下のグラフをご覧いただきたい。
「企業の当期純利益の推移(製造業)」社会実情データ図録。

※5 以下をご覧いただきたい。
小栗崇資(2017)「大企業における内部留保の構造とその活用」『名城論叢』17(4),名城大学経済・経営学会,3月,1-14。

※6 このことは私を含む産業論や経営学研究者も注意すべきである。日本企業のイノベーションの低迷や国際競争力低下を問題にするのは意味がある。日本社会の生産力や物的生産性に直結する問題であり,日本の生活のありかたに関わるものだからだ。しかし,「日本経済を活性化させるためには,日本企業の国際競争力をあげねばならない」とは限らない。企業がもうかっても低迷したままになることもあるからだ。まして「日本経済を活性化させるためには,日本企業がもうかるようにしなければならない」というのは誤りである。すでにもうかっているのに日本経済は活性化していないからだ。

加谷珪一「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」Newsweek,2022年4月1日。


2022年3月31日木曜日

「ビッグマックは絶対さ!」とゴルバチョフの人形は言った

 1987年のゴルバチョフ訪米,中距離核戦力(INF)全廃条約直前のことだったと思う。アメリカのテレビで,レーガンとゴルバチョフの人形が会話しているものがあった。

レーガン「アメリカでは何を食べたい?」

ゴルバチョフ「○○と××と,,,,ビッグマックは絶対さ!」

 若者には説明を要する。かつて社会主義国には,多国籍民営企業マクドナルドは出店していなかった。また,1968年に開発されたビッグマックは,当時のマクドナルドでは最上級メニューであった。

 マクドナルドがゆたかな西側諸国のイメージを代表していたことは,1990年1月31日にモスクワにマクドナルドがオープンしたときに3万人の顧客が押し寄せたことで明白になった。時代は大きく変わっていた。私はその光景をテレビで見ていたが,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」と思う気持ちとブラウン管の中の現実に折り合いが付けられなかった。

 やがてソ連は崩壊してロシアに戻り,市場経済化とグローバル化は,褒め称えるに値するかどうかは別としても,不可避の流れになったように見えた。1993年,アメリカからの帰りの飛行機の中で読んだAdams and Brock, Adam Smith goes to Moscowの表紙にはマクドナルドモスクワ店開店日の写真が使われていた。私は2000年にこの本を訳し,またベトナム市場経済化支援プロジェクトに参加して,グローバリゼーションを不可避と認めた研究や提言を行うようになった。

 2022年3月8日,ロシアのウクライナ侵攻を受けてマクドナルドはロシアの850店舗すべてを閉鎖すると発表した。時代は一回りしたのだ。そして私は,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」とは思えなくなった。




2022年3月28日月曜日

遊休貨幣論ノート:ポストコロナの物価を考えるために

 ポストコロナの物価を理論的に考える上での難問は,コロナ以前やコロナ禍で行なわれた財政支出が,今後の物価上昇の遠因となるかどうかである。またもう少し解像度を上げて言うならば,現時点や今後の財政支出の他に,企業や個人の手元に蓄積されている現預金や金融資産が,物価形成に参与していくかどうかである。

 これまで私は,リフレーション論批判,「量的・質的金融緩和」論批判,財政拡大の必要性とその方向性に関する議論を行ってきた。そのために必要な理屈として,マルクスの貨幣流通法則,紙幣流通法則,手形論,信用論,銀行論を学び直して動員し,そこにMMTの考え方も取り込んできた。しかし,インフレが再燃しつつあるポストコロナの物価を考える際には,これらだけでは十分ではない。不足している理論装置の一つが遊休貨幣論である。このノートでは,貨幣流通論における遊休貨幣論の必要性とその位置づけについて,基礎的な論点を提示したい。

 「講義ノート:管理通貨制度における信用貨幣の供給」「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」「講義ノート:管理通貨制度下の貨幣流通,蓄蔵貨幣機能,遊休と金融的流通」で論じたように,管理通貨制の下での貨幣流通の基本的な動きを理解する枠組みは,マルクス派の諸理論を適切に用いることによって構築可能である。「金兌換が停止された世界はマルクス経済学では理解できない」などというのは俗論に過ぎない。

 とりわけ重要なのは,貨幣流通法則,すなわち「価格で見た商品流通総額を貨幣の流通回数で割ることによって,流通に必要な貨幣量が得られる,商品流通総額と貨幣の流通回数が流通に必要な貨幣量を決めるのであって逆ではない」というものである。貨幣流通法則は,現代の信用貨幣である預金通貨と中央銀行券が,金融システムにより,貸付・返済を通して流通に出入りする時には全面的に適用される。他方,これらの通貨が財政システムにより,政府支出・課税を通して流通に出入りする際には,紙幣流通法則も働く。

 金融システムによる通貨供給は貨幣流通法則にのみしたがうものであり,商品の世界からの必要に応じた内生的通貨供給である。したがって名目的物価上昇という意味での貨幣的インフレーションを起こさない。他方,財政支出による供給は紙幣流通法則にもしたがうので,商品総量を所与とした,外生的で一方的通貨供給にもなり得る。実際にそれが起こるかどうかは,財政支出が,失業者の就業,遊休している設備の稼働,滞貨の流通,そして未利用資源の商品化を引き起こすか,それらを起こさずに通貨供給量だけを引き上げるかにかかっている。最後の場合には物価だけが名目的に上昇する貨幣的インフレとなる。なお,ここでマルクスの理論とケインズの理論は重なっている。もちろん,どのような通貨供給によっても,個別的需給不均衡による価格上昇や,生産費上昇による実質的物価上昇は起こり得る(※1)。

 しかし,このように整理した場合でも,なお理解が難しい領域がある。それは遊休貨幣の動きである。21世紀突入以来,日本の大企業が現預金や金融資産を積み上げてきたことはよく知られている。この傾向はコロナ禍でも続いた。そして家計もまた長らく貯蓄超過であり,コロナ禍でも日本全体で見れば現預金を積み上げた。賃金の低下幅を上回って消費が減退し,さらに給付金が支給されたからである。これを理論的に言うならば,一方では,産業企業による,利潤を産業資本に転化するという意味での資本蓄積が停滞しているのであり,他方では,労働者家計を含めて家計内部には相当な格差があり,一定の家計では相当な貯蓄を形成しているのである。これらの滞留する,あるいは金融的流通に向けられている現預金は,貨幣論的には,「流通内にあるが財・サービスの流通を媒介していない」状態にある。これをどのように理解すべきか。

 一方において,これらはマルクス派の言う蓄蔵貨幣ではない。蓄蔵貨幣とは,流通から外部に出て,なおかつ価値を維持して蓄蔵される貨幣である。これを満たすのは,それ自体が価値を持つ,金貨や銀貨などの正貨だけである。預金通貨や中央銀行券は,貨幣流通法則の次元での蓄蔵貨幣にはなり得ない(※2)。

 他方において,滞留する現預金や金融資産は,少なくとも一定期間,財・サービスの物価形成に参与していない。財・サービスの流通を媒介せずにたんす預金や貯蓄性預金として停滞するか,あるいは金融的流通に回り,株式や社債や国債に投じられているからである(※3)。

 管理通貨制度の下で「流通内にあるが財・サービスの流通を媒介していない」状態にある通貨を整合的に取り扱う理論的方向自体は,古くから提起されている。これらを流通内で一時的に休息している休息貨幣と見なすのである(岡橋保『新版 貨幣論』春秋社,1956年)。この規定は,理論的には貨幣流通法則と整合するものであり,本稿の出発点となる規定である。しかし,問題はこの一時的休息,休息貨幣という規定によって通貨供給の動きと物価形成の関係をどこまで把握できるかである。また,一時的に休息し得るということは,管理通貨制の下での預金通貨や中央銀行券にも一時的な価値保蔵機能が認められるということである。蓄蔵貨幣にはなり得ないが一時的な価値保蔵機能を持つとはどういうことか。

 まずは休息について考えよう。「一時的休息」という規定は,結局は動き出して財・サービスの流通を媒介するというニュアンスを持つ。しかし,現代の資本主義では,この休息する貨幣の量が大きく,休息する期間が長くなり,経済全体への影響が無視できなくなる傾向にある。なぜなら資本主義の成熟とともに,産業資本は投資機会を見つけにくくなって法人貯蓄を積み上げ,家計の一部も貯蓄を形成するからである。これらの貯蓄は現時点では物価形成に参与していない。しかし,今後もしばらく参与しないのか,結局は参与するのか。また参与するにしても,いつどのようなタイミングと方法で参与するか,例えばリベンジ消費か設備投資か在庫積み上げか,何に対する消費や投資か。これらは重要な問題であるが,「一時的休息」という規定だけから直接に答えることはできない。

 とくに問題なのは,財政赤字によって外生的に投入された通貨の行方である。ある時点で財政の一方的拡大が行われても,支出のかなりの部分がいったん遊休貨幣ないし休息貨幣となったとする。その中には家計の所得としての遊休貨幣もあれば,企業の手元での遊休貨幣資本もある。しばらくしてからこれらが支出されると,それらが支出に対応しただけの生産拡大を誘発すれば,需要超過による物価上昇は起こったとしても貨幣的インフレは生じない。しかし,これらの支出が生産拡大を誘発しなければ,貨幣的インフレが発現するだろう。2020年の財政拡大は,2022年や2023年に貨幣的インフレを起こすこともあり得るし,2022年や2023年に雇用と景気を改善して貨幣的インフレは起こさないこともあり得るのである。どちらになるかは,財政を拡大した時点では決定されない。

 「一時的休息」という規定は,通貨供給量の増大からインフレーションの発言までタイムラグがある可能性を示唆している。ここにこの規定の積極的意義がある。しかし同時に,一時的に休息している遊休貨幣が,結局のところ物価を引き上げるのか,それとも引き上げないのかは,場合によるとしか言えないということにもなる。ここの問題は,貨幣流通法則が誤っているとか無効になっているとかいうことではない。しかし,貨幣流通法則が抽象的であるが故に,それだけでは具体的な局面の理解に十分ではないということである。遊休貨幣の運動についての,より具体的な運動法則を用いなければ,その物価への影響は解明できないのである。

 次に,一時的な価値保蔵についてである。それ自体価値を持たない,不換の預金通貨や中央銀行券での価値保蔵がなぜ可能となるのだろうか。これらの通貨は,すでに流通内にあるのでインフレーションによる減価のリスクにさらされている。なので,持ち手にとっては,流通手段として用いる以外に道がないように思える。しかし,そうではない。インフレによる減価リスクを相殺するような利得があれば,そこに流通手段以外の利用方法が生まれる。それは現金のまま保有することによる流動性の確保であり,またそれ自体は価値を持たない架空資本,つまりは金融資産への投下による資本蓄積である。もちろん後者は,それ自体リスクのある営みである。しかし,持ち手に取ってこの二つの意義が大きくなるような条件があれば,不換の預金通貨や中央銀行券のままの保有や,金融資産への投下による価値保蔵や価値増殖が試みられるのである。

 遊休貨幣の運動とは,これらが財・サービスの消費に向かうか,財・サービスの購入や雇用の拡大を通した投資に向かうか,それとも現預金のまま遊休し続けるのか,あるいは現預金以外の金融資産の購入に向かうのかという問題である。これを支配するのは,産業活動に投資した場合の利潤の見通しと,流動性選好による利得と,金融資産選好による利得の関係であり,それらを規定する諸条件に他ならない。ここで再び,マルクスの世界とケインズの世界は重なるべきである。マルクス派は,遊休貨幣の運動を論じるために,ケインズの流動性選好説を摂取しなければならないし,そうすることによって自らの体系を損なうことなく拡張することが可能になるだろう(※4)。

 マルクス派の貨幣理論では,管理通貨制の下での遊休貨幣を蓄蔵貨幣として取り扱うことはできない。遊休貨幣は流通内で一時的に休息している貨幣であって蓄蔵貨幣ではない。蓄蔵貨幣ではないにもかかわらず,一定の価値保蔵機能を持つために,現金のまま保有されたり,金融資産に投下されたりすることが可能なのであり,そうされている期間は物価形成に参与しないのである。この遊休貨幣の運動を取り扱おうとするときに,マルクス派はケインズの流動性選好論を摂取しなければならない。これが,このノートの差し当たりの主張である。


※1 このような理解は,マルクス派の中でも貨幣流通法則の現代における作用を最大限に認めるものであり,管理通貨制の下では紙幣流通法則しか働かないという議論の対極に位置するものである。同じマルクス派の中でも,預金や中央銀行券は金本位制であれ管理通貨制であれ信用貨幣だと認めれば前者の理解に近づき,両者は金債務だから金本位制では信用貨幣であっても管理通貨制では価値シンボルに過ぎないと考えると後者の理解になる傾向を持っている。私は前者に立っている。よく言われる話題で言えば,「金・ドル交換停止以後のドルは紙切れに過ぎず,国家権力の強制で流通している」という議論には立たない。ドルは連邦準備銀行の信用ある手形だから流通しているのである。

※2 貨幣蓄蔵をめぐる法則自体は,管理通貨制の下でも作用する。預金通貨は,貸付けや信用代位によって流通に入り,返済や信用代位によって流通から出る。そして流通から出れば消滅する。また中央銀行券は,預金が引き出されることによって発行され,預金として預け入れられると消滅する。両方とも,商品世界の動きに従属して流通に入り,また流通から出る。この意味では貨幣蓄蔵の法則に従っている。しかし,これらが流通から出るのは消滅する時である。流通から出て,なおかつ価値を維持して蓄蔵される正貨は,管理通貨制では存在しない。

※3 株式や社債への投下とは,企業の投資をファイナンスすることではないかという疑問があるかもしれない。株式・社債の発行市場での購入はその通りである。しかし,流通市場での購入はそうではない。既発行の株式・社債といった金融資産を購入すれば,購入に投じた貨幣は前の持ち主のもとに移るだけである。この場合の貨幣流通は金融的流通なのであり,金融的流通にまわっている貨幣は,財・サービスの購買に用いられないという意味では遊休貨幣のままなのである。

※4 ここでは流動性選好を広く定義すれば金融資産選好も含まれると考えたが,小野善康『資本主義の方程式』中公新書,2022年では流動性選好と資産選好は別物として定義されているように見える。今後検討したい。


2022年3月25日金曜日

財政政策の分類。仮に中立命題が正しいとしても「小さな政府」がよいということにはならない:動画・現代資本主義におけるマクロ経済政策第24-25回

  講義サンプル動画「現代資本主義におけるマクロ経済政策」。財政政策論に突入。

 第24回は経済への作用の仕方によって財政政策を分類しただけだが,分類の仕方は小野善康氏の理論を踏まえたつもりだ。

 小野氏のマクロ経済政策論で目を開かされたのは,そこに「ゆたかな社会では,問題は貨幣ベースでの所得だけでなく,実物資源が有効に活用され,有用なことがなされているかどうかにも注目しなければならない」という視点が入っていることであった。もちろんここの実物資源とは労働力を含むのであって,失業とは「労働力という資源が有効活用されていない社会的無駄」ということになる。

 この視点からすると,穴掘り・穴埋めの公共事業と,今後役に立つ公共施設を建設する公共事業とでは,例え貨幣ベースの総需要が同金額であっても意味がまったく異なる。また,むだに遊休している貨幣を課税で徴収してそれを財源に有効な公共施設の建設に支出する場合のように,総需要はプラスマイナスゼロ,財政収支もプラスマイナスゼロであっても実施した方がよい財政政策もあることになる。こうしたことが起こるのは,自由放任の下では貨幣と実物資源が自動的に結びつかないからだ。結びつけるには政策が必要なのだ。

 この動画は,小野氏の観点を確認した上で,財政政策の有効性,財政赤字の捉え方に進む。しかしこれとは別に,「ゆたかな社会」における貨幣視点と実物視点については,別の機会に別な形で発展させて次年度の講義に活かしたいと思う。

 第25回からは,財政政策の有効性をめぐる諸見解を3回に分けて配信。まずは中立命題についての紹介と相対化である。仮に中立命題が正しいとすれば,赤字財政により有効需要を拡大することは出来ない。しかし,そうだとしても,再分配による消費性向の引き上げ,公共事業による失業吸収,公共事業による有益な施設や制度の拡充,それらによる加速度原理の作用は可能である。なぜかというと,これらは第24回でも述べたように,追加課税と追加支出が等しく,財政赤字を拡大しなくても,課税の仕方によっては可能だからである。例えば,遊休している貯蓄に課税したうえで支出すればよい。したがって,仮に中立命題が正しいとしても,「小さな政府が正しい,財政政策は最小化すべきだ」ということにはならないのである。

作用経路から見た財政政策の分類 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉔



財政政策の有効性(1)中立命題による裁量的財政政策否定論 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉕




2022年3月18日金曜日

ソ連の対日参戦や千島列島占拠は悪くないが原爆投下は罪だというロシア政府の見地について

 BBCの報道によれば,ロシアのペスコフ報道官は,バイデン米大統領がプーチン大統領を「戦争犯罪人」と呼んだことについて,「すでに敗北した国-広島と長崎のことだが-に原爆を落とした国の元首には,そのようなことを言う権利はない」と非難した。いわゆる「どの口が言うのか」論である。

 この発言は二つの,まったく逆の方向から注意が必要だと思う。

 一つ目,ロシア政府は,ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦したことを悪いと思ってはいないし,日本が戦争で分捕ったわけでもない千島列島を放棄させるようなヤルタ密約を結び,実際に千島列島を占拠して実効支配していることも(※),まったく悪いと思っていないことが示されている。この背後にあるのは,ロシア政府の,ソ連の対日参戦によって日本の敗北が決定づけられたという見地である。

 ロシア政府は,第二次大戦後の戦後処理においても,現在においても,他国領土を侵害することについて実に身勝手だと言わざるを得ない。ロシア政府に対してこそ「どの口が言うのか」と問いただすことが必要である。

 二つ目。ロシア政府は,原爆投下が戦争終結に寄与したというアメリカで支配的な見解と対立しており,原爆投下は人類に対する犯罪だと考えていることである。これはこの数年間,折に触れて,たとえばオバマ元大統領の広島訪問の際などに表明されて来た見解である。

 実はこの見解もまた,日本をポツダム宣言受諾に追い込んだのはアメリカによる原爆投下ではなくソ連の対日参戦だったというように,対日参戦の正当化と一体でなのである。

 しかし,アメリカに対抗することが主観的目的であろうとも,ソ連の対日参戦正当化という歪んだ動機があろうとも,ロシア政府が,原爆投下を人類に対する罪だと主張していることは重要である。その言質を捉え,その見地に従って行動するようにロシア政府に迫ることができるからである。

 以上の二点を,異なる角度からきちんととらえておくことが重要である。日本政府関係者は,一点目について,ただプーチン憎しで頭から拒否するだけで,まちがってもソ連の歴史的無法行為を糾弾し忘れてはならない。また二点目について,プーチン憎しの余り「ロシア政府は間違っており,アメリカの原爆投下こそが終戦に貢献した」などとトンチンカンなことを口走ってはならない。歴史と国際法と道義を踏まえ,何を「日本の立場」とすべきかよく考えて,言うべきことを言わねばならない。


※国後島,択捉島だけでなく,北千島を含めて千島列島は大日本帝国が戦争で分捕ったわけではない。したがってサンフランシスコ講和条約で放棄させられた/したことは,領土不拡大原則に反している。


Biden calling Putin a war criminal is "unacceptable" and "inexcusable," Kremlin says, CNN, March 17, 2022.

「ロシア、バイデン氏発言に反発 『許しがたい発言』」ロイター,2022年3月18日。


2022年3月17日木曜日

私は無事ですが,研究室が……

 3月16日夜の地震後も,私は無事でおり,ネットアクセスも維持できております。しかし,研究室は突っ張り棒を多数かませていたにもかかわらず本棚が倒れ,修復に一週間から10日ほど時間を要しそうです。



2022年3月16日水曜日

再論:コルレス契約が制限されない限り,SWIFT排除だけでは国際決済からの排除にはならないことに注意すべき

 ロイターの記事「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」(2022年3月8日)は,SWIFTから排除されたロシアの銀行が使う代替手段には限りがあると指摘している。確かにその通りだろうが,逆に言うと代替手段がないわけではないことには注意を要する。今後も,ロシアの政府・銀行は様々な抜け道を探るだろう。だから代替手段について研究しておくことは制裁の効果を見極めるうえで有意義である。

 記者が気づいているのかどうかわからないが,この記事が最後に紹介している手段が,実は最もオーソドックスである。

「ロシアの銀行にとってより適切な代替手段は、ロシア製品を輸入した業者から代金を受け取り、ロシアの輸出業者に支払いを行う海外の取引銀行との間で、電話やファックス、メッセージングアプリを使った特別の送受信システムを構築することだ。」

 これは特別なことではない。「メッセージングアプリ」を「テレックス」にでも置き換えれば,単に「昔に戻る」だけのことである。

 以前にも書いたように,SWIFTは国際決済システムそのものではない。通貨が国ごとに異なっており,金や貴金属の現送での支払いがもはや行われていない世界では,世界通貨が存在しないからである。なので,国際決済は,必ず特定の通貨で,特定国の中央銀行の預金システムを介して行わねばならない。だから,各国の銀行は決済を行う国の銀行とコルレス契約を結び,共通の中央銀行に預金を持つコルレス銀行同士で決済してもらうのである。SWIFTは,ICTとメッセージ標準化により,これを効率化するシステムであって,それ以上でもそれ以下でもない。これはICTが未熟だからではなく,世界が諸国に分かれて別の通貨を用いているという制度の問題である。

 この記事が紹介している方法は,コルレス契約を使った決済を,SWIFTをつかわずにやるだけのことである。恐ろしく面倒で,コストがかかるから小口取引が排除され,時間がかかり,不正確になるだろう。しかし,原理的に不可能ではない。

 もちろん,現実にはSWIFTからの排除だけでなくロシアの銀行との対外送金業務自体が制限されているので,決済ははなはだしく制約される。しかし,SWIFTからの排除自体が国際決済をただちに不可能にするものではないことは,この記事からも読み取っておく必要がある。

「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」REUTERS,2022年3月8日。


2022年3月14日月曜日

金融政策の限界(2)リフレーション政策は有効か:動画・現代資本主義におけるマクロ経済政策第23回

 金融政策の限界(2)。「量的金融緩和で通貨膨張を起こせばデフレから脱却できる」というリフレーション政策論への批判。言いたいことは3点。

1)中央銀行が買いオペレーションをすれば通貨供給が必ず増えるというメカニズムはない。

2)現実の需要が増えるよりも先に「インフレ期待」が起きるという想定は転倒している。

3)そもそも中央銀行の金融政策ではインフレは起こせないのだから,信じろという方が無理。

 もはや政策の現場では多くの人が認めていることだが,そもそも理論的に問題があったことを確かめておくべきだろう。

 1)は深刻で,リフレーション派が「金融政策は,通貨供給量を外生的にコントロールできる」という仮定に依拠していたことへの批判である。しかもこの仮定は,マクロ経済学の主流派が漠然と想定していた仮定でもあった。リフレーション派の中に,やけに居丈高で「われこそは経済学の本流。理解しないやつは不勉強」という態度をとる論者があったのは,パーソナリティの問題を除けばここに理由があった。

 私は,どんな学問でも主流の理論はそれとして尊重されるべきあると思う。しかし,主流の理論の基本的な想定が間違っているということもありうるのであって,そういうときは「根本からまちがっている」と指摘せざるを得ない。もう少し丁寧に言うと,モデルが抽象的過ぎて現実と合わないという場合ならば,とくに否定されるべきではない。議論の抽象度や解像度を踏まえて論じるのであれば,モデルと現実がずれていても,そのリアリティは必ずしも否定されるべきではない。しかし,露骨に現実と異なっているモデルで直接に現実を説明しようとし,あげく「これが主流の議論だから従え」ではイデオロギーである。

 2)は「まず中央銀行の強いコミットメントでみんなに『インフレが起こるぞ』と信じさせればいい」という議論は,現実の前に「まず,とにかく信じよ」というところがおよそ社会科学らしくない。それでも信じるべき根拠があるならいいのだが,1)により,そもそも中央銀行がいくらコミットしたところでインフレになるメカニズムがない。3)なので非伝統的金融政策によるリフレ論とは,事実上,「嘘を100回言って信じさせよう」というものである。かなり正確な意味で呪術経済学だったと言わざるを得ないのである。

  いま私はそれなりに丁寧に批判したつもりであるが,それでもあまりに否定的だと思われるかもしれない。そこで,もう少し生産的に,対案を提示しながら言おう。問題は「政府もしくは中央銀行が貨幣供給をコントロールする」という想定にある。この想定の問題は,一体,貨幣供給をどのような取引によって行うかをオミットしていることである。

 いうまでもないことで,中央銀行は,中央銀行-銀行-企業や家計というルートで,貸し付けと返済,または債券の売買(信用代位)を通して行う。そして政府は財政支出と課税を通して行うのである。管理通貨制度を扱うマクロ経済学は,基本モデルにこれを含むべきである。これが対案である。これ以上,何も捨象してはならない。

 金融システムについて言うならば,『銀行による貸し借りだ』というところを勝手に捨象して『政府や中央銀行が市場に貨幣を供給している』というモデルにしてはならないのである。抽象モデルだからいいということにはならない。これは合理的な抽象,つまり本質的なものを維持してそうでないものを捨てる抽象ではなく,本質を歪めて余分なことを密輸入する誤った抽象だからである。貸し借りによる通貨供給とは,「借りたいという希望がなければお金を貸しようがない」という性質を含んでいる。これを「中央銀行は自由にお金を供給できる」という風にすれば話は歪み,中央銀行が突然万能になる。ここに誤りがあったのである。

金融政策の限界(2)リフレーション政策は有効か 現代資本主義におけるマクロ経済政㉓



2022年3月11日金曜日

金融政策の限界(1)利子率が下がれば必ず投資と消費が促進されるか:動画・現代資本主義におけるマクロ経済政策第20-22回

  伝統的・非伝統的金融政策の説明と,その限界「その1」の動画。

 2000年代の日本で始まり,アベノミクス=黒田日銀で大々的に展開された非伝統的金融政策には,いくつもおかしい点がある。一つは,金利が下がれば投資が増えるだろうという仮定していることだ。投資は,実質金利と,資本の限界効率との関係によって決まる。そして資本の限界効率には,ケインズが美人投票の比喩で述べたように,集団心理によって左右される不確実性が存在する。端的に言えば,「投資したところで製品が売れそうには思えない」と経営者が悲観しているような経済情勢が長く続くと,既に名目上ゼロにまで下がっている金利を多少引き下げたところで,投資は盛り上がらない。経営者が悲観してしまう理由の方を取り除かねばならないのである。それは将来不安による消費の手控え,そして消費者がそのように行動しているという経営者の認知である。ここを変えることは金融政策ではできない。財政政策,社会政策,産業政策に頼らざるを得ない。

 だから1990年代からうわごとのように繰り返された「景気が悪いのはデフレのせいだ」は転倒した議論であった。単純に需要が盛り上がらないから物価が上がらなかったのである。これが根本要因である。

 とはいえ,「デフレが悪い」という側面も副次的にはないではなかった。経営者が設備投資よりも,現金の積み上げ,株式投資,せいぜいM&Aによる産業再編(これはマクロ的には投資ではない)に走るのは,その方が利益率が期待できるからであり,そこには物価が上昇しないという環境が作用しているからだ。

 しかし,「デフレが悪い」という話がある程度までは正しくても,「だから金融緩和でインフレにすればいい」というリフレーション論は,さらに大きな間違いであった。まず先に需要が盛り上がっている状態ならば,金融緩和でさらなる投資・消費の拡大と物価上昇を促進することはできるだろう。しかし,需要超過がないところで,まず最初に「金融緩和でインフレにする」ことはできないのである。これは第23回のテーマである。

伝統的金融政策とその行き詰まり 現代資本主義におけるマクロ経済政策⑳




非伝統的金融政策とは何か 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉑




金融政策の限界(1)利子率が下がれば必ず投資と消費が促進されるか  現代資本主義におけるマクロ経済政策㉒



2022年3月9日水曜日

The End of Post-Cold War Globalization: Shaking by U.S.-China Conflict, Blow by Russian Invasion and Western Economic Sanctions

As Ian Bremmer says on March 4  (Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022), Putin's invasion of Ukraine is riddled with miscalculations. The Russian army is weak, Ukrainian resistance is stubborn, the West is tightly united, and Russian civil life suffers. "Putin's likely 'victory' on the battlefield guarantees that he will never achieve his core political objective and the one reason he chose to invade Ukraine in the first place: to make Russia great again." I would like to see Russia withdraw militarily, but even if that does not happen, I think that Russia's power will be weakened politically through this war.

 But if Putin's regime and Russia's political power are weakened politically, what will be the economic consequences? The changes brought about by sanctions against Russia will be irreversible, and the effects will be felt throughout the global economy. As Bremer puts it, "The rapid and forced decoupling of the Russian economy from the global trading and financial system will head toward severe economic stagnation (i.e., double-digit recession and inflation), impoverishing both ordinary Russians and oligarchs alike." The problem is that it is unlikely to be just during this war. Unless Putin's regime falls and a Western-friendly government is immediately installed in Russia, this decoupling will continue to some extent even after the war comes to some conclusion. Russia may try to return to the global economic system. Still, it will consider the global economic system dominated by the U.S. and the EU. Moreover, it will try to build another economic bloc with countries with the same awareness of the problem, i.e., China and its friendly countries.

 Of course, this is not a reversion to the Cold War economy. The Russian economy does not carry the same weight in the world as the Soviet economy did in the past. Nor is Russia or China a planned economy, nor do they intend to build an economy that is closed to the outside world. Nevertheless, the war of aggression against Ukraine and the sanctions to Russia will result in a more fragmented world economy than we have seen so far. I don't want that to happen, but as an economist, I predict it.

 The world economy may well be at the end of post-Cold War globalization. While some may argue that globalization is economically inevitable, a distinction must be made between globalization in general and "Post-Cold War globalization" in particular. We must not close our eyes to the difference between the two. However, since the term "globalization" itself is ambiguous, I will limit my discussion here to economic globalization, i.e., the actual progress of trade and investment liberalization based on policy guarantees.

 Economic globalization in the post-Cold War era means the following. After the end of the Cold War and the collapse of the Soviet Union and Eastern European planned economies, the economic development strategies of most countries in the world had to be based on trade and investment liberalization with certain political reservations. This period, which lasted for about 30 years, does not mean that the universal truths of market fundamentalism and economics of freedom of trade and investment have finally been realized. Even after the collapse of the Soviet and Eastern European regimes, various regimes continued to exist in world politics. China and Vietnam continued to advocate socialism politically, although their economic reality is capitalism with strong state intervention. Some countries had broken away from socialism but still favored authoritarian rule, such as Russia. So while Branko Milanovic said that "Capitalism Alone" remained in the world, there was not single free, democratic market economy like a textbook, but rather a competition between "liberal meritocratic capitalism" and "political capitalism." There are two kinds of capitalism, no matter how small the estimate. And it is possible to think of much more varied capitalism, and they are being discussed.

 Economic globalization in the post-Cold War period was not automatically realized because economics was right. Nor was it because a single regime covered the world with agreement on the details of the political regime and the market economy. Globalization, in general, is a kind of abstraction. In reality, post-Cold War globalization has promoted trade and investment liberalization for the past 30 years while maintaining a political consensus that dares to put aside political and diplomatic differences. There was a widespread political agreement to pursue the economic interests of both sides, with "market economy" and "trade and investment liberalization" as somehow common terms. Of course, there were various interpretations of the terms "market economy" and "trade and investment liberalization." But an agreement to remain committed to those terms was crucial. Some might say there was no agreement, only compromise, but either is acceptable here.

 This agreement or compromise was already crumbling due to the U.S.-China confrontation. It became impossible to put aside differences in political and foreign policy for free trade of semiconductors for 5G base stations and smartphones. It became difficult to choose the location of semiconductor factories based solely on economic calculations. And now, a rapid collapse is coming. The U.S., EU countries and Japan can no longer tolerate the Russian central bank managing foreign currency reservations, Russian banks conducting international payments through SWIFT, and Russian aircraft flying over Europe.

 Even in this phase, it is possible to defend the benefits of globalization in general from the standpoint of economics, or rather economics alone. For example, the "second unbundling" promoted by ICTs, which Richard Baldwin describes in "The Great Convergence: Information Technology and the New Globalization" or the benefits of the international division of labor between processes, continues to exist. So it is possible to ask public opinion and policymakers to respect economic rationality. However, it is no longer possible to persuade them to put aside political and diplomatic differences solely based on mutual benefits from economic rationality, as has been the case for the past 30 years. It became gradually more difficult at the time of the U.S.-China decoupling and is unthinkable now in the face of the Russian invasion of Ukraine. Just as considering economic interests objectively, it has become challenging to promote globalization if one looks at current international politics objectively.

  Post-Cold War globalization is coming to an end. The era in which liberalization of trade and investment can be promoted with the involvement of almost all countries of the world, leaving political and diplomatic conflicts aside, is coming to an end. I do not want it to happen, but I think it will be a high probability.


ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。  会田...